今一たびは、あはれ桂よ。今一たびは
なれ鳶色のみるてじゆよ。鳶よ、ときはの。
我は來り、摘まんとすなり、みのり淺き澁きながを。
強ひてする指もなめげに
なが葉をぞ、打ちふるふなる、みのり時、まだ來ぬ前に。
胸にせまる、にがき思、いともいとも悲しき事の、
我を強ひ、時ならぬを、さわがしむなる。
その故よ、リシダス逝きぬ、逝きにけりな、盛りのまへに、
うらわかき、リシダスの君、たぐふべき、ものも殘さで。
誰れか夫れ、リシダスの爲め、うたはざる。彼にもまた
自ら詠じ、たけたかき韻をつらぬる才ありき。
いたづらに、水の棺にうきうきて、
泣くひともなく物こがす風にただよひ、えあらむや
しらべよき、歌の涙の、むくいもなくて。

歸り來よ、アルフイイアス、恐ろしき聲己みにけり
なが水を、震はしめたる。歸り來よ、シシリヤの神。
願くば、かの谷をよび、こゝにちらせ、
千ぐさの色の、鐘ばな、小花。
木々の蔭、吹く風、あるは迸る、小川のほとり、
ささやぎの、聲も聞えて。
そこのみぞ、物黒くする、かの星も、よそに見るてふ、ひくき野よ、
こゝに投げよ、縁の土に、甘露吸ふ、
なが清らにも、かゞやくまなこと、
又は春の、花にも染めよ、野邊の色。
持ち來れ、人に知られで、枯れて行く、春早咲きの櫻草、
房にも群るゝ蔦の花、色青白の茉莉花まつりくわや、
白き石竹又はかの黒斑くろまだらなる遊蝶花、
かゞやく菫、
白さうび、裝ひあつき、忍冬すひかづら
垂るゝかうべに、物おもふ、色青ざめし、金盞花、
とりてあつめて悲しげに、かざりよそほふ、花のなべてを。
鷄頭は、その美しさ、注ぎもつくせ、
水仙は、さかづきみたせ、涙の珠に、
歌人のシリダス[#「シリダス」はママ]眠る、そのおくつきに、散らすすべにも。

かくも歌ひぬ、賤がは、かしはに河に。
さる、しづけき朝は、灰色のあゆひして行きぬ。
くさぐさの、琴の緒にふれ、
思ひも深く彼ぞ歌ひし、いにしへのドリヤのしらべ。
かくて今、日は山々の蔭を長くし、
かくて今沈みにけりな、西の入江に。
今はとて、彼立ちあがり、
空色の、きぬをまとひつ、
明日あすこそは、新しき森、新しき野に。

底本:「上田敏詩集」玄文社詩歌部
   1923(大正12)年1月10日発行
入力:川山隆
校正:Juki
2012年7月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。