私の日記には日の区ぎりがつけにくい、寝て、起る時間が、いつもあまりに滅茶苦茶だから――。

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 三人の友達が夫々不気嫌の床に就いてゐるので、だが一人は快く起き上つたといふことはきき、暫く会ひ損つてゐるので、会ひたく、兎に角三人のうちの一人でもを見舞ふつもりで汽車に乗つた。銀座へ出て、傍目も触らずに非常な速歩で歩いてゐると、だんだんに、どうして好いか解らない程な愴忙な気分に襲はれてしまつたのだ――私は、「オアシス」の酒つぎ台に肘をのせてゐた。何とかいふ命題をつけてもいゝ彫刻の立像だつた。そして間もなく沈酔を蓄へた奇妙な立像だつた。――私は誰と何の口をきくこともなしに夜半の汽車で逆戻りしてゐた。
 非常に疲れたらしい、非常に好く、ながく眠り続けたらしい――いつ頃か、(綺麗な陽がさしてゐた。)誰かに無理に起されて、この客は私の寝室へ踏み込んで有無も云はさず私を地蔵起しにした。――さうだ! 私は云つた、目が醒めさへすれば文学々々々々そればかりを口にしてゐながら如何して斯う文学の仕事ははかどりにくいものだろう、何の魅力か? 何の因果か? 何時何処のステーシヨンで僕は斯んなタヴレツトをうけとつてしまつたんだらう、夏も秋もありはしない、この! 何時来るとも解らない列車を待ちながら凝然と吹きさらしのプラツトホームに立つて三角のタヴレツトを捧げてゐるこの駅長に僕は痛烈な皮肉を感ぜずにはゐられない、この頃吾家の子供がね、カヽシの唄を覚えてね、歌ふの歌はないんぢやない、天気の好イノニ簑笠ツケテ、一本アシノカヽシ、朝カラ晩マデターダ立チドオシだつてさ、ヤーマデハカラスガカアカトワラフ、アールケナイノカ山田ノカヽシ! だつて、まさか君折角好い心地で歌つてゐる子供に向つて、その歌はお父様は好かないから止めて呉れとも云へないしね、どうもね君、君は描けたか? 僕は今……そんなことを云ひながらまた其処に倒れて眠つてしまつたのだ。
 目が醒めると彼等は未だ飲んでゐた。寝言で、はつきりと何々のマーチを口吟み、「題は知らない。」などゝ云ひ、また異人の名を呼んだ! と云つて皆がわらつた。
「僕はこの間ジヨン・マーシー世界文学物語(内山賢次氏訳)といふ本をね、画を見ながら読みかけたんだよ。」と私は云つた。「大変に快い訳文でね。――最も名高い二人のストア哲学者は奴隷のエピクテータスと高貴なるローマ皇帝マーカス・オーレリアスでした――斯ういふ風な調子で僕には読み易かつた。――「生は、」と帝はやゝ悲しげに云つて居ります。「舞踏よりも寧ろ相撲に似てゐる。」だが終りに至つてはその師エピクテータスの言葉を引いて居ります。「何人も我々の意志を我々から奪ひ去ることはできない。」と僕は、こゝの処を読んでね、皇帝の云つた言葉よりも何よりもたゞ「やゝ悲しげに」といふ、「帝はやゝ悲しげに」といふ、たゞそれだけの文字が如何いふわけか馬鹿に気に入つてしまつてね、その言葉ひとつでその本の著者に夢のやうな敬意を払つたんだ、帝はやゝ悲しげに! 帝はやゝ悲しげに! 意味よりも寧ろこの簡単な言葉が持つリズムがとても気に入つてしまつたんだ。」
 私はそんなことを喋舌つてゐた。

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 以上は、二日の間のことか、三日間位ゐのことか今(その日の続きである。)私にはどうしても区分することが出来ない、寝て、起る時間があまりに滅茶滅茶で――これからは時計や暦にも注意しよう、そしてこんな日記も書かないやうに――。
 今日は殊の他気分が晴れ/\しい。これから朝飯の仕度が出来るまで海辺を歩いて来よう。そして若し眠気が襲はなかつたら競馬場の裏山あたりに写生に行つて見よう、軽い睡気を怺えながら画筆を動かしてゐるのは悪くない。

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「創作時代 第一巻第四号(十二月号)」文藝聯盟社
   1927(昭和2)年12月10日発行
初出:「創作時代 第一巻第四号(十二月号)」文藝聯盟社
   1927(昭和2)年12月10日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
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