葛西善蔵氏の――。
 斯う誌しただけで私は、この十幾日を呆然と打ち過した。合憎、また雨ばかりが好く降り続いたものだ。
 葛西善蔵氏の――何から書いたら私はこの一文を適度に纏め得るか――私は迷つてしまつたのである。誌すならば、今日は、何か総体的に形式を重んじた古流の一文を念としたのであるが、それには私の筆は余りに不自由である。
 論や批評は、殊に今日は苦しい。
 何か手近の軽い緒口を――などゝ私は思ひ直して、煙草を喫し始めると私は傍らの火鉢で切りに湯気を吹いてゐる一つの鉄瓶に気づいた。――忘れてゐたが、これは、いつか葛西氏が私に贈つた物である。何の為であつたか思ひ出せないが、たしか、何かの祝ひの志であつた。
 葛西氏は、これを買ふのに二日だか三日懸つたのだとのことだつた。方々の店を見聞した後に漸く日本橋の何某店で、我慢したのであるとのことだつた。
 そしてお祝物には魚を添えなければならない(葛西氏は常に、故国の習慣に忠実であつたらしい。)と気づいたので、今日は、わざわざ丸ビルの食料品店に出掛けて、この魚を購つて来た、まあ、どうぞ、これを――といふやうに、半ば鹿爪らしく、半ば苦笑をしながら、恭々しく贈られた。(いろんな場合で葛西氏は、自ら力をこめて、厳めしいスタイリストの面目を発揮した。)
 そして、その晩は、今日は遊びに来たのではない、これだけの用で来たのであるから――と、たつて云ひ張つて、間もなく、待たしてあつた自動車に打ち乗つて引き返した。
 何かのわけがあつて酷くフテくさつてゐた私を大変に励ました揚句、今回は俺が君の仕事の催促係りを引きうけた! といふほどの好意で、足労を惜まず私を訪れて呉れ、お蔭で、私の或る一作が出来上つた頃のことであつた。
 思ひ出のあるものを身近かに置くことの嫌ひな葛西氏であるが、この鉄瓶は、あれからずつと私の机辺で、葛西氏の思惑通り、私に別段何の関心も持たさずに、重宝してゐるやうだ。――全く、不図今、思ひついた、鉄瓶だ。
 私は、葛西氏から精神上の多くの花やかな好意を享けた。そして、殆ど、争ひや不和を生じたことがない。それどころか私の耳目では、相対しては、私が賞讚されたことばかりが多く思ひ出されて返つて切ない気がするのである、そして誌し憎い。極くはぢめの頃、たつた一度何かのことで喧嘩見たいなことがあつたが、それは葛西氏が私の印象記のうちで漠然と語り、またその翌日私が訪れを享けて氷解した。
 そして私は、別段葛西氏に対して私自身を遠慮したといふ感じはない。私は、一体に遠慮深い私自身を凡そ自由気儘に、私のまゝに朗らかに翼を伸させて呉れた先輩として君を忘れることは出来ない。
 私は、極く稀に、西洋風の踊りを、酔つて独り立つて演ずることがある。本格のものではなしに半ば出たら目の振つけなのだ。目上の人の前では勿論、誰の前でも滅多に踊らないが、葛西氏には特に望まれて何回か踊つたことがある。いつも、始めのうちは稍神妙ではあるが、大概酷く酔つてゐる時なので途中からはまるつきり滅茶苦茶になつて足踏みさへも怪しいが、私は、その私の踊りを、あんなに熱心に見物され、あんなに賞讚された経験は、葛西氏をおいては、夢にもない。一曲済むと葛西氏は拍手をおくり、深く点頭き、ねんごろに労をねぎらつて、更に所望した。私は烏頂天になつて、踊り狂ひ、屡々悶絶した。
 贈られた物で、また気づいたが、いつか私が、不平の舌打ちをしながら、顔にあてゝは革砥を合せてゐる剃刀を葛西氏が眺めて、その次に訪れて来た時に、ユンケル製の剃刀と革砥と砥油とを買ひとゝのへて、持参して呉れたことがある。
 この剃刀は、今も好く切れる。
 ――これは紛失してしまつたが、私の子供が病気になつた時に、私には容易に買えないからといふので葛西氏は、自ら吟味に吟味を重ねた一本の体温計を購ひ、更に理科大学のお友達を訪ねて試験済みにして持参して呉れたことがあつた。何でも、その試験に日取りが懸つて、持参された時には、病人はもうとうに治つて、留守だつた。
 ――私は、葛西氏がどんなことにも飽くまでも自家流に忠実であつたことを、多くの特異な例をひいて述べたいのだが、今日は余猶がなく、また此処に私自身のことがつい変に現れてしまふことは、大方の許しを乞ふ。
 ――雪国のことを私は知らない。屡々葛西氏に誘はれたが遂に機会を失つた。常々葛西氏は私に旅行をすゝめた。独りが好からう、好い加減に行きついた駅路の宿に泊つて御覧! 斯う云つて君は、いつも稍暫く憧れの想ひに耽るが如く眼を挙げるのであつた。そして直ぐに相手に気づいて、今、これから帰宅しないで、その儘出かけたら何うだ。用は僕の処へ電報を打てば何でも間に合すよ! ――面白いよう! と、深く、余韻を含めて附け足すのが常だつた。
 ――宇野浩二氏の病ひの噂さが伝つた時に、葛西氏は打ち沈みながら私に、君も当分の間一人の知己を失ふわけだね、寂しいことだ、僕もこの病ひにならなければ彼と同じ病ひになつたらう、君も、やがて、どちらかの病ひになるかも知れないよ! と云つた。

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第二十五巻第九号(九月号)」新潮社
   1928(昭和3)年9月1日発行
初出:「新潮 第二十五巻第九号(九月号)」新潮社
   1928(昭和3)年9月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年7月14日作成
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