S・S・F倶楽部員の座談会。
 在席者――小説家ミスター・ドライ。同ミスター・ウエット。同ミスター・S・マキノ。進行及び速記係、牧野生。
 S「座談会を始める! といふことになつたら他の倶楽部員達は皆な何処かへ行つてしまつた、一ツぱし忙しい用事でもありさうに! 変な奴等だな――。残つてゐるのは飲酒家のW君と禁酒家のD君と、そして、何時も君達二人の仲裁者である僕との三人だけか?」
 D「重苦しい顔ぶれだな。」
 W「……旅人よ、行きてスパルタ人に告げよ、吾等は国法に従ひて此処に戦死せり、と――おお、テルモピレイの草の露……」
 S「おいおい、W君、歌は止めて此方を向かなければいけないよ、座談会だよ。」
 D「これだから飲酒党ウエツトは厭だといふんだ、感情が利己的で……」
 W「いつもいつも真面目さうな顔で、偉さうな構へで、厳かな鍵盤を叩いてゐる禁酒党ドライスには、云つて聞かせたいことは無限大だが、何よりも先に、真面目な顔で、真面目な車を引いてゐるつもりでも、返つて、それが通らないでも好い凸凹の道に轍を踏み入れてゐるといふ結果になりがちであることに、気づかぬことが多いと思ふのだ。そして、その廻り坂を車をおす、ドライスの汗を――真理の汗ででもあるかのやうに感違ひして……」
 D「言葉の中途で失敬だが――。君のやうに大酒を飲んで樽を叩いて、歌を歌ひながら進むのも決してそれが廻り道でないこともなからう、何れにしても吾々は、円の中心を寄切る一直線の円に交る一点を出発点にして、夫々反対側の弧を渡つて、上方の、直線が円に交る一点を指して進んでゐるまでなのだよ。その一点で再び相見た時には吾々は、やあ、やあ! と挨拶を交し、共々に円周圏を抜け出て、直線上に轡をならべて、一路オリンパスのアポロの門を目がけて、車を駆るべき歩兵隊の一員なのだが――ただ、その第二の屯所までに到るべき円周の道を異へてゐるのだ、どちらがより健全に、より速やかに第二の屯所に行き着くかといふ比較をすれば、貧乏なもので、日増に値段の安い酒を飲んで二日酔、三日酔でぶつ倒れて、唸つたりしてゐるよりは、たとへ、感違ひの真面目な道であらうとも額に汗を流して車をおして行く兵士の方が結局爽やかに、より速やかにアポロの通りに行き着ける……」
 W「僕は兵士ぢやない芸術家だ、そして小説家だ。」
 D「比喩のあげあしを取るのは馬鹿だ。」
 W「芸術家であり、そして小説家であるもの、作物は、常にその一つ一つが、面白いものであり、刹那刹那の作家の一杯の血潮を盛り、アポロに向つての根限りの貢物であり、そして、王様の胸にでも、高利貸の胸にでも、悲劇は悲劇なりに、喜劇は喜劇なりに、或ひはまた、エロスの戯れ――を描いても、生存苦の暗鬱でも、戦争の残虐でも、ジヤズ風景でも、取材の如何に関はらず統べて――爽やかな、明るさを覚えしむるものでなければならぬ。作家にとつての、世上の諸々の現象は、作家の様々な夢を、在り得べく色彩る軽羅だ。作家は速記者でもなく、報告者でもない。要は作家の胸である。恋に酔うてゐる間に恋の作は出来ぬ。材は脚下にふまへて、衣裳しらべをする如くに、その場その場の作家の想ひにふさはしき数々を取りあげ、或ひは材を雲上にかかげて、切なる憧れの糸をもつて意に添ふもののみを引き降して――も関はぬ、材は作家にとつては副食物だ。芸術家が芸術至上主義でなければ、何だらう。再び、相見た時に、やあやあ! ――も何もあつたものぢやない、円も弧も直線も――何もない、そんなことを云つてゐる暇があれば、此方は衣裳験べだ、明日のことなど知らないよ、云ふまでもなく、夢の他ではエピキュリアンだ、唯物者だ……(W氏横臥す。口に何か呟き居られども曖昧模糊として速記し難し。)……アポロの国法もスパルタの国法も犯し難さに於て上下の別を知らぬ。……テルモピレイの草の露……かくの如き人波の中、楊柳を折り芙蓉を採る……俺はこの歌をもつて賞め讚ふべき新作家を索めて止まぬ――瑶環と瓊珮とを振ひ、鏘々として鳴つて玲瓏たり、衣は翩々として驚鴻の如く、身は矯々として游竜の如し……」
 D「……蹇として独り立ちて西また東す、ああ遇ふべくして従ふべからず、忽ち飄然として長く往き、冷々たる軽風にのる。……汝等も天なる父の完きが如く汝等も完かれ――W君、争ひの形式をとることなしに夫々の芸術観をすすめようではないか――善人は仕ふるといへども自由の王なり、悪人は支配するとも奴隷なり――と。」
 S(卓子をドンと叩いて)「止めて呉れ、勿体振つた声色なんて聞いては居られない、忙しいのだ。そもそも今日、この座談会を開いたのは、現文壇に於ける新興芸術派に関して、君達の感想を訊ねるべく招待したのであつて、そんなバァバリスティクな概念論を要求してゐるのではない。」
 W(起きあがつて)「新興芸術派といふのは、往時用ひられた新進作家といふほどの意味なのか。それとも、芸術上に何かの相通ずる新奇なスロウガンを持つて、相寄り、相携へて、巻き起つた特別な一派の謂なのか? 僕がウエット党の一員である、此方が禁酒派の党員で、常々生活上の意見を異にして争うてゐる如く、文芸家協会のうちからでも、さういふ一派が、分裂して、新たに左様な名称の許に協会でもが建つたといふほどの意味か?」
 D「そして、その闘ひの観戦感を述べよ! とでも云ふのか、それとも新興作家の作品を批評せよ! と云ふのか?」
 W「東京市は新しい装ひをして、烈日の下に輝やかしい翼を拡げつゝある。路は広く、街路樹の青葉は繁り、白亜の大建築は甍を空に競うてゐる。建築場には大クレインが唸りをあげ、路上には凄まじい蒸汽ルーラーが猛獣の如く蹲つてゐる、鉄の音、コンクリイトの風吹! 働く人々、廻る機械の響き走る車の目眩しさ、何たる壮観ぞや。一度び夕べの帷が降りると、街々には一斉に光りの渦が溢る、かのニューヨークのブロウドウエイもものかはのきらびやかさだ、タクシーの洪水、全市一円の看板がかかげてゐるが、先方から車を止めて寄り添ひ、五十銭で行かう、三人でも五人でも、この界わいなれば半円で行かう――だから、誰でも乗る、それ、シネマへ、それ、ダンス・ホールへ、それ、タバンへ――ジヤズの渦巻――急テンポ――恋も、喧嘩も、乱痴気騒ぎも、ただ色とりどりの火花と散つて、ナンセンス! シュル・レアリズム! エロティシズム! フオウビズム! エピキュリズム! ロマンティシズム! ネオ! ネオ! ネオ!……と矢つぎばやに綺麗な花火が挙るが、何方を向いて「玉や! 鍵や!」といふやうな讚辞を放つて好いか、考へる暇などない、芸術とか、文学とか、観照とか! 口にするだけ野暮の骨頂らしい、芸術もへつたくれもあつたものぢやない! エロスのカクテル、抱擁、馬鹿噺、接吻、目茶苦茶踊り――で、パッパッと目の先を刺激して瞬時瞬時を過して行けば、理窟はいらない、それならそれで誠にそれは面白い、何たる朗らかさぞや! また空麗かに晴れ渡つた日曜日には、貴族も平民も一斉に競技場を目がけて手に汗握つて押し寄せる、ドッとばかりに歓呼の声を張りあげて人生の苦を忘れる、何たる壮絶! ――あの大地震の禍は転じて、この素晴しい発展振り、万歳! ――この目醒しい風景の転化だけでも、まことに夢のやうである、それに伴れて、人の生活も心的状態も目醒しい転化をしてゐるであらう、そこには当然真のネオ・アートが発生すべきである、曰、新興芸術派! S君、君の質問の出発点は其処にあるのかね?」
 D「遠く自然主義時代に客観描写の筆を練磨した学生が、全く同じ筆を執つて単に社会状態の一区劃を根気強く報道した文章が、新たに、或ひはエロ派、或ひは階級争闘派と称ばれて、その材料の如何のみに依つて、ネオ! と目され、洛陽の文壇を席捲してゐる現象に就いて、感ずるところを述べよ! とでも云ふのかね、S君?」
 W「エロ……では、僕は此間実に参つた。カフエーの女と中年の小説家とが、何か戯れるところが書いてある小説を読み――漸く中途まで我慢したが、その描写の猥雑、創作態度の混濁に思はず眼を反向けた、面白くないのだ。また別の作家の、会社員とモダン・ガールが現れる作を読んだが、これも、作家がモダンの意気で書いてゐる女も男も風景も、さつぱりモダンではなく、徒らに乾干びた言葉の羅列のみで、古臭く、第一に退屈で、我慢ならず、何うしてこれがネオ文壇の新興作家と称ばるるのか? と不思議に思つた。が、一作を読みかけた位ゐで解つたやうなことは云へぬからね。S君、それで君の問ふところは?」
 S「好く喋舌るな、二人とも――さう両方から逆に問ひ返されると、何が何だか解らなくなつてしまつたよ。では、あんまり理想論を述べたてるのは止めて(御自分もさぞかし片腹痛いことだらうから――。)君等と同時代の作家、フレッシュ・メンに就いて――作品なり、作家として信頼し得べき人柄などに就いて、最も端的に発言して貰ふとしようではないか。」
 W「岸田国士、横光利一、川端康成、稲垣足穂、中河与一、尾崎士郎、石浜金作、井伏鱒二、嘉村礒多、中村正常、林房雄、楢崎勤、岡田禎子、堀辰雄、石坂洋次郎、その他読むべくして機会を逸してゐる作家もあるが。」
 D「僕は一昨年の秋、宇野浩二に依つて中村正常と楢崎勤の話を紹介され、二人は夫々詩的明快な純情なるフレキシビリテイに富んでゐるから、今後佳き作品を生むであらう期待を持つ――といふやうなことを聞いた。そして中村正常が、ずつと前発表した最初の戯曲に就いて、その構想の奇想天外の妙に拍手を覚えた、その他二人のことに就いては種々と好意を持つた話を聞いた。また彼は、その時嘉村礒多の作品を激賞してゐた。」
 W「その後、間もなくであつたよ、僕が井伏鱒二の「鯉」といふ快作を「三田文学」に見出して、酷く好い心持になつたのは! 次々に彼の作は面白かつた。僕は、知る限りの知友にこれらをすゝめた。皆なが僕と同意見で、これは立派な作家だ、完成された作家だ! と口をそろへて激賞の言葉を惜まなかつた。」
 D「正宗白鳥つて随分変な人だね、相当好い作家が現れても、ピンと爪はぢきをするやうな意地悪を云ふのが癖だね。それだけならそれで、未だしもだけれど、作家が、幾分苦しんで、あまり好くない作品を発表した時などに、そんなのをつかまへて、これはこの作家のものゝ中では好いものゝ方だ! などといふことを云つたりする。――白鳥の爪弾きでは、僕は四五年前大変被害を被つたことがあるよ。実際その僕の作物は駄目だつたのだから、何と云はれても作家自身はそのまま点頭いたが、例に依つて半行だか、一行だかピンと悪態なことを彼が云つたのだ、それはそれで好いとして、僕はその時次の作に花々しい意気込みをもつて取りかかつてゐた最中だつたのさ、白鳥の言葉なんて忽ち忘れてしまつて――そして漸く半ばまで稿が達した時分に、その作を載せる筈になつてゐた雑誌の人が現れて――僕は、間もなく出来上るであらう新作への情熱で、有頂天の快を抱いてゐたところが、その人は実に沈んだ憂鬱な表情を益々深くして、白鳥が斯う云つた! と、白鳥の言葉を深く信頼して、何とも名状し難い暗鬱な顔を続け、僕は突然法悦境を切断されてしまつた――さあ、困つた、その晩から決して書けぬのだ、意気地がないと云へばそれまでだが、そんな時の、そんな心持といふものは、僕自身回想しても想像し難い、いみじき類ゐのものであつて、人力では何うすることも出来ない――ただ、ハラハラと散つてしまふ花弁である。永遠に僕はその惜むべき作品をとり逃してしまつた。被害といふのは、何もそれを意味するわけではなく、別に、切実な問題だつたが、それまで云ふと、湿つぽく滑稽になるから止める。そこに於て、今日の僕等の友よ、フレッシュ・メンよ、白鳥の言葉に馬耳東風であれよ――だ。読むな、聴くな!」
 W「何だ、馬鹿々々しい。誰もそんなことを気にするやうな者は居ないよ。」
 D「俺だつて、あの通り、気にしたわけでもないのだが、そんな結果が生じてしまつたといふことがあるといふだけさ。」
 W「三田文学で思出したが、石坂洋次郎といふ作家は、井伏よりももつともつと以前に、その雑誌に「海を見に行く」といふ佳作を発表し、それぎり沈黙を守つてゐるが健在なのだらうか。」
 D「それよりも、タルホ・イナガキは近頃何うして何も書かぬのだらう、散文では書き現し得ぬ心的状態にでも立ち至つてゐるのであらうか。「飛行機物語」といふ快作を出したのは大分前のことであるが――。その後僕は、「新文学準備倶楽部」といふ雑誌で彼の短い感想文を読んだことがあるが、これは誰にも好く解るであらう文体で、その述べるところの所論は堂々たる覇気に富み読んで愉快であつたことを今でもはつきり憶えてゐる。」
 W「小説の印象といふものは妙なもので、どんなに慌しく読んでも印象に光りを与へられたものだと、何んな片々たるものでも妙にはつきりと憶えてゐるものだね。僕は、さういふ作品を一つでも有する作家は傑れた作家であり、必ず幾つもの佳作を生むであらうと期待出来るのではないか、その間、どんな別の仕事を仕様とも、何んな生活に走らうとも――。例へば川端康成は沢山の作品を書き、僕は近頃殆んど読んでゐないのだが、彼の小品で以前一つの不思議な一作を見、不思議にそれを覚えてゐる、何といふ題かは忘れたが、不忍池の橋で帽子を吹き飛した男が、それを拾ふために池の中に落ち、誰か救へ救へといふ騒ぎの中に一人の男が現れ、その男の手をとつてアハヤ引きあげようとする間一髪救ひ手が故意か偶然かポンと手を離してしまふ、そして後をも見ずに打ち騒ぐ夕涼みの人達の中を何処かへ行つてしまふ。と誰云ふともなしに、あれは上野の森の天狗だ天狗だ! といふやうなことを云ひ出す――そんな小品だつたが記憶に新しい。彼はそんな傑れた小品を相当書いてゐるだらう。林房雄は「N監獄」といふ短篇で、感心した事がある。彼の近時の長篇、短篇は誰が読んでも面白いものが多いさうだ。」
 D「僕は尾崎士郎を個人的に知つてゐるが、彼には「河鹿」といふ名品がある、その他にもあるが、彼はあまりに慌しく様々な未完成的作品を書き飛ばし飄々として居を定めぬといふ風な生活を送つてゐるので、味気ないが、彼の永久に若々しい芸術的情熱は信頼が出来る、間もなく書斎に落着いて颯爽たる人生派文学の逸品を物するであらう、人生々活の自由なる遍歴者の姿に、流行も、古きも、新しさも、何の病ひあるものぞや、「悲劇を探す男」の作者よ、寒い風を袋一杯溜め込んで、S・S・Fサンニー・サイド・フール――の愚劣な夢を吹き飛して呉れ。」
 S「この勢ひでは朝になつても、この座談会は止みさうもないね。花ばかり撒き散してゐる見たいな話ばかりでは……」
 W・D「失敬な。――終りを完ふさせもせずに……」
 S「いや、もう夜が明けてしまつた。その先のいろいろな賞揚言も、また、君達が認めぬ作家に対しての合評も――共に、またの機会にして貰はう。」
 W・D「待つて呉れ待つて呉れ、あと一時間でも好いから――」
 S「いや、いや、ではこの辺で――どうも有りがたう。」

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第二十七巻第九号(九月号)」新潮社
   1930(昭和5)年9月1日発行
初出:「新潮 第二十七巻第九号(九月号)」新潮社
   1930(昭和5)年9月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。