「西部劇通信」に収めた諸篇――「川を遡りて」から「出発」まで――は、私のこの五年間の、主なる作品である。私は、在りのまゝの生活、観たまゝの世界を、そのまゝに描く写実派の作家ではありませぬが、作品が生活の反影――私にとつては寧ろ生活が作品の反影とも云ひたい――であることは勿論で、斯うして一まとめにして見ると今更ながら様々な感慨に打たれます。
 私が、この前の東京生活を引きあげて田舎へ移つたのは、世が「大正」から「昭和」に変つた年でした。私は、その時までも私の純然たる作家生活が幾年か続いてゐましたが、それはそれまでの区切りとして、私は田舎へ移りました。そして、五年間の、田舎での不思議な芸術至上生活が展けました。私は何も彼も打ち棄てゝ創作に没頭しつゞけました。私は、床の間に先祖伝来の鎧櫃が据えてあり、長押の上には大昔の薙刀や槍や陣笠などがならべてある古めかしい家の長男であり、そして今や当主であるがために、さうした物品などの保存に関しては最も責任のある頭を用ゐて、一家の繁栄をはからねばならぬ筈の身なのでしたが、私にとつては、醒めても寝ても「芸術」より他に何の夢もありません。私は、真実、何んなものを食ふてゐたか、何んなものを著てゐたか! 何も彼も放擲して、此処に集められたやうな小説の創作に没頭してゐました。鎧櫃の保存どころか、私がこれらの創作生活を続けてゐるうちに、そんなものは悉く紛失してゐました。私は稍まとまつた小説を書き終ると、とても、有頂天になり、変に夢中になつて、飲めや歌への大騒ぎを演じて、手あたり次第にその辺のものを客達に進呈せずには居られなくなるのでした。
 間もなく私は住家もなくなり、町に住むことが出来なくなり、私自身は平気なのだが、様々な周囲の情実が作家生活を許さなくなり、私は、カバンを一つぶらさげたゞけで、再び都の居住者となりました。私の心持は、いさゝかの後悔も未練もなく、故郷を離れました。リーグ戦のラヂオで街々がどよめいてゐた今年の春のはぢめの頃でした。私のカバンの中には、これだけの原稿が入つてゐたわけです。この五年間の唯一の収穫です。私の全生命の結晶に違ひありません。
 田舎生活を引きあげ、東京に住み、そして最早十一月の候でありますが、私の創作生活は不断に続いてゐます。
 私は、この四五年来の、私の所謂「西部劇生活」を顧みて、その間に、これだけの収穫のあつたことを思ふと、何物にも換へ難い生甲斐を覚へます。せめて、これほどの思ひでもなかつたら、何うしてこの世にも愚かな自分と、苦悩のみ多き生活に、後悔や関心を持つことなしに日々を迎へることが出来ようぞ――などゝ思ふてゐる次第であります。その上、それらの作品が、書肆の好意に依つて、新装を凝して一巻と成る今日に出遇ふた私の感慨に就いては多くを述べる要もなからうと思はれます。

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷
底本の親本:「学藝往来 第十号(一九三一年第一号)」春陽堂
   1931(昭和6)年1月発行
初出:「学藝往来 第十号(一九三一年第一号)」春陽堂
   1931(昭和6)年1月発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
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