おゝ皆さん、今宵、この真夏の夜の夢の、いとも花やかなる私達の円卓子にお集りになつた学識に富み夢に恵まれ、且つまたゲルマン系の「冒険の歌」より他に歌らしい歌も弁へぬ南方の蛮人ヒクソス(私)を指命して一場の演説を所望なさるゝといふ最も趣味拡き紳士よ、淑女よ、私は立ち上りました、私はマルテン・ルーテルの祈りを口吟みながら立ち上りました――。「余は万事に就いて訂正を望まぬ、不可能なればなり、良心に逆ふは賢明でなくして危険なればなり、余は此処に立つてゐる、他は不可能なるが故に――。神よ、あはれみたまへ、アーメン。」――然して私は、このようにしどけなく酔つぱらつた威勢で立ち上つたのであります。が、てれ臭くつて弱つた、だつて俺は斯んな席上で、こんなに改まつてスピーチなんてさせられるのは全く、はぢめての出来事なんだもの!
 さて諸君、私は今日この会に出席しようとして門を出る途端に、一通の手紙を配達されました。発信者を見ると、森雄一郎とあります。全々未知の人です。私は恰もE・A・ポーの「ユレーカ」を読んでゐるところのせゐか、あの中に出て来る壜の中の手紙を拾つたやうな夢に誘はれ封を切りました。これもまた物凄い長文で、全部を此処で朗読する予猶はありませんから、それはまたの機会に披瀝することにして、今日はその雄弁と奇想に満ちた彼自らが云ふところのパロオデイア(詩――比喩の歌? 諧謔詩とでも訳すのか知ら? 私の辞書には適当の訳語が見つからぬのだが!)を断片的に申し伝へようと思ひますが――。
「俺は読んだ、お前の友達の新著を――小林秀雄文芸評論を――」
 と森君は書き出した。
「馬鹿!」
 と彼は続けて私を罵つた。「お前は、あいつに――あいつの顔さへ見れば、小説は何うした? 書きはぢめた? 早く書け! などと云ふことばかりを追求してゐるさうだが、なんてまあお前といふ人は憐れな小説病患者なんだらう。お前は、口でばかり、ギリシヤが何うの、プラトンが何うのと大それたウワ言ばかり云つてゐるが……」
 それあ少々違ふぞ、森雄一郎よ――と私が横槍を突かうとするのも知らずに彼は僭越にも語を継いで、
「あいつは、この通り傑れた小説を書いてゐるではないか、文芸評論――といふ題名で――形式に囚はれるな、文字に拘泥するな――小説とも称べ、詩とも称べ、なんなら戯曲とも称べ、御自由だ。――これが、芝居となつて、登場人物が次々に、これらの項目の独白を、何れを問はず、演つたなら、俺は矢つ張り観に行くよ。芸術家の手に成つたあらゆる文章は……」
 と森君は、大分破目を脱した激情で、喰つてかゝるのですが、後に彼は、ルネ・デカルトの「激情論」の愛読者と述べてゐるにも関はらず、自分こそ稍とり乱れた感情に走つてゐるのではないでせうか?
「一六三五年に書かれた俺の先生の(方法通説)の原題は(理性を正しく導き、学問に於て真理を探究せんがための方法の通説。並びにその方法の試業として、光学、気象学、幾何学を附す。)――こいつを云ひ換へて、この哲学的試業といふ言葉の代りに、芸術的試業、称び換へて――君よ、感傷家よ、天上のオリオン座を仰げよ、美に至る真理の道を探究せんがための方法の通説、並びにその方法の試業として……さあ、其処へ君の勝手な普通名詞を挿入したまへ、ロマンとも、ドラマとも、またエツセイとも――。
 そこで、小林の話に移るが――」
「彼は□出した、美への真理を探究せんがためのオリオーン(影の猟人)の槍を奪つて、美しき野獣の数々を射留めた――新しき方法通論の道を発見した。アリストテレスは云つてゐる――(発見アナグノオリスの種類に於て、最も屡々用ひられるものはかたちに依る発見である。この象のうちのあるものは先天的である。地から生れたる人々の有する槍突、或ひはカルキノンがツエステスに於て用ひたる星の謂である。他の象は後天的である。傷痕の如き肉体上の象或ひは首飾り、もしくはテユロオに於ける発見の小船の如き外部的のものである。然して是等の現象の用ひ方に於て多くの優劣が存する)――彼は天才である。単に冷徹誤りなき批評家と云ふ勿れ。オリオンの槍は、影の山々を駆け、影の野獣を射止めてねらひは常に違はずとも、射透した槍の鉾先が、虹の光茫に打たれながら永遠の夢に向つて涙を滾してゐる詩人の、痴夢を誰が知らうぞ――彼は詩人だ、彼の涯しもなき夢の一片を、飽くなき彼の追求の水晶の夢の片鱗を俺は見た。」
「アナグノオリスが出たので――そいつに就いて、もう少し、俺に、斯うして彼の著書を翻すに伴れて「ユレーカ」「ユレーカ」を叫ばしめた返礼のために、有名な花の研究者の言葉を君に告げるのだが、その前に君に、ちよつと訊ねたいのは、“Eureka”なんだが、アルキメデスの、この「叫び声」を験べて見ると、その伝説に就いては、実にまちまちの説が多く、語原に関して俺は今九種類の材料を得てゐるのだが、そのうちの最も卑近なる一つ――Eureka, ――The exclamation of Archimedes when, after long study, he discovered a method of detecting the amount of alloy in King△△△'s Crown : hence, a discovery ; esp.one made after long research : an expression of triumph at a discovery or supposed discovery : Gr. hur※(マクロン付きE小文字)ka, I have found, perf. ind. act. of heurisk※(マクロン付きO小文字), to find
 かんじんな王様の名前を忘れてしまつたんだが、名前は知らぬか? 速達郵便で返事呉れ。
 さて花の研究書の抜萃に移るが――(花毎にその意匠、その方法、それが利用するところの、身についた経験がある。彼等の発明、彼等の種々の方法を調査する時吾人は人間の機械的天才がその全泉源を発露せる工具の感激すべき展覧を思ひ起す。然るに吾人の機械的天才は昨日に初まるに引きかへ、花の機制は数千年来働いてゐるのだ。花はわが地球上に出現した時に彼等の周囲には傚ねべき手本もなかつた。彼等は何事も自分の内奥から抽き出さねばならなかつた。吾人が棍棒、弓、藺籃の以外に出なかつた時期に於て、又、吾人が紡車、滑車、轆轤、植杭機を案出したのは比較的近代に於てゞあるが、既にその時期に於て、又吾人の傑作が弩砲、時計、機織器であつた時期に、この「しほがまぎく」属は科学的実験用に適するが如き密封したその嚢や、その次第に外れる弾機スプリングや、その傾斜平面の組合せ等を案出してゐたのであつた。誰が、例へば百年前に、槭樹や「しなのき」が樹の出生以来□用してゐた推退器の性□を夢想したか? 吾人は蒲公英のそれのやうに堅固な、軽い、巧緻で安全なパラシユート即ち飛行用器を何時、造るに成功するであらうか? 吾人は「水だま」の黄金の花粉を空間に射る物のやうな力強い弾機をば、花弁の絹のやうなあんなに繊弱な織物の中へ切り込む秘伝を何時になれば発見することか。
 地中海沿岸で知れ渡つた葫蘆科植物の一種、小さい胡瓜に肖たるその針ある果実は云ひ知れぬ活力と精力を賦与されてゐる。)」
 森君は、この抜萃を試みながら屡々、吾人の小林を、秀雄の著書を引用して、絶大なる讚辞を呈し、私も亦同意してゐるのであるが、省いて、次に続け、
「――その成熟の瞬間に、一寸、それに触れて御覧よ。すれば、突然一種痙攣的な収縮によつて果梗を振り捨て、※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)りによつて生じた孔を通して、多種の種子に雑つて粘液性の流れを射出する。その流れの驚嘆すべき烈しさは種子をば生れた樹から四五碼もの向ふへはぢき飛すのである。此の動作は比例から見て全く突拍子で、例へば、吾々で云へば単一な発作的運動でもつて、身体の内容物をぶちあけ、吾々の器官、内臓、及び血液を、皮膚及び骨格から半哩の距離まで急投するに成功すると同じ寸法である。この他多数の種子は驚くべき炸裂法を有つて、爆発するが、就中植物砲の大名手といふべきは Spurge, Epurge であらう。私は今、卓上に玻璃罎の水に浸したスパーヂの一枚を有つてゐる。それは三叉のあをみがかつた漿果があつて種子を包んでゐる。そして、折々、これらの漿果の一つが大きな音響を発して爆裂する。そして種子は並外れた始動速を与へられて、四方の家具や壁にまた其処に人が居れば人の顔に衝突する。漿果を検べて、それに斯る生気を与へるところの弾機をさぐつて見たまへ。然し吾人は、この力の見えざる原動力の秘伝を発見し得ぬのである。……五六月の候、いとも勇敢に、路傍に南方の山中に、或時は高さ三碼にも達する巨大なふさづきの毬を形つくり、純金の壮麗な箒でもつて蔽はれ、その香芬は、灼熱した太陽の威烈のもとに謂ひ知れぬ歓喜を漲らすのである。この歓喜は、上天の露、極楽の泉、或ひは碧藍の洞窟に於ける涼味満々たる清流の、きらきらとした魚鱗の輝きを吾人に想ひ起させる。
 この「水だま」の下方の花弁は櫓船ガレーの衝角のやうに癒著して雄蕊雌蕊を密封してゐる。そして、熟さぬうちは、それをさぐらうとする蜜蜂達も穿入することが能はぬ。けれども囚はれた花嫁花婿に対して成熟の瞬間が到来すれば、この衝角はこれにとまる昆虫の重みにも撓み、と、黄金色の部屋は忽ち破裂して、はげしく、遠く、訪問者の上を越へて、いともきらびやかに、光彩の塵煙を吐き散らすのである。この塵煙を、庇形の幅広い花弁が丹念な心遣ひをもつて、受胎されるべき花柱のうへへと振りかけるのである。
 之等の問題を徹底的に研究せんとする人達にはクリスチヤン・コンランド・スプレンゲルの著述を御薦めする。氏は千七百九十三年その稀書「花の組織及び受精に於ける発かれし自然の秘密」に於て蘭の種々の器官の作用を解剖した最初の人であつた。次いではチヤールス・ダーヰン、リップシュタットのヘルマン・ミユラー博士、ヒルデブランド、伊太利人デルピノオ、ウヰリアム・フーカー卿、ロバート・ブラウン等の著書を御薦めする。吾人は蘭科植物に於て、最も完全した最も調和した植物叡智の表現を見る。あの稀有な高貴な花、園丁よりは寧ろ飾工を煩しさうなあの温室の女王花、この風変りに楚々たる花の中に植物の天才がその極致に触れ、異常の焔でもつて此の王国を分離する壁を貫穿するのである。然してこれらの花のアームに於ける最も英雄的努力の驚嘆すべき伝記を述べた書はチヤールス・ダーヰンの「蘭と昆虫」である。――。
 君――」
 と森君は私に呼びかけました。「君にしろ、僕が今此処に述べつゝある此の(花の書)の抜萃を読んで、これを単なる理科書とは思はぬであらう、ロマンと称ぶか、詩と称ぶか……爰に於いて、僕をして称ばしめよ、秀雄の新著を、花の書――と。そして如上の数々の傑れたる花の書の著者ダーヰンよりウヰリアム・フーカー卿に至るまでの傑れたる作家の列名のうちに小林秀雄の名前をも加へしめよ。おゝ、この抜萃の全文は、彼の新著を祝福する僕の頌讚歌なりと断じて呉れたまへ。僕は登用した、(ユレーカ)の冠の所有者の名前の脱字個所に彼の名前を――。昔々、エヂプトの都に某と称ぶ黄金の冠の所有者があつた――と云ふ(ユレーカ)の語原に関する一伝説を君は知るか、それは十二星を象徴する星に擬した不思議な金剛石の数々をもつて鏤めたる王冠であつた、ところがその中の一つの宝石が或時不意に紛失したのである、持主はその探索をアルキメデスに嘱したと話はお伽噺風に伝つてゐる。アルキメデスは長い research――と此処にも伝はつてゐる、探しあぐんで或夜城砦の望楼から望遠鏡をもつて星空へ眼を挙げてゐた時、不図、オリオン座の環状圏の一隅に、星と化して光つてゐる失はれた石を見出して、思はず叫んだ声が(ユレーカ!)と、伝はつてゐる。
 近頃僕は憂鬱続きであつた、止め度もなく降り続くこのさみだれは俺の心にまでも黴を生さうとした時にあたつて、この書の出現は正しくオリオン座に見出した星の――そして俺の喜びはアルキメデスの呼び声に等しかつたのだ。」
 森君の手紙は未だ/\止め度もなく続き、それを読んでゐたゝめに私は、この会への出席があんなに遅れて失礼いたしましたが、あまり卓上演説が長くなります故、只今読み上げました森君の手紙を、同時に私の、今宵の主賓に寄する頌讚辞として、御免を蒙る次第であります。尚、この書の装訂にあづかつて稀大な二重奏を示し、先づ吾々に歓びの声を放たしめたるところの吾友青山二郎の労に謝し、感慨を述べたく思ひますが、それは彼の書『陶経』の出版紀念会の節に譲つて――私は、この辺で着席いたします。

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷
底本の親本:「作品 第二巻第八号(八月号)」作品社
   1931(昭和6)年8月1日発行
初出:「作品 第二巻第八号(八月号)」作品社
   1931(昭和6)年8月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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