私は次の年の春を堅く約して、握手や頼ずりに胸を塞がれて、畑中の停車場で男女の友と別れたのであるが以来あちこちに転々としてハガキの往復のいとまも見つからぬやうな、いへば去年の春は何処の宿で送つたかもうろ覚えであるかのやうな慌しさで、あの村の夢などは、夢の中のはかない夢のやうに、忘れるともなく忘れてゐた。
ところが或日、不図気づくと私のこの窓から遥かの空、うらうらとした霞の裾に蜿蜒とつゞく連山の姿が見えるのに、大いに驚いた。この陋屋は高台にあるが、まさか都の、こゝらあたりの街中から左様な山々が見えるなどゝは凡そ予期しなかつたので、第一、滅多にそんな眼つきで空の彼方などを眺めた験しもなかつたのである。山も山、私が住み慣れたあの村は、その山つゞきの麓にうづくまつてゐるはずだ。
花見へ、酒買ひへ、川漁へ、また人に会ふにも、送るのにも、あの村では馬々々――ワカクサ、マガレツト、タイキ、リリイ、ドリアンと立所に十余頭を数へられるのであるが、私は街に響く車の音を聞きながら、春の陽差しにうつら/\してゐると、巷の騒音が、あの時歌をうたひながら桜の堤を送られて来た時のなつかしい蹄の昔に聞き違へられるやうである。
どこまでも/\私を送つて来たあれらの馬の蹄の音を、私は、この先、何処の国のどんなホテルで過さうとも、春と気づけば、はつきりと思ひ出すに違ひない。――あんな近くの村ではあるが、何時再び訪れ得るか、一刻先のことは有耶無耶である。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷
底本の親本:「大阪朝日新聞 第一八一〇二号」大阪朝日新聞社
1932(昭和7)年3月31日発行
初出:「大阪朝日新聞 第一八一〇二号」大阪朝日新聞社
1932(昭和7)年3月31日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月15日作成
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