或る静かな夕暮時に、屋上の星条旗の翻る音がはた/\と聞えるかのやうな長閑な芝生の隅で青年は故国の草葺の屋根からの便りを展いてゐました。いつの間にか彼の背後にひとりの鼻眼鏡の立派な体格の紳士が立つて、青年の膝の上に展かれてゐる「奉天の会戦」や「旅順の夜襲」や「日本海大海戦」の花々しい図画を認めて、
「実にも愛国の熱情の充ち溢れた素晴しい図画だね。」と呟きました。
「はい!」と青年は直立して答へました。「故国の長男の作成に依つた図画であります。」
「君には愛する子供があるのか、そして何歳になるのか。」
紳士は軽い驚きと共に申しました。
「はい、八歳に達して居ります。妻も子も健康であります。」
「それらの傑れた図画を私は、君から贈らるゝ、悦びが能ふであらうかしら?」
「満腔の光栄と、比ひなき名誉と共に……」
青年の語尾は震へて明瞭の度を欠きました。
翌朝出勤した青年は机の上に一個の小包を発見しました。その中からは、紳士がアフリカへ猛獣狩へ赴いた折の写真と、白いリボンを結んだ万年筆が現れ、一枚のカードに、
「君の従順なる息子へ贈る、彼の愛国の念を讚へて、その将来を祝福しつゝ
一九〇三年 ルーズベルト」
と誌されて居りました。御存知のない方もありませうが、卿は時のアメリカ大統領で、ワシントンやリンカーンに次ぐ偉人として高名を謳はれて居りました。私達が中学生の頃までは夏休みの作画答案の中からなどは、必ず卿の肖像画が二三は現れたものです。それは左うとして、その青年といふのが私の父さんであり、戦争画の作者は私でありました。
その万年筆が現在、未だ私の使用に堪へて居るのです。一体私は極めてものもちの悪いたちで、これだつて別段に特と留意して所持して来たわけでもないのですが、それどころか、そんないきさつは悉皆り忘れてゐて、今、随筆を書かうとして、ペンを執りあげたところが、これといふ材料もなくてぼんやりと、ペン先を見詰めてゐたところ、はからずも斯んな感傷的な挿話を憶ひ出したまでゞす。いつか、うつかり踏み潰して軸を折り、今はペン先だけが旧のまゝですが、使つてゐるといふのも、それは単に永年の使用で、書き好いからであるだけです。それにしても三十年とは好くも使用に堪へて居るものです。――廬を結ぶ古城の下、時に登る古城の上、古城疇昔に非ず、今人自ら来往す――一九三二年、秋ちかきころ、私はそんな古詩を愛誦しながら、愛国の詩をつくりたきものよ! などゝ念じて居ります。