それはともかく、しかし私は、この小説を読んで、このまゝ黙つては居られないものに突きあげられた。これは三人称で書かれたものであり、このまゝそれが作家の経験であるか、ないか、そんなことは全く別問題だが、この作から享けたところの、痛ましき感銘は、稍ともすれば胸に畳み込んでしまひたい、吹聴などは為したくないものだつたが、左う思へば思ふにつけて、却つて黙つては居られなくなつた。蓋し傑れたる作に贈る賞賛に何のちゆうちよが要る筈もない。読みながら幾度も私は、もうイヤだと呟いて投げ出しては、また拾ひあげた。更に読んでゆかうとする自分に憎しみさへも覚えた。そして、とうとう読み終へて、稍しばらく眼眦をおさへたまゝだつた。
底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「三田文學 第九巻第九号(九月号)」三田文學会
1934(昭和9)年9月1日発行
初出:「三田文學 第九巻第九号(九月号)」三田文學会
1934(昭和9)年9月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月15日作成
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