ある庭の片隅に一本の雛菊が咲いて居りました。花壇の中には立派やかな牡丹や美しい百合などが、誇り気に咲いて居りましたが、雛菊はさういふ花を見ても、少しも羨しいとは思はず、幸福な日を送つて居りました。
 丁度、雛菊の頭の上では雲雀が楽しさうな歌をうたつて居りましたが、雛菊は凝とその歌を聞いて、「あゝ面白い歌だ。」とは思ひましたが、雲雀になり度いなどゝは少しも思はず、やはり自分は自分だけで幸福だ、と考へて居りました。
 雲雀が雛菊の傍へ下りて来て、
「まあ、何て奇麗な花だらう!」と云ふと、その声を聞いた牡丹は、「私の美しさを讚めないとは酷い。」と云つて大変怒りました。チユーリツプは頭を持ち上げて、「何だ庭隅の雛菊が。」と云つてセヽラ笑ひました。
 その時一人の少年が鋏を持つて来て、
「よく咲いてゐるから、お母さんのところへ剪つて持つて行かう。」と云ひながら、チユーリツプや牡丹を、みんな剪つてしまひました。
 少年はお母さんのところへ、その花を持つて行くと、
「まあ、この子は大事な花壇を荒してしまつて何て悪ひ子でせう。」と、讚められると思ひきや、反つてさんざんに叱られました。

 次の朝、雛菊が目醒めると、頭の上で「ピヨ、ピヨ」といふ悲しさうな声が聞えるので、ふとその方を見ると、雲雀が捕へられて籠の中へ入れられて居るのでした。
 雲雀は食べ物はおろか水一滴なくて、今にも喉がかはいて死にさうになつてゐたのでした。丁度そこへ少年が帰つて来て、その様子を見ると大変に驚いて、何か雲雀に与へるものはないかしら、とあたりを見廻しましたが、相憎く其処には水もありませんでした。
 ウロウロしてゐた少年は庭隅の雛菊を見付けると、
「さうだ、あの雛菊をやらう、雲雀は屹度、雛菊が好きに違ひない。」と、呟いて一本の芝草と一緒に雛菊を剪つて、雲雀の籠の中へ入れました。
 饑えてゐる雲雀は一口に喰べてしまふだらうと、少年が見てゐると、雲雀は雛菊を見ると悲しさうに側へ行つてその小さな花に頬をすり寄せて、そして優しく歌をうたひ初めました。――。
 雲雀が喰べないので、少年は雛菊をお母さんのところへ持つて行きました。するとお母さんは、
「まあ、いゝ花だこと、私の花瓶に差してお呉れ。」と云つて大変に喜びました。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少年 第二〇六号(漫画号 十月号)」時事新報社
   1920(大正9)年9月8日発行
初出:「少年 第二〇六号(漫画号 十月号)」時事新報社
   1920(大正9)年9月8日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年3月29日作成
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