窓に限られた小さな空が紺碧に澄み渡つて、――何かかう今日の一日は愉快に暮せさうな、といふやうな爽々しい気持が、室の真中に上向けに寝転むだ儘、うつとりとその空を眺めあげた私の胸にふはふはと感ぜられました。
 能ふ限り、意識して――その意識がワザとらしければワザとらしい程爽快なのです――見るからに行儀悪く四肢を延して、口に一杯満した煙りを戯れ気に、が無心に、細く細く口笛を吹くやうに突らせた脣から噴き出すと、それが殆ど天井迄蔦の如くに匍ひ昇る、――。
「胸中釈然……」
 ――そんな、と、私は思ひました。
 で、勿論微風さへありません、春先の或る日曜の朝です。室の三分通りまで、開け放つた敷居を越して柔かな外光が覗き込むで、私は自分の肢体が舟のやうに浮びあがるのを感じました。さうして、いくらか眠りの足らないやうなトロトロとした薄ら甘さが――それをおさへてぽうつと眼を開いてゐることが更に余外な落着きを与へました。その眼で陽のとどかない室の隅を見ると夢のやうに白い煙りが蟠つてゐるかのやうにも見えました。
「いい朝だな。」
 ふと、私はさう思ふと、人一倍怠惰な心の持主である自らが却つて幸福なもののやうな気などしました。
 この快い日を、何か素晴しく面白いことをして暮さなければ……と、私は考へますと、――その考へることが既に「考へなければならないこと」に変つて、と、もう私の怠惰性は「――ねばならない。」――それに逆ひました。
「折角の……」――私はさういふ気持が、無心の恍惚さを強ひて奪ひ去られてしまふといふやうな心残りから感ぜられて、で私は、
「ああ俺はもう女のことを考へ始めやがつた。」と、気附いて、それに引きずられて行くのをとどめ難く思つたのです。性的感情に対する不自然な理性なのですが、全く私は女の事などを想ふことは不快に相違なかつたのですが、仕方がなくなつてしまつたといふものです。

「好いお天気だつてえのに、雨が降つてしまふわよ。純ちやんの朝起き! フフツ! どうしたつてえんだらう。」
 ピシヤピシヤと音を立てて梯子段を昇つて来た従姉の照子は、私の様子を見ると、――、
「わざと」と邪推深い私は邪推しました――忙しさうに箪笥を引出して着物かなにかをガサガサと触つて居りました。
 相手が何気なく言つたそんな言葉でも、私といふ男は、直ぐに「何といふ常套的な、無智な冗談を他人の気持も察しずに無茶に投げ出す厚顔な楽天家なんだらう。」などと、僭越な心を持つて苦々しく思ふのが癖で、で、その時ももう私はちよつとした戦ひの気分になつて、
「また、何処かへ出掛けるのかえ。」と、自らも冗談に事寄せた叱責を与へました。然しそんな偏狭な私の心持が照子に解らないのは当然のことです。
「お午から芝居へ行くの。」何気なく彼女はさう答へました。「一緒に伴れてつてやらうか。」
 終りの言葉で更にもう一歩私は感情を害されました。
「――――」
 どういふ言葉を用ひたら相手にいささかの好意をも持つてゐない、といふ此方の気持が完全に伝へられるであらうか……、そんなことを、口許にだけ冷笑を漂せながら、さうして個人的なことを思つてゐるのだといふ風に鼻毛を抜くやうな指附をしながら、しきりに考へました。
「今度の狂言はちよつと面白いんだよ。」未だ同じ調子で照子はさう言ひました。
 如何なる理由で自分は芝居を好まないか、――それをヨク説明してやらうかしら、などとも私は考へました。
 ………………
 が、暫くたつても私が黙つてゐるので照子は、その言つてゐる事を私が始めから肯定してゐるものと誤解して、いつの間にか真顔になつて、
「行く?」と、眼を見張つて親しく尋ねた時、私は、
「何処へよ。」と、相手のその好意を根柢から無視した言で、白々しく言つたばかりでした。さうして私はワザとキヨトンとした眼を挙げて照子の顔を見ました。
 照子は噴き出してしまひました。私は、或る意味でコケテイシユなものではあるが、然し快い勝利を覚えましたので、照子と共にちよつと笑ひました。ところが私が笑つた結果は単に二人の間を諧謔的なものにしてしまつたより他に照子へは何の反応もありません。が、かうなると私は、今迄とは全然打つて変つて極めて皮相な駄洒落や下賤な口調を事更に平気で言つてのける「気むづかしかつたこと」に反対なピエロオになること――それも私の癖なのです。それに、さうしたからかはれ方を照子が嫌ひでない、といふことも私はヨク知つてゐての上のことなのです。
「勝手になさいよ。純ちやんの馬鹿!」
「ハツハツ。」――「ところでね、姉さん! 僕はね、ちよつとかう姉さんにお願ひがあるんだが?」と、私は怖る怖る相手の御機嫌を窺ひながら甘えるやうな調子で「ねえ」と尚も厭味たらしくニヤニヤと笑ひました。
「ソラ、また始つた。」
 ………………
 それからの私の言ふ事は悉くが出任せな嘘と相手に反感を抱かせない程度の冷笑とであります。その「嘘」の内容といふのもいつも定りきつたもので、が照子に倦怠を覚へさせない寧ろ、――好人物で概念的で、それだけに動かされ易い感情の持主である照子にとつては自らの義侠を楯に割合に私の言ふことに興味を持つのです。――といふのは、私は、よく照子の前で、恰も自分が遊里に美しい恋人があるかのやうな話を捏造してほのめかすのです。
「お願ひつて何さ?」
「姉さんも随分ヒトが悪くなつたね……」
「芝居へは行かないの?」
 照子の「動かされ易い感情」と、それが為に甘い色彩を持つた未練気のない快活さ……などの外形的の美しさには、密に私は性慾的の威圧を強ひられましたが――それは往々呉服店のビラ絵などに反つて人間味の露骨な衝動をひよいと想はせられるやうなもので、――だから、さうであるだけに軽蔑せずには居られない――が、その軽蔑の念が起ると私は妙な寂しさと、一方それとは全然別な快さが同時に感ぜられるのです。
「叔母さんも行くんだらう。」
「厭なこつた、阿母さんなんかと一緒に行く位ならとつくに御免蒙つてるわよ。」
「ほう! こんな親不孝な娘があるかしら。」と私は言つたものの、照子が実際に親不孝な娘だとも何とも思つてゐるわけではないのです。それは照子への諛ひの一つの手段なのです。親不孝をする程個人性が強い女でないことは勿論私は認めて居るのですが、照子もその通りで、私がこんな出たらめを言ふと、一種のお転婆娘にある型通りな虚栄で、ある華かな性格を認められたかのやうな遊蕩的の野蛮な誇りを感ずるのです。
「へえ! ぢや誰れと行くんだい。」
「お友達ばかりさ。実は義理で仕方がなく。」
「でもなささうだな。」義理だ、と言つたことが滑稽に響いたので、軽く揶揄すると――、
「ほんたうよ。」と、照子は直ぐに自尊心を持ち続ける為に真顔をしました。ここで息の根を止めるやうな一矢を報いることは、私の残虐な興味から愉快でしたが、――「友達と」と言つた言葉で直ぐに私は照子のやうなその友達のグループを連想すると、何となくさうしてしまふことが惜しまれて、――と、芝居に行つて見たくなりました。
「友達つて誰だい、島村の秀公だらう?」
 秀子といふのはいつも照子と往来をしてゐる友達の中で一番美しいので、――秀子さんが一緒ならば……と私は思つただけに、それだけに私は「なあんだ、いつもの連中なんだらう、そんなら此方には少しも興味はない、そつちの周囲のことは俺は皆な知つてゐるぞ。」……といつたやうな、自分の或る卑しい心を覆ふために露骨な嘲笑をしたのです。
「生意気なこと言ふと……」
「いや怒りたまふな。」
 美しい秀子さんの容貌のみを想ひ浮べてゐる私は、何気ない調子を装うて更にもう一歩先きの諛ひを示しました。私は、照子までが莫迦にありがたい者のやうな気がし始めたのです。
 かうなると、私は、照子達と一緒に芝居へ行くことが唯一の希望となつて――そればかりを内心切望し始めました。独りで退屈な夜を過さなければならないことを想像すると、想つただけでもウンザリしました。照子のことを「無智だとか軽卒だとか」と軽蔑してゐる私自身が、照子より以上に安価で軽卒だ、と思ふと自分ながら可笑しくもなりましたが、不思議にも私は此場合に自らを如何程低く評価しても何らの不快も起りません。照子達と一緒に芝居へ行くことを夢想して見ると夥しい華さと悦びとを感じました。
 ……よし照子と二人だけで何処か其辺まで散歩に行くことくらゐでも、此方の退屈さ加減を想へばどんなに助かることか知れやしない、といつて親しく夜を語るやうな友達などは一人だつてない……。
 私は、ふと言葉に詰つたので、日向りのいい、縁端に両足を投げ出して頭だけを障子の影にして寝転むだ儘、白い障子を瞶めて、と、一番下の枠に薄く溜つてゐる埃りを、フツと軽く吹き散らしました。照子をからかふといふ心は、初めから自分には毛頭なかつたのだといふ気がしました。
「お願ひつて何さ?」
 欄干に凭りかかつて、こころもち体をそらせた照子は足袋の先で妙な調子をとりながら私を見おろして居ります。かう、どこまでも正面から肯定して落着いてゐる照子が羨しくもあり憎くもありまた可憐にも見えて……などと思つてゐるうちに私は酷く自らを憎悪する気持が湧きあがりました。
「だからさ……その申し上げ憎いところがお願ひなんで。」
「また※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 やつと解つたといふ風に照子は、年上の者が「いたわりながら叱る」親密な叱責を与へました。
「エヘツ!」と私は気障な笑ひ方をして、ポンと平手で額を打ちました。
「余り下素張つた真似をすると承知しないよ。」などと言ひながら照子は私に遊蕩費を与へました。
「で、一態何処へ行くの?」
 ワザとごまかすやうな口吻を洩しながら、私は床の間の眼覚時計の方を見て――私は別に何にも考へて居りませんでした。ふと、時計のコチコチと刻む音を耳にしました。
 ちよつと白けた間を置いてから私は、ひとりごとのやうに「やあ、もう十一時過ぎだ、出掛けるのも大儀だが……どれひとつ顔でも剃らうかな。」と言ひました。何だか自分が呟いてゐる音声ではないやうな気がしました。照子が早く階下へ行つてしまへばいい、と思ひました。
「何方の方角へ行つてゐるのよ、一体さ。」
 照子は皮肉な微笑を浮べて、さうして何かさういふ権利でもあるかのやうにさげすむで言ひました。
 どつこいその手には乗らないよ――私はさういふ気がしました。「一種の嫉妬で、他人の周囲を決して自分が知らない儘に終らせずに、知つた上で、なあんだ、と冷笑する体の下賤な悪癖は、照子と自分とヨク似た共通性である。」私はそんなことを考へて――が、かうなると私は自分の感情に就いては怖ろしく虫のいい断定を下して、相手ばかりを醜く思ふのです。
「どつちの方角さ、ほんとに。」
「無論つまらねえとこさ……」で、私はもう少し照子の好奇心を釣らうとしますと、照子はとつくに私の言葉などは黙殺してしまつて、
「それもいいけれど阿母さんに見附けられないやうに要心した方がいいわ。」と悪い意味で好意を示すと私もまた、この照子の言葉尻をおさへてはなをあかせてやれ、と気がついて、
「今度阿母さんに知れると困るな。」と、如何にも謹直らしくしをれて言ひました。と、見せると私よりは人のイイ照子は、
「だけど大丈夫よ。こはがらなくつてもいいわよ。それにしてもうちの阿母さんは何故あんなに開けないんだらうね、まるで若い者の気持なんてお察しはないんだもの、厭になつちまふね、妾なんか純ちやんがちつとやそつと遊ばうと……なあに奨励してあげるわ。てんで阿母さんの寝言なんか気にかけちやゐないけれど……余りばかばかしいもの。」と言ひました。この愚かな言葉にはさすがに私も協賛することは出来ませんでした。
「だけど此間僕はあんなに叔父さんから叱られたことを思ふと――叔母さんに済まないと思ふんだよ。」
「純ちやんも案外気が小つちやいんだな、フツフウだツ。」
「…………」
「だつてあれは何も純ちやんが遊ぶからつて叱られたわけぢやないんぢやないの。ただ学校を怠けてゐるからつて……そのことぢやないか。それと夜おそく帰るといふことと。どのくらゐ遊ぶか知れないが純ちやんが気にしてゐる程、皆なは気に留めちやゐないわ。一遍だつてそれを見附けられたこともないしさ。」
「さうならいいんだが、やつぱり僕にとつて見れば自分の家に居ると違つて多少遠慮も出るし臆病にもならあね。」
「うまいことを言つてら。」
「僕は未だ照ちやんに悉くのことを白状する機会がなかつたので……」
「アラ可笑しい、ぢやほんとに恋?」
「と言ふ程のこともなからうが。」と私は傍を向いて強いて心細さうに言ひました。
「怒つちや厭よ。」
 私は堪らない羞しさを覚えたと同時に、笑ひ出し度い気持を辛うじておさへました。こんな調子でもここに、照子との間にちよつとしんみりした雰囲気が出来たことを私は悦んで味ひました。――何でも私は友達に誘はれて四五回遊里に足を運むだことはあるにはありました。×子といふお酌上りの芸者といふのも妙な者で、それですら私は珍らしいが儘に心では事のほか珍宝がつて居りましたが、全く「開けない」といふより他はない私とさうした社会との対照は、(誰が見たつて安心なもので。)ですから私も行きたいとも思はなかつたし、よし思つたとしても到底「ひとりで行く」なんて勇気は出ないのです。それを私は照子の前で非常に誇張して、×子のことを恰も恋人でもあるかのやうにほのめかして且自分が照子などの知らぬ間に自分の世界を巧みに切り開いて、うちで子供扱ひにしてゐると大変な間違ひで、照子などの夢にも知らぬ「通」な手腕をメキメキと挙げてゐるのだといふやうなことを遠廻しに好奇心をそそるやうに言葉を弄して、ヨク言ふのは勿論のことなのです。縦令照子の前にしろ、そんな愚かな虚栄は苦痛で堪らなかつたのですから、どうかしてさつぱりと嘘だけは言ふまいとは始終思つてゐるのですが、こんな風に照子と語る場合が多いだけに、つい私もその決心を裏切るやうな破目にばかりなつてしまふのです。それに私は、自分の腹に何等の悪意もあらう筈はなく嘘のための嘘であるが故に反つて冗談として面白いくらゐの程度で始めるのですが、つい途中から妙に感情が上調子の儘にコヂれて、近頃では照子の顔を見るとそんなことでも話し出さないと物足らないやうな気さへするのです。……私は時々こんなことも考へました。「自分は照子と秀子さんと×子と……そのうちの誰かをほんとに愛してゐるに相違ない。生温いやうに見ゆるけれどその力は決して弱いものぢやない、余りに熱烈過ぎるのでこんな不思議な結果が感情を覆うてしまつたのぢやないかしら、随分イイ加減な説明に見ゆるが(と自分自身に言ひ訳した。)俺は、余りに自惚れが無さ過ぎるのかしら、それとも強すぎるのかしら、こんなに烈しく燃えてゐる恋情を明にすべき相手に迷ふとは。三人のうちで誰でも一番先に俺の心を許して呉れた者と、俺はどんな熱烈な恋でもして見せる、一人が俺を選むで呉れたら屹度俺は他の二人から他合もなく離れることが出来る。」……さう思つて見るとまた一方に、そんなことを夢想した自分の感情は全然ワザとらしい嘘で、事実は「恋情」などといふものが、気持がいい程白々しく、心の中から消え失せてゐるかのやうな気がします。「照子の言ふ通りだ。」と思ひます。「こんな照子に少しでも心を動してゐるとは滑稽千万だ。」とも思ひます。
「秀子さんとそれからお伴れは誰れなんだい。」突然私はかう尋ねました。
「そんなこときかなくつてもいいわよ。」
「さては怪しいな。」私がお世辞のつもりでかう言ふと、
「少しはね、そりや妾だつて。」と直ぐに照子は有頂天になるので、私は(よくもかう空々しく言へるもんだな)と思ひながら、
「ほーう。」と仰山な口附をしました。
「…………」
 兎に角それで二人は、ある秘密を打ち明け合つた態度になつたのでした。(私が予期してゐた壺にはまつて。)で、私は次のやうな相談を持ち掛けました。
 照子が家を出る時に、私も芝居へ行く体を装つて一緒に外へ出る、私の心情を哀むで照子は私を×子の処へ遣る、さうして私と照子は芝居が閉場かぶつてから途中で待合せて家へまた一緒に戻る……。
「まるで茶番の筋のやうだね。」と言つて照子を笑はせましたが、単純な私は内心その思ひつきに誇りを感じました。ナミの言ひ方ではそんなことを承知する照子でなかつたから、私は真情を吐露するやうに極めて円極に徹頭徹尾照子の同情に縋るやうな熱心な言ひ振りをしたので、照子は義侠的な誇りを感じて、冷かに承知したのです。
 それから私は、わけもなく愉快になつてしまつて、……どうしても照子が笑はずには居られないやうな冗談をしきりに喋りました。
「ああ、もうお午だ。御飯を食べて、お湯に入つて、と。」さう気附くと照子はあたふたと降りてきました。段の中頃かと思はれるところで、
「純ちやんも来ない。」と大きな声で叫びました。
「ああ。」と私は事更に機嫌のいい声を張り上げて、ある特別の親しみを見せるやうな調子で言ひました。……が未だ私は起き上りませんでした。
 ………………
「弱つたことを相談してしまつたぞ。」……と思つた私は「チエツ」と舌を鳴しました。
 ひとりで遊びに行くなどといふことは夢にも思へないことです。冷汗を覚ゆることです。×子のことなどは無論最初から、てんで頭にもなかつたのです。
 照子が芝居に行つてゐる間の時間をどうして過さうか……と考へ出すと堪らなくなりました。いろいろ思ひを廻らした揚句、照子が行く芝居の立見へ入つて、ソツと照子の様子を見てやらう、皮肉な眼で……と私は思ひつくと、「不自然に拵へ上げてしまつたその夜の退屈な時間」を漸く過すことが出来るといふ頼り無い光明を認めました。
 縁先の朝の色はいつの間にかすつかり消えて居りました。
 折角、孤独に浸つて珍らしくも快かつた気持が、くだらない自らの痴想で滅茶滅茶になつたことが堪らなく悔まれました。……が、私はソツと目を閉ぢて見ると、キラキラした金色の渦が徐ろに眼瞼まぶたの裏で昇降してゐるのを、考へるやうにしてぢつと瞶めたより他に、不快な気持も愉快な気持も……その渦と同じやうに悉く消え去つてしまつて、清新な(とも云ふべき)不思議な白さが温泉のやうに五体に溢れて来るのを感じました。……。
 ………………
「純ちやん、御飯だつてえばさ。」と照子の声で、私は吃驚りしてピヨンと起き上りました。……「立見のことはたしかに面白い考へだ。」と呟きながら、私は元気よく段を降りて行きました。

これは同じ標題のもとに一度他の雑誌に発表したことがあるが、ここに全体に亘つて改作を試みて再録した。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「十三人 第三巻第五号(五月号)」十三人社
   1921(大正10)年5月1日発行
初出:「秀才文壇 第二十一巻第四号(四月号)」文光堂
   1921(大正10)年4月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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