かえるというものは、みんなおとなしいものですけれど、このおおきなひきがえるは、たくさんのちいさなひきがえるのおかあさんであっただけに、いちばんおとなしいのでありました。
 まちうらは、さかになって、ほそみちがつづいていました。みち両側りょうがわはやぶになっていましたので、そこに、かえるはすんでいたのであります。去年きょねんのちょうどいまごろにも、このおかあさんのかえるは、さかとおりへて、ちいさな子供こどもたちのぴょんぴょんおもしろそうにぶのをながめていました。
 往来おうらいあるひとは、みんなこのかえるをてゆきました。
「かわいらしいかえるだこと、まないようにしてゆきましょうね。」と、おんなたちはいって、けてあるいてゆきました。
 おかあさんのかえるは、ほんとうに、人間にんげんというものはしんせつなものだとおもいました。
 やがて、今年ことしもその時分じぶんになったのです。五月雨時分さみだれじぶん坂道さかみちは、じめじめとして、やぶの草木くさきは、青々あおあおとしげりました。おかあさんのかえるも去年きょねんのように、みちうえていました。
 あるのこと、このおおきなかえるは、人間にんげんんでいるうちは、どんなようなさまだろうとおもいました。
「ひとつ、今日きょう見物けんぶつにいってみましょう。」といって、のこのことさかりて、まちへやってきたのでした。
 かえるのあしは、のろかったから、まちへきた時分じぶんは、もう、かれこれ晩方ばんがたになっていました。
「まあ、一けん、一けんあるいてみることにしよう。」と、おおきなかえるはおもいました。
 人間にんげんというものは、みんなやさしいものだとおもっていたかえるは、なにもほかのことをかんがえませんでした。すぐ、その一けんぐちからはいりました。
 そのうちは、米屋こめやでありました。米屋こめやのおじいさんは、なにか、くろい、おおきなものがはいってきたとおもって、よくますと、それは、ひきがえるでありましたから、
「まあ、まあ、こんなところへはいってきてはこまるじゃないか。さあ、ておいで。」といって、おじいさんは、わらいながら、かえるをぼうさきで、往来おうらいしてしまいました。
 おかあさんのひきがえるは、かくべつそれをかなしいともおもいませんでした。こんどは、となりうちへはいってゆきました。
 となりうちは、炭屋すみやでした。おかみさんが、ふゆ用意よういに、たどんをつくっていましたが、ひきがえるがはいってくると、
「こんなところへはいってくると、くろになってしまうよ。さあ、あっちへおゆき。」といって、そこにあったほうきで、かえるを往来おうらいほうへはきすまねをしました。
 おかあさんのひきがえるは、これをかなしいともおもいませんでした。おとなしく、そのうちるとまた、そのつぎのとなりうちほうあるいてゆきました。ばんがたのそられていました。かえるは、ぐちからはいると、きれいなみずがあって、うおがたくさんおよいでいましたから、大喜おおよろこびでいきなりなかみました。
「あっ。」といって、そこにいた子供こどもたちは、みんなおどろきました。そのうちは、金魚屋きんぎょやだったのです。金魚屋きんぎょやのおじいさんは、すぐにひきがえるをあみですくって、そと往来おうらいうえへぽんとほうりしました。子供こどもたちは、また、どっとわらいました。
 おかあさんのかえるは、自分じぶん子供こどもたちのことをおもして、くらさかほうかえってゆきました。
――一九二六・六――

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
※表題は底本では、「お母(かあ)さんのひきがえる」となっています。
※初出時の表題は「お母さんの蟇蛙」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
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