なかに、一ぽんおおきなかしのがありました。だれも、そのとしっているものがなかったほど、もう、ながいことそこにっているのでした。
 は、平常ふだんは、だまっていました。だれともはなしをするものがなかったからです。あたりにあったはいずれもちいさく、ひくうございました。そのおやたちは、かしのっていましたが、もうみんなれてしまって、まご時代じだいになっていたのでした。そして、や、まごは、むかしのことをかたろうにもってはいないからでした。
 やまからんできた小鳥ことりも、たいていはちょっとえだまることがあるばかりで、いずれも、あきならばあかじゅくしたへ、はるならば、つぼみのたくさんについているえだりていって、ながくこのはなしをしているものもなかったのです。
 このも、わか時分じぶんは、ほかのにまけないほどに、うつくしくなりました。しなやかなえだにはいろ銀色ぎんいろひかって、なよなよとかぜうごいていたものですが、としをとるにしたがって、だんだんは、むずかしくなりました。そして、いつのまにか、のびのびとした、しなやかさはなくなり、いろくらくろずんで陰気いんきになり、そして、は、たいへんに無口むくちになってしまったのです。
「ほかのには、あんなにきれいなはなくじゃないか。なぜおれには、かないのだろう? またほかのには、あんなにうつくしいとりや、ちょうが、毎日まいにちのようにおとずれるのに、なぜ、おれのところへはやってこないのだろう?」と、かしのは、不平ふへいをいいました。
 むずかしいは、すこしのかぜでもはらをたてていました。そして、不平ふへいがましくさけびをあげました。
「そんなにおこるもんじゃないよ。」と、からかい半分はんぶんに、かぜは、かしのかっていいました。みなみほうからいてくるやさしいかぜは、どのにもくさにもしんせつで、柔和にゅうわでありましたけれど、きたほうからいてくるかぜは、ちいさいのでもおおきなのでも、冷酷れいこくで、無情むじょうで、そのうえさむつめたいのでありました。
 それも、そのはずで、みなみからくるのは、橄欖かんらんはやしや、かおりのたかい、いくつかの花園はなぞのをくぐったり、わたったりしてきます。これにはんしてきたからのかぜは、荒々あらあらしいうみなみうえを、たかけわしいやまのいただきを、たにもったゆきおもてれてくるからでありました。そして、この孤独こどくなぐさめてやろうとはせずに、かえってからかったり、ったり、ゆすぶったりするのは、いつもきたからいてくるかぜであったのです。
「なにをしやがるんだい、
 れて、たまるもんか。
 あんな、めめしいくさと、
 おれは、ちがうんだ。
 けたり、れたりするもんか。」
 かしのは、かぜかってこうさけぶのでありました。
 しかし、かぜのないは、孤独こどくのかしのは、うなだれていました。つかれて、ねむってでもいるように、そのだまった、陰気いんきなようすはさびしそうにられたのでした。
 よるになると、くもあいだから、ほしが、下界げかいくさや、らしたのです。そこには、うつくしいべにや、むらさき黄色きいろはないている花園はなぞのがありました。花園はなぞのには、ちょうや、みつばちが、はなうえまったり、葉蔭はかげかくれたりして、平和へいわねむっていました。また、かしのひとりぼっちで、いつものごとくさびしそうにだまってねむっていました。
 ほしは、平常いつも孤独ひとりで、不平ふへいばかりいっているかしのあわれにおもったのでありましょう。そのやさしい、なみだぐんだつきで、こんもりとくろずんだらしていましたが、
「ああして、はなやかにいているはなは、じきにしぼんでしまわなければならぬ。さらばといって、あの孤独こどくなかしの幸福こうふくで、あきになるとれてしまうくさが、はたしてしあわせであるということができるだろうか?」と、ほしは、ひとごとをしました。
 あるとしはるの、ちょうどわりのころでありました。どこからか、きれいな小鳥ことりが、親鳥おやどりとひなどりといっしょにんできて、このとしとったかしのつくりました。
 いままで、このにとって、こんなことはなかったのです。このあたりのやまや、はらにたくさんいるような小鳥ことりは、たまにはにきてまったことがありましたけれど、たびからきた、このようなうつくしいとりつくったような記憶きおくは、かしの過去かこになかったことでありました。
 孤独こどくは、どんなに、よろこびましたでしょう。
「そう、おれだって、みんなからかれないものでもない。こんなに、うつくしいとりが、おれえだにりっぱなつくったじゃないか?」と、広々ひろびろとした野原のはら見渡みわたしながら、ほこがおにいいました。
 たびからきた小鳥ことりは、このあたりにいる小鳥ことりとはくらべられないほどうつくしゅうございました。あかに、ちゃに、むらさきに、しろに、いろいろの毛色けいろわった着物きものていました。そして、おしゃべりでした。
「おかあさん、いいところですね。」と、ひなどりは、親鳥おやどりかっていいました。
「ああいいところです。これから、毎日まいにち、いろいろめずらしいところへれていってあげますよ。」と、母鳥ははどりはいいました。
「まあ、うれしいこと、うれしいこと。」と、ひなどりは、よろこびのこえをあげました。
 えだができあがりますと、親鳥おやどりはひなどりをつれて、あるときは青々あおあおとした大空おおぞらんでうみほうへ、あるときは、またやまえてまちのあるほうへとゆきました。そして、夕方ゆうがたになると、かれらは、たのしそうにしてかえってきました。
 かしのは、うつくしいとりたちが、無事ぶじに、その晩方ばんがたになってかえってくるのをっていました。ひるあいだとりたちがいないのは、にとってさびしかったのです。どこからでも、この野原のはらにこんもりと背高せだかっているのようすはながめられました。とりたちが、この姿すがたあてに、くもはるかのかなたからんでくるとおもうと、はいっそうたか背伸せのびをするように、夕日ゆうひなかかがやいたのでした。
 は、無口むくちで、そして、こんなにとしをとっていましたけれど、遠慮深えんりょぶかくありました。とりたちから、みなみくにはなしをききたいとおもいましたけれど、つい、とりかって、たずねることがありません。ばんに、よりがもどってきたら、こうとおもいましたが、いざそのときになると、
「おかあさん、今日きょうは、とおくまでいってくたびれましたのね。」
「おとうさんは、まだ、とおくへいこうとおっしゃったのだけれど、おまえたちが、くたびれるだろうとおもって、わたしが、反対はんたいしたんですよ。」
「おかあさん、また、明日あしたあさはやかけましょうね。」
「さあ、はやく、おやすみなさい。」
 は、とりたちのこんなはなしくと、また、つぎの機会きかいまでとうとおもいました。
 あるのことであります。
 ひなどりは、母鳥ははどりとこんなはなしをしていました。
「おかあさん、いつまでもわたしたちは、ここにすんでいますの?」と、ひなどりがたずねました。
 孤独こどくな、かしのは、そのとき熱心ねっしんみみかたむけていました。すると、母鳥ははどりは、これにこたえて、
「ああ、そんなに、ここがおまえたちのにいったのなら、いつまでもいますよ。」といいました。
 このはなしいて、よろこんだのは、ひなどりよりも、もっと、このとしとったおおきなかしののほうでありました。
「ああ、なんのはなしも、いまくにはおよばない。ふゆのものさびしい時分じぶんになってから、ゆっくりみなみほうはなしくことにしよう。」と、かしのおもったのであります。
 かがやかしい、希望きぼうちた、なつあいだは、かなりなごうございました。しかし、そのうちに、あきとなったのであります。
 としとったかしのは、周囲しゅういにあったいろいろのが、いつしかしものためにいろづいたのをました。また、あしもとのくさが、れてゆくのをながめました。しかしこれは、毎年まいねんのことでありました。
 あるのことでした。あさひかりなかを、つばさかがやかしながら、あおそらがって、どこともなくんでいった、うつくしいたびとりたちはその太陽たいよう西にしそらしずみかけてもかえってきませんでした。
「どうしたのだろう?」と、かしのは、いぶかしくおもいました。
 そのばんは、かしのは、まんじりともねむりませんでした。とりたちのうえ気遣きづかったからであります。それに、さむ北風きたかぜいて、かしのかってたたかいをいどんだからでありました。
 ああまた、ながい、物憂ものうふゆあいだ、このとしとったと、北風きたかぜと、ゆきとのたたかいがはじまるのであります。そして、かしのは、ついに孤独こどくでした。
――一九二四・一一作――

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
※表題は底本では、「大(おお)きなかしの木(き)」となっています。
※初出時の表題は「大きな樫の木」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年4月10日作成
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