今日も千日前へ首が七つかゝつたさうな。…
昨日は十かゝつた。‥‥
明日は幾つかゝるやろ。‥‥
こんな噂が、市中いツぱいに擴がつて、町々は火の消えたやうに靜かだ。
西町奉行荒尾但馬守は、高い土塀に圍まれた奉行役宅の一室で、腕組みをしながら、にツと笑つた。
『乃公の腕を見い。』
彼れは腕は細かつたが、この中には南蠻鐵の筋金が入つてゐると思ふほどの自信がある。其の細い手の先きに附いてゐる掌が、ぽん/\と鳴つた。
『お召しでございますか。』
矢がすりの袷に、赤の帶の竪矢の字を背中に負うた侍女が、次の間に手を支へて、キッパリと耳に快い江戸言葉で言つた。
『玄竹はまだ來ないか。』
但馬守もキッパリと爽かな調子で問うた。
『まだお見えになりません。』
侍女は手を支えたまゝ、色の淺黒い瓜實顏を擡げて答へた。頬にも襟にも白粉氣はなかつた。
『おそいなう。玄竹が見えたら、直ぐこれへ連れてまゐれ。』
滅多に笑つたこともない但馬守、今日は殊に機嫌のわるい主人が、にツこりと顏を崩したのを、侍女紀は不思議さうに見上げて、『畏まりました。』と、うや/\しく一禮して立ち去らうとした。其の竪矢の字の赤い色が、廣い疊廊下から、黒棧腰高の障子の蔭に消えようとした時、
『あゝ、これ、待て、待て。』と、但馬守は聲をかけた。
『御用でございますか。』と、紀は振り向いて跪いた。但馬守はヂッと紀の顏を見詰めてゐたが、
『其方は江戸に歸りたいか。』
優しい言葉が、やがて一尺もあらうかと思はるゝほどに長く大きな髻を載せた頭のてツぺんから出た。
『はい。』
紀の返辭はきはめて簡單であつた。
『歸りたいか。』
『はい。』
『歸りたいだらう。生ぬるい、青んぶくれのやうな人間どもが、年中指先でも、眼の中でも算盤を彈いて、下卑たことばかり考へてゐるこの土地に、まことの人間らしい人間はとても居られないね。狡猾で恥知らずで、齒切れがわるくて何一つ取り柄のない人間ばかりの住んで居る土地だ。取り柄と言へば、頭から青痰を吐きかけられても、金さへ握らせたら、ほく/\喜んでるといふ其の徹底した守錢奴ぶりだ。此方から算盤を彈いて、この土地の人間の根性を數へてやると泥棒に乞食を加へて、それを二つに割つたやうなものだなう。』
但馬守は、例の額の筋をピク/\と動かしつゝ言つた。紀はなんとも答へなかつたが、厭で厭でたまらないこの土地の生ぬるい、齒切れのわるい人間をこツぴどくやつ付けてくれた殿樣の小氣味のよい言葉が、氣持ちよく耳の穴へ流れ込んで、すうツと胸の透くのを覺えた。
『あゝもういゝ、行け/\。‥‥江戸はもう山王祭だなう、また賑かなことだらう。』
但馬守は懷かしさうに言つて、築山の彼方に、少しばかり現はれてゐる東の空を眺めた。紀も身體がぞく/\するほど東の空を慕はしく思つた。
暫らくして、紀が再び廣縁に現はれた時は、竪矢の字の背後に、醫師の中田玄竹を伴うてゐた。
『玄竹、見えたか。』
さも/\待ちかねたといふ風にして、但馬守は座蒲團の上から膝を乘り出した。
『見えたから、此處に居りまする。』
玄竹は莞爾ともしないで言つた。
『また始めたな、玄竹。其の洒落は古いぞ。』と、但馬守は微笑んだ。
『古いも新らしいも、愚老は洒落なんぞを申すことは嫌ひでございます。江戸つ子のよくやります、洒落とかいふ言葉の戲れ遊びは、厭でございます。總じて江戸は人間の調子が輕うて、言葉も下にござります。下品な言葉の上へ、無暗に「お」の字を附けまして、上品に見せようと企んで居ります。味噌汁のことをおみおつけ、風呂のことをおぶう、香のもののことをおしんこ。‥‥』
『もういゝ、玄竹。其方の江戸攻撃は聞き飽きた。なう紀。』と、但馬守は玄竹のぶツきら棒に言ひたいことを言ふのが、好きでたまらないのであつた。江戸から新らしく此の町奉行として來任してから丁度五ヶ月、見るもの、聞くもの、癪に障ることだらけの中に、町醫中田玄竹は水道の水で産湯を使はない人間として、珍らしい上出來だと思つて感心してゐる。
『玄竹さまは、わたくしがお火のことをおしと言つて、ひをしと訛るのをお笑ひになりますが、御自分は、しをひと間ちがへて、失禮をひつれい、質屋をひち屋と仰しやいます。ほゝゝゝゝゝ。』と、紀は殿樣の前をも忘れて、心地よげに笑つた。
『紀どのは、質屋のことを御存じかな。』と、玄竹の機智は、敵の武器で敵を刺すやうに、紀の言葉を捉へて、紀の顏の色を赧くさせた。
『料理番に申しつけて、玄竹に馳走をして取らせい。余もともに一獻酌まう。』と、但馬守は、紀を立ち去らせた。
『殿樣、度々のお人でございまして、恐れ入りました。三日の間城内へ詰め切りでございまして、漸う歸宅いたしますと町方の病家から、見舞の催促が矢を射るやうで、其處をどうにか切り拔けてまゐりました。』
『それは大儀だツた。どうだな能登守殿の御病氣は。』と、但馬守は容を正して問うた。
『御城代樣の御容態は、先づお變りがないといふところでございませうな。癆症といふものは癒りにくいもので。』と、玄竹は眉を顰めた。
『前御城代山城守殿以來、大鹽の祟りで、當城には碌なことがないな。』
『猫間川の岸に柳櫻を植ゑたくらゐでは、大鹽の亡魂は浮ばれますまい。しかし殿樣が御勤務役になりましてから、市中の風儀は、見ちがへるほど改まりました。玄竹、辯ちやらが大嫌ひでござりますで、正直なところ、殿樣ほどのお奉行樣は昔からございません。』と言つて、玄竹は剃り立ての頭を一つ、つるりと撫でた。
『譽められても嬉しくはないぞ。玄竹、それより何か面白い話でもせんか。』と、但馬守の顏には、どうも冴え切らぬ色があつた。
『殿樣のお氣に召すやうな話の種は尠うござりましてな。また一つ多田院參詣の話でもいたしませうか。』
『うん、あの話か。あれは幾度聽いても面白いな。』と、言ひかけた但馬守は、不圖玄竹の剃り立の頭に、剃刀創が二ヶ所ばかりあるのを發見して、『玄竹、だいぶ頭をやられたな。どうした。』と、首を伸ばして、覗くやうにした。
『いやア。』と、玄竹、頭を押へて、『御城内で、御近習に切られました。御城内へ詰め切りますと、これが一つの災難で‥‥。』と、醫者仲間では嚴格と偏屈とで聞えた玄竹も、矢張り醫者全體の空氣に浸つて、少しは輕佻な色が附いてゐた。
『能登守殿の近習が、其方の頭を切るか。』と、但馬守は不審さうにして問うた。
『左樣でござります。愚老の頭を草紙にして、御城代樣のお月代をする稽古をなさいますので、成るたけ頭を動かしてくれといふことでござりまして。どうも危いので、思ふやうに動かせませなんだが、それでもだいぶ創が附きましたやうで、鏡は見ませんが、血が浸染んで居りますか。』と、玄竹は無遠慮に、圓い頭を但馬守の前に突き出して見せた。疊三枚ほど距つてはゐるが、但馬守の鋭い眼は、玄竹の頭の剃刀創をすつかり數へて、
『創は大小三ヶ所だ。‥‥大名といふものは、子供のやうなものだなう。月代を剃らせるのに頭を動かして仕樣がないとは聞いてゐたが、醫者の坊主の頭を草紙にして、近習が剃刀の稽古をするとは面白い。大名の頭に創を附けては、生命がないかも知れないからな。』と言ひながら、但馬守は『生命がない』の一語を口にするとともに、少し顏の色を變へた。
玄竹は病家廻りの忙しい時間を割いて、日の暮れるまで、但馬守の相手をしてゐた。酒肴が出て、酒の不調法な玄竹も、無理から相手をさせられた盃の二つばかりに、ほんのりと顏を染めてゐた。一合ほどを量とした但馬守は、珍らしく二三度も銚子を代へたが、一向に醉ふといふことを知らなかつた。飮めば飮むほど顏色の蒼ざめて行くのが、燭臺の火のさら/\する中に、凄いやうな感じを玄竹に與へた。
玄竹は今日の奉行役宅が、いつもよりは更に靜かで、寂しいのに氣が付いた。夜に入るとともに、靜寂の度が加はつて川中の古寺の書院にでも居るやうな心持ちになつた。いつも氣に入りの玄竹が來ると、但馬守は大抵差し向ひで話をして障子には、大きな、『××の金槌』と下世話に惡評される武士髷と、固い頭とが映るだけで、給仕はお氣に入りの紀が一人で引受けて辨ずるのであるが、それにしても、今宵は何んだか寂し過ぎて、百物語の夜といふやうな氣がしてならなかつた。
『玄竹、其方に逢つたのは、いつが初對面だツたかなう。』と、但馬守は空の盃を玄竹の前に突き出して、銚子の口を受けながら言つた。お氣に入りの紀さへ席を遠ざけられて、何かしら込み入つた話のありさうなのを、玄竹は氣がかりに思ひつゝ、落ち着かぬ腰を無理から落ち着けて、天王寺屋、米屋、千種屋と出入りの大町人に揃ひも揃つて出來た病人のことを、さま/″\に考へてゐた。
『御勤役間もない頃のことでござりました。岡部樣の一件から、しようもないことが、殿樣のお氣に召しまして。‥‥』と、玄竹は圓い頭を振り/\言つた。さうして物覺えのよい但馬守がまだ半年にもならぬことを、むざ/\忘れてしまはうとは思はれないので、何か理由があつてこんなことを問ふのであらうと、玄竹は心で頷いた。
『あゝア、さうだつたなア。美濃守殿のことから、其方の潔白を聞いて、ひどく感心したのだつたな。全く其方は此の卑劣な、強慾な、恥知らずの人間ばかり多い土地で、珍らしい潔白な高尚な人間だ。余は面前で其の人間を譽めるのを好まんが、今夜は許してくれ。』と、但馬守はまた盃を上げた。
『黒い物ばかりの中では、鼠色も白く見えまするもので。‥‥』と、玄竹は得意氣に言つた。
『しかし、美濃守殿も、不慮のことでなう。江戸表參覲の出がけに、乘り物の中で頓死するといふのは椿事中の椿事だ。』と、但馬守の言葉は、死といふことになると、語氣が強く且つ沈痛の響きを帶びた。
『あの時は愚老も不審に思ひました。岸和田藩のお武士が夜分内々で見えまして、主人美濃守急病で惱んでゐるによつて診てくれとのお話。これから直ぐお見舞申さうと申しますと、いや明日でよい、當方から迎へをよこすと、辻褄の合はぬことを言うて、さツさと歸つて行かれるのでござります。翌る日も漸う巳の下刻になつて、ちやんと共揃ひをした武士が改めて愚老を迎へに見えましたが、美濃守樣はもう前の日の八つ頃に御臨終でござりまして。‥‥』と、玄竹は天下の一大事を語るやうに、聲を密めて言つた。
『この土地で病み患ひをしたのは、其方の見立て書きがないと、江戸表へ通らないことは、かねがね聞いてゐた。其の特權を利用して、其の方は不當の袖の下を取るのだらうと、實は當地へ勤役の初めに睨んでおいた。ところが美濃守殿の一件で、言はゞ五萬三千石の家が立つか潰れるかを、其方の掌に握つたも同樣、どんな言ひがかりでも付けられるところだと、内々で注意してゐると、潔白の其方は、ほんの僅かな藥禮を受けて、見立て書きを認めたと聞き、實に感心したのだ。』と、但馬守は今もなほ感心をつゞけてゐるといふ風であつた。
『醫道の表から申しますれば、死んだものを生きてゐるとして、白々しい見立て書きで、上を僞るのは、重い罪に當りませうが、これもまア、五萬三千石の一家中を助けると思うていたしました。』と、玄竹はまた得意氣な顏をした。
『天下の役人が、皆其方のやうに潔白だと、何も言ふことがないのだが。‥‥』と、但馬守は、感慨に堪へぬといふ樣子をした。
『しようもないことが、お氣に召したとは存じて居りましたが、しかし殿樣にあの時のことをすツかり愚老の口から申し上げますのは、今日が初めでござります。』
『余も其方の面前で、この事を譽めるのは、今夜が初めだ。其方とは何かにつけて、氣が合ふなう。』
『愚老も殿樣が守口で、與力衆の膽玉をお取り拉ぎになつたことを、今もつて小氣味よく存じて居ります。』
話がよく合ふので二人は夜の更けるのを忘れて語りつゞけた。
西町奉行荒尾但馬守が、江戸表から着任するといふので、三十騎の與力は、非番の同心を連れて、先例の通り守口まで出迎へた。師走の中頃で、淀川堤には冬枯れの草が羊の毛のやうでところ/″\に圓く燒いた痕が黒く見えてゐた。
戲れに枯草へ火を移した子供等は、遙かに見える大勢の武士の姿に恐れて、周章てながら火を消さうと、青松葉の枝で叩くやら、燃えてゐる草の上へ轉がるやらして、頻りに騷いでゐた。青い水の上には、三十石船がゆつたりと浮んで、晴れた冬空の弱い日光を、舳から艫へいツぱいに受けてゐた。
伏見から京街道を駕籠で下つて來た但馬守が、守口で駕籠をとゞめ、靜かに出迎への與力等の前に現はれたのを見ると眞岡木綿の紋付きに小倉の袴を穿いてゐた。何處の田舍武士かと言つたやうな、其の粗末な姿を見て、羽二重づくめの與力どもは、あつと驚いた。
與力の中でも、盜賊方と地方とは、實入りが多いといふことを、公然の祕密にしてゐるだけあつて、其の裝ひでもまた一際目立つて美々しかつた。羽二重の小袖羽織に茶宇の袴、それはまだ驚くに足りないとして、細身の大小は、拵へだけに四百兩からもかけたのを帶してゐた。鐺に嵌めた分の厚い黄金が燦然として、冬の日に輝いた。それを但馬守に見られるのが心苦しさに地方の與力何某は、猫に紙袋を被せた如く後退りして、脇差しの目貫の上り龍下り龍の野金は、扇子を翳して掩ひ隱した。
『遠方までわざ/\出迎へを受けて、大儀であつた。何分新役のことだから、萬事宜しく頼む。しかしかうして、奉行となつて見れば、各々與力同心は、余の子のやうに思ふ。子だから可愛いが、いけないことがあると叱りもすれば勘當もする。事によつたら殺すかも知れない。各々も知つてゐるだらう、御城與力や同心は、御城代へ勤役中預けおく、といふ上意だが、町奉行へは與力同心を勤役中下されおくといふ上意になつて居る。御城與力は、御城代の預り物だが町奉行は與力同心を貰つたのだ。詰まり各々は今日から、この但馬の貰ひ物だ。貰ひ物だから、活かさうと殺さうと但馬の勝手だ。其處をよく辨へて、正しく働いて貰ひたい。爪の垢ほどでも、不正があつたら、この但馬は決して默つてゐない。』
堤の枯草の上に立つて、但馬守は大きな聲で新任の挨拶に兼ねて一場の訓示演説をした。其の演説に少しも耳を痛めないで聽くことの出來た者は、多くの與力同心中で殆んど一人もなかつた。
『此地の與力は皆な贅澤だと、かね/″\聞いてゐたが、しかしこれほどだとは思はなかつた。お蔭で但馬、歌舞伎役者の座頭にでもなつたやうな氣がする。』と、ひどい厭味を言つた時は、與力どもが皆な冷汗に仕立ておろしの襦袢の胴を濡らした。
かうして、但馬守は敵地にでも乘り込むやうにして、奉行役宅へ入つたのであつた。
天滿與力はそれから急に木綿ものの衣類を仕立てさせるやら、大小の拵へを變へるやら、ごた/\と大騷ぎをしたが、但馬守の眼は、キラ/\と常に彼等の上に光つて、彼等は眩しさに尻込みばかりしてゐた。
但馬守は先づ與力どもを威かし付けて置いて、それから町家の上に眼を配つた。すると其處には、あらゆる腐敗が、鼻持ちもならぬまでにどろ/\と、膿汁のやうな臭氣を八方に流してゐた。其の中で、内安堂寺町に住む町醫の中田玄竹だけが、ひどく氣に入つて、但馬守の心は玄竹の圓い頭を見なければ、決して動くことがなくなつた。
但馬守が玄竹を愛したのは、玄竹が岡部美濃守の頓死を披露するに最も必要な診斷書を、何の求むるところもなく、淡白に書き與へたといふ心の潔白を知つたのが第一の原因である。それから、但馬守が着任して間もなく、或るところで變死人があつた時、其の土地の關係で、但馬守の配下の與力と、近衞關白家の役人ともう一ヶ所何處かの代官の何かの組下と、かう三人揃はなければ、檢死は行はれない事情があつて、死體は菰包みのまゝ十日近くも轉がしてあつた。それで其の一町四方は晝間も戸を締めたといふほど、ひどい臭氣が、其の頃の腐つた人間の心のやうに、風に吹かれて飛び散つた。
漸く三組の役人の顏が揃うて、いざ檢死といふ時、醫師として中田玄竹が出張することになつた。流石に職掌柄とて玄竹は少しも死體の臭氣を感じない風で、菰の下の腐肉を細かに檢案した。
『もういゝ加減でよいではないか。』
近衞家の京武士は、綺麗な扇で、のツぺりした顏を掩ひつゝ、片手で鼻を摘まんで、三間も離れたところから、鼻聲を出した。
『もうよい分つた。』と、但馬守配下の與力も言つた。
『ひどい蛆だなア。』と、一番近く寄つた某家の武士の側からでも、死體まではまだ一間半ばかりの距離があつた。
『もつと近うお寄りなさい。それで檢死の役目は濟みますか。』と言ひ/\、玄竹は腐つた死體を右に左に、幾度もひつくりかへした。皮が破れ、肉が爛れて、膿汁のやうなものが、どろ/\してゐた。内臟はまるで松魚の酒盜の如く、掻き廻されて、ぽかんと開いた脇腹の創口から流れ出してゐた。死體が玄竹の手で動かさるゝ度に、臭氣は一層強く、人々の鼻を襲うた。
『やアたまらん。』と、京武士は更に一二間も後退りした。
『もツと側へ寄つて、ほんたうに檢死をなさらんと、玄竹檢案書を認めませんぞ。』と、玄竹は大きな聲を出した。其の聲は遠くから、鼻を摘まみつゝ檢死の模樣を見たがつてゐる群衆の耳まで響くほど高かつた。
三人の武士は仕かたなしに、左右を顧みつゝ、少しづつ死體の側に近寄つて來た。玄竹は町醫であるけれども、夙に京都の方へ手を廻して、嵯峨御所御抱への資格を取り、醫道修業の爲めに其の地に遣はすといふ書付に、御所の印の据わつたのを持つてゐるから、平生は一本きり帶してゐないけれども、二本帶して歩く資格を有つてゐて、與力や京武士の後へ廻らなくてもいいだけの地位になつた。
『まるで、今の世の中を見るやうに上も下も、すつかり腐つて居りますぞ。臭いもの身知らずとやら、この死骸よりは今の世の中全體の方が臭氣はひどい。この死骸の腐り加減ぐらゐは今の世の中の腐りかたに比べると何んでもござらん。』
玄竹は當てこすりのやうなことを言つて、更らに劇しく死體を動かした。三人の武士は、『ひやア。』と叫んで、また逃げ出した。――
この話を但馬守が、與力から聞いて、一層玄竹が好きになつたのであつた。それからもう一つ、玄竹が但馬守を喜ばせた逸話がある。
其の春、攝州多田院に開帳があつて、玄竹は病家の隙を見た上、一日其の參詣に行きたいと思つてゐた。ところが丁度玄竹に取つて幸ひなことには、多田院別當英堂和尚が病氣になつて、開帳中のことだから、早く本復させないと困るといふので、玄竹のところへ見舞を求むる別人が來た。其の前年の八月、英堂和尚が南都西大寺から多田院への歸りがけに、疝氣に惱んで、玄竹の診察を受けたことがあるので、一度きりではあるが、玄竹は英堂和尚と相識の仲であつた。それで直ぐ準備をして、下男に藥箱を擔がせ、多田院からの迎への者を先きに立てて、玄竹はぶら/\と北野から能勢街道を池田の方へ歩いた。
駕籠に乘つて行かうかと思つたけれど、それも大層だし、長閑な春日和を、麥畑の上に舞ふ雲雀の唄を聽きつゝ、久し振りで旅人らしい脚絆の足を運ぶのも面白からう、何んの六里ぐらゐの田舍路を、長袖の足にも肉刺の出來ることはあるまいと思つて、玄竹は殆んど二十年振りで草鞋を穿いたのであつた。
北野を出はづれると、麥畑の青い中に、菜の花の黄色いのと、蓮華草の花の紅いのとが、野面を三色の染め分けにして其の美しさは得も言はれなかつた。始終人間の作つた都會の中ばかりを駕籠で往來してゐた玄竹が、神の作つた田舍の氣を心ゆくまで吸つた時は、ほんたうの人間といふものがこれであるかと考へた。駕籠なんぞに窮屈な思ひをして乘つてゐるよりは、輕い塵埃の立つ野路をば、薄墨に霞んだ五月山の麓を目當てに歩いてゐた方が、どんなに樂しみか知れなかつた。
左の方には、六甲の連山が、春の光りに輝いて、ところ/″\赤く禿げた姿は、そんなに霞んでもゐなかつた。十三、三國と川を二つ越して、服部の天神に參詣し、鳥居前の茶店に息んだ上、またぼつ/\と出かけた。
玄竹の藥箱は可なり重いものであつた。これは玉造の稻荷の祭禮に御輿擔いだ町の若い衆がひどい怪我をした時玄竹が療治をしてやつたお禮に貰つたものであつた。療治の報酬に藥箱の進物といふのは、少し變だが、本道のほかに外療も巧者の玄竹は、若い者の怪我を十針ほども縫つて、絲に絡んだ血腥いものを、自分の口で嘗め取るといふやうな苦勞までして、漸く癒してやつた其の禮が、たつた五兩であつたのには、一寸一兩の規定にして、餘りに輕少だと、流石淡白な玄竹も少し怒つて、其の五兩を突き返した。すると、先方では大に恐縮して、いろ/\相談の末、或る名高い針醫が亡つて、其の藥箱の不用になつてゐたのを買ひ取り、それを療法の禮として贈つて來たのが、この藥箱で、見事な彫刻がしてあつて、銀金具の厚いのが打つてあつた。
五月山の木が一本々々數へられるやうになると、池田の町は直ぐ長い坂の下に見おろされた。此處からはもう多田院へ一里、開帳の賑ひは、この小都會をもざわつかしてゐた。朝六つ半に立つてから、老人の足だから、池田へ着いた時は、もう八つであつた。おくれた中食をして、またぽつ/\と、馬も通ひにくい路を、川に添つて山奧へと進んで行つた。今まで前面に見てゐた五月山の裏を、これからは後方に振りかへるやうになつた。美しい瀬を立てて、玉のやうな礫をおもしに、獸の皮の白く晒されたのが浸してある山川に沿うて行くと、山の奧にまた山があつた。權山といふ峠は、低いながらも、老人にはだいぶ喘いで越さねばならなかつた。峠の頂上からは、多田院の開帳の太鼓の音が聞えて、大幟が松並木の奧に、白く上の方だけ見せてゐた。峠を下ると『多田御社道』の石標が麥畑の畦に立つて、其處を曲れば、路はまた山川の美しい水に石崖の裾を洗はれてゐた。川に附いて路はまた曲つた。小さな土橋が一つ、小川が山川へ注ぐところに架つてゐた。山川には橋がなくて、香魚の棲みさうな水が、京の鴨川のやうに、あれと同じくらゐの幅で、淺くちよろ/\と流れてゐた。正面にはもう多田院の馬場先きの松並木が枝を重ねて、ずうつと奧へ深くつゞいてゐるのが見えた。松並木の入口のところに、川を背にして、殺生禁斷の碑が立つてゐた。松並木の路は流石に廣くつて、松も可なりに太く老いてゐた。
參詣の老若男女は、ぞろ/\と、織るやうに松並木の路を往來して、袋に入つた飴や、紙で拵へた旗のやうなものが、子供の手にも大人の手にもあつた。太鼓の音に混つて、ひゆう/\と笛の音らしいものも、だん/\間近に聞えて來た。
松並木が盡きると、石だたみのだら/\坂があつて、其の邊から兩側に茶店が並んでゐた。『君勇』とか『秀香』とか、都の歌妓の名を染めた茶色の短い暖簾が、軒に懸け渡されて、緋毛氈の床几を背後に、赤前垂の女が、甲高い聲を絞つてゐた。
『お掛けやす、お入りやす、息んでおいでやす。』
『御門内はお腰の物が許りません。お腰の物をお預りいたします。』
おちよぼ口にお鐵漿の黒い女は、玄竹の脇差しを見て、かう言ひながら、赤い襷がけのまゝで、白い手を出した。『えらい權式ぢやなア。』と思ひながら、玄竹は腰差しを預けようとすると、多田院から來た迎への男が手を振つて、『よろしい/\。』と言つた。
『あゝ、御寺内のお客さんだつかいな。孫右衞門さん、御苦勞はん。』と、茶店の女は愛嬌を振り撒いた。
東の門から入つて、露店と參詣人との雜沓する中を、葵の紋の幕に威勢を見せた八足門の前まで行くと、向うから群衆を押し分けて、脊の高い武士がやつて來た。物を言つたことはないが、顏だけは覺えてゐる天滿與力の何某であることを玄竹は知つてゐた。この天滿與力は町人から袖の下を取るのに妙を得てゐる形だけの偉丈夫であつた。新任の奉行の眼が光るので、膝元では綿服しか着られない不平を紛らしに、こんなところへ、黒羽二重に茶宇の袴といふりゆうとした姿で在所のものを威かしに來たのだと思はれたが、多田院は日光に次ぐ徳川家の靈廟で、源氏の祖先が祀つてあるから、僅か五百石の御朱印地でも、大名に勝る威勢があるから天滿與力も幅が利かなかつた。
黄金作りの大小を門前の茶店で取り上げられて、丸腰になつたのを不平に思ふ風で、人を突き退けながらやつて來た其の天滿與力は、玄竹が脇差しを帶してゐるのを見て、怪しからんといふ風で、一層ひどく人を突き退けながら南の門の方へ出て行つた。
『馬鹿ツ。』と、玄竹は與力の後姿を振りかへつて獨言をした。
鷹尾山法華三昧寺多田院と言つても、本殿と拜殿とは神社風で、兩部になつてゐた。玄竹は本殿に昇つて、開帳中の滿仲公の馬上姿の武裝した木像を拜し、これから別當所へ行つて、英堂和尚の老體を診察した。病氣は矢張り疝癪の重つたのであつた。早速藥を調合し、土地の醫者に方劑を授けたが、其の夜玄竹は、塔頭の梅の坊といふのへ案内されて、精進料理の饗應を受け、下男とともに一泊して、翌朝歸ることになつた。五百石でも別當はこの土地の領主で、御前と呼ばれてゐた。其の下に代官があつて、領所三ヶ村の政治を執つてゐた。
其の夜、天滿與力の何某が、門前の旅籠屋に泊り、大醉して亂暴し、拔刀で戸障子を切り破つたが、多田院の寺武士は劍術を知らないので、取り押へに行くことも出來なかつたといふ話を、玄竹は翌朝聞いて齒痒く思つた。
翌日は別當の好意で、玄竹は藥箱を葵の紋の附いた兩掛けに納め、『多田院御用』の札を、兩掛けの前の方の蓋に立てて貰つた。さうして下男には、菱形の四角へ『多』の字の合印しの附いた法被を着せてくれた。兩掛けの一方には藥箱を納め、他の一方には土産物が入つてゐた。少し重いけれど、かうして歩けば途中が威張れて安全だといふので、下男は勇み立つて歩き出した。成るほど葵の紋と『多田院御用』の木札は、行き逢ふ人々に皆々路を讓らせた。大名の行列が來ても、五分々々に通れるといふほどの權威のあるものに、玄竹の藥箱は出世した。
岡町で中食をして、三國から十三の渡しに差しかゝつた時は、もう七つ頃であつた。渡船が込み合つてゐるので、玄竹は路の片脇へ寄つて、待つてゐた。この次ぎには舟が空くだらう、どうせ日いつぱいには歸れまいから、ゆつくりして行かうと、下男にさう言つて、煙草をくゆらしてゐると、いつぱい人を乘せて、もう岸から二間ほども出かゝつた渡船をば、『こら待て、待て。』と、呼び留めながら、駈けて來たのは、昨日多田院で見た天滿與力の、形だけは偉丈夫然とした何某であつた。
武士に呼び留められたので、船頭は不承々々に舟を漕ぎ戻した。こぼれるほどに乘つた客は行商の町人、野ら歸りの百姓、乳呑兒を抱へた町家の女房、幼い弟の手を引いた町娘なぞで、一度出かゝつた舟が、大きな武士の爲めに後戻りさせられたのを、不平に思ふ顏色は、舟いつぱいに溢れてゐた。
天滿與力は、渡船を呼び戻してみたけれど、殆んど片足を蹈み込む餘地もないので、腹立たし氣に舌打ちして、汀に突つ立つてゐたが、やがて高く、虎が吼えるやうに聲を張り上げると、
『上れ、上れ。百姓町人、同船ならん。』と、居丈高になつた。
さう言はれると、弱い者どもは強い者の命に服從するよりほかはなかつた。腹立たし氣な顏をしたものや、ベソを掻いたものや、怖さうにおど/\したものなぞが、前後してぞろ/\と舟から陸へ上つた。母に抱かれた嬰兒の泣く聲は、殊に哀れな響を川風に傳へた。
空になつた渡船へ、天滿與力は肩をいからして乘つた。六甲山に沈まうとする西日が、きら/\と彼れの兩刀の目貫を光らしてゐた。
船頭は憎々しさうに、武士の後姿を見詰めながら、舟を漕ぎ出した。
舟がまた一間半ばかり岸を離れた時、玄竹は下男を促して兩掛けを擔がせ、大急ぎで岸へ駈け付けて、
『待て、待て。其の舟待て。』と、高く叫んだ。
墨黒々と書かれた『多田院御用』の木札を立てて來られると、船頭はまた舟を返さないわけに行かなかつた。天滿與力は面を膨らしつゝ、矢張り『多田院御用』の五文字に膨れた面を射られて、うんともすつとも言はずに、雪駄穿きの足を舟から岸へ跨がないではゐられなかつた。‥‥さうして葵の紋の附いた兩掛けに目禮して、片脇へ寄つてゐなければならなかつた。
玄竹は意氣揚々と、舟の眞ん中へ『多田院御用』の兩掛けを据ゑて、下男と二人それを守護する位置に跪いた。船頭が棹を取りなほして舟を出さうとするのを、玄竹は、『あゝ、こら、待て/\。』と止めて、
『同船許す、みんな乘れ。』と、天滿與力に舟から引きおろされた百姓町人の群に向つて聲をかけた。いづれも嬉しさうにして、舟へ近付いて來るのを、突き退けるやうにして、天滿與力は眞つ先きに舟へ、雪駄の足を跨ぎ込んだ。其の途端、玄竹はいつにない雷のやうに高聲で、叱[#ルビの「した」はママ]した。
『武士、同船ならん。』
天滿與力は、太い棒か何かで胸でも突かれたやうに、よろ/\としながら、無念氣に玄竹の坊主頭を睨み付けたが、『多田院御用』の五文字は、惡魔除けの御符の如く、彼れを壓し付けて動かさなかつた。玄竹の高い聲に驚いて、百姓町人の群れまでが、後退りするのを、玄竹は優しく見やつて、
『百姓乘れ、町人乘れ、同船許す。』と、手招きした。天滿與力がすご/\と船から出るのに、ざまア見ろと言はぬばかりの樣子で摺れちがつて、百姓町人はどや/\と舟に乘つて來た。
鈴生りに人を乘せた舟が、對岸に着くまで、口惜しさうにして突つ立つた天滿與力の、大きな赤い顏が、西日に映つて一層赤く彼方の岸に見えてゐた。――
この與力は間もなく、但馬守から閉門を命ぜられた擧句に、切腹してしまつた。其の咎の箇條の中には、多田院御用の立札に無禮があつたといふ件もあつた。
但馬守は新任の初めから、この腐つた大きな都會に大清潔法を執行するつもりでゐた。彼れはかね/″\書物を讀んで、磔刑、獄門、打首、それらの死刑が決して、刑罰でないといふことを考へてゐた。彼れは刑罰といふものが本人の悔悟を基礎としなければならぬと考へる方の一人であつた。殺されてしまへば、悔いることも改めることも出來ない。從つて、死刑は刑でないといふ風に考へた。
ところが彼れは、町奉行といふ重い役目を承つて、多くの人々の生殺與奪の權を、其の細い手の掌に握るやうになると忽ち一轉して、彼れの思想は、死刑をば十分に利用しなければならぬといふ議論を組み立てさせ、着々それを實行しようとした。
死刑は理想として廢すべきものだけれど、それが保存されてある以上、成るたけ多く利用しなければならぬ。曲つた社會の正當防衞、腐つた世の中の大清潔法、それらを完全に近く執行するには、死刑を多く利用するよりほかにないと考へた。
往來で煙草を吸つたもの、込み合ふ中で人を押し退けて進まうとしたもの、そんなのまでを直ぐ引つ捕へて、打首にするならば、火事は半分に減ずるし、世の中の風儀は忽ち改まるであらうと思つた。
しかし、但馬守も流石に、そんな些事に對して、一々死刑を用ゐることは出來なかつたが、掏摸なぞは從來三犯以上でなければ死刑にしなかつたのを、彼れは二犯或は事によると初犯から斬り棄てて、其の首を梟木にかけた。十兩以上の盜賊でなくても、首は繋がらなかつた。死刑は連日行はれた。彼れが月番の時は、江戸なら淺右衞門ともいふべき首斬り役の刃に、血を塗らぬ日とてはなかつた。
『今日は千日前に首が七つかゝつた。』
『昨日は十かゝつた。』
『明日は幾つかゝるやろ。‥‥』
こんな言葉が、相逢ふ人々の挨拶のやうに、また天氣を占ふやうに、子供の口にまで上るとともに、市中は忽ち靜まりかへつて、ひつそりとなつた。
但馬守は莞爾と笑つて、百の宗教、千の道徳も、一つの死刑といふものには敵はない、これほど效果の多いものは他に求むることが出來ないと思つた。
配下の與力同心は慄へあがるし、人民は皆な往來を歩くにも小ひさくなつて、足音さへ立てぬやうにした。
芝居の土間で煙草を吸つて、他人の袂を焦がしたものも、打首になるといふ噂が傳つた時は、皆々蒼くなつた。それはもとより噂だけにとゞまつたが、それ以來、當分は芝居を觀ながら煙草を吸ふものが殆んどなくなつた。
噂だけでも、死刑といふものには、覿面の效力があると思つて、但馬守は微笑した。
氣に入りの玄竹を相手に、夜の更けるのを忘れてゐた但馬守は、幾ら飮んでも醉はぬ酒に、便所へばかり立つてゐたが、座敷へ戻る度に、其の顏の色の蒼みが増してくるのを、玄竹は氣がかりな風で見てゐた。夜はもう亥の下刻であつた。
『玄竹、多田院參詣の話は面白いなう。もう一度やつて聽かさんか。』と、但馬守は盃をあげた。
『何遍いたしましても、同じことでござります。』と、玄竹はこの潔癖な殿樣の相手をしてゐるのが、少し迷惑になつて來た。しかし、今からもう病家廻りでもあるまいし、自宅へ方々から、火のつくやうに迎への使の來たことを想像して、腰をもぢ/\さしてゐた。
『玄竹。今夜は折り入つて其方に相談したいことがある。怜悧な其方の智慧を借りたいのぢや。…まあ一盞傾けよ。盃取らせよう。』と言つて、但馬守は持つてゐた盃を突き出した。
『有り難うはござりますが、不調法でござりますし、それに空腹を催しましたで。‥‥』と、玄竹はペコ/\になつた腹を十徳の上から押へた。
『はゝゝゝゝ。腹が空いたか。すつかり忘れてゐた。今に飯を取らせるが、まあそれまでに、この盃だけ一つ受けてくれ。』と、但馬守は強ひて玄竹に盃を與へた。
『愚老にお話とは、どういふ儀でござりますか。』と、玄竹は盃を傍に置いて、但馬守の氣色を窺つた。
『玄竹、返盃せい。』と、但馬守は細い手を差し伸べた。
『恐れ入ります。』と、玄竹は盃を盃洗の水で洗ひ、懷紙を出して、丁寧に拭いた上、但馬守に捧げた。それを受けて、波々と注がせたのを、ぐつと飮み乾した但馬守は、
『玄竹。酒を辛いと感ずるやうになつては、人間も駄目だなう。幾ら飮んでも可味くはないぞ。』
『御酒は辛いものでござります。辛いものを辛いと思し召しますのは、結構で、‥‥失禮ながらもう御納盃になりましては。‥‥』
『其方と盃を取り交したから、もう止めてもいゝ。』
但馬守は悵然として天井を仰いだ。
『愚老へお話とは。』と、玄竹はまた催促するやうに言つた。
『ほかでもない、其方の智慧を借りたいのぢや。‥‥』
『おろかものの愚老、碌な智慧も持ち合はせませんが、どういふ儀でござりませうか。』と、玄竹はまた但馬守の氣色を窺つた。
『玄竹、‥‥三日の道中で江戸へ歸る工夫はないか。』
但馬守は、決心したといふ風で、キッパリと言つた。
『はア。』と、玄竹は溜息を吐いた。
『工夫はないか。』と、但馬守は無理から笑ひを含みながら言つた。
『韋駄天の力でも借りませいでは。‥‥どんなお早駕籠でも四日はかゝりませうで。‥‥』と、玄竹はもう面をあげることが出來なかつた。但馬守は屹と容を正して、
『今日、江戸表御老中から、御奉書が到着いたした。一日の支度、三日の道中で、出府いたせとの御沙汰ぢや。』と、嚴かに言つた。
『恐れ入りましてござります。』と、玄竹は疊に平伏した。老眼からは、ハラ/\と涙がこぼれた。
『玄竹、今のは別盃ぢやぞ、但馬守の生命も今夜限りぢや。死骸の手當ては其方に頼む。』
『畏まりましてござりまする。』
玄竹は涙に濡れた顏をあげて、但馬守を見た。奉行と醫者とは、暫らく眼と眼とを見合はせてゐた。
『玄竹。‥‥だいぶ殺したからなう。‥‥』
但馬守の沈み切つた顏には、凄い微笑があつた。
昔、大阪の町奉行に荒尾但馬守といふ人があつたさうです。それとほゞ時代を同じうして、安田玄筑といふ醫者もあつたさうです。しかし、本篇の奉行荒尾但馬守と、醫師中田玄竹とは、それらの人々と全く無關係であります。
底本:「現代日本文學全集 23 岩野泡鳴 上司小劍 小川未明集」改造社
1930(昭和5)年4月13日初版第1刷発行
初出:「ユウモレスク」中央堂
1924(大正13)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「下男(げなん)」と「下男(げだん)」の混在は底本通りにしました。
入力:いとうたかし
校正:小林繁雄
2012年8月17日作成
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