奇なるかな世潮の変遷、こころみに最近数年間の文学界を回顧せば年ごとに流行の一新するあるを見る。二十二年は小説流行のときにして二十三年は和文、漢文の流行は二十四年に始まりてしかして二十五年は史論の盛行を見るにあらずや。もとよりその間に密確なる区劃をなさんは無稽の業に属すといへども大体の状態はおおむかくごときか。これそもそも人心の奇を好むによるかたその間必然の理勢ありて存するか流行の勢は滔々とうとうとして氾濫の力をたくましくし下土を水にし陵谷をべきにし天下を挙げて深淵に溺没せざるものは幾稀矣ほとんどまれなりしかも静に前後の事情を通覧すれば流行の推移にも自ら必然の理路は歴々として見るを得るなり。それ称して流行といふ。流行の衣服、流行の結髪、流行の装飾、流行の俗唄、算へ来てしかしてこれに対するに流行の学問といふ。むしろその当を失するの言なるなからんや。学の類たるやおのおのその分ありといへども而もみなその目的とする所は千古に渉りて朽ちざるにありてその攻究には仔細の考察と静慮とを要するなり。学術に関するに流行の文字を以てす。流行の学術は恐くはこれ真の学術にあらざるなからんか。而も見よ書籍の出版、学校の設立、雑誌の発刊、学生の趨向すうこうその変遷する所を推してしかして称するに流行を以てす必しも不可なるに非ず。しかも世間実に流行の跡を追ふて独り及ばざらんことを恐るるの浮薄の書生すくなしとせざるなり。此の如きの輩もと学術の何たるを知らざるものすべからくその面に唾すべしといへどもまた勢のむべからざるなきに非ず。けだしその流行の波濤に漂はさるるに際しては読者の趣味概ね泛として定まるところなく批判の能力に乏しくして半銭の価値なきものも※々さくさく[#「口+昔」、U+5536、29-5]して世人の賞粲しようさんに上る。すなはち僥倖を求めて名利を賭するもの雲の如くに起るまた自然の勢なり。而も競争の道はこれ自ら淘汰の法、老者退けられ、羸者るいしや倒れ残るものは是れ深く薀蓄するあるの士。しかも此の如きの士もと流行の如何いかんに関せざるなり。
 しかして世人も漸くその事の真相を知るに至ればまた一時の狂呼に任すべからざるを解するなり。ただそれ好奇心のくことを知らざるやいずれの辺にか新奇を求めんとししかして鋭才の輩立てこの機に投ずるあり。ここにおいてか摸倣に巧なるもののその跡を追ふもの起りあるいは平生のきわむる所偶々たまたま好運に会するなり。相和し相唱へて他の新流行は生ずるなり。流行の状概ねしかり。潮引き波去るの後に※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およんで之を塵埃じんあい瓦礫がれき紛として八方に散乱するのみ。またいささかの益する所なきが如しといへどもこれによりてその学が世上の注意をくに至るあるは疑ふべからざるなり。もしそれ真に学に志さんとするものはもとより遠く塵寰じんかんを脱して世潮の浮沈を度外に置くを要するや言をたざるなり。
 史論は近日の流行物となりぬ。喜ぶべきか喜ぶべからざるか。史籍のに上るものその種はなはだ尠しとせず。人物論の新聞雑誌に顕はるるほとんど虚日なし。田口氏の『史海』は学生の机上に横行しその発売高ははるかに経済雑誌を超越すと聞く。世人が史学に注目するに至れるはすこぶる喜ぶべきの観あり。然れども思へよ、史学の根底は正確なる事実にあり。而も在来の伝説史籍、謬説世を誤り訛伝かでん真を蔽ひ炯眼の士なほかつ之が弁別にくるしむ。これ実に事実考証の已むなき所以ゆえん、而していはゆる事実の考証何ぞそれ旦暮の間に究索するを得んや。材料の蒐集は莫大の時日と労苦とを要すとなす。真偽の鑑定は眼光紙背に徹する底の識見なくんば不可なり。事実の正確は既に得たりとせんか即ちその源因を究め結果を捜りよく蟠根錯節を解きて当時の状況炳焉へいえんとして眼前に露はるるに至らんこと何ぞそれ談笑一夕の間によくする所ならんや。曰ふ時日と労力とは厭ふところにあらずと。ただそれ識見は如何いかに深く人事の細微に通じ広く世間の状勢を知り人心の転化を究め性情の奥秘を悟るに非ればなんぞ以て時世遠く隔り状況遥に異れる史上の真相を観破し得んや。
 国史を論ずといふかこれまことに在来国史の間に拘々たるもののよくなす所ならんや。列国数十山を界し海を隔つといへども坤輿の上あに足跡の通ぜざるなしとせんや。すなはち意外の辺において意外の聯絡を発見し以て久しくむすんで解けざりし疑問を氷釈すること尠きにあらず。海外の大勢我国に及ぼす影響は如何。隣国の変乱痛痒相関すること如何。文化の淵源は遠く他国の深山に発するなり。貴重の材料が自国に湮滅して他邦にその跡を存すこともあるなり。これをこれ推究せずして何ぞ国史を了解するを得んや。いはんやまた社会進歩の状態自らその軌を一にするものあり。彼此相較し甲乙相照ししかして始めて燎々として事蹟の明なるを致すものあらずや。殊に異種の民族異邦の文化両々相比し来て而後しかるのち真に国民の特質文明の真相を発揮するを得るにあらずや。しかしてその異同ある所以のもの更に仔細に之を探究考察せんとす、またまことに難事たり。而もこれ必ず為さざるべからざるの業たるを奈何いかんせんや。
 英雄の人物を論ずといふか英雄は毀誉褒貶の集まる所尊崇と罵詈と交々至る。しかして時に応じ機に臨み執る所の政略殆ど人意の表に出て神智奇謀測るべからざるあり。しかして英雄のいずるは概ね国家擾乱の際、数百載の下にたちて之を想見す。目眩し胸轟く英雄の人物あにそれ知り易しとせんや。哲士の性情を論ずといふかその胸にはすなはち大慈大悲の霊泉を湛へその腔にはすなはち神妙壮美の世界観を包蔵す。乾坤を覆載し宇宙に徹底し区々の俗情を超絶してしかして悠々として青天の上に飛揚す。雲漢をえぐりて彼の帝郷に遊ぶなり。哲士の性情あにそれ議し易からんや。
 史の言ひ難きや実に此の如し。古来妙齢の哲学者青年の文学者に乏しからずといへども未だ弱冠の史学家あるを聞かざるは理なきにあらざるなり。想像の富澹や文藻の壮麗や緻密の考察、推論の正覆此の如きはすなはち単に思考の力に出づといへどもかの歴史家に至ては先づ広漠無量の事実に通ぜざるべからず。しかしてこれ実に時日と労力とを要する所以にして短少の歳月のよく為すなきの理なり。かつ見ずやいはゆる史学家なるもの多くはこれ一時代一国民もしくは一事件の歴史を以てその畢生ひつせいの事業となしたるを。いはんや我国の如き極めて史学の幼稚なるに当ては材料の捜索に数層の困難を覚ゆるにおいてをや。限りあるの人生、限あるの能力またやむを得ざるなり。
 ただそれ大史学者は常にきびすを接して出づるものに非ず。大伝記家の出づる誠に百載にしてしかも一人ならんのみとせばの擾々たるものもしばらく以て秋夜の一興に値するものとせんか。而も偏僻の史論牽強附会けんきようふかいの伝記が世人を誤まることあるは容すべきに非ず。いはんや一時の風潮につれて腹にもなきことを筆の先にて誤魔化さんとするものをや。更にいはざるべからざるあり。博士重野某職を史官に奉じその徒と共に考索する所あり。さきに児島高徳楠木正成僧日蓮の事蹟を云々し頃日けいじつまた武蔵坊弁慶を称して後人の仮託に出づとなし公会において之を演じたり。ここにおいて議するものあり曰く国家の俸禄をむ史家は誤謬の索捜を勉めて国史の美観を損ずと。曰く国庫の資を以て蒐集したる断簡零墨を憑拠としてみだりに賢相名臣の跡を抹殺すと。また曰く考証学の結果にして此の如くんば則ちこれ風教に害ありと。しかして或るものは更に一歩を進めて国体の尊厳に関すと叫ぶ。
 嗚呼ああ世人史を見ること真に此の如きか。在来国史の謬伝訛説多きは既に論ぜし所、少しく眼を史籍に注ぐものは何人も之を拒む能はざるの事実たり。国史の学は国民の過去に経過し来れる事蹟の実相を究明するのいいなり。而もそのいはゆる事実にして果して真実ならずとせんかこれただ空中の殿堂、咸陽の宮楼に非ざるも史家は之を一炬に附するを惜まざるなり。すなはち更に荘厳の宮殿を建築せんとす。必ず先づその基礎をして正確ならしめざるべからず。事実の考証はこれ史学の根底なりとす。有を有とし無を無とすまことにこれ当然の理何人が之を拒むものぞ。ただそれ有の果して無たらず無の果して有たらざるか否かはこれ史家の識見とその方法との如何に関するのみ。曰ふ断簡零墨以て国史を疑ふべからずと。断簡零墨尽く以て信ずるに足るとせず。然れども賤人の私記却而かえつて浩瀚の史籍より史学上の価値を有すること尠しとせず。修史の学は近代の進歩にかかるといへども而も動かすべからざる原則は以て千万の史書を批判するに足ること疑ふべからず。二に二を加ふれば四なるは千古に渉りて争ふべからざるが如く先天の原理より演繹し来れる修史の原則は何人も拒む能はじ。いやしくもるべきの原則あらば半片の故紙も以て勅撰の国史を抹殺するに憚からず。何ぞ一ヶの武蔵坊弁慶をや。今それ国費を以て史書を編輯せしむるの可否は別箇の問題に属ししかしてかの重野某及その属僚が果して史家たるの能力を備ふるか否かは余の知らざる所従而したがつてその説く所の果して首肯すべきか否かは暫く論ぜず。反証を挙げて学術上の攻撃をなすことを勉めずして漫に之を嘲罵するの如きはこれ学問の何たるかを知らざる没理性漢なり。史家はこの輩に向て解説を勉むべしといへども決してそれが為めに拘束せらるべからず。世人の口碑に伝唱して誇称したる美話佳談が一朝にして抛棄せらるるは人情惜むべきが如きも事実は奈何ともする能はず。仮令たとい弥縫以て一時を瞞着するも史学の進歩は何の時にか之を看破せずして止まん。かつそれ訛伝の抹殺せらるると同時に一方においては深く隠蔽せられてその事あるを知らざるも美事が史学の光輝に照らされてその真相をあらはすことなしといふべからず。世人は之を拒まんとするかその自家矛盾なるを奈何せん。またかの楯を国家に託して跡を国体論に隠るるが如きは顧るに足らず。我大日本の国体は此の如き羸弱なるものに非ず。列聖の鴻業偉徳と祖宗が洪蹟とは炳として天日とその光を争ふ。何人か之を議するものぞ。
 史あにそれ言ひ易からんや。事は数千載の上下と数万里の東西とに蟠延し源は深く人心の幾微に発し細に社会の深淵に伏す。事理を剖析ほうせきし状情を探究し以て因果の在る所を解明す。まことに学術上の最難事たり。而も軽忽に之を論断し苟且こうしよに之を言説して顧みず揚々として得色あるが如きものあるはそもそも何の心ぞ。

底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「青年文学 一三」
   1892(明治25)年11月
初出:「青年文学 一三」
   1892(明治25)年11月
※初出時の署名は「八十八村草舎主人」です。
入力:門田裕志
校正:Juki
2013年10月6日作成
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