むかしの世では、あづまから京へ、京から筑紫のはてへと、手紙を書いたり書かれたりすることが、非常に珍しひことであり、又一生のうちの幾つかに数へられるよろこびでもあつたらうと思ふ。その時代の人々の静かな余裕ある心では、その手紙のためにたくさんの時間と真心と技巧をも与へることが出来た。かれらは手紙によつて多くを与へ多くをうけることが出来たのである。あの鎌倉の月影がヤツの小さな家で手紙を書いてゐた阿仏尼などは、今の私どもが訪問したり食べたり買物したり自働車と電車に乗つたりする凡ての時間を悉く手紙を書くことと子供らのための祈りとに費したのではないかとさへ思はれる。たしかに、むかしの手紙は立派な一つの芸術であり、又いかなる尊い贈物にも増して礼と愛との表現に力あるものであつたらうと思はれる。
 現代の私どもはむやみと忙しい。私どもは美しさと静かさからだんだんに遠ざかつて来てしまつた。手紙を書くといふことも、今の私どもには、さほどの歓びではなくなつて、ある時は煩しくさへ感じることがある、煩しさを感じた時に書いた手紙がどんな感じを先方の人に伝へるであらうかと思ふと、顔があかくなるやうな気がする、私どもの手紙にはあまりに時間とまごころとが足りなすぎる。
 しかし、どんなに忙しいと云つても、用事の手紙や葉書ならば、私どもは一日に何遍かいてもすこしも恐れない、さういふ手紙が、ある時は面談するよりもずうつと雄弁であり、要領を得てゐることもある。つまり私どもが忙しい中で書きづらく感じるのは用事のない手紙である。これは、たぶん、何を書いてよいのか私どもの落ちつきのない心には容易に思ひつかれないからでもあらう、又どんな文体で書いてよいかを考へるのも面倒の一つであらうと思ふ。
 今の手紙の文体はずゐぶんいろいろである。お案じ申上げてをりますといふ丁寧なのもあるし、どうぞ、さう云つて下さいといふ学生風なのもあるし、雲かとばかりあやまたれし花もいつしか散りてあとなく、若葉なつかしき頃と相成り候へば、といふやうなたいそう優しい書きぶりもある、みんな書く人の自由であるから、貰つた方でも自分の好きな恰好に返事をかいてもよいのであらうけれど、神経質な人たちはやつぱりそれぞれに書きわけをしなければ気が済まない、それからインキと墨の書きわけさへもする、だから、なほさらにおつくうに感じるのであらう。手紙の文体をもうすこし私どもの自由に書けるかたちに直して欲しいやうに私はこの頃つくづく考へはじめた。
 このあひだ私はほんの一寸した事の問合せの手紙をある人に送つた、するとその人から返事が来た、それは私が今まで貰つた友人たちの手紙の中で最も快い明るい感じのするものであつた。くり返して読んで見て、どこがどういふやうに快く響くのか、私にははつきり分らなかつた。全文中の四分ほどは私のとひあわせの返事で、二分は私の知らない或る事件の報道であり、二分はある本に就いての感想で、一分はその人自身の事が書いてあり、あと一分は私の気持を快くするための親切な技巧であつた。全体が非常に明快な調子で書かれて日常の会話のとほりな自然さが現はれてゐた、その人は、いつも、大へんにむづかしい文を書く人であつたので、私はよけいにおどろかされた。しかし、言葉の技巧を知り尽した人でなければ、それほど自然な平易な手紙はかけないのであらう。
 ある時私が某先生のお宅にうかがつた時、西洋人の手紙の話が出て、西洋の人たちの手紙はその人たちにとつて一つの創作であるから、私は日本で書いてゐる葉書のやうな手紙を送ることを恥ぢると云はれたことがあつた。その後私はチエホツフやスチーヴンソンまたヘンリイ・ジエームスなどの手紙を読んで見て、つくづくその先輩の言のほんたうであることを感じた。
 チエホツフが後に自分の妻とした女優に送つたやうな手紙を書くには我々の言葉は不自由であるかも知れない、ヘンリイ・ジエームスがその母や友人に書いたやうな手紙を、私どもが自分の友人や子供から貰はうと期待するのは、少し欲ばりすぎるかも知れない、しかし、どうかして私どもはもうちつと自由に現代語を使つて、もうちつと努力して手紙を書いてもよささうなものである。時間がない時は葉書でもけつこうだと思ふ、ただ其中に私どものうそでない心持さへ入れてあれば。
 言葉はなりたけ簡単に、言葉の上の技巧は捨てて、全体のトーンの上にある苦心をしなければなるまい、感傷的の形容詞は捨てて、その折々のまことの感情を言外に現はす努力もしなければなるまい。そんな注文をいへば、それは詩をつくるよりも小説をつくるよりも、もつとむづかしい事かも知れないが、とにかく、私どもは、もつとよい手紙を、もつとらくに書きたい、手紙によつて、与へ、また与へられたい。それには私どもの手紙に対する心持をもつとあたらしくしなければなるまい。
 たいそう古いことを言ひ出してをかしいが、つい此程私はある必要があつたので土佐日記を読んで見た、そして私はむかしの一官吏がどれだけの元気と歓喜を以てはじめて我が国文体の日記を書くといふ冒険を敢てしたかと考へて見た。むかしの人は羨ましい、私どもは疲れてゐる。手紙といふ小さい芸術の中に力とよろこびを感じることが出来るほどに私どもが若がへることは出来ないものだらうか。
 物質的の報酬のないところには些の努力をも惜しむといふほど、私どもはそれほどさもしい心は持つてゐないつもりである。報酬の目的なしに、互に与へ、与へられるよろこびは、いつの時代にも、特に人類に恵まれたる幸福でなければなるまい。
 私どもの疲れた頭にも、もうすこし手紙について考へて見たいやうな気がする。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
初出:「文化生活 第二巻第六号」
   1922(大正11年)6月号
入力:八巻美恵
校正:野口英司
2011年9月17日作成
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