祭のさまざま

 村に生れた者は、誰でも少年の頃の祭の嬉しさをよく覚えてゐる。たゞ正月や盆の日とはちがつて、故郷を出てしまふと他所の祭に出逢ふことが少なく、めつたに其話を人とする折がないだけである。都会にも神社の祭は有る。しかし実際は、さう多くの者がその祭を見ることが出来ない。それ故に人は皆大きな花やかな混雑する祭だけを、祭といふものだと思つてゐる。これが村と都会との大きな相違であつた。今度は皆さんは測らずも静かな村里に日を送つて、春から夏へかけての、大小さま/″\の祭を見て居ることになつた。是を本当によく知つて置くと、今まで町の人たちの知らなかつたものを、覚えたことになるのである。
 村の祭は、大きいものから小さなものまで、多い処では一年に何十度といふほどもある。さうしてこの色々の祭を見くらべて行くことによつて、覚えることが少し又今までとはちがつて来る。
 日本全国どこに行つても、すべて祭は同じものだつたといふことも、是から段々とわかつて来るのである。私は今からもう五十年あまり、六十年近くも前の自分の生れた村の祭を知つてゐるが、その後はちやうど祭の日に、還つて見ることが出来なかつた。それで此頃は何かゞよほど改まつて居り、よその土地では又ちがつた事が多からうと思つてゐた。ところが実際の話を聴いて見ると、今でもびつくりする程、自分の小さい頃とよく似た祭をしてゐる村が方々に有る。是がこの大御国の、有難いところであらうと私は思ふ。しかし斯ういふことは、人の話を聴いたばかりでは、まだ明かにさうだといふ気にはなれない。それで一通り自分の小さい頃の記憶を述べて、皆さんが是から見たり聴いたりすることと、どの位同じかちがふかを比べて見てもらはうと思ふ。近い処なら真似るといふこともあらうが、私の故郷はこゝから大分遠い、あまり世間に知られない田舎だつたのである。

 私の生れた部落では、祭をいとなむ神社が二つあつた。その一つは鎮守さんと謂つて隣の部落に在り、八つか九つの大字が合同して年にたゞ一度、秋の収穫の終りに近い頃一ばん大きな祭が一つだけこゝで行はれる。それから今一つの方は氏神さん、又は明神さんとも村の者は謂ひ、他のすべての祭はこの方に有るのであつた。社格からいふと鎮守さんは郷社、こちらは村社であつて境内も狭いが、私たちがたゞ御宮といひ神さんといふときは必ずこの方のことであつた。
 鎮守と氏神とが一つの御社である場合もよそには多い。たとへば隣の部落では大字の内にこの鎮守さんが有る故に、別に氏神さんは無くて、年内の祭は皆この郷社で行はれる。斯ういふ部落を中部地方などでは、宮本とも謂つてゐるやうである。或は又一村限りで、同じ御社を鎮守とも氏神とも謂つてゐるやうな大きな村も少なくはない。それから又氏神は一つの家、もしくは同じ氏を名のる家々の神として別にあり、部落が集まつて共に祭る神を、うぶすな(産土)の社と謂つてゐる処も有る。名は色々に変るけれども、一つの大字に必ず一つ、祭を共にする神の御社の、無いといふ処は今でも先づ有るまい。さうしてその大字は以前の一村であつた。二つ以上の神社を持つ大字も今ではあるが、それは大抵部落が小さいので、合併して一つの大字を作つたものである。
 鎮守の祭の共同が始まつたのは、大祭を大きく、又出来るだけ花やかなものにしようが為であつたと思はれる。通例は秋の節供せつく、即ち旧暦九月半ばの頃を祭日としたものが多い。秋は農家の最も心楽しい季節である。凶作でも無い限りは、早くから用意をして、家々では鯖の鮓をしこみ、甘酒の香が到る処にたゞよひ、子供は飽きるほど物を食べて、静かに大のぼりの秋風にはためく音を聴いた。当日になると各部落から屋台が出る。又だんじりといふ車を曳いて出る小村もあつた。神の御幸みゆきとも御出とも謂つて、神輿が里中を巡つて行かれる時刻には、老人でも家の中にゐる者は無かつた。小さい者などは一日中、太鼓の音に附いてまはつてゐた。

 大祭の日だけは、村中家中が皆祭であつた。嫁に行き奉公に出た者は還つて来る。親類の者は招かれる。酔うた人が出たり入つたりする。さういふ中にも祭の世話人の宿といふものがあつて、ここにゐる人だけは神輿に附き、又鎮守の御社に往来する用が多かつたが女たちなどは家でする事があるので、参らぬ者が案外に少なくなかつた。それから又役の無い老人は、斯ういふ日にもなほ一方の氏神さんに参拝した。さうしてこゝにも灯明を上げ供物を備へてあつたのだが、子供だけは屋台に気を取られて、こちらへはめつたに来ぬから淋しいものであつた。
 鎮守の社の年一度の大祭と、氏神社に行はれる他の祭とには、なほ一段と明かな相異があつた。この点は二つを兼ねてゐる神社でも同じことで、大祭だけには神の御幸即ち金銀丹緑の色々の飾りをした、御輿といふものゝ巡遊がある。東京の大きな神社には、一まはり廻つて又もとの社殿へ戻つて来られる例も有るが、普通には御旅所おたびしよ又は御仮屋と云つて、そこに御出を迎へて一日又は一夜、御止め申して祭をする、臨時の祭場が出来るのである。御旅所の所在は定まつてゐた。多くは本社から五町十町、稀にはそれよりもずつと遠い処にもあるが、一方には又境内の一区画に仮殿を設ける、大和の三輪の御社のやうな例もあつて、私の故郷の鎮守さんもそれであつた。
 神の御幸を九州の方では、今でも御降りとも御下りとも謂つてゐる。もとは神様は祭のたび毎に、高い処から降りて来られるものと考へてゐたのである。それが何時でも一つの社殿の中に、御鎮まりなされるものと思ふやうになつて、大祭と小祭と、祭の方法がちがふやうになつたが、祭を本社の中で営む場合でも、本来はやはり神が御降りなされたのであつた。
 神の降臨はたゞの人の眼には見えず、殊に其夜中の暗闇のうちに、御出でになるといふ祭も少なくは無い。それを日中の照り輝く路を、渡御なされるやうにしたのは中古からの変化で、その為に特に道中を花やかにするやうな、動く舞台といふものが考へ出されたのだつた。

 祭に音楽を奏し又おもしろい舞を舞ふのは、大昔からの事であつた。その為には臨時に莚を敷き幕を張りめぐらし、又は社殿の傍に常設の舞台を建て、或は祭に奉仕する人の住宅を清めて使ふこともあるが、それは皆何処にその日の神を御迎へ申すかによつてきまることであつた。たゞその舞台を人が舁き、又は車を附けて曳きあるくやうになつたのは、昼間の御幸みゆきの路を賑はしくしようとした為で、是に氏子の者が出演するやうになつたのと共に、新らしい出来事と云つてよい。つまりはぢつとして神を御迎へ申す、小さな祭の方が古いのである。
 斯ういふ花々しい祭の行列を、京都ではフリユウ(風流)と呼んでゐた。風流は京都の文化から生れたもので、地方はそれに倣うたのだから、美しさがどうしても少し劣つてゐる。それを何とかして都まさりにしようとして、地方の人たちは大祭に力を入れたが、その為に他の幾つかの小さな祭も、決して粗末にはしなかつた。たゞこの方は村の内輪の事である故に、土地に生れた者だけがよく知つて、よそから来た人は気が付かずにしまふことがあるのである。
 神の御乗物は至つて質素なものが古くからあつた。それは一本の御幣の串であることもあり、又清い神木の一枝であることもあつた。神霊がそれに依つて御降りなされると、思ふことが出来るのは信仰である。さうして今でも古風な固い人たちは、その信仰を持ち続けてゐる。神様がたゞ今この祭の庭へ御出でになつたと感ずるには、別に音響とか合図とかの必要は無い。大切なことは祭の準備、即ち古来定まつた手続き規則が、少しもぬかり無く守られてゐたといふ自信さへあれば、神様は必ず来て下さるものと安心してゐられたのである。皆さんにはちとむつかしい言葉かも知らぬが、昔の人はこの用意を、ものいみ(物忌)と謂つてゐた。後には仏教の方の精進といふ言葉を、おもあひに使つてもゐたが、祭の精進は身を清潔に保つことが主であつて、魚や鳥などは食べてもよかつた。たゞそれを煮る火を穢れさせぬことが大切であつたのみである。

 日本民族の神々ほど、清浄を愛し穢れを憎みたまふ神様は、世界中どこを捜しても無いと云つてよい。火が穢れるといふことは外国人にはわかるまいが、単に自分が血の穢れ又は喪の穢れに触れてはならぬのみで無く、それに触れて来た人と同じ火を使ふと、もうそれだけでも神様に近よれなくなるのであつた。それ故に祭の日の前になると、家々は皆外から来る人を断つて、厳重な物忌を守つたのであるが、人が多く集まるとどうしても故障が起りやすい。それで祭に是非働かねばならぬ人だけは、別に離れて住んで何日かの間、謹慎してゐたのであつた。其謹慎の場所を精進屋又は御籠り所とも謂つた。御籠り所は臨時に仮屋を作ることもあれば、特に一軒の民家を清めて使ふこともあり、社務所や帳屋ちやうやといふものを、その為に建てゝ置く所もあるが、此頃ではお宮の拝殿に行つて籠る村が多くなつた。人の職業の為に働く用がふえて来て、おこもりの時間は段々と短くなつてゐる。しかし青年たちが昔の通りに、祭の前夜又は前々夜から、蒲団を持つておこもりに行く村は今でも多い。それは皆祭の物忌を厳重にせんが為である。老人や女たちは、祭の当日の朝のうちから参つて来る。それを日籠ひごもりといふのは、御籠りがもとは夜のものだつたからである。御籠りの人々は皆食物をきれいにこしらへ、神酒を持つて来て、先づ初穂を神に上げて後に、それをめい/\がいたゞき、且つ隣の人々と交換して食べる。つまりは神と人との共同の食事であつて、それが何物にもたとへられない楽しみであり、又いつまでも忘れ難い思ひ出であつたことは、決して私たち少年少女ばかりでは無かつたのである。
 村の御社の小さい祭といふのは、もとはすべてこの御籠りの日であり、又お重詰めの開かれる日、大人のうれしさうに酒酌みかはす日でもあつた。しかし時侯のよい春の末、山には藤躑躅、畠には青麦菜種、紫雲英が咲き雲雀の高く揚がる頃が殊に楽しかつた。さうして農家では田植ごもりとも謂つて、田の仕事に取掛る前の小祭が、最も大切に考へられてゐた。その以外にも雨が程よく降れば雨寵り又はおしめり正月、虫が附きさうなら虫祭なども臨時にあつて、おこもりのし方は皆よく似てゐた。
 年籠りといふのは除夜の年取りの晩に、御社に行つて籠ることであつたが、是は寒い頃である為か、今では夜明け前にたゞ御参りする者が多くなつてゐる。しかしそれよりも少し前、冬至といふ日の後先に、御火焚きと称して御社の広庭に、大きな火を焚く祭が村々にはあつた。一日も早く春の陽気が来るやうにといふ、さそひのやうな意味が有つたのかも知れない。この火が燃え上がると、村中の子供が皆集まつて来た。さうして裸になつて相撲を取り、勝つても負けても御褒美を貰つた。この以外にも節供の日、月々の朔日と十五日、是は定まつた祭の日ではなかつたかも知れぬが、村中の人たちの気が改まつて、大抵同じ刻限に参つて来る。さうして御社にも灯明を上げ、御供へ物が供へられてゐる。関東の方では御三日おさんじつといひ、一日十五日の外に二十八日にも参つて来る。近頃では毎月の八日といふにも、お宮の拝殿に人が集まつて、色々と御国の事を話し合ふ。それがおのづからの祈願となつて、神さまの御心にも届くやうな感じが深い。
 村の住民のめい/\の祭も無いとは云へないが、人が大病になると一家一門、親しい友だちが一しよになつて参る。たつた一人で御百度を踏むといふやうなことは田舎には無い。子供が村に生れると氏子入りと謂つて、産屋うぶやの穢れの清まるや否や、人が抱いてお参りをさせる。大きな声で赤児の名を神に申し上げ、又は暫らく神前にねかせて置いて啼かせたりする。是だけは全く一家限りの祭のやうに見えるが、家からはお赤飯などをふかして持つて来て、椿の葉に載せて神に進め残りを少しづゝ村の子に分けて、是から友だちになつてもらふ。それがすぐ知れるので沢山の児童が、この日も御社に集まつてゐるのである。父母兄弟と共に住む家を除いては、御宮の拝殿が子供には最も親しかつた。生れて三十日から世間に出て行く日まで、ひまさへあれば始終こゝに来て遊んでゐたからである。私の部落の明神さんには、三抱へも有るかと思ふ楊梅やまもゝの老木があつた。私が去つてから六十年近く、今でも村の児はこの樹の下に集まつて、まだろくに熟しもせぬうちから、あの楊梅の実を取つて食べてゐるさうである。小さい時には私などもさうしてゐた。村の子供と御宮との関係は、昔のまゝに続いてゐるやうである。

底本:「日本の名随筆44 祭」作品社
   1986(昭和61)年6月25日第1刷発行
   1999(平成11)年2月25日第11刷発行
底本の親本:「祭日考」小山書店
   1946(昭和21)年12月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2012年12月9日作成
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