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東は朝。――西は夕べ。――南は真昼。――北は真夜中。(一八一三年)
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現在のような日常生活をもうこれ以上つづけないことだ! 芸術もまたこの犠牲を要求しているのだ。気ばらしによって休息するのはいっそう力づよく芸術の仕事に努めるためでなければならない。(一八一四年)
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ヘンデルとバッハとグルックとモーツァルトとハイドンの肖像を私は自分の部屋に置いている。それらは私の忍耐力を強めてくれる。(一八一五年)
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田園にいれば私の不幸な聴覚も私をいじめない。そこでは一つ一つの樹木が私に向かって「神聖だ、神聖だ」と語りかけるようではないか? 森の中の歓喜の恍惚! だれがこれらすべてのことを表現し得ようぞ?……(一八一五年)
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神は非物質である。それ故神は一切の概念を超えている。神は不可見であるから形を持つことがないが、しかし神のさまざまな作品からわれわれが認知するところよりして、われわれは結論する――神は永遠であり全能であり全智であり遍在であると。一切の欲望から解脱しているが故に真に強いものはただ彼だけである。……強き彼は、空間の各部分に現在している。……おお、神よ、おんみはあらゆる時と所との真実なる、永久に浄福なる、不変なる光である。おんみの叡智は無数の法則を認めつつ、しかもおんみの行為は常に自由であり、おんみの行為の結果はつねにおんみ自身の栄光となる。……おんみに一切の讃美と恭敬とが捧げられよ! おんみのみが真の浄福者 Bhagavan である。一切の法則の実体、一切の叡智の姿であるおんみは全宇宙に現在して一切事物を保っている。(一八一五年)
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神からは一切が清らかに流出する。私が幾度か情念のため悪へ混迷したとき、悔悟と清祓を繰り返し行なうことによって私は、最初の、崇高な、清澄な源泉へ還った。――そして、「芸術」へ還った。そうなると、どんな利己欲も心を動かしはしなかった。常にそうあってくれるといい。樹々は果実の重みにたわみ、雲はさわやかな雨に充ちるときに沈降する。人類の善行者たちも自分の豊かな力に傲りはしない。もしも重い〔(ライツマン版では「美しい」となっており、ロマン・ロランの最近の研究書(一九三八年)中の引用文では「重い」となっている――訳者)〕睫毛の下に涙が膨らみ溜るならば、それが溢れ出ないように、つよい勇気をもってこらえよ。通る径があるいは高くなりあるいは低くなり、正しい道の見究めがたいこの世のお前の旅路において、お前の足跡は確かに坦々たるものではないであろうが、しかし徳の力は、つねに正しい方向へお前を前進せしめるであろう。(一八一五年)
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……つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を想うな。報酬への期待を行為の発条とする人々の一人となるな。……精励して義務をはたせ。好かれ悪しかれ、結果と帰着とについての考えを一切逐い払え。なぜなら、このような淡泊な沈着だけが、精神的なるものへの熱中であるから。ただ叡智のみを避難所とせよ……まことの賢者はこの世における結果の善悪を顧慮しない。それ故、お前の理性をそのように訓練することを努めよ。理性のそういう訓練は、人生における貴い芸術の一つだ。(一八一五年)
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無限な静寂の翳、まだ精霊どもの息吹きも漂わぬ、つらぬき難く、達しがたく、測知しがたくひろがっている繁みの厚い暗がりに包まれてただ自分の霊だけがあった――あたかも、(無限性に有限なる性を比べてみるために)やがて滅びるべき運命を持つ者の眼が、明るい鏡に見入るかのように……(一八一五年)
〔以上四つの文章にはその頃ベートーヴェンがドイツ語で読んでいたインド哲学書の抜き書きが織り込まれている。出典に関するロランの照会への、インドのカーリダース・ナーグ博士の回答によれば、『ウパニシャッド』と『バガバッド・ギータ』が多分その出典と思われる――訳者〕
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森の中の全能者よ! 森にいて私は幸福である。一つ一つの樹が(神よ)おんみを通じて語る。おお、神よ、何たるすばらしさ! この森の高いところに静かさがある――神に仕える静かさが。(一八一五年)
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忍耐――(神への)忍従――忍従! かくて極度の不幸の中でさえなお得るところがあり、そしてわれわれはわれわれ自身を、神によってわれわれの欠点を赦されるに値する者となすことができる。(一八一六年)
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「遺憾ながら世の凡庸な者たちは巨匠の作品の真の美を理解せずにその欠点を模倣する。ミケランジェロが絵画に、シェイクスピアが劇芸術に、そして現代においてはベートーヴェンが音楽に禍を為すということはそこから起こる。」(一八一六年)〔(これはフランスの新聞或いは雑誌に出た文章をベートーヴェンが抜き書きしたもの――訳者)〕
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静寂と自由とは最大の財宝。(一八一七年)
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「あらゆる変転へ沈着に応じよう。そして、おお神よ、ただあなたのかわることなき慈愛にのみ私の信頼を置こう。」(一八一七年)〔(クリスチァン・シュツルムの著書からの書き抜き――訳者)〕
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われらの衷なる道徳律と、われらの上なる、星辰の輝く空! カント (一八二〇年)〔(右の手記原文はライツマンの『ベートーヴェン』による。同書については本書二百二頁参照――訳者)〕