五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の駿河台経済戦線に及ぼした珍影響であった」
 と、出ている。
 この記事に拠ると、西園寺公は、かねて噂に聞いているように、たべものにはなかなかやかましい人だなということがわかる。「鳥のすり餌のやうな」という文句があるが、鳥のすり餌のように、単にやわらかいとか、消化がよいとかいう意味以外に、西園寺公は今もって食道楽があるようである。
 新聞の記事だからあまり当てにはならないが、「松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで」と言うその松薪とは、くぬぎ薪の間違いではなかろうか。松薪で飯を炊くというのはあまり聞かない。松薪はヤニの多いものだから火力が一気に上がるし、煤煙ばいえんもきつくて、飯を炊くのには適しないように思う。多分くぬぎ薪のまちがいだろう。
 京都人で飯の炊き方なんかにやかましい連中は、くぬぎを用いているし、くぬぎで炊いた飯は火力の具合が非常にいいようである。自分もくぬぎで飯を炊いたことが何遍もある。
 次が「たひの目玉」のことである。たいの目玉だけを魚屋に注文するというのは、京都の人なんかによく見受ける例である。それは、京都人が食通であっても、かなりケチなところがあるからのことで、京都人はその主人が食道楽である場合、自分ひとりだけが美味いものを食う癖がある。家人にも分けて食わすようなことはしない。そこで経済的に目玉だけを魚屋に注文するなんていうことがある。
「たひのわき腹一寸四方」というのもこの手である。そこでたい一尾のうちから、目玉と脇腹一寸四方とを食うということは、たいの美味いところだけを確かに知っている人と言ってよい。
 まだこのほかに、たいの美味いところがあるにはある。それはきもと白子だ。これは目玉や脇腹以上に美味いと言えよう。きもは脂肪のかたまったものだから、八十何歳の西園寺公にはやや脂っ濃すぎるかも知れないが、白子ならたしかに適するはずである。だから、たいの白子なぞは、公の好物にちがいないと想像するのである。
 たいの脇腹というのは、いわゆる、その脇腹の薄身を指すのである。薄身と背肉とは、全然質がちがってる。棒だらなんぞ食う場合に、食通は必ず脇腹の薄身を賞玩する。背肉なんかは問題にしない。東京人がまぐろのトロというのを賞味するのも、やはり、まぐろのこの薄腹の肉にすぎないのである。この脇腹肉というのは、ひとりたいのみではない。大概なさかなは、この腹の薄肉というのが美味いものである。
 そこで公は、なにかに物に通じた人であるから、このたいの目玉と脇腹一寸四方を注文される意図のほどがよく読めるのである。しかし、まさか京都人のようにケチン坊で、「たひの目玉、わき腹一寸四方」をのみ注文されるわけではなかろう。
 さて、その材料を西園寺公がどうして食っておられるかという料理の話だが、たいは目玉と言っても、目玉だけえぐり抜いて料理することはないから、目玉の周辺の肉なり骨なりに擁護されて、その中に点じられている目玉を周辺とともに料理することになるのだが、これは焼いて食う法もある。煮て食う法もある。しかし、ふつうは潮の吸いものにすることを常とする。これが一番目玉を食うのに適する料理と言えるであろう。焼いて食う場合は、俗に言うたいの頭の山椒焼きと言うのであって、山椒の粉末の入った醤油で付け焼きにすることを言うのだが、煮付けて食う場合は、俗に言うあら煮という調理になる。また、たいかぶらと言って、たいとかぶらをいっしょに煮るもの、また、たい豆腐と言って、たいと豆腐を煮るものなぞになる。たいの目玉は生で食うようなことはないから、まず、目玉の食い方は、この三通りをもって終る。
 また、たいの脇腹一寸四方の問題だ。脇腹一寸四方と言うのは、実際は一寸四方ではなかろうから、やはり、二寸四方ぐらいなことに訂正して話を進めよう。これも焼いて食う。煮て食う。吸いものにもするが、糸作りにして、刺身にして食うのは、食道楽のよろこぶところだ。刺身の仕方の手順は、内外の皮を去って、これを細く作る。これをたいの細作りとか、糸作りとか言っている。また薄塩を振り、甘酢を用い、甘酢作りとして食うのも、替り刺身として乙なものである。
 脇腹は背肉からみて非常に脂肪に富んでいて、すこぶる美味いものだ。ただし、肉がかたいから、園公は生で食っておられるかどうかは疑問だ。これを煮て食う場合は、背肉よりもかえってやわらかになり、そして内外の皮がなかなか美味い。だから、公の如きは酒だしのかった、あっさりとした汁仕立てで、しょうがの絞り汁でも落として、薄身を煮て食っておられるかもわからない。
 今一つは焼いて食うことだ。これまた煮て食う以上に軽く食えて、両面の皮が香ばしく、山椒の粉の入った醤油で、山椒焼きする場合は、立派なたいの食い方と言えよう。付け焼きよりも、さらに軽く食うのは塩焼きである。塩焼きの場合は、ポン酢(橙)とか、レモン酢とかいうようなものを少々振りかけることが出合いがよいようだ。たいの臭味もなくなる。
 園公といえども、別にこれ以上の変った調理方法もあるまいから、右のうちのいずれかを選んで賞味されていることだろうと思われる。
 元来、東京の魚屋には西園寺公のよろこばれるようなたいがないはずだから、必ずや特別注文で、よいたいを河岸から取り寄せておられることであろう。そうして、その中の目玉と脇腹の薄身の一寸四方とを賞味されるのであろう。
 しかし、公ほどの通人なら、目玉のほかに、たいの唇などを、きっと食っておられるだろう。唇は脂肪もあり、ゼラチン質にも富んでいて、脇腹の薄身以上に美味いと言えよう。けだし、それは三、四百匁のたいまでで、五、六百匁以上のものは問題にはしない。また、おかぶ三銭は詮議のかぎりではなかろう。
(昭和七年)

底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社
   1980(昭和55)年4月10日初版発行
   1995(平成7)年6月18日改版発行
   2008(平成20)年5月15日改版14刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年10月31日作成
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