私はどうして陶磁器ならびに漆器などをつくるようになったか――みなさま大方はご存じのことと思いますが、私は料理を始めてから、ここにこうしてかまを築き、陶磁器ならびに漆器類を、みずからつくっています。
 なぜ、私がこうして陶磁製作に熱中して、みずから手を下すことにしているか、傍からご覧になると甚だ物好き過ぎるように思われましょうが、本人の私は、これが当然であると思っているのでありまして、今日はお土産話に、その理由を一言申し上げてみたい。
 いずれも料理道の専門家であり、大家でおられるみなさまを前にして、料理の話をいたしますのは、いささか失礼になりますが、しばらくは、ご宥免ゆうめんを願いたいと思います。
 仮りに私が申してみますれば、料理も刺身なら刺身で、庖丁の冴えとか、取り合わせのツマの色、あるいは形、そういうものを大切に注意しますが、それはどういうことかと言えば、そうすることによって料理に美しい感じを与え、全体としてみれば、料理がそれによって美味うまくなるからにほかなりません。
 こういうふうに、料理において尊ぶ美感というものは、絵とか、建築とか、天然の美というものと全く同じでありまして、美術の美というも、料理上の美というも、その元はひとつで、同じ内容のものであります。
 そこで、料理そのものを美化すると同時に、みなさまが毎日注意しておられる、料理を盛る器も、あれこれといろいろに苦心が払われているのです。料理を問題とする人は、勢い食器をも同等に問題とする。これが当然の成り行きであります。
 と言うのは、私の見るところでは、今日ひとつとして見るべき食器が生まれていない。それと言うのも、料理業者及び料理人の食器に対する関心が不足しているからで、よい食器が生まれて来ないのであります。料理業者とか料理人こそは料理をやる人であり、従って食器を預かる人ですから、こういう人が食器に対する関心を高めるなら、いやでもよい食器が生まれてくるでしょう。「俺の料理はこういう食器に盛りたい、こんな食器ではせっかくの俺の料理が死んでしまう」と、昔の茶料理のようになってこそ、初めて、よい食器が注意され、おのずとよい食器が生まれて来る。食器をつくる人が、それに応じて高い美意識から立派な食器をつくらねばならぬようになる。
 こういう次第で、よい食器の出現を計らおうと思えば、料理業者や料理人が製陶業者を率いるのでなければならない。結局、食器を使う業者の無関心ということが、今日、料理上食器の不振を来たし、よい食器皆無の因をなしているのであります。
 一方、たまたまある食器名器というものは、いずれも故人のつくったもので、今日では、そういうものは一個の美術品として、骨董品になってしまっている。そこで料理を根本的に進め、本格的なお膳立てをしようと思えば、どうしても、それらの骨董品でも使用するか、然らずんば、みずから雅陶をつくるよりほかはないというのが現状であります。
 敢えて、私が製陶にたずさわった動機であります。さて、いよいよ自分から陶器を手がけるとなると、いくらなんでも出鱈目ではよい食器はできない。まず直ぐ気のつくことは、故人の名作について学ばねばならぬ。たとえそれがキズものであっても、名の通ったものには実に学ぶべきものが多い。それがため、私は勢いそうした故人の作品をできるだけ手許に置いて、みずから製陶の手本とし、参考としなければならなかったのであります。朝鮮、中国に渡って、往古の陶磁研究を試みたのも、みなそのためであります。それがつもりつもって、ついにこのような参考館までつくったようなわけでありまして、そういう意味で私の蒐集は、一般の蒐集と異なり、いずれも直接製陶のための参考であり、直接料理のためのものであります。
 さて、これは陶器にかぎらず、絵でも字でも、また料理でも同じことでありますが、例えば庖丁をもってさかなを切る、すると、その切った線ひとつで、料理が生きもし、死にもする。気の利いた人がやると、気の利いた線が庖丁の跡に現われ、俗物がやると俗悪な線が残る。これは単に、刺身庖丁が切れるとか切れないとかいうことでもなければ、腕がよいとか悪いとかいうのでもありません。それは、その「人」の問題であります。要するに上品な人がやれば、上品な線になり、上品な姿を現わします。
 書などでは、これがことにはっきり判るものでありますが、料理でも同様であります。私などそれで非常に苦しみます。自分が本格に修養していないと、いくら職人的に熟達したところで、本格のものはできないからであります。
 これを要するに、書でも絵でも陶器でも料理でも、結局そこに出現するものは、作者の姿であり、善かれ悪しかれ、自分というものが出るのであります。一度このことに思い至ると、例えばどんなことでも、他人任せということはできなくなります。全くほんとうのことが判って来ると、恐ろしくて与太はできないのであります。
 そこで、私はこの窯場では、少なくとも自分の名のつく作は、なにからなにまで自分でやっているのであります。ご覧の通りあの大窯で一度焼くには、なかなか多くの仕事をしなければなりません。先刻ご覧の陶磁はすべて私のつくったものであります。世間では、私は非常に怠け者のように言われていますが、こういうふうに仕事をしておりますから、決して怠け者ではございません。
 余談はさて置き、これも結局は料理道に目覚め、ものを美味く食うためにほかなりません。
 単に食うというだけであったら、太古のように木の葉の上に載せてもよいのでありますが、それをより以上に持って行くためには、容器を選ぶ必要が起こります。食器と料理は、どこまで行っても、離れることのできない密接な関係にあります。この両者は夫婦のような関係にあると言えましょう。事実、古来幾多の範が示されて、今にその例が残っています。
 一生連れ添う女房が、どこの馬の骨でも牛の尻っぽでもよい、なんでも有るもので間に合わすというのでは、向上がなく、百年不作をまぬがれないでしょう。
 そこで、料理をやる人は、食器を勉強しなければいけない。この点を、私は特に強調したいのであります。そうしてこそ、初めて日本料理が本格になって来るのであります。
 現に、瓢亭にせよ、わらじやにせよ、八百善にせよ、後世まで名をなした料理屋は、みな祖先の所業がそうであります。だから、今もなお瓢亭のように、昔流儀でやると、なにか感じがいいのであります。
 これらの祖先が、いずれも分別をわきまえ、識見の高い人々であったがために、子孫まで、ちゃんと、その看板で飯を食うことができるのであります。
 仮りに子孫の腕や注意力がにぶって来たとしても、看板を削ることによって、飯が食って行けます。
 もっとも、祖先の看板ばかり削って食っていたのでは、たとえどんなに厚い看板でも、だんだん削り取られて薄くなってしまいますから、そう長く生きるわけには行きませんが、ともかく、後世まで名をなすような祖先を持った料理屋は長くその徳に与かります。
 ひと口に中国料理は世界一と言いますが、中国料理が進んでいたのはみん代であって、今日ではない。それはどうしてかと言うと、中国の食器は、明代の食器が一番、美的に優れているからです。食器が優れていたと言うのは、とりも直さず、料理が進んでいた証拠でありましょう。しかるに、しん代になると、だんだん退化して味が悪くなっている。従って、料理も退化してしまったのであります。
 こういうふうに、長い目でみると、食器の悪いのは料理の悪いことであり、食器のよい時代は料理の進んでいた証拠と見られます。だから、私たち料理をつくる者が、ほんとうによい料理をつくるには、どうしてもよい食器美術を必要とするわけで、業者は陶器作家を鞭撻し教育して、どんどん美しい食器をつくらせるようにしたいと思います。
 今日、一般の料理人の風潮をみますと、少しさかなでも作れるようになると、直ぐ一人前の料理人になったつもりで、もうほかのことをかえりみる暇もないように見受けられます。真剣に料理道を考えますわれわれは、これではならないと切に感ずる次第であります。また、これをなんとか向上させて行きたいというのが、私の宿願でもあります。
 以上、たいへん大ざっぱな話をいたしましたが、このことはなにも立派な、高級な料理屋などにかぎったことではなく、おでん屋ならおでん屋なりに、やはり、面白く有意義にやれるのであって、玄関ひとつ体裁造るにも、水ひとつ撒くにも、同じ精神でなければならないと思うのであります。
(昭和十年)

底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社
   1980(昭和55)年4月10日初版発行
   1995(平成7)年6月18日改版発行
   2008(平成20)年5月15日改版14刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年5月14日作成
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