だが最近の議会の事情は必ずしもそういう余裕を与えていないようだ。政府は社会政策上の予算などを考慮する余地のない程の、国防中心予算を編成して、議会に臨んでいる。議会は社会政策的予算の要求どころではない、いかにして国防費過大の予算案に対して太刀打ちすべきかという点に、腐心せざるを得ないような次第だ。この点から云うと、今度の議会は全く、対政府防衛の議会であって対政府嚮導の議会ではない。
国防費が如何に莫大になろうと、それ自身は、国家財政学上の議論は別として、直接国民にとっては少しもマイナスではない。問題は勿論、国防費の過大が国民生活の安定に決定的な影響を与える危険がありはしないかという処にあるのである。そしてこの影響は今回の大衆増税案となって、誰の目から見ても疑うべからざる姿を取って、現われて来たのだ。流石人のよい国民達も、初めて国防費の過大ということが国民にとって何を意味するかに気がついて来た。そこでこの問題を政党はどう取り扱おうとするか。
之までと雖も何かの増税あるごとに、夫が政党によって政府攻撃の材料に供されて来た。併し今回は咄しが少し異っている。一つにはこの増税は見紛う方なき大衆課税である。而も二つにはそれを必要とするに到った殆ど唯一の直接原因は国防費拡大の意志である。国防費の拡大そのものはとに角として、それを絶対的に要求しようとする意志自身に対して、国民は多分の危惧の念を懐いている処だ。それが更に国民大衆の直接の負担を要求する原因となっている。こうなると、増税案は国民大衆の直接の実感に触れる処のものだ。
で今議会に於て増税案の修正、反対、返上、其他の方針が政党によって採用されるとすれば、その背後には、言葉の上だけでなく、全く真実に、国民大衆の輿論というものが控えているということを注目しなければならぬ。政党相互の間には或いは歩調の一致を欠くような点もなくはあるまい。だが之をバックする人民の声は之に号令をかけて足並みを揃える機能を多少とも持っている。政党はこの議会に於て、久しぶりに初めて国民の輿論を背景に持つことが出来る。六十九議会に於ては国民はまだ迷っていたし消極的だった。何等か国防主義的な意志に進歩性を発見すると云って得意がるようなのもいた。併し今度の議会ではもはやそうしたデマゴーグは口をきくことが出来ない。
尤も何と云っても政党は弱体だから、増税案乃至予算案に対する批判の徹底を期待することは、出来ないようだ。だがそれにも拘らず増税案と予算案とに就いて、それの持つ国民大衆にとっての露骨な意義は、之を充分世間的に又公的に暴露することが出来る筈だ。議会が文武官僚乃至半官僚的内閣の提起するものに就いて、如何に大胆率直に批判を下し得るかを、支配者と民衆とに知らせることは何よりも議会政治の恢復にとってモーラルサッポートを獲得する所以なのである。政党はそうした啓蒙的な役割を今議会に於て充分自覚すべきだろう。
少くとも日本ファッショ化反対の動きにとっての啓蒙的な効果やモラル上の効果から云えば、第七十議会はフル・コンディションにあるのである。既に民衆の大半は××××デマゴギーの呪縛から解き放たれようとしている。之には所謂外交の失敗ということが何より効き目があったのである。満州事変以来、日本の外交は何と云っても成功の二字につきている。少くとも成功であったと民衆は感得して来ているのである。そこから、そこへ横たわる勢力の主体に対する多分の信頼というものも生じて来ていたのだ。処がその何より大切なよい処であった外交成功が、行きづまって了った。国民大衆はもはや失敗した外交の主体などの説ききかすことに耳を傾けなくなるのが自然だろう。
かくて云うまでもなく、政党の対政府対××攻勢は、税制改革案乃至予算案と同時に外交失敗の問題へ集中される。而もここでは予算や税制とは異って物質と数字とから自由なのだから、それだけイデオロギッシュに話しを推して行くことが出来る。例の啓蒙的道徳的な効果をねらう点では、打ってつけの個処である。勿論ここから倒閣運動へ展開するなどとは考えられない。効果はそういう現実的なものであるより、多分にマヌーバー的なものにあるだろう。国民大衆にとっては現内閣が倒れた処ですぐ様喜ぶ理由にはならないのである。それよりも国民が支持したいのは政党が政府××に向って挙げる気勢である。この防衛議会に於ける反撃の気勢である。
七十議会は防衛議会である。まだ攻勢議会となるには足りない。政党や議会政治が現実的な地歩の占拠を実行し得る議会ではない。だがそれだけに吾々は、議会に於ける政党の自由本然の仮借なき言論を要求することが出来るわけだ。政党は政党幹部的マンネリズムを脱却しなければならぬ。又この七十議会でこそそれが出来るのである。七十議会は云わば思想議会である。この点について社会大衆党など大いに模範を示すべきではないかと思う。その言論はこの際数を無視しても通用し得るということを忘れてはならぬ。
底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「中央公論」
1937(昭和12)年2月号
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年7月13日作成
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