数カ月前までは、国防予算乃至軍事予算の膨大と国民生活の安定とは、事実上に於て相剋する関係にあるということが、国民の常識となっていた。而もこの間の相剋・背反・関係に最初の認識を与えたものは、かつての〔軍部〕であると云ってもよい。そしてそこに狭義国防に対する広義国防という特別な観念が発生した。実を云うと、広義国防というのは、初めは単に狭義国防の全国民生活への拡大という程の心算に過ぎなかったようだ。その意味では、単に狭義の軍事ばかりでなく、国民生活の一切が軍事的な意義を持つことになるのだから、社会の一切の問題は軍の政策を以てその指導原則としなければいけない、という結論へ持って行く心算であったらしい。併し広義国防が国民生活全般の課題を含む責任を有たねばならぬということになれば、当然、狭義の国防と国民生活との相剋関係と考えられている例の根本問題が、却って広義国防自身の中心問題へ移って来るのであって、もしここに例の相剋・背反・があるとすれば、それは広義国防というもの自身の内部的な相剋・背反・を意味せざるを得なくなる。だから又、もしこの相剋・背反・があるとすれば、狭義国防と広義国防とが、他ならぬこの相剋・背反・の関係に置かれざるを得ない、ということになるわけなのである。かくて広義国防というものは決して、狭義国防の単なる拡大延長には止まり得なかった筈だ。
 国防観念に関する有名な陸軍新聞班のパンフレットは、処で正に、狭義国防を無条件に広義国防にまで押し拡め得ると考えられた段階のものであった。だがその後の軍部の見解は、この広義国防の立場を去って、却って狭義国防を中心にエネルギーを集中するようになった。広義国防提唱時代のモットーであった、農山漁村の更生救済などの代りに、国民は……………………………………我慢すべきであるというような倫理に到着したのが、この時期からである。而も、軍部の見解のこの転向は、予算額の総額を少しでも縮小したいという国民の要望に対応する回答として生じたものだった。と云うのは、予算の広義国防的な部分は結局削られざるを得なかったのだが、その部分が恰も、社会政策的な意義を有つ国民生活安定費に該当したわけだからである。
 最近の近衛内閣財政の類は、云わば狭義国防と広義国防との中間に位置してるとも見られるだろう。勿論、之が決して最初の意味での広義国防の建前に立つものでないことは云うまでもない。その意味で之は狭義国防のものと云うべきだ。ただこの両義の国防観念の対立相剋は、現内閣によって封じられて了っているので、国内対立の相剋緩和こそが今日のモラールであるというわけだから、この対立問題も消えてなくなって了ったように見えるのだ。今日、国防なるものの意義の検討などは意味ないものとされているようだ。丁度、分析などは必要としない何でも提案さえすればいい、と云いたがる、例の一派の新日本的文士と同じ態度なのである。
 膨大な軍事予算と国民生活安定予算との矛盾をば、狭義国防と広義国防との対立として衝いたのは、社会大衆党などであった。それから、それ程ハッキリと明晰な観念を有たないにしても、多少本能的にこの本質的な関係を衝いたものが、既成政党や所謂自由主義者であった。処が日本に於ける所謂自由主義なるものは、事実上民衆の平均常識なのであるから、つまりこの矛盾への注目は、国民の時代常識であったわけだ。之が現下の日本国民の常識であるという歴然たる事実を認めまいとするものは、まず何等かの意味でのファシストであると断じて誤らない。所謂自由主義――その意義は実際は曖昧なもので説明を要するのだが――の是非は今問題ではない、それに連関して日本に於けるデモクラシーの未熟・未成長・も論外とする。にも拘らず自由主義乃至デモクラシーが今日の日本国民の政治常識であるという事実を、曲げることは出来ぬ。選挙演説などの有様を見ると、この事実は疑う余地なく実証される。
 さてこの常識、之は現下の反自由主義的時局にも拘らず、日本国民の基本的な政治常識につながっているものであり、それがどういう擬装・覆面・した形で表現されるにしても、底意として到底一朝一夕に取り除くことの出来ない常識にすらなっていたものだ。処が、その常識が改めて昨今急に、そのままは通用され得ないという新しい国民的儀礼に、取って代わられて来たのである。
 この民衆常識乃至国民常識と政治的支配情況との間の開きは、とりも直さず近衛内閣が「国内対立相剋」と呼んだ処のもので、可なりに執拗なものだった。近衛内閣による「国内対立相剋の緩和」という一片の宣言を以てしては、之を如何ともすることの出来る筈はなかったのである。尤もこの内閣は出現当時から、無意味な超民衆的反感を招かぬことに細心の注意を払うだけの聡明さを持っていたから、感じが悪くはなく、従って可なり評判が良かったが、それだけで自力を以て国内対立相剋を緩和し得る筈はない。今日、近衛内閣が挙国一致に相当成功したとすれば、夫は云うまでもなく、全く北支事変の賜物と云わねばならぬ。
 そこで、あれ程執拗であった例の国民的政治常識は、今では、少なくとも社会の表面に於ては殆んど完全に、挙国一致というものへ席を譲って了った。この挙国一致なるものは、所謂自由主義者と自由主義反対者との相剋を止揚したものではなくて、前者を後者へ止揚して了うことなのだ。だから実は相剋の止揚ではなくて、相剋の単純な無視逐放なのであるが、それは後々見て行こう。――一体政治的常識というものは執拗なものである。之が形の上だけでも無視され逐放され得るためには、よほど莫大な何等かのエネルギーが必要である。而もこのエネルギーには単なる言論や思想のエネルギーでは事足りない。もっと物質的なエネルギーが必要なのである。北支事変がそのエネルギーを提供した。
 なぜ併し、北支事変が、こうも強力に政治常識の首のすげかえを実行するだけのエネルギーを有てるのか。これは判り切ったことのようで、よく省察して見なければならない点だ。戦争になれば挙国一致が当り前ではないか、と云って了えばそれまでだが、併し戦争に関係が生じるとなぜ何物を措いても挙国一致が当然と考えられるようになるかが、問題なのだ。日本の社会はしばらく前から準戦時体制に這入ったと喧伝されている。だが昨今は、もはや準戦時体制ではなくて寧ろ戦時体制に這入った、と云うべきだろう。或いは戦時動員体制に這入ったと云ってもよい。尤も北支事変は、軍当局が厳かに命名したように『「北支」「事変」』であって、決して全面的な日支戦争などではないのだし、国交断絶に照応する戦時動員はないわけであるから、之を以て真正の戦時体制とも真正の戦時動員体制とも云うことは出来ないかも知れないのだが、国民の覚悟とか民衆の義務とか社会のジェスチュアとかとしてなら、立派に戦時体制・動員体制・にあるのである。この準戦体制という譬喩的体制から、譬喩でない本当らしい戦時体制に這入ったという、社会の推進が、国民の政治常識をケシ飛ばして了うエネルギーを持っていたのだ。北支事変が挙国一致を招来したということは、そういうことなのだ。
 処が又、準戦時体制から戦時動員体制へ行くと、この執拗な国民的政治常識がなぜケシ飛ばされ得るのであろうか。読者はここで例えば戒厳令が布かれた場合を想像して見るとよい。これは政治的常軌が完全に停止されることを意味する。少なくとも完全な形に於ける戒厳令の場合はそうだ。政治的軌道は軍事的必要によって截断され再組織されるのである。ここでは政治的常識などというものは全く無意味であるか、又は全く無力だ。こうした戒厳状態は、何かというと、戦闘現地に於ける戦時体制のことに他ならない。でつまり、戦闘現地でない戦時体制が、単なる戦時体制・単なる戦時動員体制・であり、之に反して夫が戦闘現地の社会に於て行なわれれば、取りも直さず戒厳状態となる、に過ぎない。
 さてこう考えて来ると、北支事変・戦時体制・戦時動員体制・と云った、こと戦争に関するものである限り、政治の常軌と政治の常識とは手もなく封じられて了うことが、大いに可能である点を理解することが容易である。つまり、極端な場合の戒厳状態を規準にして考えれば、北支事変の発生によって政治的な挙国一致なる儀礼が卒然として社会的に発生し得るということのメカニズムは、初めて明らかになるわけである。戦争だから挙国一致さ、という考え方は、小学生の考え方であるが、挙国一致の政治的意義戒厳的意義の実際を考えて見ると、右のような分析が挿入されねばならなくなる。
 でこういうことになる。今回の事変は、云わば政治的には戒厳令的な作用を営んだのだ。近衛首相が事変勃発をキッカケとして、社会の各方面の代表者を召集し、之に挙国一致の宣誓をさせることが出来たのも、決して近衛首相の予ての常識ある態度の余徳ではない。戒厳令的政治停止の意義を、各方面の代表者がそこに直覚し得たからこそ、彼等は欣然として宣誓をやったのである。勿論今回の事変が、今回のような日本側の決意に照応して起きなかったならば、百万遍各方面代表者を召集して挙国一致を要請しても、単なる国内的な外交辞令以上に出ることは出来なかったに相違ない。だが戒厳令の政治的効用については、大分世間の認識が進んで来ていたことを、吾々は忘れてはならぬ。
 併しながら、挙国一致体制によって、例の軍事予算と国民生活安定との関係、狭義国防と広義国防との関係、あの政治的根本問題はどうなったか。簡単に云えば、そういう政治的な常識問題は、挙国一致によって、問題そのものとして解消して了ったのだ。社会自身の事態は少しも変らない、或いは一層困難になって来ているかも知れない、併し夫を問題にする角度が不用になったのだ。いや問題に出来なくはないが、問題にする角度が、例の国民的政治常識とは違った角度となって来たのである。
 その最もいい例は保健社会省の新設の類だろう。之は初め保健省という名で立案された。というのは壮丁としての国民の体位が低下したという動員的意味から動機づけられたものであった。体位という一見珍しい用語は、社会的な意味に於ける健康という常識用語とは勿論一つでない、国民の肉体的幸福が特に戦闘的生産力(?)として改釈されたものに他ならぬ。そこに物を見る角度の変化又は推進がある。そしてこの推進的な角度を更に社会政策全般にまでも推進させようとするものが、保健社会省という観念だ(実際は必ずしもこの観念に忠実にばかりは行かぬわけだが、今問題は観念である)。社会政策に於て医療の占める位置は勿論重大であるが、社会政策が医療を中心にすると云ったら滑稽だろう。社会政策を軍医的な角度から見ることは、社会常識的ではない。だが社会政策の角度の挙国一致的角度への推進の結果は、こうした常識の変更をも必要とするようにさえ見える。
 この例でも気がつくように、挙国一致なるものは、角度を常識外へ推進させた意味での「社会政策」の精神と、可なり一致するものなのだから、常識的角度から云えば、社会政策の代用物という風に見られることになるわけだ。尤も常識外推進的な角度自身からすれば、之は社会政策の代用品や何かではない、挙国一致は挙国一致として価値があるのであって、それが社会政策に類似するとすれば、つまりそれは挙国一致の一偶性の然らしめる処と云う他ない。元来挙国一致の他に、社会政策などというものを考えることが邪道なのだ。挙国一致以外に、国民生活の安定などという課題を仮定することが、間違いだということになる。だが之を社会民衆としての国民の政治常識的角度の方から見れば、この挙国一致なるものは、社会政策の代りとして、国民生活安定問題の替玉として、現われるのである。
 だが私が今云っているのは挙国一致なるもの一般についてではない、と云うのは挙国一致なるものの理想についてではない。昨今の実際に於ける所謂「挙国一致」についてなのである。挙国一致は国民生活の理想である、之を願わないものは国民ではない。だが真の挙国一致は、そう簡単に、一瞬間に、来るものではない。もしそういう簡単な挙国一致が事実上到来しているとすれば、それは恐らく形としてだけの挙国一致であり、単にエティケットとしての挙国一致の類でしかあるまい。恐らくそれは云わば著しく観念的な挙国一致ではないかと考えられる。もしそうだとすれば、之はまだ本当の挙国一致ではない。そうするとつまり、現実の国民生活安定の代償として、観念的な国民生活安定として、この挙国一致が与えられたということになるのである。
 七八百万円にのぼる国防献金、街頭至る処に所狭いまでに氾濫している千人針婦人、これは生きた事実である。決して空疎な流行でも何でもないだろう。国防献金の可なりの部分は…………………………………………………団体の統制による献金であるが、団体をしてそういう行動を取らせ、又団体のこの行動に団体員が喜んで付和するということは、決してただの模倣などではなくて、或る現実の力の現われだ。――世間には千人針を以て迷信であるとけなす「迷信打破」主義者も少なくない。千人針は迷信だから宜しく某々神社のお札に代えよ、という意見さえ見たことがある。千人針が迷信であってお札が迷信でないというのは少し妙だと思うが、実はどっちも単なる所謂「迷信」ではあるまい。仮に之を迷信だとしても、この迷信を信ぜざるを得ない心理には真実があるだろう。処が本当の迷信は、弾丸が当るとか当らぬとかいう物理にあるのではない、こういう「迷信」的な行動のもつ或る一定の社会的意義と役割とを、肯定しないかするかという社会判断にあるのだ。だから肯定的精神とかいう奴こそは往々本当の迷信であって(従って物理的には之は迷信ではないとされる)、大いに主張を迷信化せねばならぬなどと云い出す男まで出て来る。要するに千人針もただの迷信ではないのである。
 だがそれにも拘らず、この挙国一致的街頭風景や、恤兵部風景が、著しく観念的であることに変りはない。莫大な国防献金と云っても、膨大な軍事予算や事変追加費予算の嵩に較べれば、まるで桁が違うのである。之を物質的に計量比較する気ならばやや滑稽だろう。価値はその精神にあるとされる。……………………………………………………。弾丸に当らないための千人針というのは本当ではなくて、出征者の身内の者が出征者の肉体的無事を切望する観念の、或る芸術的表現にしか過ぎない。問題は千人針の布という物質にあるのではない。そればかりではなく、出征者と出征者の身内の者とが心配する最も大きな危険は、必ずしも肉体的な損失だけではない、社会生活に於ける損失なのである。千人針の心理は確かにこの社会的生活の不安の鎮静を縫い込むことだ。処がそれをそうとは自覚しないで、弾丸に当らないようにということだけで凡てを表現し得たと思っているから、女達の社会的政治的常識が、観念的に宙に浮いていると云われることにもなるのである。
 挙国一致というものの最も端的な表現であるこの銃後の熱誠は、こうして、如何なる意味に於ても、観念的な本質のものであることを卒直に認めなければなるまい。挙国一致というものは、今日抑々民衆の手頼りの綱でさえあるのだ。と云うのは国民は之によって生活安定の安心を得たいと願っているのだ。確かにこの所謂「挙国一致」は国民に生活安定感を与えることが一応出来る。兵隊さん大いにやって下さい、と云うことで以て、気が休まるように思うのである。処がそれにも拘らず、いやそれであるが故に、この国民生活安定感は、観念的な安定感だというのである。――現実の実際の国民生活安定の代わりに、国民は、生活の観念的な安定感を与えられる。夫が軽々に理解された「挙国一致」というものの現実であると見ねばならぬ。
 現に挙国一致は必ずしも国民生活の現実の安定とは平行していないのが、その証拠である。………………………………………………………………………………………………………社会生活上の不安は、挙国一致を以てしても必ずしも解消してはいない。出征兵士の家族に対する国家補償案は、社会大衆党などが懐いている観念であるが、今日の「挙国一致」の財政的帰結がそういう意義を元来持ったものであるかどうか、夫が抑々根本疑問だと云わねばならぬのだ。
 事件費一部捻出のための一億二百万円に上る臨時増税は、なるべく大衆課税を避けたと称されている。或いは心掛けはそうであったかも知れないが、事実はそうは行かない。第三種所得税さえすでに七分五厘の増徴である。奢侈品に数えられるらしい楽器やレコードの製造業者に課せられるという従価二割の特殊消費税も、文化的国民生活に対する大衆課税と断ずるに憚らぬのである。元々が奢侈とか奢侈品とかいう観念そのものが、大衆課税的な観念であることも、忘れられてはならぬだろう。この臨時増税は本年度末までの期限つきではあるが、蔵相が他で語っているように、時局の進展と共にどうなるか判ったものではない。而も以上は、之までのすでに挙国一致的な一般増税という、最近の過去の事実を論外としてのことだ。それはとに角として、この臨時増税が、国防献金増税とさえ呼ばれていることは、挙国一致を当面の問題としている吾々には、無限の興味があることだ。
 臨時増税の意図が、公債発行額を出来るだけ少なくすることによって物価騰貴の現象を表面化さないようにする点にあるのは、云うまでもないが、事変費の追加予算は第一号第二号第三号第四号という具合に続くわけだから、物価のより以上の騰貴は必至である。物価騰貴の経済学的説明は貨幣数量説とか何とか色々あるそうであるが、併し今日官民共に認めている学説らしく見えるものは、生産力の不充分をばその原因と見做している。その証拠には、生産力拡充とそれに必要な熟練工の養成さえが(高等小学校に於ける技術教育までが)、最後の課題となっているのを見ても判ろう。して見ると物価騰貴は根本的には生産力と公債発行高乃至予算実施高との関係に抽象され得るようにも思われるのだが、とに角、少なくとも小商人其の他がボルことに基くと考えることは出来ない。買い占めや売り惜しみなどは、そもそもこの根本原因の末梢的結果だろう。それにも拘らず、主としてこの商人達を相手とする商工大臣農林大臣の連署になる省令暴利取締令の範囲拡大の公布は、如何にも物価騰貴対策という国民生活安定策の一つでもあるかのように、提出されている。之を国民生活安定令として見る限りは、素より殆んど何等の現実的内容のないものであるのにだ。
 国民健康保険案は現内閣に期待された殆んど唯一の実のある社会政策・国民生活安定策であったが、国民の理解し難い理由によって、この七十一議会には遂に提出見合わせとなった。風説によると、この案は恐らく当分提出されないだろうとも云われる。吾々は所謂社会政策なるものが、必ずしも本当の国民生活安定政策であるとは即断しない。国民生活の極度の不安と抑圧との上にも、相当の社会政策を誇示することが必要であり可能でもあるということは、ヨーロッパのファシスト国家などで見ることが出来る。だがそれだけに又、吾々の挙国一致なるものが、ともかくこうした社会政策と名のつくものを実行出来ないものと決める理由はなくなるわけである。処がそれさえが、今日の所謂「挙国一致」では、根本的に企画としてさえ困難であるように見える。
 北支事変が、国内に於て、とにも角にも一応現実の力となった挙国一致という体制を造り出したと同時に、支那在留の邦人(冀東・冀察・南支一帯)の国民生活の安定を著しく動揺せしめたことは、歴史に記録すべき現象だが、これも亦、挙国一致と国民生活安定との関係を見るのに、相当な参考になる資料だろう。
 で要するに、今日の所謂「挙国一致」は、国民生活の現実に於ける安定とは必ずしも平行していないというのが事実であり、又必ずしもそうした方向に向いているとも云えないということが想像出来る事実である。今日の現実の「挙国一致」の体制は、国民生活の単なる観念的安定にすぎない。もっと正確に云うと、国民生活安定ということの単なる観念的仮説が、かりそめに現実的な力となって現われたものに過ぎない。夫が現実の国民生活安定の代用品として勧められている所以が之であり、又之が国民生活安定という設題自身の廃棄になると私かに考えられている所以でもある。――処で、現実をこのように観念に換えるということは、或る絶大な信用の存在を意味する。金準備への信用のようなものがそこには必要なのである。そして挙国一致という信用が通用する銀行の地下室にあるものは何か。それが例の云わば戒厳令的な体制の金属的偉力であったのだ。――そこでは政治の金属的常道が交通遮断されるということを忘れてはならぬのである。
(一九三七・八)

底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房
   1967(昭和42)年2月15日第1刷発行
   1968(昭和43)年12月10日第3刷発行
底本の親本:「改造」改造社
   1937(昭和12)年9月号
初出:「改造」改造社
   1937(昭和12)年9月号
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年8月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。