麦藁帽子

 私は十五だつた。そしてお前は十三だつた。
 私はお前の兄たちと、苜蓿うまごやしの白い花の密生した原つぱで、ベエスボオルの練習をしてゐた。お前は、その小さな弟と一しよに、遠くの方で、私たちの練習を見てゐた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。飛球があがる。私は一生懸命に走る。球がグローブに觸る。足が滑る。私の體がもんどり打つて、原つぱから、田圃の中へ墜落する。私はどぶ鼠になる。
 私は近所の農家の井戸端に連れられて行く。私はそこで素つ裸かになる。お前の名が呼ばれる。お前は兩手で大事さうに花環をささげながら、駈けつけてくる。素つ裸かになることは、何んと物の見方を一變させるのだ! いままで小娘だとばかり思つてゐたお前が、突然、一人前の娘となつて私の眼の前にあらはれる。素つ裸かの私は、急にまごまごして、やつと私のグローブで私のセツクスをかくしてゐる。
 其處に、羞かしさうな私とお前を、二人だけ殘して、みんなはまたボオルの練習をしに行つてしまふ。そして、私のためにお前が泥だらけになつたズボンを洗濯してくれてゐる間、私はてれかくしに、わざと道化けて、お前のために持つてやつてゐる花環を、私の帽子の代りに、かぶつて見せたりする。そして、まるで古代の彫刻のやうに、そこに不動の姿勢で、私は突つ立つてゐる。顏を眞つ赤にして。……

 夏休みが來た。
 寄宿舍から、その春、入寮したばかりの若い生徒たちは、一群れの熊蜂のやうに、うなりながら、巣離れていつた。めいめいの野薔薇を目ざして。……
 しかし、私はどうしよう! 私には私の田舍がない。私の生れた家は都會のまん中にあつたから。おまけに私は一人息子で、弱蟲だつた。それで、まだ兩親の許をはなれて、ひとりで旅行をするなんていふ藝當も出來ない。だが、今度は、いままでとは事情がすこし違つて、ひとつ上の學校に入つたので、この夏休みには、こんな休暇の宿題があつたのだ。田舍へ行つて一人の少女を見つけてくること。
 その田舍へひとりでは行くことが出來ずに、私は都會のまん中で、一つの奇蹟の起るのを待つてゐた。それは無駄ではなかつた。C縣の或る海岸にひと夏を送りに行つてゐた、お前の兄のところから、思ひがけない招待の手紙が屆いたのだつた。
 おお、私のなつかしい幼友達よ! 私は私の思ひ出の中を手探りする。眞つ白な運動服を着た、二人とも私よりすこし年上の、お前の兄たちの姿が、先づうかぶ。毎日のやうに、私は彼等とベエスボオルの練習をした。或る日、私は田圃に落ちた。花環を手にしてゐたお前の傍で、私は裸かにさせられた。私は眞つ赤になつた。……やがて彼等は、二人とも地方の高等學校へ行つてしまつた。もうかれこれ三四年になる。あれからはあんまり彼等とも遊ぶ機會がなくなつた。その間、私はお前とだけは、屡々、町の中ですれちがつた。何にも口をきかないで、ただ顏を赧らめながら、お辭儀をしあつた。お前は女學校の制服をつけてゐた。すれちがひざま、お前の小さな靴の鳴るのを私は聞いた。……
 私はその海岸行を兩親にせがんだ。そしてやつと一週間の逗留を許された。私は海水着やグローブで一ぱいになつたバスケツトを重さうにぶらさげて、心臟をどきどきさせながら、出發した。

 それはT……といふ名のごく小さな村だつた。お前たちは或る農家の、ささやかな、いろいろな草花でへりをとられた離れを借りて、暮らしてゐた。私が到着したとき、お前たちは海岸に行つてゐた。あとにはお前の母と私のあまりよく知らないお前の姉とが、二人きりで、留守番をしてゐた。
 私は海岸へ行く道順を教はると、すぐ裸足になつて、松林の中の、その小徑を飛んで行つた。燒けた砂が、まるでパンの焦げるやうな好い匂ひがした。
 海岸には、光線がぎつしりと充填つまつて、まぶしくつて、何にも見えない位だつた。そしてその光線の中へは、一種の妖精にでもならなければ、這入れないやうに見えた。私は盲のやうに、手さぐりしながら、その中へおづおづと、足を踏み入れていつた。
 小さな子供たちがせつせと砂の中に生埋めにしてゐる、一人の半裸體の少女が、ぼんやり私の目にはひる。お前かしらと思つて、私は近づきかける。……すると大きな海水帽のかげから、私の見知らない、黒い、小さな顏が、ちらりとこちらを覗く。そしてまた知らん顏をして、元のやうに、すつぽりとその小さな顏を海水帽の中に埋める。……それが私の足を動けなくさせる。
 私は流砂に足をとられながら、海の方へ出たらめに叫ぶ。「ハロオ!」……と、まぶしくて私にはちつとも見えない、その海の中から、それに應へて、「ハロオ! ハロオ!」
 私はいそいで着物をぬぐ。そして海水着だけになつて、盲のやうに、その聲のする方へ、飛び込まうと身構へる。
 その瞬間、私のすぐ足許からも、「ハロオ!……」――私は振りむく。さつきの少女が、砂の中から半身を出して、につこりと笑つてゐるのが、今度は、私にもよく見える。
「なあんだ、君だつたの?」
「おわかりになりませんでしたこと?」
 海水着がどうも怪しい。私がそれ一枚きりになるや否や、私は妖精の仲間入りをする。私は身輕になつて、いままでちつとも見えなかつたものがたちまち見え出す。……

 都會ではむづかしいものに見える愛の方法も、至極簡單なものでいいことを會得させる田舍暮らしよ! 一人の少女の氣に入るためには、かの女の家族の樣式スタイルを呑み込んでしまふが好い。そしてそれは、お前の家族と一しよに暮らしてゐるおかげで、私には容易だつた。お前の一番氣に入つてゐる若者は、お前の兄たちであることを、私は簡單に會得する。彼等はスポオツが大好きだつた。だから、私も出來るだけ、スポオテイヴにならうとした。それから彼等は、お前に親密で、同時に意地惡だつた。私も彼等に見習つて、お前をば、あらゆる遊戲からボイコツトした。
 お前がお前の小さな弟と、波打ちぎはで遊び戲れてゐる間、私はお前の氣に入りたいために、お前の兄たちとばかり、沖の方で泳いでゐた。

 沖の方で泳いでゐると、水があんまり綺麗なので、私たちの泳いでゐる影が、魚のかげと一しよに、水底に映つた。そのおかげで、空にそれとよく似た雲がうかんでゐる時は、それもまた、私たちの空にうつる影ではないかとさへ思へてくる。……

 私たちの田舍ずまひは、一錢銅貨の表と裏とのやうに、いろんな家畜小屋と背中合はせだつた。ときどき家畜らが交尾をした。そのための悲鳴が私たちのところまで聞えてきた。裏木戸を出ると、そこに小さな牧場があつた。いつも牛の夫婦が草をたべてゐた。夕方になると、彼等は何處へともなく姿を消す。そのあとで、私たちはいつもキヤツチボオルをした。するとお前は、或る時はお前の姉と、或る時はお前の小さな弟と、其處まで遊びに出てきた。いつだつたかのやうに、遠くで花を摘んだり、お前の習つたばかりの讚美歌を唱つたりしながら。ときどきお前がつかへると、お前の姉が小聲でそれを續けてやつた。――まだ八つにしかならない、お前の小さな弟は、始終お前のそばに附きつきりだつた。彼は私たちの仲間入りをするには、あんまり小さ過ぎた。そんな小さな弟に毎日一ぺんづつ接吻をしてやるのが、お前の日課の一つだつた。「今日はまだ一ぺんもしてあげなかつたのね……」さう云つて、お前はその小さな弟を引きよせて、私たちのゐる前で、平氣で彼と接吻をする。
 私はいつまでも投球のモオシヨンを續けながら、それを横目で見てゐる。
 その牧場のむかうは麥畑だつた。その麥畑と麥畑の間を、小さな川が流れてゐた。よくそこへ釣りをしに行つた。お前は私たちの後から、黐竿もちざをを肩にかついだ小さな弟と一しよに、魚籠をぶらさげて、ついてきた。私は蚯蚓がこはいので、お前の兄たちにそれを釣針につけて貰つた。しかし私はすぐそれを食はれてしまふ。すると、しまひには彼等はそれを面倒くさがつて、そばで見てゐるお前に、その役を押しつける。お前は私みたいに蚯蚓をこはがらないので。お前はそれを私の釣針につけてくれるために、私の方へ身をかがめる。お前はよそゆきの、赤いさくらんぼの飾りのついた、麥藁帽子をかぶつてゐる。そのしなやかな帽子のへりが、私の頬をそつと撫でる。私はお前に氣どられぬやうに深い呼吸をする。しかしお前はなんの匂ひもしない。ただ麥藁帽子の、かすかにげる匂ひがするきりで。……私は物足りなくて、なんだかお前にだまかされてゐるやうな氣さへする。

 まだあんまり開けてゐない、そのT村には、避暑客らしいものは、私たちの他には、一組もない位だつた。私たちはその小さな村の人氣者だつた。海岸などにゐると、いつも私たちの周りには人だかりがした程に。さうして村の善良な人々は、私のことを、お前の兄だと間違へてゐた。それが私をますます有頂天にさせた。
 そればかりでなしに、私の母みたいな、子供のうるさがるやうな愛し方をしないお前の母は、私をもその子供竝みにかなり無頓着に取り扱つた。それが私に、自分は彼女にも氣に入つてゐるのだと信じさせた。
 豫定の一週間はすでに過ぎてゐた。しかし私は都會へ歸らうとはしなかつた。

 ああ、私はお前の兄たちに見習つて、お前に意地惡ばかりしてさへ居れば、こんな失敗はしなかつたらうに! ふと私に魔がさした。私は一度でもいいから、お前と二人きりで、遊んで見たくてしやうがなくなつた。
「あなた、テニス出來て?」或る日、お前が私に云つた。
「ああ、すこし位なら……」
「ぢや、私と丁度いい位かしら? ……ちよつと、やつて見ない」
「だつてラケツトはなし、一體何處でするのさ」
「小學校へ行けば、みんな貸してくれるわ」
 それがお前と二人きりで遊ぶには、もつてこいの機會に見えたので、私はそれを逃がすまいとして、すぐ分るやうな嘘をついた。私はまだ一度もラケツトを手にしたことなんか無かつたのだ。しかし少女の相手ぐらゐなら、そんなものはすぐ出來さうに思へた。お前の兄たちがいつも、テニスなんか! と輕蔑してゐたから。しかし彼等も、私たちに誘はれると、一しよに小學校へ行つた。そこへ行くと、砲丸投げが出來るので。
 小學校の庭には、夾竹桃が花ざかりだつた。彼等は、すぐその木蔭で、砲丸投げをやり出した。私とお前とは、其處からすこし離して、白墨で線を描いて、ネツトを張つて、それからラケツトを握つて、眞面目くさつて向ひ合つた。が、やつてみると、思つたよりか、お前の打つ球が強いので、私の受けかへす球は、大概ネツトにひつかかつてしまつた。五六度やると、お前は怒つたやうな顏をして、ラケツトを投げ出した。
「もう止しませう」
「どうしてさ?」私はすこしおどおどしてゐた。
「だつて、ちつとも本氣でなさらないんですもの……つまらないわ」
 さうして見ると、私の嘘は看破られたのではなかつた。が、お前のさういふ誤解が、私を苦しめたのは、それ以上だつた。むしろ、そんな薄情な奴になるより、嘘つきになつた方がましだ。
 私は頬をふくらませて、何も云はずに、汗を拭いてゐた。どうも、さつきから、あの夾竹桃の薄紅い花が目ざはりでいけない。

 この二三日、お前は、鼠色の、だぶだぶな海水着をきてゐる。お前はそれを着るのをいやがつてゐた。いままでのお前の海水着には、どうしたのか、胸のところに大きな心臟型の孔があいてしまつたのだ。そこでお前は間に合はせに、あんまり海へはひらない、お前の姉の奴を、借りて着てゐるのだ。この村では、新しい海水着などは手に入らなかつた。一里ばかり向うの、驛のある町まで買ひに行かなければ。――そこで或る日、私はテニスの失敗をつぐなふ積りで、自分から、その使者を申し出た。
「何處かで自轉車を貸してくれるかしら?」
「理髮店のならば……」
 私は大きな海水帽をかぶつて、炎天の下を、その理髮店の古ぼけた自轉車に跨つて、出發した。
 その町で、私は數軒の洋品店を搜し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。少女用の海水着の買物がなんと私の心を奪つたことか! 私はお前に似合ひさうな海水着を、とつくに見つけてしまつてからも、私はまだ私自身を滿足させるために、いつまでも、それを選んでゐるやうに見せかけた。それから私は郵便局で、私の母へ宛てて電報を打つた。
「ボンボンオクレ」
 さうして私は汗だくになつて、決勝點に近づくときの選手の眞似をして、死にものぐるひの恰好で、ペダルを踏みながら、村に歸つてきた。

 それから二三日が過ぎた。或る日のこと、海岸で、私たちは寢そべりながら、順番に、お互を砂の中に埋めつこしてゐた。私の番だつた。私は全身を生埋めにされて、やつと、私の顏だけを、砂の中から出してゐた。お前がその細部デテエルを仕上げてゐた。私はお前のするがままになりながら、さつきから、向うの大きな松の木の下に、私たちの方を見ては、笑ひながら話し合つてゐる二人の婦人のゐるのを、ぼんやり認めてゐた。そのうちの海水帽をかぶつた方は、お前の母らしかつた。もう一人の方は、この村では、つい見かけたことのない婦人に見えた。黒いパラソルをさしてゐた。
「あら、たつちやんのお母樣だわ」お前は、海水着の砂を拂ひながら、起き上つた。
「ふん……」私は氣のなささうな返事をした。さうして皆が起き上つたのに、私一人だけ、いつまでも砂の中に埋まつてゐた。私は心臟をどきどきさせてゐた。私の隱し立てが、今にもばれさうなので。さうしてそれが、砂の中から浮んでゐる私の顏を、とても變梃にさせてゐさうだつた。私はいつそのこと、そんな顏も砂の中に埋めてしまひたかつた! 何故なら、私は田舍から、私の母へ宛てて、わざと悲しさうな手紙ばかり送つてゐた。その方が彼女には氣に入るだらうと思つて……。彼女から遠くに離れてゐるばかりに、私がそんなにも悲しさうにしてゐるのを見て、私の母は感動して、私を連れ戻しに來たのかしら? ……それだのに、私は、彼女に隱し立てをしてゐた一人の少女のために、今、こんなにも幸福の中に生埋めにされてゐる!
 おつと、待てよ。今のさつきの樣子では、お前は私の母をなんだか知つてゐたやうだぞ! そんな筈ぢやなかつたのに? ……と、私は砂の中からこつそりとみんなの樣子をうかがつてゐる。どうやら、私の母とお前たちの家族とは、ずつと前からの知合らしい。私にはどうしてもそれが分らない。これでは、欺かうとしてゐた私の方が、反對に、私の母に裏を掻かれてゐたやうなものだ。突然、私は砂を拂ひのけながら、起き上る。今度はこつちで、あべこべに、母の隱し立てを見つけてやるからいい! ……そこで、私はお前にそつと搜りを入れてみる。皆のしんがりになつて、家の方へ引きあげて行きながら。……「どうして僕のお母さんを知つてゐたの?」「だつてあなたのお母樣は運動會のとき何時もいらつしつてたぢやないの? さうして私のお母樣といつも竝んで見ていらしつたわ」私はそんなことはまるつきり知らなかつた。何故なら、そんな小學生の時分から、私はみんなの前では、私の母から話しかけられるのさへ、ひどく羞かしがつてゐたから。さうして私は私の母から隱れるやうにばかりしてゐたから。……
 ――そして今もさうだつた。井戸端で、みんなが身體を洗つてしまつてからも、私は何時までも、そこに愚圖愚圖してゐた。ただ、私の母から隱れてゐたいばかりに。……井戸端にしやがんでゐると、私の背くらゐ伸びたダリアのおかげで、離れの方からは、こつちがちつとも見えなかつた。それでゐて、向うの話し聲は手にとるやうに聞えてくる。私のボンボンの電報のことが話された。みんなが、お前までがどつと笑つた。私はてれ臭さうに、耳にはさんでゐた卷煙草をふかし出した。私は何度もその煙に噎せた。そして、それが私の羞恥を誤魔化した。
 誰かが、私の方に近づいてくる足音がした。それはお前だつた。
「何してんの? ……もうお母樣がお歸りなさるから、早くいらつしやいつて!」
「こいつを一服したら……」
「まあ!」お前は私と目と目を合はせて、ちらりと笑つた。その瞬間、私たちにはなんだか離れの方が急にひつそりしたやうな氣がした。
 せつかくボンボンやら何やらを持つて來てやつたのに、自分にはろくすつぽ口もきいてくれない息子の方を、その母は俥の上から、何度もふりかへりながら、歸つて行つた。それがやつぱり彼女の本當の息子だつたのかどうかを確かめでもするやうに。さういふ母の姿がすつかり見えなくなつてしまふと、息子の方ではやつと、しかし自分自身にも聞かれたくないやうに、口のうちで、「お母さん、ごめんなさいね」とひとりごちた。

 海は日毎に荒模樣になつて行つた。毎朝、渚に打ち上げられる漂流物の量が、急に増え出した。私たちは海へはひると、すぐ水母くらげに刺された。私たちはそんな日は、海で泳がずに、渚に散らばつてゐる、さまざまな綺麗な貝殼を、遠くまで採集しに行つた。その貝殼がもうだいぶ溜つた。
 出發の數日前のこと、私がキヤツチボオルで汚した手を井戸端へ洗ひに行かうとすると、そこでお前がお前の母に叱られてゐた。私はそれが私の事に關してゐるやうな氣がした。それを立ち聞きするにはすこし勇氣を要した。氣の小さな私はすつかりしよげて、其處から引き返した。――私はあとでもつて、一人でこつそりと、その井戸端に行つて見た。そしてそこの隅つこに、私の海水着が丸められたまま、打ち棄てられてあるのを見た。私ははつと思つた。いつもなら私の海水着をそこへ置いておくと、兄たちのと一緒に、お前がゆすいで乾して置いてくれるのだ。そのことでお前はさつきお前の母に叱られてゐたものと見える。私はその海水着を、音の立たないやうに、そつと水をしぼつて、いつものやうに竿にかけておいた。
 翌朝、私はその砂でざらざらする海水着をつけて、何食はぬ顏をしてゐた。氣のせゐか、お前はすこしふさいでゐるやうに見えた。

 とうとう休暇が終つた。
 私はお前の家族たちと一しよに歸つた。汽車の中には、避暑地がへりの眞つ黒な顏をした女たちが、何人も乘つてゐた。お前はその少女たちの一人一人と色の黒さを比較した。さうしてお前が誰よりも一番色が黒いので、お前は得意さうだつた。私は少しがつかりした。だが、お前がちよつと斜めに冠つてゐる、赤いさくらんぼの飾りのついたお前の麥藁帽子は、お前のそんな黒いあどけない顏に、大層よく似合つてゐた。だから、私はそのことをそんなに悲しみはしなかつた。もしも汽車の中の私がいかにも悲しさうな樣子に見えたと云ふなら、それは私が自分の宿題の最後の方がすこし不出來なことを考へてゐるせゐだつたのだ。私はふと、この次ぎの驛に着いたら、サンドウイツチでも買はうかと、お前の母がお前の兄たちに相談してゐるのを聞いた。私はかなり神經質になつてゐた。そして自分だけがそれからのけ者にされはしないかと心配した。その次ぎの驛に着くと、私は眞先きにプラツトフオムに飛び下りて、一人でサンドウイツチを澤山買つて來た。そして私はそれをお前たちに分けてやつた。


 秋の學期が始まつた。お前の兄たちは地方の學校へ歸つて行つた。私は再び寄宿舍にはひつた。
 私は日曜日ごとに自分の家に歸つた。そして私の母に會つた。この頃から私と母との關係は、いくらかづつ悲劇的な性質を帶びだした。愛し合つてゐるものが始終均衡を得てゐようがためには、兩方が一緒になつて成長して行くことが必要だ。が、それは母と子のやうな場合には難しいのだ。
 寄宿舍では、私は母のことなどは殆んど考へなかつた。私は母がいつまでも前のままの母であることを信じて居られたから。しかし、その間、母の方では、私のことで始終不安になつてゐた。その一週間のうちに、急に私が成長して、全く彼女の見知らない青年になつてしまひはせぬかと氣づかつて。で、私が寄宿舍から歸つて行くと、彼女は私の中に、昔ながらの子供らしさを見つけるまでは、ちつとも落着かなかつた。そして彼女はそれを人工培養した。
 若し私がそんな子供らしさの似合はない年頃になつても、まだ、そんな子供らしさを持ち合はせてゐるために不幸な人間になるとしたら、お母さん、それは全くあなたのせゐです。……
 或る日曜日、私が寄宿舍から歸つてみると、母はいつものやうな丸髷に結つてゐないで、見なれない束髮に結つてゐた。私はそれを見ながら、すこし氣づかはしさうに母に云つた。
「お母さんには、そんな髮、ちつとも似合はないや……」
 それつきり、私の母はそんな髮の結ひ方をしなかつた。

 それだのに、私は寄宿舍では、毎日、大人になるための練習をした。私は母の云ふことも訊かないで、髮の毛を伸ばしはじめた。それでもつて私の子供らしさが隱せでもするかのやうに。さうして私は母のことを強ひて忘れやうとして、私の嫌ひな煙草のけむりでわざと自分を苦しめた。私の同室者たちのところへは、ときおり女文字の匿名の手紙が屆いた。皆が彼等のまはりへ環になつた。彼等は代る代るに、顏を赧らめて、嘘を半分まぜながら、その匿名の少女のことを話した。私も彼等の仲間入りがしたくて、毎日、やきもきしながら、ことによるとお前が匿名で私によこすかも知れない手紙、そんな來る宛のない手紙を待つてゐた。
 或る日、私が教室から歸つてくると、私の机の上に女もちの小さな封筒が置かれてあつた。私が心臟をどきどきさせながら、それを手にとつて見ると、それはお前の姉からの手紙だつた。私がこの間、それの返事を受取りたいばつかりに、女學校を卒業してからも英吉利語の勉強をしてゐたお前の姉に、洋書を二三册送つてやつたので、そのお禮だつた。しかし眞面目なお前の姉は、誰にもすぐ分るやうに、自分の名前を書いてよこした。それがみんなの好奇心をそそらなかつたものと見える。私はその手紙についてほんのあつさりと揶揄からかはれたきりだつた。
 それからも屡々、私はそんな手紙でもいいから受取りたいばつかりに、お前の姉にいろんな本を送つてやつた。するとお前の姉はきつと私に返事をくれた。ああ、その手紙に几帳面な署名がなかつたら、どんなによかつたらうに! ……
 匿名の手紙は、いつまでたつても、私のところへは來なかつた。

 そのうちに、夏が一周りしてやつてきた。
 私はお前たちに招待されたので、再びT村を訪れた。私は、去年からそつくりそのままの、綺麗な、小ぢんまりした村を、それからその村のどの隅々にも一ぱいに充滿してゐる、私たちの去年の夏遊びの思ひ出を、再び見いだした。しかし私自身はと云へば、去年とはいくらか變つて、ことにお前の家族たちの私に對する態度には、かなり神經質になつてゐた。
 それにしてもこの一年足らずのうちに、お前はまあ何んとすつかり變つてしまつたのだ! 顏だちも、見ちがへるほどメランコリツクになつてしまつてゐる。そして、もう去年のやうに親しげに私に口をきいてはくれないのだ。昔のお前をあんなにもあどけなく見せてゐた、赤いさくらんぼのついた麥藁帽子もかぶらずに、若い女のやうに、髮を葡萄の房のやうな恰好に編んでゐた。鼠色の海水着をきて海岸に出てくることはあつても、去年のやうに私たちに仲間はづれにされながらも、私たちにうるさくつきまとふやうなこともなく、小さな弟のほんの遊び相手をしてゐる位のものだつた。私はなんだかお前に裏切られたやうな氣がしてならなかつた。
 日曜日ごとに、お前はお前の姉と連れ立つて、村の小さな教會へ行くやうになつた。さう云へば、お前はどうもお前の姉に急に似て來だしたやうに見える。お前の姉は私と同い年だつた。いつも髮の毛を洗つたあとのやうな、いやな臭ひをさせてゐた。しかしいかにも氣立てのやさしい、つつましさうな樣子をしてゐた。そして一日中、英吉利語を勉強してゐた。
 さういふ姉の影響が、お前が年頃になるにつれて、突然、それまでの兄たちの影響と入れ代つたのであらうか? それにしてもお前が、何かにつけて、私を避けやうとするやうに見えるのは何故なのだ? それが私には分らない。ひよつとしたら、あの姉がひそかに私のことを思つてでもゐて、そしてそれをお前が知つてゐて、お前が自ら犧牲にならうとしてゐるのではないのかしら? そんなことまで考へて、私はふと、お前の姉と二三度やりとりした手紙のことを、顏を赧らめながら、思ひ出す。……
 お前たちが教會にゐると、よく村の若者どもが通りすがりに口ぎたなく罵つて行くといつては、お前たちが厭がつてゐた。
 或る日曜日、お前たちが讚美歌の練習をしてゐる間、私はお前の兄たちと、その教會の隅つこに隱れながら、バツトをめいめい手にして、その村の惡者どもを待ち伏せてゐた。彼等は何も知らずに、何時ものやうに、白い齒をむき出しながら、お前たちをからかひに來た。お前の兄たちがだしぬけに窓をあけて、恐ろしい權幕で、彼等を呶鳴りつけた。私もその眞似をした。……不意打ちをくらつた、彼等は、あわてふためきながら、一目散に逃げて行つた。
 私はまるで一人で彼等を追ひ返しでもしたかのやうに、得意だつた。私はお前からの襃美を欲しがるやうに、お前の方を振り向いた。すると、一人の血色の惡い、痩せこけた青年が、お前と竝んで、肩と肩とをくつつけるやうにして、立つてゐるのを私は認めた。彼はもの怖ぢたやうな目つきで、私たちの方を見てゐた。私はなんだか胸さわぎがしだした。
 私はその青年に紹介された。私はわざと冷淡を裝うて、ちよつと頭を下げたきりだつた。
 彼はその村の呉服屋の息子だつた。彼は病氣のために中學校を途中で止して、こんな田舍に引つ籠つて、講義録などをたよりに獨學してゐた。さうして彼よりずつと年下の私に、私の學校の樣子などを、何かと聞きたがつた。
 その青年がお前の兄たちより私に好意を寄せてゐるらしいことは、私はすぐ見てとつたが、私の方では、どうも彼があんまり好きになれなかつた。もし彼が私の競爭者として現はれたのでなかつたならば、私は彼には見向きもしなかつただらう。が、彼がお前の氣に入つてゐるらしいことに、誰よりも早く氣がついたのも、この私であつた。
 その青年の出現が、藥品のやうに私を若返らせた。この頃すこし悲しさうにばかりしてゐた私は、再び元のやうな快活さうな少年になつて、お前の兄たちと泳いだり、キヤツチボオルをし出した。實はさうすることが、自分の苦痛を忘れさせるためであるのを、自分でもよく理解しながら。今年九つになつたお前の小さな弟も、この頃は私達の仲間入りをし出した。そして彼までが私達に見習つて、お前をボイコツトした。それが一本の大きな松の木の下に、お前を置いてきぼりにさせた。その青年といつも二人つきりに!
 私は、その大きな松の木かげに、お前たちを、ポオルとヴイルジニイのやうに殘したまんま、或る日、ひとり先きに、その村を立ち去つた。
 私は出發の二三日前は、一人で特別にはしやぎ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。私が居なくなつたあとは、お前たちの田舍暮らしはどんなに寂しいものになるかを、出來るだけお前たちに知らせたいと云ふ愚かな考へから。……さうしてそのために私はへとへとに疲れて、こつそりと泣きながら、出發した。

 秋になつてから、その青年が突然、私に長い手紙をよこした。私はその手紙を讀みながら、膨れつ面をした。その手紙の終りの方には、お前が出發するとき、俥の上から、彼の方を見つめながら、今にも泣き出しさうな顏をしたことが、まるで田園小説のエピロオグのやうに書かれてあつたから。しかし、私はその小説の感傷的な主人公たちをこつそり羨しがつた。だが、何んだつて彼は私になんかお前への戀を打ち明けたんだらう? それともそれは私への挑戰状のつもりだつたのかしら? さうとすれば、その手紙は確かに效果的だつた。
 その手紙が私に最後の打撃を與へた。私は苦しがつた。が、その苦しみが私をたまらなく魅したほど、その時分はまだ私も子供だつた。私は好んでお前を諦めた。

 私はその時分から、空腹者のやうにがつがつと詩や小説を讀み出した。私はあらゆるスポオツから遠ざかつた。私は見ちがへるやうにメランコリツクな少年になつた。私の母が漸く、それを心配しだした。彼女は私の心の中をそれとなく搜る。そしてそこに一人の少女の影響を見つける。が、ああ、母の來るのは何時もあんまり遲すぎる!
 私は或る日、突然、私のはひることになつてゐる醫科を止めて、文科にはひりたいことを母に訴へた。母はそれを聞きながら、ただ、呆氣にとられてゐた。

 それがその秋の最後の日かと思はれるやうな、或る日のことだつた。私は或る友人と學校の裏の細い坂道を上つて行つた、その時、私は坂の上から、秋の日を浴びながら、二人づれの女學生が下りてくるのを認めた。私たちは空氣のやうにすれちがつた。その一人はどうもお前らしかつた。すれちがひざま、私はふとその少女の無造作に編んだ髮に目をやつた。それが秋の日にかすかに匂つた。私はそのかすかな日の匂ひに、いつかの麥藁帽子の匂ひを思ひ出した。私はひどく息をはずませた。
「どうしたんだい?」
「何、ちよつと知つてゐる人のやうな氣がしたものだから……しかし、矢張り、ちがつてゐた」


 次ぎの夏休みには、私は、そのすこし前から知合になつた、一人の有名な詩人に連れられて、或る高原へ行つた。
 その高原へ夏ごとに集まつてくる避暑客の大部分は、外國人か、上流社會の人達ばかりだつた。ホテルのテラスにはいつも外國人たちが英字新聞を讀んだり、チエスをしてゐた。落葉松の林の中を歩いてゐると、突然背後から馬の足音がしたりした。テニスコオトの附近は、毎日賑やかで、まるで戸外舞踏會が催されてゐるやうだつた。そのすぐ裏の教會からはピアノの音が絶えず聞えて。……
 毎年の夏をその高原で暮らすその詩人は、そこで多くの少女たちとも知合らしかつた。私はその詩人に通りすがりにお辭儀をしてゆく、幾たりかの少女のうちの一人が、いつか私の戀人になるであらうことを、ひそかに夢みた。そしてその夢を實現させるためには、私も早く有名な詩人になるより他はないと思つたりした。
 或る日のことだつた。私はいつものやうにその詩人と竝んで、その町の本通りメエン・ストリイトを散歩してゐた。そのとき向うから、或ひはラケツトを持つたり、或ひは自轉車を兩手で押しながら、半ダアスばかりの少女たちががやがや話しながら、私たちの方へやつてくるのに出會つた。それらの少女たちはちよつと立ち止まつて、私たちのために道を開けてくれながら、さうしてそのうちの幾たりかは私と一緒にゐる詩人にお辭儀をした。彼は何か彼女たちとしばらく立ち話をしてゐた。……私はその時はもう、われにもなく其處から數歩離れたところまで行つてゐた。さうしてそこに立ち止まつたまま、今にもその詩人が私の名を呼んで、その少女たちに紹介してくれやしないかといふ期待に胸をはずませながら、しかし何食はぬ顏をして、鷄肉屋の店先きに飼はれてゐる七面鳥を見つめてゐた。……
 しかし少女たちは私の方なんぞは振り向きもしないで、再びがやがやと話しながら、その詩人から離れて行つた。私も出來るだけその方から、そつぽを向いてゐた。
 それからまた、私はその詩人と竝んで歩き出しながら、いま會つたばかりの少女たちの名前を、それからそれへと熱心に、しかし、何氣なささうに、聞いてゐた。今まで私によそよそしかつた野生の花が、その名前を私が知つただけで、急に向うから私になついてくるやうに、その少女たちも、その名前を私が知りさへすれば、向うから進んで、私に近づいて來たがりでもするかのやうに。

 そんなことのうちに三週間ばかり滯在した後、私は一人だけ先きに、その高原を立ち去つた。
 私が家に歸ると、私の母ははじめて彼女の本當の息子が歸つて來たかのやうに幸福さうだつた。私がすつかり昔のやうな元氣のいい息子になつて居たから。しかし私の元氣がよかつたのは、その高原で私の會つてきた多くの少女たちを魅するために、そしてそのためにのみ、早く有名な詩人になりたいといふ、子供らしい野心に燃えてゐたからだつた。母はそんな私の野心なんかに氣づかずに、ただ私の中に蘇つた子供らしさの故に、夢中になつて私を愛した。

 その高原から歸ると間もなく、私はT村からお前の兄たちの打つた一通の電報を受取つた。それは一種の暗號電報だつた。――「ボンボンオクレ」

 私は今度はなんの希望も抱かずに、ただ氣弱さから、お前の兄たちの招待をことわり切れずに、T村を三たび訪れた。もうこれつきり恐らく一生見ることがないかも知れぬ、私の少年時の思ひ出に充ちた、その村の海や、小さな流れや、牧場や、麥畑や、古い教會を、ちよつと一目でもいいから、もう一度見て置きたいやうな氣もしたから。それに矢張り、何んといつても、その後のお前の樣子が知りたかつたから。
 私がいままではあんなにも美しく、まるで一つの大きな貝殼のやうに思ひなしてゐた、その海べの村が、いまは私の目に何んと見すぼらしく、狹苦しく見えることよ! 嘗てはあんなにもあどけなく思つてゐた私の昔の戀人の、いまは何んと私の目には、一箇の、よそよそしい、偏屈な娘としてのみ映ることよ! ……それから去年よりずつと顏色も惡くなり、痩せこけてゐる私の競爭者を見た時は、私はなんだか氣の毒な氣さへしだした。さうして私はますます彼を避けるやうにした。彼は時々悲しげな目つきで私の方を見つめた。……私はそのもの云ひたげな、しかし去年とはまるつきり異つた眼ざしの中に、彼の苦痛を見拔いたやうに思つた。しかし私自身はと云へば、もうこれらの日が私の少年時の最後の日であるかのやうに思ひなしてゐたせゐか、至極快活に、お前の兄弟たちと遊び戲れることが出來た。
 その呉服屋の息子は今年建てたばかりの小さな別莊に一人で暮らしてゐた。彼はその新しい別莊を、その夏お前たちの一家を迎へるために建てさせたらしかつた。しかし彼の病氣がそれを許さなかつた。お前たちは、去年の農家の離れに、女ばかりで暮らしてゐた。お前の兄たちと私だけが、その青年の家に泊りに行つた。

 或る早朝だつた。私は厠にはひつてゐた。その小さな窓からは、井戸端の光景がまる見えになつた。誰かが顏を洗ひにきた。私が何氣なくその窓から覗いてゐると、青年が惡い顏色をして齒を磨いてゐた。彼の口のまはりには血がすこし滲んでゐた。彼はそれに氣がつかないらしかつた。私もそれが齒莖から出たものとばかり思つてゐた。突然、彼がむせびながら、俯向きになつた。そしてその流し場に、一塊りの血を吐いてゐた。……

 その日の午後、誰にもそのことを知らせずに、私は突然T村を立ち去つた。


 地震! それは愛の秩序まで引つくり返すものと見える。
 私は寄宿舍から、帽子もかぶらずに、草履のまんま、私の家へ駈けつけた。私の家はもう燒けてゐた。私は私の兩親の行方を知りやうがなかつた。ことによると其處に立退いてゐるかも知れないと思つて、父方の親類のある郊外のY村を指して、避難者の群れにまじりながら、私はいつか裸足になつて、歩いて行つた。
 私はその避難者の群れの中に、はからずもお前たちの一家のものを見出した。私たちは昂奮して、痛いほど肩を叩きあつた。お前たちはすつかり歩き疲れてゐた。私はすぐ近くのY村まで行けば、一晩位はどうにかなるだらうと云つて、お前たちを無理に引つ張つて行つた。
 Y村では、野原のまん中に、大きな天幕が張られてゐた。焚火がたかれてゐた。さうして夜更けから、炊き出しがはじまつた。その時分になつても、私の兩親はそこへ姿を見せなかつた。しかし私は、そんな周圍の生き生きとした光景のおかげで、まるでお前たちとキヤンプ生活でもしてゐるかのやうに、ひとりでに心が浮き立つた。
 私はお前たちと、その天幕の片隅に、一塊りに重なり合ひながら、横になつた。寢返りを打つと、私の頭はかならず誰かの頭にぶつかつた。さうして私たちは、いつまでも寢つかれなかつた。ときをり、かなり大きな餘震があつた。さうかと思ふと、誰かが急に笑ひ出したやうな泣き方をした。……すこしうとうとと眠つてから、ふと目をさますと、誰だか知らない、寢みだれた女の髮の毛が、私の頬に觸つてゐるのに氣がついた。私はゆめうつつに、そのうつすらした香りをかいだ。その香りは、私の鼻先きの髮の毛からといふよりも、私の記憶の中から、うつすら浮んでくるやうに見えた。それは匂ひのしないお前の匂ひだ。太陽のにほひだ。麥藁帽子のにほひだ。……私は眠つたふりをして、その髮の毛のなかに、私の頬を埋めてゐた。お前はぢつと動かずにゐた。お前も眠つたふりをしてゐたのか?
 早朝、私の父の到着の知らせが私たちを目覺ませた。私の母は私の父からはぐれてゐた。さうしていまだにその行方が分らなかつた。私の家の近くの土手へ避難した者は、一人殘らず川へ飛び込んだから、ことによるとその川に溺れてゐるのかも知れない。……
 さういふ父の悲しい物語を聞いてゐるうち、私は漸くはつきり目をさましながら、いつのまにか、こつそり涙を流してゐる自分に氣がついた。しかしそれは私の母の死を悲しんでゐるのではなかつた。その悲しみだつたなら、それは私がそのためにすぐかうして泣けるには、あまりに大き過ぎる! 私はただ、目をさまして、ふと昨夜の、自分がもう愛してゐないと思つてゐたお前、お前の方でももう私を愛してはゐないと思つてゐたお前、そのお前との思ひがけない、不思議な愛撫を思ひ出して、そのためにのみ私は泣いてゐたのだ。……

 その日の正午頃、お前たちは一臺の荷馬車を借りて、みんなでその上に家畜のやうに乘り合つて、がたがた搖られながら、何處だか私の知らない田舍へ向つて出發した。
 私は村はづれまで、お前たちを見送りに行つた。荷馬車はひどい埃りを上げた。それが私の目にはひりさうになつた。私は目をつぶりながら、
「ああ、お前が私の方をふり向いてゐるかどうか、誰か教へて呉れないかなあ……」
 と、口の中でつぶやいてゐた。しかし自分自身でそれを確かめることはなんだか恐ろしさうに、もうとつくにその埃りが消えてしまつてからも、いつまでも、私は、そのまま目をつぶつてゐた。

底本:「堀辰雄作品集第一卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年5月28日初版第1刷発行
初出:「日本國民 第一巻第五号」日本國民社
   1932(昭和7)年9月号
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。
「麦藁帽子」(入力:kompass、校正:染川隆俊)
入力:大沢たかお
校正:岡村和彦
2012年9月30日作成
2012年12月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
ふりがなを非表示縦書きで表示