一

 久助きゅうすけ君はおたふくかぜにかかって、五日間学校を休んだ。
 六日めの朝、みんなに顔を見られるのははずかしいなと思いながら、学校にいくと、もう授業がはじまっていた。
 教室では、案のじょう、みんながさあっとふりむいて久助君の方を見たので、久助君はあがってしまって、先生のところへ欠席届を出し、じぶんの席へ帰るまでに、つくえのわきにかけてある友だちのぼうしを、三つばかりはらい落としてしまった。さて、じぶんの席について読本とくほんをひらいた。
 となりの加市かいち君が、いま習っているのは十課だということを指でさして教えてくれた。もう十課まで進んだのか。久助君は、八課の「雨の養老」を習っていたとき、なんとなく左のほおが重いのに気がつき、その日から休んだのだった。
 じぶんが休んで家でねていたときに、みんなは八課ののこりと九課を習ったんだなと思うと、久助君は、今ここにみんなといっしょに読本をひらいて、先生のお話を聞いていながら、みんなの気持ちとなじめないものを感じた。
 そのとき、先生から指でさされて、前のほうのだれかが読本の朗読ろうどくをはじめた。
「第十、いなむらの火。これは、ただごとでないと、つぶやきながら、五兵衛ごへえは家からきた……」
 おや、へんだなと、久助君は思った。聞きなれない声だ。あんな声で読むのは、いったいだれだろう。そこで久助君は、本から顔をあげてみると、南のまどのそばの席で、ひとりの色の白い、セル地の美しい洋服をきた少年が、久助君の方に横顔を見せて朗読していた。久助君の知らない少年だ。
 久助君はその少年の横顔を見ているうちに、きみょうな錯覚さっかくにとらわれはじめた。じぶんは、まちがってよその学校へきてしまったのではないかと、思ったのである。いや、たしかに、これは久助君の通っていた岩滑やなべの学校の五年の教室ではない。いま読んでいる少年を、久助君は知らないのだ。そういえば先生も、なるほど久助君の受け持ちだった山口先生ににてはいるが、別人であるらしい。友だちのひとりひとりも、久助君のよく知っている岩滑の友だちとどこかにてはいるが、どうも知らない学校の知らない生徒たちだ。五日間休んで、じぶんの学校を忘れてしまい、よその学校へはいってきたのだ。これはとんでもないことをしてのけた。久助君は、そんなふうに思ったのだった。そしてすぐつぎのせつなに、やはりこれは久助君のもとの学校であるということがわかって、久助君はほっとした。
 休けい時間がきたとき久助君は、森医院の徳一とくいち君にきいた。
「あれ、だれでェ」
 南のまどぎわの色の白い少年は、まだ友だちができないのか、ひとりで鉛筆をけずっていた。
「あれかァ」
と、徳一君はこたえていった。「あれは、太郎左衛門たろうざえもんて名だよ。横浜からきたァだげな」
「太郎左衛門?」
 久助君はわらいだした。「年よりみたいだな」
 徳一君の話によると、その転入生のほんとうの名は太郎左衛門というんだが、それではあまり年よりじみていて、太郎左衛門がかわいそうだから、子どものうちは太郎と家でもよんでいるので、子どもなかまでもそうよぶようにさせてくれと、一昨日、太郎左衛門をつれてはじめて学校へきたおかあさんが、先生にたのんでいったのだそうである。それを聞いて久助君は、なるほど、おとなはうまいことを考えるものだなと思った。
 こんなぐあいに太郎左衛門は、久助君の世界にはいってきた。

       二

 岩滑やなべの学校はいなかの学校だから、なんといっても、都会ふうの少年はみんなの目をひくのである。久助君も最初から、なんとなく太郎左衛門に心をひかれたのだが、よい機会がないので近づけなかった。徳一君にしても、加市君にしても、音次郎君にしても――できのよい連中はみな、久助君と同じような気持ちなのだ。それが、おたがいにあまりよくわかっているので、だれも手を出そうとしないのであった。で、久助君は、課業中にいつのまにか、太郎左衛門をじっとながめているじぶんに気づくことがあった。
 太郎左衛門は、久助君より前の方の、南のまどぎわにいたので、久助君のところからはちょうど、右の大きい目玉と、美しく光るかみの毛でとりまかれた、形のよいつむじが見えた。太郎左衛門は、その大きい目で、教科書の字を長いあいだ見ていては、おもむろに先生の方へ視線をむけて、話に聞き入っていた。どうかすると、課業にうんで、かすかなといきをもらしながら、すこししせいをくずすが、またすぐ、熱心に先生の方をながめるのであった。それだけのことで、久助君には、太郎左衛門が、じぶんたちのように道のほこりや草の中でそだってきたものではないことがわかり、太郎左衛門をすきにもなれば、なにかもの悲しい思いでもあったのである。
 あるとき久助君は、いつものようにじぶんの席から、その美しい少年をながめていた。それは、ひとりの美しい少年であった。この美しい少年は、いったいなんという名だろうと、久助君は思った。そしてすぐ、なァんだ、太郎左衛門じゃないかと、口の中でいった。
 ふいと久助君は、まえに、江川太郎左衛門えがわたろうざえもんというえらい人物の伝記を、ある雑誌で読んだことを思い出した。よくはおぼえていないが、江戸時代の砲術家ほうじゅつかで、伊豆いず韮山にらやま反射炉はんしゃろというものをきずいて、そこで、そのころとしてはめずらしい大砲を鋳造ちゅうぞうしたという人である。そして、れんがを積みあげてつくったらしい反射炉の図と、びっくりした人のように目玉の大きい、ちょんまげすがたの江川太郎左衛門の肖像しょうぞうが、久助君の頭にうかんだ。
 この少年太郎左衛門は、あの江戸時代の砲術家の太郎左衛門と同じ名なのである。同じ名ならば、ふたりは同じ人間ではあるまいか。
 しかし、そんなはずはない。第一、江戸時代におとなだった太郎左衛門が、現在、子どもになっているというわけがないのである。それでは、事の順序がぎゃくというものだ。
 久助君は、じぶんのばかげた考えをうちけした。にもかかわらず、久助君には、砲術家太郎左衛門と、この少年太郎左衛門が同一人物のように思えたのである。江戸時代におとなだった人間が、だんだんわかくなって、いまは少年になっているのだ――さまざまな人間のなかには、そういうような特別な生きかたをするのが、ひとりやふたりは、いるかもしれない。目がぎょろりと大きいところは、この太郎左衛門もあの太郎左衛門もいっしょじゃないか。久助君は、そんなことをくちに出していえば、ひとが一笑いっしょうにふしてしまうことは知っていたので、ただじぶんひとりで空想にふけるだけであった。
 その日、学校から帰るとき、久助君は、太郎左衛門の三メートルばかりうしろを歩いていった。むろん久助君は、太郎左衛門のあとをつけていくつもりはないのだが、ぐうぜん、ふたりの帰る方向と歩く速度が同じであったため、こういう結果になってしまったのであると、ひとり弁解しながらついていった。
 あき地のそばを通っているとき、太郎左衛門は、ふいに久助君の方をふり返って、
「きみ、あの花、なんだか知っている?」
と、すこししゃがれた声で、流暢りゅうちょうにきいた。そっちを見ると、いぜんここに家があったじぶん、花畑になっていたらしい一角に、小さな赤黒いさびしげな花が、二、三本あった。
 久助君は知らなかったのでだまっていると、
「サルビヤだよ」
といって、美しい少年の太郎左衛門は歩きだした。むこうが話しかけたんだから、こっちも話していいのだと思って、久助君は、すこし胸をおどらせながら、
「横浜からきたのン?」
ときいた。横浜からきたことは、もう徳一君から聞いて知っていたから、いまさらきく必要はないのだが、ほかにはなにもいうことがなかったのである。ところで久助君は、きいてしまってから、ひやあせが出るほどはずかしい思いをした。というのは、「きたのン?」などということばは、岩滑やなべのことばではなかったからだ。岩滑のことばできくなら、「きたのけ?」あるいは、「きたァだけ?」というところである。しかし久助君には、日ごろじぶんたちが使いなれている、こうしたことばは、この上品な少年にむかって用いるには、あまりげびているように思えた。といって久助君は、岩滑以外のことばを知っているわけでもなかった。そこで、どこのことばともつかない「きたのン?」などという中途はんぱのことばが出てしまったのである。もし徳一君や、加市君や、兵太郎君など、日ごろのなかまがいまのことばを聞いていたなら、あとで久助君は、背中をたたかれたりしながら、どんなにひやかされるかしれないのだが、ありがたいことに、それを聞いたのは、太郎左衛門だけである。太郎左衛門はまだ、岩滑のことをよく知らないから、こんなことばも岩滑にはあるだろうぐらいに思って、気にとめなかったのであろう。
「ああ」
と、かれはこたえた。それからまた、赤い花の方を見ながら、
「ぼくのにいさん、あれがすきだったのさ。画家なんだよ」
 画家というのは絵をかく人であることぐらいは見当がつくが、じっさいの画家を見たことのない久助君には、こんな話に、なんと返事していいかわからないのである。
「おととしの秋ね、ベロナールで自殺しちゃったの」
 自殺というのはじぶんで死ぬことだというくらいは、久助君にだってわかるが、そんなことばを使うものは、久助君のいままでのなかまには、ひとりもいなかったので、ただもう、めんくらうばかりである。
 じぶんの家の門の方へまがりかけた太郎左衛門は、なにか思いついたように久助君のところへもどってきて、
「きみ、いいもんあげよう、手を出したまえ」
といった。久助君がもじもじしながら手を出すと、太郎左衛門は、小さい万年筆みたいなものをその上でふった。すると小さいみじん玉がひとつぶ、久助君のてのひらの上にこぼれ出た。太郎左衛門はじぶんのてのひらにもふり出すと、それを口の中へほうりこんで、門の方へいってしまった。久助君は、はじめ、空気銃くうきじゅうで使うみじん玉かと思ったが、みじん玉にしては、てのひらにこころよい感じをあたえるあの重みがないので、別のものだと考えた。そして、ともかく太郎左衛門のまねをして、口の中に入れてみた。
 舌の先でしばらくまわしていると、にがいまずいしるがとけて出たので、なんだ、こんなもん、かぜのとき飲まされるトンプクの玉みたいじゃないかと思って、はき出そうとした。するととたんに、そのにがかったものが、すずしいあまさに変わって、じつに口の中が爽快そうかいになったので、久助君はひとりで、クックッとわらいだしてしまった。なんだ、こんなもんか。ハッカのもとというようなものなんだな。しかし、すぐにまた、舌の先がにがみをおぼえはじめ、久助君は顔をしかめずにはおれなかった。しかし、いまにまた、すずしくあまくなるだろうと思って、がまんしていた。はたして、まもなくそのとおりになった。これで久助君には、この玉のしかけがわかった。にがくなったり、あまくなったり、交互こうごにくり返すようになっているのだ。ところで、三どめににがくなってきたとき、久助君はもういやになって、はき出してしまった。それはとけて、茶色のつばになっていた。はき出したあとで口をあけて空気をすいこむと、これはまた、なんという爽快そうかいなことだろう! 久助君の小さな口の中に、すずしい秋の朝が、ごっそりひとつはいりこんだみたいだ。久助君はその爽快味そうかいみ満喫まんきつするため、大きく口をあけて、ハアーッハアーッと呼吸しながら、家まできてしまったのである。
「なんだい、久は。仁丹じんたんのにおいをさせてるじゃないか」
と、おかあさんがいった。そこではじめて久助君は、なぞがとけて、そして、ばからしくなってしまった。仁丹なら、久助君は百も知っていたのだ。もっとも、たべたことは、こんどがはじめてだけれど。
 どうしてまた久助君は、ありふれた仁丹なんかを、なにかたいへんな、ふしぎなもののように思いこまされてしまったんだろう。思えば思うほど、久助君にとって、太郎左衛門はきみょうな少年であった。

       三

 道から十メートルばかりはいったところに、太郎左衛門の屋敷やしきの門がある。光蓮寺こうれんじの山門をすこし小さくしたような、さびた金具などのついた古めかしい門である。横に小さいくぐりがあって、太郎左衛門はそれから出はいりし、門はいつでもしまっている。
 太郎左衛門といっしょにそこまできて、太郎左衛門が、「しっけい」とか、「さよなら、またあした」などといって、そのくぐりからすっと中へはいり、あとにぴったりくぐり戸もしめられてしまうと、久助君は、いったいこの門の中で、太郎左衛門はどんなことをしているのだろう、おとなのことばでいえば、どんな生活をしているのだろうと、ちょっと思うのであった。しかし、あまりその中にはいってみたいとは思わなかった。
 なにしろ、ばかにしんかんとしているのである。古めかしくてしんかんとしている――、そういうところを、久助君はこのまないのだ。
 あるとき久助君は、太郎左衛門についてその門の中にはいった。
 庭はあんがいせまかった。だが、久助君の目をひきつけたものがそこにあった。まっ四角な深い池で、底の方に緑色のにごった水がよどんでいた。四方の石がきにはこけがいっぱいついて、石の色はすこしも見えない。つまり、この一升ますのような形の池は、なにからなにまで緑色である。そして水の中には、こいがいるらしい。ところどころ、水の緑色の中に、ぼんやりした赤や、白がみとめられるのは、たしかにそれだ。久助君はしばらくのぞいていると、なまぐさいいやなにおいが鼻につきはじめた。そればかりか、この池全体が、なにか、子どもによそよそしい感じをもっていることがわかったので、じきそばをはなれてしまった。
 久助君は、招かれてふじの花のさいている縁側えんがわの方へいった。縁側とざしきはあかり障子しょうじでへだてられていたが、太郎左衛門が中から出てきたとき、あけっぱなしておいたところから、久助君は中をのぞくことができた。
 久助君はそこに、ひとりの黄色いしごきをした少女を見た。きっと、太郎左衛門のねえさんであろう。顔色が茶わんのように白くて、やせていた。彼女は、座敷のもうひとつおくの暗いへやから、金魚ばちほどのほやのついたランプをかた手で持ち、もう一方の手でふすまをなでながらあらわれ、座敷のすみにおいてあるつくえをさぐりあてると、その上にランプをすえた。目を大きく見ひらいているのに、手さぐりでそんなことをしているところをみると、あきめくらなのだろう。なんにしても異様な光景である。久助君は、いきをのんで見つめていた。
 つぎに少女は、マッチをすってランプに火を入れた。そしてつくえの前にすわると、だれもいないのに、つくえのむこう側にだれかいでもするように、
「おとうさんが、はじめての航海でフランスのマルセーユにいったとき、そこの港のうら町の小さな道具屋で見つけたランプなんですって。なんでも、ルイ十六世のころのものらしいっていってらしたわ」
と、しゃべった。久助君はぶきみになって、身じろぎもできなかった。この少女は、あきめくらであるばかりでなく、気がくるっているのだろう。
 太郎左衛門がわらいながら、「ねえさんのばかタン」と前おきして、わけを話してくれたので、なんだ、そうだったのかと、久助君は思った。太郎左衛門のねえさんは、女学校でする学芸会の練習をしていたのである。なんでもそれは、あらしの夜、ふたりの姉妹きょうだいが勉強をしていると、ふいに停電してしまうので、古いランプを持ち出してきてともすのだそうである。そうすると、死んだ弟やら、いぜんなくした手まりやら、雨の晩にいなくなってしまった飼い犬やらが、またふたりの姉妹のところにもどってくるという、なにがなにやらわけのわからない、ばかばかしい劇らしい。
 久助君は、そこにいる白い少女が、あきめくらでも気ちがいでもないことがわかったけれど、でもなんとなくきみがわるくて、しぜんに、目や耳は少女の方にひきつけられた。
 彼女は、つくえのむこうの、すがたも見えなければ返事もしない人に、話をしつづけていた。
「アキぼうちゃんはね、死んじゃったの。もう五、六年もまえの雪のふった晩に」
 相手の人がなにかこたえているらしい。それが久助君にはきこえないが、彼女にはきこえるとみえて、耳をたてて聞いている。そしてまたいう。
「この子、死ぬってこと知らないんだわ。死ぬってね、かくれんぼうでどっかへかくれて、いつまで待っても出てこないようなもんよ」
 すがたの見えない相手がなにかいうらしい。すると彼女は、なにかおかしい返事を聞いたのだろう、とつぜんクックックッとわらいだした。そしてこのわらうのが、じぶんで満足のいくようにできないとみえて、彼女はなんどもやりなおした。「クックックッ」とか、「ウフッフッフッ」とかいって。
 久助君はもうがまんができなかった。すぐ家へ帰ってしまった。
 それからしばらく、久助君は、太郎左衛門の屋敷の門の前を通るときにはきっと、ふじの花のさいている明るい昼間だというのに、ランプをつけて学芸会の劇を練習している、色の白いぶきみな少女のことを思い出したのである。

       四

 だんだん太郎左衛門は、みんなと親しくなった。みんなは最初のうち、太郎左衛門を尊敬して、すこしいいにくかったけれど、「太郎君」とよんでいた。
 やがて太郎左衛門は、みんなといっそう親しくなって、みんなにとりかこまれ、よっぱらいのように下品にしゃべりちらしていることもあった。するとみんなは、太郎左衛門を尊敬したりするのはふさわしくないことがわかり、えんりょなく、「太郎左衛門」とよぶようになった。
 そのうちにみんなはもう、「太郎君」とも、「太郎左衛門」ともいわなくなってしまった。というのは、太郎左衛門は、つきあってもいっこうおもしろくない、つまらないやつだということが、みんなにわかってしまったからである。
 はじめから今にいたるまで、「太郎君」というれいぎ正しいよびかたをつづけている人が、ただひとりあった。それは、受け持ちの山口先生である。
 太郎左衛門がうそをつくといううわさがたちはじめたのは、そのころであった。
「あんなやつのいうことは、なんにも信用できん」
というものもあった。久助君は、そんなこともあるまいと思った。しかし、あるいはそうなのかもしれんとも思った。
 ある日、兵太郎君が五、六人のなかまにむかって、なにか一生けんめいにふんがいしていた。久助君がなんだろうと思ってききにいくと、こうだった。
 兵太郎君が、太郎左衛門に一ぱいくわされたというのである。うまガ池の南の山の中に、深くえぐられた谷間がある。両側のがけが、ちょうど、びょうぶを二まいむかいあわせて立てたようになっている。太郎左衛門は、そういうところならとてもおもしろいことができると、兵太郎君にいったのだそうである。つまり、かた一方のがけの上からむこうのがけにむかって、「おーイ」とひと声よびかけると、それがこだまになってこちらへ帰ってくる。そして、こちらのがけにぶつかるや、またこだまになって、むこうのがけに帰っていく。むこうにぶつかって、また帰ってくる。こちらにぶつかってまたむこうへいく。そうして、いつまでもそのひとつの「おーイ」は、消えないのだという。ある科学の雑誌に書いてあったからほんとうだと、太郎左衛門はあかしまでたてたのだそうだ。それならほんとうだろうと思って、兵太郎君は、きのううまガ池へつりにいったついでに、例のところまでいって、ためしてみたのである。そして、太郎左衛門のことばが「うッそ」であることがわかったというのであった。
 これじゃたしかに、太郎左衛門はうそつきであると、久助君は思った。するとどうしたわけか、学芸会のけいこをしていた太郎左衛門のねえさんを思い出した。だれも相手がいないのに、じっさいにいるようにじょうずにしゃべっていた、あの白い少女のことを。
 またあるとき、こんなことがあったそうである。雨をともなったはげしいかみなりが、頭の上をすぎていったあと、太郎左衛門が新一郎君に、
「いま、雲の中からひばりが一わ、かみなりにうたれてむこうに落ちたから、見にいこう。きっと、牛市場のあたりに落ちている」
と、声をはずませていった。新一郎君は、まさかうそとは思わなかったので、ついていって、まだぬれている牛市場の草をふみわけふみわけ、すみからすみまでさがしたが、牛のふんしか落ちてなかったそうである。これも、太郎左衛門のうそであったわけだ。

       五

 太郎左衛門が学校へ、どびんのふたぐらいの大きさの、まるいへんなものを持ってきて、
「これね、とってもおもしろいんだよ」
といった。
 みんなは、太郎左衛門がうそつきであることは承知していたが、いつでもそれを警戒しているわけにはいかなかった。ことに、こんなぐあいに、めずらしいものを持ってきたときには、つい、好奇心のため、ゆだんしてしまうのである。
 太郎左衛門の説明によれば、そのまるいものはゾウゲでできていて、シナ人が横浜で売っていたのだそうである。そいつを、耳にうまいぐあいにあてていると、音楽がきけるしかけになっているというのである。
 まず、森医院の徳一君からはじめて、みんなは、それを順番に耳にあてがってきいた。みんなが、聴診器ちょうしんきを耳にしている医者のように、しんちょうなおももちできいていると、太郎左衛門は、
「ね、きこえるだろう。マンドリンみたいな音が。あれ、シナのことなんだって」
といった。すると、「う、うん」と、なま返事するものもあった。「うん、ちいせい音だなあ」といって、にっこりするものもあった。「きこえやしんげや」といって、二、三どふって、またあてがってみるものもあった。
「また、太郎左衛門のうそだァ」
と、太郎左衛門がいるのにそういったものがあった。それは兵太郎君であった。しかしこの場合、みんなはむしろ兵太郎君を信じなかった。というのは、兵太郎君は、十日ほどまえから、かたほうの耳が耳だれで、いやなにおいのする緑色のうみをだらりとたらしていたので、みんなが、例の音楽の道具をかそうとしなかったため、くやしがっていたからである。
 久助君の番がきた。うけとってみると、黄色なつるつるの美しいゾウゲである。どびんのふたのように、一方がくぼんでいる。そして、くぼんだところのまん中に、小さいへそみたいなものがとび出ている。そのへそを、うまく耳のあなにはめこんできくのだそうである。
「うーう」と、モートルのうなっているみたいな音が、はじめきこえた。その「うーう」のなかに、マンドリンの音がまじってやしないかと、一心ふらんにきいていると、なるほどかすかに、ピンピンペンペンというような音がきこえるような気がする。
「うん、きこえるきこえる」
と久助君はいって、つぎのものにわたしたのであった。
 それからまもなく、あしたは春の遠足という日に、久助君はじしゃくをさがすため、茶だんすの引き出しをみなひっぱり出して、いろんなガラクタのなかをかきまわしていた。すると、なかから、太郎左衛門が持っていたのと同じゾウゲのまるい道具が出てきた。
「うちにも、これがあったんだなァ」
といって、おとうさんにきいてみると、それは、いぜんたばこをのむ人が持っていた、火ざらというものだそうである。そのさらの上に、まだ火のついているすいがらをのせておき、つぎのたばこにすいつけるための道具なのだそうである。
「そいでも、ここにこんなへそみたいなものがあるのは、どういうわけだン?」
と、久助君は、あまりのばかばかしさに、すこしはらをたてていった。そのへそには小さいあながあって、そこにひもを通したにすぎないと、おとうさんは教えてくれたので、もう久助君は、なにもいうことがなかった。まんまと、太郎左衛門に一ぱいくわされたのである。
 それにしても、なぜ太郎左衛門は、あんなうそをつくのだろう。なんというわけのわからぬやつだろう。
 よく日、久助君は、教室のまどにもたれてぼんやりしているうそつきの太郎左衛門の顔を、かれに気づかれぬよう、こちらの人かげから、まじまじとながめていた。そして、さらにきみょうなことを発見したのである。
 それは、太郎左衛門の目は、左右、大きさがちがうということである。右の目は大きい。左は小さい。そして、そのうえおかしいことに、大きい目は、美しい、なごやかな、てんしんらんまんな心をのぞかせているのに、小さい目は、いんけんで、ひねくれていて、狡猾こうかつなまたたきをするのである。
 こいつはへんだと、久助君が一生けんめい見ていると、さらに、耳も左右大きさと形がちがい、鼻でさえも、左の小鼻と右の小鼻はちがっているので、すこしゆがんで見えることがわかった。
 久助君は考えた。――太郎左衛門は、ひとりの人間じゃなくて、ふたりの人間が半分ずつよりあってできているのじゃあるまいか。いぜん、久助君は、ねんどで人形を製造するのを見たことがある。まず、ふたつの型によって、人形は、半分ずつつくられ、それからふたつの半分がうまく合わさって、ひとつの人形になるのであった。神さまがわれわれ人間をつくり出すのも、あれと同じ方法でするのだろう。そして、太郎左衛門はなにかのまちがいで、大きさのちがう、うまく合わない半分ずつが合わさってできたのかもしれない。だから、太郎左衛門の中には、ふたりの人間がはいっているのだ。
 ――それなら、太郎左衛門が平気でうそをいったり、なにを考えてるのかわけがわからなかったりするのは、当然のことだと、久助君は思った。

       六

 ついに、みんなが太郎左衛門のうそのため、ひどいめにあわされるときがきた。それは、五月のすえのよく晴れた日曜日の午後のことであった。
 なにしろ場合がわるかった。みんなが――というのは、徳一君、加市君、兵太郎君、久助君の四人だが――たいくつでこまっていたときなのだ。
 麦畑は黄色になりかけ、遠くからかえるの声が、村の中まで流れていた。道は紙のように白く光を反射し、人はめったに通らなかった。
 みんなは、この世があまり平凡なのにうんざりしていた。どうしてここには、小説のなかのように出来事がおこらないのだろう。
 久助君たちは、なにか冒険みたいなことがしたいのであった。あるいは、英雄のような行為こういをして、人びとに強烈な感動をあたえたいのであった。
 そう思っているところへ、その道角みちかどから、太郎左衛門がひょっこりとすがたをあらわしたのである。そしてかれは、まっすぐみんなのところへくると、目をかがやかせていった。
「みんな知ってる? こんど、大きなくじらが、新舞子しんまいこで見世物になっているとさ。なんでも、十メートルほどもあるんだって」
 なにかできごとがあればいいと思っていたやさきだから、みんなは、太郎左衛門のことばだったけれど、すぐ信じてしまった。そしてまた、これはまんざらうそでもなさそうだった。なぜなら、新舞子の海岸には、そのくじらがいないとしても、よく見世物がきていることは、夏、海水浴にいったものなら、だれでも知っている。
 見にいこうということに、一ぺんで話がきまった。新舞子といえば、知多半島のあちら側の海岸なので、とうげをひとつ越していく道はかなり遠い。十二、三キロはあるだろう。しかし、みんなのからだの中には、力がうずうずしていた。道は、遠ければ遠いほどよかったのだ。
 太郎左衛門も加えて一行は、すぐその場から出発した。家へそのことをいってこようなどと思うものは、ひとりもなかった。なにしろ、からだはつばめのようにかるかった。つばめのように飛んでいって、つばめのように飛んで帰れると思っていたのである。
 とんだり、かけたり、あるいは、「帰りがくたびれるぞ」などと、かしこそうにおたがいを制しあって、しばらくは、正常歩せいじょうほで歩いたりして、進んでいった。
 野には、あざやかな緑の上に、白い野ばらの花がさいていた。そこを通ると、みつばちの羽音はおとがしていた。白っぽい松の芽が、におうばかりそろいのびているのも、見ていった。
 半田池をすぎ、長い峠道をのぼりつくしたころから、みんなは、沈黙がちになってきた。そして、もしだれかがしゃべっていると、それがうるさくて、はらだたしくなるのであった。知らないうちに、みんなのからだに、つかれがひそみこんだのだ。
 だんだん、みんなは、つかれのため頭のはたらきがにぶってきた。そして、あたりの光が弱ったような気がした。じっさい、日もだいぶん西にかたむいていたのだが、それでも、もうひきかえそうというものは、だれもなかった。まるで命令をうけているもののように、先へ進んでいった。
 そして大野の町をすぎ、めざす新舞子しんまいこの海岸についたのは、まさに、太陽が西の海にぼっしようとしている日ぐれであった。
 五人はくたびれて、みにくくなって、海岸に足をなげ出した。そして、ぼんやり海の方を見ていた。
 くじらはいなかった。また、太郎左衛門のうそだった!
 しかしみんなは、もう、うそであろうがうそでなかろうが、そんなことは問題ではなかった。たとい、くじらがそこにいたとしても、みんなはもう、見ようとしなかったろう。
 つかれのために、にぶってしまったみんなの頭のなかに、ただひとつ、こういう思いがあった。
「とんだことになってしまった。これから、どうして帰るのか」
 くたくたになって、一歩も動けなくなって、はじめて、こう気づくのは、分別ふんべつがたりないやりかたである。じぶんたちが、まだ分別のたりない子どもであることを、みんなはしみじみ感じた。
 とつぜん、「わッ」と、だれかなきだした。森医院の徳一君である。わんぱくものでけんかの強い徳一君が、まっさきになきだしたのだ。すると、そのまねをするように兵太郎君が「わッ」と、同じ調子でなきだした。久助君も、そのなき声を聞いているとなきたくなってきたので、「うふうふン」と、へんななきだしかただったが、はじめた。つづいて加市君が、ひゅっといきをすいこんで、「ふえーん」とうまくなきだした。
 みんなは声をそろえてないた。するとみんなは、じぶんたちのなき声の大きいのにびっくりして、じぶんたちはとりかえしのつかぬことをしてしまったと、あらためて痛切に感じるのであった。
 そして、四人はしばらくないていたが、太郎左衛門は、ひろった貝がらで、足もとの砂の上にすじをひいているばかりで、なきださないのであった。
 ないていない人のそばでないているのは、ぐあいのわるいものである。久助君はなきながら、ちょいちょい太郎左衛門の方を見て、太郎左衛門もいっしょになけばよいのにと、思った。こいつはなんというへんな、わけのわからんやつだろうと、またいつもの感を深くしたのである。
 日がまったくぼっして、世界は青くなった。最初に、久助君のなみだがきれたので、なきやんだ。すると、加市君、兵太郎君、徳一君という、なきだしとはぎゃくの順で、せみが鳴きやむようになきやんでいった。
 そのとき、太郎左衛門がこういった。
「ぼくの親せきが大野にあるからね、そこへいこう。そして電車で送ってもらおう」
 どんな小さな希望にでもすがりつきたいときだったので、みんなはすぐ立ちあがった。しかし、それをいったのが、ほかならぬ太郎左衛門であることを思うと、みんなはまた、力がぬけるのをおぼえたのである。もしこれが、だれかほかのものがいったのなら、どんなにみんなは勇気をふるいおこしたことだろう。
 やがて、大野の町にはいったとき、みんなは不安でたまらなくなったので、
「ほんとけ、太郎左衛門?」
と、なんどもきいた。そのたびに太郎左衛門は、ほんとうだよ、とこたえるのであったが、いくらそんなこたえを得ても、みんなは信じることはできなかった。
 久助君も、太郎左衛門をもはや信じなかった。――こいつは、わけのわからぬやつなのだ、みんなとはものの考えかたがまるでちがう、別の人間なのだと、思いながら、みんなにたちまじっている太郎左衛門の横顔を、するどく見ていた。すると、太郎左衛門の顔は、そっくり、きつねのように見えるのであった。
 町の中央あたりまでくると、太郎左衛門は、
「ううんと、ここだったけな」
などとひとりごとしながら、あっちの細道をのぞいたり、こっちの路地ろじにはいったりした。それを見ると、ほかの四人は、ますますたよりなさを感じはじめた。また、太郎左衛門のうそなのだ。いよいよ絶望なのだ。
 しかし、まもなく太郎左衛門は、ひとつの路地からかけだしてくると、
「見つかったから、こいよ、こいよ」
と、みんなを招いたのである。
 みんなの顔に、暗くてよくは見えなくっても、さァっと生気の流れたのがわかった。足がぼうのようにつかれているのも忘れて、みんなはそっちへ走った。
 いちばんあとからついていきながら、久助君は、だが待てよと、心の中でいった。あまり有頂天うちょうてんになると、幸福ににげられるという気がしたからであった。なにしろ、あいては太郎左衛門なのだから、にうけることはできないはずだ。
 そう考えると、またこんどもうそのように、久助君には思えるのであった。
 そして久助君は、時計をならべた明るい小さい店のところにくるまで、太郎左衛門をうたがっていた。しかし、そこが、ほんとうに太郎左衛門の親せきの家だった。
 太郎左衛門からわけを聞いておどろいたおばさんが、
「まあ、あんたたちは……まあまあ!」
と、あきれてみんなを見わたしたとき、久助君は、救われたと、思った。すると、きゅうに足から力がぬけて、へたへたとしきいの上にすわってしまったのであった。
 それから五人は、時計屋のおじさんにつれられて、電車で岩滑やなべまで帰ってきたのであったが、電車の中では、おたがいにからだをすりよせているばかりで、ひとこともものをいわなかった。やすらかさと、つかれが、からだも心も領していて、なにも考えたくなく、なにもいいたくなかったのである。
 うそつきの太郎左衛門も、こんどだけはうそをいわなかった、と、久助君は、とこにはいったときはじめて思った。死ぬか生きるかというどたん場では、あいつもうそをいわなかった。そうしてみれば、太郎左衛門もけっしてわけのわからぬやつではなかったのである
 人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっているわけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれも同じ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところでは、みんなよくわかりあうのだということが、久助君にはわかったのである。すると久助君は、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音を聞きながら、すっとねむってしまった。

底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:ゆうこ
2000年1月27日公開
2006年1月29日修正
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