小熊秀雄全集-12

詩集(11)文壇諷刺詩篇

小熊秀雄



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●ルビは「(ルビ)」の形式で処理した。
●二倍の踊り字(くの字形の繰り返し記号)は「/\」「/゛\」で代用した。
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●目次
志賀直哉へ佐藤春夫へ島崎藤村へ室生犀星へ正宗白鳥へ林芙美子へ横光利一へ谷崎潤一郎へ新居格へ徳永直へ林房雄へ武田麟太郎へ秋田雨雀へ窪川鶴次郎へ長谷川如是閑へ中野重治へ武者小路実篤へ文壇諷詩曲

文壇諸公に贈る新春賀詩中河与一について小松清について亀井勝一郎について林房雄について平林たい子について青野季吉について森山啓について横光利一について窪川いね子について菊池寛について新居格について

窪川鶴次郎君へ平林たい子へ武田麟太郎へ大森義太郎へ味方ではある――亀井勝一郎へ中野重治へ島木健作について二人の感傷家に――森山啓と中野重治に与ふ――


[表記について]
●ルビは「(ルビ)」の形式で処理した。
●二倍の踊り字(くの字形の繰り返し記号)は「/\」「/゛\」で代用した。
●[#]は、入力者注を示す。

●目次
序| 志賀直哉へ| 佐藤春夫へ| 島崎藤村へ| 室生犀星へ| 正宗白鳥へ| 林芙美子へ| 横光利一へ| 谷崎潤一郎へ| 新居格へ| 徳永直へ| 林房雄へ| 武田麟太郎へ| 秋田雨雀へ| 窪川鶴次郎へ| 長谷川如是閑へ| 中野重治へ| 武者小路実篤へ| 文壇諷詩曲|

文壇諸公に贈る新春賀詩| 中河与一について| 小松清について| 亀井勝一郎について| 林房雄について| 平林たい子について| 青野季吉について| 森山啓について| 横光利一について| 窪川いね子について| 菊池寛について| 新居格について|

窪川鶴次郎君へ| 平林たい子へ| 武田麟太郎へ| 大森義太郎へ| 味方ではある――亀井勝一郎へ| 中野重治へ| 島木健作について| 二人の感傷家に――森山啓と中野重治に与ふ――|


 僕が小説家に対して、反感を抱いてゐることは確かだ、人に依つては、それが不思議なわけのわからぬことに思はれるだらう、一口で言へば「どの小説家もみんな良い人」なのだから、しかし僕はこの反感的な形式である諷刺詩を自分のものとしてゐるのは、それは抜差しのできない僕の生活の方法だから仕方がない。詩を攻勢的な武器として成立させてをかなければならないといふ社会的慾望から出たものだ。そして散文に対する反感は、僕といふ詩人と小説家との「時間に対する考へ方」の喰ひちがひから出発したものだ、この詩は昭和十一年から十二年にかけて読売新聞に発表したもの、諷刺雑誌「太鼓」に発表したもの並に未発表のものを加へて数十篇のうちから選んだ、自分ではこれらの詩を収録記念することを無価値なものとは思つてゐない。

志賀直哉へ 志賀の旦那は
構へ多くして
作品が少ねいや
暇と時間に不自由なく
ながい間考へてゐて
ポツリと
気の利いたことを言はれたんぢや
旦那にや
かなひませんや
こちとらは
べらぼうめ
口を開けて待つてゐる
短気なお客に
温たけいところを
出すのが店の方針でさあ、
巷(ちまた)に立ちや
少しは気がせかあね
たまにや出来の悪いのも
あらあね、
旦那に喰はしていものは
オケラの三杯酢に、
もつそう飯
ヘヱ、
お待遠さま、
志賀直哉様への
諷刺詩、
一丁、
あがつたよ。
佐藤春夫へ 男ありて
毎日、毎日
牛肉をくらひて
時にひとり
さんま[#「さんま」に傍点]を喰ひてもの思ふ
われら貧しきものは
時にさんま[#「さんま」に傍点]を喰ふのではない
毎日、毎日、さんまを喰らひて
毎日、毎日、コロッケを喰つてゐる
春夫よ、
あしたに太陽を迎へて
癇癪をおこし
夕に月を迎へて
癇癪をしづめる
古い正義と
古い良心との孤独地獄
あなたはアマリリスの花のごとく
孤高な一輪
新しい時代の
新しい正義と良心は
君のやうな孤独を経験しない
春夫よ
新しい世紀の
さんま[#「さんま」に傍点]は甘いか酸つぱいか
感想を述べろ。
島崎藤村へ こゝな口幅つたい弱輩愚考仕るには
先生には――夜明け前から
書斎にひとり起きいでて
火鉢の残火掻きたて
頬ふくらませ吹いてゐる
嗜好もなく望みもなく
たゞ先生の蟄居は
歴史の記録係りとして偉大であつた
先生はすぎさつた時に
鞭うつリアリストであり
新しい時をつくる予言者ではない
こゝな口幅つたい弱輩愚考仕るには
先生には訪問者を
玄関先まで送り出し
ペタリ坐つて三つ指ついて
面喰はせる態の
怖ろしく読者を恐縮させる
『慇懃文学』の一種である。
室生犀星へ 現実に
これほど
難癖をつけて
これほど
文句をつけ
これほど
しなだれかゝつて
これほど次々と作品を
口説き落せば達者なものだ、
あなたは
果して神か女か、
神であれば
荒びて疲れた神であり
女であれば
暗夜、頭に蝋燭をともして
釘をうつ魔女だ
しかし藁人形は悲鳴をあげない
呪はれる相手も居まい、
小説に苦しむたびに
幾度、
庭を築いては崩し
幾度、
石を買つては
売り飛ばし
老後の庭園を
掘つくりかへして
楽しんでゐるのは
御意の儘だ
それは貴方の庭だから。
正宗白鳥へ 右といへば
左といふ
山といへば
川といふ
行かうといへば
帰るといふ
御老体は天邪鬼(あまのじやく)
人生をかう
ヒネクレるまでには
相当修業を積んだことでせう、
歳月があなたの心を
冷え症にしてしまつたのか
痛ましいことです
あなたの正気からは
真実がきけさうもない
ちよいと
旦那
酔はして聞きたい
ことがあるわよ。
林芙美子へ 有名なる貴女の人格に
触れることをおゆるし下さい。
私も多少の人格をもつてゐる、
そしてそのいくらもない人格を賭けて
あなたのことを歌ふのだから、
あなたの芸術上の呑んだくれの
性格は出版記念会の
余興の上には一層それが発揮される
主賓としての貴女は洋食皿をもつて
泥鰌すくひを踊りまはる
それは良いことです
来賓を喜ばすことは
だがもしあなたが踊りのために
くるりと尻を捲つた
長襦袢が
余興のために前もつて着込んで
きたものであつたとしたら惨めです
あゝ、なんて細心な一見苦労人らしい、
事実はレビューガールの媚を想ひ起させる、
あなたは少し苦労をしすぎましたね、
前もつて、たくらんだ計画した
感傷性の売文家よ
だが、再び貴女に九尺二間の長屋に住めとは言はない
人生への追従をうち切つて下さい
面白がつてゐる読者に面白がらしてはいけない
世界の中にたゞ一人
私だけが面白くない貴女を期待してゐる
不機嫌な反逆的な貴女を待つてゐる。
横光利一へ 利一天狗は、
烏天狗、小天狗を引具し
昼なほ暗い純粋芸術の林に
エイ、ヤッ、トウ、と
枝から枝へ飛びかひ修業す、
暗夜、ふくろの声に
寂寥、身に沁む
人里恋しく
この天狗深山からのこのこと
通俗小説の里へ下りた瞬間
凡俗の世界に負けて
痴愚となる
ふたたび山へ戻つて修業するか
雲へ乗つて海外へ飛ぶか
鰯で醤油をつくるのは
小説の中ではたやすからうが
通俗的で芸術的な小説の
新案特許(パテント)をとるには
なかなか難かしからうて。
谷崎潤一郎へ 人生の
クロスワード
人生の
迷路を綿々と語る
大谷崎の作品は
はばたく蛾
鉛を呑んだ蟇
重い、
重い、
寝転んで読むには
勿体ないし
本屋の立読みには
長過ぎるし
読者にとつては
手探りで読む
盲目物語だ
作者の肩の凝り方に
読者が御相伴(ごしやうばん)するのも
よからうが
書籍代(ほんだい)より
按摩賃(あんまちん)が高くつきさうだ
先生の御作は
そやさかいに
ほんまに
しんどいわ。
新居格へ ビア樽のおぢさんは
コオヒイが好き
ジャズが好き
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、
ジャアナリズムがお好き
私は貴方の
真面目なやうで
不真面目極まるところが好きよ
豆、豆、豆、豆、
いつも豆で達者で
働き者よ
おぢさんは
ニヒリズムと
アナキズムと
とりまぜ豆、豆、豆、
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、
ジャアナリズムから
三頭橇(トロイカ)でお迎へだ、
お乗りなさい
愛嬌よく
ジャジャ馬は
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャと
あなたを乗せて
何処までも。
徳永直へ あなたを未だ曾つて世間で一度も
呼んだことがない風変りな
呼び方を私にさして貰ひたい、
『インテリゲンチャ作家徳永直氏よ』と
あなたはもう印刷工時代のケースの置場所も
忘れてしまつた頃だ、
それだのにみんなはよつて集つて
労働者作家だと胴上げする、
それはあなたの意志に反することに違ひない
そしてあなたを益々
ゴリキーにしがみつかせる
ゴリキーにばかり学んでゐないで、
たまには他のものも学んで下さい
ゴリキーも現実の一部だといふ意味に於てだ
大きな現実に学んで下さい、
もつとも
ゴリキーに尻尾があれば
もつと掴まり易いのだが
それがないのが残念だ。
林房雄へ なんてこの男は
どこからどこまでも
騒擾罪を犯す男か、
思想的にも社交的にも、
巧みなタンバリン叩きよ、心得たものだ、
彼が太鼓の中心をうてば、
周囲の鈴共は
ヂャリンヂャリンと鳴るのだ、
我々の中で悪態を吐いて愛されてゐる
福徳家は君一人だ、
ところで誰も彼が生理学の
大家だといふことを知らない、
出版記念会の席上で片つ端から罵り
帰りの玄関先で罵つた相手の肩を
『やあ、やあ』といつて
大きな平手で叩く、
馭者が憤つてゐる馬の首筋を
ダア、ダアといつてたゝくと
馬は眼を細くして温和しくなつてしまふ
神経中枢に近い部分を
平手でうつことは
鎮魂帰心のいゝ方法
林にやつつけられて林に肩をたたかれて
気が静まつた相手幾人ぞ
林よ、論敵を馬扱ひにしたから
今度は罵つてをいてそ奴の
耳の下を掻いてやりたまへ
すると今度はゴロゴロと咽喉を鳴らすだらう。
武田麟太郎へ おゝ、吾が友よ
高邁なる精神の見本そのものよ、
羽織の下に衣紋竿を
背負つてゐるだらう、
肩をいからし
『燕雀、何ぞ大鵬の志を
知らんや』
と呟きつゝ銀座を歩いてゐる
果して彼は
燕雀なりや、
大鵬なりや、
神さまだけがそれを知つてござらう。
泣いてゐる君の小説の素材よ。
君は全身的には政治が嫌ひだが
色眼だけは誰よりも美しい。
秋田雨雀へ はげしい電光の入り乱れた
日本の解放運動の
どさくさまぎれに、
猫の手も借りたい
忙しさに
やれ、講演会の
やれ、座談会のと
一にも秋田、
二にも秋田と
百パーセントに
好々爺は利用されてきた、
艶々しい白髪を
上座に据ゑることは
集まりに貫禄と重味を添へるから、
あつちからも、こつちからも
お座敷がかゝつてきた
手弁当、電車賃自分持ちで
老爺はにこ/\出かけて行つた
やがて雷は静まり
山蔭に遠く去つた時
すべての利用価値も去つてしまつた、
後輩共は老爺を
階級のトーテムポールのやうに
偶像化し
ジャアナリズムは
まだ年譜を書くほど
老い込んだ歳でもないのに
五十年の過去を綴らして
追想主義者に
片づけてしまつてゐる、
霜の朝
ふと胸の中の『創作慾』といふ
大切な球を
なくしてしまつたのに気がついた
日本のルナチャルスキーは
いま苦しんでゐる
失われた球を求めて。
窪川鶴次郎へ あなたの神経質は立派なものです
だが興奮剤の常用はお廃しなさい
マムシ酒では○○○○[#「○○○○」に「ママ」の注記]は勝てませんから
あなたの評論の文体は出色です
ちよつと私が型録(かたろぐ)を示しませう
『つまり、犬の口が尻尾を
咬へたといふことは、
尻尾が犬の口に
咬へられたといふことであるんである』
これでは犬がぐるぐる舞をする許りです、
いたづらに読者を混乱させます
どうぞ書斎の机にツヤブキンでもかけて
呼吸を統一して
まとまつた作品を見せて下さい
お見せにならんところをみると
さーては、備へつけた
『オゾン発生器』が
壊れましたかね。
長谷川如是閑へ 胸に手をあて
たゞ何となく
『自由』を愛してゐるお方
時代のハムレット
永遠の独身主義者よ、
私が女なら、
あなたの所に
押かけ女房に出かけます
飼犬どもをばみんな叩き出して
畳たゝいて
これ宿六
如是閑さん
長いこと理屈書いてゐて
理論の煙幕
『あの』『その』づくしで
あなたの良心済みますか
まあ/\隣近所のおかみさん達
ものは試しに
『あの』『その』数へて
ごらんなさい
これさ山の神
可愛い女房よ
まあ、まあ、怒るな
理論といふものは
つまつた時には
あの、その、さうした、
かうした、それ自体、
然しながら、あの、その、
然し、それは、それ自体
さうしたもんだよ。
中野重治へ 裾の乱れを気にばかりせず
気宇濶達の小説を書き給へ、
『小説の書けない小説家』
『小さい一つの記録』
などと妙に遠慮ぶつた標題をつけず
誰かのやうに『風雲』と大きく出るさ、
君も詩を掻き廻して
小説へ逃げて行つた前科者だ、
少しは詩の手土産を
散文の中で拡げるさ、
棒鱈のやうにつゝ張らずに
田作(ごまめ)の様にコチコチにならずに
少しは思想奔放症でやり給へ、
狭心症は生命を縮めるよ
釣銭のくるやうな
利口ぶりを見せないで、
馬鹿か利口か
けじめのつかないやうな
作品を書き給へ。
武者小路実篤へ 金銀の佩刀、そり打たせ給ふところの
武者小路実篤卿よ
ここに下賤の一詩人が
涙をふるつて諌言申す、
人間を『日向の村』へ追ひやつて
孤独と寂寥に悩ませるとは、
あゝ
つらい、つらい、
山の向うには歓楽の灯があると
新しい村の村民たちは
嘆いてゐるだらう
あなたの若いこのあやまちが
トルストイにとつ憑かれた、
あとは世間態と意地で
村の理想を細々とつないで
ゐるわけでもあるまいが、
早く村の解散式をやつておあげなさい。
文壇諷詩曲 あゝ、面白くもない人間の名前を詩で飾る僕の運命を悲しんでくれ
神が、私にこの仕事を与へ給ふた。
人間はその生れた土地の水と土とでできてゐる。
井伏鱒二は感傷と愚痴でできてゐる。
深田久弥は朗吟調の人生をもつてゐる。
そして彼はなかなか作文家だ。
あなたの小説は嫌ひだが
眼は好きです円地文子よ
だが惚れることは差控へよう
あなたは散文的に恋愛をするさうだから。
細々とした文章の長さの中で
眼だけ光らしてゐる小林秀雄よ
呪はれろ、死んでしまへ、深刻好きな君が地獄行の終電車に乗り遅れた格好だ。
若いジャックナイフが血を流してゐる時
近松秋江は紙切ナイフで過去の頁を切つてゐる。
どうだ一米突先の人生が見えるか
君の眼玉はいつもコペルニクス的に転廻してゐる和製ウナムノ、反対のための反対者、萩原朔太郎。
不吉な哲学は、よく笑ふ黒い鳥を生んだ
それが三好十郎、君なのだ、
もつと健康で衛生上よろしい喜劇を書いてくれ。
張赫宙は朝鮮にハイチャをして
東京で文学の峠をのぼりだした
ズルズルとすべる文体に警戒し給へ。
小さな真実を大きな法螺の貝から
鳴らすだけで礼拝される修験者志賀直哉
曾て文学の瀧に打たれた
経験をしやべることがお楽しみ。
随筆の王者のやうに人々を感心させてゐる
内田百間、君の文章が
人々をひきつける手品
君が押韻家だといふことに誰も気がつかない。
保田与重郎は跳ねる仔馬、可愛い哲学者、
君にとつては、もて遊ぶに手頃な哲学
法隆寺の屋根の上の烏は
君よりももつと思索的な糞をする。
わが愛するレコード係林房雄よ、
政府に関心をもつてゐる唯一の文学者
折々針を取り替へることを忘れて古い歌を繰返す記憶の友、忘れることを決してさせない。
村山知義はエネルギッシュな千手観音
右手に小説、左手に戯曲
さらに君は映画にまで接吻した
接吻の責任は君が負へ。
怒号のあとの寂寥を味ひながら
地方主義の旗の下に平田小六は
インタアナショナルを憎んでゐる。
何処にでも着陸するヱーロプレイン
うち出されて飛ぶ青野季吉はカタバルト
ジャアナリズムは彼の良き航空母艦。
作家よ、僕という諷刺詩人を
文壇に住まはせてをくな、
復讐鬼を抱いて寝てゐるやうなものだ、
黙殺を唯一の武器とするものも
また僕に可愛がられる
膏薬だらけの尻には太い注射を
徒党の頭からは、煮湯と火をつけたガソリン瓶を
彼女達にとつても僕は
数千里も長い鼻の下の用意がある
心から怒ることができない
不幸な女、神近市子よ
僕が幾度眼をこすつてみても君は優しい。
山本有三、自由主義の門番
あなたの良心に一応会釈をして通るだけだ。
病気のヒロイズムが文学を書かせるとき
森山啓を、地球の滅亡の不安が捉へる
君はもつと君の体温計に相談して
ものを書く必要がある。
ダブルベッドで一人で寝てゐる
処女、長谷川如是閑
二つの枕を一人で占領してゐる
右の枕でも、左の枕でも気儘に使ふ。
精々凝つた言葉をひねり出すために
りきんでゐる北川冬彦は
ワキガのやうな鼻持のならない警句を吐く
僕は君が定型詩をつくるのを永遠に待つてゐる。
小説を書く天分より、若くて乾分を飼ふ
技倆を賞めよう武田麟太郎
彼は這ひまはるリアリズムの子猫共を舐めてゐる。
女の羽ばたきの弱さを売文する林芙美子。
神よ、彼女が世界中の男を知つてゐるやうな口吻をもらすことを封じ給へ。
平素は遠雷のやうな存在
思ひ出したやうに作品を堕す
谷崎潤一郎は御神体のない拝殿のやうに大きい。
依然として布団の中の宇野浩二
立派な顔をもちながら
モミアゲの長さより顔を出さうとしない。
三等品の毒舌を吐く大宅壮一は涙の袋さ
つまるところは人情家さ
センチになるかはりに憤慨するだけさ
もつと悪人になる修業しろ。
詩魂衰へて警察歌をつくる北原白秋
歌壇に盤踞(ばんきよ)して、後陣を張る
歌壇組みし易しと見えたり。
帰朝者を迎へるお定まりの三鞭酒は
ポンポン抜かれた
佐藤俊子よ、アメリカで育てた
あなたのイデオロギーに栄(は)えあれ。
丸山薫は、だらしのない詩の涎れを
遂に散文の皿でうけた。
政治家犬養健は片脚
文学の義足をつけて鳴らしてゐる。
高見順は事件屋のやうに
人生から問題をさがす
彼の小説は読者をなだめるだけで精一杯。
理論家窪川鶴次郎は彼女に手を出して
手を噛まれた――小説といふ彼女に
窪川稲子の嫉妬が小説を書かせるほど
彼女は利巧者で、小説家で
黒襟をはずしてアッパッパを着る
時代性も承知してゐる。
名誉な太宰治は
痲痺状態で小説を書くコツを悪用する。
大森義太郎、実に長いいゝ名前だ
痰切飴のやうにイデオロギーを
柔らかに融かしてくれる。
島木健作、君は癩小説のお株を
奪つたものと決闘したまへ
次々と君のお株を奪ふもののために
十二連発で撃ち給へ
しかし自分のために最後の一発を残すのを忘れるな。
正宗白鳥は皮肉をいふことの楽しみも尽きさうだ。
旧名須井一、改メ加賀耿二
悪い姓名判断が彼の作品を下落さした。
文体をひねる職人、橋本英吉
現実よりも美しい小説を書く法などはない。
中条百合子から闘士を見物しようとする
悪い奴が少なくない
精々人情に混線した貴女は美しい。
運命を待つてゐることを知らない立野信之
不安なステッキで身の巡りを探つてから
一歩体を出す要領者
呆然としていゐる時間が多い人。
徳永直は礼讃者と忠告者とをごつちやにしてゐる
この辺で君は君の名簿を二つに分けたらいゝ、
君の将来と、君の健康のために。
なんて馬鹿丁寧な人生
島崎藤村のお低頭(じぎ)と謙遜も
度が過ぎれば狡猾となる。
横光利一は小道具の波の音でたくさんだつた、
涯々(はるばる)船酔ひを味はひに渡仏した
文学者としても旅行者としても身の程を知らない。
縞ズボンを余りに早く履きすぎた石川達三
文学の社交場で息を切らさしてゐる。
文壇の情誼廃れない間は久米正雄は廃れない。
亀井勝一郎は不安の精神を詰めこむ安楽椅子(ソファー)造りになつた。
岸田国士、彼は悔いを招くために諷刺小説を書いた。
短兵急に生きてゐる中野重治
思ひつきでなくジックリと懐ろから
取り出したやうな大きな作品を見せて頂戴
引掻く貴女の爪は血を流すが
掻かれた相手はカユイ許りだ
可愛いといふよりもカユイ人板垣直子よ。
尾崎士郎、彼の作品は良かれ悪しかれ
これまでは小説に箸のつけ方を知つてゐたがこれから先のことはわからない。
評論をやることで文化人で――、
消費組合の土台をヱンヤラヤット
打ち込む手伝ひをすることで階級人である
新居格は河馬のやうな格好で
人生をはにかんでゐる。
丹羽文雄は新しい道徳をつくる力もない
通俗から這ひあがれない蛾
頭が軽くて、尻が重いところだらう。
中河与一は、波の上でいつも
扇のカナメをねらつてゐる
波も動かず扇も動かねば
もつとよく当るのだが。
小説の嘘のつき方の足りなさ、空想の未熟、
室生犀星の頭の中に
酵母菌がたりなくなつた。
谷川徹三は文学の周囲を巡る謙遜さがある
文学が君の周囲を巡りだしたら
読者は一層助からない。
矢田津世子は芥川賞の候補になつた
こんどは小熊賞の候補にしてやらう。
舟橋聖一は「飛んだり跳ねたり」
豊田三郎は「起きあがり小法師」
共に行動主義のもとに
ナチオナル・ゾチアリズム、血縁的同胞主義。
河上徹太郎は――蒸溜水
三木清は――工業用アルコール
前者は栄養にならず
後者はツンと鼻にくる。
岡本かの子は仏の路を説かうとも
あなたは女臭ひ許りだ。
藤原定はおちつかない
狐のやうに後をふりかへる哲学をもつ。
深尾須磨子は
コレットとミスタンゲットの写真を抱いて寝る
情熱の色あせるとき頬紅は濃し
彼女はカルコの詩のやうに
「身を守ることに限りはなし」だ
元気を出しなよ、
そして僕と情死(しんじゆう)しよう。
川端康成のエゴイズムが辛うじて
彼に小説を綴らしてゐる
一人よがりの理解をふりかざして
踊り子と読者を追ひ廻す。
広津和郎は人生の攻め方を忘れさうだが
文壇の攻め方は忘れない
彼はよく引つ掛ける
論争の刺又(さすまた)をもつてゐる。
チャッカリ屋、吉屋信子
女だてらに原稿料の荒稼ぎ
河童の頭の皿に精々
注いで貰ひな
黄金の水を――。
岡田三郎は端麗な顔すぎた
人生とは君のやうに顔立の揃つたものではない
桁をはずして好漢暴れろ。
徳田一穂は親父秋声の子だ
作品的にもイデオロギー的にも
残念ながら親孝行すぎる
反逆の子でなければ吾が友ではない。
気の利いたことを言ふ点と
判らないことを判つたふりをする点で随一
文学のダニ芹沢光治良。
中原中也は書くものより
名前の方がずつと詩的だ
そつと尻をさするやうに人生に触れる
せいぜい温(ぬるま)湯の中で歌ひ給へ
彼にとつて詩とは不快感を宣伝する道具だ。
北条民雄よ、
病気があるために人生に死があるのぢやない、
満足な皮膚をしてゐて
心の腐つてゐる癩患者のことも書く気はないか。
いま僕は墓標を建てた
名前の羅列をもつて――、
散文をもつて掩はれてゐる日本の空は
根性の悪い発疹だらけの
犬の皮膚のやうに汚ない
君等の皮膚を掻いてやる親切さに
君等がこれを厚意として受取る方法は
だまつて、文句なしに
僕といふ諷刺詩人に悪口をいはれることだ。
文壇諸公に贈る新春賀詩     ――謹賀新年一月元旦――
中河与一について 君の意見は全部正しい、
もし、反対するものがなければだ、
人生がすべて偶然でできてゐるといふ
君の主張の粘り強さは
とうとう本屋から『偶然と文学』を出させて
印税を捲きあげるところまで成功した、
さて民衆が偶然的に君の本を買ふか
それとも必然的に誰も買はないかによつて、
君は自分の主張の正しさ誤まりを
君の財布の中に入る金で
知ることができるだらう。
民衆の貧乏を偶然的であればだとすると
僕が君の悪口を言ふのも偶然
すべてが偶然的だ、すべてをゆるせ、
君が歌よみの妻君と一緒になつたのも
何かの偶然だつたのだらうから、
夫婦喧嘩をしても
夫婦別れをしないところをみれば
夫婦の愛も偶然の連続か
偶然飯を焦して、
偶然子供を孕むか、
一九三五年度に君が偶然論者として
現はれたのも余りにといへば
歴史の正しさを証明した偶然だね。
小松清について インテリゲンチャの自由の精神は
何はともあれ『行動』するにありといふ
利口の一つ覚えを
たびたび繰り返し現在に到る、
あなたたちの行動主義は
自分で太鼓をうつて
デングリ返る
越後の獅子の目出度さや、
可憐なる反覆のみ、
どうぞお願ひですから
人生を静かにして下さい、
あなたの自由主義、
わたしたちの自由主義、
骨がなかつたら一心同体に
なりたいほど親身になつて
考へてゐますが
ちつとばかり私達の
骨の硬さがちがふので
一緒になれぬはお気毒さま。
亀井勝一郎について 青酸加里はもう買へなくなつた
あなたたちのロマン派に
辛子を売る店がない
十銭もつたら
珈排店に入つて
ぬるいコーヒーでも飲んで
仲間と論ずるさ
それともプレンソーダをのんで
かすかな沸騰を味ふかね、
仲間割れをするのには
いまがいゝ潮どきだ、
まごまごすると
ハマグリに笑はれるだらう。
林房雄について いよいよあなたに
方向転換のときが来た
あなたはそれを御存じか、
重いツヅラをとるか、
軽いツヅラをとるか、
君は無慾を発揮してはいけない、
重いツヅラの諷刺性をとれ
あなたの抒情性には
みんなに交際あきてゐる
毛脛と毒舌と本性を
披露すべきだらう、
ただあなたのいふやうに
蟇の冷血症では
諷刺は書けない、
どうやら私とあなたは
体質が合ひさうだ、
私の温い輸血を
進ぜませうかね、
それとも奥様で
間に合ひますかしら。
平林たい子について あなたの男性憎悪症を
支持する女共は
あなたの持ち合せの『強さ』を
こえることのできない
弱虫ばかり、
あなたを支持する男性は
みんな度胸のある豪い人間ばかり
私も勿論その一人に加へていたゞきたし
林もさうだし、広津もさうだ、
宇野浩二はテーブルスピーチでは
手をふつて
賛否を声明しなかつたが、
彼のモミアゲの長さ、顔の長さが
女性主義であることを証してゐる、
あなたを支持することは
男にとつては確かに度胸が要る
あなたは作品の硬さで
男を殴る気配を示すから。
青野季吉について 尊敬すべきは青野の吃音である、
人々は言葉多くして
真実を語らず
青野は言葉少くして
涙をながす、
たゞ彼にとつては真実を語るのに
辞書の文字
あまり多くして
悩みの種である。
彼に原稿紙の上でまで
吃りになれとは誰が
求めることができようか、
せめて文章を書く
唯一の自由を彼に学ぶべきであらう
部分的には『純情』を売り、
全体的には文字を売つて
生活してゐる彼を見遁すべきだ、
俗にいふ、好漢惜しむべきは
あまりに好漢である。
森山啓について 君に作品を批評されて
感謝してゐる作家を
僕は寡聞にして聞かない、
評論家森山は作品の
正面から組みついてきたためしがない
一応賞めておいて
『明日に期待する』といつた風な、
批評をすると定評がある、
君は作家同盟時代に
玄関を締めて
裏から出入りした癖を、
まだ治さないのか
こゝな、情勢を知らぬ
親不孝もの奴が、
評論の世界での思索の浅さ
詩の世界での古典的感傷性、
それを支持する幾人かの
保護者もあらう
だが多くは君の理論を
愛してゐないで
君の病弱に同情してゐる、
醒めよ、評論にも肉体にも
一切の同情を避けよ、
孤立することを怖れる
君であつては
永遠に夜の世界を歌ふ
フクローに属するだらう。
横光利一について 純芸術の壁にぶつかり
なにかにと理由を附して
芝居がかりのロッポーを踏んで
花道から通俗小説へずり込んだ
こゝもあまり住み場所がよくなからう、
今度は日本に
ながい草鞋を履くか、
納得のできないのは
横光利一洋行説である
モダニズムを仕入に行くなら
話が解つてゐるが
ファシストになりにゆくなら
大枚の旅費を使はなくても
日本の中でも結構テーマに不自由はしまい
なんのための洋行ぞや
まあ、祖国を離れて日本に文学ありやなしや
といふ疑問にぶつかつてきたまへ。
窪川いね子について あなたは
文学は女子一生の事業なりや
否やといふ疑ひは、もちますまい、
だが妻君稼業は
女子一生の事業なりや、否やといふ
疑ひはおもちでせう、
それが正しいのです、
ほんとうに世話のやける
亭主をもつたのが
あなたの不運ですよ、
同情しませう、
男の種類はアサリ貝の模様ほど
千差万別ありますが
泥を吐かしてしまへば
みんな同じ味ですよ、
あなたはまだ鶴次郎に
ほんとうにドロを吐かせてゐない。
菊池寛について 文学に見切をつけて
馬鹿面をして口をあけて
馬の鼻つらを睨む
競馬ファンの一人に
加はつたことは聡明である
あなたさまの文学観、人生観、
すべて真理に関することごとくのこと
投機のごとく考へてゐるのは達観なり、
そして見事に『文芸春秋』は当つた
もつとも投機的である
競馬でアテたためしがないのは
いかなる人生の矛盾ぞや、
あなたの運命は
文学を始めたときからでなく、
競馬を始めたときから変りだしたのだ。
新居格について 自由主義者としての貴方は
その主張のアナキスチックな
個所を取り除けば立派だ
たゞ文章の中にいつも
マルキストを攻撃する章を加へることは
あなたの終始一貫して渝(かはら)ない信条
狡猾な生活上の『現状維持(ステータス・クオ)』の
方法でなければ幸いなるかな、
その立場からマルキストを
諷刺する勇気も勃然と起るだらうし、
時代の運行のハンドルを
逆に廻さうと努力する
腹黒い船長のやうな
役割を果すことができよう。
善哉(よいかな)。肥満人新居格氏よ、
身をもつて思想上では
無節操と自由とを
混同することをもつて一生を終れ、
あなたは真の貧者の求めてゐる自由の
思想に対しては
撫でるか引つ掻くかの
二つより選んだためしがない。
未だ曾つて握手したためしがない。
窪川鶴次郎君へ 「前号の僕に対する窪川君の文章はふざけ切つたもので真面目な回
 答の必要を認めないので、この詩一篇を御歳暮に贈る」
僕は頼みはしなかつたよ、
君にこの世に生れてきてくれなどとは、
ところが宿命だね、
僕が生れてきてみると
君も生れてゐたことはね、
僕の文学の雑兵と
君の文学の幹部さまが
かうして現実に鼻突き合つてゐることは
理論もちがへば
肌も合はないよ、
生活もちがへば、
イデオロギーも喰ひ違ひさ、
お母さんがちがふために
かうもおたがひがちがふものかね
文明の世の中で僕は
ローソクの灯の下で詩を書いてゐるのは悲劇だね、
君はシャンデリヤの下で酔ひつぶれて
ヘドで詩を書いてゐる
月百五十円なければ暮らしてゆけないとは、
君の何処を押せば
さういふ良い音がでるのだね、
神よ、僕に月に十五円の定収入を与へ給へだ、
良い年をして甘つたれてくれるな
雑誌記者の前で法螺を吹くのはいゝさ、
だがそのまゝ法螺を民衆へ披露するのは
ちと民衆が可哀さうで御座らうて、
不渡り手形のやうな文学を書いて
民衆啓蒙も聞いてあきれる、
相当あつちこつち与太り廻つてきた
横線小切手のやうに
君の作品や理論がひねくりまはり、
読者の手許に着いたときは
結局一銭も預金がなかつたとさ、
文学の重役さまよ、
果してジャアナリズムは君に
安楽椅子を与へてゐるだらうか、
安楽椅子が君の上に
腰をかけてゐなかつたら幸せだね、
平林たい子へ 女の心は
バンジョウか
カスタネットか
こころが躍れば
身がふるふ、
あなたの心は
ビクともしない。
板額女
男嫌ひで
押す文学、
揺すぶりませうか
あなたの昔の想ひ出を
花簪(かんざし)
桃割の日のことを
初恋の人もあつたでせう、
冗談ぢやない
あなたの心臓は
沢庵漬の
重石ぢやあるまいし
少しは伸びたり
縮んだりして戴きたい、
いまは
男は『叫び』の
女は『嗚咽』の
文学を書く時代です、
あなたにはそれが
全くない
女の美しい痙攣がない。
武田麟太郎へ あなたは他人に
好色の戒めを仰言(おつしや)るから
私はあなたに文学の戒めを申しませう
あなたはリアリズムの
媒妁人で
雑誌『人民文庫』で
ムコを集めて
ヨメを探してゐるが
写真屋のリアリズムぢや
写真結婚は恨まれますよ、
さう詩的精神を
眼の仇にしないで
修正結構
ヱヤブラシ結構
見合の写真は
精々綺麗に願ひます
一緒になつてしまへば
どうせ馴れ合ふ性格だらうから
私があなたを諷刺したら
只では置かないと
茅場町会館の六階で
仰言つたさうだが
こんな汚らしい首でも
御所望とあれば差し上げたい
もつとも持参する誠意がないから
そつちから下界へ降りて来い。
大森義太郎へ 眼から火がでるほど
貧乏して
足から煙がでるほど
生活に駈け廻れば
民衆の思想も
少しはスパークするだらう、
あなたの唯物論ぢや
どこまで行つても
実験室もの、
フラスコの中のもの
犬もときどきは
棒杭を噛ぢらなければ
歯の琺瑯質が弱くなる
唯物論も噛つた程度でも
相当社会批判の
足しにはならう
手当をなさい
あなたの思想膿漏を
可愛がつておやり
あなたの放浪質を、
味方ではある――亀井勝一郎へ 君の哲学は
糠をかへないドブづけのやうに
永遠に腐つて行きたまへ
君の日本ロマン派の旗は
もう洗濯が利かなくなつた筈だ、
綿々と語ることは知つてゐるが
直さいに語る努力をしない、
生活で忙がしい
せつかちな民衆の味方ではないが、
遺産で喰つてゐる
悠々たる文学青年の
味方ではある、
中野重治へ なんと近頃の呼吸づかひの荒いことよ、
狼の荒さでなく
瀕死者の荒さをもつて
不安定な悪態を吐く
君は毒舌家でなく
諷刺家となり給へ
但し君のこれまでの思想を
観念主義の粒と
極左主義の骨とを
一度乳鉢で
丁寧に磨つてから
この情緒的なものを
諷刺に有効に使ふのだ、
どのやうに見かけの論争が激しくても
君のもつてゐる思想は
一つの焦点もつくらない
こはれたプリズムを
太陽の光線が避けるやうに
君の感情と思想が
四分五裂の屈折ある文章をかゝせる
君が敵とたたかふことは賛成だが
熊手でゴミを掻きよせるやうに
徒に我々の陣営へ
きたないものを近づけて混乱させる
君はどのやうな戦術家であるのか
島木健作について 彼が裟婆で原稿を売り廻つてゐるときにも
まだ牢獄の中にゐるときのやうに
苦しんでゐる
宿命論者よ、
その良心を人々はかつた、
ジャナリズムは歓迎したし
原稿は売れたさ、
だが牢獄の追憶が尽きたとき
題材がプツリと切れたさ、
ゆらい読者といふものは
惨酷なものさ、
君が宿命論を
卒業するのを内心喜ばないのだ、
今度は君はほんとうに
シャバにあつて
心の牢獄に入る番だ、
二人の感傷家に  ――森山啓と中野重治に与ふ――

センチメンタリスト森山啓よ
自分の弟の死を
文章で広告してあるくな
肉親の君より他人の僕の方がはるかに
君の弟を愛してゐたが
一言も文章を書かなかつた
――などといつたら君は驚ろいて
気絶しさうだらう、
愛とは結局理解のことさ、
君の良い養素をみんな
君の弟がさらつて
あの世へ行つてしまつたよ、
のこつたカスは君そのものさ、
センチメンタリスト中野重治よ、
君の思想は
繊維(センイ)だけでできてゐるのではあるまいか、
脂肪や肉をどこへ落してきた
刑務所の便器の中へ
をとしてきたのではあるまい
監房で君は何をしてきた
看守に反抗はしてきただらうが
思策はして来なかつただらう、
詩人でありたいなら
古い感傷から
新しい情緒にかはりたまへ
肉親の君より他人の僕が
君の妹を愛してゐる
などといつたら
君は驚ろいて
気絶しさうだらう
愛とは結局理解のことさ
君の良い養素をみんな
君の妹がもつてゐるよ、
のこつたカスは君そのものさ、


底本:「新版・小熊秀雄全集第3巻」創樹社
   1991(平成3)年2月10日第1刷
入力:八巻美恵
校正:浜野智
ファイル作成:浜野智
1999年6月18日公開
2000年11月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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