いなか、の、じけん

 村長さんの処の米倉から、白米を四ひょう盗んで行ったものがある。
 あくる朝早く駐在の巡査おまわりさんが来て調べたら、たわらを積んで行ったらしい車の輪のあとが、雨あがりの土にハッキリついていた。そのあとをつけて行くと、町へ出る途中の、とある村はずれの一軒屋の軒下に、その米俵を積んだ車が置いてあって、その横の縁台の上に、頬冠ほおかぶりをした男が大の字になって、グウグウとイビキをかいていた。引っ捕えてみるとそれは、その界隈で持てあまし者の博奕打ばくちうちであった。
 博奕打ちは盗んだ米を町へ売りに行く途中、久し振りに身体からだを使ってクタビレたので、チョットのつもりで休んだのが、思わず寝過ごしたのであった。
 腰縄を打たれたまま車を引っぱってゆく男の、うしろ姿を見送った人々は、ため息して云った。
「わるい事は出来んなあ」

 五十ばかりになって一人住居ずまいをしている後家ごけさんが、ひる過ぎに近所まで用足しに行って帰って来ると、開け放しにしておいた自分のうちの座敷のまん中に、知り合いの按摩あんまがラムプの石油をいて火をけながら、煙にせて逃げ迷っている……と思う間もなく床柱に行き当って引っくり返ってしまった。
 後家さんは、めんくらった。
「按摩さんが火事火事」
 と大声をあげて村中を走りまわったので、たちまち人が寄って来て、大事に到らずに火を消し止めた。気絶した按摩はかつぎ出されて、水をぶっかけられるとすぐに蘇生したので、あとから駈けつけた駐在巡査に引渡された。
 大勢に取り捲かれて、巡査の前の地べたに坐った按摩は、水洟みずばなをこすりこすりこう申し立てた。
「まったくの出来心で御座います。声をかけてみたところが留守だとわかりましたので……」
「それからどうしたか」
 と巡査は鉛筆をめながら尋ねた。皆はシンとなった。
「それで台所から忍び込みますと、ラムプを探り当てましたので、その石油を撒いて火をつけましたが、思いがけなく、うしろの方からも火が燃え出して熱くなりましたので、うろたえまして……雨戸は閉まっておりますし、出口の方角はわからず……」
 きいていた連中がゲラゲラ笑い出したので、按摩は不平らしく白い眼をいて睨みまわした。巡査も吹き出しそうになりながら、ヤケに鉛筆をめまわした。
「よしよし。わかっとるわかっとる。ところで、どういうわけで火をけたんか」
「ヘエ。それはあの後家めが」
 と按摩は又、そこいらを睨みまわしつつ、土の上で一膝進めた。
「あの後家めが、私に肩をませるたんびに、変なことを云いかけるので御座います。そうしてイザとなると手ひどく振りますので、その返報に……」
「イイエ、違います。まるでウラハラです……」
 と群集のうしろから後家さんが叫び出した。
 みんなドッと吹き出した。巡査も思わず吹き出した。しまいには按摩までが一緒に腹を抱えた。
 その時にやっと後家さんは、云い損ないに気が付いたらしく、生娘きむすめのように真赤になったが、やがて袖に顔を当てるとワーッと泣き出した。

「あの夫婦は虚空蔵さまの生れがわり……」
 という子守娘の話を、新任の若い駐在巡査がきいて、
「それは何という意味か」
 と問いただしてみたら、
「生んだ子をみんな売りこかして、うまいものを喰うて酒を飲まっしゃるから、コクウゾウサマ……」
 と答えた。巡査はその通り手帳につけた。それからその百姓のうちに行って取り調べると、五十ばかりの夫婦が二人とも口を揃えて、
「ハイ。みんな美しい着物を着せてくれる人の処へ行きたいと申しますので……」
 と済まし返っている。
「フーム。それならば売った時の子供の年齢は……」
「ハイ。姉が十四の年で、妹が九つの年。それから男の子を見世物師に売ったのが五つの年で……。ヘエ。証文がどこぞに御座いましたが……間違いは御座いません。ついこの間のことで御座いますから。ヘエ……」
 巡査はこの夫婦が馬鹿ではないかと疑い初めた。しかも、なおよく気をつけてみると、今一人の子供が女房の腹の中に居るようす……。
 巡査は変な気持ちになって帳面を仕舞しまいながら、
「フーム。まだほかに子供は無いか」
 と尋ねると、夫婦は忽ち真青になってひれ俯した。
「実は四人ほど堕胎おろしましたので……喰うに困りまして……どうぞ御勘弁を――」
 巡査は驚いて又帳面を引き出した。
「ウーム不都合じゃないか。何故そんな勿体ないことをする」
 というと、青くなっていた亭主が、今度はニタニタ笑い出した。
「ヘヘヘヘヘヘ。それほどでも御座いません。酒さえ飲めばいくらでも出来ますので……」
 巡査は気味がわるくなって逃げるようにこのうちを飛び出した。
「この事を本署に報告しましたら古参の巡査から笑われましたヨ。何でも堕胎罪で二度ほど処刑されている評判の夫婦だそうです。二人とも揃って低能らしいので、誰も相手にしなくなっていたのだそうです」
 と、その巡査の話。

「この石を線路に置いたら、汽車が引っくり返るか返らないか」
「馬鹿な……それ位の石はハネ飛ばして行くにきまっとる」
「インニャ……引き割って行くじゃろうて……」
「論より証拠やってみい」
「よし来た」
 間もなく来かかった列車は、轟然ごうぜんたる音響と共に、その石を粉砕して停車した。見物していた三人の青年は驚いて逃げ出した。
 あくる朝三人が、村の床屋で落ち合ってこんな話をした。
昨日きのうは恐ろしかったな。あんまり大きな音がしたもんで、おらあ引っくり返ったかと思うたぞ」
「ナアニ。機関車は全部鉄造りじゃけにな。あんげな石ぐらいでもなかろ」
「しかし、引き砕いてから停まったのは何故じゃろか。車の歯でも欠けたと思ったんかな」
「ナアニ。人をいたと思ったんじゃろ」
 こうした話を、頭を刈らせながらきいていた一人の男は、列車妨害の犯人捜索に来ていた刑事だったので、すぐに三人を本署へ引っぱって行った。
 その中の一人は署長の前でふるえながらこう白状した。
「三人の中で石を置いたのは私で御座います。けれどもはね飛ばしてゆくとばかり思うておりましたので……罪は一番軽いので……」
 と云い終らぬうちに巡査から横面よこつらくらわせられた。
 三人は同罪になった。

 漁師の一人娘で生れつきの盲目めくらが居た。色白の丸ポチャで、三味線なら何でもくのが自慢だったので、方々の寄り合い事に、芸者代りに雇われて重宝がられていた。
 ある時、近くの村の青年の寄り合いに雇われたが、案内に来た青年は馬方うまかたで、馬力ばりきの荷物のうしろの方に空所あきを作って、そこに座布団を敷いて、三味線と、下駄を抱えた女を乗せると、最新流行のスットントン節を唄いながら、白昼の国道を引いて行った。
 ところがその馬力が、正午ひる過ぎに村へ帰りつくと、荷物のうしろには座布団だけしか残っていないことが発見されたので、忽ち大騒ぎになった。
「途中の松原で畜生が小便した時までは、たしかに女が坐っておった」
 という馬方の言葉をたよりに、村中総出でそこいらの沿道を探しまわったが、それらしい影も無い。村長や、区長や、校長先生や巡査が青年会場に集まって、いろいろに首をひねったけれども、第一、居なくなった原因からしてわからなかった。
 結局、娘の親たちへ知らせなければなるまい……というので、とりあえず青年会員が二人、娘のうちへ自転車を乗りつけると、晴れ着をホコリダラケにしたその娘が、おやじに引き据えられて、泣きながらたれている。
 二人の青年は顔を見合わせたが、ともかくも飛び込んで押し止めて、
「これはどうした訳ですか」
 と尋ねると、おやじは面目なさそうに頭を掻いた。
「ナアニ。こいつがこの頃流行はやるスットントンという歌を知らんちうて逃げて帰って来たもんですけに……どうも申訳ありませんで……」
 二人の青年はいよいよ訳がわからなくなった。そこで、なおよく事情をきいてみると、最前女を馬力に乗せて引いて行った青年が、途中でスットントン節をくり返しくり返し唄った。それは娘に初耳であったので、先方さきで弾かせられては大変と思って、一生懸命に耳を澄ましたが、あいにくその青年が調子外れ(音痴)だったので、歌の節が一々変テコに脱線して、本当の事がよくわからない。これではとても記憶おぼえられぬと思うと、女心のせつなさに、下駄と三味線を両手に持って、死ぬる思いで馬力から飛び降りて逃げ帰ったものと知れた。
 青年の一人はこの話をきくと非常に感心したらしく、勢い込んで云った。
「実に立派な心がけです。しかし心配することはない。私たちと一緒に来なさい。これから夜通しがかりで青年会をやり直します。歌は途中で私が唄ってきかせます」

 一部落こぞって、不動様を信心していた。
 その中で、夫婦と子供三人の一家が夕食の最中に、主人がはしをガラリと投げ出して、
「タッタ今おれに不動様が乗り移った」
 と云いつつ凄い顔をして坐り直した。おかみさんは慌てて畳の上にひれ伏した。ビックリして泣き出した三人の子供も、叱りつけて拝ました。
 このうわさが伝わると、そこいらじゅうの信心家が、あとからあとから押しかけて来て「お不動様」の御利益ごりやくにあずかろうとしたので、家の中は夜通し寝ることも出来ないようになった。
 そのまん中に、木綿の紋付き羽織を引っかけた不動様が坐って、恐ろしい顔で睨みまわしていたが、やがて、うしろの方に坐っている、紅化粧した別嬪べっぴんをさし招いた。その女は二三日前近所へ嫁入って来たものであった。
「もそっと前へ出ろ。出て来ぬと金縛りに合わせるぞ。ズッと私の前に来い。怖がる事はない。罪を浄めてやるのだ。サアよいか。お前は前のしょうに恐ろしい罪を重ねている。その罪を浄めてやるから舌を出せ。もそっと出せ。出さぬと金縛りだぞ……そうだそうだ……」
 こう云いつつその舌に顔をさし寄せて、ジッと睨んでいた不動様は、不意にパクリとその舌を頬張ると、ズルリズルリとシャブリ初めた。
 女は衆人環視の中で舌をさし出したまま、眼を閉じてブルブルふるえていた。すると不動様は何と思ったか突然に、その舌を根元からプッツリと噛み切って、グルグルとみ込んでしまった。
 女は悶絶したまま息が絶えた。
 あとで町から医者や役人が来て取調べた結果、不動様の脳髄がずっと前から梅毒に犯されていることがわかった。
 この事実がわかると、その村の不動様信心がその後パッタリと止んだ。不動様を信仰すると梅毒になるというので……。

 駐在巡査が夜ふけて線路の下の国道を通りかかると、頬冠ほおかぶりをした大男が、ガードの上をスタスタと渡って行く。何者だろう……とフト立ち停まると、その男が一生懸命に逃げ出したので、巡査も一生懸命に追跡を初めた。
 やがてその男が村の中の、とある物置へ逃げ込んだので、すぐに踏み込んで引きずり出してみると、それは村一番の正直者で、自分の家の物置に逃げ込んだものであることがわかった。
 巡査はガッカリして汗を拭き拭き、
「馬鹿めが。何もしないのに何でおれの姿を見て逃げた」
 と怒鳴りつけると、その男も汗を拭き拭き、
「ハイ。泥棒と間違えられては大変と思いましたので……どうぞ御勘弁を……」

 心中のし損ねが村の駐在所に連れ込まれた……というのでみんな見に行った。
 十しょくの電燈に照らされた板張りの上の小さな火鉢に、消し炭が一パイに盛られている傍に、男と女が寄り添うようにしてうずくまって、れくたれた着物のそであぶっている。どちらも都の者らしく、男は学生式のオールバックで、女は下町風の桃割れに結っていた。
 硝子ガラス戸の外からのぞき込む人間の顔がふえて来るにつれて、二人はいよいよくっつき合って頭を下げた。
 やがて四十四五に見える駐在巡査が、ドテラがけで悠然と出て来た。一パイ飲んだらしく、赤い顔をピカピカ光らして、二人の前の椅子にドッカリと腰をかけると、酔眼朦朧とした身体からだをグラグラさせながら、いろんな事を尋ねては帳面につけた。そのあげくにこう云った。
「つまりお前達二人はスウィートポテトーであったのじゃナ」
 硝子戸の外のやみの中で二三人クスクスと笑った。
 すると、うつむいていた若い男が、濡れた髪毛かみのけを右手でパッとうしろへはね返しながら、キッと顔をあげて巡査を仰いだ。異状に興奮したらしく、白い唇をわななかしてキッパリと云った。
「……違います……スウィートハートです……」
「フフ――ウム」
 と巡査は冷やかに笑いながらヒゲをひねった。
「フ――ム。ハートとポテトーとはどう違うかナ」
「ハートは心臓で、ポテトーはいもです」
 と若い男はタタキつけるように云ったが、硝子戸の外でゲラゲラ笑い出した顔をチラリと見まわすと、又グッタリとうなだれた。
 巡査はいよいよ上機嫌らしくヒゲを撫でまわした。
「フフフフフ。そうかな。しかしドッチにしても似たもんじゃないかナ」
 若い男は怪訝けげんな顔をあげた。硝子戸の外の笑い声も同時に止んだ。巡査は得意らしくになった。
「ドッチもいらざるところで芽を吹いたり、くっつき合うて腐れ合うたりするではないか……アーン」
 人が居なくなったかと思う静かさ……と思う間もなく、硝子戸の外でドッと笑いの爆発……。
 若い男はハッと両手を顔にあてて、ブルブルと身をふるわした。初めから嘲弄されていたことがわかったので……同時に、横に居た桃割れも、ワッとばかり男の膝に泣き伏した。
 硝子戸の外の笑い声が止め度もなく高まった。
 巡査も腕を組んだまま天井をあおいだ。
「アアハアハアハア。馬鹿なやつどもじゃ。アアハアアアハア……」

 みんな田の草を取りに行っていたし、留守番の女子供も午睡ひるねの真最中であったので、只さえびれた田舎町の全体が空ッポのようにヒッソリしていた。その出外れの裏表二間ふたまをあけ放した百姓家の土間に、一人の眼のわるい乞食爺こじきじじいが突立って、見る人も無く、聞く人も無いのにアヤツリ人形を踊らせている。
 人形は鼻の欠けたそで姿で、色のさめた赤い鹿を頭からブラ下げていた。
「観音シャマを、かこイつウけエて――。会いに――来たンやンら。みンなンみンやンら。……振りイ――の――たンもンとンにイ――北ンしよぐウれエ。晴れンも――。さンら――にイ……。な――かア……」
 歯の抜けた爺さんの義太夫はすこぶる怪しかったが、それでもかなり得意らしく、時々かすんだ眼を天井に向けては、人形と入れ違いに首をふり立てた。
「ヘ――イ。このたびは二の替りといたしまして朝顔日記大井川の段……テテテテテ天道てんどうシャマア……きこえまシェぬきこえまシェぬきこえまシェぬ……チン……きこえまシェぬわいニョ――チッチッチッチッ」
「妻ア――ウワア。なンみンだンにイ――。か――き――くンるえ――テヘヘヘヘ。ショレみたんよ……みつひでエどンの……」
 振り袖の人形が何の外題げだいでも自由自在に次から次へ踊って行くにつれて、爺さんのチョボもだんだんとぎれとぎれに怪しくなって行った。
 しかし爺さんは、どうしたものかナカナカ止めなかった。ヒッソリした家の中で汗を拭き拭きシャれた声を絞りつづけたので、人通りのすくない時刻ではあったが、一人立ち止まり二人引っ返ししているうちに、近所界隈の女子供や、近まわりの田に出ていた連中で、表口が一パイになって来た。
狂人きちがいだろう」
 と小声で云うものもあった。
 そのうちに誰かが知らせたものと見えて、このの若い主人が帰って来た。手足を泥だらけにした野良着のらぎのままであったが、肩をそびやかして土間に這入はいるとイキナリ、人形をさし上げている爺さんの襟首えりくびに手をかけてグイと引いた。振袖人形がハッと仰天した。そうして次の瞬間にはガックリと死んでしまった。
 見物は固唾かたずをのんだ。どうなることか……と眼をみはりながら……。
「……ヤイ。キ……貴様は誰にことわって俺のうちへ這入った……こんな人寄せをした……」
 爺さんは白い眼を一パイに見開いた。口をアングリとあけて呆然となったが、やがて震える手でかたわらの大きな信玄袋の口を拡げて、生命いのちよりも大切だいじそうに人形を抱え上げて落し込んだ。それから両手をさしのべて、破れた麦稈むぎわら帽子と竹の杖を探りまわし初めた。
 これを見ていた若い主人は、表に立っている人々をふり返ってニヤリと笑った。人形を入れた信玄袋をソッと取り上げて、うしろ手に隠しながらわざと声を大きくして怒鳴った。
「サア云え。何でこんな事をした。云わないと人形を返さないぞ」
 何かボソボソ云いかけていた見物人が又ヒッソリとなった。
 麦稈帽を阿弥陀あみだかぶった爺さんは、竹の杖を持ったままガタガタとふるえ出した。ペッタリと土間に坐りながら片手をあげて拝む真似をした。
「……ど……どうぞお助け……御勘弁を……」
「助けてやる。勘弁してやるから申し上げろ。何がためにこの家に這入ったか。何の必要があれば……最前からアヤツリを使ってコンナに大勢の人を寄せたのか。ここを公会堂とばし思ってしたことか」
 爺さんは見えぬ眼で次のをふり返ってした。
「……サ……最前……私が……このお家に這入りまして……人形を使い初めますと……ア……あそこに居られたどこかの旦那様が……イ……一円……ク下さいまして……ヘイ……おれが飯を喰っているに……貴様が知っているだけ踊らせてみよ……トト、……おっしゃいましたので……ヘイ……オタスケを……」
「ナニ……飯を喰ったア……一円くれたア……」
 若い主人はメンクラッたらしく眼を白黒さしていたが、忽ち青くなって信玄袋を投げ出すと、次のあがかまちに駈け寄った。そこにひろげられた枕屏風まくらびょうぶの蔭に、空っぽの飯櫃めしびつがころがって、無残に喰い荒された漬物の鉢と、土瓶どびんと、はしとが、飯粒めしつぶにまみれたまま散らばっている。そんなものをチラリと見た若い主人の眼は、すぐに仏壇の下に移ったが、泥足のままかけ上って、半分開いたまんまの小抽出しを両手でかきまわした。
「ヤラレタ……」
 と云ううちに見る見る青くなってドッカリと尻餅を突いた。頭を抱えて縮み込んだ。表の見物人はまん丸にした眼を見交みかわした。
「……マア……可哀相に……留守番役のおふくろが死んだもんじゃけん」
「キット流れ渡りの坑夫のワルサじゃろ……」
 そのささやきを押しわけてこのの若い妻君が帰って来た。やはり野良行きの姿であったが、信玄袋を探し当てて出て行く乞食爺の姿を見かえりもせずに、泥足のままツカツカと畳の上にあがると、若い主人の前にベッタリと坐り込んだ。頭の手拭を取ってびんのほつれを掻き上げた。無理に押しつけたような声で云った。
「お前さんは……お前さんは……この小抽出しに何を入れておんなさったのかえ……わたしに隠して……一口も云わないで……」
 若い主人はアグラを掻いて、頭を抱えたまま、返事をしなかった。やがて濡れた筒ッポウの袖口で涙を拭いた。
 下唇を噛んだまま、ジッとこの様子をながめていた妻君の血相がみるみる変って来た。不意に主人の胸倉むなぐらを取ると、猛烈に小突きまわし初めた。
「……えエッ。口惜しいッ。おおかた大浜(白首街しらくびまち)のアンチキショウの処へ持って行く金じゃったろ。畜生畜生……二人での眼を寝ずに働いた養蚕ようさんの売り上げをば……いつまでも渡らぬと思うておったれば……エエッ……クヤシイ、クヤシイ」
 しかしいくら小突かれても若い主人はアヤツリのようにうなだれて、首をグラグラさせるばかりであった。
 二三人見かねて止めに這入って来たが、一番うしろの男は表の人だかりをふり返って、ペロリと赤い舌を出した。
「これがホンマのアヤツリ芝居じゃ」
 みんなゲラゲラ笑い出した。
 妻君が主人の胸倉を取ったままワーッと泣き出した。

 お安さんという独身者ひとりもので、村一番のけちぼうの六十婆さんが、鎮守様のお祭りの晩に不思議な死にようをした。
 ……たった一人で寝起きをしている村外れの茶屋のかまどの前で、痩せかれた小さな身体からだ虚空こくうを掴んで悶絶していた。平生ふだん腰帯にしていた絹のボロボロの打ちひもが、しわだらけの首に三廻みまわりほど捲かれて、ノドボトケの処で唐結からむすびになったままシッカリと肉に喰い込んでいたが、その結び目の近まわりが血だらけになるほど掻き※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしられている。しかし何も盗まれたもようは無く、外から人の這入った形跡も無い。法印さんの処から貰って帰ったお重詰めは、箸をつけないまま煎餅布団せんべいぶとんの枕元に置いてあった。貯金のかよちょうは方々探しまわったあげく、竈の灰の下の落し穴から発見された。その遺産を受け継ぐべき婆さんのたった一人の娘と、その婿になっている電工夫は、目下東京に居るが、急報によって帰郷の途中である。婆さんの屍体は大学で解剖することになった……近来の怪事件……というので新聞に大きく出た。
 お安婆さんの茶店は、鉄道の交叉点のガードの横から、海を見晴らしたところにあった。古ぼけた葭簀よしず張りの下に、すこしばかりの駄菓子とラムネ。渋茶を煮出した真黒な土瓶。剥げた八寸膳の上に薄汚ない茶碗が七ツ八ツ……それでも夏は海から吹き通しだし、冬の日向きがよかったので、街道通いの行商人なぞがスッカリ狃染なじみになっていた。
 主人公の婆さんは三十いくつかの年にかかった熱病以来、腰が抜けてが不自由になると、生れて間もない娘を置き去りにして亭主が逃げてしまったので、田畠を売り払ってここで茶店を開いた。その娘がまたなかなかの別嬪べっぴんの利発もので、十九の春に、村一番の働き者の電工夫を婿養子に取ったが、今は夫婦とも東京の会社につとめて月給を貰っているとか。
「その娘夫婦が東京に孫を見に来い見に来いと云いますけれども、まあなるたけ若い者の足手まといになるまいと思うて、この通りどうやらこうやらしております。自分の身のまわりの事ぐらいは足腰が立ちますので……娘夫婦もこの頃はワタシに負けて、そのうちに孫を見せに帰って来ると云うておりますが……」
 と云いながら婆さんは、青白い頬をヒクツカせて、さも得意そうにニヤリとするのであった。
「……フフン。それでも独りで淋しかろ……」
 と聞き役になったお客が云うと、婆さんは又、オキマリのようにこう答えた。
「ヘエあなた。二度ばかり泥棒が這入りましてなあ。貴様は金を溜めているに違いないと申しましたけれどもなあ。ワタシは働いたお金をみんな東京の娘の処に送っております。それでも、あると思うならワタシを殺すなりどうなりしてユックリと探しなさいと云いましたので、茶を飲んで帰りました」
 しかしこの婆さんが千円の通い帳を二ツ持っているという噂を、本当にしないものは村中に一人も居なかった。それ位にこの婆さんの吝ン坊は有名で、殆んど喰うものも喰わずに溜めていると云ってもいい位であった。そんな評判がいろいろあるうちにも小学校の生徒まで知っているのは「お安さん婆さんの一服三杯」という話で……。
「フフン。その一服三杯というのは飯のことかね……」
 と村の者の云うことをきいていた巡査は手帳から眼を離した。
「ヘエ。それはソノ……とても旦那方にお話し致しましても本当になさらないお話で……しかしあの婆さんが死にましたのは、確かにソノ一服三杯のおかげに違いないと皆申しておりますが……」
「フフン。まあ話してみろ。参考になるかもしれん」
「ヘエ。それじゃアまアお話ししてみますが、あの婆さんは毎月一度ずつ、駅の前の郵便局へ金を預けに行く時のほかは滅多にうちを出ません。いつもたった一人で、あの茶店に居るので御座いますが、それでも村の寄り合いとか何とかいう御馳走ごとにはキット出てまいります。それも前の晩あたりから飯を食わずに、腹をペコペコにしておいて、あくる日は早くから店を閉めて、松葉杖を突張って出て来るので御座いますが、いよいよ酒の座となりますと、先ず猪口ちょこで一パイ飲んで、あの青い顔を真赤にしてしまいます。それから飯ばっかりを喰い初めて、時々おしたじをチュッチュッと吸います。漬け物もすこしは喰べますが、大抵六七八杯は請け合いのようで……それからいよいよ喰えぬとなりますと、煙草を二三服吸うて、一息入れてから又初めますので、アラカタ二三杯位は詰めこみます。それからあとのおひらや煮つけなぞを、飯と一緒に重箱に一パイ詰めて帰って、その日は何もせずに、あくる日の夕方近くまで寝ます。それからポツポツ起きて重箱の中のものをついて夕飯にする。御承知の通り、この辺の御馳走ごとの寄り合いは、大抵時候のよい頃に多いので、どうかすると重箱の中のものが、その又あくる日の夕方までありますそうで……つまるところ一度の御馳走が十ペン位の飯にかけ合うことに……」
「ウ――ム。しかしよく食傷して死なぬものだな」
「まったくで御座います旦那様。あの痩せこけた小さな身体からだに、どうして這入るかと思うくらいで……」
「ウ――ム。しかしよく考えてみるとそれは理窟に合わんじゃないか。そんなにして二日も三日も店を閉めたら、つまるところ損が行きはせんかな」
「ヘエ。それがです旦那様。最前お話し申上げましたその娘夫婦も、それを恥かしがって東京へ逃げたのだそうでございますが、お安さん婆さんに云わせますと……『自分で作ったものは腹一パイ喰べられぬ』というのだそうで……ちょうどあの婆さんが死にました日が、ここいらのお祭りで御座いましたが、法印さんの処で振舞いがありましたので、あの婆さんが又『一服三杯』をやらかしました。それが夜中になって口から出そうになったので勿体なさに、ひもでノド首をしばったものに違いない。そうして息が詰まって狂い死にをしたのだろう……とみんな申しておりますが……」
「アハハハハハ。そんな馬鹿な……いくらけちぼうでも……アッハッハッハッ……」
 巡査は笑い笑い手帳と鉛筆を仕舞って帰った。
 しかしお安さん婆さんの屍体解剖の結果はこの話とピッタリ一致したのであった。

 山の麓に村一番の金持ちのおやしきがあって、そのまわりを十軒ばかりの小作人の家が取り巻いて一部落を作っていた。
 お邸の裏手から、山へ這入るところに柿の樹と、桑の畑があったが、梅雨つゆがあけてから小作人の一人が山へ行きかかると、そこの一番大きい柿の樹の根方から、赤ん坊の足が一本洗い出されて、蟻と蠅が一パイにたかっているのを発見したので真青になって飛んで帰った。
 やがて駐在所から、新しい自転車に乗った若い巡査がやって来て掘り出してみると、六ヶ月位の胎児で、死後一週間を経過していると推定されたので、いくらもないその部落の中の女が一人一人に取り調べられたが、怪しい者は一人も居なかった。結局残るところの嫌疑者は、この頃、都の高等女学校から帰省して御座る、お邸のお嬢さん只一人……しかもすこぶるつきのハイカラサンで、大旦那が遠方行きの留守中を幸いに、ゴロゴロ寝てばかり御座る様子がどうも怪しいということになった。
 若い巡査は或る朝サアベルをガチャガチャいわせてそのお邸の門を潜った。
「ソラ御座った。イヨイヨお嬢さんが調べられさっしゃる」
 と家中うちじゅうのものが鳴りを静めた。野良のらからこの様子を見て走って来るものもあった。
 玄関に巡査を出迎えて、来意をきいた娘の母親が、血の気の無くなった顔をして隠居部屋に来てみると、細帯一つで寝そべって雑誌を読んでいた娘は、白粉おしろいの残った顔を撫でまわしながら蓬々ほうほうたる頭をもたげた。
「何ですって……わたし堕胎だたいしたかどうか巡査が調べに来ているんですって……ホホホホホ生意気な巡査だわネエ。アリバイも知らないで……」
 玄関に近いので母親はハラハラした。眼顔で制しながら恐る恐る問うた。
「……ナ……何だえ。その蟻とか……蠅とかいうのは……アノ胎児はらみごの足にたかっていた虫のことかえ……」
「ホホホホホホそんなものじゃないわよ。何でもいいから巡査さんにそう云って頂戴……妾にはチャンとしたアリバイがありますから、心配しないでお帰んなさいッテ……」
 母親はオロオロしながら玄関に引返した。
 しかし巡査は娘の声をきいていたらしかった。少々興奮のていで仁王立ちになって、ポケットから手帳を出しかけていたが、母親の顔を見るとまだ何も云わぬ先にグッと睨みつけた。
「そのアリバイとは何ですか」
 母親はふるえ上った。よろめきたおれむばかりに娘のところへ駈け込むと、雑誌の続きを読みかけていた娘は眉根を寄せてふり返った。
「ウルサイわねえ。ホントニ。そんなに妾が疑わしいのなら、妾の処女膜を調べて御覧なさいッて……ソウおっしゃい……失礼な……」
 母親はヘタヘタと坐り込んだ。巡査も真赤になって自転車に飛び乗りながら、逃げるように立ち去った。
 それ以来この部落ではアリバイという言葉が全く別の意味で流行している。

 海岸沿いの国有防風林の松原の中に、托鉢坊主たくはつぼうずとチョンガレ夫婦とが、向い合わせの蒲鉾小舎かまぼこごやを作って住んでいた。
 三人は極めて仲がいいらしく、毎朝一緒に松原を出て、一里ばかり離れた都会に貰いに行く。そうして帰りには又どこかで落ち合って、何かしら機嫌よく語り合いながら帰って来るのであった。月のいい晩なぞは、よくその松原から浮き上るような面白い音がきこえるので、村の若い者が物好きに覗いてみると蒲鉾小舎の横の空地で、チョンガレ夫婦のペコペコ三味線と四つ竹(肉の厚い竹片たけべらを、二枚ずつ両手に持って、打ち合わせながらはやすもの)の拍子に合わせて、向う鉢巻の坊主が踊っていたりした。横には焚火たきびと一升徳利どくりなぞがあった。
 そのうちに世間が不景気になるにつれて、坊主の方には格別の影響も無い様子であるが、チョンガレ夫婦の貰いが、非常に減った模様で、松原へ帰る途中でも、そんな事かららしく、夫婦で口論いさかいをしていることが珍らしくなくなった。或る時なぞは村外れで掴み合いかけているのを、坊主が止めていたという。
 ところがそのうちに三人の連れ立った姿が街道に見られなくなって、その代りに頭を青々と丸めて、法衣ころもを着たチョンガレの托鉢姿だけが、村の人の眼につくようになった。
 ……コレは可怪おかしい。和尚おしょうの方は一体何をしているのか……と例によってオセッカイな若い者が覗きに行ってみると、坊主はチョンガレの女房を、自分の蒲鉾小屋に引きずり込んで、魚なぞを釣って納まり返っている。夕方にチョンガレが帰って来ても、女房は平気で坊主のところにくっ付いているし、チョンガレも独りで煮タキして独りで寝る……おおかた法衣ころもと女房の取り換えっこをしたのだろう……というのが村の者の解釈であった。
 ところが又そののちになるとチョンガレの托鉢姿が、いつからともなく松原の中に見えなくなった。しかし蒲鉾小舎は以前のままで、チョンガレの古巣は物置みたように、枯れ松葉や、古材木が詰め込まれていた。そうして坊主がもとの木阿弥もくあみの托鉢姿に帰って、松原から出て行くと、女房は女房で、坊主と別々にペコペコ三味線を抱えて都の方へ出かける。夜は一緒に寝ているのであった。
「坊主も遊んでいられなくなったらしい」
 と村の者は笑った。
 そのうちに冬になった。
 或る夜ケタタマシク村の半鐘が鳴り出したので、人々が起きてみると、その松原が大火焔を噴き出している。アレヨアレヨといううちに西北の烈風に煽られて、見る間に数十町歩を烏有うゆうに帰したので、都の消防が残らず駈けつけるなぞ、一時は大変な騒ぎであったが、幸いに人畜に被害も無く、夜明け方に鎮火した。火元は無論その蒲鉾小舎で、二軒とも引き崩して積み重ねて焼いたらしい灰の下から、半焼けの女房の絞殺屍体と、その下の土饅頭どまんじゅうみたようなものの中から、半分骸骨になったチョンガレの屍体があらわれた。しかもそのチョンガレの頭蓋骨が掘り出されると、噛み締めた白い歯が自然といて、中から使いさしの猫イラズのチューブがコロガリ出たので皆ゾッとさせられた。

 鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越たんぼごしの本村ほんむらまで聞こえた。
 ところが或る晩の十時過の事。おめん籠手こての声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うとそれから暫くして、提灯ちょうちんの光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。
「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
 といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、又消えた。
 提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三ツの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋あばらやに住んでいる親爺おやじで、年の頃はもう六十四五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重やえという白痴の娘を連れて、仕舞湯しまいゆに入りに来たのであった。
 親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五分心ぶしんの石油ラムプを吊して火をけた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣ゆかたを脱ぐと、くの字なりにゆがんだ右足に、黒い膏薬こうやくをベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにラムプの下に突き出して撫でまわした。
 その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪べっぴんという評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、一種異様な対照を作っているのであった。
「ホントウダホントウダ」「ふくれとるふくれとる」「ドレドレ俺にも見せろよ」「フーン誰の子だろう」「わかるものか」「俺ア知らんぞ」「嘘け……お前の女だろうが」「馬鹿云えコン畜生」「シッシッ」
 というようなボソボソ話が、又も浴場のまわりで起った。しかし親爺は耳が遠いので気がつかないらしく、黙って曲った右足を湯の中に突込んだ。お八重もそのあとから真似をするように右足をあげて這入りかけたが、フイと思い出したようにその足を引っこめると、流し湯へかがんでシャーシャーと小便を初めた。
 元五郎親爺はその姿を、かすんだ眼で見下したまま、妙な顔をしていたが、やがてノッソリと湯から出て来て、小便を仕舞しまったばかりの娘の首すじを掴むと、その膨れた腹をグッと押えつけた。
「これは何じゃえ」
「あたしの腹じゃがな」
 と娘は顔を上げてニコニコと笑った。クスクスという笑い声が又、そこここから起った。
「それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……」
「知らんがな……あたしは……」
「知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……」
 と親爺は物凄い顔をしてラムプをふりかえった。
「知らんがナ……」
「知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達ようたしに行っとる留守のに……エエコレ……」
「知らんがナ……」
 と云い云いふり仰ぐお八重の笑顔は、女神のように美しく無邪気であった。
 親爺は困惑した顔になった。そこいらをオドオド見まわしては新らしいラムプの光りと、娘の膨れた腹とを、さも恨めしげに何遍なんべんも何遍も見比べた。
「オラ知っとる……」「ヒッヒッヒッヒッ」
 という小さな笑い声がその時に入口の方から聞えた。
 その声が耳に這入ったかして、元五郎親爺はサッと血相をかえた。素裸体すっぱだかのまま曲った足を突張って、一足いっそく飛びに入口の近くまで来た。それと同時に、
「ワ――ッ」「逃げろッ」
 という声が一時に浴場のまわりから起って、ガヤガヤガヤと笑いながら、八方に散った。そのあとから薪割用の古鉈ふるなたひっさげた元五郎親爺が、びっこ引き引き駆け出したが、これも森の中の闇に吸い込まれて、足音一つ聞こえなくなった。
 そのあくる朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋あばらやの台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす……そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜ゆうべの残りの冷飯ひやめしの全部と、糠味噌ぬかみその中の大根やを、ぬかだらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。
 そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜ゆうべからの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇脳震盪のうしんとうということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。
 初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜やかまの区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。それでお八重には郵便局という綽名あだながついていることまで判明したので、区長さんは開いた口がふさがらなくなった。
 すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度おかゆを運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出ひきだしに入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石さすがの駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。
「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査のうちへ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝のの事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥ぎょうがしていたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身をり橋のように硬直させていた。そのうちでも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々ぼうぼうと乱れかかった髪毛かみのけの中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉あほうがらすふくろかア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イといている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。

「ナニ……兼吉かねきちが貴様を毒殺しようとした?……」
 と巡査部長が眼を光らすと、その前に突立った坑夫体こうふていの男が、両手を縛られたまま、うなだれていた顔をキッともたげた。
「ヘエ……そんで……兼吉をやっつけましたので……」
 と吐き出すように云って、眼の前の机の上に、新聞紙を敷いて横たえてある鶴嘴つるはしを睨みつけた。その尖端の一方に、まだ生々しい血のかたまりが粘りついている。
 巡査部長は意外というおももちで、威儀を正すかのように坐り直した。
「フーム。それはどうして……何で毒殺しようとしたんか……」
「ヘエそれはこうなので……」
 と坑夫体の男は唾を呑み込みながら、入口のタタキの上に、むしろを着せて横たえてある被害者の死骸をかえりみた。
「私が一昨日おとついから風邪を引きまして、納屋なやに寝残っておりますと、昨日きのうの晩方の事です。あのかねの野郎が仕事を早仕舞はやじまいにして帰って来て『工合はどうだ』ときました」
「……ふうん……そんなら兼と貴様は、モトから仲が悪かったという訳じゃないな」
「……ヘエ……そうなんで……ところで旦那……これはもう破れカブレでぶちまけますが、大体あの兼の野郎と私との間には六百ケンで十両ばかりのイキサツがありますので……もっとも私が彼奴あいつに十両貸したのか……向うから私が十両借りたのか……そこんところが、あんまり古い話なので忘れてしまいまして……チッポケナ金ですから、どうでも構わんと思っていても、兼の顔さえ見ると、奇妙にその事が気にかかってしようがなくなりますので……けんどそのうちに兼が何とか云って来たらどっちが借りたか、わかるだろうと思って黙っていたんですが……そんで……私は見舞いを云いに来た兼の顔を見ると又、その事を思い出しました。そうして……どうも熱が出たようで苦しくて仕様がない。こんな事は生れて初めてだから、事に依ると俺は死ぬんかもしれない……と云いますと兼の野郎が……そんだら俺が医者を呼んで来てやろうと云って出て行きましたが、待っても待っても帰って来ません。私は兼の野郎が唾を引っかけて行きおったに違いないと思ってムカムカしておりましたが、そのうちに十二時の汽笛が鳴りますと、どこかで喰らって真赤になった兼が、雨にズブれになって帰って来て私の枕元にドンと坐ると、大声でわめきました。何でも……事務所の医者(炭坑医)は二三日前から女郎買いに失せおって、事務所を開けてケツカル……今度出会ったら向う脛をぶち折ってくれる……というので……」
「……フム……不都合だなそれは……」
「……ネエ旦那……あいつらア矢っ張り洋服を着たケダモノなんで……」
「ウムウム。それから兼はどうした」
「それから山の向うの村の医者ン所へ行ったら、此奴こいつも朝からうなぎ取りに出かけて……」
「ナニ鰻取り……」
「ヘエ。そうなんで……この頃は毎日毎日鰻取りにかかり切りで、うちには滅多にうせおらんそうで……よくきいてみるとその医者は、本職よりも鰻取りの方が名人なんで……」
「ブッ……馬鹿な……余計な事を喋舌しゃべるな」
「ヘエ……でも兼の野郎がそうかしましたので……」
「フーム。ナルホド。それからどうした」
「それから兼は、その村の荒物屋を探し出して、風邪引きの妙薬はないかちうて聞きますと……この頃風邪引きが大バヤリで売り切れてしまったが、馬の熱さましで赤玉あかだまちうのならある。馬の熱が取れる位なら人間の熱にも利くだろうが……とその荒物屋の親仁おやじが云うので買って来た……しかし畜生は薬がよく利くから、分量が少くてよいという事を俺はきいている。だから人間は余計にまなければ利くまいと思って、その赤玉ちうのを二つ買って来た。これを一時いちどきに服んだら大抵利くだろう。金は要らぬから、とにかく服んで見イ……と云ううちに兼は白湯さゆを汲んで来て、薬の袋と一緒に私の枕元へ並べました。私は兼の親切に涙がこぼれました。このアンバイでは俺が兼に十円借りていたに違いないと思い思い薬の袋を破ってみますと、赤玉だというのに青いかびが一パイに生えておりまして、さし渡しが一寸近くもありましたろうか……それを一ツずつ、白湯で丸呑みにしたんですがトテも骨が折れて、息が詰まりそうで、汗をビッショリかいてしまいました」
「……フーム。それで風邪は治ったか」
「ヘエ……今朝けさになりますと、まだすこしフラフラしますが、熱は取れたようですから、景気づけに一パイやっておりますところへ、昨日きのう、兼からの言伝ことづてをきいたと云って、鰻取りの医者が自転車でやって来ました。五十位の汚いオヤジでしたが、そいつを見ると私は無性に腹が立ちましたので……この泥掘り野郎……貴様みたいな藪医者に用は無い。はばかりながら俺の腹の中には、赤玉が二つ納まっているんだぞ……と怒鳴りつけてやりましたら、その医者は青くなって逃げ出すかと思いのほか……ジーッと私の顔を見て動こうとしません」
「フーム。それは又何故なぜか」
「そのじじいは暫く私の顔を見ておりましたが……それじゃあお前は、その二ツの赤玉を、いつ飲んだんか……と云ううちにブルブル震え出した様子なので、私も気味が悪くなりまして……ナニ赤玉には違いないが、青い黴の生えた奴を、昨夜ゆんべ十二時過に白湯で呑んだんだ。そのおかげで今朝はこの通り熱がとれたんだが、それがどうしたんか……とききますと医者のじじいはホッとしたようすで……それは運が強かった。青い黴が生えていたんで、薬の利き目が弱っていたに違いない。あの赤玉の一粒に使ってある熱さましは、人間に使う分量の何層倍にも当るのだから、もし本当に利いたら心臓がシビレて死んでしまう筈だ……どっちにしても今酒を呑むのはケンノンだから止めろと云って、私の手を押えました」
「フーム。そんなもんかな」
「この話をきくと私は、すぐに納屋を出ましてまぶへ降りて、仕事をしている兼を探し出して、うしろから脳天を喰らわしてやりました。そうして旦那の処へ御厄介を願いに来ましたので……逃げも隠れも致しません。ヘエ……」
「フーム。しかしわからんナ。どうも……その兼をやっつけた理由が……」
「わかりませんか旦那……兼の野郎は私が病気しているのにつけ込んで、私を毒殺して、十両ゴマ化そうとしたに違いないのですぜ。あいつはもとから物識ものしりなのですからね。ネエ旦那そうでしょう、一ツ考えておくんなさい」
「ウップ……たったそれだけの理由か」
「それだけって旦那……これだけでも沢山じゃありませんか」
「……バ……馬鹿だナア貴様は……それじゃ貴様が、兼に十両貸したのは、間違いない事実だと云うんだナ」
「ヘエ。ソレに違いないと思うので……そればっかりではありません。兼の野郎が私を馬と間違えたと思うと矢鱈やたらに腹が立ちましたので……」
「アハハハハ……イヨイヨ馬鹿だナ貴様は……」
「ヘエ……でも私は恥をかされると承知出来ない性分で……」
「ウーン。それはそうかも知れんが……しかし、それにしても貴様の云うことは、ちっとも訳が解らんじゃないか」
「何故ですか……旦那……」
「何故というて考えてみろ。兼のそぶりで金の貸し借りを判断するちう事からして間違っているし……」
「間違っておりません……あいつは……ワ……私を毒殺しようとしたんです……旦那の方が無理です」
「黙れッ……」
 と巡査部長は不意に眼を怒らして大喝した。坑夫の云い草が機嫌にさわったらしく、真赤になって青筋を立てた。
「黙れ……不埒ふらちな奴だ。第一貴様はその証拠に、その薬で風邪が治っとるじゃないか」
「ヘエ……」
 と坑夫は毒気を抜かれたように口をポカンといた。そこいらを見まわしながら眼を白黒さしていたが、やがてグッタリとうなだれると床の上にペタリと坐り込んだ。涙をポトポト落してひれ伏した。
「……兼……済まない事をした……旦那……私を死刑にして下さい」

「金貸し後家ごけ」と言えば界隈で知らぬ者は無い……五十前後の筋骨逞ましい、タ目と見られぬ黒アバタで……腕っ節なら男よりも強い強慾者で……三味線が上手じょうずで声が美しいという……それが一人娘のお加代というのと、たった二人切りで、家倉いえくらの立ち並んだ大きな家に住んでいた。しかし娘のお加代というのは死んだ親爺おやじ似かして、母親とは正反対の優しい物ごしで、色が幽霊のように白くて、縫物が上手という評判であった。
 そのお加代のところへ、隣り村の畳屋の次男坊で、中学まで行った勇作というのが、この頃毎晩のように通って来るというので、兼ねてからお加代に思いをかけていた村の青年たちが非常に憤慨して、寄り寄り相談を初めた。そのあげく五月雨さみだれの降る或る夕方のこと、手に手に棒千切ぼうちぎりを持った十四五人が「金貸し後家」のうちのまわりを取り囲むと、強がりの青年が三人代表となって中に這入はいって、後家さんに直接談判を開始した。
「今夜この家に、隣り村の勇作が這入ったのをたしかに見届けた。尋常に引渡せばよし、あいまいな事を云うなら踏み込んで家探しをするぞ……」
 という風に……。
 奥から出て来た後家さんは、浴衣ゆかたを両方の肩へまくり上げて、黒光りする右の手でランプを……左手に団扇うちわを持っていたが、あがかまちに仁王立ちに突立ったまま、平気の平左で三人の青年を見下した。
「アイヨ……来ていることは間違いないよ……だけんど……それを引渡せばどうなるんだえ」
「半殺しにして仕舞うのだ。この村の娘には、ほかの村の奴の指一本させないのが、昔からの仕来しきたりだ。お前さんも知っているだろう」
「アイヨ……知っているよ。それ位の事は……ホホホホホ。けれどそれはホントにお生憎あいにくだったネエ。そんな用なら黙ってお帰り!」
「ナニッ……何だと……」
「何でもないよ、勇作さんは私の娘の処へ通っているのじゃないよ」
「嘘をけ。それでなくて何で毎晩このうちに……」
「ヘヘヘヘヘ。わたしが用があるから呼びつけているのさ……」
「エッ……お前さんが……」
「そうだよ。ヘヘヘヘヘ。大事な用があってね……」
「……そ……その用事というのは……」
「それは云うに云われぬ用事だよ……けんど……いずれそのうちにはわかる事だよ……ヘッヘッヘッヘッ」
 青年たちは顔を見合わせた。白い歯をき出してニタニタ笑っているアバタづらを見ているうちに、皆気味がわるくなったらしかったが、やがてその中の一人が勿体らしく、咳払いをした。
「……ようし……わかった……そんなら今夜は勘弁してやる。しかし約束を違えると承知しないぞ」
 という、変梃へんてこ捨科白すてぜりふを残しながら三人は、無理に肩をそびやかして出て行った。
 勇作はそれからのち、公々然とこの家に入浸りになった。
 ところが、やがて五六ヶ月経って秋の収穫期とりいれどきになると、後家さんの下ッ腹が約束の通りにムクムクとセリ出して来たのでドエライ評判になった。どこの稲扱いねこでもこの噂で持ち切った。しかもその評判が最高度ぜっちょうに達した頃に村役場へ「勇作を娘の婿養子にする」という正式の届出とどけでが後家さんの手で差し出されたので、その評判は一層、輪に輪をかけることになった。
「これはどうもこの村の風儀上面白くない」と小学校の校長さんが抗議を申込んだために、村長さんがその届を握り潰している……とか……村の青年が近いうちに暴れ込む手筈になっている……とか……町の警察でも内々で事実を調べにかかっている……とかいう穿うがった噂まで立ったが、そのせいか「金持ち後家」の一家三人は、裏表の戸をピッタリと閉め切って、醤油買いにも油買いにも出なくなった。いつもだと後家さんは、収穫後とりいれごの金取り立てで忙しいのであったが、今年はそんなもようがないので、借りのある連中は皆喜んだ。
 ところが又そのうちに、収穫とりいれが一通り済んで、村中がお祭り気分になると、後家さんのうちがいつまでも閉め込んだ切り、煙一つ立てない事にみんな気が付き初めた。初めのうちは「後家さんが、どこかへ子供を生みに行ったんだろう」なぞと暢気のんきなことを云っていたが、あんまり様子が変なので、とうとう駐在所の旦那がやって来て、区長さんと立ち合いの上で、裏口の南京錠をコジ離して這入ってみると、中には人ッ子一人居ない。そうして家具家財はチャンとしているようであるが、その中で唯一つ金庫の蓋がいて、現金と通い帳が無くなっているようす……その前に男文字の手紙が一通、読みさしのまま放り出してあるのを取り上げて読んでみると、あらかたこんな意味の事が書いてあった。
「お母さん。あなたがあの時に、勇作さんを助けて下すった御恩は忘れません。けれども、それからのちの、あなたの勇作さんに対する、恩着せがましい横暴な仕うちは、イクラ恨んでも恨み切れません。わたしはもう我慢出来なくなりましたから、勇作さんと一緒に、どこか遠い所へ行ってスウィートホームを作ります。私たちは当然私たちのものになっている財産の一部を持って行きます。さようなら。どうぞ幸福に暮して下さい。
    月   日
勇作
妻加代
   母上様
 それでは後家さんはどこへ行ったのだろうと、家中を探しまわると、物置のはりから、半腐りの縊死体いしたいとなってブラ下っているのが発見された。その足下にはボロ切れに包んだ古鍋が投げ棄ててあった。

 御維新後、煉瓦れんが焼きが流行はやった際に、村から半道ばかりかみの川添いの赤土山を、村の名主どんが半分ばかり切り取って売ってしまった。そのあとの雑木林の中から清水が湧くのを中心にして、いつからともなく乞食の部落が出来ているのを、村の者は単に川上川上と呼んでいた。
 部落といっても、見すぼらしい蒲鉾小舎かまぼこごやが、四ツ五ツ固まっているきりであったが、それでも郵便や為替かわせも来るし、越中富山の薬売りも立ち寄る。それに又この頃は、日ごとに軍服いかめしい兵隊さんが帰省して来るというので、急に村の注意を惹き出した。何でも立派な身分の人のれのはてが隠れているらしいという噂であった。
 その兵隊さんというのは、郵便局員の話によると西村さんというので、眼鼻立ちのパッチリした、活動役者のように優しい青年であるが、この部落の仲間では新米らしく、すこし離れた所に蒲鉾小舎を作って、その中に床に就いたままの女を一人かくまっている。その女の顔はよくわからないが年の頃は四十ばかりで、気味の悪いほど色の白い上品な顔で、西村さんがお土産みやげをさし出すと、両手を合わせて泣きながら受け取っているのを見た……と……これは村の子守こもりたちの話であった。
 それからのち西村さんの評判は、だんだん高くなるばかりであった。その女は西村さんの何であろうか……と噂が取り取りであったが、そのうちに、村でたった一軒だけ荒物屋に配達されている新聞に、西村さんの事が大きく写真入りで出た。
――西村二等卒は元来、東北の財産家の一人息子であったが、十三の年に父親が死ぬと間もなく一家が分散したので、母親に連れられて長崎の親類の処へ行くうちに、あわれや乞食にまで零落してしまった。それから七年の間、方々を流浪していると、昨年の春から母親が癆症ろうしょうで、腰が抜けたので、とうとうこの川上の部落に落ちつく事になったが、丁度その時が適齢だったので、呼び出されて検査を受けると、美事に甲種で合格した。しかし西村二等卒は入営しても決して贅沢をしなかった。給料を一文もつかわないばかりか、営庭の掃除の時に見付けた尾錠びじょうボタンを拾い溜めては、そんなものをなくして困っている同僚に一個一銭ずつで売りつけて貯金をする。そうして日曜日を待ちかねて、母親を慰めに行くことが聯隊中の評判になったので、遂に聯隊長から表彰された。性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……いわく何……曰く何……。
 西村さんの評判はそれ以来絶頂に達した。日曜になると村の子守女が、われも吾もと出かけて、川上の部落を取り巻いて、西村さんの親孝行振りを見物した。西村さんが病人の汚れものと、自分のシャツを一緒にして、朝霜の大川で洗濯するのを眺めながら「あたし西村さんの処へお嫁に行って上げたい」「ホンニナア」と涙ぐむ者さえあった。
 そのうちに新聞社や、聯隊へ宛ててドシドシ同情金が送りつけて来たが、中には女の名前で、大枚「金五十円也」を寄贈するものが出来たりしたので、西村さんは急に金持ちになったらしく、同じ部落の者の世話で、母親の寝ている蒲鉾小舎を、家らしい形の亜鉛板トタン張りに建て換えたりした。
「親孝行チウはすべきもんやナア」
 と村の人々は歎息し合った。

 ところが間もなく大変な事が起った。
 ちょうど桜がチラチラし初めて、麦畑を雲雀ひばりがチョロチョロして、トテモいい日曜の朝のこと。カーキー色の軍服を、平生いつもよりシャンと着た西村さんが、それこそ本当に活動女優ソックリの、ステキなハイカラ美人さんと一緒に自動車に乗って、川上の部落へやって来たのであった。
 もっともこの日に限って西村さんは、何となく気が進まぬらしい態度ようすで、自動車から降りると、泣き出しそうな青い顔をして尻込みをしているのを、ハイカラ美人さんが無理に手を引っぱって、亜鉛トタン張りのうちに這入ったが、母親はまだ睡っていたらしく、二人とも直ぐに外へ出て来た。
 それから西村さんは直ぐに帰ろうとして自動車の方へ行きかけたけれども、ハイカラサンが無理やりに引き止めた。そうして自動車の中から赤い毛布を一枚と、美味うまそうなものを一パイ詰めた籠を出して、雑木林の中の空地に敷き並べると、部落に残っている片輪かたわ連中を五六人呼び集めて、奇妙キテレツな酒宴さかもりを初めた。
 まず、最初は三々九度の真似事らしく、顔を真赤にして羞恥はにかんでいる西村さんと、キャアキャア笑っているハイカラ美人さんが、呆気あっけに取られている片輪たちの前で、赤い盃を遣ったり取ったり、押し戴いたりしていたが、間もなくほかの連中も、白い盃や茶呑茶碗でガブガブとお酒を呑み初めた。その御馳走の中には、ネジパンや、西洋のお酒らしい細長い瓶や、ネープル蜜柑などがあったが、その他は誰一人見たことも聞いたこともない鑵詰かんづめみたようなものばかりを、寄ってたかってお美味いしそうにパクついていた。
 西村さんもハイカラ美人さんにお酌をされて恥かしそうに飲んでいたが、そのうちにハイカラ美人さんはスッカリ酔っ払ってしまったらしく、毛布の上に立ち上って何かしらペラペラと、演説みたような事を饒舌しゃべり初めた。それから赤い湯もじをお臍の上までマクリ上げると、大きな真白いお尻を振り立てて、妙テケレンな踊りをおどり出した。それを片輪連中が手をたたいて賞めていた……。
 ……までは、よっぽど面白かったが、間もなく横のトタンきの小舎から、幽霊のように痩せ細った西村さんのお母さんが、白い湯もじ一貫のまま、ヒョロヒョロと出て来た姿を見ると、みんな震え上がってしまった。
 青白い糸のような身体からだに、髪毛かみのけをバラバラとふり乱して、眼の玉を真白にき出して、歯をギリギリと噛んで、まるで般若はんにゃのようにスゴイ顔つきであったが、慌てて抱き止めようとする西村さんを突き飛ばすと、踊りを止めてボンヤリ突立っているハイカラ美人さんに、ヨロヨロとよろめきかかった。そのままシッカリと抱き付いて、眼の玉をギョロギョロさせながら、口を耳までアーンといて喰い付こうとした。それを西村さんが一生懸命に引き離して、ハイカラ美人さんの手を取りながら、自動車に乗ってドンドン逃げて行った。あとにはおっかさんが片息になって倒れているのを、みんなで介抱しているようであったが、離れた処から見ていた上に、言葉が普通あたりまえと違っているので、どんな経緯いきさつなのかサッパリわからなかった……という子守女こもりたちの報告であった。
「フーン。それは、わかり切っとるじゃないか」
 と、聞いていた荒物屋の隠居は、新聞片手に子守女こもりたちを見まわした。
「西村さんのおっかさんが、そんな女は嫁にすることはならんと云うて、止めたまでの事じゃがナ」
 子守女こもりたちは、みんな妙な顔をした。何だかわかったような、わからぬようなアンバイで、張り合い抜けがしたように、荒物屋の店先から散って行った。

 ところが又、その翌る日の正午ひる頃になると、村の駐在巡査と、部長さんらしい金モールを巻いた人を先に立てて、村の村医せんせいと腰にピストルをつけた憲兵との四人が、めいめいに自転車のベルの音をケタタマシク立てながら村を通り抜けて、川上の方へ行ったので、通り筋の者は皆、何事かと思って、表へ飛び出して見送った。その中から一人行き、二人駈け出しして行ったので、川上の部落のまわりは黒山のような人だかりになったが、そんな連中が帰って来てからの話によると、事件というのは西村のおっかさんが昨夜ゆうべのうちに首をくくったので、昨日きのうのハイカラ美人さんが殺したのじゃないかと、疑いがかかっているらしい……というのであった。
 しかし、それにしても様子がおかしいというので、評議が区々まちまちになっていたが、あくる朝を待ちかねて人々が、荒物屋に集まってみると、果して、事件の真相が詳しく新聞に出ていた。「模範兵士の化けの皮」という大きな標題みだしで……
……西村二等卒の性行を調査の結果、表面温順に見える一種の白痴で、つ、甚だしい変態性慾の耽溺者であることがわかった。すなわち、その母親として仕えていたのは、実は子供の時から可愛がられていた情婦に過ぎないのであったが、最近に至って有名な箱師はこしのお玉という、これも変態的な素質を持った毒婦が、模範兵士の新聞記事を見て、大胆にも原籍本名を明記した封筒に、長々しい感激の手紙と、五拾円也の為替を入れて聯隊長宛に送って来た。これを本紙の記事によって知った警察当局では、極秘裡に彼女の所在を厳探中げんたんちゅうであったが、あくまでも大胆不敵なお玉は、その中を潜って西村と関係を結んだらしく、すっかり西村を丸め込んでしまった揚句あげく、二人で自動車に同乗して、にせの母親を嘲弄ちょうろうしに行ったのが一昨日曜の午前中の事であったという。ところが西村はそのまま、隊へは帰らずに、駅前の旅館で服装を改めて、お玉と一緒に逃亡した模様である。一方に西村のにせ母親は、憤慨の余り縊死いししていることが昨朝に至って発見されたので、早速係官が出張して取調とりしらべの結果、他殺の疑いは無いことになった。しかし、同時に、附近の乞食連中の言に依って、この種の変態的関係は、彼等仲間の通有的茶飯事で、決して珍らしい事ではないと判明したので、係官も苦笑に堪えず……云々……。
「……ところでこの、ヘンタイ、セイヨクの、何とかチウのは、何じゃろか……」
「おらにもわからんがナ」
 と荒物屋の隠居は、大勢に取り巻かれながら、投げ出すように云った。
「近頃の新聞はチットでも訳のわからんことがあると、すぐに、ヘンタイ何とかチウて書きおるでナ。おらが思うに西村さんは、やっぱり親孝行者じゃったのよ。それがしょうの悪い女にだまされて、大病人の母親を見すてたので、義理も恩もしらぬ近所隣りの乞食めらが、あとの世話を面倒がって、何とかかとかケチをつけて、無理往生に首を縊らせたのじゃないかと思うがナ……ドウジャエ……」
 皆一時にシンとなった。

「お前の家の、一番西に当る軒先から、三尺離れた処を、誰にも知らせぬようにして掘って見よ。何尺下かわからぬが、石が一個ひとつうずもっている筈じゃ。その石を大切に祭れば、お前の女房の血の道はと月経たぬうちに癒る。一年のうちには子供も出来る。二人ともまだ若いのじゃから……エーカナ……」
「ヘーッ」
 と若い文作はひれ伏した。その向うには何でも適中あたるという評判の足和尚おしょうさんが、丸々と肥った身体からだに、浴衣がけの大胡座おおあぐら筮竹ぜいちくしゃに構えて、大きな眼玉をいていた。
 その座布団の前に文作は、五十銭玉を一つ入れた状袋を、恐る恐る差し出して又ひれ伏した。するとその頭の上から、和尚の胴間声どうまごえが雷のように響いて来た。
「しかし、早うせんと、病人の生命いのちが無いぞ……」
「ヘーッ……」
 と文作は今一度畳の上に額をすりつけると、フラフラになったような気もちで方丈ほうじょうを出た。途中で寒さしのぎに一パイ飲んで、夕方になって、やっと自宅うちへ帰りついた文作は着のみ着のまま、物も云わずに、蒲団を冠って寝てしまった。難産のあとの血の道で、お医者に見放されてブラブラしている女房が心配して、どうしたのかと、いろいろに聞いても返事もせずにグーグーいびきをかいていたが、やがて夜中過ぎになると文作は、女房の寝息を窺いながらソーッと起き上って、裏口から、西側の軒下にまわった。そこに積んであった薪を片づけて、分捕りスコップ(日露戦役戦利払下品はらいさげひん)を取り上げると、氷のような満月の光を便りに、物音を忍ばせてセッセと掘り初めたが、くわと違って骨が折れるばかりでなく、土が馬鹿に固くて、三尺ばかり掘り下げるうちに二の腕がシビレて来たので、文作はホッと一息して腰を伸ばした。
 するとその時に、今まで気がつかなかったが、最初に掘り返した下積みの土の端っこに、何やら白いものが二ツ三ツコロコロと混っているのが見えた。文作はそれを、何の気もなく月あかりにつまみ出しながら、泥を払い落してみると、それは魚よりすこし大きい位の背骨の一部だったので、文作は身体からだ中の血が一時に凍ったようにドキンとした。ワナワナとふるえ出しながら、切れるように冷たい土を両手で掻き拡げて、丹念に探しまわってみると、泥まみれになってはいるが、脊椎骨せぼねらしいものが七八ツと、手足の骨かと思われるものが二三本と、わけのわからない平べったい、三角形の骨が二枚と、一番おしまいに、黒いねばっこい泥が一パイに詰まった、頭蓋骨らしいものが一個ひとつ出た。
 文作は、もうすこしで大声をあげるところであったが、女房が寝ていることを思い出してやっと我慢した。身体中がガタガタとふるえて、頭が物に取りかれたようにガンガンと痛み出した。横路地から這うようにして往来に出ると、一目散に馳け出した。
 文作が足萎え和尚の寝ている方丈の雨戸をたたいた時には、もう夜が明けはなれていたが、和尚がいざりながら雨戸を開けて「何事か」と声をかけると、文作は「ウーン」と云うなり霜の降ったお庭へ引っくり返ってしまった。
 それをやがて起きて来た梵妻だいこくや寺男が介抱をしてやると、やっと正気づいたので、手足の泥を洗わせて方丈へ連れ込んだのであったが、熱い湯を飲ませて落ちつかせながら、詳しく事情を聞き取るうちに、和尚はニヤリニヤリと笑い出して、何度も何度も首肯うなずいた。
「ウーム。そうじゃろう……そうじゃろうと思うた。実はナ……うずまっているのが人間の骨じゃと云うと、臆病者のお前が、よう掘るまいと思うたから石じゃと云うておいたのじゃが、その骨というのはナ……エエか……ほかならぬ、お前の兄貴の骨じゃぞ……」
「ゲーッ。私の兄貴の……」
「……と云うてもわかるまいが……これには深い仔細わけがあるのじゃ」
「ヘエッ。どんな仔細で……」
「まあき込まずとよう聞け。……ところでまず、その前に聞くが、お前は昨日きのう来た時に両親はもう居らんと云うたノ」
「ヘエ。一昨年おととしの大虎列剌コレラの時に死にましたので……」
「ウンウン。それじゃから云うて聞かすが、お前の母親かかさんというのは、ああ見えても若いうちはナカナカ男好きじゃったのでナ。ちょうどお前の処に嫁入る半年ばかり前に、拙僧わしの処へコッソリと相談に来おってナ……こう云うのじゃ。わたしはこの間の盆踊りの晩に、誰とも知れぬ男のたねを宿したが、まだ誰にも云わずにいるうちに、文太郎さんが養子に来ることになりました。わたしも文太郎さんなら固い人じゃけに、一緒になってもええと思うけれど、おなかの子があってはどうにもならぬゆえ、どうか一ツ御祈祷をして下さらんかという是非ない頼みじゃ。そこで拙僧わしは望み通りに、真言秘密の御祈祷をしてやって、出て来た孩児ややこはこれこれの処に埋めなさい……とまで指図をしておいたが……それがソレ……その骨じゃ。エエカナ……ところが、それから二十年余り経った昨日の事、お前がやって来てからの頼みで、を立ててみると……どうじゃ……その盆踊りの晩に、お前の母親かかさんの腹に宿ったタネというのは、お前の父親てておや……すなわち文太郎のタネに相違ないという本文ほんもんが出たのじゃ。つまりその、堕胎おろされた孩児ややこというのは、取りも直さずお前の兄さんで、お前の代りに家倉いえくらを貰う身柄であったのを、闇から闇に落されたわけで、多分この事はお前の両親も知っていたろうと思われる証拠には……ソレ……その孩児ややこを埋めた土の上がわざっとたきぎ置場にしてあったじゃろう。けれども、その兄貴の怨みはきょうまでも消えず、お前の家の跡を絶やすつもりで、お前の女房に祟っているのでナ……出て来たものを丁寧に祭れと云うたのはここの事ジャ……エーカナ。本当を云うと、これはお前の母親の過失あやまちで、お前や、お前の女房が祟られる筋合いの無いのじゃが、そこが人間凡夫の浅ましさでナ……」
 という風に和尚は、引き続いて長々とした説教を始めた。
 文作は青くなったり、赤くなったりして、首肯うなずき首肯うなずき聞いていたが、そのうちに立っても居てもいられぬようにソワソワし始めた。和尚の志の茶づけを二三杯、大急ぎで掻き込むとそのまま、霜けの道を走って帰った。

 ところが帰って来て見ると、文作が心配していた以上の大騒ぎになっていた。
 文作が昨日のうちに、軒下から孩児ややこの骨を掘り出したまま、どこかへ逃げてしまっている。女房はそれを聞くと一ペンに血が上がって、医師せんせいが間に合わぬうちに歯を喰い締めて息を引き取った……というので文作のうちの中には、村の女房達がワイワイと詰めかけている。うちの外には老人や青年が真黒に集まって、泥だらけの白骨を中心に、大評議をしている……というわけで……そこへ文作が帰って来たのであったが、女房の死骸を一眼見ると、文作は青い顔をしたまま物をも云わず外へ飛び出して、村の人々を押しわけて、白骨の置いてある土盛りの処へ来た。ジイッと泥だらけの白骨を見ていたがイキナリその上に突伏して、
「兄貴……ヒドイ事をしてくれたなア……」
 と大声をあげて泣き出した。
 人々は文作が発狂したのかと思った。けれども、そのうちに、駐在所の旦那や区長さんが来て、顔中泥だらけにして泣いている文作を引きずり起こすと、文作は土の上に坐ったまま、シャクリ上げシャクリ上げして一伍一什いちぶしじゅうを話し出した。
 聞いていた人々は皆眼を丸くしてあきれた。顔を見交して震え上った。うしろから取り巻いて耳を立てていた女たちのうちには、気持ちがわるくなったと云って水を飲みに行ったものもあった。
 それから間もなくくだんの白骨は、キレイに洗い浄められて、古綿を詰めたボールの菓子箱に納まって、文作のうちの仏壇に、女房の位牌いはいと並べて飾られた。評判に釣られて見に来る人が多いので、文作の女房の葬式は近頃にない大勢の見送りであった。
 ところが事件はこれで済まなかった。どうも話がおかしいというので、駐在所の旦那が色々と取調べたあげく、一週間ばかりしてから郡の医師会長の学士さんに来てもらって、くだんの白骨を見てもらうと、犬の骨に間違いない……という鑑定だったので又も大評判になった。その結果、あくまでも人間の胎児の骨だと云い張った足萎あしなえ和尚は、拘留処分を受けることになったが、しかし村の者の大部分は学士さんの鑑定を信じなかった。文作の話をどこまでも本当にして、云い伝え聞き伝えしたので、足萎え和尚を信仰するものが、前よりもズッとえるようになった。
 文作もその後久しく独身でいるが、誰も恐ろしがって嫁に来るものが無い。

 電車会社の大きなベースボールグラウンドが、村外むらはずれの松原を切り開いて出来た。その開場式を兼ねた第一回の野球試合の入場券が村中に配られた。おまけにその救護班の主任が、その村の村医で、郡医師会のうちでも一番古参の人格者と呼ばれている、松浦先生に当ったというので、村中の評判は大したものであった。本物のベースボールというものは、戦争みたように恐ろしいもので時々怪我けが人が出来る。救護班というのは、その怪我人を介抱する赤十字みたようなものだ……なぞと真顔になって説明するものさえあった。
 当の本人の松浦先生も、むろんステキに意気込んでいた。当日の朝になると、まだ暗いうちに一帳羅いっちょうらのフロックコートを着て、金鎖きんぐさり胸高むなだかにかけて、玄関口に寄せかけた新調の自転車をながめながら、ニコニコ然と朝飯の膳に坐ったが、奥さんの心づくしのたい潮煮うしおに美味うまそうに突ついているうちに、フト、二三度眼を白黒さした。それから汁椀をソッと置いて、大きな飯の固まりを二ツ三ツ、頬張っては呑み込み呑み込みしたと思うと、真青になってガラリとはしを投げ出してしまった。奥さんが仔細わけを尋ねるもなく立ち上って、帽子を冠って、新しい靴下の上から、古い庭穿にわばきを突かけると、自転車にまたがりながらドンドン都の方へ走り出した。
 一時間ばかり走って、やっと都の中央の、目貫めぬきの処に開業している、遠藤という耳鼻咽喉科病院の玄関に乗りつけた松浦先生は、滝のように流るる汗を拭き拭き、通りかかった看護婦に名刺を出して診察を頼んだ。
「鯛の骨が咽喉のどへかかりましたので……どうかすぐに先生へ……」
 間もなく真暗なへやに通された松浦先生は、白い診察服を着けた堂々たる遠藤博士と、さし向いに坐りながら、禿頭はげあたまをペコペコ下げて汗を拭き続けた。
「そんな訳で、気がいておりましたせいか、ここの処に鯛の骨が刺さりまして、痛くてたまりませんので……実は先年、講習会へ参りました時に、先生のお話を承りまして……ある老人が食道に刺さった鯛の骨を放任しておいたら、その骨が肉の中をめぐりめぐって、心臓に突き刺さったために死亡した……という、あのお話を思い出しましたので……」
「ハハハハハ……イヤ。あの話ですか」
 と遠藤博士は、肥った身体からだり気味にして苦笑した。
「あんな例は、滅多にありませんので……さほど御心配には及ぶまいと思いますが」
「ハイ……でも……実は、せがれが、来年大学を卒業致しますので、それまでに万一もしもの事がありましては申訳ありませんから、念のために是非一ツ……」
「イヤ……御尤ごもっともで……」
 と遠藤博士は苦笑しいしい金ぶち眼鏡をかけ直して、ピカピカ光る凹面鏡おうめんきょうを取り上げた。松浦先生の口をあけさせて、とりあえず喉頭鏡を突込んでみたが、そこいらに骨は見当らなかった。けれども痛いのは相変らず痛いというので、それでは食道鏡を入れてみようという事になった。
 松浦先生は食道鏡というものを初めて見たらしかったが、奇妙な恐ろしい恰好の椅子に坐らせられて、二名の看護婦に両手を押えられたまま食道鏡の筒をさしつけられると、フト又青い顔になって遠藤博士を見上げた。
「これが……胃袋を突き通した器械で……」
 と云いかけて口籠もった。遠藤博士はき出した。
「アハハハハハ、あの話を御記憶でしたか。あれはソノ何ですよ。あれは西洋で初めて食道鏡を使った時の失敗談で、手先の器用な日本人だったら、あんなヘマな事をする気遣きづかいはありませんよ。サア、御心配なく口を開いて……もっと上を向いて……そうそう……」
 食道鏡が突き込まれると、松浦先生は天井を仰いだまま、開口器を噛み砕くかと思うほど苦悶し初めた。大粒の涙をポトポト落しながら、青くなり、又赤くなったが、そんなにして残りなく調べてもらっても、骨らしいものはどこにも見つからなかった。
 しかし、それでも唾を飲み込んでみると、痛いのは相変らず痛いというので、思い切って今一度てもらいたいと云い出した。遠藤博士も苦笑しいしい、今一度食道鏡を突込んだ。
 こうして、三度までくり返したけれども、骨は依然として見付からない。しかし痛い処はやはり痛いというので、流石さすがの遠藤博士も持て余したらしく、懇意なX光線の専門家に紹介してやるから、そこで探してもらったらよかろう……と云って名刺を一枚渡した。

 X光線によって照し出された鯛の骨の在所ありかを、正面と、横からと、二枚の図に写してもらった松浦先生は、又も遠藤博士の処に引返して来たが、博士はたった今急患を往診に出かけたというので、今度は町外れに在る大学の耳鼻科に駈け込んだ。
 そこには若い医員が一パイに並んで診察をしていたが、その中の一人が、松浦先生の話をきくと、X光線の図には一瞥いちべつだも与えないで冷笑した。
「……馬鹿な……そんな小さな骨がX光線レントゲンに感じた例はまだ聞きません。こちらへお出でなさい。とにかくてあげますから」
 といううちに松浦先生を別室に連れて行って、又も奇妙な、恐ろしい形の椅子に腰をかけさせた。しかしその時には松浦先生の食道が、一面にただれて、食道鏡が一寸さわっても悲鳴をあげる位になっていたので、若い医員はスコポラミンの注射をしてから食道鏡を入れた。
 けれども、ここで又三回ほど食道鏡を出したり入れたりされているうちに、松浦先生はもうフラフラになってしまった。
「もう結構です。骨が取れましたせいか、痛みがわからなくなりましたようで……その代り何だか眼がまわりますようで……」
「それじゃ、このベッドの上で暫く休んでからお帰りなさい。注射が利いているうちは眼がまわりますから」
 と云い棄てて、若い医員は立ち去った。
 松浦先生は……しかしベースボールの方が気にかかっていたかして、そのまま自転車に乗って大学を出たらしかった。そうして途中で注射がホントウに利き出して、眼がくらんだものらしく、国道沿いの海岸の高い崖の上から、自転車もろともころげ落ちて死んでいるのが、間もなく通りかかりの者に発見された。
 その右の手には、X光線の図を二枚とも、固く握り締めていたという。

 村外れの網干場あみほしばに近い松原を二三百坪切り開いて大きな別荘風の家が建った。海岸の岩の上には見事なモーターボートを納めた倉庫まで出来た。そうして村一番のオシャベリで、嫌われ者のお吉という婆さんが雇われて、留守番をする事になった。それまでの噂や、その婆さんの話を綜合すると、その別荘を建てた人は有名な相場師であるが、その若大将の奥さんが身体からだが弱いので、時々保養に来るために、わざわざ建てたものだという事である。
 村の者は皆その贅沢さに眼を丸くした。誰もかれもその若大将の奥さんを見たがった。
「この界隈で家を建てて、棟上げの祝いを配らずに済ます家は、あの別荘だけじゃろ」
 などと蔭口を利くものもあった。しかしその別荘は出来上ってから三箇月ばかりというもの閉め切ったまんまで、若い奥さんは影も形も見せなかった。
 ところが真夏の八月に入った或る日の事、鯛網引たいあみひきの留守で、村中が午睡ひるねをしている正午下ひるさがり時分に、ケタタマシイ自動車の音が二三台、地響じひびきを打たして別荘の方へ走って行った。何しろ道幅が狭いので、家ごとにユラユラと震動して、子供なぞは悲鳴をあげながらおびえた位であった。眼をました女房達の中には、火の付くように泣く子供を背中に掴み上げて、別荘の方へ駈け出した者もあったが、そんな連中はすぐあとから来た四五台の自動車に追っ払われて、逃げ迷わなければならなかった。
「別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ」
「女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ」
「六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、あとには若い女中二人と、お吉婆さんと、青い綺麗な籠に這入った赤い鳥が一羽残っているんだよ」
「その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿タレエッて云っていたよ」
 というような事実が、その夕方、沖から帰って来た村中の男達に、大袈裟な口調で報告された。それを聞いた男たちは皆眼をみはった。
「ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド別嬪べっぴんさんじゃろ」
「いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……」
「あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん」
「あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも可笑おかしいと思うてナア」
「お妾さんチウもんかも知れんテヤ」
「ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ」
「……どうしてナ……」
「……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか」
 そんな事を云い合ってドッと笑いこけながら、海岸に咲き並ぶ月見草を押しわけて帰る連中もあった。

 そのあくる日のやはり夕方近くの事……本物の若い奥さんは、若大将と一緒に自動車で別荘に乗りつけた。そうして着物を着かえるとぐに、夫婦づれで海岸から村の中を散歩してまわった。
 奥さんは村の者の予期に反して別嬪でも何でもなかった。赤い毒々しい色の日傘の中に一パイになるくらい大きなハイカラ髪に結って、派手な浴衣ゆかたに紫色の博多帯をグルグルと捲き附けたまま、になって村中を歩いて行った。青白く痩せこけた上にコテコテとお化粧をした……鼻の頭がツンと上を向いた……眼の球のギョロギョロと大きい……年はいくつかわからない西洋人のようにヒョロ長い女であった。又、若大将の方は三十前後であろうか、奥さんよりもズット背の低いデブデブの小男であった。派手な格子縞こうしじまの浴衣に兵児帯へこおびを捲きつけて、麦稈帽むぎわらぼう阿弥陀あみだにしながら、細いステッキを振り振りチョコチョコと奥さんの尻をうて行くところは、如何にも好人物らしかった。中には奥さんのおともをしに来た書生さんと思った者もあるらしかったが、その二人が広くもない村の中を一通りあるきまわると、夕あかりの残った網干場を別荘の方へ通り抜ける時に、こんな話をした。
「ねえあなた。いい景色じゃないの……明日あしたは早く起きてモーターボートで島めぐりをしてみない」
「……ウウン……いでいたら行ってみよう」
「……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽にさらされて、豚小屋みたいな処に寝ころんで……」
「ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない」
「男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ」
「ハハハハ、ゴリラかハハハ」
「ホホホホヒヒヒヒヒ」
 すると、ちょうど網干場のまん中の渋小屋しぶごや(網に渋を染める小屋)の蔭で遊んでいた子守女こもりが二三人、鳴りをしずめて二人の会話に耳を傾けていたのであったが、こうした言葉をきくと流石さすがに憤慨したものと見えて、子供を背負しょい上げながら大急ぎで村へ帰って来た。そうして村の連中が夏祭りの相談をしながら、一杯飲んでいる処へやって来て、口々に忠実めかして報告した。
 只さえ気の荒い外海そとうみ育ちの上に、もういい加減酔払っていた若い連中は、これを聞くと一時に殺気立ってしまった。中にも赤褌あかふんどし一貫いっかんで、腕へ桃の刺青いれずみをした村一番の逞ましいのが、真先にあがかまちに立って来て呶鳴どなった。
「……何コン畜生……ごりらタア何の事だ……」
「……知らんがナ……」
 と子守女こもりたちは見幕に恐れて後退あとじさりをした。
「……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……」
「何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ」
「第一この村の地内じないうちを建てながら、まだ挨拶にもせおらんじゃないか」
「……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる」
「……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ」
 と云ううちに四五人バラバラと立ちかけた。その時であった。
「……マア待て待て……待て云うたら……」
 シャガレた声で上座かみざから、こう叫んだ向う鉢巻の禿頭はげあたまは、悠々と杯を置いて手をあげると、真っ先きに立った桃の刺青を制し止めた。
「何だいトッツァン……又止めるんか」
「ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……」
「フーン……そんなら聞こう」
 と桃の刺青が引返して坐った。ほかの連中もドタドタと自分の盃の前に尻を据えた。
「……ドンナ考えかえ……トッツァン……」
「考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……」
 禿頭はニヤニヤ笑いながら桃の刺青の耳に口を寄せた。子守女こもりたちに聞こえぬようにささやいた。
「……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんとかしおったら構う事アない。あの座敷にお獅子様を担ぎ込むんよ。例の魚血なまぐさを手足に塗りこくって暴れ込むんよ……久し振りにナ……」
「……ウム……ナルホド……ウーム……」
「……ナ……高がもりの云う事を聞いて、云いがかりをつけるよりも、その方が洒落しゃれとらせんかい」
「ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチこわしてくれよう」
「シイッ。聞こえるでないか……外へ……」
「ウン。……第一あのかかづらが俺ア気に喰わん。鼻ッペシを天つう向けやがって……」
「アハハハハ。あんなヒョロッコイかかが何じゃい。俺に抱かして見ろ。一ト晩でヘシ折って見せるがナ」
「イヨーッえらいゾッ。トッツァン。そこで一杯行こうぜ……アハハハハハハ」
「ワハハハハハ」
 そんな事でその時は済んだが、サテそのあくる日の正午近い頃であった。

 七ツと六ツぐらいの村の子供が二人連れで、素裸すはだかのまま、浜へテングサを拾いに来ていたが、いい加減に拾って帰りがけに、炎天の下の焼け砂の上を、開け放された別荘の裏木戸の前まで来ると、キョロキョロと中をのぞきながら、赤煉瓦塀あかれんがべいの中へ這入り込んだ……、家中うちじゅうの者がモーターボートで島巡りに出て行くところを今朝けさから見ていたので……そうして縁側の小松の蔭に吊してある、赤い鳥の籠に近付きながら恐る恐るのぞきこんだ。
 その顔を見ると人なつこいらしい赤い鳥は、突然頭を下げて叫び出した。
「モシモシ。モシモシイ。コンチワ……コンチワコンチワ……」
 二人の子供はビックリして砂だらけの顔を見合わせた。
 それを見ると赤い鳥はイヨイヨ得意になったらしく、一心に子供の顔を見下しながら、低い声で歌を唄い出した。
「……ジャン、チェーコン、リウコン……コンリウ、コンジャン、チェーコンチェー……チェーリウコンコンジャンコンチェー……じゃんすいじゃんすい、ほうすいほう……すいすいじゃんすい、ほうすいほう……」
 子供は又も黒い顔を見合わせた。
「何て云いよるのじゃろか」
「……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ」
 という声が不意に背後うしろの方から聞こえたので、二人は又もビックリして振り向いた。見るとそれはこの別荘の若大将夫婦で、たった今ボート乗りから帰って来たものらしく、二人ともまぶしいほど白い洋服を着て、濡れ草履ぞうり穿いて、ニコニコしながら突立っていた。
 二人の子供はホッと安心したように溜め息をいた。そうして又も不思議そうに赤い鳥の方を振りかえった。
「……エー皆さん……エー皆さん……私は……私は……すなわち……すなわち……」
 と赤い鳥は又別の事を云い出した。それにつれて奥さんは、日の照りかかる小鼻にしわを寄せながら笑い出した。
「ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……」
「……ちがう……」
 と大きい方のが眼をパチパチさせながら云い放った。イクラカ憤慨したらしく黒い頬を染めながら……しかし若い奥さんはへこまなかった。イヨイヨ面白そうに金歯を出して笑った。
「イイエ……よく聞いて御覧……ホーラ……ネ……バカタレーッ……バカタレーッ……てね……ね……ホッホッホッホッ」
 この笑い声を聞くと赤い鳥は、一寸ちょっと頭を傾けているようであったが、たちまち思い出したようにパタパタと羽ばたきをした。籠の格子に掴まって、子供の顔を睨み下しながら、一際ひときわ高く叫び出した。
「……バカタレーッ……バカタレーッ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエーッ……」
 そう云う赤い鳥の顔を、眼をまん丸にして見上げていた大きい方の児が、みるみる渋面を作り出した。眼に涙を一パイ溜めたと思うと、口惜しそうにワーッと泣き出して、テングサの束を投げ出したまま裏木戸の方へ駈け出した。小さい方の児もテングサのしずくを引きずり引きずりあとからいて出て行った。笑いころげる夫婦の声をあとに残して……。

 大きい方の児は、すぐに網干場に駈け込んで、そこに突立っている赤褌の、桃の刺青をした男にすがり付いた。そうして一層泣き声を高めながら別荘の方をゆびさして、切れ切れに訴えはじめた。
 桃の刺青はウンウンうなずきながら聞いていたが、そのうちに二三度鉢巻を締め直した。青筋を立てて怒鳴った。
「……エエわからん……まっとハッキリ云え……ナニイ……あの別荘の奴等がか……ウンウン……あの赤い鳥にバカタレと云わせたんか……ウンウン……それに違いないナ」
 横に立っていた小さい児も、指をくわえたまま、大きい児と一緒にうなずいた。
「……ヨシッ……わかった……泣くな泣くな……畜生めら……そんな了簡りょうけんで、あの赤い鳥を連れて来腐きくさったんだナ……ヨシッ……二人とも一緒に来い……」
 と云うより早く網を押しわけて別荘の方へ駈け出した。
 しかし裏口から赤煉瓦の中へ這入ってみると、別荘の中はガランとしていて、人の気はいもなかった。ただ表の植込みからせみの声が降るように聞こえて来るばかりなので、桃の刺青はチョッと張り合いが抜けたていであったが、そのうちに小松の蔭に吊してある、青塗りに金縁きんぶちの籠を見付けると、又急に元気附いた。
「コン畜生……ひねり殺してくれる」
 と独言ひとりごとを云い云い籠の口を開けて、黒光りに光る手首をグッと突込んだ。
 赤い鳥は驚いた。バタバタと羽根を散らして上の方へ飛び退いたが、なおも真黒い手が掴みかかって来るのを見ると、その手の甲へ勇敢に逆襲して、死に物狂いに喰い附いた。
「アッ……テテッ……テテェテテェテテェッ……」
 桃の刺青も一生懸命になった。深く刺さった鈎型かぎがたくちばしを一気に引き離すと、黒血のしたたる手首を無我夢中にふりまわしたが、そのはずみに籠の底が脱けてバッタリ落ちたので、赤い鳥は得たりとばかり外へ飛び出して、見る見るうちに遠い松原の中に逃げ込んでしまった。

「……君は一体何をするんだ……」
 鳥のあとをうて二三歩馳け出したまま、ボンヤリと焼け砂の上に突立っていた桃の刺青は、突然にうしろから怒鳴り付けられたのでビックリして振り返った。見ると浴衣がけの若大将が湯上りの身体からだをテラテラ光らせながら、小さな眼を光らして縁側に突立っていた。そのうしろから寝巻をしどけなく着た奥さんが、咽喉のどをピクピクさして泣きじゃくりながら、帯を捲き付け捲き付け出て来る模様であった。
「……二百円もする鳥を何で逃がした……うちの家内がのようにしていたものを……」
 若奥さんは帯を半分捲き付けたままベタリと縁側に坐った。ワーッ……と泣き出しながら板張りへ突伏した。
 桃の刺青はこれを見ると肩を一つゆすり上げた。又も勢い付けられながら血だらけの手で鉢巻を締め直した。
「……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……」
「……そんなオボエはないぞ……」
「……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……」
「……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……」
「……ウヌッ……」
「……アレーッ……」
 桃の刺青はイキナリ土足で縁側に飛び上ろうとしたが、グイと若旦那に突き落された。その力が案外強かったので、桃の刺青はチョット驚いたらしかったが、喧嘩自慢の彼はなおも屈せずに、庭下駄穿にわげたばきで降りて来た若旦那を眼がけて掴みかかった。
 けれども柔道を心得ているらしい若旦那の腕力にはかなわなかった。砂の上に息詰まるほどタタキ投げられた上に、尻ペタをイヤという程下駄で蹴付けつけられてしまった。しかも、それをヤット我慢しながらようように頭を上げてみると、若旦那はいつの間にか縁側に上って、女たちと並んで見ているのであった。
 桃の刺青は真青になって、唇を噛んだ。起き上るや否や、
「覚えていろッ」
 と云い棄てて裏口から飛び出した。村中を駈けずって仲間を呼び出してまわったが、その仲間の四五人が、冷酒ひやざけの勢いに乗じて別荘に押しかけた時分には、若旦那夫婦と女中二人を乗せたモーターボートが、大凪おおなぎの沖合はるかに、音も聞こえない処にすべっていたのであった。
 桃の刺青の仲間はいよいよ腹を立てた。炎天を走って来たお蔭で、一時にあがった冷酒の悪酔いと一緒に、別荘の中へあばれ込んで、戸障子や器物を片っ端からタタキこわし初めた。それを押し止めに出て来たお吉婆さんまでもついでにタタキ倒おしてしまったが、その婆さんの報告で駐在巡査が駈け付けると、すぐに桃の刺青を取り押えて、ほかの四五人と一緒に裸体はだかのまま本署へ引っぱって行った。
 村中は忽ち大騒ぎになってしまった。この塩梅あんばいでは四五日のうちに迫っている夏祭りがトテモ出来まいというので、年寄達が寄り合ったり、村長と区長が夕方から警察に陳情に行ったりしたが、そのうちに別荘の持ち主の方で、告訴しないように取計らった事が、町から電話で知らせて来たとかで、間もなく若い者たちは放免されることがわかったので、やっと村中が落ち付いた。
 一方に別荘はこの騒動のあった日から、門も雨戸もスッカリ閉め切って、空屋同然の姿になってしまったが、そのあくる日のこと……村の女房やもりが四五人づれで、恐る恐る様子を見に行ってみると……雨戸の外の小松の蔭にブラ下がった底無しの籠の中に、いつの間にか赤い鳥が帰っていた。そうして昨日きのうの残りの餌をつつきながら一生懸命で叫んでいた。
「馬鹿タレ……バカタレエ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエッ……」

 収穫とりいれが済んだあとの事であった。亭主の金作が朝早くから山芋掘りに行った留守に、あんまりお天気がいいので、女房のおよねうちを閉め切って、子守女こもりのお千代に当歳の女のを負わせた三人連れで、村から一里ばかりあるH町の八幡宮に参詣さんけいした。
 帰りかけたのは午後の一時頃であったが、お宮の裏の近道に新しく出来たお湯屋を見かけると、お米はチョット這入はいってみたくなったので、誰も居ない番台の上に十銭玉を一つ投げ出して板の間に上った。眼をましかけた子供に乳を飲まして寝かしつけて、ネンネコ袢纏ばんてんに包んで、隅ッ子の衣類きもの棚の下に置いて、活動のビラを見まわったりしながら、お千代と一所いっしょに湯に這入ったが、ちょうど人の来ない時分で、お湯が生温なまぬるかったので、二人はいい気持になって、お湯の中でコクリコクリと居ねむりを初めた。
 そのうちに一かたげ眠ったお米はクサメを二ツ三ツして眼を醒ましたが、高い天窓越しに、薄暗く曇って来た空を見ると、慌てて子守のお千代を揺り起した。
「チョット。あたしは洗濯物をば取り込まにゃならぬ。一足先に帰るけに、お前はあとから帰って来なさいよ。湯銭ゆせんは払うてあるけに……」
 お千代は濡れた手で眼をコスリながらうなずいた。お米はソソクサと身体からだを拭いて着物を着て、濡れた髪を掻き上げ掻き上げ出て行った。
 それからお千代は又コクリコクリと居ねむりを初めたが、そのうちに鼻から湯を吸い込んでせ返っているうちにスッカリ眼が醒めてしまったので、ヤット湯から上って、まだねむい眼をコスリコスリ身体を拭いた。赤い帯を色気なく結んで表に出ると、長い田圃道をブラブラと、物を忘れたような気もちで歩いて帰った。
 帰り着いてみるとおかみさんは、又も西日がテラテラし出した裏口で、石の手臼てうすをまわしながら、居ねむり片手にいていた。それでお千代も石臼につらまって、一所にウツラウツラしいしい加勢をしていたが、そのうちに四時頃になって夕蔭がさして来ると、山芋をドッサリかついだ亭主の金作が、思いがけなく早く、裏口から帰って来た。
 金作は界隈でも評判の子煩悩こぼんのうであったが、山芋を土間に投げ出して、いつも子供を寝かしておく表の神棚の下まで来ると、そこいらをキョロキョロと見まわしながら、大きな声で怒鳴った。
「オイ。子供はどうしたんか」
 お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
 と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
 お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
 お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……わたしゃ……」
 二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……なんしに這入ったんか……」
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……おといて来たア……」
「……ワア――ア……」
 金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
 お米も面喰めんくらったまま起き上って、裏の田圃へ駈け出した。田をいている百姓を見付けると、金切声を振り絞った。
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
 一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがてひげをひねりひねり亭主をかえりみた。
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑おかしいじゃないか。ア――ン」
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
迂濶うかつじゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……」
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたらおといて行ったもんじゃ御座いませんでしょか」
「馬鹿な……を落す奴があるか」
 その時に男湯の入口がガラリといて、百姓姿の男が一人駈け込んで来た。そうして何か戸惑いでもしたように、誰も居ない男湯の板の間を見まわしながらキョロキョロしていたが、そのうちにヤット気付いたらしく、女湯の入口にまわると、泥足のまま巡査を突き退けて、ハヤテのように板の間に駈け上った。……と思うと、そのあとから又二三人、野良姿の男がドカドカと這入って来た。
「居ったカッ」
「居ったッ」

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いなか、の、じけん 備考


 みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。

底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂
   1933(昭和8)年5月15日発行
初出:「探偵趣味」「猟奇」
   1927(昭和2)年7月〜1930(昭和5)年1月
※1927(昭和2)年7月号の「探偵趣味」から、1930(昭和5)年1月号の「猟奇」にかけて、両誌に断続的に発表された。
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年1月13日公開
2012年3月13日修正
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