
彼は筑波山麓、槿籬周ぐれる祖先の故宅に起臥して、世と相關せず、彼の健康は農民に伍して、耒耨に從ふを許されず、庭園に灌ぎ草花を藝ゑて、僅に悶を遣る、海内の青年文人、彼の詩名を聞くもの、悦んで遠近より種子を彼に頒ち、彼の花園自然の生色を絶たず、白は誰の心、紅は誰の情、花守詩人の名は、最もふかく彼の詩を吟誦する青年間に高し、彼の詩集に『花守』を以て題したるは我等諸友人にして、主人自らは干與せざるなり、放曠概ね此類なり、その詩、字櫛句爬、分折毫毛、純乎として純なる眞人の詩也、病詩人の詩也、薄倖文人の詩也、かの西國詩人の冷飯殘羹を拾うて活くる、才子の作と同じからず、詩豈活きざらむや。
然れども彼が如く、世間と杜絶せる境遇に在るを以て、その謠ふところ、眼前咫尺、平凡常套の事にして、往々單情粗心、或は稚兒に似たる感情を洩らすことなしと言ふを得ず、げに『花守』一卷は哀詩也、この哀詩に先づ充たすべき缺陷あらば、そは壯嚴なる悲哀ならむ、然れども是なくして

吁嗟かくばかり覊軛ある世に、詩のみぞひとり自由なりける、天は彼より一切を徴して、代ふるに最も自由なるものを以て授く、彼亦聊か安んずるところなかる可らず、彼は終始常陸の僻邑に蟄居して、識を所謂中央文壇に求めざるを以て、彼の詩或は多く世に知られざらむ、友人某、々、々等深く之を遺憾とし、其詩集を公にせむことを勸む、我亦與かる、彼曰く、我世に望むところなし、只この一小册子を、垂白の慈母に、献じ、その

彼の詩はかくの如くして作られ、輯められ、刊行せらる、彼を江湖に紹介するものは彼自身の詩也、彼の詩を世に問ふに至りたるは我等諸友人也、即ち茲にその始末を記して、序となす。
辱知 小島烏水識
[#瀧澤秋暁(1875-1957)の序文あり][#河井醉茗(1874-1965)の序文あり]
わたくしが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で、出京後間もなく常州に訪問した時です、小山から水戸線に乘りかへて、鬼怒川を渡る比は、黒ずんだ冬の空も晴れ渡り、巽の方眉を壓して白雪を戴いた秀麗な山が聳えてをりました。これが有名な筑波山で、さながら夜雨其人に面會した心持が致しました。ソレは此らが君の詩に因て、深くわれ/\の頭に染み込んでをつたからです。下館で下りて二里半の道を行くと、筑波は終始帽子の廂を離れません。平原的丘陵の幾つを越え、霜柱が崩れて黝土の泥濘を捏ね返した田舍道を大寶迄行くと、東に向て眞正面に、一叢茂つた木立の間に、白壁と藁葺が見えます。それが君の居村です。溝川の縁を幾曲り、村に入ると南に向うた門搆への家があります。最うトツプリと昏れてはをりましたが、君がいそ/\出迎へらるゝ姿は、豫て承知はしてをつたものゝ、まことにイタイケで何ともいへぬ感じが致しました。此夜はまことに面白く隔意なく語つて眠に就きましたが、翌朝母君の御たのみで君の身體を診察した時は、未だに得忘れぬ、萬感一時に胸を衝いて、耻し乍ら不覺の涙がこぼれました。母君の御咄には、五六歳の頃から病氣が起て、東京迄も連れて出て、名高いといふ醫者には誰一人診せぬものなく、隨分苦勞を致しましたが、とう/\全治はせず、小學校に通ふ頃は、徃返が難儀で、心外にも他の子供等の嘲りを受くる折もありました。自分でもソレが厭に成り、終には中途で退學して、内にばかり閉ぢ籠つて、倉の中から本を引き出しては讀んで居りました。二三年前には丸で歩行の利かぬヒドイからだに成りましたが、今ではよい方です。とても長生は出來ますまいと思ひますが、せめて身體の苦痛だけでも除いて遣りたいものです。といはれました。君の病症を並べ立てるのは、醫師の徳義上から憚りますから、略して申しませぬ。つまり身體いづれの箇所も一として故障のない所はない。さりとて世人の嫌惡する如き惡性の疾患ではありませぬ。わたくしは病氣は皆固て仕舞て今後増惡の虞なきこと、壽命は艱生次第常人の年齡に達し得べきこと抔、慰諭しましたが、之が醫者であつてこそ異まなかつたものゝふだんの人ならどの位驚いたでしよう。夜雨君自らでさへも、どうして自分が活きてをるかを不思議に思てをられた位です。しかし私の驚いたのは君の身躰ではなかつた。身躰ではないが、君が此

これからは交際も一層の親密を加へ、書面の往復も以前よりは頻繁と成り、今では全くの心友と成て了ひました。君の家に伺たことも五六度はありましよう。東京の下宿にも兩三度は來られたやうに思ひます。君の性情は醇粹の極で、生れ落ちたまゝ何の汚れにも染つてをりません。君と對てをる間が一日ならば一日の清風が吹く、君と眠てをるひまが一夜ならば一夜の明月が照らす。私も雜多な人と交て見ましたが、君の如く純潔な人は殆んど類を絶してをる。之はわれ/\同人間の誇りであります。君の家は舊家の末だけに自然大風な所があつて、界隈の人が尊敬の中心と成てをります。父君は現に名譽村長の職に居らるゝとの事です。母君は情に深く意志に強よき女性で、夜間は燈火の下に愛兒の詩を繙かるゝのを見受けました。母君は全く君にとつて守護の女神で、行住起臥其子に對する心配ひは側から見て居てさへも慈母の恩愛が染々と有難く感ぜられました。弟達は皆々剛健朴茂の好少年、兄君をとりかこんでめい/\好きな遊戯をしてをられました。親戚故舊は垣一重道一筋、重い足にもさして困難でない程の距離、殊に新宅の小父さまは快活洒落の人で、四十年前の四國遍路のごときは面白くきいた旅行談の一つでありました。君の家庭を見るため左の一節を書簡中から拔粹する。
宅では親類から來てゐる書生共に四人の勉強家が揃うてゐるから、大分にぎやかである。順君は來年士官學校に入る積だ相でよくもやる、孝先生(順孝兩君共に令弟)は書に倦むと笛を吹く。
夜になると四人は次の間に引こんだ切りねる迄出てこぬ。廣間の主人公は母で、爺と太郎とおはつとお才と燈火を圍んで糸をつむぐ、車をまはす、なか/\こゝもにぎあふ。僕も宵のうちはこの中の間でお才に手傳つて紬の糸をひくこともある。おばアさんは下總へ行つてもう一月になる。
小貝川は村端れから一二丁のところです。新川と古川との間に島がある。一面豐腴の畠地でこれから筑波山は手のひらで撫でゝ見たい位、日に七度かはるといふ紫も鮮かに數へられます。夕景に成て空が澄み渡ると、金星のかゞやく下に幻影のやうな不二が浮びます。夏の消息に、夜になると四人は次の間に引こんだ切りねる迄出てこぬ。廣間の主人公は母で、爺と太郎とおはつとお才と燈火を圍んで糸をつむぐ、車をまはす、なか/\こゝもにぎあふ。僕も宵のうちはこの中の間でお才に手傳つて紬の糸をひくこともある。おばアさんは下總へ行つてもう一月になる。
こないだ僕弟につれられて辨才の堰へ釣に行つたが、カン/\とてりつける日の下にゐてもあついとは思はなかつた。フナは面白いやうにかゝるし、稻の葉はさら/\と鳴つて、一望たゞ青き野中に立つたのです。雲の多い風のすこし強い、山はハッキリと水に寫つてるのです。浮藻の蔭を孫太郎虫が泳いで、トンボが飛んで……其時ふくべの半分迄釣つたのだ、あンな大漁は始めてです。
とはこの川に落つる廣い堀です。小貝川は宛字で蠶飼川といふのがほんとうだそうですが、川の名をきくとすぐ此あたりの農家の生活が目にちらつきます。現にいま言ふた河中の島でも桑摘みが盛んで、蠶時は赤襷の姉さん冠りが優しい僻歌につれて左右に動くのが、遠くから綺麗に見えるといふことです。
秋蠶はあと三日で上る。今が繁忙のモ中だ。あんのは入つたモナカなら甘いが、この方はさすが甘黨烏水の君もくふまい。僕も常なら桑の係を言ひつかるのだが、今度は順君孝君といふ働きてがゐるから、まづ高見の見物なりと言ふて、奧へばかり引こんでねることも出來ず、勝手の隅で母の役目の見張りだけはせねばならぬ。桑の匂ひは未だしもだが、こくその香りの鼻をつくのは實に降參する。
これは蠶室の有樣です。養蠶の外に
稻は俵にはいつて、今田舍は大根ぬきで忙しい、棉もとれた、そちこち棉ぶちのビン/″\の音も聞える。風はつよい、栗の若木にはまだ朽葉がくつついておちぬ。桐の葉のかさ/\鼠のやうに馳けるのがをかしい。
といふのもよく文字で現はした田園の趣味です。これを讀むと多くの人は君の幸福を羨んで、一日でも代て見たいやうに思はるゝかも知れませんが、君には不斷の苦痛があり、又不斷の煩悶がある。君は生れ乍らの厭世詩人である。
僕はこの頃ます/\心がめいり込んで、硯に向はぬ事も久しく成るのだ。足の重い事千鈞の石をくゝりつけたやう、氣の塞ぐ事はこれまたさみだれ頃の空と似てゐる。肌にしみこむ夕の風をさけやうともせず、南にあらはるゝ一つの星に眺め入ることが多い。それは桃色の天の光がだん/″\薄うなつて、金光燦らかなる夕の星が庫のむねよりちとはなれて見られるのだ。むかしの人もこんな時こんな星を窓から見たのであらう、おれには天の一方に相思ふ戀人もなく、おもひ出の涙なるべき夕暮もない。おれは地に生れおちて天にかへるまでひとりでゐねばならぬ。遣る方なき寂しさも語りたいに人はない。年若うて死ぬ者はあるけれど、彼はかならずひとりたるべく恐らく覺悟した事はなかつたらう。蕾のうちに萎れ行く花の少女はあるが、彼はやがて來るべきおそろしき死を思うた事は夢にもあるまい。生るゝと同時にすべての幸福は剥ぎとられて、心にも身にも絶えず苦痛を覺えねばならぬやう何で生れたのであらう。星は君にも見える筈だ。(中畧)僕は夢にでも立派な體格になつて見たいと思はぬ晩はないのだ。わが手人よりも強く、わが足人よりも疾く、高きも花は折らう、深くも水は渉らうとやうに……
つまりかツたいの瘡うらみだが、君僕は正直に言ふ、僕若し一兵卒たるを得ば、攻めあぐめる旅順口の要塞にいつその腐れ、奮鬪して死んで見せるよ。
斷膓の文はこれに盡きない。つまりかツたいの瘡うらみだが、君僕は正直に言ふ、僕若し一兵卒たるを得ば、攻めあぐめる旅順口の要塞にいつその腐れ、奮鬪して死んで見せるよ。
中秋の夜ひとり沼に行きて浪の上に消え行く夕陽の光を見た、勞れて一歩も移し難き足を木の根に寄せて、月はまだうつらぬ浪の面を見つめてをると、西と北から霧がだん/″\と重なつて來て、水は鏡のやう天も遠く地も遠く、僕そこに美しきわが住居を認めたのである。亡き友のうへ病める人の身など、それよりそれと考へ出して、父母百年の後にくらき或者の影のわが行く路に横はれるを悲しんで、寂たる湖心に家(家舟)を浮べ、ひとりそれに籠らば世に味氣なき事を思ふまじと思つた、一棟の家を建つるべき入りめと一人耕すべき田とはすでに持てり。住まん哉。人來らぬ湖上に」
こゝに人を見る。渠等に夫あり妻あり。かれ等われより暗にしてわれよりしれものなるに、來りてわれを侮りわれを辱しむ。われもとより其心術の陋しきをあはれむばかりの誇りはあれど、長く其眼をのがれてひとり在らんことを希ふ。
今せん無き夢を空にゑがいて徒らに野に朽つべきか。われに猶用うべき力あり。初より許されたる命のかぎり生きんのみ。
やがては君、わが造くるべき水槨の壁に題す詩をあたへた。
眞個至情の文、讀んで泣かざるは人に非ずと思ひます。こゝに人を見る。渠等に夫あり妻あり。かれ等われより暗にしてわれよりしれものなるに、來りてわれを侮りわれを辱しむ。われもとより其心術の陋しきをあはれむばかりの誇りはあれど、長く其眼をのがれてひとり在らんことを希ふ。
今せん無き夢を空にゑがいて徒らに野に朽つべきか。われに猶用うべき力あり。初より許されたる命のかぎり生きんのみ。
やがては君、わが造くるべき水槨の壁に題す詩をあたへた。
足は痛い、庫に入つて、本をさがす事も出來なくなつた。弟は一日うちに居るぢやなし、またさう使へるもので無い、まして夜痛い足をなぐツてくれとはたのまれぬ。痛んでねられぬ時、僕はひとり暗い座敷に座つて鷄の啼く時分迄ゐる事がある。布團へねてゐては却て痛むのだ。
かやうな意味の文句は書面毎に絶えたことはないが流石に人間最高の趣味を解してをる人だけに、悲んで傷らずといふ覺悟があツて、肚の中でぢツと堪らへてをらるゝのが一層氣の毒でならぬ。しかし又思ひ直して解釋すると事々物々奇ならざるはない。君の煩悶は外部にあらはれた生命に缺陷の多く、到底内部の光焔を盛るに堪へぬ所から、噴火山が爆發すると同じ理屈で、欝屈の餘り怨嗟の聲と成り不平の涙と成るので、君の生涯の純粹は即ち茲に宿て居る。君の生命の價値から見て貴重を極めてをるものは此煩悶で、君は此黄金を自重していよ/\高貴なる金剛石に鍛へ上げなくてはならぬ義務がある。煩悶は凡人の能くする事でない、古への偉人傑士誰か煩悶の子ならざるかである。又病魔とても其通りで、嶮崖急河が深山の威嚴を守るごとく、君を包衷して天眞の妙相を保持し得たものは全く病魔の力である。烈風豪雨が峻嶺の嵯峨を作るごとく、君を鍛錬して詩品の深刻を成さしめたものは終に亦病魔の賜物といはねばならぬ。此の如き矛盾の大調和、此の如き闇黒の大光明をかくも正しく現世目前に見るを得たのは、宇宙萬人の生涯中希有絶少の偉觀として夜雨君のため、又讀者諸賢のため欣喜にたへぬことである。何時の頃からともなく、前栽に花を植ゑ水を灑ぎ草を採り、自ら「花守」と名乘て出られた。
しかし花は綺麗ですよ。今六つばかり咲いてゐますが、色として無い色はありませぬ。葉
頭にもいくつ色があるか數へきれぬ。(ニユーヨルクのヘンデルソン商會の種子なり)おしろいは黄と紅と、夜顏は藤紫と雪白と、ハルシヤ菊は白色と淡紅色とを八重と一重に、アメリカ白蘚は淡紫色、うらしま菊は八いろの色、千紫萬紅ホンとに君に見せて色の講義をきゝたい位です。
又近頃は村の子供を集めて寺小屋を開いてをらるゝといふのです。「花守」と「お師匠」さま、何といふ詩的の生活であらう。夜雨君の如きは頭のギリ/\から足のツマ先まで、全部詩の化身といふてよいでしよう。
八月十八日
伊豆伊東にて
友人 伊良子清白
夜雨は薄幸の詩人なり、幼ふして身、已に病を懷き、室に筑波の翠微を仰ぎて、而も脚多く戸
已にしてまた之を想ふ、人生れて疾を天に享く、素より極めて悲むべし、然れども人生れて才藻の嬖寵を詩神に享くるに至りては、世孰れか之を庶幾し、之を望んで得るものぞ、天地たゞ僅に一の詩人あり、よく足を※[#「足へん+堯」、U+8E7A、152-下-8]て


辱知 江東生
[#ここに花園の挿絵あり][#改ページ]
堤にもえし陽炎は
草の奈邊に匿れけむ
緑は空の名と爲りて
雲こそ西に日を藏め
さゝべり淡き富士が根は
百里の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山
雨雲覆ふ塔に
懸れる虹の橋ならで
七篠の光、筑波根の
上を環れる夕暮や
雪と輝く薄衣に
痛める胸はおほひしか
朧氣ならぬわが墓の
影こそ見たれ野べにして
雲捲上る白龍の
角も割くべき太刀佩きて
鹿鳴く山べに駒を馳せ
征矢鳴らしゝは夢なるか
われかの際に辛うじて
魂、骸を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は猿の騷がしく
水に映らふ月の影
鏡にひらく花の象
あこがれてのみ幻の
中に老いたるわが身なり
月無き宵を鴨頭草の
花の上をも仄めかし
秀峰光らす紅の
光の末の白きかな
縋りて泣かん妹の
萎れし花環投げずとも
玉の冠か金光の
せめては墓に輝かば
東の海に出づる日は
西なる山に沒るれど
沒れぬ光は天雲の
五百重の遠に射渡るを
虚しき空に紅の
霞流るゝ沙の上
丘の高きに石を敷いて
築きし墓は荒れにたれ
獵矢手挾み鹿追ふと
森に落しけむ久米の子が
耳朶に懸けし金の
鐶は雨に腐されて
丹を頬に粉りし未通女子の
文ある袖も黒髮と
殯の宮に歛めしより
千年の土となりにけり
櫻が下の曙に
春の旅こそ終りけめ
秋は如何なる風吹きて
露より霜と結ぶらむ
行けども行けども歸らざる
人を送りて野は青く
野は青くして亂れ飛ぶ
花の行方は幻の
〜〜〜〜〜〜〜
母が乳房の珠ならで
許されざりし唇は
巖が根纏ふ山百合の
皎き花にも觸れずして
二歳まさりの姉君は
月圓なる春の夜を
栗毛の駒に鞍おきて
森の館に嫁ぎけり
鶉隱れし叢に
卵探すと掌を
茨にひきさく野人の
われは雄々しき兒なりしか
寂しさ知りて麥笛を
霞の丘に鳴らせども
美し人は青麥の
青きを分けてあらはれず
水涸々の石川に
秋は肥たる鮠の子を
小笹に貫きてさげかへるも
匂へる眉は戸に見えで
蓮の浮葉かきわけて
棹さしめぐる湖や
落る日天の雲染めて
夕の浪は靜なり
筑波も暮れぬ野も暮れぬ
唄も暮れぬる藻刈船
しなへる棹を操りて
行くべき方も暮れにけり
柳垂れたる江のほとり
橋かけ通る裸馬
うち放らかす鬣の
黒きも水に洗はれて
手綱控ふる若者の
鉢卷白し秋の風
橋と舟との上にして
戀もあれかし耻かしの
〜〜〜〜〜〜〜
夏野の露の朝ぼらけ
靈夢はさめにけり
喚べどかへらぬ隼の
深山の雲に鳴くと見て
宵の燎火白々と
土橋の爪に消えのこり
蜘手に開く小田の路
野は露ならぬ草も無し
堰に落ち込む落し水
秋は小川に迫り來て
黒髮山は朝曇
曇りて北に見ゆれども
花は子となるうす櫻
彌生をかけて夏草の
霧の深きを踏む程の
命は神のゆるしけむに
何しに人の今日死して
雲の薄きに泣かすらむ
われは常陸の野にして
風に吹かるゝ身なるもの
白日の光かくれたる
石の柩の底深う
夕の影に伴ひて
人はくらきにかくれけり
雲ならでかよふものなき
石狩のみ岳の奧に
錦なすかつら閉して
谷々は紅葉しにけり
霧の海に森の島浮き
島の森を霧またこめて
大瀧や雨龍に落つる
石多き川の面白し
洞の上に霜はおけども
野に迷ふ熊はかへらず
白柳の枝を綰ねて
弓弦ならす愛奴も見ぬに
金風の渡らふ川に
空高みひとりし立てば
枯芦の鳴るは汀か
霧晴れて船の跡なき
夜の水に瞳輝く
川獺の猛きはすめど
斷崖の迫れるふちに
妹がかざす珠も沈きて
雨に曝れて白める岩の
岩蔭に『火の珠』さきぬ
俤は浪にくづれつ
花片は霜にいためり
太古より煙のぼらね
此山の良木ゑらびて
妻籠に臺建てんか
八重垣の森に聳ゆる
落葉たく萱屋が軒に
新妻のはしきは籠めじ
思ひ出の花無き里は
紅の袂ぬれなん
月朧擧羽の海の
陽炎は夢ときえしを
閨の戸に櫻ゑがいて
山翠は籠にかふべく
裡にしてさゝやき交す
窓懸の絹の薄きに
朝朗明流るゝ星の
碧きをか寫し留めむ
棹さし上る獨木船
路は遠し百七十里
歸らぬ水に枕重ねて
秋となりぬる旅路哉
石狩岳の麓より
流れて落る大川の
下つ瀬遙かにたなびく雲は
明くればみ岳の腰をめぐりて
浪際無き津輕灘
海門近く櫂行るも
炎ひらめく宇曾利山
見ゆるは奧の煙のみ
光さやけき黄金の
月を浮ぶる那智の海
北の島根に遠かり來て
迷ふと憂しやたゞ一人
我に梓の弓あらば
白羽の征矢を手挾みて
殘んの星の影白む
岩見の澤に鳥狩せむ
雨はね反す

※[#「舟+反」、U+8228、157-下-7]ぐ船におほひては
手捕にすべき鱒の子の
淺瀬の水にをどれども
潛龍沙魚追うて遡れば
川狹うして楡の木を
驚き立つか嘴長く
羽翠なる水鳥の
浪湧き囘る瀧壺に
夕ばえさして虹立てば
瀧の面にわが影の
紫金の色と映るなり
紫菫匂ふ野の
胡蝶は花に醉ひしのみ
紀路に遍き金風に
破れし翼をかへさねど
醉へば手馴し横笛を
空知の月にしらべつゝ
さめては暗き夕張の
猿飛ぶ岳に咽ぶか
宗谷の岬に浪立てば
天鹽の雲も凍るらむ
五つの指の龜けては
棹執るにすら力無き
猿間の海の水に鳴く
雎鳩の聲は聞かねども
小衾冴ゆる曉を
今は昔の夢戀し
歸らんか南海に
歸れば峰に雪は無く
歸れば川に花流る
歸らんか紀の海に
黒き狐の裘
肩の紕は任他
下には離れし憂人の
縫ひける衣を纏ひたり
雪まだ降らぬ石狩の
山にも野にも風吹きて
地に動くは雲の影
天に映るは草の色
〜〜〜〜〜〜〜
光は沖にあらはれて
闇は海より退きけり
星まだ殘る北の海の
浪は碧に騷ぐらむ
南の丘に蝶飛んで
薔薇の花の匂ふ時
湧きもめぐらふ新潮に
島は輝き見ゆるかな
尾上の櫻野の霞
花の帷の中絶えて
火の環かざれる秀つ峰の
朝の空に立つ見れば
靈嶽の頂に
虹の七重は踏まねども
仰げば額に天なる
光の添はる心地して
水の上飛ぶかげろふの
羽を

尾上の花や散りくると
ひれ振り尾振り跳るらむ
雲のはたてに月沒りて
沼に光の消えにけり
濕れる棹を手にすれど
さすは

月波に燃ゆる紅の
八雲は山の陰毎に
殘れる夜の雲染めて
二つの峰は清らなり
堤は低し木は荒し
西北に亘る山浪の
黒髮山に誰妻の
うす絹被く眉にせむ
朝たなびく夏霞
不二は夏より見ゆるてふ
沼の半に漂ひて
霞にきらふ船路かな
菱の實落つる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり
羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ
船の動くにつと迯げて
葦間の杙に鳴き交す
鳥には輕き羽あれば
さしまねけども寄らずして
憎しとも思ふ浪の上の
鳥の如くにいたはりし
人はわが家を去りて後
寂しき秋となりにけり
朝髮梳る床の上
眉根粧ふ閨の裡
袂にくゝる八房の
若紫の色も濃く
雨降る夕、わが前に
裁縫をすとていねむりて
廣くとりたる前髮を
机にあてゝ壞せしも
頬に突くかゞち、知らぬ間に
鳴らさむとして覺られて
笹紅匂ふ唇に
ふたゝび珠を返せしも
人故妻を逐はれて
知るは二人の涙のみ
(羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ)
美しき物、はなたじと
握りし鳥は奪はれぬ
人故妻を逐はれて
さめぬ白日の夢に耄れ
雲流れ行く東路に
何しに來ぬる我ならむ
松稀にして榛多き
常陸は山も高からず
(菱の實おつる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり)
ぬなはの若芽掻きよせて
摘めども船の慰まで
思へば鳥の逐はるゝも
逐はれて草に隱るゝも
大路を過ぐる花車
少女は花の小車か
さす手にひらく春の花
ひく手に飜る秋の波
灯影ゆらめく細殿に
扇飜し舞姫と――
伊賀より落つる木津川の
石皆圓き川の上
雪と漲る浪の戸に
赤裳かゝげて立ちたると――
西京に近き荒寺の
崩し築土に身を寄せて
森の公孫樹に落る日の
光に泣きし尼君も――
燈籠舊りし石階を
鹿に恐れて驅け上り
紅潮しゝ頬の色の
花の如くに光りたると――
人は往けり還りけり
とゞろと渡る花車
蜘手の道の遠くして
のこるは暗き花の影
野守の鏡
面銹びて
形象を落す
雲も無し
還らぬ人の
一人にのみ
神は戀ふるを
許せども
夕靜けき菅生野を
たなびきかくす旗雲の
紅きを見てはしかすがに
もろき涙も落しけむ
千重敷浪に漂ひて
眞舵しゞぬき漕がんとも
テグスの川に入らんには
餘りに遠き旅なれば
有明の月の消えかゝる
鬼奴の河原にさまよひて
かぎろひ燃ゆる紫尾が嶺の
峰照る星を仰ぎ見ば
空より來にし天使の
翼に乘りて天國に
歸りし母の俤は
花環の中にあらはれむ
腰に三重卷く綾織の
帶は結ぶに輕くとも
繪にのみ見てし矢がすりの
振の袂は馴れたりや

籠を片手に獨木橋
眞青なる水に陷らば
浪にや袖のなづさはむ
かざすに馴れし白ばらは
さてもあらんを花の君
肩に渦くかち色の
髮誰がために梳る
(月さす閨に丸寢して
わが見し夢は花なりき
仄に宿る電の
露の命となりぬれば
心痛むる秋風に
たゞ戀しきは母なるを
都の雲を西に見て
川を常陸に越す舟の
おぼつか無しや夕闇に
棹かすむるは葭剖か)
〜〜〜〜〜〜〜
八重立つ雲の流れては
紅匂ふ曉の空
夜すがら海に輝きし
鹹の光も薄れけり
南に渡る鴻の
聲は岬に落つれども
島根ゆるがす朝潮の
瀬に飜る秋の海
牡蠣殼曝れし荒磯の
巖の高きに佇みて
沖に沈みし溺れ船
悲しきあとを眺むれば
七十五里の灘の上
浪は白く騷げども
玉藻の下に埋れし
船は浮ばずなりぬかな
戰鬪は
終りたり
檣も今は
倒れたり
奔るははやき
雲の影
響くは大海の
浪の音
かくれし岩に
乘り上げて
裂けし龍骨の
あらはなる
戰鬪は
終りけり
嵐の聲を
名殘にて
霧のまがひに
ひらめきし
白帆も旗も
やぶれては
夕やみ迫る
海の上に
『のろし』の色の
力なき
見よ空を蹴る
荒浪に
船は覆りて
渦ぞ卷く
渦卷く中に
漂ふは
最後の影か
泡沫か
朝巖手の山の上に
蕪菁虹立つを夢にして
夕、鹿島の沖合に
根浪の湧くを見つらんに
花もて飾る墳墓の
小さきを野べに遺さずして
水づく屍は紅の
珊瑚の礁に沈みたり
八洲を環る大瀛の
浪に生れし男の子とて
秋風渡る伊豆の海に
はしき骸をさらしたりけむ
煙に似たる花咲いて
土橋に白き烏瓜
匂へる花を彌生子の
産毛の髮にかざゝまし
山の西よりおく霜に
やがては瓜の染まる時
紅きを割りて彌生子の
櫻色なる頬にぬらむ
種子を常陸の野にとりて
都に移せ烏瓜
春に生れし彌生子の
花なる袖に纏ふべく
〜〜〜〜〜〜〜
花は根になる春の暮
かへらぬ吾子の魂を
櫻が下の墓に
呼びし涙は乾かじな
朝明の名殘みだれたる
ちぬの浦曲の虚舟
沈める星の光見れば
思ひよ空にさわぐらむ
靜かにそゝぐ水にすら
地ぬらさじと心して
葬りにけむ春くれて
山時鳥鳴かんとす
白露しげき秋の夜は
軒の褄なる燈籠の
淡き光に誘はれて
おもかげにして歸らんに
なれし添寢の手枕に
生けりと見しは夢にして
柔肌凍る地の下の
暗きに吾子はかくれたり
〜〜〜〜〜〜〜
曉の夢を落して
白雲の衾被きて
一夜さは關路に睡れ
旅ながら君も少女の
玉匣箱根の谷に

早川の水上遠く
木賀にこそ秋はたけたれ
白玉の沈く淺瀬に
かゝぐれど褄はぬれつゝ
春風に散るや前髮
わきばさむ畚の重きに
相摸の海月は通ふも
高殿に琴なしらべそ
夢にして偸みも聽かば
君により睫しめらむ
水色の袖の長きを
飜へす手に指輪きらめき
胸高に帶を結べば
歩むにも花のこぼれむ
行く水に散浮く花の
悲きは花の行方か
そよわれと都大路に
銀の鞭も振りしを
行く水に散浮花の
いつまでか面輝く
うすものに伽羅を

唇に紅はさせども
行く水に散浮花の
花なれや匂むなしき
溺れんか淵に水あり
碎けんか河原の石に
辛かりし夢よりさめて
幻の雲にかくれん
葦の海に影さす月も
秋よりや光澄むらむ
春日野の白き葉は
さながらに君の色なれ
湖の小舟棹さし
曉を星に泣くとも
山桃の花咲く頃は
新月の眉を剃るらむ
足柄の山をめぐりて
行く水にわれは散る花
行く水にわれは花とぞ散りぬべき
足柄山の春の夕ぐれ
矢獨蜜の花の緋に咲きて
鐘樓朽ちたる山寺に
肩に亂れし髮剃りて
耻しや尼となりにけり
鏡の下の刷毛をとり
今はた色は粧らねど
枕に殘る曉の
雲の俤寒きかな
春雨纖き

檜扇あげてさしまねき
散りかふ花にまがひたる
胡蝶の魂をかへすとも
額にかゝる前髮の
丸がれたるもかゝげねば
秋の風吹く中空に
迷へる夢はかへらじ
星の凶光のあらはれて
根浪轟く淡路島
舟通ふ由良の戸の
跡無き浪も追はなくに
洲本松原中絶えて
虹かゝれる白濱の
滿潮に溺れて蘇へり
われから爲りし新尼の
白雪降れる宮中に
簾を掲げし女嬬は
南の海に沈み入りて
憂き名を磯に流したり
月の入方に漂ひて
潮と落ちし竺志舟
面影光りし姫君の
形見も浪も葬りて
思へばわれは璞の
石に碎けし片なり
涙を花の振袖に
藏みて遠く嫁ぐとも
杯含む唇の
褪せなん程の紅は不知
胸にうつらふ幻を
いかなる色につくろはむ
鴛鴦縫ひし蒸衾
なごやが下に帶解くと
戰く指を握られなば
夢にや死なんうつゝなの
伽羅立ち馨る閨の戸に
背向に臥して懶く
亂るゝ衣をおさへつゝ
泣くとも知らん涙かは
霞に迷ふ
雁が音の
鳴門の迫門に
聞ゆるは
藻汐の煙
なつかしき
撫養の浦曲に
渡るらん
内海照らす
月代の
光めぐれる
島なれば
巖が根まどふ
浪の音は
島の奧にも
聞えつゝ
樒の露に
しほたれて
影衰へし
新尼を
野守の鏡
いくそたび
淺き山べに
泣かすとか
紅もるゝ
うすぎぬに
おほひし乳も
傷つきぬ
忘れがたきも
忘れては
涙のなかに
死にもせで
蕾ふくるゝ曉は
玉なす露の色添へば
花を踏みゆくよきひとの
長き裳裾もみだれけり
嫩草青き「こりんず」の
野に入相の露罩めて
はつかに暮れし花の上に
月の光のほのめけど
刺は花より刺多き
北咲きめぐる高殿の
窓もうばらに閉されて
野はたゞ花となりぬかな
破れし築地にみだれたる
くれなゐの下は栗鼠啼きて
白日の花に飛びまどふ
胡蝶の羽の懈げなる
大理石の扉も埋れては
花の扉となりぬれば
迷ひの宮か花の扉を
入りて歸りし人ぞ無き
栗毛の駒を乘りすてゝ
門をくゞりし武士も
かへらずなりて銀の
鞭は野末に錆びたりき
五月雨髮をときいろの
りぼんにとめし未通女子の
籃を腕にして垣の中に
入りにし跡は花に問へ
花のやかたと名に立ちて
匂へるばらのおのづから
裡にいませる姫君の
まもりと築きし城なれば
瑤の臺に咲き纏ふ
花や栞をおほふらん
池の八つ橋渡り來る
人をも薔薇の埋みつゝ
裁たまくをしき唐綾の
ふすま襲ぬる姫君の
夢驚かす風の音は
閨のほとりに騷がねば
紅匂ふ唇に
やさしき息のかよへりや
花ぐしおちしまへ髮に
光を投げん灯は消えぬ
錦の帳奧ふかく
まろねの袖をかたしきて
月はさせども身じろがず
花は散れどもさめずして
若紫の房ながき
籠の鸚鵡も餌を呼ばで
苑に對へる渡殿の
褄はうばらにおほはれぬ
湯殿に懸けし姿見の
鏡に花の這ひよるまで
荒たる館の花妻の
夢よ醉ふらん薔薇の香に
南の空に秋立ちて
常世の雁はかへれども
まぼろしなれやうたゝねの
夢にも魂のかへらざる
南の空に
あきたちて
常世のかりは
歸れども
〜〜〜〜〜〜〜
浮べる雲の一綫は
碧きが中にたゆたひて
覆輪着けし銀の
天の島とも見ゆるかな
潮の底より月出でゝ
影、中空に盈ち來れば
浪靜かなる大和田の
月は舟とも見ゆるかな
舟か水門の舟ならば
せめては長き秋の夜を
際なき水に流されて
灼る枕を浸さんに
毒ある鏃足に受けて
野べに嘯くことをすら
停められたる我なれば
唯舟こそは戀しけれ
負ひたる傷の深ければ
物に觸るゝを厭へども
寢ぬに綾無き幻の
花の象の眼に見えて
緑、紫、紅の
花は、電、空の虹
環りて、消えて、美しの
人の顏さへ浮き來るを
千草に渡る金風の
露吹きこぼす朝ぼらけ
花の苑生を眺むれば
長しとも思ふ命かな
今日も落ちたる花片の
しめれる地に香を留めて
* *
* *
香取の海は川となりて
浪逆の浪はよも逆らじ
行かんか旅に病みぬとも
今は悲む夢も無し
〜〜〜〜〜〜〜
山秀でたる吾妻路の
平野の水をあつめ來て
南に落つる利根川の
浪は寂に翻るかな
行くともわかぬ白雲の
かゝりて長き眞砂地や
蘆邊に立ちて眺むれば
浪逆の浦は雨晴れて
日光あまねき湖の上を
遙に渡る尾長鳥
ま白き翼は搖かさで
鳴く音は空の秋の風
鏡に映ふ花ならば
異なる影にも慰まむ
思へば旅の果にして
新たに戀ふる人は無きを
蝦捕り舟の漕ぎなづむ
八十の水門はへだつれど
霧に浮べる月波根の
眉なす根ろは北に在り
〜〜〜〜〜〜〜
東白の
野べに生れて
朝露を
頬の上に置き
夕されば
地球の腕に
抱かれて
眠る野の花
唇に
誰かふれけむ
接吻の痕
微かにとめて
夕榮の
うつらふ丘に
紅を
含みて立てり
彷徊ひし
羊の群は
薄霧の
遠に歸りぬ
口笛の
鳴りしやいづら
花の野は
やゝに暮れけり
野べに生れて
朝露を
頬の上に置き
夕されば
地球の腕に
抱かれて
眠る野の花
唇に
誰かふれけむ
接吻の痕
微かにとめて
夕榮の
うつらふ丘に
紅を
含みて立てり
彷徊ひし
羊の群は
薄霧の
遠に歸りぬ
口笛の
鳴りしやいづら
花の野は
やゝに暮れけり
秀峰めぐる薄雲の
靜かに岫に歸る見て
われ露原に立ちし時
紫尾野の秋はつらかりし
汀に散らふ浪の花
白帆上げたる瀬越し舟
國府津の浦にわが立ちし
旅の情を忘れねば
星かすかなる中空に
あこがれたりしわが魂も
やさしき花を地に見て
新たに灑ぐ涙あり
北の光の野をかけて
輝きかへる雪の上に
凍りし花を春解かば
痩せたる巖も馨るらん
橋反らせけむ高樓の
甍くづれしバビロンの
大城の跡に咲き殘る
花の色こそさだかならね
珊瑚洋の島人も
花の環をつくりては
あからさまなる乳のしたに
錦の帶をまとひたり
ビヱンの湖の朝凪に
槎あやつる美人の
腕に佩べる珠鳴りて
匂へる花は胸の上に
咲きて散り、散りて咲く
野末の花のなつかしく
露にぬれたる秋の花を
渡殿朽ちし西の壺に
人の贈りし春の花を
蝦夷菊枯れたる池の畔に
褄紅の撫子は
露霜降りてめげたれど
名よ脆かりし虞美人草の
やがて媚ある花咲かん
眉秀でたる妹あらば
りぼんに

紫菫、白薔薇
酷くは摘まじ苑にして
新たに歸ぐ町の子の
車に花は投ぐるとも
小坪に吊す花籠に
切りてさゝんはあたらなり
明星が岳に立ち迷ふ
雲に思ひの馳する時
曉くらく園に降りて
幽かに花の香を

深山の奧にひとりのみ
立つに似たる悲みは
忘るゝからにわりなくも
落る涙のとゞまらで
玉藻被ぎて美人の
狐と化ける篠原や
奈須野の南石裂けて
常陸に落つる小貝川
物皆沈む誰彼の
霞の底を流れては
ほの/″\明くる東雲の
柳の蔭に渦きて
翠の山を山比女の
帶と

葦茅萠えて芹秀きて
川にも春の光あれ
朽木の洞に隱れたる
蝴蝶の夢は長うして
羽拔けかへし連雀
翔るも舞ふも雲の上
菜種の花に圍まれて
寂けき森の北南
村と村とは長橋の
橋を隔てゝ望めども
南の村にわれ生れ
北の村より君出でゝ
額に垂れし放髮の
髮の端にも觸れずして
われまだ君の眉を見ず
見しは堤の花すゝき
君亦われの顏相らず
知るは堤の木瓜の花
あゝ幾年青き草濡れて
堤を花の飾るらむ
雨はしづかにそゝげども
人は歸らぬ故郷に
櫟の林分け入りて
われ山繭を採りし時
萱野の末にうそぶきて
君はとがみを飛ばしけむ
ぬすめる芋を野に燒いて

七日の月の影踏んで
小篠の笛も鳴らしゝか
おもかげに見る
あげまきの
友と呼ばんは
うらみなり
世にはぐれたる
一人子の
君は悲しき
弟よ
さもあれ空の
雲すらも
やがては洞に
歸るもの
歸れ月波の
ふところに
君ゆゑ泣かむ
人もあり
はとがみ、草の名、形通草の實に似たり、みのりて莢裂くれば中におびたゞしき有毛痩果あり、試みに之を吹けば、風に乘り森を越え林を過りて、漂々として終にゆくところを知らず
〜〜〜〜〜〜〜鳥鳴き過ぐる
巖の上に
黄金の弓を
携へて
征矢の行方を
見送れば
光はそれか
入相の
西に聚まる
紫の
霞の底に
潛みては
白羽の影を
中天に
漂ふ雲の
縁に投げ
浪靜かなる
大和田の
八重の潮路に
煌めけば
沖行船も
紅の
流れし中に
隱れけり
鏃は天に
とゞまりて
新たに星と
生りにけむ
おぼめかしくも
北の方に
落る光の
弱きかな
野火により來る
小牡鹿の
外山に啼くは
聞ゆれど
鴎下り居し
白濱の
潮に朝の
聲絶えて
貴艶なる嫦娥の
顏は
さし出づる月の
色に見えて
露置きそめし
秋の野に
夕の聲の
かすかなり
羅綾の裳裾かへしては
春を驕りし儷人の
腰に佩びたる珠鳴りて
秋燕京にたけてけり
霜こそ置かね天津の
橋に見馴れぬ旗立ちて
紫深き九重の
雲もかへるか峽西に
陽明園に炬入りては
玉の宮居も燒けつらん
蓮葉枯れし夕暮の
池に舟行る人もなし
金房垂れし鞦韆に
みだせし髮はをさめじな
西に流るゝ天の川
曉浪の驚けば
永安門の階段に
落ちたる花は誰が妻か
脛も血潮に染めなして
劒ぞ胸に刺されたる
〜〜〜〜〜〜〜
淀の川瀬の水車
淀の川舟のりもせず
峰の白雲ふみわけて
終に吉野の花も見ず
見しは青葉の嵐山
保津の流に筏して
岸つたひ行く舞姫に
しぶきかけたる川をとこ
春酣にして大輪の
牡丹咲いたる欄干や
徃き來の人も紅の
花には泥む知恩院
石と化りぬる楠の橋
越えがてにして振袖の
長きは肩に※[#「ころもへん+吉」、U+88BA、175-上-21]りて
躊躇ふ君よ、こちら向け
軒の褄なる蝉燈籠の
蝉の羽くらき若葉蔭
まだ角も出ぬ小牡鹿に
驚かされし儷人よ
苔緑なる石の上に
右手なる菓子を投げたまへ
戀はせじものふたゝびは
君が袂もひかざらむ
眉をひらいて歸れとや
君、己が上を知らずして
夕ぐれ一人荒磯の
暗きに立つを危むか
心やすかれ、引汐に
沈むとすれど立ちかへる
浪は仇なる白濱の
砂は終の墓ならず
芒を亂す原の風
小霧に濕る丘の草
騷しかりし青山の
秋は今はや暮れぬかな
光にうとき夕顏の
花と見えしに孤兒の
空しき骸を歛めたる
柩は穴に落されぬ
風の通へる八千俣に
涙の顏を吹かれけむ
斯の子前髮黒くして
瞳の色の澄めりしが
夢ほの/″\の有明に
母やも見えし小枕の
乾かで終に美はしき
眉は動かずなりしてふ
霜より先きに人散りて
かけたる土は凍りけり
草に隱る月を追うて
聲なき死人は墓にかくれぬ
〜〜〜〜〜〜〜
水ほの白き湖の
汀の櫻花散りて
嫁ぐか君は筑波根の
八重立つ雲の奧深く
蘭麝馨れる閨の戸に
尾呂の鏡を手にすれば
影に溺るゝ山鳥の
頬に紅の色潮すを
花やかなりし獨寢の
夢の浮橋中絶ちて
丸がれ易き黒髮に
瑠璃の簪かゞやかし
歸ぐかあはれ月波根の
群立雲の遠方に
山影落る湖の
浪間の月を形見にて
しるしなき戀をもするか夕されば
ひとの手卷きてねなん子ゆゑに
〜〜〜〜〜〜〜
白雲低き足柄の
山は遙に亙れるを
いかゞ越えけむ西風に
雁鳴く野とはなりにけり
緑沈める川上の
峽よりかけて斷續に
見ゆる林のおぼろ/\
秋際無き霧の海
踏むに音せぬ曉の
茅萱の露に眉ぬれて
行けども寢る家無き子の
慰藉失せし野に立てば
光をつゝむ青雲の
向伏す極み秋は來て
長き堤の東に
殘れる月の纖きかな
「今は別れとなりにけり
母よ」と呼べど言はで
父と並べる墓の
涙は終に見ざりしか
路遠くして獨行く
旅は心のさびしきを
尾花亂るゝ古里に
遺れし妻を戀ふれども
さもあれ馴れし小月波の
山は霧より現はれぬ
山は霧より現はれて
朝はふたゝび此に在り
風は胡蝶の羽翼を裂き
霜は猿の食を奪ひ
秋老いにける朝毎に
うつろふ空の高けれど
垂尾地に摺る山禽の
出で入るあたり草枯れて
なづさふ野火の煙のみ
動くと見えて日は寂寞に
〜〜〜〜〜〜〜
腰にからめる紅の
帶は虹に似たるかな
衿にほのめく白妙は
谷につゝめる雪と見ん
美しき舞姫よ
鳥は霞の天に舞ひ
蝶は花野の地に迷ふ
君若草を枕して
夢見る勿れ春の野に
美しき舞姫よ
笄光る黒髮は
解かば風に亂れなむ
せめてはかくせ扇もて
月の影ある眉の跡
美しき舞姫よ
星の夜、姉に伴ひて
祇園の町をさまよへば
櫻はちんぬ、しかれども
おさなかりけるうき人の
俤に似し君を見て
うらぶれわたるわれさへも
西の京の去りかねて
花なる人の
こひしとて
月に泣いたは
夢なるもの
たて綻びし
ころも手に
涙の痕の
しるくとも
うき世にあさき
我なれば
君もさのみは
とがめじ
――花なる人の
戀しとて
月に泣いたは
ゆめなるもの――
つらけれど、紅葉
綾なす葦穗ろの
麓に今は
歸らうよ
破れ太鼓は
叩けどならぬ
落る涙を
知るや君
〜〜〜〜〜〜〜
浪を離るゝ横雲の
壞れて騷ぐ松浦や

沖より白む朝ぼらけ
片帆下せし港江に
つらなる水の青うして
影消え殘る一つ星
北の海こそ遙かなれ
煙は迷ふ島原の
野母の岬の潮さゐに
小舟やるとて腰みのを
絞るになれし我ならん
鴎かくるゝ荒磯に
蝉口しめて眺むれば
石迸る火の山の
照先閃めく海の上
卒倒婆流せし薩摩潟
小島の沖に漂ふも
竹もて編みし小枕に
ゆらるゝ夢の安きかな
艫より落ちていくそ度
母の熊手にかゝりけん
凧をへさきに飛ばしては
糸は潮にぬらせしを
榕樹の枝に秋たけて
雎鳩夜鳴く蹉

珊瑚の床のなめらかに
千重敷浪ぞ限り無き
西へ西へと行く月を
見れば流石に泣かるれど
青石築く墓ならで
陸には居らむ家も無く
南に遠き八重山の
島根を洗ふ黒潮に
流れも寄るか橘の
花は常世に馨るらん
月に天ぎる明方の
峰の花こそこぼれ來ね
浮べる舟の閨の外に
綾の霞の繞れるを
海の門渡る雁金の
翼を空に羨むも
八重の汐路のいづれにか
浪を凌ぎて歸るべき
行かんか舟は輕かるに
錨の綱を捲きあげて
碎かば石に金色の
輝く島も無からずや
角いかめしき馴鹿に
橇を引かせて雪の野に
天をかざれる紅の
北の光を仰ぐべく
月落ちかゝる黒龍江の
巖の上に虎吼えて
君柔肌に粟立たば
わが手に縋れ劒あり
行方跡無き不知火の
筑紫の海に生れては
氷の山に海豹の
牙を磨くに膽消えん
砂にまみれし青貝を
拾ひて憂を遣らんとも
松浦戀しくなりぬ時
あはれならまし花の妻
翼しをれし五位鷺の
雨を怨みて帆柱に
鳴くは濱べの雌をや呼ぶ
かすめる山は笹島か
手箱に秘めし花ぐしを
忘るともなく君さゝで
あたらほつれし前髮よ
白き額はかくさゞれ
思へばつらき浮寢にも
花なる人にともなひて
行きて別るゝ
涙無く
後れてぬらす
衣無きに
空も水なる
大海に
わが漕ぐ舟を
誰か遮る
羨まし
誰をみ空の流れ星
暮るれば出て
光知るらん
暮るれば出る星ならで
篷をおほへる浮舟の
千鳥鳴く夜を妹許と
知らじな親は船にして
尾花が袖に露しげき
朱雀の野べの秋は不知
のれる星棧は輕かれど
たやすく浪にかへらんや
龍頭にかゝる九曜星
光は霧にまよひつゝ
櫓の音ぬすみて笹島の
澳に入り行く小舟ありき
あじさし翔ける白濱に
沈める珠を探るとて
若き乳房も仇浪の
なぶるになれし海士の子よ
額にかゝる前髮の
みだれそめしが戀ならば
京の紅とや唇に
さゝねど人を戀しけむ
秋雨そゝぐ

彈くべき琴も持たねども
三重卷く帶の端長く
けぶれる髮の美しう
* *
* *
めぐるに早き春の夜の
月は東に歸りけり
八重の潮路のたゞ白く
秋は光の寒きかな
手繰りし綱に枕して
ひそかに衿をぬらすとも
春かへり來る中空に
夢のおもかげ殘るらん
終に別るゝ殘懷なき
星合の空にはろ/″\と
あこがれ渡る釣人の
涙は頬に流るれど
※

あまのはしぶね音づれて
燎火白む曉の
鐘こそかすかに響きたれ
水より淡き
月の
影は仄かに
殘りたり
輪廓燃ゆる
紫の
八雲棚引く
和田の原
朝日を洗ふ
浪の穗に
輝く光
くづれては
空を貫く
金色の
百筋の箭と
閃めきて
湧きもめぐらふ
新潮の
巖うつ音の
高ければ
降りん隙なき
鶚
聲は磯曲に
かすみつゝ
天飛ぶ雲に秋立ちて
浪に聲ある湖や
關の跡舊りし東路の
騰波の湖は暮にけり
伏樋を漏れて行く水の
小川の末にほの白く
新墾小田を劃りたる
堤に松の聲もして
曉ひらく葩の
汀の浪に綾織りし
蓮の浮葉も秋風の
劒に觸れて裂かれたり
光寂しき森の蔭
露は瞼に落れども
睡りてさめぬ野の花の
夢にや月を迎ふらむ
傾きかゝる天の河
星より先きに散る花の
雪と輝く色を帶びて
秘かに咲くは夜顏か
紅褪せしさふらんの
蕋の細きを拔かんとて
蜂飛惑ふ花園に
眉をひそむる妻無きも
雁が音遠き信濃路の
霧に埋れし山百合を
瓶にせし夜はまろびねの
枕も夢も香りしを
額に垂るゝ前髮の
油かほりてすれ/\に
眉を被ふをなつかしみ

いかゞ書くらん紅筆の
艶めく文字は知らぬ身の
露に臥すてふ女郎花
見るに心の慰まで
千草の花を培へば
色にはなれし袖ながら
痛める胸にそと觸れて
渡らふ風のつらきかな
菱取小舟跡絶えて
月は曇れる浪の上に
み空を繞る七色の
花の環よ懸れかし
立つとはすれど朧夜の
月に消さるゝ面影を
せめて花環の中ならば
ゑがくを人も許すべく
〜〜〜〜〜〜〜
大野の極み草枯れて
火は燃え易くなりにけり
水せゝらがず鳥啼かず
動くは低き煙のみ
落日力弱くして
森の木の間にかゝれども
靜にうつる空の色
翠はやゝに淡くして
八雲うするゝ南に
漂ふ塵のをさまりて
雪の冠を戴ける
富士の高根はあらはれぬ
返らぬ浪に影見えて
櫻は川に匂ふらむ
霞みそめたる天地に
遍きものは光かな
涙こほりし胸の上に
閉じたる花も咲かんとして
亡びんとせしわが靈の
今こそ蘇きて新しき
人は旅より歸るとき
花なる妻を門に見む
わが見るものは風荒ぶ
土橋の爪の枯柳
人は旅路に出るとき
美し人を※

わが行く路に在るものは
やみを封めたる穴にして
筑波の山に居る雲の
葉山繁山おほへるも
春は蝶飛ぶ花園に
立つべき足の痿へたるを
やゝともすれば雲の奧に
かくれんとするいとし兒を
悲む母のふところに
退かせじとする枷にして
千代もとわれは祈れども
母は子故に死なんといふ
世に一人なる母をおきて
わが有つものは
有らじと思ふに