一般に日本の人が、イエスとノーとをはっきり使いわけないということについては、度々、いろいろの人がいろいろの角度から関心を向けて来た。一つのことについて意見を求められたとき、それを肯定してハイそうです、というか、あるいは否定してイイエそうではありません、というかしなければならない場合、日本の、特に婦人は、自分の判断をはっきり言葉にすることを非常にためらう風がある。街頭録音などをきいても、婦人にマイクが向けられると、さあ、という言葉がまずきこえて来ることが少くない。
 そして、こういう現象は、日本の封建的だった社会が、婦人の発言をどう扱って来ていたか、ということの反映であるという見解も、家では婦人自身に理解され、実感としてそこからの解放がねがわれている。
 だけれども、この三年間に日本の歴史が、びっくりするような迅さで前進している、そのテムポにふさわしい迅さで、わたしたちの言葉は、率直にわたしたちの心情を表現し、ときにはつよく主張もする手段となって来ているだろうか。
 この点をつきつめて見ることが、案外大切だとおもう。なぜなら、昨年の春の終りから夏にかけて、日本の内部で第三次大戦への戦争挑発は、実にはげしく行われた。あのころ、また戦争がはじまるんでしょうか、と顔つきをかえ低めた声でその恐怖を示した日本の婦人は決して一人二人ではなかった。手おくれにならないうちにと、東京から疎開荷物を送り出しはじめている人の話もきいた。ところがそれほど婦人に恐怖を与える戦争に対してあのころ、わたしは戦争がいやだ。わたしたちはどんなことがあっても戦争は拒絶する、と発言した婦人たちは、果して幾人あったろう。女同士がより集ったときは、ほんとにいやですわねえ。もうわたしは戦争だけは真平ですわ、といい合う婦人たちも、そのままの言葉を戦争はいやだ。戦争はしない。という社会的な戦争拒避の声とした例はまれであった。戦争はいやですわねえ、といいつつ、そのいやなものが強制されればやむを得ないと、屈伏する前提ででもあるかのように、ひそひそと私語がかわされていた。したがって、社会の心理に及ぼす効果をしらべると、戦争なんて、いやですわねえ、とあっちできこえこちらで囁かれる声が、却ってまるで戦争のさけがたさとそれがもう予定されて動かせない事実であるかのような錯覚に導いていた傾きさえあったといえる。一人一人が自分の感情では、戦争がよいことだと思ったりしているものかとわかっていながら、あいまいな、肯定とも否定ともつかないひそひそ語りが、本人の気分では否定している戦争を逆に宣伝する役割を負わされ肯定するような心外な効果に陥ってしまう。
 わたしたちが、真面目に自分たちの人生について考え、その人生がおかれている社会について考えたら、言葉をはっきり使うという一見些細なことが、どれほど重大な意味をもっているか、わからずにいられない。女性がひとことはっきり、いやです、といったとき、今日の社会でどれほどの悪と不幸が力を弱められるだろう。卑近な実例で、大蔵次官が収賄して下獄した。ああなるまでにもし彼の細君がはっきりくりかえして、わたしたちの家庭に、いかがわしい洋服はいりません。みそ醤油なんぞまでもらうのはあんまりだから、いやです。といったら、どうだったろうか。
 大蔵委員会で、数百万の人々の生命に関する新給与問題を扱いながら酒に酔いくらって婦人代議士に無礼をするような閣僚をもつ政府はいやです、と全日本の婦人が発言したとして、それのどこが不自然だろうか。議員も閣僚たちもみんなわたしたちの税で、歳費を支払われている人々である。民主日本の四年目に、わたしたちはせめてはっきりと、いやなものはいやという言葉の使いかたとそれに準じた行動のとりかたを身につけたいと思う。
〔一九四九年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「婦人民主新聞」
   1949(昭和24)年1月1日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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