旅行は好きか、と、よく人に訊かれる。私はいつも、生返事をする。好きでないこともないが、さう楽しい旅をしたといふ経験もないからである。好きでないこともないといふのは、旅の空想を私は屡々するし、空想の旅は、一種の解放であるから、心おのづからかろやかならざるを得ぬ。
 では、実際に旅をして、なぜ楽しいと思つたことが少いかと云へば、これにはいろいろ理由がある。その理由はあとでつける場合もあるが、第一に、出掛けるといふことが実に臆劫である。前の晩までは大いに勇みたつてゐても、いざ朝になつて、口をあけた鞄をみると、妙に気持がしらじらとする。
 駅で切符を買ふことを考へ、汽車の時間はまだ大丈夫かと、飯を食ひながら時計など見てゐると、もう、うんざりしてしまふ。
 さういふ時、私の心を励ましてくれるのは、電話のベルである。――さうだ、この音に脅やかされないところへ行くのだ!
 先達も、私は、友達を誘つて、二三日新緑の山へ休養に出掛ける決心をした。ちやんと予定の時刻に、上野でその友達と落ちあふ約束をしておくと、その日の朝になつて、電話がかゝり――子供が急病だ。医者に一度見せて、大丈夫だと云つたら出掛けるが……と云ふことであつた。
 私は、子供の病気と聞いてひやりとしたが、また一方、やれやれと気がゆるむのを、無理に奮発して支度を整へ、早速彼の家をのぞきに行つた。取次に出た細君は、昨夜の看護疲れをみせながら、子供はやつと楽になつたらしいが、主人は、今朝早くから散歩に出ましてと、やゝ恐縮のていである。なるほど、徹夜をした朝は外の空気を吸いたくなるもので、その経験は私にもある。
「では、さういふお子さんのそばを長くはなれる場合ではありませんから、今度は、私一人で出かけます。何れまた、同道の機会を作りませう。」
といふわけで、そのまゝ上野へ駆けつけるつもりでゐたところ、予定の汽車に間に合ふかどうかあぶない。これに遅れると、信越線の準急は午後になる。軽井沢の奥まで行くのに日が暮れてはまづいから、赤羽まで時間をはかつて電車で行つた。これなら十分間に合ふことに気がついたのである。
 池袋の乗換はいゝが、赤羽でも、赤帽はゐず、長いプラツトフオームを重い鞄をさげて歩いた。大分ひまがかゝつた。鞄をおろして新聞を買つた。神風号の消息は?
 丁度そこへ、上野から列車がはひつた。遅からず早からず、計算どほりと鼻を高くして悠々二等車へ乗り込んだ。
 新聞を三種読み終ると、私は、畏友佐藤正彰君から贈られた翻訳小説ネルヴァールの「夢と人生」を鞄から取り出して、貪るやうに頁を繰つた。なかなか面白い。流石に発狂と発狂の間に書いた物語だけあつて、常人の寝言に似て非なるものである。
 時々窓の外に眼をやると、五月の野は、爽やかに緑の風を含んで、旅情、うたゝはづむ思ひである。
 もうどのへんに来たらうかと、気をつけてみても車が走つてゐるうちはわからない。停つた時は、ネルヴァールの筆に魅せられて息もつかぬ刹那である。しかたがないから、思ひ出し思ひ出し時計をみる。やがて、高崎につく時分だ。
 ところが、やつと着いたのは、宇都宮であつた。汽車を間違へて、一つ前の日光行に乗つてしまつたのだとわかつた。
 別に慌てることはない。駅員から、宇都宮に用はないかと訊かれ、「ない」と答へるのも無愛想だと思つたが、正直に「ない」と答へた。それではといふので、大宮まで逆戻りの特典を与へられ、五時間あまり鉄道省のパスを利用したことになつた。
 そこで、予定を変更して、高崎から薬師温泉に出て、一晩泊り、翌日、馬で山を越えることにした。最初は逆に、北軽井沢から馬で薬師へ出る計画だつたのである。
 薬師温泉といふのは、昔あつた鳩の湯といふあのすぐそばで、三四年前に一度行つたことがある。宿の主人、X氏は頗る商売熱心で、私などをつかまへて温泉経営の意見を求めるものだから、私も図に乗つて、若干、秘訣を伝授したところ、それが大いに当つたと、今度行つてお世辞を云はれた。かうなると、あとは提灯持ちみたいになるからやめるが、高崎から十幾里の山奥の、ぬる川の谿谷は奇ならずと雖も閑寂、樹々は五分の芽立ちで、桜は散りそめ、山吹は盛り、つゝじも、早咲きが見頃である。
 風呂を浴びて、例になくビールを傾け、食事が終る頃、今とれたと云つて山女魚やまめを籠のまゝ見せに来た。
 翌朝、馬の用意ができてゐる。弁当の握り飯を鞍につけ、手拭を裂いてゲートルとし、馬子に鞭代りの細竹を折らせて、蹄の音高く宿を出た。「浅間隠し」と呼ばれる山の峰が目の前に聳えてゐる。峠を越えて僅か二里の道であるが、馬上、煙草をくゆらせば西別利亜もなんのそのと思ふ。
りやすまいな」
「大丈夫でせう」
「この馬は、前脚はたしかだね」
「大丈夫ですとも」
「君は弁当をもつて来たか」
「大丈夫です」
 みな大丈夫で、私はたゞ、馬子君が背負つてくれてゐる鞄が重くはないか気になる。
 杉の林の黒々と山肌をつゝんだ、その上を、さつと烟のやうなものが流れた。一陣の風がひやりと頬をなで、馬の鬣をふるはせた。山の頂がいつの間にか雲にとざゝれた。白樺の幹が大きくゆれた。空を仰ぐと、大粒の雨がばらばらと顔にあたる。
「おい、君、大丈夫か、これでも……」
「さあ……」
「僕は、着替へがないんだ。濡れると風邪を引くよ」
 谷は見る見るうちに霧の海である。森が叫ぶ。嵐だ。
 ギャロップ。宿ですぐに自動車を呼ばせ、高崎廻りで北軽井沢へ行くときめる。主人も、車の序に高崎まで送つてくれることになる。
「こゝが国定忠治の磔になつたところ……」
と聞いて、その場所に立つてゐる石地蔵を見ると、頭にかんかん初夏の日が当つてゐた。
 つくづく下手な旅だと思ふ。下手が苦労を生み、苦労は即ち神経の浪費である。止んぬる哉。

底本:「岸田國士全集23」岩波書店
   1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「専売 第二九八号」
   1937(昭和12)年6月1日発行
初出:「専売 第二九八号」
   1937(昭和12)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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