翼賛会としては、生活といふもの全体を一つの文化的見地から検討して、現在の国民生活のなかにある弱点を是正して行くと同時に、生活全体を大体三つの観点から建直して行きたいといふ方針でをります。その三つの立場といふのは、第一に生活をもつと合理的にする。第二に、もつと健康性を与へる。第三に、趣味的に向上させるといふことです。今まではどうかすると生活と勤労、或はまた生活と娯楽といふ風に分けて考へられてをります。私どもとしましては、勤労も娯楽も休養も睡眠も、衣食住と同様、悉く生活の要素といふ風に綜合的に見て、勤労そのものも、ただいまの三つの点に照し合せていろいろ考へてゐるわけです。さうしますと、勤労文化の問題、随つて能率といふこと、肉体的精神的健康、それから勤労そのものゝ趣味性といひますか、例へば勤労を楽しむといふ気持など、勤労の技術と形式とをその方向にもつて行くといふことも大事でせうし、勤労の場所といふことに就ても、醜さ不快さを取除くこと、或は人間の自然の欲求である美しさを仕事の面でも十分生かすやうに考へなければならん。勤労だけを特に切離して取上げる場合にはすぐ経済問題などとの関連が生れるわけですが、私どもとしては、先づ右のやうな観点から勤労文化といふ問題を考へてをります。
 勤労者といふ言葉が、単に工場の労務者といふやうな多少狭い意味に使はれてをるやうですが、勤労といふのはよい言葉で、われわれ働く者は皆勤労者として仕事をする。その仕事の領域に於る問題を、所謂文化的に考へて行くといふやうな意味合で、この言葉を使ひたいのです。勤労文化といふ問題を工場の労務者といふ面だけで取上げて行くと、農業方面とか、或ひは会社のサラリーマンといふやうな側がお留守になり、そちらの方面でまた別々な勤労文化を作らなければならんことになりますから、一方だけでこの言葉を独占しないやう、この問題は総体的に広く考へることにしたいと思ひます。
 そこで、勤労者はその生活を中心として絶えず何かを求めてをります。求めてゐるものは何かといへば、それには二つの意味がいつでもあると思ふのです。先づ、何かゞ今足りないといふこと、それから、その足りないものを要求してゐるといふこと、この二つです。ところが、要求してゐても、何が足りないのか実際に自覚しない場合があります。勿論、非常に卑俗に考へて、自分たちの欲望を充したいといふ気持を要求と見ると、さういふものを与へさへすれば、一応その欲望を満足させ得る。しかしさうでなくて、もつと文化的な水準を高めたいといふ風な高い要求は、往々その人たち自身自覚してゐない心の奥にかくれてゐる要求だと思ふのです。それをこちらがはつきり掴み取つてその要求に応ずるものを与へなければいけない。ちよつと突然な例ですが、満洲の少年義勇軍の代表的な少年たちが二千六百年記念式典に上京した時、その人達と会つた席上で、或るお役所の高官が非常に親しみ深い調子で、君たちは今何が一番不満かといふ質問をしたのです。さうすると、真赤な頬をした健康さうな少年がモジモジしながら答へた返事が――この服をなんとかして下さい、これぢや満人の中を歩けんです。かういふ調子でした。さうするとその役人が非常に意外な、心外だといふやうな顔つきをしたので、それから私が口出しをして、その少年の云ひたいことはもつとよい着物を着たいといふことだけぢやない。何かもつとそこに要求がある。それを酌み取つてやつて戴きたいと云つたのですが、その少年たちはヒツトラー・ユーゲントがあゝいふ恰好をして日本に来たことも知つてゐますし、東亜の指導者であるといふ矜りももちたいでせうし、少年としてそこに一つの生活への憧れもあるだらうし、さういふものが「この服を」といふ単純な表現をとつたに過ぎないと見られるのです。例へばその時に、今日本は貧乏なんだから、君たちにもつと立派な堂々たる服装をさせてやりたくとも、それができないのだと一言説明してやれば、少年たちは満足すると思ふのです。強ひてよい服を着せなくとも、それでつまり、文化的な要求を充したことになるわけです。彼等の要求が何処にあるかを感じ取る人に指導されたら、今のさういふ勤労階級の青年たちはグツと希望をもち、勤労にも喜びを感じ、さうして自分たちは国家のためにやつてるのだといふ自覚が盛り上つて来る。そこの呼吸が大事ぢやないかと気がつきました。
 勤労の面に於る文化についてはあらゆる角度から考へなければならないので、非常に複雑ですけれども、いろいろなことを詮じ詰めて行くと、先づ第一には申すまでもなく仕事がもつとうまくできればよいといふこと。それがやはり文化的な向上です。もう一つは、仕事をする人が疲れて厭気がさゝんやうにしなければなりませんが、これは仕事に喜びをもたせるといふことです。仕事の種類はいろいろあつて、随分いやな仕事もあるでせうが、しかし、その仕事の場所に於る心理状態を考へて見ますと、仕事の喜びといふものは先づ一緒に仕事をする人間との接触から湧くのだと思ふのです。オフイスの中にしろ、工場にしろ、同僚或は上役との間の人間的な接触から喜びも悲しみも湧くので、さういふ結果から考へますと、兎に角日本人同士が仏頂面をして、なんでもないことで手下を叱りつけたり、無愛想な返事をしたりするといふ、さういふことをしなくなるといふことが、先決問題と思ふのです。凡そ現在の日本人ほど無愛想で、突慳貪で、人の気持を汲まず、大勢ゐるなかでその場を白けさせることの上手な人間はないと思ふくらゐです。かういふことが文化問題と云へるかどうか知りませんが、大いに考へる必要がありはしませんか。現在の日本の、所謂生活のなかの文化性といふものゝ欠陥、それに気がつくのとつかないのとでは、大変な違ひです。その点で今は一種の啓蒙時代と私は思つてゐるのです。
 これは少し冗談になりますが、現在「文化部」なんか特に置くといふことが、すでに非文化的といへるかも知れません。また「文化部」を受持つてゐる人間だけが、文化のことを考へればいゝなぞと考へられたら、このくらゐ馬鹿な話はないのであります。
 横道へはひりましたが、次にドイツの工場の話――仕事のなかに取り入れられた音楽的な要素――かういふ話は聞くだけでも非常に爽快ですが、そのやうな一つの勤労形態といふものを単に「西洋的文化」と片附けてしまつてよいかどうか、日本にも当然生れて不自然でない文化の形ではないかどうかといふことです。もう一つは、やはりドイツの映画で見ると、勤労奉仕をやる時には指導者がいろいろな部署を見廻る。その部署のまた一人の指導者が大指導者を迎へて万事軍隊式にやつてゐるところがありますが、見廻りに来た大指導者と握手をして、「ダンケ」とやります。この表現は全く日本にないものですが、これが果して飽くまでも「西洋的」なものであつて、日本でこれをやつたらをかしいかといふ問題です。このやうなことが、これからわれわれの考へて行くやうな文化の向上といふことゝどうしても関係がありさうです。単に西洋のものは「西洋的」としてこれを忌むといふ風であると、われわれの考へるいろいろな方向が暗澹として来る次第で、こゝにも十分な反省が必要であります。
 次に、現代日本の青年にはもつと自信をもたせるやうに仕向けるべきです。あれをやつてはいかん、これをやつてはいかんといふやうな状態で、青年を束縛することはよほど考へもので、青年はもつともつと伸びさせたいものです。世の中がいつどう変るかも知れぬといふ不安が、今までは確かにあつたので、青年に本当に自信をもつてやれと云つても無理だつたかも知れませんが、問題としては、政治自体に安定性を与へるといふところまで青年に奮起して貰はねばならないのです。
 労務者と話してみると、いぢけてゐて、皮肉で、絶望的な人が多いとのことですが、さうとすれば今の知識層と共通なものがあるわけで、まあ、さういふ時代とでもいふのでせうか。しかし、その原因が何処にあるかといふことになれば、やはり真の意味の文化政策といふものがない、政治に文化性がないといふところへ逆戻りをしてしまふのです。日本人の矜りといふものを具体的に示すやうなさういふ政治――文化政策が行はれなければ、青年はなかなか希望がもてないでせう。さういふ理想は昔の政治家はもつてゐたやうに思ふのですが、要するに政治自体の昨日までの堕落と、もう一つはその結果として「立派な日本」といふイメージが青年たちから遠のいてしまつてゐるのです。
 各分野とも、青年の錬成は一番の急務であり、それが国の力といふものを大きくする上で最も効果のある問題だと思ふのですが、今日本の青年教育に欠けてゐるものは、どういふ青年が「理想の青年」かといふ、所謂青年としての典型タイプといふか、立派な青年はどういふ青年かといふイメージで、それが非常にぼんやりしてゐるやうに思はれるのです。これが、青年の身だしなみとか言葉づかひとかいふ方面にいろいろな風に影響して、さういふものが非常に乱れて来てゐます。私は、此処に十人の青年がゐたら、九人までは立派な青年だといへるやうな、共通の理想的なタイプを作り出さなければならないと思ふのです。今は青年のタイプの好みがめいめい勝手、てんでんばらばらで、甲をよい青年だとも云へないかはり、乙を悪い青年だとも云へないやうな有様で、これを律する模範的なタイプといふものが何もないのです。これは青年自身にとつても不安であらうと思ひます。自分がどういふ青年であれば立派であるかといふ形を作り出すことが大切なのです。その役割は文学者にもあらうし、そのタイプにも種々な方面があらうと思ひますが、これはやはり指導者が自然に作り出さなければならないと思ひます。さうすると、家庭に於ても母親なり父親なりが、はつきりとさういふタイプを目やすにして、安心して子供たちを育てゝ行けるわけです。
 自分は将来どんな人間になつたらよいのかといふ立派なイメージがなくなつたことは、青年を指導する上に危険なことであり不安なことであります。
 立派な青年といふイメージを作り出すといふことは、同時に、立派な日本人とは如何なるものかといふイメージを作ることであります。「立派な日本人」と云つた方が、全体が一つのところに集るわけですけれども、今はさういふ姿が消えかゝつてゐると思ふのです。
 これを、職場職場の青年について、「其処の職員として立派な青年」といふ形で考へるのは、一応よろしいのですが、これが単に其処の状態に間に合ふ一番使ひ易い人間が最も立派な人間だと思はせることになつては、青年を萎靡させる大きな原因になると思ひます。この頃世間を見ますと、上に立つ者の要求する人間は、必ずしも立派な人間である必要はなく、寧ろ、たゞよく云ふことをきくとか、間に合ふとかいふ点だけから青年を遇する傾向が目立つのであります。(昭和十六年五月)

底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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