府中ふちゅう

「……すみませんねえ。これじゃ冥利につきるようで身体がちぢみます」
「やかましい、黙って乗っておれというのに」
 駕籠に乗っているのは、ついこのあいだまで顎十郎の下まわりだった神田鍋町の御用聞、ひょろりの松五郎。
 かついでいるほうは、もとは江戸一の捕物の名人で、今はただの駕籠屋。仙波阿古十郎あらためアコ長。相棒は九州の浪人くずれで雷土々呂進いかずちとどろしんこと、とど助。
 とど助はどうでもいいが、顎十郎のほうは、ひょろ松にしてみればなんといっても以前の主人すじ。いわんや、捕物御前試合で勝名のりをうけたほどの推才活眼すいさいかつがん、師匠とも先生ともあおいできた仙波阿古十郎。
 むこうは、ふっつりと縁を切ったつもりかも知れないが、こっちは切られたとは思ってない。駈けつけて行って袖にすがれば、いつでも智慧を貸して貰われると思っている。
 本来なら、自分のほうが棒鼻につかまって引っかついで行くべきところを、こちらが師匠にかつがれて駕籠の中で膝小僧をだいて揺られているというんだから、これは、どうも気がさすのが当然あたりまえ
 もっとも、ひょろ松のほうで、おい、駕籠と大束をきめこんだわけじゃない。事実のところザックバランに言えば、嫌がるのを無理やりに乗せられた……。
 五月五日は、府中六所明神ろくしょみょうじんの名代の暗闇祭くらやみまつり大国魂おおくにたまさまの御霊遷みたまうつしのある刻限前に、どうでも府中まで駈けつけねばならぬ用事があって、甲州街道の駕籠立場まで来て、むこうっ脛の強そうなのを選んでいると、いきなり顎十郎にとっつかまってしまった。
「おお、ひょろ松じゃないか。大仰おおぎょうな旅支度で、いったい、どこへ行く」
 正月の狸合戦以来、かけちがって半年近くあわなかったところだったので、ひょろ松も懐かしく、顎十郎のそばへ駈けて行くと、半纒の襟にすがらんばかりにして、
「おお、これは先生、……阿古十郎さん、いつも御機嫌よくて……」
 顎十郎のアコ長は、有名な冬瓜顎をツン出して、
「挨拶などはどうでもいい。いったいぜんたい、どこへ行く」
「実は、府中まで急な用事がありまして、どうでも夕方までにむこうへ着かなくてはならねえという大早乗。いま威勢のいい駕籠をさがしているところなンです」
「おお、それはちょうどいい都合だった」
「えッ、ちょうどいい都合とおっしゃると……」
「俺の駕籠があいてるから、これに乗れ」
「じょ、じょ、ご冗談……」
「なにもそう反っくり返って驚くほどのことはあるまい。ここ五日ばかりあぶれつづきで弱っていたところだ。いい折だからお前を乗せてやる」
「どうしまして、そんなもったいねえことが……」
 と言いながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠を見ると、これがひどい。
 吉原土手で辻斬にあったやつがお鉄漿溝はぐろどぶの中へころげこんで、そこに三年三月みつきつかっていたというようなおんぼろ駕籠。
 垂れはケシ飛び凭竹もたれは干割れ、底がぬけかかったのを荒削りの松板を釘でぶっつけてある。この駕籠で七里半の道をゆられて行ったら、まず命がもたない。
 ひょろ松は、恐れをなし、
「うわッ、こいつアいけねえ。この駕籠じゃどうも……」
 とど助は、花和尚魯智深かおしょうろちしんのような大眼玉をいて、腕まくりをしながらアコ長のほうへ振りかえり、
「こやつは不とどきな奴ですな。むかしの主人が食の料をうるために乗ってくれとことをわけてたのんでおるのに、素見ひやかすというのは怪しからん。こういう不人情なやつは、脛でもたたき折って、否応なしに駕籠の中へドシこんでしまわッせ。拙者もお手つだいするけン」
 ひょろ松は、手をあわせて、
「乗ります、乗ります。観念して乗せていただくことにしますから、そんな凄い顔をしないでください」
 ひょろ松は、ほうほうの態で駕籠のほうへ近よりながら、
「いや、どうもひどい目にあうもんだ。……では、はなはだ申しわけありませんが、どうかよろしくお願い申します」
 と、草鞋の紐をときかけると、アコ長は駕籠の前へ立ちふさがり、
「まア、まア、待ってくれ。乗るのはいいが、今すぐ駈けだすというわけには行かん。実は、昨日からなにも食っていねえので、このままじゃア駕籠を持ちあげることさえ出来やしない。ともかく、二人に飯を食わせてからのことにしてくれ」
「こりゃア驚いた、それもわたしが払うんで」
「まあ、そうだ」
「乗りかかった駕籠だ。もう、観念しまっせ」
 二人のうしろに喰いついて、ひょろ松が渋しぶ立場へ入ると、アコ長ととど助は落着いたもので、芋豆腐いもどうふを肴にいっぱいりだした。
 ひょろ松は、あわてて、
「こりゃア、どうも弱った。そうゆっくり腰をすえられちゃア困ります。なにしろ、あっしは大急ぎなンで……」
 とど助は、気にもかけぬふうで、
「まあ、まア、そう急ぐことはない。これから府中までは七里半の道。じゅうぶんに兵糧ひょうろうを入れておかんことには早駈けすることが出来ん。兵には糧、駕籠屋には酒。ちゃんと兵法の書にも書いてある。あんたもあわてずドシコと飯でもつめこんでおきまっせ」

   銀簪ぎんかんざし

 ようやく腰をあげたのが、正午ひるすぎの八ツごろ。
 アコ長もとど助も空っ腹にむやみに飲んだもんだからへべれけのよろよろ。一歩は高く一歩は低くというぐあいに、甲州街道を代田橋から松原のほうへヒョロリヒョロリとやって行く。
 駕籠の中のひょろ松は大時化しけにあった伝馬船のよう。駕籠が揺れるたびに、つんのめったりひっくりかえったり、芋の子でも洗うような七転八倒しってんばっとう
 座蒲団なんてえものもなく、荒削りの松板にぢかに坐っている上にあっちこっちにぶっつけるもんだから頭じゅうこぶだらけ。
 ひょろ松は、情ない声で、
「もしもし、お二人さん。なんとかも少しお急ぎくださるわけにはまいりますまいか。このぶんじゃ府中へつくと夜があけてしまいます」
 アコ長は、にべもなく、
「まア、あわてるな。どうせ一本道。ブラブラやって行くうちに、いずれは府中へつく。……それはそうと、ひょろ松、いったい、どんな用むきで府中へなどすっ飛んで行くのだ。ひとつ眠けざましに聞かせたらどうだ。おもしろい話なら久しぶりに、ひと口のってやってもいい」
 ひょろ松は、えッ、とおどろいて、
「それは、ほんとうですか」
「馬鹿な念をおさなくともいい。なんとなく気がはずんできたでな、そんなことでも、してみたくなった。まア話してみろ。どんなことなんだ」
 ひょろ松は、無闇によろこんで、
「こりゃアどうも、ありがたいことになった。駕籠に乗せられた上に、助けてまでくださろうというんじゃアあまり話がうますぎる。これでブツブツ言っちゃ罰があたります」
「やはり、御用の筋なのか」
「へえ、そうなんでございます。わっしは、さっきから相談を持ちかけたくてムズムズしていたんですが、御用の話をするとあなたは嫌な顔をなさるから、それで我慢していたンです。……では、これからお話しますが、もうすこし駕籠が揺れないようになんとかなりませんものでしょうか。舌を噛みきりそうで危くてしょうがない」
「よしよし、この調子ではどうだな」
「結構でございます。すみませんねえ。……実はね、こういうわけなんでございます。府中で手びろく物産廻送ぶっさんかいそうをやっている近江屋おうみや鉄五郎というのがあります。それにお源というのとお沢というのと齢ごろになる娘が二人いて、先年、姉娘のお源に婿をとることになり、やはり同業の青梅屋おうめやの三男坊で新七というのがきまった。どちらがわの親類にも異存がなく、七日ほど前に結納ゆいのうをとりかわしたのですが、ところで、大国魂神社の神主かんぬし猿渡平間さわたりひらまの甥で、桜場清六さくらばせいろくという勤番くずれ。大酒呑みの暴れ者で、府中じゅうの鼻っつまみになっているやつなんですが、こいつが以前からお源に横恋慕をしていて、うぬぼれっ気のあるやつだからてっきり自分が近江屋の婿になれるもンだとひとり合点できめていた」
「ちょっと、おめえに似たようなところがあるな」
「まぜっ返しちゃいけません。……もっとも、桜場のほうでもそううぬぼれていいようなわけがある。というのは、ご存じでもありましょうが、府中の暗闇祭というのは、御神輿の渡御とぎょするあいだ、府中の町じゅうひとつの灯火もないようにまっ暗にしてしまう。もったいない話ですが、年々一度のこの大祭がみだらな娘や若い者の目あてなんで、おたがいに顔が知れずにすむところから真暗三宝まっくらさんぽうに乳くりあうという風儀の悪いお祭なんです。お源もその例にもれず行きあたりばったりにちょっと悪戯わるさをしたんですが、運悪くその相手が桜場清六。……こいつはいま言ったようにすれっからしの道楽者で、そんなほうには抜け目のないやつだから、手さぐりでそっとお源の銀の平打ちを引きぬいておいたんです」
「怪しからんやつだの」
「……次の日になって簪の紋を調べて見ると、府中小町なんていわれるお源のものだということがわかったから、桜場はすっかり悦に入ってしまった。かねてお源にはぞっこんまいっていて附け文の二、三度もしたことがあるンだから、てっきり文の返事を手っとり早いところでやってくれたンだと早合点して、自分じゃもうお源の婿になったつもりでおさまり返っていた。……ちょうどそのころ、桜場はよんどころない用事で江戸へ出かけなければならないことになり、一年ばかりしてから府中へ帰ってみると、青梅屋の三男坊が婿にきまって、もう結納までとりかわしたというんだからおさまらない。……俺とお源は去年の暗闇祭にきっぱりとした関係わけになっているンだから、お源の婿はこの桜場清六。強情でも騙りでもねえ、まぎれもないその証拠はこの銀簪、てなわけで青梅屋の店さきへ大あぐらをかいて啖呵たんかを切ったンです。……青梅屋のほうじゃすくみあがっちまった。結納の翌々日、しかも相手もあろうに乱暴無類の桜場清六だというんだから手も足も出ない。すったもんだのすえ府中の顔役の二引藤右衛門にびきとうえもん、これに仲へ入ってもらって三百両という金でおさまってもらうことにした。……桜場のほうは二引に頭のあがらないわけがあって、その場はそれで承知したんですが、お源のことが忘れられないとみえ、小料理屋を飲みまわってグデングデンになったすえ、いまに青梅屋を鏖殺みなごろしにして男の一分を立ててやる。暗闇祭で出来あってちょうど一年目、あんな青二才に見かえられた鬱憤ばらし、その日が生命いのちの瀬戸ぎわと思え、なんて凄いことを口走る。これを聞いたのは一人や二人じゃないんです。……酔ったまぎれのたわごとと取れないこともないが、殺気立った気狂いじみた男のことだから、ひょっとすると本当にやりかねないものでもない。……ところで、困ったことには近江屋のほうは、これが氏子総代で、毎年の例で一家じゅうがお渡御の行列にくわわる定めになっていて、どうにものっぴきならない。たぶん、杞憂きゆうではあろうけれど、万一のためにどなたかひとりお差立てねがい、一家の生命の瀬戸ぎわをお護りくださるわけにはまいりますまいか、という鉄五郎からの早文で、それで、こうして出かけて行くところなンでございます」
 アコ長は、なるほど、とうなずいてから、とど助に、
「ねえ、とど助さん、お聞きになりましたか。人を殺すのに名乗りをかけてからやるやつもないもんだが、しかし、そんな気狂いじみたあぶれ者ということなら、やけっ腹になってどんなことをしでかさないともかぎらない。これは、チト物騒ですな」
 とど助はうなずいて、
「そういうことであれば、マゴマゴしているわけには行かん。お渡御までに行きついて、あるまいまでも、なんとか防ぎをつけてやらねばなるまいて」
「じゃア、ひとつ、急ぎますかな」
「合点でござる。どうやら酒もさめたよう。天馬空というぐあいにやりますか。……ひょろ松どの、今まではノラリクラリとやっていたが、これから大早乗と行きますから舌を噛みきらないように用心していまっせ。これからは、少々手荒いかも知れませんゾ」
 急に威勢がよくなって、アコ長ととど助の二人、息杖を取りなおすとエッホ、エッホと息声をあわせながら韋駄天いだてん走り、下高井戸から調布、上田原とむさんに飛んで行く。

   暗闇祭くらやみまつり

 大急ぎに急いだが、出がけに油を売ったもんだから府中へついたのは真夜中のの刻。
 暗闇祭のはじまるうしの刻まであと一刻しかない。
 ひょろ松は、さっそく近江屋鉄五郎にあって、江戸から早乗できた挨拶をし、すぐまた二人のいるところへ引きかえして来ると、
「ねえ、顎十郎さん、るとするなら、いったい、どんなふうに殺るつもりでしょう」
「そんなことは俺に訊いたってわからねえ。聞けばお渡御のすむ一刻ほどのあいだは、全町まっ暗にしてしまうということだが、そんな暗闇の中で斬ってかかれるわけのものじゃないから、暴れだすとするならお渡御がすんでかがりがついてからか、ひとの顔が見えるようになった白々明けにちがいない。……また、鏖殺しにするなどと口走る以上、毒でもつかうつもりかも知れないから、たとえ御神酒ごしんしゅにしろ御神水ごしんすいにしろ、祭のあいだはいっさい口にしないように言い聞かせておくがいい。……そろそろお渡御がすむころになったら、おめえは桜場に眼を離さないようにしていろ、近江屋の四人のほうは俺ととど助さんとふたりで、間近いところで見張っているから」
 とど助はうなずいて、
「近江屋一家のほうは拙者ひとりで結構。下手に斬りこんでなど来たら、そばに寄せぬうちに拙者がひとひねりにしてしまいます、安心していまっせ」
 これで、だいたい、段取りがきまったので、ひょろ松は近江屋のところへ行って打ちあわせをし、これでいいということになってお渡御が始まるのを待つ。
 そもそも暗闇祭というのは神霊の降臨は、深夜、黎明が発する直前にあるという古礼によるもので、有名なものでは、遠江見附とおとおみみつけ町の矢奈比売やなひめ天神の闇祭とこの武蔵府中の六所明神の真闇祭しんやみまつり
 この社は武蔵大国魂神おおくにたまがみを祀ったもので、そのほかに、東西の六座に、秩父、杉山、氷川などの武蔵国内の諸神を奉斎ほうさいする由緒のある宮。
 例祭は五月五日で、前祭として五月二日にお鏡磨かがみとぎ祭、同三日には競馬くらべうま祭、同四日に御綱おつな祭がある。
 やがて子の刻間近くなると、道清みちきよめの儀といって、御食みけ幣帛みてぐらを奉り、禰宜ねぎ腰鼓ようこ羯鼓かっこ笏拍手さくほうしをうち、浄衣を着たかんなぎ二人が榊葉さかきはを持って神楽かぐらを奏し、太刀を※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)やなぐいを負った神人かんどが四方にむかって弓のつるを鳴らす。
 さあ、もうそろそろ始まるぞと思っているうちに、動座どうざ警蹕けいひつを合図に全町の灯火がひとつ残らずいっせいにバッタリと消される。
 日暮れまではいい天気だったが、夕方から風が出て雲がかかり、星の光も見えないように薄曇ってしまったので、鼻をつままれてもわからないようなぬば玉の闇。本殿から仮宮かりみやまでの十町の道には、一間幅にずっと白砂が敷いてあるので、道筋だけはようやくわかるくらいなもの。
 いよいよ丑の上刻となれば、露払い、御弓箭おゆみや大幡おおはた御楯みたて神馬じんめ、神主を先頭に禰宜、巫、神人。そのあとに八基の御神輿ごしんよ御饌みけ、長持。氏子総代に産子うぶこ三十人。太古のような陰闇たる闇の中を粛々と進んで行く。神々こうごうしくて身もしまるような心持。
 これが、蟻の這うような擦り足で行くんだから十町ほどの道がたっぷり一刻はかかる。お仮屋に御霊遷がおえたころには、早い夏の夜は明けかかろう。
 三人はお仮屋わきの幕屋の中にひとかたまりになっていると、闇の中を手さぐりしながらそろそろと歩いて来たものがある。圧しつけたような忍び声で、
「そのへんに江戸からおいでなすったひょろ松の旦那がおいでではございませんか。おいでになりましたら、どうかお返事を願います」
「ひょろ松はここにおりますが、そういうあなたは、いったいどなたで?」
 声をたよりにズッとさぐりよって来て、ひどく息をはずませながら、
「……あっしは、さきほど近江屋といっしょにお眼にかかった二引藤右衛門でございますが、実は、お渡御の道すじに誰か死んでいるようなんで……」
「えッ」
「それも一人や二人じゃありません。五間ぐらいずつ間をおいて、四人まで俯伏せになって倒れているんでござんす。もしや近江屋の一家が殺られたンじゃないかと思いまして、ちょっとそれを、お耳に入れに……」
 ひょろ松は、頓狂な声をあげて、
「藤右衛門さん、そ、それは確かなんでしょうね」
「あっしがさわって見たところでは、確かに死んでおります」
 顎十郎は、口をはさんで、
「まっ暗がりでご挨拶もなりません。あっしは、ひょろ松親分の下廻りの阿古の長太郎というものですが、あなたがおさわりになったというのは、いったい、いつごろのことなンでございますか」
「いつもなにもありゃアしません、ほんのつい今しがたでございます」
「ひとが倒れているというのを、どうしておわかりになりました」
「あっしはあとかため殿しんがりの役ですから身内のもの七人と列について、いちばん最後から行きますと、本殿を出て、五丁ばかりも行ったと思うころ、浄杖きよめづえの先になにかさわるものがありますンで、なんだろうと思って捜りひろげて行くと、手ごたえの柔かい、なにかひどく大きなもの。御物嚢おものぶくろでも落して行ったのかと思って、かがみこんで手でさわって見ますと、俯伏せに倒れている人間の身体。……これは、と驚いて、すっと捜って行きますと、盆の窪にのぶかく矢が立っています」
「これは、どうも意外」
「そういうふうにして順々に四人。……どれもみな、ぼんのくぼのところに、同じように矢が……」
「四人とも、ぼんのくぼに?」
「へえ、そうなんでございます」
 顎十郎は、急にひきしまったような声になって、
「その道すじに篝火とか松明たいまつとか、そんなものがありましたか」
「滅相もない。古式厳格の暗闇祭。なんでそんなものがございますものか。まっ暗もまっ暗、しんやみでございます」
 顎十郎は、なにかしばらく考えていたが、唐突に口を切って、
「ねえ、ひょろ松の旦那、それからとど助さん、不思議なことがあるもんだ、弓というものは相当な距離がなければ射てぬもの。それをですな、鼻をつままれてもわからないようなまっ暗な中で、一人ならず四人まで、ぼんのくぼを射抜くなどということが出来るものでしょうか」
 とど助が、引きとって、
「いやア、アコ長さん、人間の眼ではとてもそんなことは出来ませんな。殺された四人が近江屋一家の者だとしたら、いよいよもって奇怪。なぜかと言って、三人ならびになって隙間もなく目白押しをして行く中から、この暗闇の中で、必要な人間だけえらんで射ころすなんぞということは、まずもって絶対に不可能」
「いかにもおっしゃる通りだ。御霊遷がすむまで待つよりほかはないが、殺されたのが近江屋の四人ならば、こりゃア、ちょっと物騒です」
 ひょろ松は、せきこんで、
「そんなことばかり言ってたってしょうがない。現実に四人までそんなふうにして殺されているんだから、いずれにしてもなにかの方法で殺ったのに相違ない。近江屋の一家に隠れた悪業あくごうがあって、大国魂おおくにたまさまが罰をあたえるためにお神矢かみやを放ったというわけでもありますまい。いったいどんなふうにして殺ったものでしょう」
 アコ長は、いつものヘラヘラ調子になって、
「木曽あたりの猟人かりうどには、夜でも眼の見える猫眼梟眼ねこめふくろめというのがあるそうだ。たぶん、そんな手あいでも殺ったかも知れんな」
 今まで黙っていた藤右衛門、出しぬけに膝をうって、
「お話の最中ですが、猫眼というなら、そういうのがこの町に一人いるんでございます」
 顎十郎は息を呑んで、
「えッ、それは、いったい、どういう男なんでございます」
「近江屋の分家で黒木屋五造というごく温和おとなしい男なんですが、生れつき夜眼が見え、まっ暗がりの土蔵なんかでも、龕灯がんどういらずに物もさがせば細かい仕事もするという奇態な眼を持っているので、この町じゃ誰も本名を呼ばずに猫眼、猫眼といっております」
「ほほう、それで、その猫眼は御渡御の行列についているんですか」
「いま申したように近江屋の甥ですから御神事に外れるということはありません。今年は、六所さまの御物の金銅弭黄黒斑漆きんどうやはずきくろまだらうるし梓弓あずさゆみを持ってお伴しているはずでございます」
「猫眼が梓弓を……」
 と、ひとり言のように呟いてから、アコ長、言葉の調子を変えて、
「つかぬことをお伺いするようですが、近江屋の分家というのは、まだほかにもあるのですか」
「いいえ、分家にも親類にも黒木屋だけなんでございます」
「ははア、なるほど」

   証拠

 それから、半刻。
 ようやく御霊遷の儀がおわると、また警蹕を合図に、お仮屋、御本殿御渡御の道すじの篝火はもちろん、全町いっせいに灯火がつけられる。今までの暗闇にひきかえ、今度はまっ昼間のような明るさ。夜もあけかかってきたと見えて、梢の上がほのぼのと白くなる。
 それッ、というので、ひょろ松を先頭にしてアコ長、とど助、藤右衛門の四人が白砂を蹴って駈けだす。
 行って見ると、なるほど、藤右衛門の言った通り、本殿のほうから五六間おきに一人ずつ、近江屋鉄五郎、お源、お沢、お源の許婚者の青梅屋の新七という順序で、いずれも鷹の羽朱塗のお神矢で深くぼんのくぼを射られ、水浅黄の水干の襟を血に染めて俯伏せになって倒れている。
 顎十郎は、かがみこんで死体をひとつずつ念入りに検めていたが、そのうちにのっそりと立ちあがって、藤右衛門のほうへ振りかえり、
「……ご覧の通り、どの死体も、見事に必殺の急所を射抜かれています。夜眼、猫眼はとにかく、よほどの弓の上手でなければ、こういう水ぎわ立ったことは出来ぬはず。……それで、なんですか、藤右衛門さん、その猫眼の五造という男は弓でもやるのですか」
「へえ、いたします。弓と申しても楊弓ようきゅうですが、五月、九月の結改けっかいの会には、わざわざ江戸へ出かけて行き、昨年などは、百五十本を金貝かながいの目録を取ったということでございます」
「なるほど。……それで桜場清六のほうは?」
「このほうは、大和流の弓をよくいたし、甲府の勤番にいたころ、むやみに御禁鳥を射ころしたので、そのお咎めでお役御免になったというような話も聞いております」
 アコ長は、突っ立ったままで、またしばらく考えていたが、バラリと腕を振りほどくと、
「藤右衛門さん、この土地では、あなたが繩を預かっていらっしゃるンだから、あなたを差しおいて、われわれがどうこうするというわけには行かない。わたしには少々存じよりもありますが、これはやはりあなたにおまかせ申しましょう」
 藤右衛門は、手を振って、
「いやア、そのご斟酌しんしゃくには及びません。以前は江戸一の捕物の名人、仙波さんといえば、あっしらにとってはまるで神様のようなもの。その方がわざわざお出でくださったというのに繩張も管領もあるもんじゃありません。どうか、ご存分に」
「ご挨拶で痛み入ります。そういうことならばおぼしめしに従いますが、ご承知の通り、役儀の表で調べるというわけには行かない。いわば、ひょろ松の代理。そのへんのところもお含みおき願います」
「じゅうぶん、承知しております」
「では、あなたのお番屋を拝借することにいたしますが、早速ですが桜場清六と黒木屋五造をお引きあげくだすって、五造が背負っていた胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)と、桜場の弓矢もついでにお取りよせ願います」
「かしこまりました」
 頃あいをはからって、アコ長、とど助、ひょろ松の三人が番屋へ入って行くと、五造と桜場のふたりを中仕切のある板の間へべつべつに控えさせてある。
 桜場清六のほうは、赭ら顔の大髻おおたぶさ。眼尻が吊しあがって、いかにも険相な面構えなのに、黒木屋五造は、色白のおっとりとした丸顔で、田舎の大店の若旦那にふさわしいようす。気も動顛した体で血の気をなくし、差しうつむいてブルブルと顫えている。
 顎十郎は、胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)を持ちながら五造の前にあぐらをかき、
「おい、五造さん、胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)に入っていたお神矢の数は十二本。それが減って八本になっているのはどういうわけなんだね」
 五造は、はッ、と身をすくませて、
「どういうわけでございますか、いっこうに存じません」
「そんなのだごとを吐いていたってしょうがない。おまえさんは鉄五郎のたったひとりの甥で、近江屋の跡が絶えれば近江屋の身代はいやでもおまえさんのものになる。……桜場清六が近江屋一家を鏖殺しにしてやるなどとふれまわってるのに引っかけ、夜眼のきくのを幸いにお神矢で鉄五郎以下四人を射ころし、それを桜場に塗りつけようなんていうのはひどいじゃないか」
 五造は血相かえて膝行にじりだし、
「と、と、飛んでもない。なんでわたくしがそのような大外れたことを致しますものですか。仮に、わたしにそんな心がありましたとしても、自分が背負っている胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)の矢なぞは使いはいたしません。これが取りもなおさず、わたしの仕業でないという証拠。……察しますところ誰かわたしに人殺しの罪を塗りつけようため、暗闇にまぎれてわたくしの胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)から矢を盗みとったものと思われます」
 アコ長は、頭を掻き、
「やア、これは一言もない。そう言われれば、それに相違ない。これはちょっとわからなくなってきた」
 ひどく大真面目な顔で首をひねっていたが、急に声を低め、
「こういっちゃ失礼だが、あなたは田舎のひとに似合わず、珍らしくハキハキと物をいいなさるようす。こういう事件には、どうでもあなたのような方にあれこれと口添えをして貰わなければなりません。……ねえ、五造さん、今朝の件について、あなた、なにか心当りはありませんか。なんでも構わねえから、気のついたことがあったら、言ってみてください」
「……お訊ねがなかったら、わたくしのほうから申しあげようと思っていたんですが、実は、ちょっと妙なことがございました」
「ほほう、それは、どんなことです」
「……わたくしが御物の弓を持ち、近江屋一家の七八間あとから歩いてまいりましたが、どういうわけなのか、数ある水干すいかんのうち、近江屋の四人の襟もとだけ、ボウッと、こう、薄明るくなっているんでございます。奇妙なこともあるもんだと思っておりますうちに、とうとうこんなことになってしまって……」
「それは、いったい、なんでしょう」
「さあ、手前なぞには、いっこう、どうも」
 アコ長は、藤右衛門のほうを向いて、
「今お聞きのようなわけですから、どうか、土蔵のようなまっ暗な場所へ近江屋一家四人の死体をお移し願いましょうか」
 へえ、かしこまりましたで、藤右衛門は立って行く。
 下ッ引に桜場と五造の袂を取らせ、手燭を先に立ててアコ長以下三人が土蔵の中へ入って行くと、土蔵のまんなかに蓆を敷いて四人の死体が俯伏せにならべてある。
「じゃア、どうか土扉つちどをしめて戴きましょう」
 バタバタと土扉がしまって土蔵の中はまっ暗闇。そのとたん、不思議や、四人の水干の襟のあたりで同じような薄青い燐光がボッと光る。
「いや、よくわかりました。どうか土扉をおあけください」
 土蔵の中が明るくなると、アコ長は、
「ねえ、藤右衛門さん、今度の御神饌ごしんせん生烏賊なまいかがあがりましたろう」
「さようでございます。近江屋の廻送で、わざわざ越後から早駕籠で取りよせたということで」
「四人の襟を嗅いでみると、いかにも生ぐさい。これは暗闇の目じるしにするために四人の水干の襟に烏賊の腸汁わたじるを塗ったンです」
「へへえ、そういうわけでございましたか」
 アコ長は、五造にむかい、
「五造さん、あなたはこの四人の襟もとが光るのを、たしかにごらんになったのですね」
「さようでございます、確かに見ました」
 アコ長は、それを聞き流してひょろ松に、
「これで、もう話はわかったようなものだ。ひょろ松、構わねえからふン縛っちまえ」
 合点承知、とひょろ松が立ちあがって、ムンズリと坐っている桜場のほうへ詰めよって行くと、アコ長は、手でおさえ、
「おいおい、見当違いしちゃいけねえ。下手人はそっちじゃねえ、この猫眼のほうだ」
 ひょろ松は、驚いて、
「ご冗談。……猫眼というのは夜眼のきくもの。なにもそんな手数をかけて烏賊の腸汁なんぞ塗ったくる必要はねえじゃありませんか」
 アコ長は、それには答えず、いきなり五造の手を取って、
「たいそう巧くたくらんだが、訊きもしねえことをすこし喋りすぎたようだ。暗闇なればこそ烏賊は光るが、明るいところでは見えねえはず。おまえさんは猫の眼玉でまっ暗闇でも黄昏ほどの明るさで物が見えるという。そういう眼が烏賊汁の光るのが見えるか。……天に口あり人をもって、も古い譬えだが、よけいなことを喋ったばかりに自分でボロを出した。……五造、どうだ、恐れ入ったか」
 ひょろ松は、野郎ッと言いながら、五造に飛びかかって押えつけ、
「なるほど、こいつア企らんだ。よく見えるのをわざわざ烏賊汁なんぞ塗りつけ、桜場になすりつけるために、逆手の逆手で自分の胡※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)の矢をつかうなんてのはつら似気にげない土性ッ骨の太いやつだ」
「畜生ッ」
 と、恐ろしい悪相になってめあげる五造の顔を、アコ長はへへら笑いをしながら睨めかえし、
「妙な面をするな。こんど生れ変るときはもっと舌を短かくして貰って来い。桜場に引っかけて、たいそうなことを企らんだが、気の毒だが桜場は御渡御の前に近江屋一家のそばへも寄っちゃいないのだ。すったもんだと言うなら、おめえの手を嗅いでみようか。烏賊腸のにおいでさぞ生臭せえこったろう」

底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1-13-24]」三一書房
   1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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