あらすじ
「文藝中毒」は、世の中に蔓延する「倫理中毒」に警鐘を鳴らすとともに、新たな流行病として「文藝中毒」の存在を指摘する痛烈な批評です。著者は、時代遅れの倫理観に固執する人々を痛烈に批判し、彼らが「文藝」に責任転嫁している現状を、巧みな筆致で描き出します。その鋭い観察眼とユーモアは、読者を深く考えさせ、同時に笑いを誘うでしょう。何時ぞやも、自分等の所謂先哲の遺訓なるものの内容が、どれだけ空虚になつてるかも稽へず「べからず」十五箇條を作つて天下の女學生を救はうと企てた殊勝な老人達があつた。私はその事を新聞で見て、取敢ず笑つた。笑ふより外に仕方が無かつたのだ。笑つて了つてから、斯ういふ人達が早く死んで了つたら、嘸さつぱりするだらうと思つた。彼等は、彼等の定めた道徳生活の形式に背反するやうな出來事を凡て墮落だと思つてゐる。そしてその墮落の原因を惡文藝の跳梁に歸してゐる。果然、在來の倫理思想の根本に恐るべき斧を下してゐるのが、彼等の學校で、其授業時數の大多數を擧げて教へてゐる科學教育そのものであることを知らなんだのである。斯ういふ連中は、恰度、喫煙者がニコチン中毒に罹り、オピユムイーターが阿片中毒に罹るやうに、慢性の倫理中毒といふ奴に侵されてゐる。
斯う言つて來ると、私が彼等に對して文藝擁護論でも説き出しさうに聞えるかも知れない。事實は正反對である。私は今、倫理中毒の代りに文藝中毒といふ流行症が蔓延してゐる事實を指摘して、世の中の健康者の注意を促がす爲に此一文を草するのである。〔以下斷絶〕
了
底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
入力:蒋龍
校正:阿部哲也
2012年4月15日作成
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