二日ふつか眞夜中まよなか――せめて、たゞくるばかりをと、一時ひととき千秋せんしうおもひつ――三日みつか午前三時ごぜんさんじなかばならんとするときであつた。……
 ほとんど、五分ごふん六分ろつぷんきに搖返ゆりかへ地震ぢしんおそれ、またけ、はかなく燒出やけだされた人々ひと/″\などが、おもひおもひに、急難きふなん危厄きやくげのびた、四谷見附よつやみつけそと、新公園しんこうゑん内外うちそと幾千萬いくせんまん群集ぐんしふは、みなにが睡眠ねむりちた。……のこらずねむつたとつてもい。あはせ、ござ、むしろとなりして、外濠そとぼりへだてたそらすさまじいほのほかげに、およぶあたりの人々ひと/″\は、おいわかきも、さんみだして、ころ/\とつて、そしてなえたやうにみなたふれてた。
 ――ふまでのことではあるまい。昨日さくじつ……大正たいしやう十二ねんぐわつじつ午前ごぜん十一五十八ふんおこつた大地震おほぢしんこのかた、たれ一睡いつすゐもしたものはないのであるから。
 麹町かうぢまち番町ばんちやう火事くわじは、わたしたち鄰家りんか二三軒にさんげんが、みな跣足はだし逃出にげだして、片側かたがは平家ひらや屋根やねからかはら土煙つちけむりげてくづるゝ向側むかうがは駈拔かけぬけて、いくらか危險きけんすくなさうな、四角よつかどまがつた、一方いつぱう廣庭ひろにはかこんだ黒板塀くろいたべいで、向側むかうがは平家ひらや押潰おしつぶれても、一二尺いちにしやく距離きよりはあらう、黒塀くろべい眞俯向まうつむけにすがつた。……のまだはなれないうちに、さしわたし一町いつちやうとははなれない中六番町なかろくばんちやうから黒煙くろけむりげたのがはじまりである。――同時どうじに、警鐘けいしよう亂打らんだした。が、くまでの激震げきしんに、四谷見附よつやみつけの、たかい、あの、頂邊てつぺんきてひとがあらうとはおもはれない。わたしたちは、くもそこで、てん摺半鐘すりばんつ、とおもつて戰慄せんりつした。――「みづない、水道すゐだうまつた」とこゑが、其處そこ一團いちだんつて、あしとともにふるへるわたしたちのみゝつらぬいた。いきつぎにみづもとめたが、注意ちうい水道すゐだう如何いかんこゝろみたたれかが、早速さそく警告けいこくしたのであらう。夢中むちうたれともおぼえてない。間近まぢかかくれ、むねふせつて、かへつて、なゝめそらはるかに、一柱いつちうほのほいて眞直まつすぐつた。つゞいて、地軸ちぢくくだくるかとおもすさまじい爆音ばくおんきこえた。をんなたちの、あつとつて領伏ひれふしたのもすくなくない。そのとき横町よこちやうたて見通みとほしの眞空まぞらさら黒煙こくえん舞起まひおこつて、北東ほくとう一天いつてん一寸いつすんあまさず眞暗まつくらかはると、たちまち、どゞどゞどゞどゞどゞとふ、陰々いん/\たるりつびたおもすごい、ほとん形容けいよう出來できないおとひゞいて、ほのほすぢうねらした可恐おそろし黒雲くろくもが、さらけむりなかなみがしらのごとく、烈風れつぷう※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かけまはる!……あゝ迦具土かぐつちかみ鐵車てつしやつて大都會だいとくわい燒亡やきほろぼ車輪しやりんとゞろくかとうたがはれた。――「あれはなんおとでせうか。」――「やうなんおとでせうな。」近鄰きんりんひと分別ふんべつだけではりない。其處そこ居合ゐあはせた禿頭とくとう白髯はくぜんの、らない老紳士らうしんしわたしこゑふるへれば、老紳士らうしんしくちびるいろも、尾花をばななかに、たとへば、なめくぢのごと土氣色つちけいろかはつてた。
 ――まへのは砲兵工廠はうへいこうしやうけたときで、つゞいて、日本橋にほんばし本町ほんちやうのきつらねた藥問屋くすりどひやくすりぐらが破裂はれつしたとつたのは、五六日ごろくにちぎてのこと。……當時たうじのもの可恐おそろしさは、われ乘漾のりたゞよそこから、火焔くわえんくかとうたがはれたほどである。
 が、銀座ぎんざ日本橋にほんばしをはじめ、深川ふかがは本所ほんじよ淺草あさくさなどの、一時いちじはつしよきうしよ十幾じふいくしよからあがつたのにくらべれば、やまなんでもないもののやうである、が、それはのちことで、……地震ぢしんとともに燒出やけだした中六番町なかろくばんちやうが……いまつた、三日みつか眞夜中まよなかおよんで、やく二十六時間にじふろくじかんさかんえたのであつた。
 しかし、當時たうじかぜあらかつたが、眞南まみなみからいたので、いさゝがつてのやうではあるけれども、町内ちやうない風上かざかみだ。さしあたり、おそはるゝおそれはない。其處そこ各自めい/\が、かの親不知おやしらず子不知こしらずなみを、巖穴いはあなげるさまで、はひつてはさつつゝ、勝手許かつてもと居室ゐまなどのして、用心ようじんして、それに第一だいいちたしなんだのは、足袋たび穿はきもので、驚破すは逃出にげだすとときに、わがへの出入でいりにも、硝子がらす瀬戸せとものの缺片かけら折釘をれくぎ怪我けがをしない注意ちういであつた。そのうち、すきて、縁臺えんだいに、うすべりなどを持出もちだした。なにうあらうとも、今夜こんや戸外おもてにあかす覺悟かくごして、まだにもみづにもありつけないが、ほついきをついたところへ――
 前日ぜんじつみそか、阿波あは徳島とくしまから出京しゆつきやうした、濱野英二はまのえいじさんがけつけた。英語えいご教鞭けうべんる、神田かんだ三崎町みさきちやう第五中學だいごちうがく開校式かいかうしきのぞんだが、小使こづかひ一人ひとりはりひしがれたのとちがひに逃出にげだしたとふのである。
 あはれ、これこそ今度こんど震災しんさいのために、ひといたはじめであつた。――たゞこれにさへ、一同いちどうかほ見合みあはせた。
 うち女中ぢよちうなさけで。……あへ女中ぢよちうなさけふ。――さい臺所だいどころから葡萄酒ぶだうしゆ二罎にびん持出もちだすとふにいたつては生命いのちがけである。けちにたくはへた正宗まさむね臺所だいどころみなながれた。葡萄酒ぶだうしゆ安値やすいのだが、厚意こゝろざし高價たかい。たゞし人目ひとめがある。大道だいだう持出もちだして、一杯いつぱいでもあるまいから、土間どまはひつて、かまちうづたかくづれつんだ壁土かべつちなかに、あれをよ、きのこえたやうなびんから、逃腰にげごしで、茶碗ちやわんあふつた。ふべき場合ばあひではないけれども、まことにてん美祿びろくである。家内かない一口ひとくちした。不斷ふだん一滴いつてきたしなまない、一軒いつけんとなりの齒科しくわ白井しらゐさんも、しろ仕事着しごとぎのまゝでかたむけた。
 これを二碗にわんかたむけた鄰家りんか辻井つじゐさんはむか顱卷はちまき膚脱はだぬぎの元氣げんきつて、「さあ、こい、もう一度いちどゆすつてろ。」とむねたゝいた。
 をんなたちはうらんだ。が、結句けつくこれがためにいきほひづいて、茣蓙ござ縁臺えんだい引摺ひきずり/\、とにかく黒塀くろべいについて、折曲をりまがつて、我家々々わがや/\むかうまでつてかへこと出來できた。
 ふすま障子しやうじ縱横じうわう入亂いりみだれ、雜式家具ざふしきかぐ狼藉らうぜきとして、化性けしやうごとく、ふるふたびにをどる、たれない、二階家にかいやを、せままちの、正面しやうめんじつて、塀越へいごしのよその立樹たちきひさしに、さくらのわくらのぱら/\とちかゝるにさへ、をんなこゑて、をとこはひやりときもひやしてるのであつた。が、ものおと人聲ひとごゑさへさだかには聞取きゝとれず、たまにかけ自動車じどうしやひゞきも、さかおとまぎれつゝ、くも次第々々しだい/\黄昏たそがれた。地震ぢしんも、やみらしいので、風上かざかみとはひながら、模樣もやううかと、中六なかろく廣通ひろどほりのいちちか十字街じふじがいると、一度いちどやゝ安心あんしんをしただけに、くちけず、一驚いつきやうきつした。
 半町はんちやうばかりまへを、燃通もえとほさまは、眞赤まつか大川おほかはながるゝやうで、しかぎたかぜきたかはつて、一旦いつたん九段上くだんうへけたのが、燃返もえかへつて、しか低地ていちから、高臺たかだいへ、家々いへ/\大巖おほいはげきして、逆流ぎやくりうしてたのである。
 もはや、……少々せう/\なりとももつをと、きよと/\と引返ひきかへした。が、わづかにたのみなのは、火先ひさきわづかばかり、なゝめにふれて、しもなかかみ番町ばんちやうを、みなみはづれに、ひがしへ……五番町ごばんちやうはう燃進もえすゝことであつた。
 くもをかくしたさくら樹立こだちも、黒塀くろべいくらつた。舊暦きうれきぐわつ二十一にちばかりの宵闇よひやみに、覺束おぼつかない提灯ちやうちんひとふたつ、をんなたちは落人おちうど夜鷹蕎麥よたかそばかゞんだかたちで、溝端どぶばたで、のどにつかへる茶漬ちやづけながした。たれひとり晝食ひるましてなかつたのである。
 るな、るな、で、わたしたちは、すぐわき四角よつかどたゝずんで、突通つきとほしにてんひたほのほなみに、人心地ひとごこちもなくつてた。
 時々とき/″\うでのやうな眞黒まつくろけむりが、おほいなるこぶしをかためて、ちひしぐごとくむく/\つ。其處そこだけ、えかゝり、下火したびるのだらうと、おもつたのは空頼そらだのみで「あゝ、わるいな、あれが不可いけねえ。……なかへふすぶつたけむりつのはあたらしくえついたんで……」ととほりかゝりの消防夫しごとしつてとほつた――

(――小稿せうかう……まだ持出もちだしのかず、かまちをすぐの小間こまで……こゝをさうするとき……
うしました。」
 と、はぎれのいゝこゑけて、水上みなかみさんが、格子かうしつた。わたしは、家内かない駈出かけだして、ともにかほにぎつた。――くはしことあづかるが、水上みなかみさんは、先月せんげつ三十一にちに、鎌倉かまくら稻瀬川いなせがは別莊べつさうあそんだのである。別莊べつさうつぶれた。家族かぞく一人いちにん下敷したじきんなすつた。が、無事ぶじだつたのである。――途中とちうあつたとつて、吉井勇よしゐいさむさんが一所いつしよえた。これは、四谷よつや無事ぶじだつた。が、いへうら竹藪たけやぶ蚊帳かやつてなんけたのださうである――)

 ――まへのをつゞける。……
 其處そこへ――
如何いかゞ。」
 とこゑけた一人ひとりがあつた。……可懷なつかしこゑだ、とると、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんである。
「やあ、御無事ごぶじで。」
 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんは、手拭てぬぐひ喧嘩被けんくわかぶり、白地しろぢ浴衣ゆかた尻端折しりぱしよりで、いま逃出にげだしたとかたちだが、いて……はなかつた。引添ひきそつて、手拭てぬぐひ吉原よしはらかぶりで、えん蹴出けだしの褄端折つまぱしよりをした、前髮まへがみのかゝり、びんのおくれ明眸皓齒めいぼうかうし婦人ふじんがある。しつかりした、さかり女中ぢよちうらしいのが、もう一人ひとりあとについてゐる。
 執筆しつぴつ都合上つがふじやう赤坂あかさか某旅館ぼうりよくわん滯在たいざいした、いへ一堪ひとたまりもなくつぶれた。――不思議ふしぎまど空所くうしよはしかゝつたふすまつたつて、あがりざまに屋根やねて、それから山王樣さんわうさまやま逃上にげあがつたが、其處そこはれてのがるゝ途中とちう、おなじなんつて燒出やけだされたため、道傍みちばたちてた、美人びじんひろつてたのださうである。
 正面しやうめん二階にかい障子しやうじくれなゐである。
 黒塀くろべいの、溝端どぶばた茣蓙ござへ、つかれたやうに、ほつと、くのひざをついて、婦連をんなれんがいたはつてんでした、ぬるまで、かるむねをさすつた。そのをんな風情ふぜいなまめかしい。
 やがて、合方あひかたもなしに、落人おちうどは、すぐ横町よこちやう有島家ありしまけはひつた。たゞでとほ關所せきしよではないけれど、下六同町内しもろくどうちやうないだから大目おほめく。
 次手ついでだからはなさう。これつゐをなすのは淺草あさくさまんちやんである。おきやうさんが、圓髷まるまげあねさんかぶりで、三歳みツつのあかちやんをじふ背中せなか引背負ひつしよひ、たびはだし。まんちやんのはう振分ふりわけかたに、わらぢ穿ばきで、あめのやうななか上野うへのをさしてちてくと、揉返もみかへ群集ぐんしふが、
似合にあひます。」
 といた。ひやかしたのではない、まつたく同情どうじやうへうしたので、
「いたはしいナ、畜生ちくしやう。」
 とつたとふ――眞個ほんたうらん、いや、うそでない。これわたしうちて(久保勘くぼかん)とめた印半纏しるしばんてんで、脚絆きやはんかたあしをげながら、冷酒ひやざけのいきづきで御當人ごたうにん直話ぢきわなのである。

うなすつて。」
 少時しばらくすると、うしろへ悠然いうぜんとしてつた女性によしやうがあつた。
「あゝ……いまも風説うはさをして、あんじてました。お住居すまひ澁谷しぶやだが、あなたは下町したまちへお出掛でかけがちだから。」
 とわたしいきをついてつた、八千代やちよさんがたのである、四谷坂町よつやさかまち小山内をさないさん(阪地滯在中はんちたいざいちう)の留守見舞るすみまひに、澁谷しぶやからなすつたとふ。……御主人ごしゆじんをんな弟子でしが、提灯ちやうちんつて連立つれだつた。八千代やちよさんは、一寸ちよつと薄化粧うすげしやうなにかで、びんみださず、つゑ片手かたてに、しやんと、きちんとしたものであつた。
御主人ごしゆじんは?」
「……冷藏庫れいざうこに、紅茶こうちやがあるだらう……なんかつて、あきれつちまひますわ。」
 これえらい!……畫伯ぐわはく自若じじやくたるにも我折がをつた。が、御當人ごたうにんの、すまして、これからまた澁谷しぶやまでくゞつてかへるとふにはしたいた。

雨戸あまどをおしめにらんと不可いけません。ちつえてました。あれ、屋根やねうへびます。……あれがお二階にかいはひりますと、まつたくあぶなうございますで、ございますよ。」
 と餘所よそで……經驗けいけんのある、近所きんじよ産婆さんばさんが注意ちういをされた。
 じつは、ほのほいて、ほのほそむいて、たとひいへくとも、せめてすゞしきつきでよ、といのれるかひに、てん水晶宮すゐしやうぐうむねさくらなかあらはれて、しゆつたやうな二階にかい障子しやうじが、いまかげにやゝうすれて、すごくもやさしい、あつて、うつくしい、薄桃色うすもゝいろると同時どうじに、中天ちうてんそびえた番町小學校ばんちやうせうがくかう鐵柱てつちうの、火柱ひばしらごとえたのさへ、ふとむらさきにかはつたので、すにみづのない劫火ごふくわは、つきしづくさますのであらう。火勢くわせいおとろへたやうにおもつて、かすかなぐさめられてところであつたのに――
 わたし途方とはうにくれた。――成程なるほどちら/\と、……
「ながれぼしだ。」
「いや、だ。」
 そらぶ――火事くわじはげしさにまぎれた。が、地震ぢしん可恐おそろしいためまちにうろついてるのである。二階にかいあがるのは、いのちがけでなければらない。わたし意氣地いくぢなしの臆病おくびやう第一人だいいちにんである。うかとつて、えてもかまひませんとはれた義理ぎりではない。
 濱野はまのさんは、元園町もとぞのちやう下宿げしゆく樣子やうすつてた。――どくにも、宿やどでは澤山たくさん書籍しよせき衣類いるゐとをいた。
 家内かない二人ふたりで、――飛込とびこまうとするのをて、
わたしがしめてあげます。おちなさい。」
 白井しらゐさんが懷中電燈くわいちうでんとうをキラリとけて、さうつてくだすつた。わたし口吃くちきつしつゝかうべげた。
わし一番ひとつ。」
 で、來合きあはせた馴染なじみ床屋とこや親方おやかた一所いつしよはひつた。
 白井しらゐさんの姿すがたは、よりもつきらされて、正面しやうめんえんつて、雨戸あまど一枚いちまいづゝがら/\としまつてく。
 いきほひつて、わたし夢中むちう駈上かけあがつて、懷中電燈くわいちうでんとうあかりりて、戸袋とぶくろたなから、觀世音くわんぜおん塑像そざう一體いつたい懷中くわいちうし、つくゑしたを、壁土かべつちなかさぐつて、なきちゝつてくれた、わたし眞鍮しんちう迷子札まひごふだちひさなすゞりふたにはめんで、大切たいせつにしたのを、さいはひにひろつて、これをたもとにした。
 わたしたちは、それから、御所前ごしよまへ廣場ひろばこゝろざして立退たちのくのにはなかつた。は、二筋ふたすぢけた、ゆる大蛇おろち兩岐ふたまたごとく、一筋ひとすぢさきのまゝ五番町ごばんちやうむかひ、一筋ひとすぢは、べつ麹町かうぢまち大通おほどほりつゝんで、おそちかづいたからである。
「はぐれては不可いけない。」
ててもるやうに。」
 口々くち/″\かはして、寂然しんとしたみちながら、往來ゆききあわたゞしいまちを、白井しらゐさんの家族かぞくともろともに立退たちのいた。
いづみさんですか。」
「はい。」
もつをつてげませう。」
 おなじむきに連立つれだつた學生がくせいかたが、大方おほかたまはりで見知越みしりごしであつたらう。ふよりはや引擔ひつかついでくだすつた。
 わたしは、好意かうい感謝かんしやしながら、ちおもりのしたよくぢて、やせたつゑをついて、うつむいて歩行あるした。
 横町よこちやうみち兩側りやうがはは、ひとと、兩側りやうがは二列ふたならびひとのたゝずまひである。わたしたちより、もつとちかいのがさきんじて町内ちやうない避難ひなんしたので、……みな茫然ばうぜんとしてる。あかひたひあをほゝ――からうじてけむりはらつたいとのやうな殘月ざんげつと、ほのほくもと、ほこりのもやと、……あひだ地上ちじやうつゞつて、めるひともないやうな家々いへ/\まがきに、朝顏あさがほつぼみつゆかわいてしをれつゝ、おしろいのはなは、え、しろきはきりいていてた。
 公園こうゑん廣場ひろばは、すで幾萬いくまんひと滿ちてた。わたしたちは、外側そとがはほりむかつた道傍みちばたに、やう/\のまゝのむしろた。
「お邪魔じやまをいたします。」
「いゝえ、お互樣たがひさま。」
御無事ごぶじで。」
「あなたも御無事ごぶじで。」
 つい、となり十四五人じふしごにんの、ほとん十二三人じふにさんにん婦人ふじん一家いつかは、淺草あさくさからはれ、はれて、こゝにいきいたさうである。
 ると……見渡みわたすと……東南とうなんに、しば品川しながはあたりとおもふあたりから、きた千住せんぢう淺草あさくさおもふあたりまで、大都だいと三面さんめんつゝんで、一面いちめんてんである。なかひつゝ、うづかさねて、燃上もえあがつてるのは、われらの借家しやくやせつゝあるほのほであつた。
 尾籠びろうながら、わたしはハタと小用こようこまつた。辻便所つじべんじよなんにもない。家内かない才覺さいかくして、避難場ひなんばちかい、四谷よつや髮結かみゆひさんのもとをたよつて、ひとけ、けつゝ辿たどつてく。……ずゐぶん露地ろぢ入組いりくんだ裏屋うらやだから、おそる/\、それでも、くづがはらうへんできつくと、いたけれども、なか人氣ひとけさらにない。おなじくなんけてるのであつた。
「さあ、此方こつちへ。」
 馴染なじみがひに、家内かないちやみちびいた。
「どうも恐縮きようしゆくです。」
 と、うつかりつて、挨拶あいさつして、わたしたちはかほ苦笑くせうした。
 きよめようとすると、白濁しろにごりでぬら/\する。
大丈夫だいぢやうぶよ――かみゆひさんは、きれいずきで、それは消毒せうどくはひつてるんですから。」
 わたしは、とるばうもなしに、一禮いちれいして感佩かんぱいした。
 しらんで、もう大釜おほがま接待せつたいをしてところがある。
 この歸途かへりに、公園こうゑんしたで、小枝こえだくびをうなだれた、洋傘パラソルたゝんだばかり、バスケツトひとたない、薄色うすいろふくけた、中年ちうねん華奢きやしや西洋婦人せいやうふじんた。――かみづつみの鹽煎餅しほせんべいと、夏蜜柑なつみかんつて、立寄たちよつて、ことばつうぜずなぐさめたひとがある。わたしは、ひとのあはれと、ひとなさけなみだぐんだ――いまかるゝ。
 二日ふつか――正午しやうごのころ、麹町かうぢまち一度いちどえた。立派りつぱ消口けしぐちつたのを見屆みとゞけたひとがあつて、もう大丈夫だいぢやうぶはしに、待構まちかまへたのがみな歸支度かへりじたくをする。家内かない風呂敷包ふろしきづつみげてもどつた。女中ぢよちう一荷ひとに背負しよつてくれようとするところを、其處そこ急所きふしよだと消口けしぐちつたところから、ふたゝ猛然まうぜんとしてすゝのやうなけむり黒焦くろこげに舞上まひあがつた。うづおほきい。はゞひろい。あたまつてつたほのほ大蛇おろちは、黒蛇くろへびへんじてあまつさ胴中どうなかうねらして家々いへ/\きはじめたのである。それからさらつゞけ、ひろがりつゝちかづく。
 一度いちどうちはひつて、神棚かみだなと、せめて、一間ひとまだけもと、玄關げんくわん三疊さんでふつちはらつた家内かないが、また野天のでん逃戻にげもどつた。わたしたちばかりでない。――みなもうなか自棄やけつた。
 ものすごいとつては、濱野はまのさんが、家内かない一所いつしよなに罐詰くわんづめのものでもあるまいかと、四谷通よつやどほりはひつて出向でむいたときだつた。……裏町うらまち横通よこどほりも、物音ものおとひとつもきこえないで、しづまりかへつたなかに、彼方此方あちらこちらまどから、どしん/\と戸外おもて荷物にもつげてる。此處こゝはうかへつておしつゝまれたやうにはげしくえた。ひとつない眞暗まつくらなかに、まち歩行あるくものとつては、まだ八時はちじふのに、ほとん二人ふたりのほかはなかつたとふ。
 罐詰くわんづめどころか、蝋燭らふそくも、燐寸マツチもない。
 とほりかゝつた見知越みしりごしの、みうらと書店しよてん厚意こういで、茣蓙ござ二枚にまいと、番傘ばんがさりて、すなきまはすなか這々はふ/\ていかへつてた。
 で、なににつけても、ほとんどふてでもするやうに、つかれてたふれてたのであつた。

 却説さて――その白井しらゐさんの四歳よツつをとこの、「おうちへかへらうよ、かへらうよ。」とつて、うらわかかあさんとともに、わたしたちのむねいたませたのも、そのかあさんのすゑいもうとの十一二にるのが、一生懸命いつしやうけんめい學校用がくかうよう革鞄かばんひとひざいて、少女せうぢよのおとぎ繪本ゑほんけて、「なんです。こんなところで。」と、しかられて、おとなしくたゝんで、ほろりとさせたのも、よひで。……いまはもうんだやうにみなねむつた。――
 深夜しんや
 二時にじぎてもとりこゑきこえない。かないのではあるまい。ちかづくの、ぱち/\/\、ぐわう/\どツとおとまぎるゝのであらう。たゞ此時このとき大路おほぢときひゞいたのは、肅然しゆくぜんたる騎馬きばのひづめのおとである。のあかりにうつるのは騎士きし直劍ちよくけんかげである。二人ふたり三人みたりづゝ、いづくへくともらず、いづくからるともかず、とぼ/\したをんなをとこと、をんななとこと、かげのやうに辿たゞよ※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよふ。
 わたしはじつとして、またたゞひとへに月影つきかげつた。
 白井しらゐさんの家族かぞく四人よにん、――主人しゆじんはまだけないいへまもつてこゝにはみえない――わたしたちと、……濱野はまのさんは八千代やちよさんが折紙をりがみをつけた、いゝをとこださうだが、仕方しかたがない。公園こうゑんかこひ草畝くさあぜまくらにして、うちの女中ぢよちうひと毛布けつとにくるまつた。これにとなつて、あの床屋子とこやしが、子供弟子こどもでしづれで、仰向あふむけにたふれてる。わづか一坪ひとつぼたらずのところへ、左右さいうんで、人數にんずである。もの干棹ほしざをにさしかけの茣蓙ござの、しのぎをもれて、そとにあふれたひとたちには、かさをさしかけて夜露よつゆふせいだ。
 が、夜風よかぜも、白露しらつゆも、みなゆめである。かぜくろく、つゆあかからう。
 、こゝに、ひく草畝くさあぜ内側うちがはに、つゆとともに次第しだいく、提灯ちやうちんなかに、ほのしろかすかえて、一張ひとはり天幕テントがあつた。――晝間ひるまあかはたつてた。はたおともなくきたはうなゝめなびく。何處どこ大商店だいしやうてん避難ひなんした……店員てんゐんたちが交代かうたい貨物くわもつばんをするらしくて、がたには七三しちさんかみで、眞白まつしろで、このなか友染いうぜん模樣もやう派手はで單衣ひとへた、女優ぢよいうまがひの女店員をんなてんゐん二三人にさんにん姿すがたえた。――天幕テントなかで、深更しんかうに、たちまふえくやうな、とりうたふやうなこゑつた。
「……とまつてけよ、とまつてけよ。」
可厭いやよ、可厭いやよ、可厭いやあよう。」
 こゑころして、
「あれ、おほゝゝゝ。」
 やがて接吻キツスおとがした。天幕テントにほんのりとあかみがした。が、やがてくらつて、もやにしづむやうにえた。所業なすわざではない、人間にんげん擧動ふるまひである。
 わたしこれを、なんずるのでも、あざけるのでもない。いはんけつしてうらやむのではない。むし勇氣ゆうきたゝふるのであつた。
 天幕テントえると、二十二にちつきかすかけむりはなれた。が、むか土手どてまつらさず、茣蓙ござひさしにもれず、けむりひらいたかとおもふと、またとざされる。したへ、したへ、けむりして、押分おしわけて、まつこずゑにかゝるとすると、たちままたけむりが、そらへ、そらへとのぼる。斜面しやめん玉女ぎよくぢよむせぶやうで、なやましく、いきぐるしさうであつた。
 衣紋えもんほそく、圓髷まげを、おくれのまゝ、ブリキのくわんまくらして、緊乎しつかと、白井しらゐさんのわかかあさんがむねいた幼兒をさなごが、おびえたやうに、海軍服かいぐんふくでひよつくりときると、ものをじつて、みつめて、むくりとなかきたが、ちひさいむすめさんのむねうへつて、るとすべつて、ころりとたはらにころがつて、すや/\とのまゝた。
 わたしひざをついて總毛立そうけだつた。
 唯今たゞいまおびれたをさないのの、じつたものにると、おほかみとも、とらとも、おにとも、ともわからない、すさまじいつらが、ずらりとならんだ。……いづれも差置さしおいた恰好かつかう異類いるゐ異形いぎやうさうあらはしたのである。
 もつと間近まぢかかつたのを、よくた。が、しろ風呂敷ふろしきけめは、四角しかくにクハツとあいて、しかもゆがめたるくちである。結目むすびめみゝである。墨繪すみゑ模樣もやう八角はつかくまなこである。たゝみしわひとつづゝ、いやな黄味きみびて、えかゝる提灯ちやうちんかげで、ひく/\とみなれる、※々ひゝ[#「けものへん+非」、U+7305、238-15]化猫ばけねこである。
 わたしぬえふはこれかとおもつた。
 となりとなりうへしたならんで、かさなつて、あるひあをく、あるひあかく、あるひくろく、おようすほどの、へんな、可厭いやけものいくつともなくならんだ。
 みな可恐おそろしゆめよう。いや、ゆめしるしであらう。
 手近てぢかなのの、裂目さけめくちを、わたしあまりのことに、でふさいだ。ふさいでも、く。いてれると、したしたやうにえて、風呂敷包ふろしきづつみ甘澁あましぶくニヤリとわらつた。
 つゞいて、どのけものつらみなわらつた。
 爾時そのときであつた。あの四谷見附よつやみつけやぐらは、まどをはめたやうな兩眼りやうがん※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいて、てんちうする、素裸すはだかかたちへんじた。
 土手どてまつの、一樹いちじゆ一幹いつかん※(「口+阿」、第4水準2-4-5)※(「口+云」、第3水準1-14-87)あうんひぢつて突立つツたつた、あかき、くろき、あをおにえた。
 が、あらず、それも、のちおもへば、ふせがんがために粉骨ふんこつしたまふ、焦身せうしん仁王にわうざうであつた。
 や、けむりつゝまれたやうに息苦いきぐるしい。
 わたし婦人ふじん婦人ふじんとのあひだひろつて、そつ大道だいだう夜氣やきあたまひやさうとした。――わかかあさんにさはるまいと、ひよいとこしかしてた、はずみに、婦人ふじんうへにかざした蛇目傘じやのめがさしたはひつて、あたまつかへた。ガサリとおとすと、ひゞきに、一時ひとときの、うつゝのねむりさますであらう。かささゝへて、ほしざをにかけたまゝ、ふら/\とちうおよいだ。……このなかでも可笑をかしことがある。
 ――前刻さつきくさあぜにてたかさが、パサリと、ひとりでたふれると、した女中ぢよちうが、
地震ぢしん。」
 とつて、むくと起返おきかへ背中せなかに、ひつたりとかさをかぶつて、くび兩手りやうてをばた/\とうごかした……
 いや、ひとごとではない。
 わたしつゆつて、みちつた。
 まつとの[#「まつとの」は底本では「まつとの」]あひだを、が、なんとりか、とりとともにつた。
 が、ほのほいきほひころからおとろへた。下六番町しもろくばんちやうかずにえ、ひとちからまちほろぼさずにした。
すこし、しめつたよ。きて御覽ごらんきて御覽ごらん。」
 婦人ふじんたちの、一度いちどをさましたとき、あの不思議ふしぎめんは、※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じやうらふのやうに、おきなのやうに、稚兒ちごのやうに、なごやかに、やさしくつて莞爾につこりした。

 朝日あさひは、御所ごしよもんかゞやき、つき戎劍じうけん閃影せんえいらした。
 ――江戸えどのなごりも、東京とうきやうも、その大抵たいてい焦土せうどんぬ。茫々ばう/\たる燒野原やけのはらに、ながききすだくむしは、いかに、むしくであらうか。わたしはそれを、ひとくのさへはゞからるゝ。
 しかはあれど、よ。たしかく。淺草寺あさくさでら觀世音くわんぜおん八方はつぱうなかに、幾十萬いくじふまん生命いのちたすけて、あき樹立こだちもみどりにして、仁王門にわうもん五重ごぢうたふとともに、やなぎもしだれて、つゆのしたゝるばかりおごそか氣高けだか燒殘やけのこつた。たふうへにははとあそぶさうである。く。花屋敷はなやしきをのがれたざうたふしたきた。ざう寶塔はうたふにしてしろい。
 普賢ふげん影向やうがうましますか。
若有持是觀世音菩薩名者じやくうじぜくわんぜおんぼさつみやうしや
設入大火せつにふたいくわ火不能燒くわふのうせう
由是菩薩ゆぜぼさつ威神力故ゐじんりきこ
大正十二年十月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「露宿(ろしゆく)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月14日作成
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