今日に伝わっている我が国の最古の史籍たる『古事記』と『日本書紀』との巻頭にはいわゆる神代の巻という部分がある。『古事記』は和銅五年(712 A.D.)『日本書紀』は養老四年(720 A.D.)に出来たもので、いずれも八世紀に入ってからの編纂であるが、神代の巻などは、もっと古くから伝えられていた材料によったものである。ここにその詳しいことを説いているいとまはないが、その材料は遅くとも六世紀には一と通り出来上がっていたらしい。さてその神代の巻は我が国の開闢かいびゃく以来の話だといわれ、そうしてそれが我が国の最古の史籍であるというためか、とかく世間ではそれに、我々の民族もしくは人種の由来などが説いてあるように思い、従って神代の巻の記事を強いてそういう意味に解釈しようとする癖があるらしい。例えば高天原ということがあると、それは日本民族もしくはその要素をなしているものの故郷たる海外の何処どこかであると考え、天孫降臨ということがあると、それはその民族がいわゆる高天原の故郷から日本のどこかへ移住して来たことだと説き、そういうかんがえから天孫人種とか天孫民族とかいう名称さえ作られている。あるいは出雲の大国主神がその国を天孫に献上せられたという話があるところから、天孫民族に対して出雲民族というものがあったようにいう。そうして、そういうような考え方をもっと他にも及ぼし、土蜘蛛つちぐもという名が上代の物語に出ていると、それは穴居をしていた異民族の名であるように説く人もある。何でも我が国の昔には種々雑多の異人種・異民族がいたように考えられている。
 それからまた民族や人種の問題とは少しく趣がちがうが、神代の物語を一々事実に引きなおして解釈することが行われている。海神わたつみの宮の話があると、それはどこかの地方的勢力、または海中の島国のことであると考える。八股蛇やまたのおろちの物語があるとそれは賊軍を征服せられたことだという。あるいは黄泉国よみのくにという名が出ると、それは出雲国のことだと説く。あるいはまた八咫烏やたがらすが皇軍の道しるべをしたとあると、その八咫烏は人の名であると解釈する。伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみ二神が大八島を生まれたという話は政治的に日本国を統治せられたことだという。要するに神々の物語は悉く歴史的事実たる人間の行為であって、畢竟ひっきょう神は人であるというのである。
 しかし神代巻の本文を読むと、そんなことは少しも書いてない。天照大神は高天原にいられるとある。神々が高天原へ上ったり高天原から下ったりせられるとある。けれども日本人種・日本民族が海外の故郷から日本に移住したとか、その故郷へ往来したとかいうようなことは何処にも書いてない。出雲の神の話はあるが、出雲の地方に別種の民族がいたとは何処にも記してない。あるいはまた海の底の海神の宮の話はあるが、それが海上の島国であるとは何処にも書いてない。本文をよめば八股蛇はどこまでも蛇であり、八咫烏はどこまでも烏であって、少しも人間らしい様子はない。しかるに世間で上に述べたような解釈をしているのは甚だ不思議の至である。これは何故であろうか。
 他でもない。神代の巻の種々の物語に我々の日常経験とは適合しない不合理な話が多いからである。この不合理な物語を強いて合理的に解釈しようとするから、上記のような説が出るのである。天上に世界があったり、そこと往来したりするのは、事実としてあるべからざることである。海の底に人の住むところのあるのもまたあるべからざる話である。けれども神代の巻にそういう話のある以上は、それに何かの事実が含まれていなければならぬ。と、こう考えたために、表面の話は不合理であるが、裏面に合理的な事実があるものと臆断し、神代の巻が我が国のはじめを説いているというところから、それを日本民族の由来を記したものと考え、あるいは国家の創業に関する政事的経略の事実を述べたものと説くようになったのである。そうしてこの思想の根柢には一種の浅薄な Rationalism が伏在する。すべて価値あるものは合理的のもの、事実を認められるものでなくてはならぬ。然らざるものは荒唐不稽の談である。世にお伽噺おとぎばなしというものがある。猿や兎がものをいったり桃から子供が生まれたりする。事実としてあるべからざる虚偽の談である。それは愚人小児の喜ぶところであっても、大人君子の見てろうとするところのものである。然るに崇厳なる神典にはかかる荒唐不稽の談のあることを許さぬ。だから、それには不合理の語を以ておおわれている合理的の事柄がなくてはならぬ。こういう論理が存在するのである。
 然らば合理的の事実が如何いかにして不合理の物語として現われているかというと、一つの解釈は、それは譬喩ひゆだというのである。昔の新井白石の取ったところがそれであって、彼はその譬喩の言から真実の意味を見出そうとして神は人なりという仮定説を捻出しきたったのである。それから今一つの解釈は、事実の物語が伝誦の間におのずからかかる色彩を帯びて来た、一口にいうと伝説化せられたのだというのであって、今日ではこういう考をっている人が多いようである。しかし何故に事実をありのままに語らないでいたずらに譬喩の言を以て不合理な物語としたのであるか。神が人であるならば何故に神という観念、神代という思想があるのか。これは白石一流の思想では解釈し難き問題である。また神代の巻の物語を、事実の伝説化せられたものとして、すべてが解釈せられるかどうか、例えば葦芽の如く萌えあがるものによって神が生まれたとあり、最初に天の御中主の神の如きがあるというようなことは、如何なる事実の伝説化せられたものであるか、というと、それは何とも説かれていない。しかしそれだけは事実の基礎がないというのならば、何故に他の物語に限って事実があるというのか。甚だ不徹底な考え方である。そうして譬喩であるというにしても、伝説化であるというにしても、その譬喩、その伝説が不合理な形において現われているとすれば、少くとも人間の思想においてそういう不合理なことが現われること、あるいはそういう心理が人間に存することを許さねばならぬが、それならば、何故に最初から不合理な話を不合理な話として許すことが出来ないのか。こう考えて来ると、この種の浅薄なる Rationalism が自家矛盾によって自滅しなければならぬことがわかろう。

 こういう考え方に反して昔の本居宣長は神代の巻の話をそのまま文字通りに事実だと信じた。人間の浅智から見れば不合理であるが、神は人智を以て測るべからざるもの、神の代は人の代ではないから、天上に世界があっても、海底に宮殿があっても、神が島を生まれても、草や木がものをいっても、それは事実であったというのである。けれども、こういう考が今人の賛同し難きところであることはいうまでもない。そうして宣長は神代の巻の物語をそのままに事実と見、白石などはその裏面に事実があると見たちがいはあるが、何れも事実をそこに認めようとしたことは同じである。が、何故に不合理な、事実らしくない話を強いて合理的に解釈してそれを事実と見、あるいはそこに何らかの事実をもとめなければならぬか。一体、人間は不合理なこと事実でないことを語らぬものであろうか。広い世界を見渡して、多くの民族、多くの国民に民間説話があり神話があることを知るものは何人も然りとはいうまい。然らば我々は如何様にそれを取扱うべきであろうか。
 別にむずかしいことでもない。第一に、人の思想は文化の発達の程度によって決して一様でない。上代人の思想と今人の思想との間には大なる逕庭けいていがあって、それはあたかも今日の小児の心理と大人との間に差異があると同じことである。民間説話などはそういう上代の思想によって作られたものであるから、今日の思想から見れば不合理なことが多いが、しかし上代人の心理においてはそれが合理的と考えられていた。鳥や獣や草や木がものをいうというのは、今日の人に取っては極めて不合理であるが、上代人の心理には合理であったのである。けれどもそれは上代人の心理上の事実であって、実際上の事実ではない。上代でも草や木が物をいう事実はあり得ない。ただ上代人がそう思っていたということが事実である。だから我々はそういう話をきいて、そこに実際上の事実を求めずして、心理上の事実を看取すべきである。そうして如何なる心理においてそういう観念が生じたかを研究すべきである。然るにそれを考えずして草木のものをいうとあるのは民衆の騒擾そうじょうすることだというように解釈するのは、上代人の心理を知らないため、強いて今人の思想でそれを合理的に取り扱おうとするのであって、上代人の思想から生まれた物語を正当に理解する所以ゆえんではあるまい。
 第二に、人の思想はその時代の風習、社会上の種々の状態によって作り出される。従ってそういう風習、そういう状態のなくなった後世において、上代の思想、またその思想から作り出された物語を見ると、不思議に思われ、不合理と考えられる。蛇が毎年処女をとりに来るという話がある。処女を犠牲として神に供えるという風習のなくなった時代または民族から見ると、この話は了解し難いが、それが行われていた社会の話として見れば別に不思議はない。だから我々は歴史の伝わっていない悠遠なる昔の風習や社会状態を研究し、それによって古い物語の精神を理解すべきである。我が神代の巻にも、その神代の巻が記述せられた時代には既になくなっている風俗が実際存在していた遠い昔に作られた話が伝わっていて、それが神代の巻に現われているということも有り得べき事情である。ところがそれを理解しないで蛇とは異民族のことだとか賊軍だとかいうのは、全然見当ちがいの観察ではあるまいか。
 第三には、人智の発達した後において生じた詩的想像の産物が古い物語に少なくないことを注意しなければならぬ。神話というものには多かれ少かれこの分子が含まれている。天上の世界とか地下の国土とかの話は、その根柢に宗教思想なども潜在しているであろうが、それが物語になって現われるのはこの種の想像の力によるのである。事実としてはあり得べからざる、日常経験から見れば不合理な、空想世界がこうして造り出されることは、後世とても同様であって、普通にロオマンスというものにはすべてこの性質がある。それを一々事実と見て高天原という天上の世界は実は海外の某地方のことだなどと考えるのが無意味であることはいうまでもなかろう。蓬莱山が熊野だとかいうような考え方もこれと同様である。何人も浦島太郎のはなしも竜宮を実際の土地とは考えまいが、それにもかかわらず、但馬守たじまもりの行ったという常世国が南方支那だとか、神代の巻の海神の宮が琉球だとか博多地方だとか説くのは不思議である。

 以上は神話や民間説話の一々についてのことであるが、もしそういうような物語が一つの大なる組織に編み上げられている場合には、そこに何らかの意図がはたらいていることを看取しなければならぬ。支那の尭舜から禹湯文武に至る長い物語は支那人の政治道徳の思想によって構成せられているから、それがために事実とは考えられないことが多く現われている。それを思わずしてあの古代史を一々事実と見ようとすれば牽強附会におちいることはいうまでもない。我が神代の巻はそれと同様に見るべきものではないかも知らぬが、それに事実らしくない不合理なことが含まれているとすれば、我々は、その語るところに如何なる歴史的事実が潜んでいるかというよりは、むしろそこに如何なる思想が現われているかを研究すべきではなかろうか。この思想そのものが国民の歴史に取っては重大な事実である。
 談はやや抽象的になって来たが、神代の巻を一読すれば、このことは自然にわかろう。しかし今日こういう観察を神代の巻に加えるのは、広く世界諸民族の神話や古くから伝わっている民間説話やまたは上代史などの性質が我々に知られ、また近時の諸種の学術的研究によって上代人・未開人の風俗や習慣や思想や彼等の心理状態やが知られて来たからである。説話そのものにおいても、神代の巻、及びその他『古事記』や『日本書紀』に見えるものと同じような物語が、人種も全く違い、交通もなく関係もない他の多くの民族に存在していることがわかっていて、そういう説話の起源や由来も西洋の学者によって種々に研究せられている。幾多の人類学者・宗教学者、あるいは心理学者によって行われた最近二、三十年間の研究はこの方面に大なる進歩を促したので、日本の神代の物語を解釈するにも幾多の重要なる暗示がそれによって与えられる。彼らの説が悉く正鵠にあたっているとはいい難く、彼らの間にも種々意見をことにしている点が少なくなく、特に彼らの考察に日本とか支那とかいう東洋諸国民についての材料が乏しいために我々から見れば種々の不満足を感ずることもあるが、ともかくもその研究の方法は我々が学ばねばならぬものである。
 こう考えて来ると、昔の白石などが、上代人の心理状態を解することが出来ないために、それを強いて後世の思想で解釈しようとしたのも、不合理な話を合理的に見ようとし、事実らしくない話に事実を求めようとしたのも、無理のないことである。彼らは多分神代の巻に見えるような不思議な話は日本ばかりのことと思ったのであろう。そうしてこんな不思議な話はそのままに事実とは信ぜられないから、その裏面に何か事実が潜んでいるものと考えたのである。もとよりそれには、一種の尚古思想、一種の支那式 Rationalism があるのであるが、ああいう物語が世界到るところにあることを知ったならば、もっと他に考えようもあったのであろう。
 然るに今日においてもなお彼らと同じような考を以て神代の巻を見ているもののあるのは、我が国の学界において不思議な現象といわねばならぬ。彼らは神代の物語をそのままに上代史だと考えている。けれども民族のあるいは人類の、歴史的発達において、何処に神代という時代を置くことが出来ようか。連続している歴史的発達の径路においてどこに人の代ならぬ神の代があったとすることが出来ようか。神代というものが歴史上の事実でなくして思想の所産であることは、これだけ考えて見てもすぐにわかることではなかろうか。歴史家は神代という観念の作られたことを思想史上の一現象として取扱うべきはずであって、神代と称せられる時代が歴史的に存在したと考えることの出来ないことは、今日の学術的智識においては明白のことではなかろうか。もとより神代の巻の物語には上代の歴史的事実がいくらか絡まっているかも知れぬ。しかしその事実の事実たることを知るには、別に方法がある。
 例えば仮に日本の人種や民族の由来が神代の巻の物語に伏在していはしないかと考えて見る。ところが人種や民族の異同などが文献上の徴証を有たぬ場合には、それを推知するにはあきらかに科学的方法が具わっている。即ち比較解剖学・比較言語学上の研究を主とし、それを補うにその民族に特殊なる生活上の根本条件、民族心理上の諸種の現象を以てすべきである。そういう研究によって我が国の上代に種々の異った民族のあったことが証明せられ、そうしてそれによって知られた各民族の分布や範囲や盛衰興亡の状態を以て、神代の巻の何かの物語に対照し、それが互に符合するか、無理のない比定が出来るかという場合があるならば、その時始めて神代の巻にそういう分子の含まれているという仮説が、一つの解釈法として容認せられるのである。ただここに注意すべきことは、こういう研究は全然神代の巻の物語から離れて独立にせられねばならぬということである。人種や民族の問題でなくとも、神代の巻に歴史的事実があるかどうかを考えるには、全然その物語の外に立って、それには毫末の関係なく、あるいは確実なる史料(支那の史籍がその重要なる役目をつとめる)により、あるいは後世の事実から確実に推定せられる事柄により、またあるいは純粋なる考古学上の研究の助をかりて、それを試みねばならぬ。初から神は人なりというような臆見成心を有っていて、それによって神代の物語を改作したり、その物語と遺跡や遺物との間に曖昧あいまいな妥協的結合を試みたりするのは、決して科学的の研究ということは出来ぬ。このことについては、もっと具体的に説明しなければ自分の真意を読者に伝えることが出来ないかと思うが、談が余りに長くなったから、それはまたの機会をまつことにする。

 これを要するに神代の巻の研究はそれがすぐに上代史の研究ではなく、また勿論民族や人種の研究ではない。その研究の方法は何よりも先ずそれに含まれている物語を文字のままありのままに読みとって、その物語の意味を考うべきである。高天原はどこまでも天であり、神はどこまでも島を生まれたのであり、海神の宮はどこまでも海底の別世界であり、草木がものをいうならばどこまでも草木がものをいうのである。ワニは話のままにワニであり、蛇や烏は文字通りに蛇や烏である。神は神であって人ではなく、神代は神代であって人の代ではない。こういうように読み取ってしかして後はじめて真の研究に入ることが出来るのである。

底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷
底本の親本:「歴史と地理 四ノ三」
   1919(大正8)年9月
初出:「歴史と地理 四ノ三」
   1919(大正8)年9月
入力:坂本真一
校正:門田裕志
2012年5月8日作成
2012年6月19日修正
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