少年

     一 クリスマス

 昨年のクリスマスの午後、堀川保吉ほりかわやすきち須田町すだちょうかどから新橋行しんばしゆきの乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、自働車の中は不相変あいかわらず身動きさえ出来ぬ満員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車をおどらすことも一通りではない。保吉はきょうもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、鍛冶町かじちょうへも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟きせきを行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者しょうじゃなるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。
 宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけている。年はもう五十を越しているのであろう、鉄縁てつぶちのパンス・ネエをかけた、鶏のように顔の赤い、短い頬鬚ほおひげのある仏蘭西フランス人である。保吉は横目を使いながら、ちょっとその本をのぞきこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字のこまかい、とうてい新聞を読むようには読めそうもない代物しろものである。
 保吉はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空想にふけり出した。――大勢の小天使は宣教師のまわりに読書の平安をまもっている。勿論もちろん異教徒たる乗客の中には一人も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使はつばの広い帽子の上に、逆立さかだちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白めじろ押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談じょうだんを云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエにまたがっている。……
 自働車の止まったのは大伝馬町おおでんまちょうである。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本をひざに、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へはいって来た。褪紅色たいこうしょくの洋服に空色の帽子ぼうし阿弥陀あみだにかぶった、妙に生意気なまいきらしい少女である。少女は自働車のまん中にある真鍮しんちゅうの柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、生憎あいにくどちら側にもいている席は一つもない。
「お嬢さん。ここへおかけなさい。」
 宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語である。
「ありがとう。」
 少女は宣教師と入れ違いに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがとう」も顔のようにましゃくれた抑揚よくように富んでいる。保吉は思わず顔をしかめた。由来子供は――殊に少女は二千年ぜんの今月今日、ベツレヘムに生まれた赤児あかごのように清浄無垢しょうじょうむくのものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のないわけではない。それをことごとく神聖がるのは世界に遍満へんまんしたセンティメンタリズムである。
「お嬢さんはおいくつですか?」
 宣教師は微笑びしょうを含んだ眼に少女の顔をのぞきこんだ。少女はもう膝の上に毛糸の玉を転がしたなり、さも一かど編めるように二本の編み棒を動かしている。それが眼は油断なしに編み棒の先を追いながら、ほとんどこびを帯びた返事をした。
「あたし? あたしは来年十二。」
「きょうはどちらへいらっしゃるのですか?」
「きょう? きょうはもううちへ帰る所なの。」
 自働車はこう云う問答の間に銀座の通りを走っている。走っていると云うよりはねていると云うのかも知れない。ちょうど昔ガリラヤのみずうみにあらしを迎えたクリストの船にも伯仲はくちゅうするかと思うくらいである。宣教師はうしろへまわした手に真鍮しんちゅうの柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へせいの高い頭をぶつけそうになった。しかし一身の安危あんきなどは上帝じょうていの意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。
「きょうは何日なんにちだか御存知ですか?」
「十二月二十五日でしょう。」
「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お嬢さん、あなたは御存知ですか?」
 保吉はもう一度顔をしかめた。宣教師は巧みにクリスト教の伝道へ移るのに違いない。コオランと共に剣をったマホメット教の伝道はまだしも剣を執った所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示している。が、クリスト教の伝道は全然相手を尊重しない。あたかも隣りに店を出した洋服屋の存在を教えるように慇懃いんぎんに神を教えるのである。あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることをすすめるのである。殊に少年や少女などに画本えほん玩具がんぐを与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにいる少女も、――しかし少女は不相変あいかわらず編みものの手を動かしながら、落ち着き払った返事をした。
「ええ、それは知っているわ。」
「ではきょうは何の日ですか? 御存知ならば云って御覧なさい。」
 少女はやっと宣教師の顔へみずみずしい黒眼勝くろめがちの眼を注いだ。
「きょうはあたしのお誕生日たんじょうび。」
 保吉は思わず少女を見つめた。少女はもう大真面目おおまじめに編み棒の先へ目をやっていた。しかしその顔はどう云うものか、前に思ったほど生意気ではない。いや、むしろ可愛い中にも智慧ちえの光りの遍照へんしょうした、幼いマリアにも劣らぬ顔である。保吉はいつか彼自身の微笑しているのを発見した。
「きょうはあなたのお誕生日!」
 宣教師は突然笑い出した。この仏蘭西フランス人の笑う様子ようすはちょうど人のいお伽噺とぎばなしの中の大男か何かの笑うようである。少女は今度はけげんそうに宣教師の顔へ目を挙げた。これは少女ばかりではない。鼻の先にいる保吉を始め、両側の男女の乗客はたいてい宣教師へ目をあつめた。ただ彼等の目にあるものは疑惑でもなければ好奇心でもない。いずれも宣教師の哄笑こうしょうの意味をはっきり理解した頬笑ほほえみである。
「お嬢さん。あなたはい日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人おとなになった時にはですね、あなたはきっと……」
 宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合わせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奥に笑い涙をかがやかせている。保吉はその幸福に満ちた鼠色ねずみいろの眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやっと宣教師の笑い出した理由に気のついたのであろう、今は多少ねたようにわざと足などをぶらつかせている。
「あなたはきっとかしこい奥さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしょう。ではお嬢さん、さようなら。わたしの降りる所へ来ましたから。では――」
 宣教師はまた前のように一同の顔を見渡した。自働車はちょうど人通りの烈しい尾張町おわりちょうの辻に止まっている。
「では皆さん、さようなら。」
 数時間ののち、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あのふとった宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を共にした少女は夕飯ゆうはんぜんについた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。保吉もまた二十年ぜんには娑婆苦しゃばくを知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。大徳院だいとくいん縁日えんにち葡萄餅ぶどうもちを買ったのもその頃である。二州楼にしゅうろうの大広間に活動写真を見たのもその頃である。
本所深川ほんじょふかがわはまだ灰の山ですな。」
「へええ、そうですかねえ。時に吉原よしわらはどうしたんでしょう?」
「吉原はどうしましたか、――浅草あさくさにはこの頃お姫様の婬売いんばいが出ると云うことですな。」
 隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでもい。カフェの中央のクリスマスの木は綿をかけた針葉しんようの枝に玩具おもちゃのサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げている。瓦斯煖炉ガスだんろほのおも赤あかとその木の幹を照らしているらしい。きょうはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日」である。保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり巻煙草まきたばこをふかしながら、大川おおかわの向うに人となった二十年ぜんの幸福を夢みつづけた。……
 この数篇の小品しょうひんは一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。

     二 道の上の秘密

 保吉やすきち四歳しさいの時である。彼はつると云う女中と一しょに大溝の往来へ通りかかった。黒ぐろとたたえた大溝おおどぶの向うはのち両国りょうごく停車場ていしゃばになった、名高い御竹倉おたけぐら竹藪たけやぶである。本所七不思議ほんじょななふしぎの一つに当るたぬき莫迦囃子ばかばやしと云うものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や片葉かたはよしも御竹倉にあるものと確信していた。が、今はこの気味の悪い藪も狸などはどこかへい払ったように、日の光のんだ風の中に黄ばんだ竹のをそよがせている。
「坊ちゃん、これを御存知ですか?」
 つうや(保吉は彼女をこう呼んでいた)は彼を顧みながら、人通りの少い道の上をゆびさした。土埃つちほこりの乾いた道の上にはかなり太い線が一すじ、薄うすと向うへ走っている。保吉は前にも道の上にこう云う線を見たような気がした。しかし今もその時のように何かと云うことはわからなかった。
「何でしょう? 坊ちゃん、考えて御覧なさい。」
 これはつうや常套じょうとう手段である。彼女は何を尋ねても、素直すなおに教えたと云うことはない。必ず一度は厳格げんかくに「考えて御覧なさい」を繰り返すのである。厳格に――けれどもつうやは母のように年をとっていたわけでもなんでもない。やっと十五か十六になった、小さい泣黒子なきぼくろのある小娘こむすめである。もとより彼女のこう云ったのは少しでも保吉の教育に力をえたいと思ったのであろう。彼もつうやの親切には感謝したいと思っている。が、彼女もこの言葉の意味をもっとほんとうに知っていたとすれば、きっと昔ほど執拗しつように何にでも「考えて御覧なさい」を繰り返すだけはまぬかれたであろう。保吉は爾来じらい三十年間、いろいろの問題を考えて見た。しかし何もわからないことはあの賢いつうやと一しょに大溝の往来を歩いた時と少しも変ってはいないのである。……
「ほら、こっちにももう一つあるでしょう? ねえ、坊ちゃん、考えて御覧なさい。このすじは一体何でしょう?」
 つうやは前のように道の上をゆびさした。なるほど同じくらい太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、土埃つちほこりの道を走っている。保吉は厳粛に考えて見たのち、とうとうその答を発明した。
「どこかの子がつけたんだろう、棒か何か持って来て?」
「それでも二本並んでいるでしょう?」
「だって二人ふたりでつけりゃ二本になるもの。」
 つうやはにやにや笑いながら、「いいえ」と云う代りに首を振った。保吉は勿論不平だった。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の巫女みこである。道の上の秘密ひみつもとうの昔に看破かんぱしているのに違いない。保吉はだんだん不平の代りにこのふたすじの線に対する驚異の情を感じ出した。
「じゃ何さ、このすじは?」
「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」
 実際つうやの云う通り、一すじの線のうねっている時には、向うに横たわったもう一すじの線もちゃんと同じようにうねっている。のみならずこの二すじの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののように通じている。これは一体何のために誰のつけたしるしであろう? 保吉は幻燈げんとうの中にうつ蒙古もうこ大沙漠だいさばくを思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。………
「よう、つうや、何だって云えば?」
「まあ、考えて御覧なさい。何か二つそろっているものですから。――何でしょう、二つ揃っているものは?」
 つうやもあらゆる巫女のように漠然と暗示を与えるだけである。保吉はいよいよ熱心にはしとか手袋とか太鼓たいこの棒とか二つあるものを並べ出した。が、彼女はどの答にも容易に満足を表わさない。ただ妙に微笑したぎり、不相変あいかわらず「いいえ」を繰り返している。
「よう、教えておくれよう。ようってば。つうや莫迦ばかつうやめ!」
 保吉はとうとう癇癪かんしゃくを起した。父さえ彼の癇癪には滅多めったたたかいいどんだことはない。それはずっとりをつづけたつうやもまた重々じゅうじゅう承知しているが、彼女はやっとおごそかに道の上の秘密を説明した。
「これは車の輪のあとです。」
 これは車の輪の跡です! 保吉は呆気あっけにとられたまま、土埃つちほこりの中に断続した二すじの線を見まもった。同時に大沙漠の空想などは蜃気楼しんきろうのように消滅した。今はただ泥だらけの荷車が一台、寂しい彼の心のうちにおのずから車輪をまわしている。……
 保吉はいまだにこの時受けた、大きい教訓を服膺ふくようしている。三十年来考えて見ても、なに一つろくにわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。

     三 死

 これもその頃の話である。晩酌ばんしゃくぜんに向った父は六兵衛ろくべえさかずきを手にしたまま、何かの拍子にこう云った。
「とうとうお目出度めでたくなったそうだな、ほら、あの槙町まきちょう二弦琴にげんきん師匠ししょうも。……」
 ランプの光はあざやかに黒塗りのぜんの上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩にあふれたものはない。保吉やすきちいまだに食物しょくもつの色彩――※(「魚+粫のつくり」、第3水準1-94-40)からすみだの焼海苔やきのりだの酢蠣すがきだの辣薑らっきょうだのの色彩を愛している。もっとも当時愛したのはそれほどひんい色彩ではない。むしろあくどい刺戟しげきに富んだ、なまなましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、一掴ひとつかみの海髪うごを枕にしためじ刺身さしみを見守っていた。すると微醺びくんを帯びた父は彼の芸術的感興をも物質的欲望と解釈したのであろう。象牙ぞうげはしをとり上げたと思うと、わざと彼の鼻の上へ醤油のにおいのする刺身さしみを出した。彼は勿論一口に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。
「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」
 父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは機智きちに富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく大手柄おおてがらには違いない。かつまた家中かちゅうを陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。
 すると笑い声の静まったのち、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉のくびすじをたたいた。
「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」
 あらゆる答はすきのように問の根をってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏きばさみの役にしか立たぬものである。三十年ぜんの保吉も三十年の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。
「死んでしまうって、どうすること?」
「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前はありを殺すだろう。……」
 父は気の毒にも丹念たんねんに死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守こしゅする彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠いしどうろうの下や冬青もちの木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云うわけか、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
莫迦ばか、何と云うわからないやつだ。」
 父にしかられた保吉の泣き出してしまったのは勿論もちろんである。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその数箇月の間、ちょうどひとかどの哲学者のように死と云う問題を考えつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにもかかわらず死んだ蟻である。このくらい秘密の魅力みりょくに富んだ、つかまえ所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日回向院えこういん境内けいだいに見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に厳粛げんしゅくだった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れない。……
 するとある火ともし頃である。保吉は役所から帰った父と、薄暗い風呂ふろにはいっていた。はいっていたとは云うものの、体などを洗っていたのではない。ただ胸ほどあるえ風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い三角帆さんかくほを張った帆前船ほまえせんの処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、つるよりも年上の女中が一人、湯気ゆげの立ちこめた硝子障子ガラスしょうじをあけると、石鹸せっけんだらけになっていた父へ旦那様だんなさま何とかと声をかけた。父は海綿かいめんを使ったまま、「よし、今行く」と返事をした。それからまた保吉へ顔を見せながら、「お前はまだはいっておいで。今お母さんがはいるから」と云った。勿論父のいないことは格別帆前船の処女航海に差支さしつかえを生ずる次第でもない。保吉はちょっと父を見たぎり、「うん」と素直すなおに返事をした。
 父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、硝子ガラス障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど湯気ゆげの中にはだかの背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だった。父のかみはまだ白いわけではない。腰も若いもののようにまっすぐである。しかしそう云う後ろ姿はなぜか四歳しさいの保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思わずそう呼びかけようとした。けれども二度目の硝子戸の音は静かに父の姿を隠してしまった。あとにはただ湯のにおいに満ちた薄明うすあかりの広がっているばかりである。
 保吉はひっそりした据え風呂の中に茫然と大きい目をひらいた。同時に従来不可解だった死と云うものを発見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうことである!

     四 海

 保吉やすきちの海を知ったのは五歳か六歳の頃である。もっとも海とは云うものの、万里ばんりの大洋を知ったのではない。ただ大森おおもりの海岸に狭苦せまくるしい東京湾とうきょうわんを知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船おおふね香取かとりの海にいかりおろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りにけむった海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。彼は海へ張り出した葭簾張よしずばりの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろとかがやいた帆かけ船を何艘なんそうも浮かべている。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべている。翼の長い一群いちぐんかもめはちょうど猫のように啼きかわしながら、海面を斜めに飛んで行った。あの船や鴎はどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ幾重いくえかの海苔粗朶のりそだの向うに青あおと煙っているばかりである。……
 けれども海の不可思議を一層あざやかに感じたのははだかになった父や叔父おじ遠浅とおあさなぎさへ下りた時である。保吉は初め砂の上へ静かに寄せて来るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはいりかけたほんの二三分の感情だった。そのの彼はさざ波は勿論、あらゆる海のさちを享楽した。茶屋の手すりに眺めていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍らしいと同時に無気味ぶきみだった。――しかし干潟ひがたに立って見る海は大きい玩具箱おもちゃばこと同じことである。玩具箱! 彼は実際神のように海と云う世界を玩具にした。かに寄生貝やどかりまばゆい干潟ひがた右往左往うおうざおうに歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの喇叭らっぱに似ているのもやはり法螺貝ほらがいと云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは浅蜊あさりと云う貝に違いない。……
 保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかったわけではない。彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平だいへい」に売っている月耕げっこう年方としかた錦絵にしきえをはじめ、当時流行の石版画せきばんえの海はいずれも同じようにまっさおだった。殊に縁日えんにちの「からくり」の見せる黄海こうかいの海戦の光景などは黄海と云うのにもかかわらず、毒々しいほど青いなみに白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおとけむっている。が、なぎさに近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色どろいろをしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層あざやかな代赭色たいしゃいろをしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも残酷ざんこくな現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た大人おとなの誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえすれば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツのさびに似た代赭色をしている。
 三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌あてはまる態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所詮しょせん徒労とろうおわるだけである。それよりも代赭色の海のなぎさに美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)あこがれるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変あいかわらずひとりこう思っている。
 大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺にほんむかしばなし」の中にある「浦島太郎うらしまたろう」を買って来てくれた。こう云うお伽噺とぎばなしを読んでもらうことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵さしえいろどることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加えることにした。「浦島太郎」は一冊のうちとおばかりの挿絵を含んでいる。彼はまず浦島太郎の竜宮りゅうぐうを去るの図をいろどりはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫おとひめは――彼はちょっと考えたのち、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずともい、漁夫の着物は濃い藍色あいいろ腰蓑こしみのは薄い黄色きいろである。ただ細い釣竿つりざおにずっと黄色をなするのは存外ぞんがい彼にはむずかしかった。蓑亀みのがめも毛だけを緑に塗るのは中々なかなかなまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツのさびに似た代赭色である。――保吉はこう云う色彩の調和に芸術家らしい満足を感じた。殊に乙姫おとひめ浦島太郎うらしまたろうの顔へ薄赤い色を加えたのはすこぶ生動せいどうおもむきでも伝えたもののように信じていた。
 保吉は※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそう母のところへ彼の作品を見せに行った。何かぬいものをしていた母は老眼鏡の額越ひたいごしに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口からめ言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。
「海の色は可笑おかしいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?」
「だって海はこう云う色なんだもの。」
代赭色たいしゃいろの海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色じゃないの?」
「大森の海だってまっさおだあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
 母は彼の強情ごうじょうさ加減に驚嘆をまじえた微笑びしょうらした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪かんしゃくを起して彼の「浦島太郎」を引きいたあとさえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……「海」の話はこれだけである。もっとも今日こんにちの保吉は話の体裁ていさいを整えるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとえば話を終る前に、こう云う数行すうぎょうをつけ加えるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な発見をした。それは誰も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云うことである。」
 けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色のなみを立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か? 所詮しょせんは我々のリアリズムも甚だあてにならぬと云うほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終ることにした。が、話の体裁ていさいは?――芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない。

     五 幻燈

「このランプへこう火をつけて頂きます。」
 玩具屋おもちゃやの主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。それから幻燈げんとううしろの戸をあけ、そっとそのランプを器械の中へ移した。七歳しちさい保吉やすきちは息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になった主人の手もとを眺めている。綺麗きれいに髪を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めている。時間はやっと三時頃であろう。玩具屋の外の硝子ガラス戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りをうつしている。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱あきばこなどを無造作むぞうさに積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れている。いや、彼の後ろに立った父の存在さえ忘れている。
「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ月が出ますから、――」
 やっと腰を起した主人は保吉と云うよりもむしろ父へ向うの白壁しらかべを指し示した。幻燈はその白壁の上へちょうど差渡さしわたし三尺ばかりの光りの円をえがいている。柔かに黄ばんだ光りの円はなるほど月に似ているかも知れない。が、白壁の蜘蛛くもの巣やほこりもそこだけはありありと目に見えている。
「こちらへこうをさすのですな。」
 かたりと云う音の聞えたと思うと、光りの円はいつのまにかぼんやりと何か映している。保吉は金属の熱するにおいに一層好奇心を刺戟しげきされながら、じっとその何かへ目を注いだ。何か、――まだそこに映ったものは風景か人物かも判然しない。ただわずかに見分けられるのははかない石鹸玉しゃぼんだまに似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映っているのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のようにどこからかただよって来た薄明りの中の石鹸玉である。
「あのぼんやりしているのはレンズのピントを合せさえすれば――この前にあるレンズですな。――すぐに御覧の通りはっきりなります。」
 主人はもう一度及び腰になった。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景画に変った。もっとも日本の風景画ではない。水路の両側に家々のそびえたどこか西洋の風景画である。時刻はもう日の暮に近い頃であろう。三日月みかづきは右手の家々の空にかすかに光りを放っている。その三日月も、家々も、家々の窓の薔薇ばらの花も、ひっそりとたたえた水の上へあざやかに影を落している。人影は勿論、見渡したところかもめ一羽浮んでいない。水はただ突当つきあたりの橋の下へまっ直に一すじつづいている。
「イタリヤのベニスの風景でございます。」
 三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教えたのはダンヌンチオの小説である。けれども当時の保吉はこの家々だの水路だのにただたよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい丹塗にぬりの観音堂かんのんどうの前に無数のはとの飛ぶ浅草あさくさである。あるいはまた高い時計台の下に鉄道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家々だの水路だのは何と云う寂しさに満ちているのであろう。鉄道馬車や鳩は見えずともい。せめては向うの橋の上に一列の汽車でもとおっていたら、――ちょうどこう思った途端とたんである。大きいリボンをした少女が一人、右手に並んだ窓の一つから突然小さい顔を出した。どの窓かははっきり覚えていない。しかし大体三日月の下の窓だったことだけは確かである。少女は顔を出したと思うと、さらにその顔をこちらへ向けた。それから――遠目とおめにも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑ほほえみを浮かべた? が、それはのない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気ひとけのない窓かけをらしている。……
「さあ、もううつしかたはわかったろう?」
 父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻をくわえたまま、退屈たいくつそうに後ろにたたずんでいる。玩具屋おもちゃやの外の往来も不相変あいかわらず人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調こてしらべをすませた手品師てじなしのように、妙な蒼白いほおのあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
 保吉はその晩父と一しょにろうを引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空ちゅうくうの三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇ばらの花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけのうしろに家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願たんがんするように話しかけた。
「あの女の子はどうして出ないの?」
「女の子? どこかに女の子がいるのかい?」
 父は保吉の問の意味さえ、はっきりわからない様子である。
「ううん、いはしないけれども、顔だけ窓から出したじゃないの?」
「いつさ?」
「玩具屋の壁へ映した時に。」
「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」
「だって顔を出したのが見えたんだもの。」
「何を云っている?」
 父は何と思ったか保吉の額へ手のひらをやった。それから急に保吉にもつけ景気とわかる大声を出した。
「さあ、今度は何を映そう?」
 けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に静かな窓かけを映している。しかしいつかはどこかの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顔を出さぬものでもない。――彼はこう考えると、名状の出来ぬなつかしさを感じた。同時に従来知らなかったある嬉しい悲しさをも感じた。あのの幻燈の中にちらりと顔を出した少女は実際何か超自然ちょうしぜんの霊が彼の目に姿を現わしたのであろうか? あるいはまた少年に起り易い幻覚げんかくの一種に過ぎなかったのであろうか? それは勿論彼自身にも解決出来ないのに違いない。が、とにかく保吉は三十年後の今日こんにちさえ、しみじみ塵労じんろうに疲れた時にはこの永久に帰って来ないヴェネチアの少女を思い出している、ちょうど何年も顔をみない初恋の女人にょにんでも思い出すように。

     六 お母さん

 八歳か九歳くさいの時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大将の川島かわしま回向院えこういんぼとけ石壇いしだんの前にたたずみながら、かたの軍隊を検閲けんえつした。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは保吉やすきちとも四人しかいない。それも金釦きんボタンの制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白こんがすりくらじま筒袖つつそでを着ているのである。
 これは勿論国技館の影の境内けいだいに落ちる回向院ではない。まだ野分のわきの朝などには鼠小僧ねずみこぞうの墓のあたりにも銀杏落葉いちょうおちばの山の出来る二昔前ふたむかしまえの回向院である。妙にひなびた当時の景色――江戸と云うよりも江戸のはずれの本所ほんじょと云う当時の景色はとうの昔に消え去ってしまった。しかしただはとだけは同じことである。いや、鳩も違っているかも知れない。その日も濡れ仏の石壇のまわりはほとんど鳩で一ぱいだった。が、どの鳩も今日こんにちのように小綺麗こぎれいに見えはしなかったらしい。「門前の土鳩どばとを友や樒売しきみうり」――こう云う天保てんぽうの俳人の作は必ずしも回向院の樒売しきみうりをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群がっていた鳩を、――のどの奥にこもる声に薄日の光りをふるわせていた鳩を思い出さずにはいられないのである。
 鑢屋やすりやの子の川島は悠々と検閲を終ったのち、目くら縞の懐ろからナイフだのパチンコだのゴムまりだのと一しょに一束ひとたば画札えふだを取り出した。これは駄菓子屋だがしやに売っている行軍将棋こうぐんしょうぎの画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。ここにその任命を公表すれば、桶屋おけやの子の平松ひらまつは陸軍少将、巡査の子の田宮たみやは陸軍大尉、小間物こまもの屋の子の小栗おぐりはただの工兵こうへい堀川保吉ほりかわやすきち地雷火じらいかである。地雷火は悪い役ではない。ただ工兵にさえ出合わなければ、大将をもとりこに出来る役である。保吉は勿論もちろん得意だった。が、まろまろとふとった小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴え出した。
「工兵じゃつまらないなあ。よう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、よう。」
「お前はいつだって俘になるじゃないか?」
 川島は真顔まがおにたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しもひるまずに云い返した。
「嘘をついていらあ。この前に大将をとりこにしたのだってあたいじゃないか?」
「そうか? じゃこの次には大尉にしてやる。」
 川島はにやりと笑ったと思うと、たちまち小栗を懐柔かいじゅうした。保吉はいまだにこの少年の悪智慧わるぢえの鋭さに驚いている。川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。……
「開戦!」
 この時こう云う声を挙げたのは表門おもてもんの前に陣取った、やはり四五人の敵軍である。敵軍はきょうも弁護士の子の松本まつもとを大将にしているらしい。紺飛白こんがすりの胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図あいずをするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。
「開戦!」
 画札えふだを握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶喊とっかんした。同時にまた静かに群がっていた鳩はおびただしい羽音はおとを立てながら、大まわりになかぞらへ舞い上った。それから――それからは未曾有みぞうの激戦である。硝煙しょうえんは見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。しかしかたは勇敢にじりじり敵陣へ肉薄にくはくした。もっとも敵の地雷火じらいかすさまじい火柱ひばしらをあげるが早いか、味かたの少将を粉微塵こなみじんにした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失ってしまった。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云うのは勿論事実ではない。ただ保吉の空想に映じた回向院えこういんの激戦の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、ものびた境内けいだいけまわりながら、ありありと硝煙のにおいを感じ、飛び違う砲火のひらめきを感じた。いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う溌剌はつらつとした空想は中学校へはいったのち、いつのまにか彼を見離してしまった。今日こんにちの彼はいくさごっこの中に旅順港りょじゅんこうの激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中にも戦ごっこを見ているばかりである。しかし追憶ついおくは幸いにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまず何をいても、当時の空想を再びする無上の快楽を捉えなければならぬ。――
 硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。保吉はその中を一文字いちもんじに敵の大将へ飛びかかった。敵の大将は身をかわすと、一散に陣地へ逃げこもうとした。保吉はそれへ追いすがった。と思うと石につまずいたのか、仰向あおむけにそこへころんでしまった。同時にまた勇ましい空想も石鹸玉しゃぼんだまのように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子ぼうしも何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑ちょうしょうの声を挙げたのは陸軍大将の川島である。
「やあい、お母さんて泣いていやがる!」
 川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になりそこなった小栗である。
可笑おかしいな。お母さんて泣いていやがる!」
 けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったようにいるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った彼は悲しさにも増した口惜くやしさに一ぱいになったまま、さらにまたふるえ泣きに泣きはじめた。しかしもう意気地いくじのない彼には誰一人好意を示すものはいない。のみならず彼等は口々に川島の言葉を真似まねしながら、ちりぢりにどこかへけ出して行った。
「やあい、お母さんって泣いていやがる!」
 保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間すすり泣きをやめなかった。
 保吉は爾来じらいこの「お母さん」を全然川島の発明した※(「言+虚」、第4水準2-88-74)うそとばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海シャンハイへ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいったのちも容易に彼を離れなかった。彼は白い寝台しんだいの上に朦朧もうろうとした目を開いたまま、蒙古もうこの春を運んで来る黄沙こうさすさまじさを眺めたりしていた。するとある蒸暑むしあつい午後、小説を読んでいた看護婦は突然椅子いすを離れると、寝台の側へ歩み寄りながら、不思議そうに彼の顔をのぞきこんだ。
「あら、お目覚になっていらっしゃるんですか?」
「どうして?」
「だって今お母さんって仰有おっしゃったじゃありませんか?」
 保吉はこの言葉を聞くが早いか、回向院えこういん境内けいだいを思い出した。川島もあるいは意地の悪い※(「言+虚」、第4水準2-88-74)をついたのではなかったかも知れない。
(大正十三年四月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月9日修正
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