きのうきょう、狂せむほどに苦しきこと起り、なすところなくひたいの油汗ぬぐうてばかりいたのであるが、この苦しみをよそにして、いま、日本文学に就いての涼しげなる記述をしなければならない。こうしてペンを握ったまま、目を閉じると、からだがぐいぐい地獄へ吸い込まれるような気がして、これではならぬと、うろうろうろうろ走り書きしたるものを左に。

 日本文学に就いて、いつわりなき感想をしたためようとしたのであるが、はたせるかな、まごついてしまった。いやらしい、いやらしい、感想の感想の、感想の感想が、鳴戸の渦のようにあとからあとから湧いて出て、そこら一ぱいにはんらんし、手のつけようもなくなった。この机辺のどろどろの洪水を、たたきころして凝結させ、千代紙細工のように切り張りして、そうして、ひとつの文章に仕立てあげるのが、これまでの私の手段であった。けれども、きょうは、この書斎一ぱいのはんらんを、はんらんのままにすくいとって、もやもや写してやろうと企てた。きっと、うまくゆくだろう。

「伝統。」という言葉の定義はむずかしい。これは、不思議のちからである。ある大学から、ピンポンのたくみなる選手がひとり出るとその大学から毎年、つぎつぎとピンポンの名手があらわれる。伝統のちからであると世人は言う。ピンポン大学の学生であるという矜持きょうじが、その不思議の現象の一誘因となって居るのである。伝統とは、自信の歴史であり、日々の自恃じじの堆積である。日本の誇りは、天皇である。日本文学の伝統は、天皇の御製に於いて最も根強い。

 五七五調は、肉体化さえされて居る。歩きながら口ずさんでいるセンテンス、ふと気づいて指折り数えてみると、きっと、五七五調である。──ハラガヘッテハ、イクサガデキヌ。ちゃんと形がととのって居る。

 思索の形式が一元的であること。すなわち、きっと悟り顔であること。われから惑乱している姿は、たえて無い。一方的観察を固持して、死ぬるとも疑わぬ。真理追及の学徒ではなしに、つねに、達観したる師匠である。かならず、お説教をする。最も写実的なる作家西鶴でさえ、かれの物語のあとさきに、安易の人生観を織り込むことを忘れない。野間清治氏の文章も、この伝統を受けついで居るかのように見える。小説家では、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とん氏。中里介山かいざん氏。ともに教訓的なる点に於いて、純日本作家と呼ぶべきである。

 日本文学は、たいへん実用的である。文章報国。雨乞いの歌がある。ユウモレスクなるものと遠い。国体のせいである。日本刀をきたえる気持ちで文を草している。一筆三拝。

 文章を無為に享楽する法を知らぬ。やたらに深刻をよろこぶ。ナンセンスの美しさを知らぬ。こ理くつが多くて、たのしくない。お月様の中の小兎をよろこばず、カチカチ山の小兎を愛している。カチカチ山は仇討ち物語である。

 おばけは、日本の古典文学のすいである。きつねの嫁入り。たぬき腹鼓はらつづみ。この種の伝統だけは、いまもなお、生彩を放って居る。ちっとも古くない。女の幽霊は、日本文学のサンボルである。植物的である。

 日本文学の伝統は、美術、音楽のそれにくらべ、げんざい、最も微弱である。私たちの世代の文学に、どんな工合いの影響を与えているだろう。思いついたままを書きしるす。
 答。ちっとも。
 私たちの世代にいたっては、その、いとど嫋嫋じょうじょうたる伝統の糸が、ぷつんと音たてて切れてしまったかのようである。詩歌の形式は、いまなお五七五調であって、形の完璧かんぺきを誇って居るものもあるようだが、散文にいたっては。

 抜けるように色が白い、あるいは、飛ぶほどおしろいをつけている、などの日本語は、私たちにとって、異国の言葉のように耳新しく響くのである。たしかに、日本語のひとつひとつが、全く異った生命を持つようになって居るのである。日本語にちがいはないのだけれども、それでも、国語ではない。一語一語のアイデアが、いつの間にか、すりかえられて居るのである。残念である、というなんでもない一言でさえ、すでに異国語のひびきを伝えて居るのだ。ひとつのフレエズに於いてさえ、すでにこのように質的変化が行われている。

 病トロツキイが、死都ポンペイを見物してあるいているニュウス映画を見たことがある。涙が出たくらいに、あわれであった。私たちの古典に対する、この光景と酷似して居る。源氏物語自体が、質的にすぐれているとは思われない。源氏物語と私たちとの間に介在する幾百年の雨風を思い、そうしてその霜やこけに被われた源氏物語と、二十世紀の私たちとの共鳴を発見して、ありがたくなって来るのであろう。いまどき源氏物語を書いたところで、誰もほめない。

 日本の古典から盗んだことがない。私は、友人たちの仲では、日本の古典を読んでいるほうだとひそかに自負しているのであるが、いまだいちども、その古典の文章を拝借したことがない。西洋の古典からは、大いに盗んだものであるが、日本の古典は、その点ちっとも用に立たぬ。まさしく、死都である。むかしはここで緑酒を汲んだ。菊の花を眺めた。それを今日の文芸にとりいれて、どうのこうのではなしに、古典は、古典として独自のたのしみがあり、そうして、それだけのものであろう。かぐや姫をレビュウにしたそうであるが、失敗したにちがいない。

 日本の古典文学の伝統が、もっとも香気たかくしみ出ているものに、名詞がある。幾百年の永いとしつき、幾百万人の日本の男女の生活を吸いとって、てかてか黒く光っている。これだけは盗めるのである。野は、あかねさすむらさき野。島は、うき島、八十やそ島。浜は、長浜ながはま。浦は、おうの浦、和歌の浦。寺は、壺坂、笠置、法輪。森は、しのびの森、仮寝うたたねの森、立聞たちぎきの森。関は、なこそ、白川。古典ではないが、着物の名称など。黄八丈きはちじょうがすり、あいみじん、麻の葉、鳴海しぼり。かつて実物を見たことがなくても、それでも、模様が、ありありと眼に浮ぶから不思議である。これをこそ、伝統のちからというのであろう。

 すこし調子が出て来たぞと思ったら、もう八枚である。指定の枚数である。ふたたび、現実の重苦しさが襲いかかる。読みかえしてみたら、甚だわけのわからぬことが書かれてある。しどろもどろの、朝令暮改。こんなものでいいのかしら。何か気のきいた言葉でもって結びたいのだが、少し考えさせて下さい。

 いよいよだめだ。これでおしまいだ。おゆるし下さい。私は小説を書きたいのです。

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
初出:「文芸懇話会」
   1936(昭和11)年5月1日発行
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
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