終戦後日本にも平和をめざす婦人団体がいくつかつくられたけれども、それらの婦人団体の目標は多くの場合「まずめいめいのうちに心の平和を」とか「平和のために労資協調を致しましょう」とかいうものです。現代の戦争が資本主義そのものの病弊であるとき、その原因が合理的にとりのぞかれないで、どうして本当の平和があり得ましょう。もうだれでも、これまでのままの資本主義の社会では人民の幸福がないことをさとっています。それでは苦しい経験をかさねている日本の婦人のすべてが、はっきりと民主的な勢力に結びあって将来の不幸を徹底的にとりのぞこうとしているのでしょうか。この重大な必要はまだ十分理解されていません。
選挙場に土足でふみこむ吉田首相が、首相として泰然自若と首切りにとりかかりはじめたのは、民自党が第一党になったからです。税に苦しめられ、物価高に苦しめられ、やっと子供を教育しようと思っている母親に、今日の新聞(二月二十一日読売)の文相高瀬荘太郎の話はなんとひびいたでしょう。文相は、父兄からのつけとどけのない大学教授たちの生活難について語り、私立学校の入学にからむ父兄からのつけとどけを、やむを得ないことだと語っています。これには漫画家の近藤日出造氏もあきれています。そうとまでは知らず、こういうありがたい文相をこしらえるような投票をした幾人かのお母さんは、今日このごろの新学期をひかえて、人にいえない苦労をかさねているかも知れません。こういうひとつひとつのことのうちに、私たち婦人がはっきりと態度をきめてたたかってゆかねばならぬものがあります。私たちの平和の主張も、ファシズムに対する闘いも、いつも大きい形であらわれてくるとばかりはきまっていません。
婦人こそ幸福を求めています。私たちが、私たちを不幸とするものと闘って、幸福をかち得てゆかねばならないこともわかってきています。今年の三月八日は、例年にもまして、日本の婦人が人民の立場で、すべての不幸の源であるさまざまの形のファシズム、労働法改悪、大量のくび切りなどに対して闘ってゆく決心を新らしくする日だと思います。
この目的のためには、職場の婦人、家庭の婦人、婦人労働者、知識婦人の間にこれまであったそれぞれの立場にこだわった感情がすてられて、人民としての婦人というただ一つの強力な意識にとけ合うべきときです。
〔一九四九年二月〕