詩ノート

目次

一九二六、一一、四、
途中の空気はつめたく明るい水でした
熱があると魚のやうに活溌で
そして大へん新鮮ですな
終りの一つのカクタスがまばゆく燃えて居りました
市街も橋もじつに光って明瞭で
逢ふ人はみなアイスランドへ移住した
蜂雀といふ風の衣裳をつけて居りました
あんな正確な輪廓は顕微鏡分析ミクロスコープアナリーゼの晶形にも
恐らくなからうかと思ふのであります
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一九二六、一一、一五、
霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ
   影を落す影を落す
   エンタシスある氷の柱
そしてその向ふの滑らかな水は
おれの病気の間の幾つもの夜と昼とを
よくもあんなに光ってながれつゞけてゐたものだ
   砂つちと光の雨
けれどもおれはまだこの畑地に到着してから
一つの音をも聞いてゐない
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一九二七、二、一二、
         プラットフォームは眩ゆくさむく
         緑いろした電燈の笠
         きららかに飛ぶ氷華の列を
         ひとは偏狭に老いようし
         汽車近づけば
         その窓が Ice-fern で飾られもしよう

車のなかはちひさな塵の懸垂と
そのうつくしいティンダル現象
    日照はいましづかな冬で
    でんしんばしらや建物や鳩

         かゞやいて立つ氷の樹
         青々けぶる山と雲
         髪をみだし
         黒いネクタイをつけて
         朝の汽車にねむる写真師

……これが小さくてよき梨を産するあの町であるか……
……はい閣下 今日は多量の氷華を産して居りまする……
……それらの樹群はみなよき梨の母体であるか……
……はい閣下 あれは夏にはニッケル鋼の鏡をつるす
  はんの木立でございます……
……この町の訓練の成績はどうぢゃ……
……はい閣下 寒冷ながら
  水は風より より濃いものと存じます……

         けむりは凍えていくつにもちぎれて
         松の林に落ちこむし
         アカシヤの木の乱立と
         女のそのうつくしいプロファイル
    もう幾百 目もあやに
    風や磁気に交叉する電線と〔以下空白〕
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一九二七、二、一八、
氷のかけらが
海のプランクトンのやうに
ぴちぴちはねる朝日のなかを
黒いペンキのまだ乾かない
電車が一つしづかに過ぎる
兵隊みたいな赤すぢいりの帽子をかぶった電気工夫や
またつゝましくかゞやいてゐる朝の唇
   ……ハムマアを忘れて来たな……
   ……向ふには電気炉がない……
江釣子森が暗く濁ったそらのこっちを
白くひかって展開する
そのぶちぶちの杉の木が
虫めがねででも見たやうに
今日は大へん大きく見える
   ……雪の野原と
     ぼそぼそ燃える山の雲……
東は茶いろな松森の向ふに
巨きな白い虹がたつ
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凍ったその小さな川に沿って
幾つもの暗い小さな段丘が
日の裏側を
木のないとがった岩頸まで
寒さうに寒さうにつゞいてゐた
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一九二七、二、
    ソックスレット
    光る加里球
    並んでかゝるリービッヒ管
みんなはどこへ行ったのだらう
暖炉が燃えて
黄いろな時計はつまづきながらうごいてゐる
 塩酸比重一・一九(※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)セリンを持って来てください)
 タンニン定量用
 Conc. アルコール  (今日はそのエーテルを全部回収してしまってください)
このレッテルはわたくしの字だ
十年前のごくおぼつかないわたくしの字だ
けれどもこんなに紙が白くて
蝋も塗られてゐないのは
やっぱり誰か相似形の一つが
つめたい風にはあはあ息をつきながら
一生けん命ねらって書いたに相違ない
  ……雪の反射とポプラの梢……
よくまあこんなうすいろの陰暗だの
がさつな藪にかこまれながら
感量〇・〇〇〇二といふ風な
こまかな仕事をしてゐるもんだ
  ……そらをかけてゐるものは
    オーパルの雲か
    それとも近い氷のかけらの系列か……
風がふけば
またひとがあるけば
目盛フラスコの
そのいちいちの色異った溶液が
めいめいきれいにひかってゆれる
  ……色のついた硝酸がご用ですか……
  ……いゝえ わたくしの精神がいま索ねて居ますのは
    水に落ちた木の陰影の濃度を測定する
    青い試薬がほしいんであります……
ぎらぎら砕けるポプラの枝と雲の影
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一九二七、三、四、
今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度ともなく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かないあなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたの またわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから

    雪ふれば昨日のひるのわるひのき
    菩薩すがたにすくと立つかな
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一九二七、三、一五、
暗い月あかりの雪のなかに
向ふに黒く見えるのは
松の影が落ちてゐるのだらうか
ひるなら碧くいまも螺鈿のモザイク風の松の影だらうか
やっぱり雪が溶けたのだ
あすこら辺だけあんなに早く溶けるとすれば
もう彼岸にも畑の土をまかないでいゝ
やっぱり砂地で早いのだ
毎年斯うなら毎年こゝを苗床と
球根類の場所にしよう
その球根の畦もきれいに見えてゐる
みちをふさいで巨きな松の枝がある
このごろのあの雨雪に落ちたのだ
玉葱とペントステモン行って見よう
あゝちゃうどあの十六のころの
岩手山の麓の野原の風のきもちだ
雪菜は枯れたがもう大丈夫生きてゐる
なにかふしぎなからくさもやうは
この月あかりの網なのか
苗床いちめんやっぱり銀のアラベスク
ヒアシンスを埋めた畦が割れてゐる
やっぱり底は暖いので
廐肥が減って落ち込んだのだ
ヒアシンスの根はけれども太いし短いから
折れたり切れたりしてないだらう
さうさうこゝもいちめん暗いからくさもやう
うしろは町の透明な灯と楊や森
まだらな草地がねむさを噴く
巨きな松の枝だ
この枝がさっき見たのだったらうか
     昆布とアルコール
川が鼠いろのそらと同じで
南東は泣きたいやうな甘ったるい雲だ
音なくながれるその川の水
     五輪峠やちゞれた風や
ずうっとみなかみの
すきとほってくらい風のなかを
川千鳥が啼いてのぼってゐる
     「いちばんいゝ透明な青い絵具をもう呉れてしまはう」
どこか右手の偏光の方では
ぼとしぎの風を切る音もする
早池峰は雲の向ふにねむり
風のつめたさ
     「水晶の笛とガラスの笛との音色の差異について」
町は犬の声と
ここは巨きな松の間のがらん洞
     風がこんどはアイアンビック
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一九二七、三、一五、
こんやは暖かなので
この坂みちの
淡い月光にひかる石ころの間を
夜どほし
雪どけの水がながれるのだ
  ……氷の雲とひばの列……
その振作の大きな木小屋は
北側の屋根がなくなったのか
そらのうつろが映ってゐるのだ
   (ばらを十五本植ゑた
    そのばらが芽を出さない)
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一九二七、三、一六、
たんぼの中の稲かぶが八列ばかり
雪からとけて東の方へならぶのは
せんころみんながあすこの盛りを
崩して土を運んだあとになってゐる
   赤い毛布を足にも巻けば
   藍※(「靜のへん+定」、第4水準2-91-94)いろの影もおとした
そこに一本仕とげた仕事の紀念のやうに
新らしい杭が立ってゐる
   まはりはぐみと楊の木
 なあに金出す人ぁ困らなぃ人だがらと
 たくましくそしてほのかにわらひながら
 あいつが夜に云ってゐた
風が吹いて松並木に雪もふれば
稀薄な山と新道の松の間を
くっきり白いけむりを吐いて汽車も行く
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一九二七、三、一六、
赤い尾をしたレオポルドめが
また鶏をとらうとして
田圃の雪をはしって行く
    山は吹雪のうすあかり
松の林の足なみに
麻酔をかけてレオポルドめが
せはしくひとりくぐって行く
    林はうすい冠毛コロナをかぶる
ちゞれて酸えた北の雲
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一九二七、三、一六、
いろいろな反感とふゞきの中で
いま東の雲はうるんで甘く
クレオソートを塗られた電しんばしらも鳴り
町の上では
赤れん瓦の農業倉庫も
黒い陸橋も
はげしい風の火も燃える
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一九二七、三、一九、
電信ばしらの乱立と
   ……ベンベロ取りさ行がなぃが……
   ……あしたやすみだべ……
 Type a form on off………洋電機株式会社
おれはいま巨きな演奏家たちが
ピアノを弾き出す前のやうに
平らにだ輪に掌を置く

 ファーストスロープ
こゝを過ぎればもう一キロほど
   見とほしの利く直線なんだ
     藍いろの山のこっちの
     蕈のかたちの松ばやし
     防火線白くめぐり

 Up 一 二 五
   ……子供らそばで電車を見ようとかけるかける
     その雪ばかまの短い脚したこどもらよ
     黝ずむ松のむらばやし……

第二スロープ ダウン 一 三 二
  M――※(2分の1、1-9-20)   ← 三 三
はん、材料置場第二号
もうはんのきとかはやなぎ
瀬川の岸にもうやってきた
寒さで線路はよれて
  平夷な岡と三角山

注意鳴笛
それやった
 橋だ橋だぞ
 濁った川だ
 誰か泥棒のやうに
 黒い脚で横へそれた
 ひばのかきね
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一九二七、三、一九、
  火がかゞやいて
  けむりも青くすきとほってあがる
  よくみがかれた板の間と
  ぼそぼそ煤けた火棚の鍵
この家は
おかっぱの
頬の赤いこどもらでいっぱいだ
  雪はしづかに外でとけ
  またその雪のほの白い反射
その一人のこどもが
紺の雪ばかまをはき羽織を着て
板の間に別々影と影法師を落して
だまって立っておれを見てゐる
       おれを見てゐる
       見てゐる
おれもだまって見てゐると
むすめの頬はゆがむゆがむ
     どうして
     おれはぼろぼろの服を着て
     銀の鉛筆をさげたえらい先生なのだ
向ふへ行くのに
肩をそびやかして
そんなにくるっとまはるのは
まるでほんとの剣ばひの風だ
   ……曇ったガラス障子の向ふは、
     何かをかしな廊下になってゐて
     その黄な粗壁の土蔵の前には
     もうたくさんのこどもらがあつまってゐる……
さっきのおかっぱのあのむすめが
膳をわざわざみんなの前へ持ってきて
板の間へちゃんと座って食べはじめる
白い粥を盛った二つの椀を前に置いて
だまって箸をなめてゐる
     影は二っつ
横目でそっとこっちを見ながらたべはじめる
              たべてゐる
榾火はいまおきにかはって
  あっちもこっちも影法師

 さあ さあ 向ふへいかゞですか
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一九二七、三、一九、
ひるすぎになってから
東のそらはうす甘く赤くなり
そこにたくさんの黒い実をつけたはんの梢や
古風な松の森が盛りあがったのです
  ……ひはうつくしい
    孔雀石いろに着飾って
    あえかな雪を横切った……
みみづくの頭の形した鳥ヶ森もひかり
    テーブルランド テーブルランド
凍ったその小さな川に沿って
いくつものさびしい雪のテレースが
日の裏側を
木のないとがった岩頸までつゞけば
天の焦点は雪ぐもの向ふの白い日輪
    つらなる黒い林のはてに
    また亜鉛いろの雪のはてに
    ノスタルヂヤ農学校の
    ほそ長く白い屋根が見える
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一九二七、三、二一、
    ……野原はわくわく白い偏光
      菫外線をたゞよへり……
その服は
おれの組合から買ってくれたのかい
いやありがたう
すてきななりだ
まるでこれからアフガニスタンへ馬を盗みに行くやうだ
そこでそろそろ
お嫁さんをもらったらどうだ
もう貰った
気に入ったかい

 ……あっいけない
   江釣子森だ
   窓ガラス越し
   氷醋弾をなげつけやがったんだ……

アムモホスの使ひ方だって
うん
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一九二七、三、二一、
洪積世が了って
北上川がいまの場所に固定しだしたころには
こゝらはひばや
はんやくるみの森林で
そのところどころには
そのいそがしく悠久な世紀のうちに
山地から運ばれた漂礫が
あちこちごちゃごちゃ置かれてあった
それはその後八万年の間に
あるいはそこらの著名な山岳の名や
古い鬼神の名前を記されたりして
いま秩序よく分散する
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一九二七、三、二三、
山の向ふは濁ってくらく
もう恐慌パニックが春といっしょにやってゐる

野はらはまだらな磁製の雪と
黝ぶり滑べる 夜見来川

  みんなに明るく希望に充ち
  わたくしに暗く重い仕事が
  そこでまもなく起らうとする

鳥は雷気や
巨きな雲の尾を恐れない
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一九二七、三、二三、
わたくしの汲みあげるバケツが
井戸の中の扁菱形の影の中から
たくさんの気泡と
うららかな波をたゝへて
いまアムバアの光のなかにでてくると
そこにひとひらの
――なまめかしい貝――
――ヘリクリサムの花冠――
一ぴきの蛾が落ちてゐる
なめらかに強い水の表面張力から
蛾はいま溺れようとする
わたくしはこの早い春への突進者を
温んでひかる気海のなかへ掬ひだしてやらう

ほう早くも小さな水けむり
イリデ※(小書き片仮名ス、1-6-80)センス
春の蛾は水を叩きつけて
         飛び立つ
      飛び立つ
    飛び立つ
  Zigzag steerer, desert cheerer.
いまその林の茶褐色の房と
不定形な雲の間を航行する
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一九二七、三、二六、
黒つちからたつ
あたたかな春の湯気が
うす陽と雨とを縫ってのぼる
   ……西にはひかる
     白い天のひときれもあれば
     たくましい雪の斜面もあらはれる……
きみたちがみんな労農党になってから
それからほんとのおれの仕事がはじまるのだ
   ……ところどころ
     みどりいろの氈をつくるのは
     春のすゞめのてっぱうだ……
地雪と黒くながれる雲
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一九二七、三、二七、
日が照ってゐて
そらはがらんと暗かった
わたくしは笹のなかに陥ち込んでねむった
          埋もれて
鷺の群がいっぱいに北へ渡った
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水は黄いろにひろがって
いまはもう
ほんものの土佐絵の波もたててゐる
かたつむりの歩いたあとのやうにひかりながら
島に残った松の草地と
わたくしの白菜ばたけを浸さうとする
いつの間にどうして行ったのか
その新らしい恐ろしい磯に
黒くうかんで誰か四五人立ってゐる
忠一がいま吠えるやうに叫んで
その巨きな黄いろな水に石をなげる
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一九二七、三、二八、
黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり
それをばその細胞がその細胞自身として感じてゐて
それが意識の流れであり
その細胞がまた多くの電子系順列からできてゐるので
畢竟わたくしとはわたくし自身が
わたくしとして感ずる電子系のある系統を云ふものである
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一九二七、三、二八、
遠くなだれる灰いろのそらと
歪んだ町の広場のなかに
わたくしはこみあげるかなしさを
青い神話としてまきちらしたけれども
小鳥らはそれを啄まなかった
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一九二七、三、二八、
労働を嫌忌するこの人たちが
またそ人たちの系統が
精神病としてさげすまれ
ライ病のやうに恐れられるその時代が
崩れる光の塵といっしょにたうとう来たのだ
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一九二七、三、二八、
あそこにレオノレ星座が出てる
  ……そんな馬鹿なこと相手になってゐられるか……
ぼうとした市街のコロイダーレな照明の上にです
 北は銀河の盛りあがり
  ……社会主義者が行きすぎる……
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一九二七、三、三一、
いくつの
 天末の白びかりする環を
        わたくしはいままでに数へたことか
その雪融の風のなかから
胸うつ雲の下底はくらく
氷凍された雪の岩頸
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一九二七、四、一、
根を截り
芽を截り
朝日と風と
春耕節の鳥の声

土の塊りはいちいちに影
三れつ青らむクリスマスツリーと
青ぞらひかれば
聖重挽馬が
いつかこっそりうしろのはたけに立ってゐる
そのまっ白な脚毛
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一九二七、四、二、
南から
また東から
ぬるんだ風が吹いてきて
くるほしく春を妊んだ黒雲が
いくつもの野ばらの藪を渉って行く

 ひばりと川と
 台地の上には
 いっぱいに種苗を積んだ汽車の音
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一九二七、四、二、
そらがまるっきりばらいろで
そこに一本若いりんごの木が立ってゐる
   KeolgKol. おやふくろふがないてるぞ
山の上の電燈から
市街の寒天質アガーチナアスな照明まで
   KeolgKol. わるいのでせうか
 黒いマントの中に二人は
 青い暈環を感じ
 少年の唇はセルリーの香
 少女の頬はつめくさの花
   KeolgKohl. ぼく永久にあなたへ忠節をちかひます
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一九二七、四、四、
  ……古い聖歌と
    亜麻布リネンを装ふ童子像……
砂土はいま
四分の一を耕され
退役の海軍中佐は
数学の教師をやめて
つつましく東京に帰った

うるんで黒い雲いっぱいに
春 翔ける鳥の交響
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一九二七、四、四、
けさホーと縄とをになひ
新らしくつくった泥よけを穿いて
十字軍の騎士のやうに
白い頁に接吻して別れ
壁の上に影も残して
さはやかな風といっしょに出て来たのだが
いまは耕土も暗くて熱く
まなこをあげれば
燃えつきて痛む瞳に
水増す川と
尾を曳く雲にまぶれるけむり
綾だち酸えたこのひるすぎの
世界はみんな
青いいろした脂肪酸ではなからうか
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一九二七、四、五、
うごかなければならなくて
ホーはひとりでうごいてるのだ
何といふりっぱなぢしばりだ
羽衣甘藍のやうに紫銅色で
その葉もみんな尖ってゐる
ブリキいろした牛蒡やちさで
も一つちがった図案をこゝにこさへるために
わたくしはいまこの夢のやうに縁辺をまばらに消やす
豪華なアラベスクを削ってゐる
このことに就てわたくしは
あらゆる聖物毀損の罪に当らう
その償ひにこんどこいつを
どこかのローマンテックなローンに使はう
その黄金の針金でできる皿がたの花を
そこいちめんに展げさせよう
    雲のくらさと
    砂の明るさ
いま鷺がどこかの洲に降りてゐる
[#改ページ]

一九二七、四、五、
じつに古くさい南京袋で帆をはって
おまけに風に逆って
山の鉛が溶けて来た重いいっぱいの流れを溯って
この船はどこへ行かうといふのだらう
男が三人乗ってゐる
じつにうまくないそのつらの風
じぶんだけせいぜいはうたうをして
それでも不足で不平だといふつらつきだ
今夜もみんな集って
百五十円ほど黄いろな水を呑まうといふのか
そのばけそこなひの酵母の糞を
町まで買ひに行かうと云ふのか
あんまり云ふことをきかないと
今夜この雨がみんなみぞれや針にかはって
芽を出したものをみんな潰すぞ
[#改ページ]

一九二七、四、五、
あんまり黒緑なうろこ松の梢なので
そのいちいちの枝も針もとがりとがり
そこにつめたい風の狗が吠え
あめはつぶつぶ降ってくる

いまいったい何時なのだらう
今日は日が出てゐないのでわからない
けれども鉛筆を掌にたてて
薄い影ぐらゐはできるだらう
いやかう立ててはいけない
もっと臥せて掌に近くしなければだめだ
あんまり西だ
もう午ちかいつかれや胸の熱しやうなのに
鉛筆を臥せてはいけないのだ
それは投影になるためだ
向ふの橋の東袂へ影が落ちれば
大ていひるまにきまってゐる
こんど磁石をもってきて
北を何かに固定しよう
けれどもそれは畑のなかでの位置によってもちがひがある
いやさうでない
なるべく遠い
山の青びかりする尖端とか
氷河の稜とかをとりさへすれば
わづかな誤差で済む
風が東にかはれば
その重くなつかしい春の雲の縞が
ゆるやかにゆるやかに北へながれる
[#改ページ]

一九二七、四、五、
(あの雲がアットラクテヴだといふのかね)
その黒い雲が胸をうつといふのか
それは可成な群集心理だよ、
なぜならきみと同じやうな
この野原の幾千のわかものたちの
うらがなしくもなつかしいおもひが
すべてあの雲にかかってゐるのだ

あたたかくくらくおもいもの
ぬるんだ水空気懸垂体
それこそほとんど恋愛自身なのである
なぜなら恋の八十パーセントは
H2Oでなりたって
のこりは酸素と炭酸瓦斯との交流なのだ
[#改ページ]

一九二七、四、七、
いま撥ねかへるつちくれの蔭
古びて緑な陶器の蛙
その蛙またはねかへり
次の土くれはねかへり
まだねむってゐる春の蛙だ
うごかないのは陶製のため
つぎのつちくれいまかゝり
蛙よ
こんどは 四五日たって
唐檜をこゝに植ゑるのだ
そのときまでに
眼をさまして外へ出てろよ
[#改ページ]

一九二七、四、七、
扉を推す
森と
西に傾く日
となりの巨きなヨークシャイヤ豚が
金毛になり
独楽のやうに傾きながら
まっしぐらに西日にかけてゐる かけてゐる
追ってゐるのはその日本の酋長の娘
棒をもって髪もみだれかゞやきながら豚を追ふ
[#改ページ]

一九二七、四、八、
夜の間に吹き寄せられた黒雲のへりが
潜んだ太陽に焼けて凄まじい朝になった
今日の設計には
あの悪魔風の鼠と赤とを使ってやらう
口をひらいた魚のかたちのアンテリナムでこさへてやらう
いまにあすこはみんな魔窟にかはるのだから
その斜面に居て仕事をしたら
風がさむく
陽もいちにち薄いだらうけれども
ゆふべみぞれが降らなかっただけ得をしたのだ
[#改ページ]

一九二七、四、八、
ちゞれてすがすがしい雲の朝
烏二羽
谷によどむ氷河の風の雲にとぶ
いま
スノードンの峯のいたゞきが
その二きれの巨きな雲の間からあらはれる
  下では権現堂山が
  北斎筆支那の絵図を
  パノラマにして展げてゐる
北はぼんやり蛋白彩のまた寒天の雲
  遊園地の上の朝の電燈
こゝらの野原はひどい酸性で
灰いろの蘚苔類しか生えないのです
  権現堂山はこんどは酸っぱい
  修羅の地形を刻みだす
萱野のなかにマント着て立つ三人の子
聡明さと影と
また擦過する鳥の影
東根山のそのコロナ光り
姫神から盛岡の背後にわたる花崗岩地が
いま寒冷な北西風と
湿ぽい南の風とで
大混乱の最中である
氷霧や雨や
東にはあたらしい雲の白髪
  ……罪あるものは
    またのぞみあるものは
    その胸をひぢかけに投げてねむれ……
はたらくべき子ら
まなぶとて町にありしに
その歯なみうつくしくかゞやきにけり
  毛布着て
  また赤き綿ネルのかつぎして
  八時始めの学校に行く子ら
遊園地ちかくに立ちしに
村のむすめらみな遊び女のすがたとかはりぬ
そのあるものは
なかばなれるポーズをなし
あるものはほとんど完きかたちをなせり
  ひと炭をになひて
  大股に線路をよこぎりしに
  学校通ひの子らあまた走りしたがへり
ひがしの雲いよいよ
 その白金属の処女性を増せり
  ……権現堂やまはいま
    須弥山全図を彩りしめす……
けむりと防火線
  ……権現堂やまのうしろの雲
    かぎりない意慾の海をあらはす……
浄居の諸天
高らかにうたふ
   その白い朝の雲
[#改ページ]

一九二七、四、一一、
えい木偶のばう
かげろふに足をさらはれ
桑の枝にひっからまられながら
しゃちほこばって
おれの仕事を見てやがる
黒股引の泥人形め
川も青いし
タキスのそらもひかってるんだ
はやくみんなかげろふに持ってかれてしまへ
[#改ページ]

一九二七、四、一一、
いまは燃えつきた瞳も痛み
眼路も綾だち酸える

ともだちよ
世界はみんな
青いいろした脂肪ではないだらうか
[#改ページ]

一九二七、四、一三、
日が蔭って
豚が出てあるき
 石灰窒素の播かれた古いたまなばたけを嗅ぎあるき
家のなかにひとり残された赤んばうは
みんなを索めて
いっしゃうけんめい あらゆるしかたで発信する
[#改ページ]

一九二七、四、一三、
きみははっきり
あの白い円い像を
あの正南のそらに見たのか
あすこらの雲がひどくひかってゐたぐらゐでは
午といふ証拠に不足だらう
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一九二七、四、一八、
午前の仕事のなかばを充たし
わたくしは旅程を了へたヂプシーのやうに
かつぎを風になぶらせながら
ベムベロもゆれ
浅黄いろした春の川べにねころばう
     かれ草と影と
スノードンの峯は
春になってから二度雪が消えて
二度雪が降り
いまあはあはと土耳古玉のそらにかすんでゐる
あすこの谷で
アスティルベダビデの樹液が
もう融けだしてゐるだらう
東へ翔けるうるんだ雲のかたまりを見れば
ショーの階級に属する
   そのうつくしい女の考が
       夢のやうにぼんやり伝はってくる
顫へて鳴るのは
枯草だらうか、
響尾蛇でなくても
蛇はよくその尾を鳴らし得る
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一九二七、四、一九、
光環ができ
軟風かぜはつめたい西にかはった

プラウを返せ
そんなに睡いなら
あの森のへりの
ヒアシンスの花の形した
巨きな黄いろな芽をたべてこい
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一九二七、四、一九、
清潔法といったって
階下には青い藺草の敷物一枚だけだし
あとは
まはりの
笹やちがやに火をつければ
しばらくたって
路と
家とがきれいに残る筈なのだ
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一九二七、四、二一、
町をこめた浅黄いろのもやのなかに
咲きのこりの電燈の一列
   わたくしのヒアシンスを
   造花と見る人がたいへん多い
日がそらでぼんやり黄ばらをけぶすとき
この屋台は伯林青で塗りあげてある
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一九二七、四、二一、
水仙をかつぎ
    白と黄との
やあお早う
  ……わらひにかゞやく村農ヤコブ……
ぼくもいまヒアシンスを売って来たのです
ふう
あゝ玉菜苗
千川べりへ植ゑ付けますが
 洪水をかぶればそれっきりです
やあお早う
いゝお天気です
   松の並木の影
   犬 黄いろなむく犬め
     鳥の声 鳥の声
朝日のなかから
学校行きのこどもらが
もずのやうに叫んで飛び出してくる
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一九二七、四、二二、
青ぞらは
ひとの白い咽喉を射る
山鳩ねむげにつぶやくひるま
風の軋りと wind gap の上の巨きな石窟
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一九二七、四、二四、
桃いろの
アガーチナスな春より少しおくれて
ぼんやりした黄いろの巨きな鳥がやってきた
それはそこらのまだつめたい空間に
光るペッパーの点々をふりまき
またひとびとの粗暴なちからを盗みあつめて
ちゃうど太陽に熟した黄金の棘ができるころ
東の方へ飛んで行ったのだ
さうして
この歳はもうみんなには
仕事のなかに芸術を感じ得る
その力強さが喪はれてゐた
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一九二七、四、二四、
萱草芽をだすどてと坂
肥つけ馬がはねるはねる
青びいどろの天のなかへ
竜になってのぼらうとしてゐるのだらう
その肥一つ日にこぼれ
木綿角縞の袍を着た
歴山忠一押へる押へる押へる
  マグノリアの花と陽の淡彩
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一九二七、四、二五、
川が南の風に逆って流れてゐるので
そのいろも紋もあやしく踊ってゐる
  ……塩を食べ水をのみ
    塩を食べ水をのみ……
わづかな積雲が崩れて赭くなり
山地で少しの雨を降らせれば
その中でぼんやりかすむ早池峰の雪の稜
  ……そのときにもしも
    トラクターの
    一つの螺旋が落ちたなら
    清教徒たちがみんないっしょに祈るであらう……
楊みなめぐみ
野ばらの蔓一斉にゆすれるなかを
ぼろぼろの暗いカーテンが
次から次とその南から飛んでくる
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一九二七、四、二六、
いま青い雪菜に
うすい春の霜がおりたのであるか
それとも残りのつきしろのやさしい銀のモナドであるか
ひがしは黄ばらのわらひをけぶし
川からは
あたたかな梵天の呼吸が襲ってくる
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一九二七、四、二六、
風が吹いて
日が暮れかゝり
麦のうねがみな
うるんで見えること
石河原の大小の鍬
まっしろに発火しだした

また労れて死ぬる支那の苦力や
働いたために子を生み悩む農婦たち
また、、、、  の人たちが
みなうつゝとも夢ともわかぬなかに云ふ
おまへらは
わたくしの名を知らぬのか
わたしはエス
おまへらに
ふたゝび
あらはれることをば約したる
神のひとり子エスである
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一九二七、四、二八、
何もかもみんなしくじったのは
どれもこっちのてぬかりからだ
電燈が霧のなかにつきのこり
川で顔を洗ふ子と
橋の方では太くたつ町の黒けむり
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一九二七、四、二八、
あっちもこっちもこぶしのはなざかり
 角をも蹄をもけぶす日なかです
名誉村長わらってうなづき
やなぎもはやくめぐりだす
 はんの毬果の日に黒ければ
 正確なる時計は蓋し巨きく
 憎悪もて鍛へられたるその瞳は強し
     小さな三角の田を
     三本鍬で日なかに起すことが
     いったいいつまで続くであらうか
 氷片と光を含む風のなかに立ち
 老いし耕者もわらひしなれ
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一九二七、五、一、
生温い風が川下から吹いて
砂土が乾き草も乾く
ドラビダ風のかつぎして
紺紙の雲に踊るやうに耕し
また吐息して牛糞を盛り往来する
   カルマは旋り
   日は熟す
楊の芽みな黄いろにぼうけ
川は空諦と銀とを流し
生温い風が南から吹いて吹いて
植ゑたキャベヂが萎れて白くひるがへる
   梵の教衆の哂ひは遠く
   チーゼル
   ダイアデム
   緑いろした地しばりの蔓
風は白い砂を吹く吹く
もういくつの小さな砂丘が
畑のなかにできたことか
汗と戦慄
牛糞に集るものは
迦須弥から来た緑青いろの蠅である
   ヴェッサンタラ王婆羅門に王子を施したとき
   紺いろをした山の稜さへふるへたのだ
右へまはれ
左へまはれ
汗も酸えて風が吹く吹く
   もし摩尼の珠を得たらば
   まづすべての耕者と工作者から
   日に二時間の負ひ目を買はう
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一九二七、五、三、
あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
     羊歯の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう
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一九二七、五、三、
何と云はれても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである
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一九二七、五、三、
こぶしの咲き
きれぎれに雲のとぶ
この巨きななまこ山のはてに
紅い一つの擦り傷がある
それがわたくしも花壇をつくってゐる
花巻温泉の遊園地なのだ
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サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た蕈のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
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一九二七、五、七、
古びた水いろの薄明穹のなかに
巨きな鼠いろの葉牡丹ののびたつころに
パラスもきらきらひかり
町は二層の水のなか
 そこに二つのナスタンシヤ焔
 またアークライトの下を行く犬
  さうでございます
  このお児さんは
  植物界に於る魔術師になられるでありませう
月が出れば
たちまち木の枝の影と網
  そこに白い建物のゴシック風の幽霊

  肥料を商ふさびしい部落を通るとき
  その片屋根がみな貝殻に変装されて
  海りんごのにほひがいっぱいであった


むかしわたくしはこの学校のなかったとき
その森の下の神主の子で
大学を終へたばかりの友だちと
春のいまごろこゝをあるいて居りました
そのとき青い燐光の菓子でこしらへた雁は
西にかかって居りましたし
みちはくさぼといっしょにけむり
友だちのたばこのけむりもながれました
わたくしは遠い停車場の一れつのあかりをのぞみ
それが一つの巨きな建物のやうに見えますことから
その建物の舎監にならうと云ひました
そしてまもなくこの学校がたち
わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の
舎監に任命されました
恋人が雪の夜何べんも
黒いマントをかついで男のふうをして
わたくしをたづねてまゐりました
そしてもう何もかもすぎてしまったのです
  ごらんなさい
  遊園地の電燈が
  天にのぼって行くのです
  のぼれない灯が
  あすこでかなしく漂ふのです
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一九二七、五、九、
銀のモナドのちらばる虚空
すべて青らむ禁欲の天に立つ
聖く清浄な春の樹の列
   みみづくの頭のかたちした鳥ヶ森の雪なかばとけ
   小くやさしい貴女たちのゆゑに
   雪やなぎひかれば
   すももの花のしたで
   黒衣の童子にまかれる燐酸もひかる

雪と青い天とつらなる尾根が
胆礬でもって染められたのだ
   こっちは田を鋤く馬と白いシャツ
芽をださぬ栗の木の天蓋に
無数におりるガラスの小鳥

尾根いよよ青く惑む
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一九二七、五、九、
芽をだしたために
大へん白っぽく甘酸っぱくなった山である
 このわづかな休息の時間に
 上層の風と交通するための第一の条件は
 そんな肥った空気のふぐや
 あはれなレデーを
 煙幕でもって退却させることである
   ……川なめらかにくすんでながれ……
 実に見給へ 傾斜地にできた
 すばらしい杉の方陣である
 諸君よ五月になると
 林のなかのあらゆる木
 あらゆるその藪のなかのいちいちの枝
 みなことごとくやはらかな芽をひろげるのである
     川にぶくひかってながれ
退職の警察署長のむすめが
水いろの上着を着て
電車にのって小学校に出勤しながら
まちの古いブルジョア出身の技術者を
少しの厭悪で見てゐたのである
 こゝはひどい日蔭だ
 ぎざぎざの松倉山の下のその日蔭である
 あんまり永くとまってゐたくない
 けれどもいったい
 これを岩頸だなんて誰が云ふのか
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一九二七、五、九、
苹果のえだを兎に食はれました
桜んぼの方は食ひませんで
桃もやっぱり食はれました
  そらそら
  その食はれた苹果の樹の幽霊が
  その谷にたっていっぱい花をつけてゐるでないか
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一九二七、五、九、
ひはいろの笹で埋めた嶺線に
ぼしゃぼしゃならんだ青ぞらの小松である
その谷がみな蔭になり
その六方石谷みな蔭になり
お辰のうちのすももの花がいっぱいにそこにうかんでゐる
一尺角の木の格子で組みあげた
実に頑丈な木小屋である
    下の温泉宿の看板娘は嫁に行き
    おとなもこどももあかんぼも
    みんないっぱい灼いたりんごを食ったのである
そのときお辰は
黒い絹に赤い縞のはひった
エヂプト風の雪ばかまをはいて
お嫁さんに随いて行ったのである
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一九二七、五、九、
墓地をすっかり square にして
古くからの馬頭観音はとりのけたし
枝垂れの巨きな桜はきれいに伐ってしまった
その崖下を昔からのけはしい山川が
春は春らしくながれてゐる

小林区が行ってしまってから
苗圃は荒れた粟畑になり
腐植も減ってあちこち茶いろにぶちてしまった
針金製のインクラインが
鼠いろの凝灰岩を吊して
つぎつぎ川からのぼってくる

    日あたりの荒い岩かどを
    巡礼のこゝろもちで
    つゝましく
    西の温泉から帰ってくる
    百姓の家族たち
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一九二七、五、九、
これらは素樸なアイヌ風の木柵であります
えゝ
家の前の桑の木を
Yの字に仕立てて見たのでありますが
それでも家計は立たなかったのです
四月は
苗代の水が黒くて
くらい空気の小さな渦が
毎日つぶつぶそらから降って
そこを烏が
があがあ啼いて通ったのであります
どういふものでございませうか
斯ういふ角だった石ころだらけの
いっぱいにすぎなやよもぎの生えてしまった畑を
子供を生みながらまた前の子供のぼろ着物を綴り合せながら
また炊爨と村の義理首尾とをしながら
一家のあらゆる不満や慾望を負ひながら
わづかに粗渋な食と年中六時間の睡りをとりながら
これらの黒いかつぎした女の人たちが耕すのであります
この人たちはまた
ちゃうど二円代の肥料のかはりに
あんな笹山を一反歩ほど切りひらくのであります
そして
ここでは蕎麦が二斗まいて四斗とれます
この人たちはいったい
牢獄につながれたたくさんの革命家や
不遇に了へた多くの芸術家
これら近代的な英雄たちに
果して比肩し得ぬものでございませうか
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一九二七、五、一二、
  失せたと思ったアンテリナムが
  みんな立派に育ってゐた
キンキン光る青繻子のそら
  あすこの花壇を
  それでぎらぎらさせられるのだ
風の向ふの崖の方で
わづかな蝉の声がする
いったいわたくしは
いつ蜂雀に夏を約束したのか
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一九二七、五、一二、
さっきは陽が
草地から来たのに
こんどはひかる雲の裂け目から来ようとする

今年もすっかり
手がひゞ入ってしまった
   みだれた雲と
   たくさんの羽虫
風は吹くけれども山鳩はなくのである
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一九二七、五、一二、
今日こそわたくしは
どんなにしてあの光る青いあぶどもが風のなかから迷って
わたくしのガラスの室の中にはひって
わたくしの留守中室の中をはねあるくか
すっかり見届けたつもりである
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一九二七、五、一三、
そんなに無事が苦しいなら
あの死刑の残りの一族を
おまへのうちへ乗り込ませよう
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一九二七、五、一四、
エレキの雲がばしゃばしゃ飛んで
一本の杉の枯れた心が
避雷針とでもいふやうに
二露里に亙る林のなかに立ってゐる
  こんもりと新芽をふいた白樺の下に
  一つの古いそりが置きすてられる

    ……岩手山麓地方の
      ブッシュタイプに就て研究せよ……
    Nymph, Nymphaus, Nymphaea
羊歯の花を借りてきて
いっぱいにつけた古い楢の木ででもあるか

雲は黒い尾を曳いて
しづかにまはりをかけちがふ
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一九二七、五、一五、
すがれのち萱を
ぎらぎらに
青ぞらに射る日
    川は銀の
    川は銀の
  恋人のところからひとりつゝましく村の学校に帰って
  彼女は食品化学を勉強してゐるのである
一点つめたくわたくしの額をうつものは
青ぞらから来たアルコール製の雨であるか
竜が持ってきた薄荷油の滴であるか
青い蠅が一疋
   思想の隅角部を過ぎる
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一九二七、五、一九、
今日ちゃうど二時半ころだ
高木から更木へ通る郡道の
まっ青な麦の間を
馬がまづ円筒形に氷凍された
直径四十糎の水銀を
二っつつけて南へ行った
それから八分半ほど経って
同じものを六本車につけて
人が二人で運んで行った

いやあの古い西岩手火山の
いちばん小さな弟にあたるやつが
次の噴火を弗素でやらうと
いろいろ仕度をしてゐるさうだ
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一九二七、六、一、
わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
  すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
[#改ページ]

一九二七、六、一、
黒く淫らな雨雲ニムブス
  ……もし翻訳者兼バリトン歌手
    清水金太郎氏の口吻をかりて云はば……
わたくしはこの峠の上のうすびかりする※(「景+頁」、第3水準1-94-5)気から
またこゝを通るかをりあるつめたい風から
また山谷の凄まじい青い刻鏤から
わたくしの暗い情炎を洗はうとして
今日の旅程のわづかな絶間を
分水嶺のこの頂点に登って来たのであるが
全体 黒いニムブスよ
  ……翻訳家兼バリトン歌手
    清水金太郎氏の口吻をかりて云はばだ……
おまへは却ってわたくしを
地球の青いもりあがりに対して
一層強い慾情を約束し
風の城に誘惑しようとする
けだしそのまがりくねった白樺の枝に
つぐみが黒い木の実をくはへて飛んできて
わたくしを見てあわてて遁げて行ったこと
平たく黒い気層のなまこ
五葉山の鞍部に於て
おまへがいろいろのみだらなひかりとかたちとで
あらゆる変幻と出没とを示すこと
おまへの影が巨きな網をつくって
一様にひはいろなるべき山地を覆ひ
わたくしの眼路から
ほとんどそれらの彫刻を迷はせること
これらを綜合して見るに
あやしくやはらかなニムブスよ
  ……いゝかな
    翻訳家兼バリトン歌手の
    清水金太郎氏に従へばだぞ……
最後にそれらの凄まじい明暗で
もう全天を被ふべく
且つはそこからセロの音する液体をそゝぐべく
    ……白極海のラルゴに手をのばす……
みだらな触手をわたくしにのばし
のばらとつかず胸ときめかすあやしい香気を風に送って
湖とも雲ともわかぬしろびかりの平原を東に湛へ
たうとうまっくろな尾をひるがへし
    ……一点なまめくその下の日かげ……
わたくしをとらうと迫るのであるか
[#改ページ]

一九二七、六、一、
鉱石もぬれシグナルもぬれ
工の字ついた帽子もぬれれば
山の青葉も坑夫のこどもの
黒いかうもり傘もぬれる

五葉山雲の往きかひ
またなかぞらに雲の往きかひ
あわたゞしく仕舞はれる古い宿屋の鯉のぼり

峠の上のでんしんばしらもけはしい雲にひとり立ち
その雲と桐ばたけの雨のなかから
ぬれた二疋の裸のサラーブレッドがあらはれる
その耳もたちその尾もゆらげば
銅像にもなる立派なサラーブレッドである
雨をうちまた空気をうって
一人のこどもがこぶしをかため
馬をおどしてはしらせる
馬は互にたはむれて
雲の尾行き交ふ山の尾根
シグナルもぬれ家もぬれ
[#改ページ]

一九二七、六、一二、
青ぞらのはてのはて
水素さへあまりに稀薄な気圏の上に
「わたくしは世界一切である
世界は移ろふ青い夢の影である」
などこのやうなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群が棲む
[#改ページ]

一九二七、六、一三、
わたくしは今日死ぬのであるか
東にうかんだ黒と白との積雲製の冠を
わたくしはとっていゝのであるか
[#改ページ]

一九二七、六、一三、
罪はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく
河谷のそらにねむってゐる

せめてもせめても
この身熱に
今年の青い槍の葉よ活着
この湿気から
雨ようまれて
ひでりのつちをうるおほせ
[#改ページ]

一九二七、六、三〇、
その青じろいそらのしたを
金のあるやつらはみんなそなへが厳しいし
どこに工面に行かうにもみちがない
 ……ぬるんだ風ともひとつなにか音の渦巻……
このゑん樹の木だ
甘いかをりといっぱいの蜂
そのコロイダーレな影のなかを
月光いろの花がしづかに降る
遠くでは規則正しく鼻を鳴らす馬
[#改ページ]

一九二七、六、三〇、
金策も尽きはてたいまごろ
まばゆい巻層雲に
銀いろに立ち消えて行くまちのけむり
[#改ページ]

一九二七、七、一、
わたくしが
ちゃうどあなたのいまの椅子に居て
あなたがわたくしを訪ねて来られましたとき
     ……アカシヤの枝ゆらゆらゆれる……
わたくしの云ひましたこと表情しましたことが
もしかあなたを傷つけはしませんでしたでせうか
     ……崩れて光る夏の雲……
それは今日わたくしが疲れやつれて
あなたをたづねて来たのでありますが
あああなたのことばやおももちは
いま数倍の強さになって
     ……風も燃え……
わたくしの胸を刺すのであります
     ……風も燃え
       禾草も燃える……
[#改ページ]

一九二七、七、七、
栗の木花さき
稲田いちめん青く平らな
イーハトーヴの七月である
    洞のやうな眼して
    風を見つめるもの……
はんのきと萱の群落
さはやかによしは刈られて
今年も燃えるアイリスの花
またわづかにひかる あざみの花
幾重の山なみに雲たゝなびき
月見草の花弁萎む
    そのひとみのいろ灰いろにしてつゝましく
    短く刈られて赤いひげと
    風にやつれたおももちは
    更に二聯の
    精神作用を伴へば
    聖者の像ともなる顔である
飯岡山の肩ひらけ
そこから青じろい西の天うかび立つ
[#改ページ]

一九二七、七、一〇、
沼のしづかな日照り雨のなかで
青い蘆がおまへを傷つけ
かきつばたの火がゆらゆら燃える

雨が、雲が、水が、林が
おまへたちでまたわたくしなのであるから
われわれはいったいどうすればいゝのであらう

けりが滑れば
黄金の芒
[#改ページ]

一九二七、七、一〇、
あすこの田はねえ
あの品種では少し窒素が多過ぎるから
もうきっぱりと水を切ってね
三番除草はやめるんだ
    ……車をおしながら
      遠くからわたくしを見て
      走って汗をふいてゐる……
それからもしもこの天候が
これから五日続いたら、
あの枝垂れ葉をねえ、
斯ういふふうな枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
    ……汗を拭く
      青田のなかでせはしく額の汗を拭くそのこども……
それから いゝかい
今月末にあの稲が君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
    ……泣いてゐるのか
      泪を拭いてゐるのだな……
    ……冬わたくしの講習に来たときは
      一年はたらいたあととは云へ
      まだかゞやかな頬 苹果のわらひをもってゐた
      今日はもう悼ましく汗と日に焼け
      幾日の養蚕の夜にやつれてゐる……
君が自分で設計した
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
植ゑかたも育ち工合もほんたうにいゝ
硫安だってきみがじぶんで播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配がない
反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら 商売の先生から
きまった時間で習ふことではないんだよ
きみのやうにさ
吹雪やわづかな仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
あたらしい芽をぐんぐん噴いて
どこまで延びるかわからない
それがあたらしい時代の百姓全体の学問なんだ
ぢゃ さやうなら
    雲からも風からも
    透明なエネルギーが
    そのこどもにそゝぎくだれ
[#改ページ]

一九二七、七、一四、
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹く
七日に亙る強い雨から
徒長に過ぎた稲を波立て
葉ごとの暗い露を落して
和風は河谷いっぱいに吹く
この七月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
異常な気温の高さと霧と
多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた
その茎はみな弱く軟らかく
小暑のなかに枝垂れ葉を出し
明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ
あちこちに稲熱の斑点もつくり
ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした

今朝黄金のばら東もひらけ
雲は騰って青ぞらもでき
澱んだ霧もはるかに翔ける
森で埋めた地平線から
たくさんの古い火山のはいきょから
風はいちめん稲田をゆすり
汗にまみれたシャツも乾けば
こどもの百姓の熱した額やまぶたを冷やす
 あゝさはやかな蒸散と
 透明な汁液サップの転移
 燐酸ホス硅酸シリカの吸収に
 細胞膜の堅い結束
乾かされ堅められた葉と茎は
冷での強い風にならされ
oryza sativa よ稲とも見えぬまで
こゝをキルギス曠原と見せるまで
和風は河谷いっぱいに吹く
[#改ページ]

一九二七、七、二四、
ひとはすでに二千年から
地面を平らにすることと
そこを一様夏には青く
秋には黄いろにすることを
努力しつゞけて来たのであるが
何故いまだにわれらの土が
おのづからなる紺の地平と
華果とをもたらさぬのであらう
向ふに青緑ことに沈んで暗いのは
染汚の象形雲影であり
高下のしるし窒素の量の過大である
[#改ページ]

一九二七、七、二四、
午はつかれて塚にねむれば
積乱雲一つひかって翔けるころ
七庚申の碑はつめたくて
  (田の草取に何故唄はれぬのか
   草刈になぜうたはぬか
   またあの崖の灰いろの小屋
   籾磨になぜうたはないのか)
北の和風は松に鳴り
稲の青い鎗ほのかに旋り
きむぽうげみな
青緑或は
ヘンルーダカーミンの金米糖を示す
  (峡流の水のやうに
   十一月の風のやうに
   絶えず爽かに疲れぬ巨身を得るために)
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一九二七、八、一六、
西暦一千九百二十七年に於る
当イーハトーボ地方の夏は
この世紀に入ってから曾つて見ないほどの
恐ろしい石竹いろと湿潤さとを示しました
為に当地方での主作物 oryza sativa
稲、あの青い槍の穂は
常年に比し既に四割も徒長を来し
そのあるものは既に倒れてまた起きず
あるものは花なく白き空穂を得ました
またかの六角シェバリエー、
芒うつくしい Horadium 大麦の類の穂は
畑地のなかで或は脱落或は穂のまゝ発芽を来し
そのとりいれはげにも心せはしくあわたゞしいかぎりでありました
これらのすき間を埋めるために
諸氏は同じく湿潤にして高温な
気層のなかから、
四百の異るラムプの種類、
Dahlia variaviris の花を集めて
この色淡い凝灰岩の建物の
石英燈の照明と浸液アルコールのかをりの中
窓よりは遥かに熱帯風の赤い門火の列をのぞみ
白いリネンで覆はれた卓につらねて
その花の品位を
われら公衆の投票に問はれました
すでに得点は数へられ
その品等は定められたのであります故に
いまわたくしの嗜好をはなれ
これらの花が何故然く大なる点を得たのであるか
その原因を考へまする
第百一号これはまことに一位を得たのでありますが
かつその形はありふれたデコラチーブでありますが
更に子細にその色を看よ
そは何色と名づけるべきか
赤、黄、白、黒、紫、褐のあらゆるものをとかしつつ
ひとり黎明のごとくゆるやかにかなしく思索する
この花にもしそが望む大なる爆発を許すとすれば
或いは新たな巨きな科学のしばらく許す水銀いろか
或いは新たな巨大な信仰のその未知な情熱の色か
容易に予期を許さぬのであります
まことにこの花に対する投票者を検しましても
真摯なる労農党の委員諸氏
法科並びに宗教大学の学生諸君から
クリスチャンT氏農学校長N氏を連ねて
云はば一千九百二十年代の
新たに来るべき世界に対する
希望の象徴としてこの花を見たのであります
これに次では第百四十
これは何たるつゝましく
やさしい支那の歌妓であらう
それは焦るゝ葡萄紅なる情熱を
各カクタスの弁の基部にひそめて
よぢれた花の尖端は
伝統による奇怪な歌詞を叙べるのであります
更にその雪白にして尖端に至って寧ろ見えざる水色を示すものは
その情熱の清い昇華を示すものであります
もしこの町が
未だに近代文明によって而く混乱せられざる
遠野或いはヤルカンドであらば
恐らくこの花が一位の投票を得たでありませう
更に深赤第三百五、
この花こそはかの窓の外
今宵門並に燃す熱帯インダス地方
たえず動ける赤い火輪を示します

最後に一言重ねますれば
今日の投票を得たる花には
一も完成されたるものがないのであります
完成されざるがまゝにそは次次に分解し
すでに今夕は花もその弁の尖端を酸素に冒され
茲数日のうちには消えると思はれますが
すでに今日まで第四次限のなかに
可成な軌跡を刻み来ったものであります
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一九二七、八、二〇、
……ぢしばりの蔓……
もう働くな
働くことが却って卑怯なときもある
夜明けの雷雨が
おれの教へた稲をあちこち倒したために
こんなにめちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらさうとしてゐるのだ
……あゝけれども またあたらしく
  西には黒い死の群像が浮きあがる
  春には春には
  それは明るい恋愛自身だったでないか……
さあ
帰ってすっかりぬれる支度をし
切できちっと頭を縛って出て
青ざめて
こはばったたくさんの顔に
一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげましてあるけ
穫れない分は弁償すると答へてあるけ
死んでとれる保険金をその人たちにぶっつけてあるけ
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一九二七、八、二〇、
倒れた稲を追ひかけて
これからもまだ降るといふのか
一冬鉄道工夫に出たり
身を切るやうな利金を借りて
やうやく肥料こえもした稲を
まだくしゃくしゃに潰さなければならぬのか
電気会社が
ひなかも点すこのそらのいろ
田ごとにしめも張り亙し
かながらの幣さへたてて
稔りある秋を待つのに
無心に暗い雨ぐもよ
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一九二七、八、二〇、
二時がこんなにくらいのは
時計の中までぬれたのか
本街道をはなれてからは
みちは倒れた稲の中だの
陰気なひばや杉の影だの
まがってまがってここまで来たが
里程にしてはまだそんなにもあるいてゐない
そしていったいおれの訪ねて行くさきは
地べたについた北のけはしい雨雲だ
またいなびかり
まるでぎらっとそこらを嘗めて行きやがる
本物がまだ鳴り出さないで
あっちもこっちも
気ちがひみたいにごろごろまはるから水車、
  ……東は楊……
たうとうぶちまけやがる雷め
路が野原や田圃のなかへ
幾本にも斯う岐れてしまった上は
もうどうしてもこの家で訊くより仕方ない
何といふ陰気な細い入口だらう
ひばだの桑だの倒れかかったすゝきだの
おまけにそれがどしゃどしゃぬれて
まるであらゆる人を恐れて棲んでるやうだ
雨のしろびかりのなかの
小さな萱の家のなかに
小さな萱家の座敷のなかに
子供をだいて女がひとりねそべってゐる
    そのだらしない乳房やうちは
    蠅と暗さと、
    女は何か面倒さうに向ふを向く
  病院のレントゲンに出てゐた高橋君の……
    おれはほとんど上の空で訊いてゐる
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何をやっても間に合はない
世界ぜんたい間に合はない
その親愛な仲間のひとり
    また稲びかり
雑誌を読んで兎を飼って
その兎の眼が赤くうるんで
草もたべれば小鳥みたいに啼きもする
    何といふ北の暗さだ
    また一ぺんに叩くのだらう
さうしてそれも間に合はない
貧しい小屋の軒下に
自分で作った巣箱に入れて
兎が十もならんでゐた
外套のかたちした
オリーブいろの縮のシャツに
長靴をはき
頬のあかるいその青年が
裏の方から走って来て
はげしい雨にぬれながら
わたくしの訪ねる家を教へた
わたくしが訪ねるその人と
縮れた髪も眼も物云ひもそっくりな
その人が
わたくしを知ってるやうにわらひながら
詳しくみちを教へてくれた
ああ家の中は暗くて藁を打つ気持にもなれず
雨のなかを表に出れば兎はなかず
所在ない所在ないそのひとよ
きっとわたくしの訪ねる者が
笑っていふにちがひない
「あゝ 従兄いとこすか。
さっぱり仕事稼がなぃで
のらくらもので。」
世界ぜんたい何をやっても間に合はない
その親愛な近代文明と新な文化の過渡期のひとよ
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一九二七、九、一六、
わたくしは今日隣村の岩崎へ
杉山式の稲作法の秋の結果を見に行くために
ここを通ったものですが
今日の小さなこの旅が
何といふ明るさをわたくしに与へたことであらう
雲が蛇籠のかたちになってけはしくひかって
いまにも降り出しさうな朝のけはひではありましたが
平和街道のはんの並木は
みんなきれいな青いつたで飾られ
ぼんやり白い霧の中から立ってゐた
しかも鉄道が通ったためか
みちは両側草と露とで埋められ
残った分は野みちのやうにもう美しくうねってゐる

この会がどこからどういふ動機でうまれ
それらのびらが誰から書かれ
誰にあちこち張られたか
それはわたくしにはわかりませんが
もうわれわれはわれらの世界の
一つのひゞを食ひとめたのだ
この三年にわたる烈しい旱害で
われわれのつゝみはみんな水が涸れ
どてやくろにはみんな巨きな裂罅がはひった
われわれは冬に粘土でそれを埋めた
時にはほとんどからだを没するくらゐまで
くろねを掘ってそこに粘土を叩いてつめた
それらの田には水もたまって田植も早く
俄かに変ったこの影多く雨多い七月以後にも
稲は稲熱に冒されなかった
諸君よ古くさい比喩をしたのをしばらく許せ
酒は一つのひびである
どんなに新らしい技術や政策が
豊かな雨や灌漑水を持ち来さうと
ひびある田にはつめたい水を
毎日せはしくかけねばならぬ
諸君は東の軽便鉄道沿線や
西の電車の通った地方では
これらの運輸の便宜によって
殆んど無価値の林や森が
俄かに多くの収入を挙げたので
そこには南からまで多くの酒がはひって
いまでは却って前より乏しく
多くの借金ができてることを知るだらう
しかも諸君よもう新らしい時代は
酒を呑まなければ人中でものを云へないやうな
そんな卑怯な人間などは
もう一ぴきも用はない
酒を呑まなければ相談がまとまらないやうな
そんな愚劣な相談ならば
もうはじめからしないがいゝ
われわれは生きてぴんぴんした魂と魂
そのかゞやいた眼と眼を見合せ
たがひに争ひまた笑ふのだ
じつにいまわれわれの前には
新らしい世界がひらけてゐる
一つができればそれが土台で次ができる
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「詩ノート」付録

〔断章一〕


この四ヶ年が
    わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
    鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふが
    わたくしはこの仕事で
    疲れをおぼえたことはない


〔断章二〕


  (彼等はみんなわれらを去った。
   彼等にはよい遺伝と育ち
   あらゆる設備と休養と
   茲には汗と吹雪のひまの
   歪んだ時間と粗野な手引があるだけだ
   彼等は百の速力をもち
   われらは十の力を有たぬ
   何がわれらをこの暗みから救ふのか
   あらゆる労れと悩みを燃やせ
   すべてのねがひの形を変へよ)


〔断章三〕


新らしい風のやうに爽やかな星雲のやうに
透明に愉快な明日は来る
諸君よ紺いろした北上山地のある稜は
速かにその形を変じよう
野原の草は俄かに丈を倍加しよう
あらたな樹木や花の群落が
   、
   、
   、
   、
   、


〔断章四〕


 諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はその中に没することを欲するか
 じつに諸君はその地平線に於る
 あらゆる形の山岳でなければならぬ


〔断章五〕


サキノハカ、、、
             来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である、
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ


〔断章六〕


新らしい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

新らしい時代のダーウ※[#小書き片仮名ヰ、302-13]ンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲に高めよ

素質ある諸君はたゞにこれらを刻み出すべきである
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも百人の天才がなければならぬ


〔断章七〕


新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか


〔断章八〕


今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性はたゞ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ、

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを云ってゐるひまがあるのか
さあわれわれは一つになって〔以下空白〕
底本:「宮沢賢治集全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年4月24日第1刷発行
   2005(平成17)年7月15日第12刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「一〇五八」の「鳥ヶ森」以外は大振りにつくっています。
※日付の区切りと、文字や行の省略を示す際に使われている読点は、底本では中央に置かれています。
※再現の困難な組版情報の一部を、省略しました。
※底本の組版には、折り返しがないために、行末が確定できませんが、各項の日付は、地付きとして処理しました。
入力:伊藤雄介
校正:米田
2012年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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