自信の無さ

 本紙(朝日新聞)の文藝時評で、長與先生が、私の下手な作品を例に擧げて、現代新人の通性を指摘して居られました。他の新人諸君に對して、責任を感じましたので、一言申し開きを致します。古來一流の作家のものは作因が判然はつきりしてゐて、その實感が強く、從つてそこに或る動かし難い自信を持つてゐる。その反對に今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついてゐる、といふお言葉は、まさに頂門の一針にて、的確なものと思ひました。自信を、持ちたいと思ひます。
 けれども私たちは、自信を持つことが出來ません。どうしたのでせう。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りません。ひそかに讀書もしてゐる筈であります。けれども、努力と共に、いよいよ自信がなくなります。
 私たちは、その原因をあれこれと指摘し、罪を社會に轉嫁するやうな事も致しません。私たちは、この世紀の姿を、この世紀のままで素直に肯定したいのであります。みんな卑屈であります。みんな日和見主義であります。みんな「臆病な苦勞」をしてゐます。けれども、私たちは、それを決定的な汚點だとは、ちつとも思ひません。
 いまは、大過渡期だと思ひます。私たちは、當分、自信の無さから、のがれる事は出來ません。誰の顏を見ても、みんな卑屈です。私たちは、この「自信の無さ」を大事にしたいと思ひます。卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念してゐます。
底本:「太宰治全集11」筑摩書房
   1999(平成11)年3月25日初版第1刷発行
初出:「東京朝日新聞 第一九四五七号」
   1940(昭和15)年6月2日発行
入力:小林繁雄
校正:阿部哲也
2011年10月12日作成
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