くだものの畑の丘のいただきに、ひまはりぐらゐせいの高い、黄色なダァリヤの花が二本と、まだたけ高く、赤い大きな花をつけた一本のダァリヤの花がありました。
 この赤いダァリヤは花の女王にならうと思ってゐました。
 風が南からあばれて来て、木にも花にも大きな雨のつぶをたたきつけ、丘の小さなくりの木からさへ、青いいがや小枝をむしってけたたましく笑って行く中で、この立派な三木のダァリヤの花は、しづかにからだをゆすりながら、かへっていつもよりかゞやいて見えてりました。
 それから今度は北風又三郎が、今年はじめて笛のやうに青ぞらを叫んで過ぎた時、丘のふもとのやまならしの木はせはしくひらめき、果物くだもの畑のなしの実は落ちましたが、のたけ高い三本のダァリヤは、ほんのわづか、きらびやかなわらひを揚げただけでした。

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 黄色な方の一本が、こゝろを南の青白い天末に投げながら、ひとりごとのやうにったのでした。
「お日さまは、今日はコバルト硝子ガラスの光のこなを、すこうしよけいにおきなさるやうですわ。」
 しみじみと友達の方を見ながら、もう一本の黄色なダァリヤが云ひました。
「あなたは今日はいつもより、少し青ざめて見えるのよ。きっとあたしもさうだわ。」
「えゝ、さうよ。そしてまあ」赤いダァリヤに云ひました「あなたの今日のお立派なこと。あたしなんだかあなたが急に燃え出してしまふやうな気がするわ。」
 赤いダァリヤの花は、青ぞらをながめて、日にかがやいて、かすかに笑って答へました。
「こればっかしぢゃ仕方ないわ。あたしの光でそこらが赤く燃えるやうにならないくらゐなら、まるでつまらないのよ。あたしもうほんたうに苛々いらいらしてしまふわ。」
 やがて太陽は落ち、黄水晶シトリン薄明穹はくめいきゅうも沈み、星が光りそめ、空は青黝あをぐろふちになりました。
「ピートリリ、ピートリリ。」と鳴いて、その星あかりの下を、まなづるの黒い影がかけて行きました。
「まなづるさん。あたしずゐぶんきれいでせう。」赤いダァリヤが云ひました。
「あゝきれいだよ。赤くってねえ。」
 鳥は向ふの沼の方のくらやみに消えながらそこにつゝましく白く咲いてゐた一本の白いダァリヤに声ひくく叫びました。
「今ばんは。」
 白いダァリヤはつゝましくわらってゐました。

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 山山にパラフ※[#小書き片仮名ヰ、243-15]ンの雲が白くよどみ、夜が明けました。黄色なダァリヤはびっくりして、叫びました。
「まあ、あなたの美しくなったこと。あなたのまはりは桃色の後光よ。」
「ほんたうよ。あなたのまはりはにじから赤い光だけ集めて来たやうよ。」
「あら、さう。だってやっぱりつまらないわ。あたしあたしの光でそらを赤くしようと思ってゐるのよ。お日さまが、いつもより金粉をいくらかよけいにいていらっしゃるのよ。」
 黄色な花は、どちらもだまって口をつぐみました。
 その黄金きんいろのまひるについで、藍晶石らんしゃうせきのさはやかな夜が参りました。
 いちめんのきら星の下を、もじゃもじゃのまなづるがあわたゞしく飛んで過ぎました。
「まなづるさん。あたしかなり光ってゐない?」
「ずゐぶん光ってゐますね。」
 まなづるは、向ふのほのじろい霧の中に落ちて行きながらまた声ひくく白いダァリヤへ声をかけて行きました。
「今晩は。ご機嫌きげんはいかゞですか。」

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 星はめぐり、金星の終りの歌で、そらはすっかり銀色になり、夜があけました。日光は今朝はかゞやく琥珀こはくの波です。
「まあ、あなたの美しいこと。後光は昨日の五倍も大きくなってるわ。」
「ほんたうに眼もさめるやうなのよ。あのなしの木まであなたの光が行ってますわ。」
「えゝ、それはさうよ。だってつまらないわ。たれもまだあたしを女王さまだとは云はないんだから。」
 そこで黄色なダァリヤは、さびしく顔を見合せて、それから西の群青ぐんじゃうの山脈にその大きなひとみを投げました。
 かんばしくきらびやかな、秋の一日は暮れ、露は落ち星はめぐり、そしてあのまなづるが、三つの花の上の空をだまって飛んで過ぎました。
「まなづるさん。あたし今夜どう見えて?」
「さあ、大したもんですね。けれどももう大分くらいからな。」
 まなづるはそして向ふの沼の岸を通ってあの白いダァリヤに云ひました。
「今晩は、いゝお晩ですね。」

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 夜があけかゝり、その桔梗ききゃう色の薄明の中で、黄色なダァリヤは、赤い花を一寸ちょっと見ましたが、急に何かこはさうに顔を見合せてしまって、一ことも物を云ひませんでした。赤いダァリヤが叫びました。
「ほんたうにいらいらするってないわ。今朝はあたしはどんなに見えてゐるの。」
 一つの黄色のダァリヤが、おづおづしながら云ひました。
「きっとまっ赤なんでせうね。だけどあたしらには前のやうに赤く見えないわ。」
「どう見えるの。云って下さい。どう見えるの。」
 も一つの黄色なダァリヤが、もぢもぢしながら云ひました。
「あたしたちにだけさう見えるのよ。ね。気にかけないで下さいね。あたしたちには何だかあなたに黒いぶちぶちができたやうに見えますわ。」
「あらっ。よして下さいよ。縁起でもないわ。」
 太陽は一日かゞやきましたので、丘の苹果りんごの半分はつやつや赤くなりました。
 そして薄明が降り、黄昏くわうこんがこめ、それから夜が来ました。
 まなづるが
「ピートリリ、ピートリリ。」と鳴いてそらを通りました。
「まなづるさん。今晩は、あたし見える?」
「さやう。むづかしいですね。」
 まなづるはあわたゞしく沼の方へ飛んで行きながら白いダァリヤに云ひました。
「今晩は少しあたたかですね。」

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 夜があけはじめました。その青白い苹果のにほひのするうすあかりの中で、赤いダァリヤが云ひました。
「ね、あたし、今日はどんなに見えて。早く云って下さいな。」
 黄色なダァリヤは、いくら赤い花を見ようとしても、ふらふらしたうすぐろいものがあるだけでした。
「まだ夜があけないからわかりませんわ。」
 赤いダァリヤはまるで泣きさうになりました。
「ほんたうを云って下さい。ほんたうを云って下さい。あなたがた私にかくしてゐるんでせう。黒いの。黒いの。」
「えゝ、黒いやうよ。だけどほんたうはよく見えませんわ。」
「あらっ。何だってあたし赤に黒のぶちなんていやだわ。」
 そのとき顔の黄いろにとがったせいの低い変な三角の帽子をかぶった人がポケットに手を入れてやつて来ました。そしてダァリヤの花を見て叫びました。
「あっこれだ。これがおれたちの親方の紋だ。」
 そしてポキリと枝を折りました。赤いダァリヤはぐったりとなってその手のなかに入って行きました。
「どこへいらっしゃるのよ。どこへいらっしゃるのよ。あたしにつかまって下さいな。どこへいらっしゃるのよ。」二つのダァリヤも、たまらずしくりあげながら叫びました。
 遠くからかすかに赤いダァリヤの声がしました。
 その声もはるかにはるかに遠くなり、今は丘のふもとのやまならしのこずゑのさやぎにまぎれました。そして黄色なダァリヤの涙の中でギラギラの太陽はのぼりました。

底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年11月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年12月20日初版第5刷発行
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
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