或る農学生の日誌

     序

ぼくはのう学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌にっし公開こうかいする。どうせぼくは字も文章ぶんしょう下手へただ。ぼくと同じように本気に仕事しごとにかかった人でなかったらこんなものじついや面白おもしろくもないものにちがいない。いまぼくが読みかえしてみてさえ実に意気地いくじなく野蛮やばんなような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方しかたない。ぼくらは空想くうそうでならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂いわゆる田舎臭いなかくさいものにかわってしまう。
ぼくはひがんでうのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくをけいべつする人がきっと沢山たくさんあるだろう。そんなやつをぼくはたたきつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければねたむことしかできないやつらはいちばん卑怯ひきょうなものだと思う。ぼくのようにはたらいている仲間なかまよ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界せかいからくしてしまおうでないか。


一九二五、四月一日 火曜日 晴
今日から新らしい一学期がっきだ。けれども学校へ行っても何だか張合はりあいがなかった。一年生はまだはいらないし三年生はない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶あいさつってそっと横眼よこめ威張いばっている卑怯ひきょう上級生じょうきゅうせいが居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけたひく天井裏てんじょううらくなったような気もするけれどもまた支柱しちゅうをみんなってしまったさくらの木のような気もする。今日の実習じっしゅうにはそれをやった。去年きょねんの九月古い競馬場けいばじょうのまわりから掘って来てえておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さながでるころなのに西風はまだまだくからみきがてこになってそれを切るのだ。けれども菊池きくち先生はみんならせた。花がくのに支柱があっては見っともないとうのだけれども桜が咲くにはまだ一月もそのもある。菊池先生は春になったのでただ面白おもしろくてあれを取ったのだとおもう。
その古いなわだの冬の間のごみだの運動場うんどうじょうすみあつめてやした。そこでほかの実習の組の人たちはうらやましがった。午前中その実習をして放課ほうかになった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后ごごはみんなでテニスコートをなおしたりした。


四月二日 水曜日 晴
今日は三年生は地質ちしつ土性どせいの実習だった。斉藤さいとう先生が先に立って女学校のうら洪積層こうせきそうだい泥岩でいがん露出ろしゅつを見てそれからだんだん土性を調しらべながら小船渡こぶなと北上きたかみきしへ行った。かわへ出ている広い泥岩の露出で奇体きたいなギザギザのあるくるみの化石かせきだの赤い高師小僧たかしこぞうだのたくさんひろった。それから川岸を下って朝日橋あさひばしわたって砂利じゃりになった広い河原かわらへ出てみんなで鉄鎚かなづちでいろいろな岩石の標本ひょうほんあつめた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立ってむこうの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時ごろうちへ帰った。
そしてばんまで垣根かきねって手伝てつだった。あしたはやすみだ。


四月三日 今日はいいけられて一日古いくわ根掘ねほりをしたので大へんつかれた。
四月四日、上田君うえだくん高橋君たかはしくんは今日も学校へ来なかった。上田君は師範しはん学校の試験しけんけたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜのう学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家でかせいでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年きょねん旱魃かんばつがいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀なんぎするだろう。それへくらべたらうちなんかは半分でもいくらでもれたのだからいい方だ。今年は肥料ひりょうだのすっかりぼくが考えてきっと去年のめ合せをける。実習じっしゅう苗代掘なわしろほりだった。去年の秋小さなりにしていた土をくずすだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量そくりょう園芸えんげいが来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれどもくならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身しゅうしんは農事試験場へ行った工藤くどうさんからゆずられてあるからのこりは九さつだけだ。
四月五日 日
南万丁目みなみまんちょうめ屋根換やねがえの手伝てつだ(ママ)にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼっていたら南の方に学校が長々とよこたわっているように見えた。ぼくは何だか今日は一日あの学校の生徒せいとでないような気がした。教科書は明日買う。


四月六日 月
今日は入学しきだった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦かたくるしそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんなあばれ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年はみんなぼくらのようになってまた新入生をわらう。そうかんがえると何だかへんな気がする。伊藤君いとうくんと行って本屋ほんやへ教科書を九さつだけとっておいてもらうようにたのんでおいた。


四月七日 火、朝父から金をもらって教科書を買った。
 そして今日から授業じゅぎょうだ。測量そくりょうはたしかに面白おもしろい。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田やはたけでほんとうの反別たんべつになっているところがないと武田たけだ先生がった。それだから仕事しごと予定よてい肥料ひりょうの入れようも見当がつかないのだ。ぼくはもう少しならったらうちの田をみんな一まいずつはかって帳面ちょうめんじておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年きょねん旱魃かんばつめ合せと、それから僕の授業料じゅぎょうりょうぐらいをってみせる。実習は今日も苗代掘なわしろほりだった。
四月八日 水、今日は実習じっしゅうはなくて学校の行進歌こうしんか練習れんしゅうをした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だかしつけられるようであの行進歌こうしんかはきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭がいたくなるような気がする。実習じっしゅうのほうがかえっていいくらいだ。学校からまとめて注文ちゅうもんするというのでぼく苹果りんごを二本と葡萄ぶどうを一本たのんでおいた。
四月九日〔以下空白〕


一千九百廿にじゅう五年五月五日 晴
まだ朝の風はつめたいけれども学校へ上り口の公園のさくらいた。けれどもぼくは桜の花はあんまりきでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だかかえるたまごのような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌などむのろのろしたようなむかしの人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったらぼくはもっと好きだったかも知れない。だれも桜が立派りっぱだなんてわなかったら僕はきっと大声でそのきれいさをさけんだかも知れない。僕はかえってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕陽ゆうひになんからされたらいくら立派だか知れない。
今日の実習は陸稲播おかぼまきで面白おもしろかった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくはくいりて来て定規じょうぎをあてて播いた。種子しゅし間隔かんかくを正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまにを出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりのが三つ四つある。実習している間になんべんもりたのだ。けれどもびあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。


一千九百二十五年五月六日
今日学校で武田たけだ先生から三年生の修学旅行しゅうがくりょこうのはなしがあった。今月の十八日の夜十時でって二十三日まで札幌さっぽろから室蘭むろらんをまわって来るのだそうだ。先生は手にるようにむこうの景色けしきだの見て来ることだの話した。
津軽海峡つがるかいきょう、トラピスト、函館はこだて五稜郭ごりょうかく、えぞ富士ふじ白樺しらかば小樽おたる、札幌の大学、麦酒ビール会社、博物館はくぶつかん、デンマーク人の農場のうじょう苫小牧とまこまい白老しらおいのアイヌ部落ぶらく室蘭むろらん、ああぼくかぞえただけでむねおどる。五時間目には菊池きくち先生がうちへてた手紙をわたして、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行かれるのだそうだ。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それはけん規則きそく全級ぜんきゅうの三分の一以上いじょう参加さんかするようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円おさめるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内藤ないとう君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父がないので母へだけ話したけれども母は心配しんぱいそうにをあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大きな手帳てちょうへ二さつも書いて来て見せよう。


五月七日
今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼きがねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相談そうだんするからと云った。祖母そぼや母に気兼ねをしているのかもしれない。


五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちではだれも何とも云わない。だからぼくはずいぶんつらい。
五月九日、
三時間目に菊池きくち先生がまたいろいろ話された。行くときまった人はみんな面白おもしろそうにして聞いていた。僕は頭があつくていたくなった。ああ北海道、雑嚢ざつのうを下げてマントをぐるぐるいてかたにかけて津軽海峡つがるかいきょうをみんなと船でわたったらどんなにうれしいだろう。


五月十日 今日もだめだ。


五月十一日 日曜 くもり 午前は母や祖母そぼといっしょに田打たうちをした。午后ごごはうちのひばがきをはさんだ。何だか修学旅行しゅうがくりょこうの話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授業じゅぎょうの時間に行く人を調しらべたり旅行の話をしたりしなければいいのだ。
 北海道なんか何だ。ぼくは今にはたらいて自分で金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。
五月十二日、今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。みんなはぼくだの斉藤君さいとうくんだの行かないので旅行が不成立ふせいりつになるとってしきりにめた。武田たけだ先生まで何だかへんな顔をして僕に行けと云う。僕はほんとうにつらい。明后日みょうごにちまでにすっかりまるのだ。夕方父が帰ってばたにたからぼくは思い切って父にもう一学校の事情じじょうを云った。
 すると父が母もまだ伊勢詣いせまいりさえしないのだし祖母そぼだって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡かんのんめぐり一ぺんしただけこの十何年ぬまでに善光寺ぜんこうじへお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年きょねんからのここら全体ぜんたい旱魃かんばつでいま外へあそんで歩くなんてことはとなりやみんなへわるくてどうもいけないということを云った。
 僕はいくら下を向いていても炉のなかへなみだがこぼれて仕方しかたなかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからとった。ぼくはみんなが修学旅行しゅうがくりょこうつ間休みだといって学校は欠席けっせきしようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談そうだんするからと云ってあとはいろいろいね種類しゅるいのことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持きもちがさっぱりした。
五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人て何だかうれしそうにして田のあぜを切っていた。
 何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
 ぼくもそこで母が家へ帰るまで田打たうちをしてたすけた。
 けれども父はまだ帰って来ない。
五月十四日、昨夜さくや父がおそく帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろむこうのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道開拓当時かいたくとうじのことらしくてくまだのアイヌだの南瓜かぼちゃめし玉蜀黍とうもろこし団子だんごやいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田たけだ先生へ行くとってとどけたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員ていいんえたことにしてけんへは申請書しんせいしょを出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへくわしく話すのだ。
一九二五、五、一八、
汽車はやみのなかをどんどん北へ走って行く。盛岡もりおかの上のそらがまだぼうっと明るくにごって見える。黒いやぶだの松林まつばやしだのぐんぐんまどを通って行く。北上きたかみ山地の上のへりが時々かすかに見える。
さあいよいよぼくらも岩手県いわてけんをはなれるのだ。
うちではみんなもうただろう。祖母さんはぼくにおまもりをしてくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生がまわってみんなのせき工合ぐあいや何かを見て行った。


一九二(ママ)、五、一九、〔以下空白〕


五月十九日

      *

いま汽車は青森県の海岸かいがんを走っている。海ははりをたくさんならべたように光っているし木のいっぱいえた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太平洋たいへいようなのだ。そのむこうにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だかへんな気がする。
海がみさきで見えなくなった。松林まつばやしだ。また見える。つぎ浅虫あさむしだ。石をせた屋根やねも見える。何て愉快ゆかいだろう。

      *

青森の町は盛岡もりおかぐらいだった。停車場ていしゃじょうの前にはバナナだの苹果りんごだの売る人がたくさんいた。待合室まちあいしつは大きくてたくさんの人が顔をあらったりものを食べたりしている。待合室で白いふく車掌しゃしょうみたいな人が蕎麦そばも売っているのはおかしい。

      *

船はいま黒いけむりを青森の方へ長くひいて下北半島しもきたはんとう津軽つがる半島の間を通って海峡かいきょうへ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりのかげなみにうつって黒いかがみのようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重ひろしげの絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸かいがんにわずかの砂浜すなはまがあってそこにはおおきな黒松くろまつ並木なみきのある街道かいどうが通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十もっていてそこの浜には五、六そうのふねもある。
さっきから見えていた白い燈台とうだいはすぐそこだ。ぼくは船がよこを通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手じょうずだといいんだけれどもぼくは絵はけないからおぼえて行ってみんな話すのだ。風はさむいけれどもいい天気だ。僕は少しも船にわない。ほかにもだれも酔ったものはない。

      *

いるかのむれが船の横を通っている。いちばんはじめに見附みつけたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものがなみからけ出て小さなえがいてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気をけの姿勢しせいで水を出たり入ったりしているようで滑稽こっけいだ。
先生も何だかわからなかったようだが漁師りょうしかしららしい洋服ようふくふとった人がああいるかですとった。あんまりみんな甲板かんぱんのこっちがわへばかり来たものだから少し船がかたむいた。
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合ぐあいがわるくなってきた。

      *

いま汽車は函館はこだてって小樽おたるむかって走っている。まどの外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるでゆめのようだ。
おおきなさくらへみんな百ぐらいずつの電燈でんとうがついていた。それに赤や青のや池にはかきつばたの形した電燈でんとう仕掛しかけものそれにみなとの船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜さくやからよくないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色けしきわすれない。それからひるは過燐酸かりんさんの工場と五稜郭ごりょうかく。過燐酸石灰せっかい硫酸りゅうさんもつくる。


五月廿日

      *

いままどの右手にえぞ富士ふじが見える。火山だ。頭がひらたい。いた枕木まくらぎでこさえた小さな家がある。熊笹くまざさしげっている。植民地しょくみんちだ。

      *

いま小樽おたるの公園にる。高等商業こうとうしょうぎょう標本室ひょうほんしつも見てきた。馬鈴薯ばれいしょからできるもの百五、六十しゅの標本が面白おもしろかった。
この公園もおかになっている。白樺しらかばがたくさんある。まっさおな小樽わんが一目だ。軍艦ぐんかんが入っているので海軍にははたも立っている。時間があれば見せるのだがと武田たけだ先生が云った。ベンチへすわってやすんでいると赤いかにをゆでたのを売りに来る。何だかこわいようだ。よくあんなの食べるものだ。

      *



一千九百廿五年十月十六日
一時間目の修身しゅうしん講義こうぎんでもまだ時間があまっていたら校長が何でも質問しつもんしていいと云った。けれどもだれだまっていて下をいているばかりだった。ききたいことはぼくだってみんなだって沢山たくさんあるのだ。けれどもぼくらがほんとうにききたいことをきくと先生はきっと顔をおかしくするからだめなのだ。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないとしんずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそかしめさないのだろう。


一千九百廿五年十月廿五日
今日は土性調査どせいちょうさ実習じっしゅうだった。ぼくだいはんの班長で図板ずばんをもった。あとは五人でハムマアだの検土杖けんどじょうだの試験紙しけんしだの塩化加里えんかカリびんだのって学校を出るときの愉快ゆかいさは何ともわれなかった。たに先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別々べつべつのコースをとって調査にかかった。僕はぐん調しらべたのをちゃんとうつして予察図よさつずにして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっ(ママ)ていない。猿ヶ石さるがいし川の南の平地ひらちに十時半ころまでにできた。それからは洪積層こうせきそう旧天王キーデンノー安山集塊岩あんざんしゅうかいがんおかつづきのにもかぶさっているかがいちばんの疑問ぎもんだったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭ろとうを丘の頂部ちょうぶ近くで見附みつけた。結局けっきょく洪積は地形図の百四十メートルの線以下いかという大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木のそだ工合ぐあいや何かを参照さんしょうしてめた。ぼくは土性の調査よりも地質ちしつの方が面白おもしろい。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色でっていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松林まつばやしの中だのかやの中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子きじんだ。
耕地整理こうちせいりになっているところがやっぱり旱害かんがいいねほとんど仕付しつからなかったらしく赤いみじかい雑草ざっそうえておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かったところも少しも分蘖ぶんけつせず赤くなってのはいらない稲がそのままりとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなのためにしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性どせいもすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来しょうらい反当たんあたりごくまではとれるようにできると思う。

午后ごご一時に約束やくそくの通り各班かくはん猿ヶ石さるがいし川のきしにあるきれいな安山集塊岩あんざんしゅうかいがん露出ろしゅつのところにあつまった。どこからか小梨こなしもらったとって先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図をりなおしたりした。先生はその場所ばしょではだれのもいいともわるいとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩かこうがんだの三泥岩でいがんだのまではいったんだ地質ちしつや土性のところを教わってあるいた。図はつぎの月曜までに清書せいしょして出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生になおしてもらったら次の日曜に高橋君たかはしくんたのんで僕のうちの近所きんじょのをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積こうせき沖積ちゅうせきがあるきりだしずっと簡単かんたんだ。それでも肥料ひりょうの入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対はんたいにやってるんでないかと思う。


一九二五、十一月十日。
今日実習じっしゅうんでから農舎のうしゃの前に立ってグラジオラスの球根きゅうこんしてあるのを見ていたら武田たけだ先生も鶏小屋にわとりごや消毒しょうどくだか済んで硫黄華いおうかをずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかりって僕にれた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高価たか種類しゅるいだよ。きみにだけやるから来春えてみたまえと云った。すると農場の方から花のかかりの内藤ないとう先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくはへんな気がしたけれども仕方しかたなくポケットへ入れた。すると武田先生はいそいで農舎の中へはいって農具のうぐだか何だか整理せいりし出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へかえして、急いで校舎へ入って実習ふく着換きがえてうちに帰った。


一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、
塩水撰えんすいせんをやった。うちのがんでから楢戸ならどのもやった。
本にある通りの比重ひじゅうでやったらかめは半分ものこらなかった。去年きょねん旱害かんがいはいちばんよかったところでもこんな工合ぐあいだったのだ。けれども陸羽りくう一三二ごうのほうは三わりぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水せんをかけたので恰度ちょうどあったから本田の一町一たん分には充分じゅうぶんだろう。とにかくぼくは今日半日で大丈夫だいじょうぶ五十円の仕事しごとはしたわけだ。
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当たんあたりこくそこそこしかとっていなかったのを今度こんどはあちこちの農事試験場のうじしけんじょう発表はっぴょうのように一割の二斗ずつの増収ぞうしゅうとしても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということがわかるようになったら、ぼくは同じ塩水で長根ちょうこんぜんたいのをやるようにしよう。一けんのうちで三十円ずつとくしてもこの部落全体ぶらくぜんたいでは四百五十円になる。それが五、六人ただ半日の仕事しごとなのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみをあつめていた。もみができると父は細長ほそながくきれいにわらを通してんだたわらにつめて中へつめた。あれは合理的ごうりてきだと思う。湧水わきみずがないので、あのつつみへけた。こおりがまだどてのかげには浮いているからちょうど摂氏零度せっしれいどぐらいだろう。十二月にどてのひびをめてから水は六分目までたまっていた。今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱魃かんばつが二年つづいたことさえいままでの気象きしょう統計とうけいにはなかったというくらいだもの、どんな偶然ぐうぜんあつまったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気候きこうさえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害そんがい恢復かいふくしてみせる。そして来年らいねんからはもううちの経済けいざいも楽にするし長根ぜんたいまできっと生々いきいきした愉快ゆかいなものにしてみせる。


一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午しょうごから七時まで番水ばんすいがあたったので樋番といばんをした。何せ去年きょねんからのおおきなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛こしかけてこぼこぼはっていくあたたかい水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくがいねになったような気がした。そしてぼくがももいろをした熱病ねつびょうにかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水をいあげているのだった。どきっとしてをさました。水がこぼこぼ裂目さけめのところであわきながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
 水が来なくなって下田の代掻しろかきができなくなってから今日で恰度ちょうど十二日雨がらない。いったいそらがどうかわったのだろう。あんな旱魃かんばつの二年つづいた記録きろくいと測候所そっこうじょったのにこれで三年続くわけでないか。大堰おおぜきの水もまるで四すんぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。
 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下のわかれまで行ってみたら権十ごんじゅうがこっちをとめてじぶんの方へけていた。ぼくはまるで権十が甘藍かんらん夜盗虫よとうむしみたいな気がした。顔がむくむくふくれていて、おまけにあんなかぶらなくてもいいようなあなのあいたつばの下った土方どかたしゃっぽをかぶってその上からまたほおかぶりをしているのだ。
 手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、のう学校おわったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それをぬすんで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
 けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向けなおした。やっぱり権十はぼくを子供こどもだと思ってぼくだけたものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯ひきょうなやつらはみんなかたっぱしからたたきつけてやるから。
一千九百二十七年八月廿一日
いねがとうとうたおれてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨日きのうまでしっかりしていたのに、明方あけがたはげしい雷雨らいうからさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作きさくのもこっそり行ってみたけれどもやっぱり倒れた。いまもまだっている。父はわらって大丈夫だいじょうぶ大丈夫だと云うけれどもそれはぼくをなだめるためでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心配しんぱいしている。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが肥料ひりょうを教えた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけならぼくは冬に鉄道てつどうへ出ても行商ぎょうしょうしてもきっとかえしをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込みこみはないのだ。ぼくはどこへも相談そうだんに行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、なえが弱くはなかったかな、あんまり力をおとしてはいけないよ、ぐらいのことを云ってわらうだけのもんだ。日誌にっし、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうしているだろう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたりまたおどすように強くなったりする雨の音を聞いていなければならないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。
ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。

底本:「イーハトーボ農学校の春」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年3月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月
※底本は、一つ目の「猿ヶ石」の「ヶ」(区点番号5-86)は大振りに、二つ目の「猿ヶ石」のそれは、小振りにつくっています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2009年8月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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