あらすじ
農学校に通う「僕」は、三年生の春から日誌をつけ始めます。学校生活、実習、家族とのやり取り、そして周囲の人々との関わりを通して、農家の息子として懸命に生きる「僕」の姿が、率直な言葉で克明に描かれていきます。
「僕」は、日々の暮らしの中で様々な悩みや葛藤を抱えながらも、周囲の人々や自然と触れ合いながら成長していくのです。
     序

ぼくは農(のう)学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌(にっし)を公開(こうかい)する。どうせぼくは字も文章(ぶんしょう)も下手(へた)だ。ぼくと同じように本気に仕事(しごと)にかかった人でなかったらこんなもの実(じつ)に厭(いや)な面白(おもしろ)くもないものにちがいない。いまぼくが読み返(かえ)してみてさえ実に意気地(いくじ)なく野蛮(やばん)なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方(しかた)ない。ぼくらは空想(くうそう)でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂(いわゆる)田舎臭(いなかくさ)いものに変(かわ)ってしまう。
ぼくはひがんで云(い)うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽(けい)べつする人がきっと沢山(たくさん)あるだろう。そんなやつをぼくは叩(たた)きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬(ねた)むことしかできないやつらはいちばん卑怯(ひきょう)なものだと思う。ぼくのように働(はたら)いている仲間(なかま)よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界(せかい)から無(な)くしてしまおうでないか。


一九二五、四月一日 火曜日 晴
今日から新らしい一学期(がっき)だ。けれども学校へ行っても何だか張合(はりあ)いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居(い)ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶(あいさつ)を待(ま)ってそっと横眼(よこめ)で威張(いば)っている卑怯(ひきょう)な上級生(じょうきゅうせい)が居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低(ひく)い天井裏(てんじょううら)が無(な)くなったような気もするけれどもまた支柱(しちゅう)をみんな取(と)ってしまった桜(さくら)の木のような気もする。今日の実習(じっしゅう)にはそれをやった。去年(きょねん)の九月古い競馬場(けいばじょう)のまわりから掘って来て植(う)えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根(ね)がでるころなのに西風はまだまだ吹(ふ)くから幹(みき)がてこになってそれを切るのだ。けれども菊池(きくち)先生はみんな除(と)らせた。花が咲(さ)くのに支柱があっては見っともないと云(い)うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余(よ)もある。菊池先生は春になったのでただ面白(おもしろ)くてあれを取ったのだとおもう。
その古い縄(なわ)だの冬の間のごみだの運動場(うんどうじょう)の隅(すみ)へ集(あつ)めて燃(も)やした。そこでほかの実習の組の人たちは羨(うらや)ましがった。午前中その実習をして放課(ほうか)になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后(ごご)はみんなでテニスコートを直(なお)したりした。


四月二日 水曜日 晴
今日は三年生は地質(ちしつ)と土性(どせい)の実習だった。斉藤(さいとう)先生が先に立って女学校の裏(うら)で洪積層(こうせきそう)と第(だい)三紀(き)の泥岩(でいがん)の露出(ろしゅつ)を見てそれからだんだん土性を調(しら)べながら小船渡(こぶなと)の北上(きたかみ)の岸(きし)へ行った。河(かわ)へ出ている広い泥岩の露出で奇体(きたい)なギザギザのあるくるみの化石(かせき)だの赤い高師小僧(たかしこぞう)だのたくさん拾(ひろ)った。それから川岸を下って朝日橋(あさひばし)を渡(わた)って砂利(じゃり)になった広い河原(かわら)へ出てみんなで鉄鎚(かなづち)でいろいろな岩石の標本(ひょうほん)を集(あつ)めた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立って向(むこ)うの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時頃(ごろ)うちへ帰った。
そして晩(ばん)まで垣根(かきね)を結(ゆ)って手伝(てつだ)った。あしたはやすみだ。


四月三日 今日はいい付(つ)けられて一日古い桑(くわ)の根掘(ねほ)りをしたので大へんつかれた。
四月四日、上田君(うえだくん)と高橋君(たかはしくん)は今日も学校へ来なかった。上田君は師範(しはん)学校の試験(しけん)を受(う)けたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農(のう)学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家で稼(かせ)いでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年(きょねん)の旱魃(かんばつ)がいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀(なんぎ)するだろう。それへ較(くら)べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫(と)れたのだからいい方だ。今年は肥料(ひりょう)だのすっかり僕(ぼく)が考えてきっと去年の埋(う)め合せを付(つ)ける。実習(じっしゅう)は苗代掘(なわしろほ)りだった。去年の秋小さな盛(も)りにしていた土を崩(くず)すだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量(そくりょう)と園芸(えんげい)が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無(な)くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身(しゅうしん)は農事試験場へ行った工藤(くどう)さんから譲(ゆず)られてあるから残(のこ)りは九冊(さつ)だけだ。
四月五日 日
南万丁目(みなみまんちょうめ)へ屋根換(やねが)えの手伝(てつだ)え((ママ))にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼっていたら南の方に学校が長々と横(よこた)わっているように見えた。ぼくは何だか今日は一日あの学校の生徒(せいと)でないような気がした。教科書は明日買う。


四月六日 月
今日は入学式(しき)だった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦(かたくる)しそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴(あば)れ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年はみんな僕(ぼく)らのようになってまた新入生をわらう。そう考(かんが)えると何だか変(へん)な気がする。伊藤君(いとうくん)と行って本屋(ほんや)へ教科書を九冊(さつ)だけとっておいてもらうように頼(たの)んでおいた。


四月七日 火、朝父から金を貰(もら)って教科書を買った。
 そして今日から授業(じゅぎょう)だ。測量(そくりょう)はたしかに面白(おもしろ)い。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑(はたけ)でほんとうの反別(たんべつ)になっている処(ところ)がないと武田(たけだ)先生が云(い)った。それだから仕事(しごと)の予定(よてい)も肥料(ひりょう)の入れようも見当がつかないのだ。僕(ぼく)はもう少し習(なら)ったらうちの田をみんな一枚(まい)ずつ測(はか)って帳面(ちょうめん)に綴(と)じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年(きょねん)の旱魃(かんばつ)の埋(う)め合せと、それから僕の授業料(じゅぎょうりょう)ぐらいを穫(と)ってみせる。実習は今日も苗代掘(なわしろほ)りだった。
四月八日 水、今日は実習(じっしゅう)はなくて学校の行進歌(こうしんか)の練習(れんしゅう)をした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧(お)しつけられるようであの行進歌(こうしんか)はきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭が痛(いた)くなるような気がする。実習(じっしゅう)のほうが却(かえ)っていいくらいだ。学校から纏(まと)めて注文(ちゅうもん)するというので僕(ぼく)は苹果(りんご)を二本と葡萄(ぶどう)を一本頼(たの)んでおいた。
四月九日〔以下空白〕


一千九百廿(にじゅう)五年五月五日 晴
まだ朝の風は冷(つめ)たいけれども学校へ上り口の公園の桜(さくら)は咲(さ)いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好(す)きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙(かえる)の卵(たまご)のような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠(よ)むのろのろしたような昔(むかし)の人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕(ぼく)はもっと好きだったかも知れない。誰(だれ)も桜が立派(りっぱ)だなんて云(い)わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫(さけ)んだかも知れない。僕は却(かえ)ってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕陽(ゆうひ)になんか照(て)らされたらいくら立派だか知れない。
今日の実習は陸稲播(おかぼま)きで面白(おもしろ)かった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくは杭(くい)を借(か)りて来て定規(じょうぎ)をあてて播いた。種子(しゅし)が間隔(かんかく)を正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽(め)を出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣(す)が三つ四つある。実習している間になんべんも降(お)りたのだ。けれども飛(と)びあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。


一千九百二十五年五月六日
今日学校で武田(たけだ)先生から三年生の修学旅行(しゅうがくりょこう)のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発(た)って二十三日まで札幌(さっぽろ)から室蘭(むろらん)をまわって来るのだそうだ。先生は手に取(と)るように向(むこ)うの景色(けしき)だの見て来ることだの話した。
津軽海峡(つがるかいきょう)、トラピスト、函館(はこだて)、五稜郭(ごりょうかく)、えぞ富士(ふじ)、白樺(しらかば)、小樽(おたる)、札幌の大学、麦酒(ビール)会社、博物館(はくぶつかん)、デンマーク人の農場(のうじょう)、苫小牧(とまこまい)、白老(しらおい)のアイヌ部落(ぶらく)、室蘭(むろらん)、ああ僕(ぼく)は数(かぞ)えただけで胸(むね)が踊(おど)る。五時間目には菊池(きくち)先生がうちへ宛(あ)てた手紙を渡(わた)して、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行かれるのだそうだ。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それは県(けん)の規則(きそく)が全級(ぜんきゅう)の三分の一以上(いじょう)参加(さんか)するようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円納(おさ)めるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内藤(ないとう)君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父が居(い)ないので母へだけ話したけれども母は心配(しんぱい)そうに眼(め)をあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大きな手帳(てちょう)へ二冊(さつ)も書いて来て見せよう。


五月七日
今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼(きが)ねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相談(そうだん)するからと云った。祖母(そぼ)や母に気兼ねをしているのかもしれない。


五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちでは誰(だれ)も何とも云わない。だから僕(ぼく)はずいぶんつらい。
五月九日、
三時間目に菊池(きくち)先生がまたいろいろ話された。行くときまった人はみんな面白(おもしろ)そうにして聞いていた。僕は頭が熱(あつ)くて痛(いた)くなった。ああ北海道、雑嚢(ざつのう)を下げてマントをぐるぐる捲(ま)いて肩(かた)にかけて津軽海峡(つがるかいきょう)をみんなと船で渡(わた)ったらどんなに嬉(うれ)しいだろう。


五月十日 今日もだめだ。


五月十一日 日曜 曇(くもり) 午前は母や祖母(そぼ)といっしょに田打(たう)ちをした。午后(ごご)はうちのひば垣(がき)をはさんだ。何だか修学旅行(しゅうがくりょこう)の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授業(じゅぎょう)の時間に行く人を調(しら)べたり旅行の話をしたりしなければいいのだ。
 北海道なんか何だ。ぼくは今に働(はたら)いて自分で金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。
五月十二日、今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。みんなは僕(ぼく)だの斉藤君(さいとうくん)だの行かないので旅行が不成立(ふせいりつ)になると云(い)ってしきりに責(せ)めた。武田(たけだ)先生まで何だか変(へん)な顔をして僕に行けと云う。僕はほんとうにつらい。明后日(みょうごにち)までにすっかり決(き)まるのだ。夕方父が帰って炉(ろ)ばたに居(い)たからぼくは思い切って父にもう一度(ど)学校の事情(じじょう)を云った。
 すると父が母もまだ伊勢詣(いせまい)りさえしないのだし祖母(そぼ)だって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡(かんのんめぐ)り一ぺんしただけこの十何年死(し)ぬまでに善光寺(ぜんこうじ)へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年(きょねん)からのここら全体(ぜんたい)の旱魃(かんばつ)でいま外へ遊(あそ)んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪(わる)くてどうもいけないということを云った。
 僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙(なみだ)がこぼれて仕方(しかた)なかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云(い)った。ぼくはみんなが修学旅行(しゅうがくりょこう)へ発(た)つ間休みだといって学校は欠席(けっせき)しようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談(そうだん)するからと云ってあとはいろいろ稲(いね)の種類(しゅるい)のことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持(きも)ちがさっぱりした。
五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人居(い)て何だか嬉(うれ)しそうにして田の畦(あぜ)を切っていた。
 何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
 僕(ぼく)もそこで母が家へ帰るまで田打(たう)ちをして助(たす)けた。
 けれども父はまだ帰って来ない。
五月十四日、昨夜(さくや)父が晩(おそ)く帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろ向(むこ)うのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道開拓当時(かいたくとうじ)のことらしくて熊(くま)だのアイヌだの南瓜(かぼちゃ)の飯(めし)や玉蜀黍(とうもろこし)の団子(だんご)やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田(たけだ)先生へ行くと云(い)って届(とど)けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員(ていいん)を超(こ)えたことにして県(けん)へは申請書(しんせいしょ)を出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳(くわ)しく話すのだ。
一九二五、五、一八、
汽車は闇(やみ)のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡(もりおか)の上のそらがまだぼうっと明るく濁(にご)って見える。黒い藪(やぶ)だの松林(まつばやし)だのぐんぐん窓(まど)を通って行く。北上(きたかみ)山地の上のへりが時々かすかに見える。
さあいよいよぼくらも岩手県(いわてけん)をはなれるのだ。
うちではみんなもう寝(ね)ただろう。祖母さんはぼくにお守(まも)りを借(か)してくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻(まわ)ってみんなの席(せき)の工合(ぐあい)や何かを見て行った。


一九二六((ママ))、五、一九、〔以下空白〕


五月十九日

      *

いま汽車は青森県の海岸(かいがん)を走っている。海は針(はり)をたくさん並(なら)べたように光っているし木のいっぱい生(は)えた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太平洋(たいへいよう)なのだ。その向(むこ)うにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だか変(へん)な気がする。
海が岬(みさき)で見えなくなった。松林(まつばやし)だ。また見える。次(つぎ)は浅虫(あさむし)だ。石を載(の)せた屋根(やね)も見える。何て愉快(ゆかい)だろう。

      *

青森の町は盛岡(もりおか)ぐらいだった。停車場(ていしゃじょう)の前にはバナナだの苹果(りんご)だの売る人がたくさんいた。待合室(まちあいしつ)は大きくてたくさんの人が顔を洗(あら)ったり物(もの)を食べたりしている。待合室で白い服(ふく)を着(き)た車掌(しゃしょう)みたいな人が蕎麦(そば)も売っているのはおかしい。

      *

船はいま黒い煙(けむり)を青森の方へ長くひいて下北半島(しもきたはんとう)と津軽(つがる)半島の間を通って海峡(かいきょう)へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影(かげ)は波(なみ)にうつって黒い鏡(かがみ)のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重(ひろしげ)の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸(かいがん)にわずかの砂浜(すなはま)があってそこには巨(おお)きな黒松(くろまつ)の並木(なみき)のある街道(かいどう)が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建(た)っていてそこの浜には五、六そうの舟(ふね)もある。
さっきから見えていた白い燈台(とうだい)はすぐそこだ。ぼくは船が横(よこ)を通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手(じょうず)だといいんだけれども僕(ぼく)は絵は描(か)けないから覚(おぼ)えて行ってみんな話すのだ。風は寒(さむ)いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔(よ)わない。ほかにも誰(だれ)も酔ったものはない。

      *

いるかの群(むれ)が船の横を通っている。いちばんはじめに見附(みつ)けたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波(なみ)から抜(ぬ)け出て小さな弧(こ)を描(えが)いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付(つ)けの姿勢(しせい)で水を出たり入ったりしているようで滑稽(こっけい)だ。
先生も何だかわからなかったようだが漁師(りょうし)の頭(かしら)らしい洋服(ようふく)を着(き)た肥(ふと)った人がああいるかですと云(い)った。あんまりみんな甲板(かんぱん)のこっち側(がわ)へばかり来たものだから少し船が傾(かたむ)いた。
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合(ぐあい)がわるくなってきた。

      *

いま汽車は函館(はこだて)を発(た)って小樽(おたる)へ向(むか)って走っている。窓(まど)の外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢(ゆめ)のようだ。
巨(おお)きな桜(さくら)へみんな百ぐらいずつの電燈(でんとう)がついていた。それに赤や青の灯(ひ)や池にはかきつばたの形した電燈(でんとう)の仕掛(しか)けものそれに港(みなと)の船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜(さくや)からよく寝(ね)ないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色(けしき)は忘(わす)れない。それからひるは過燐酸(かりんさん)の工場と五稜郭(ごりょうかく)。過燐酸石灰(せっかい)、硫酸(りゅうさん)もつくる。


五月廿日

      *

いま窓(まど)の右手にえぞ富士(ふじ)が見える。火山だ。頭が平(ひら)たい。焼(や)いた枕木(まくらぎ)でこさえた小さな家がある。熊笹(くまざさ)が茂(しげ)っている。植民地(しょくみんち)だ。

      *

いま小樽(おたる)の公園に居(い)る。高等商業(こうとうしょうぎょう)の標本室(ひょうほんしつ)も見てきた。馬鈴薯(ばれいしょ)からできるもの百五、六十種(しゅ)の標本が面白(おもしろ)かった。
この公園も丘(おか)になっている。白樺(しらかば)がたくさんある。まっ青(さお)な小樽湾(わん)が一目だ。軍艦(ぐんかん)が入っているので海軍には旗(はた)も立っている。時間があれば見せるのだがと武田(たけだ)先生が云った。ベンチへ座(すわ)ってやすんでいると赤い蟹(かに)をゆでたのを売りに来る。何だか怖(こわ)いようだ。よくあんなの食べるものだ。

      *



一千九百廿五年十月十六日
一時間目の修身(しゅうしん)の講義(こうぎ)が済(す)んでもまだ時間が余(あま)っていたら校長が何でも質問(しつもん)していいと云った。けれども誰(だれ)も黙(だま)っていて下を向(む)いているばかりだった。ききたいことは僕(ぼく)だってみんなだって沢山(たくさん)あるのだ。けれどもぼくらがほんとうにききたいことをきくと先生はきっと顔をおかしくするからだめなのだ。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信(しん)ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示(しめ)さないのだろう。


一千九百廿五年十月廿五日
今日は土性調査(どせいちょうさ)の実習(じっしゅう)だった。僕(ぼく)は第(だい)二班(はん)の班長で図板(ずばん)をもった。あとは五人でハムマアだの検土杖(けんどじょう)だの試験紙(しけんし)だの塩化加里(えんかカリ)の瓶(びん)だの持(も)って学校を出るときの愉快(ゆかい)さは何とも云(い)われなかった。谷(たに)先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別々(べつべつ)のコースをとって調査にかかった。僕は郡(ぐん)で調(しら)べたのをちゃんと写(うつ)して予察図(よさつず)にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっ((ママ))ていない。猿ヶ石(さるがいし)川の南の平地(ひらち)に十時半ころまでにできた。それからは洪積層(こうせきそう)が旧天王(キーデンノー)の安山集塊岩(あんざんしゅうかいがん)の丘(おか)つづきのにも被(かぶ)さっているかがいちばんの疑問(ぎもん)だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭(ろとう)を丘の頂部(ちょうぶ)近くで見附(みつ)けた。結局(けっきょく)洪積紀(き)は地形図の百四十米(メートル)の線以下(いか)という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育(そだ)ち工合(ぐあい)や何かを参照(さんしょう)して決(き)めた。ぼくは土性の調査よりも地質(ちしつ)の方が面白(おもしろ)い。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取(と)っていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松林(まつばやし)の中だの萱(かや)の中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子(きじ)も飛(と)んだ。
耕地整理(こうちせいり)になっているところがやっぱり旱害(かんがい)で稲(いね)は殆(ほと)んど仕付(しつ)からなかったらしく赤いみじかい雑草(ざっそう)が生(は)えておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所(ところ)も少しも分蘖(ぶんけつ)せず赤くなって実(み)のはいらない稲がそのまま刈(か)りとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為(ため)にしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性(どせい)もすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来(しょうらい)は反当(たんあたり)三石(ごく)まではとれるようにできると思う。

午后(ごご)一時に約束(やくそく)の通り各班(かくはん)が猿ヶ石(さるがいし)川の岸(きし)にあるきれいな安山集塊岩(あんざんしゅうかいがん)の露出(ろしゅつ)のところに集(あつま)った。どこからか小梨(こなし)を貰(もら)ったと云(い)って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗(ぬ)りなおしたりした。先生はその場所(ばしょ)では誰(だれ)のもいいとも悪(わる)いとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩(かこうがん)だの三紀(き)の泥岩(でいがん)だのまではいった込(こ)んだ地質(ちしつ)や土性のところを教わってあるいた。図は次(つぎ)の月曜までに清書(せいしょ)して出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直(なお)してもらったら次の日曜に高橋君(たかはしくん)を頼(たの)んで僕のうちの近所(きんじょ)のをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積(こうせき)と沖積(ちゅうせき)があるきりだしずっと簡単(かんたん)だ。それでも肥料(ひりょう)の入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対(はんたい)にやってるんでないかと思う。


一九二五、十一月十日。
今日実習(じっしゅう)が済(す)んでから農舎(のうしゃ)の前に立ってグラジオラスの球根(きゅうこん)の旱(ほ)してあるのを見ていたら武田(たけだ)先生も鶏小屋(にわとりごや)の消毒(しょうどく)だか済んで硫黄華(いおうか)をずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかり取(と)って僕に呉(く)れた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高価(たか)い種類(しゅるい)だよ。君(きみ)にだけやるから来春植(う)えてみたまえと云った。すると農場の方から花の係(かか)りの内藤(ないとう)先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくは変(へん)な気がしたけれども仕方(しかた)なくポケットへ入れた。すると武田先生は急(いそ)いで農舎の中へはいって農具(のうぐ)だか何だか整理(せいり)し出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へ返(かえ)して、急いで校舎へ入って実習服(ふく)を着換(きが)えてうちに帰った。


一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、
塩水撰(えんすいせん)をやった。うちのが済(す)んでから楢戸(ならど)のもやった。
本にある通りの比重(ひじゅう)でやったら亀(かめ)の尾(お)は半分も残(のこ)らなかった。去年(きょねん)の旱害(かんがい)はいちばんよかった所(ところ)でもこんな工合(ぐあい)だったのだ。けれども陸羽(りくう)一三二号(ごう)のほうは三割(わり)ぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水選(せん)をかけたので恰度(ちょうど)六斗(と)あったから本田の一町一反(たん)分には充分(じゅうぶん)だろう。とにかく僕(ぼく)は今日半日で大丈夫(だいじょうぶ)五十円の仕事(しごと)はした訳(わけ)だ。
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当(たんあたり)二石(こく)そこそこしかとっていなかったのを今度(こんど)はあちこちの農事試験場(のうじしけんじょう)の発表(はっぴょう)のように一割の二斗ずつの増収(ぞうしゅう)としても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということが判(わか)るようになったら、ぼくは同じ塩水で長根(ちょうこん)ぜんたいのをやるようにしよう。一軒(けん)のうちで三十円ずつ得(とく)してもこの部落全体(ぶらくぜんたい)では四百五十円になる。それが五、六人ただ半日の仕事(しごと)なのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみを集(あつ)めて焼(や)いた。籾(もみ)ができると父は細長(ほそなが)くきれいに藁(わら)を通して編(あ)んだ俵(たわら)につめて中へつめた。あれは合理的(ごうりてき)だと思う。湧水(わきみず)がないので、あのつつみへ漬(つ)けた。氷(こおり)がまだどての陰(かげ)には浮いているからちょうど摂氏零度(せっしれいど)ぐらいだろう。十二月にどてのひびを埋(う)めてから水は六分目までたまっていた。今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱魃(かんばつ)が二年続(つづ)いたことさえいままでの気象(きしょう)の統計(とうけい)にはなかったというくらいだもの、どんな偶然(ぐうぜん)が集(あつま)ったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気候(きこう)さえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害(そんがい)を恢復(かいふく)してみせる。そして来年(らいねん)からはもううちの経済(けいざい)も楽にするし長根ぜんたいまできっと生々(いきいき)した愉快(ゆかい)なものにしてみせる。


一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午(しょうご)から七時まで番水(ばんすい)があたったので樋番(といばん)をした。何せ去年(きょねん)からの巨(おお)きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛(こしか)けてこぼこぼはっていく温(あたたか)い水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲(いね)になったような気がした。そしてぼくが桃(もも)いろをした熱病(ねつびょう)にかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸(す)いあげているのだった。どきっとして眼(め)をさました。水がこぼこぼ裂目(さけめ)のところで泡(あわ)を吹(ふ)きながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
 水が来なくなって下田の代掻(しろかき)ができなくなってから今日で恰度(ちょうど)十二日雨が降(ふ)らない。いったいそらがどう変(かわ)ったのだろう。あんな旱魃(かんばつ)の二年続(つづ)いた記録(きろく)が無(な)いと測候所(そっこうじょ)が云(い)ったのにこれで三年続くわけでないか。大堰(おおぜき)の水もまるで四寸(すん)ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。
 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐(わか)れまで行ってみたら権十(ごんじゅう)がこっちをとめてじぶんの方へ向(む)けていた。ぼくはまるで権十が甘藍(かんらん)の夜盗虫(よとうむし)みたいな気がした。顔がむくむく膨(ふく)れていて、おまけにあんな冠(かぶ)らなくてもいいような穴(あな)のあいたつばの下った土方(どかた)しゃっぽをかぶってその上からまた頬(ほお)かぶりをしているのだ。
 手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、農(のう)学校終(おわ)ったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗(ぬす)んで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
 けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直(なお)した。やっぱり権十はぼくを子供(こども)だと思ってぼくだけ居(い)たものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯(ひきょう)なやつらはみんな片(かた)っぱしから叩(たた)きつけてやるから。
一千九百二十七年八月廿一日
稲(いね)がとうとう倒(たお)れてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨日(きのう)までしっかりしていたのに、明方(あけがた)の烈(はげ)しい雷雨(らいう)からさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作(きさく)のもこっそり行ってみたけれどもやっぱり倒れた。いまもまだ降(ふ)っている。父はわらって大丈夫(だいじょうぶ)大丈夫だと云うけれどもそれはぼくをなだめるためでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心配(しんぱい)している。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが肥料(ひりょう)を教えた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけならぼくは冬に鉄道(てつどう)へ出ても行商(ぎょうしょう)してもきっと取(と)り返(かえ)しをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込(みこみ)はないのだ。ぼくはどこへも相談(そうだん)に行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、苗(なえ)が弱くはなかったかな、あんまり力を落(おと)してはいけないよ、ぐらいのことを云って笑(わら)うだけのもんだ。日誌(にっし)、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうしているだろう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたりまたおどすように強くなったりする雨の音を聞いていなければならないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。
ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。
了

底本:「イーハトーボ農学校の春」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年3月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月
※底本は、一つ目の「猿ヶ石」の「ヶ」(区点番号5-86)は大振りに、二つ目の「猿ヶ石」のそれは、小振りにつくっています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2009年8月23日作成
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