わたくしの子供の頃には小刀打の名工が二人ばかり居て彫刻家仲間に珍重されていた。切出の信親。丸刀の丸山。切出というのは鉛筆削りなどに使う、斜に刃のついている形の小刀であり、丸刀というのは円い溝の形をした突いて彫る小刀である。当時普通に用いられていた小刀は大抵宗重という銘がうってあって、此は大量生産されたものであるが、信親、丸山などになると数が少いので高い価を払って争ってやっと買い求めたものである。此は例えば東郷ハガネのような既成の鋼鉄を用いず、極めて原始的な玉鋼と称する荒がねを小さな鞴で焼いては鍛え、焼いては鍛え、幾十遍も折り重ねて鍛え上げた鋼を刃に用いたもので、研ぎ上げて見ると、普通のもののように、ぴかぴかとか、きらきらとかいうような光り方はせず、むしろ少し白っぽく、ほのかに霞んだような、含んだような、静かな朝の海の上でも見るような、底に沈んだ光り方をする。光を葆んでいる。そうしてまっ平らに研ぎすまされた面の中には見えるような見えないようなキメがあって、やわらかであたたかく、まるで息でもしているかと思われるけはいがする。同じそういう妙味のあるうちにも信親のは刃金が薄くて地金があつい。地金の軟かさと刃金の硬さとが不可言の調和を持っていて、いかにもあく抜けのした、品位のある様子をしている。当時いやに刃金のあつい、普通のぴかぴか光る切出を持たされると、子供ながらに変に重くるしく、かちかちしていてうんざりした事をおぼえている。丸山のは刃金があついのであるが、此は丸刀である性質上、そのあついのが又甚だ好適なのであった。
為事場の板の間に座蒲団を敷き、前に研ぎ板を、向うに研水桶(小判桶)を置き、さて静かに胡坐をかいて膝に膝当てをはめ、膝の下にかった押え棒で、ほん山の合せ研を押えて、一心にこういう名工の打った小刀を研ぎ終り、その切味の微妙さを檜の板で試みる時はまったくたのしい。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
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