風ぐすり
4・12(夕)
箏曲家の鈴木鼓村氏は巨大胃を有つた男として聞えてゐる人だが、氏は風邪にかゝると、五合飯と味噌汁をバケツに一杯食べて、それから平素余り好かない煙草を暴に吸ふのださうな。「さうすると身体ぢゆうの何処にも風邪の匿れる場所が無くなつてしまふ。」と言つてゐる。
昆虫学者として名高い、それがためにノオベル賞金をも貰つた仏蘭西のアンリ・フアブル先生は、いつも風邪をひくと、自分の頭を灰のなかに突込むといふ事だ。すると一頻り咳が出て風邪はけろりと癒つてしまふ。
「随分荒療治ですな。」
と或人がいふと、フアブル先生済ましたもので、
「何でもありません。一寸風邪のお葬式をやつたのです。」
料理人の泣言
4・13(夕)
この料理人の言葉によると、「伯の腰巾着で仕合せなのは武富や尾崎や高田で、それぞれ大臣の椅子に日向ぼつこをしてゐるが、自分一人は折角の腕を持ちながら一向主人に味はつて貰へない」のださうだ。
以前仏蘭西の大統領官舎でフエリツクス・フオウルからルウベエ、フワリエエルと三代の大統領に料理番を勤めた男があつて、ある時こんな事を言つてゐた。
「フオウルは仲々の料理通で牡蠣や蟹が大の好物で葡萄酒も本場の飛切りといふ奴しか口にしなかつた。ルウベエは南仏蘭西の田舎生れだが、それでもお国料理の魚羹のやうな物は滅多に命令けた事は無かつたし、美味いものを拵へると相応に味はつて呉れたものだ。ところがフワリエエルと来てはお話にも何にもなつたものでは無い。何もかも油でいためて、加之に葱を添へて置かなくつちや承知しないんだからな。こんな男にいつ迄ついて居るでもあるまいと思つて、体よく此方からお暇を貰つて来た。」
これで見ると、腕のある料理番は、忘れても田舎者の大統領や総理大臣の台所には住み込まない事だ。料理が味はつて貰へない上に、事によると給金までも安いかも知れない。
ゴリキイ危篤
4・14(夕)
「お腹の空いてゐる人間の魂は、お腹のいゝ人達の魂に比べると、営養もよく、ずつと健全だ。」と言つたゴリキイは、自慢だけに健全な霊魂は有つてゐるが、肉体は余り達者では無く終始肺病に苦しんでゐた。
二三年前伊太利のカプリ島に謫居してゐた頃、日本人の学生がその近所に旅をしてゐる事を聞いて、日本人といふものはまだ見た事が無い、一度会つてみたいものだと、恰で動物園に新着の鸚鵡でも見るやうな物好きな気持で、その日本人に会つた事があつた。
その折ゴリキイは、件の日本人に向つて、日本画を賞め、日本人を賞め、日本が東洋一体のお弟子を教育する態度は、歴史にも滅多に見られぬ素晴しいものだといつて賞めちぎつたさうだが、そのお弟子の間にもお隣の袁氏のやうな不良書生がゐる事を聞かせたらどんなに言ふだらう。
いつだつたか、莫斯科の芸術座の近くでゴリキイが料理屋に入つてゐると、崇拝者の多くがその姿を見つけてぞろ/\店先に集つて来た。それを見たゴリキイは例の放浪性を発揮して、
「君達はポカンと口を開けて何に見惚れてるんだね。僕は踊子でもなければ、死人でも無いんだ。ちよい/\小説を書いて暮らす男が、何が面白くてそんなにきよろ/\するんだね。」
と噛みつくやうに怒鳴つた。
翌日の新聞は、その話を伝へて、自分の崇拝者をこんなに邪慳に取扱つたゴリキイには、お行儀作法の端くれでも教へ込まなければなるまいと、冷かしを言つてゐたが、そんな事をいふ輩は崇拝者を持つた事の無い奴で、世の中に崇拝者程うるさいものは無い。
そのなかで別けてうるさいのは女の崇拝者で、妻君を崇拝者に有つたのは一番事が面倒だ。だから凡ての学者、芸術家、政治家にとつて最も無難な行り方は、成るべく自分の細君に解らないやうに物を言ふ事だ。新渡戸博士は婦人雑誌の原稿をかく時には、細君の同意を得るやうな考へしか書かないさうだが、以ての外の不了見である。
画家と書物
4・15(夕)
むかし今津に米屋与右衛門といふ男が居た。富豪の家に生れたが、学問が好きで色々の書物を貪り読んだ。珍らしい働き手で、酒男と一緒に倉に入つてせつせと稼いだから、身代は太る一方だつたが、太るだけの物は道修繕、橋普請といつたやうな公共事業に費して少しも惜まなかつた。亡くなつた時には方々の人がやつて来て声を立てて泣いた。なかに一人智恵の足りない婆さんが交つてゐて、おろ/\声で、
「これ程学問してさへこんな好いお方だつたから、もしか学問などしなかつたらどんなにか立派な人だつたらうに。」
と言つたさうだ。
婆め、なか/\皮肉な事を言ひをるわい。
ペンキ一缶
4・16(夕)
「この缶は何うしたのだい。うちで扱つたことの無い代物ぢや無いか。」
「左様で御座います。扱つた事はありません。」
主人の眼は不思議さうに支配人の顔を見た。
「扱はないものが、何だつて店に転がつてるんだね。」
支配人は例のやうににこ/\顔で、
「さればで御座います。今朝程一人のお客さんがお見えになりまして、このペンキは此方の店で買つたのだが、不用になつたから原価で買ひ戻して呉れまいかと仰有います。見ると店で扱つた品では御座いませんが、お客様の機嫌を損じてもと思つて、言ひなり通りお金を渡して、缶を受取つて置きましたやうな訳で……」
それを聞いた主人は手を拍つて喜んださうだ。支配人の考へでは、その缶は何店で買つたものか知らないが、客がそれを戻さうとする時には、ペンキ屋といへば、直ぐ今の店が代表的に頭に浮んで来たのでそこへ持ち込んだに過ぎなかつた。それをいや違ひます、手前共で扱つた品ではありませんといへば、客の頭に他のペンキ屋を思ひ浮ばせるのみか自分の店に対して不愉快な悪い印象を与へる事になる。そこが気転の利かし処で、はい/\と言つて二つ返事で買ひ戻しておけば、客は少からぬ好意をもつて店を見る事になる。僅なペンキ一缶の価でこの「好意」が買へたかと思ふとこんな嬉しい事はないといふのださうだ。
そんぢよそこらの百貨店や小売店は、牛がをかむやうに、山県公が擂餌を食べるやうに、よくこの話しを噛みしめて貰ひたい。
加藤男の出迎へ
4・17(夕)
女将は皺くちやな鼻先に今朝は薄化粧さへ施してゐる。二人の男の顔を見比べて「もう程なうお着きだつしやろ。ま、雨が霽れてお出迎へするにもほんまに結構だつせ」と二三日前から取つて置きの愛嬌を、撒水のやうに寝不足らしい男の顔へぶち撒けてゐる。外には女将が乗りつけて来た男爵お待受けの自動車が、雨上りの道へのつそり匍匐つてゐる。二人の男はお茶代を弾いてゐる女将の腹を見透したやうに、四五銭がとこ顔を歪めて、一寸笑顔を見せた。
瘠せた男は役人生活をしてゐるからには、何日また大臣の椅子に直らうかも知れぬ加藤さんだ、一寸出迎へをした位で、そんな場合に官等の一つも上る事が出来たなら、飛んだ儲け物だ位は心得てゐる。昨夕から毀れかけの眼覚時計に螺旋を巻いて、今朝はいつもにない夙起をして来てゐるのだ。
肥つた男は以前御用雑誌の記者をしてゐる頃、加藤男の計らひで支那視察に出掛ける事になり、しこたま旅費も貰つて、そのなかから流行のフロツクコートも一着拵へたが、出発間際になつて風邪を引込んで、延々になつてゐるうち、つい沙汰止みになつてしまつた。旅費はいつの間にかポケツトの内で消えてしまつて、済まない/\とだけは思つてゐるのだが、幸ひ今日男爵が大阪へ来る事なら、一寸顔出しをして、従来の気まづさと旅費の張消しをしようと思つてゐるのだ。で、敬意を表する積りでその折のフロツクコートだけは今朝も着込んでゐる。
時計はずん/\経つて往つたが、この三人の他には誰一人出迎へるものもない。三人は人数の少いだけ御利益も多からうと、胸をわく/\させてゐると、程なく汽車は夜通し駆け廻つて懶けきつた身体を廊下へ横たへた。三人は息せき駆け出して往つたが、出て来る群集のなかには加藤男らしいものは影さへ見せなかつた。
三人は詰らなささうにすた/\構内を出て来た。――皆は言ひ合せたやうにお腹が空いてゐるのだ。実際胃の腑だけは正直なのを持合せてゐるのだから……。
陶庵侯と漱石
4・18(夕)
いつだつたかの雨声会に、夏目漱石氏が招待を受けて、素気なく辞退した事があつた。その後陶庵侯が京都の田中村に隠退してゐる頃、漱石氏も京都へ遊びに来合せてゐたので、それを機会に二人をさし向ひに衝き合はせてみようと思つたのは、活花去風流の家元西川一草亭であつた。
一草亭は露伴、黙語、月郊などにも花を教へた事のある趣味の男で、陶庵侯の邸へもよく花を活けに往くし、漱石氏へも教へに出掛けるしするので、ついこんな事を思ひついて、それを漱石氏に話してみた。
皮肉な胃病持ちの小説家は、じろりと一草亭の顔を見た。
「西園寺さんに会へつていふのかい、何だつてあの人に会はなければならないんだね。」
「お会ひになつたら、屹度面白い話があるでせうよ。」
「何だつて、そんな事が判るね。」
花の家元だけに一草亭は二人の会合を、苅萱と野菊の配合位に軽く思つて、それを一寸取持つてみたいと思つたに過ぎなかつた。一草亭はこれまで色々な草花の配合をして来たが、花は一度だつて、
「何だつて会はなければならないんだね。」
などと駄目を押した事は無かつた。胃病持ちは面倒臭いなと一草亭は思つた。
一草亭が思ひついたやうに、この二人が無事に顔を合はせたところで、あの通り旋毛曲りの人達だけに、二人はまさか小説の話や俳諧の噂もすまい。二三時間も黙つて向き合つた末、最後に椎茸か高野豆腐かの話でもしてその儘別れたに相違なからう。
床次氏凹む
4・19(夕)
すると、末座の方から「諸君!」といつて立ち上つた一人の男、海老のやうに腰を屈め、海老のやうに真赤になつて、「自分は姶良郡帖佐の住人で臍の緒切つて以来演説などいふ下らぬ事をやつた事もなし、またやらうとも思はなかつたが、一生に一度の積りで今日は喋舌らして貰ひたい」といふ冒頭で、徐々皮肉つた一条。
「南洲翁の大きかつた事を今になつて吃驚するやうでは、寧そ吃驚せずに死んだ方がましだ。何故といふに、そんな人は明日になつたら、また候自分の下らぬ事に吃驚するかも知れないから。また床次君のやうに自分が偉人らしい言草も気に喰はぬ、身不肖ながら朝夕南洲翁に随いてゐたから、翁の面目はよく知つてゐるが、翁は一度だつて床次君のやうに偉人になつた積りで働いた事は無かつた。」
と遣つたので床次氏は勿論の事、原敬迄が半分偉人になつた積りの顔を歪めて苦笑してゐたさうだ。その男といふのは何でも帖佐辺の村長だといふ事だ。
名士の墓石
4・20(夕)
「成程、あの墓石に耳を当てがふと、何時でも茶の湯の沸る音がしてまんな。私も俳優甲斐に洒落た墓石が一つ欲しうおまんね。」
と言つてゐるので、或人が、
「君は幽霊や宙釣りが巧かつたから、墓石にも一つケレンを仕組んでみたら何うだい。」
と冷かすと、
「阿呆らしい。」
と皺くちやな顔を歪めてくれたさうだ。
だが、それは斎入が物を識らないからで、徳川時代の洒落者の多かつた江戸町人の墓石には、故人が好物の形に似せた墓も少くなかつた。碁好きの墓に台石を碁盤に拵へ、碁笥を花立に見立てたのや、酒飲みの墓を徳利形や、酒樽形に刻んだのもあつた。可笑しいのは賭博が好きだつたからといつて、墓石に骰子の目まで盛つたのがあつた事だ。それを考へて伜の右団次も亡父の墓を幽霊の姿にでも刻んだら面白からう。
この伝で今の名士の墓を定めたら、大隈伯のはメガホン型、原敬のは巡査のサアベル型、山本権兵衛のは英蘭銀行の証券型、尾崎学堂のはテオドラ夫人の……。
春葉氏と子供
4・21(夕)
その初めての産があつた時、同じ画家仲間の某がどんな婦人でもたつた十ヶ月で為る仕事を、画家ともいはれるものが物の十三年も懸つて、漸と仕上げるなんて、そんな間抜な事があるものかと、厳い抗議を申込んだのが、その頃の笑ひ話になつて残つてゐる。
小説家の柳川春葉氏は大の子供好きだが、自分には子供が居無いので、狗ころや小猫を可愛がつて、お客の前をも厭はず、土足の儘で上下しをするので、清潔好きのお客のなかには気を悪くする向きもあつたが、近頃は何うした事か、そんな物も余り掛け構はなくなつたばかしか、友達の顔を見ると、よくこんな事をいふ。
「君、僕も既う結婚後十三年になるよ。」
「へえ十三年にもなるかな。それはお慶い。」
「有難う。何しろ十三年目だからね。」
「早いもんだな。」
「ほんとにさ。十三年目なんだからね。」
「可笑しいぢやないか、十三年目が何うかしたのかい。」
「うん何だか子供が出来さうなんだよ、何しろ十三年目だからね。」
聞けば柳川夫人はもう臨月に間もない身体ださうで、お慶い訳である。春葉氏の説によると、結婚後一二年で直ぐ出来るやうな、極安手な早上りは別として、少し遅い子供は七年目とか十三年目とかちやんと年期を追うて出来るものなのださうだ。
してみると、子供の無い者も、心配は十四年目から始めてもまだ遅くない。
美術学校問題
4・22(夕)
だが、石井柏亭氏等の後方にも岩村透男といふ茶目が控へてゐる。あの改革案が岩村男の指金で無かつたら、夙くの往昔に文部省の方でも取りあげてゐたに相違ないといふのは、少しく美術界の消息に通じてゐる者の誰しも首肯する所だ。
岩村男は洋行帰り当時は、洒脱な交際ぶりと諧謔交りの口上手と無学者ばかりの美術界に幾らか本を読んでゐる、若くは本が読めるといふので重宝がられて、自分でも下手な絵の方はそつち除に、美術の批評家になり済して了つた。
所がその美術の批評眼といふのが甚だ怪しい。文展審査員当時も、出品をじろりと一瞥して「拙いな」と顔を顰めて吐き出すやうに言ふが、さういふ口の下から、落款の「石井柏亭」といふ文字が目につくと、打つて変つたやうに「だが、よく見ると好いね。却々傑作だよ。」といふやうになつた事もある。
岩村男は口癖のやうに「八百屋の店先に転がつてゐる大根の曲線が解らぬやうでは裸体美の話は出来ぬ。」と言つてゐるが、世の中には大根の曲線だけが解つて、裸体美の一向解らぬ者が無いでもない。
誰やらの言ひ草ではないが、美術の批評家には二つの資格が要る。第一には美術が解らぬといふ事だ。第二には解らぬ癖にお喋舌がしてみたいといふ事だ。この二つを十分に備へたもので、初めて立派な美術批評家といへるが、かうした意味に於て岩村男を秀れた美術批評家といふのに無論異存はない。
だが、美術学校改革問題では、寧ろ岩村男一派のいふ事に真実があるのだから、美術通を以て任ずる高田文相はこの際同校に思ひ切つた革新が施して貰ひたい。これは極々の内証話だが、高田文相も岩村男と同じ意味に於て立派に二つの資格を備へた美術通である。
料理と芸
4・23(夕)
「味噌汁を拵へるのに、味噌の煮え立つ前に、滑つこい焼石を鍋に衝込むものがある。かうすると味噌がはつと吃驚して、その瞬間に所謂味噌の味噌臭い匂ひが失くなつて、真実の味となる。」
「鶏を料理するにも、この焼石の機転が無くてはならぬ。鶏を安心させておいて、その瞬間にはつと落す。落すにはそれ/″\自分が手に入つた方法を択んで差支ないが、唯落すその一瞬間は鶏に気取られぬ程の微妙な点が無くてはならぬ。気取られたが最後肉の味はまづくなる。自分は今日まで幾千羽といふ鶏を潰したが吾ながら巧かつたと思ふやうなは真に数へる程しか無かつた。」と。
巴里の葡萄検査所の横に、銀の塔を看板に出してゐる料理屋がある。三四年前まで其家にゐた主人は、家鴨料理の名人で、家鴨を片手でぶら下げながら、一寸庖丁を当てて切つて出すのが得意だつた。その日記を見ると、六十幾つまで二十五年の間三万四千余りの家鴨を料理したと書いてゐる。
三万四千羽! よくもこれだけの殺生をしたものだと思ふ。
「幾ら職業とは言ひながら、そんなに生物を殺す気持はどんなだらう。」
と訊くと、件の鶏屋の云ふ。
「職業ではありません。職業では迚も殺生は出来ません。料理は芸の一つで、芸には工夫とそれに附物の楽みといふものがありますからね。」
男女の奉納物
4・24(夕)
身に着けた物のうちで、一番大切な物といふと、往時はいふ迄も無く男には刀、女には鏡で無ければならなかつた。といふ訳で峰の薬師には刀剣と鏡とがどつさりあつて、何れも素晴しい名作揃ひだといふ噂だつたが、調べてみると鏡には逸品が鮮くないのに、刀は揃ひも揃つてなまくら許りとは飛んだ愛嬌である。
これで見ると、女には正直者が多いが、男には仏様の前でもペテンを行り兼ねない手合が少くないといふ事になる。願を掛けて願が叶ふ。掛けた当座は腰の業物を奉納しようと思ひながら、願が叶ふとついそれが惜しくなつて、飛んだ贋物で胡麻化してしまふ。お薬師様が刀の鑑定に下手で、加之に無口だから可いやうなものの、若しか犬養木堂のやうな鑑定自慢で、口汚ない仏様だつたら溜つたものでは無からう。
しかし今では女も男に負けぬ程狡くなつた。大隈伯が願を掛けたら、屹度義足を奉納する。貞奴だつたら桃介さんの心の臓でも納めよう。彼等は孰方も、もつと立派な掛替のあることを知つてゐるから……。
夜の祭
4・25(夕)
岡崎氏も人並外れた牛好きだけに、喜んでその註文を引受けて製作にかゝつたが、件の註文主は、牛を馬に乗り替へたものか、その後頓と音沙汰をしないので、岡崎氏は今では身銭を切つて、こつこつ仕揚に取りかかつてゐる。そして出来あがつた上は太秦のそれに倣つて牛祭を催す事に定めて、伊原青々園の祭文を、梅幸の振付で、その往時の丑之助の名に因んで菊五郎が踊るのだといふ。
太秦の牛祭は、静かな秋の夜半過ぎてからの祭で、鞍馬の火祭、宇治の県祭と並んで夜祭の三絶と呼ばれてゐる。岡崎氏は大の夜祭好きで、東京にそれが無いのを何よりも残念がつて牛祭だけは是非夜の祭にしたいと言つてゐる。――といふのは、氏は何よりも夜が好きなので、いつも夕方になると、ナハチガルのやうに、ふらりと巣を飛び出した儘、明方近くまで彼方此方を枝移りして飛び歩くのが癖になつてゐるからだ。
夜の祭には色々好い拾ひ物がある。県祭などにも色々な面白い夢が転がつてゐるのを聞くが、頼山陽なども、その夢を拾つた一人で、相手は何でも特殊部落の娘だつたらしいといふ事だ。
楊の木
4・26(夕)
むかし基督がエルサレムの何とかいふ郊外を通りかかつた事があつた。暖い日で額が汗ばむ程なので、基督は外套を脱いで、そこらの楊の木に引掛けた儘、岡を上つて多くの群衆にお説教をしに出掛けた。
空には小鳥が鳴いてゐるし、お腹には弟子達が焼いて呉れた犢の肉が一杯詰つてゐるしするので、基督はこれ迄にない上機嫌で、親父の神様に代つて、姦通のほかは大抵の罪はかけ構ひなく、大負に負けて天国へ通してやつてもいゝやうな事を言つた。実際その日はぶら/\天国へ旅立でもするには持つて来いといふ日和だつた。
楊の木は自分の頭にすつぽり被せかけられた外套を見た。どこかの金持の女が寄附したらしい立派な毛織で、神様の一人息子が着るのに不足のないものだつた。楊の木は自分にもこんな外套が一枚あつたらなあと思つた。聞くともなしに聞くと、基督は今姦通のほかは大抵の罪は許してもいゝやうなお説教をしてゐる。楊の木は片足踏み出したと思ふと、外套を被いた儘こそ/\逃げ出して往つた。
お説教が済むと、基督はいゝ気持で岡の下へおりて来た。見ると外套も無ければ楊の木も見えない。てつきり持逃げされたなと思ふと、基督は楊の木を呪はずには居られなかつた。それ以来その郊外には楊の木は育たなくなつたさうだ。
自分も基督に劣らぬ上等の外套を一着持つてゐる。この頃の暖い春日和にはそれをいろんな木に懸けて休むが、一度だつて盗まれた事が無い。日本の木は日本の婦人のやうにむやみに外套を欲しがらないものと見える。
男二人女二人
4・27(夕)
「君悪い事は言はないが、もう宜い加減に止したら何うだ。」
と、しみ/″\意見立をするさうだ。
エレン・ケイは子供は男二人女二人が最も理想的だと言つた。――確かエレン・ケイがかう言つたやうに覚えてゐるが、人間は何でも覚えるといふ訳には往かないから、若かするとケイの言つた事では無かつたかも知れぬが、何だかケイの言ひさうな事のやうに思はれる――実際男二人女二人は何からいつても都合が善ささうだ。だが、親の間違で(親といふものはよく間違を言つたり、為たりするものなのだ)その四人が五人に殖えたからといつて、何も首を縊つて死ぬるにも及ぶまい。五人は五人で、その時はまた理論の立て方もある。
英吉利の貴族は、恋で平民の娘と一緒になつたり、金で亜米利加辺の跳つ返りと結婚したりするので、それによつて血統の廃頽を救つてゐると言はれてゐるが、今度の戦争で貴族出の若者の多くは死んだり、傷ついたりしてゐるから、戦後の英吉利は血において最も革命的であらうと目されてゐる。社会上、思想上において英吉利が従来の伝統を維持して往くにはエレン・ケイの所謂、男二人女二人では迚も追付くまい。独逸や仏蘭西では心配する戦後の人口減少が、英吉利ではその上にまた伝統の危機を伴ふところが面白い。
俊子の道連れ
4・28(夕)
相手は妙齢の縹緻よしといふでは無し、また別に色つぽい談話をするのでもなしするから、そんなに肩が擦れ合はないでもよかりさうなものだが、そこは男と女だけにまた格別なものと見える。
別けて面白いのは、いゝ加減散歩をして、さてこれから別れようといふ時で、
「俊子は誰と一緒に帰るだらうな。」
とは、言はず語らずの間に、皆の胸に起きて来る疑問なのだ。俊子が一人離れて側道へ逸れてしまへばそれでいゝのだが、帰途の都合からそのなかの一人と途連になるやうな事があると、彼の二人は何だか物寂しい、欺されたやうな気持になるのださうだ。
酸いも甘いも知りぬいた筈の小説家とは言ひ条、男と女だ、無理もないさ――忘れてゐたが、田村俊子は女である。尤も自分は実地会つてみたといふ訳では無いが、俊子自身のいふのでは確に女である。
魯庵の友喰ひ
4・29(夕)
今では丸善の顧問で、禿げ上つた額を撫でながら一流の皮肉で納まつてゐるが、時折店の註文帳を調べてみて、A博士は先頃何とかいふ本を取寄せたと思つたら、それが直ぐ論文になつて翌月の雑誌に出たとか、B小説家の新作小説は、先日月賦払ひで漸と買取つたモウパツサン全集の焼直しに過ぎないとかいふ事を、極内々で吹聴するのを道楽にしてゐる。
むかし笠置の解脱上人が、栂尾の明恵上人を訪ねた事があつた。その折明恵は質素な緇衣の下に、婦人の着さうな、緋の勝つた派手な下着を被てゐるので、解脱はそれが気になつて溜らなかつた。出家の身分で、とりわけ上人とも呼ばれる境涯でありながら、こんな下着を被てゐるとは実際何うかしてゐるなと思つた。で、話の途切れに、
「つかない事を言ふやうぢやが、つひぞ見馴れない立派な下着を被てゐられますな。」
と幾らか皮肉の積りで言つてみた。
すると明恵は言はれて初めて気が注いたやうに、
「これでござるかな。」と一寸自分の襟を扱いて見せた。「これは予て私に帰依してゐる或る町家の一人娘が亡くなつたので、その親達から何かの代にと言つて寄進して参つたから、娘の菩提のためと思つて、一寸身につけてゐるやうな仕儀で――えらい所へお目が留りましたな。」
と言つて粛ましやかに一寸笑つてみせた。
解脱上人はそれを聞いて、
「要らぬ所へ目がついたな。ほんの一寸の間でもそんな所へ心を遣つたと思へば、明恵の思はくも恥しい」
と顔から火が出るやうな思ひをしたさうだ。
何も魯庵氏の事をいふのではないが、世の中には随分緋の下着を見つけたのを自慢に吹聴する者が居ないでもない。――よく断つておくが、何も魯庵氏の事ばかり言つたのではない。
涙と汗の音曲
4・30(夕)
先日備中酒津に同じ画家仲間の児島虎次郎氏を訪ねて、二三日そこに逗留してゐたが、満谷氏が何うかすると押売に謡ひ出さうとするのを知つてゐる児島氏は、奥の一室に子供が寝かしてあるといふのを口実に巧く難を遁れたといふ事だ。
以前京都で月に一度づつ琵琶法師の藤村性禅氏を中心に平曲好きの人達の会合が催されてゐた事があつた。場所は寺町四条の浄教寺で、京都図書館長の湯浅半月氏を始め二三の弾手が集まつたが、聴衆はいつも十人そこ/\で、それも初めの一二段を聴くと、何時の間にかこそ/\逃げ出して、肝腎の藤村検校が出る頃には、聴衆は一人も居ないといふやうな事が少くなかつた。
これではならぬと、仲間の歌詠や画家に塗つて貰つた短冊を五六枚と、茶菓子一皿を景品のつもりで、最後まで聴いて呉れた人に送ることにしたが、短冊と茶菓子の人並外れて好きな京都人も、矢張り最後まで居残る人は一人も無かつたので、折角の名案も何の役にも立たなかつた事がある。
人間に馬鹿と悧巧と二種あるやうに、音曲にも二つの種類がある。一つは涙を流す音曲。今一つは汗を流す音曲。
食物の味
5・1(夕)
「僕は景色を見るばかりでは満足出来ない、その上に気色を喰べるんでなくつちや……」
とは氏が例もよく言ふ事だ。
野口米次郎氏は「蟇を食べるのは、その唄をも食べるといふ事だ。七面鳥を頬張るのは、その夢をも頬張るといふ事だ。」といつて、よく唄やら夢やらを頬張つてゐる。
つまりこの人達は物を食べる時は、想像をも一緒に嚥み下してゐるのだ。
西川一草亭氏はこれとは反対に、物を食べる時には、その値段から切り離して持前の味のみを味はひ度いと言つてゐる。甘藷は廉いからとか、七面鳥の肉は高価いからとかいふ、その値段の観念に煩はされないで、味自身を味はひ度いといふのだ。
女房と朝飯と――何方が人世に関係する所が大きいだらうと疑つた者がある。
「なに朝飯さへ甘く食べさせて呉れるなら、女房のする事は大抵見遁してやるさ。」
と言つたものがある。
栖鳳の懐中時計
5・2(夕)
栖鳳と鴈治郎とがある所で落合つた時の挨拶を側にゐて聞いた者がある。その者の談話によると、二人は柔かい牡丹刷毛で腋の下を擽ぐるやうなお上手ばかり言ひ合つて、一向談話に真実が籠つてゐないので、一言でもいゝから真実の事を言はし度いと思つて、
「唯今は何時頃でせう。」
と訊いてみた。
すると、鴈治郎と栖鳳とはめい/\角帯の間から、時計を取り出してみた。栖鳳氏は言つた。
「私のは三時半です。一寸狂つてやしないかと思ひますが。」
鴈治郎は一寸時計を振つてみた。
「私のも三時半だす。さつきにから止つてたやうに思ひまんがな。」
二人は忠実な自分の時計をすらお上手なしには報告出来ないのだ。それを見て取つた第三者は自分の信じてゐる基督の名によつて、二人の懐中時計を持主相応のお上手ものにして欲しいと祈つたさうだ。
自分の霊魂と自分の女房を信じない人も、懐中時計だけは信ずる。その懐中時計をすらお上手なしに報告出来ない人は、世にも不幸な技巧家である。
ニツク・カアタア
5・3(夕)
ニツク・カアタアといへば、活動写真好きの茶目連は先刻御存じの探偵物の主人公だが、以前巴里にこの名を名乗つて大仕事をする宝石商荒しがあつた。巴里の宝石商といふ宝石商は、ニツク・カアタアの名前を聞くと、怖毛を顫つて縮み上つたものだつた。時の警視総監は刑事中での腕利として知られてゐたガストン・ワルゼエといふ男にこの宝石荒しの探偵を命令けた。
ワルゼエはよく淫売狩をも行つた男で、何でもその当時巴里で名うての白首を情婦にして、内職には盗賊を稼いでゐた。その頃流行の探偵小説から思ひついて、ニツク・カアタアといふ名で宝石屋荒しを行つてゐたのが、実はそのワルゼエ自身なので、上官の捜索命令をうけた時は流石に苦笑をしない訳に往かなかつた。所が間が悪く徒党の一人が捉まつたので、到頭露れて逮捕せられてしまつた。
自分は知事や警部長などいふ、役人を親戚に有たないやうに、神様をも伯父さんに持合はせてゐないから、はつきり見通した事は言はれないが、世の中には随分巴里の宝石屋荒しのやうな事は少くないと思ふ。呉々も言つておくが、自分は知事や警部長や神様やを伯父さんには持つて居ない。自分の伯父さん達は何も知らない代りに、何も喋舌らない人ばかりさ。
鴉と府知事
5・4(夕)
悪戯好きの男は不思議に思つて、鴉を解剖してみると、心臓が破裂してゐたさうだ。遊廓問題に行き悩んでゐる府知事の智慧袋のやうに、量の小さい鴉の心の臓は、この怖ろしい出来事に出遭つて何うにも持堪へる事が出来なかつたのだ。――と言つて、別段笑ふにも当るまい、鴉は維新三傑の子息では無かつたのだから。
ある時英国の一文豪が下院の演壇に立つて、
「諸君吾輩が考ふるに……」
と厳べらしく言つてその儘口を閉ぢた事がある。暫くして文豪はまた口を開いた。
「諸君吾輩が考ふるに……」
行き詰つた文豪は洋盃の水を嚥んで勢ひをつけた。
「諸君吾輩が考ふるに……」
こゝまで漕ぎ直して来て、また黙りこくつてしまふと、皮肉な一議員は議長を呼んだ。
「議長。尊敬すべき議員は三度考へられましたが、到頭何一つお考へになりませんでしたな。」
と半畳を入れたので、弁士は満場の笑声のなかに顔を火のやうにして引き下らねばならなかつた。
大久保知事は、遊廓問題について府会の十七人組の前で、二十八日迄に何とか考へると約束しながら、その英国の文豪と同じやうに何一つ考へなかつた。――それに何の無理があらう、物を考へるにはなかなか高価な材料が要る。府知事は誠実らしい顔付と、人形のやうな夫人と、流行の山高帽とその外色んな物を持つてはゐるが、唯一つ肝腎な物を持合はさない。肝腎な物とは他でもない、「勇気」である。
鬼
5・5(夕)
「安倍氏々々」
と言つて自分の名を呼ぶものがある。立停まつてみると、附近には誰一人姿は見えない。
安倍氏は凝と耳を傾けた。声は橋の下から聞えて来るらしい。掠めたやうな調子で、
「自分はもと洛中を騒がした鬼だが、余り悪戯が過ぎるとあつて貴方の御先祖安倍晴明殿のために、この橋の下に封ぜられて了つた。晴明殿はその後私の事などはすつかり忘れて了はれて、程なく亡くなられ申したが、私こそいゝ災難で、橋の下に封ぜられた儘あつたら千年の月日を過ごして了つた。何うか一生のお願ひだから封を解いて貰ひ度い。」
と言ふのだ。
安倍氏は亡くなつた父親の遺言にも、鬼の事は一向聞いて居なかつたので流石に一寸驚いた。家へ帰つて色々古い書物を捗つて見ると、封を解く呪文だけは何うにか了解めたが、さて封を解いたものか何うか一寸始末に困つた。
「折角先祖が封じたものを解いて、もしか鬼が知事か警部長かの耳の穴にでも入つて、何処かのやうに遊廓でも建て増されては溜らないからな。」
安倍氏はかうも考へたので、その後はどんな急用があつても、戻り橋だけは通らない事に定めてゐると聞いた。
新約全書の鬼は豚の尻の穴に逃げ込んだので、豚はすつかり気が狂つて海に入つて死んで了つたさうだ。安倍氏も一つ思ひ切つてその鬼を戻り橋の下から引張り出して大学の構内にでも追ひ込んだら面白からう。那辺には頭に鬼の入るだけの空地を有つた学者がちよつと居る筈だから。
月郊と床柱
5・6(夕)
ある日の事、月郊氏が幕間の時間を川上の楽屋で世間話に過してゐると、そこへその当時の大立物伊藤春畝公が金子堅太郎、末松謙澄などいふ子分を連れてぬつと入つて来た。何でも御贔屓がひに劇を見に来たのだが、例の気紛れで貞奴でも調弄はうと思つて楽屋口を潜つたらしかつた。
川上夫妻は狭つ苦しい自分の楽屋に、鷹揚な伊藤公の姿を見つけたので流石に一寸どぎまぎした。見ると床の間の上座には作者の月郊君が坐つてゐる。公爵などいふものは、床柱か女かの前で無ければ坐るべきものでないと思つてゐる川上は、成るべくなら、床柱と女房との真中に公爵を坐らせてみたかつた。で、眇のやうな眼つきをして一寸月郊君の顔を見た。
月郊君も何うやら川上の意は察したらしかつたが、実は伊藤公とは生れて初めての同座で、今後またこんな機会があらうとも思はれない。それに自分は今度の劇では作者であり、伊藤公は普通の観客に過ぎない。作者が観客に座を譲るやうな気弱い事では作者冥加に尽きるかも知れないからと、その儘素知らぬ顔で凝と尻を落つけてゐた。
流石に伊藤公は無頓着で、悪い顔もせず、入口にどかりと胡坐を掻いたまゝ、例の女の唇を数知れず嘗めた口元を歪めながら、芝居話に興じてゐたが、お伴の小さい政治家二人は苦り切つた顔をして閾際に衝立つてゐたさうだ。
何によらず小さいのは惨なものだが、とりわけ政治家の小さいのは気の毒なものだ。
父と子
5・7(夕)
「京都にはもう飽いたからな。」
と言つてゐる。
女買ひをするにも、昵懇になると面倒だからといつて同じ女を滅多に二度と聘ばないのを自慢にしてゐる位だから京都に飽いたといふのに無理も無いが、この評判の女買ひを肝腎の湯浅夫人だけは今日まで少しも知らなかつたさうだ。
湯浅夫人は神戸の女学院にゐた頃、書庫の図書を一冊も残らず読み尽したといふ程の読書人で、図書館長としては半月氏よりも、ずつと適任者であるが、堅い基督信者で、終始神様のお側に居過ぎた故で、つい人間の事を忘れて了つたらしい。
神様といふものは随分費用のかゝるものだが、その中で新教の神様は質素で倹約で加之に涙脆いので婦人には愛される方だが、余りに同情があり過ぎるので、時々困らせられる。
半月氏は例も笑ひ話しに、
「僕の父は金儲と道楽が好きだつたが、性来父に及ばない僕等兄弟は父の才能を二人で分担して、兄は金儲を、僕は道楽の方を演る事に定めてゐるのだ。」
と言つてゐる。半月氏の兄といふのは、洋画家湯浅一郎氏の阿父さん治郎氏のことだ。
子息の才能の総和が親爺のそれに匹敵するのは何うにか辛抱出来るが、大久保甲東の息子達のやうなのは一寸……。
酒
5・8(夕)
街灯の灯も点つてゐない真ツ暗がりに、Kは自分の鼻先に脊のひよろ高い男が立塞がつてゐるのを見たので、酔つ払がよくするやうにKは丁寧に帽子を取つてお辞儀をしたが、相手は会釈一つしないのでKは少し然とした。
「さあ、退いた/\。成り立の法学士様のお通りだぞ。」
Kはとろんこの眼を見据ゑて怒鳴るやうに言つたが、相手は一寸も身動きしようとしなかつた。
喧嘩早いKは、いきなり拳をふり揚げて厭といふ程相手の頭をどやしつけた。が、相手は蚊の止つた程にも感ぜぬらしく、Kを見下してにや/\笑つてゐる。若い法学士は侮辱されたやうに、暴にいきり立つて、
「野郎かうして呉れるぞ。」
といきなり両手を拡げて武者振ついたと思ふと、力一杯頭突を食はせた。法律の箇条書で一杯詰つてゐる筈の頭は、案外空つぽだつたと見えて、缶詰の空殻を投げたやうに、かんと音がした。
Kは脳振盪を起してその儘引くり返つて死んで了つた。相手は相変らず身動もしない。身動しないのもその筈で、相手は無神経な電信柱で、酔払つたKは夜目にそれを人間と見違へて喧嘩をしたのだつた。
Kは生き残つた母の手で青山の墓地に葬られたが、毎晩のやうにその夢枕に立つて、頭の向が違つてる違つてるといふので、母は人夫を雇つて掘返してみると、かんと音のした頭は果して南向に葬られてゐた。母親は泣き/\向きを直して葬つて了ふと、それ以来また夢枕に立たなくなつたさうだ。
魔法使
5・9(夕)
「お前は金銭の事で屈託してゐるらしいが、さう心配するが物はない。今日午過に、お前の主人が頭が病めるといひ出す。その折お前は何となく睡つぽくなるだらうからそれをきつかけに主人に相談してみろ、屹度金銭は出来る。」
と言つて教へて呉れた。
女は不審しながらも、魔法使の事は予て聞いてゐるので幾分待心で居ると、午過になつて案の定主人が頭が病めるといひ出し、自分は睡つぽくなつて来た。こゝぞと思つてお金銭の一件を相談すると、主人は二つ返事で重い財布を投げ出して呉れたさうだ。
瓜哇の魔法使は又かういふ事をする。多くの人の見る前で、砂を盛つた植木鉢へコスモスの種子などを蒔いて、じつと祈祷を凝す。すると種子が弾けて芽はぐん/\砂を持上げて頭を出して来る。一寸二寸と瞬く間に茎が伸びたと思ふと、最後に小さい花がぱつと開く。蹇を立たせた基督だつて、これ以上の不思議は出来まいと思はれる程だ。言ふ迄もなく基督は神様のお坊ちやんで、瓜哇の魔法使は乞食坊主である。
日本の魔法使も、埃臭い飛田の土の中から、コスモスの芽生には似てもつかない色々な物を見せてくれる。業突張の予選派の面。食しん坊の同志会の胃の腑。泥だらけな市長の掌面……。
女の親切
5・10(夕)
「貴方様の御好物でございますよ。」
といつて、にやりと笑つたといふ事だ。
大和屋の妓浜勇は、亡くなつた秋月桂太郎と好い仲だつたが、いつだつたか秋月が病気の全快祝に、赤飯だけの工面はついたが、帛紗の持合せが無いので思案に余つて浜勇に相談した事があつた。浜勇にしても色気は有り余る程たつぷり持合せてゐるが、肝腎のお銭といつては一文も無かつた。といつて男の頼みを無下に断る訳にも往かなかつたので、思案の末がたつた一枚きりの縮緬の腰巻を外した。
「これなと染替ておこ。」
といつて新しく色揚をして、帛紗に仕立てて間に合はせたさうだ。
画家のミレエの細君は貧乏で食べる物が無くなつた時には、雲脂だらけな頭をした亭主を胸に抱へて、麺麭の代りだといつて、熱い接吻をして呉れたものださうだ。
尾崎テオドラ夫人は、「主人は国事に頭を使つてゐるから、家庭では成るべく気を遣はないやうに静かにさせてゐる。とりわけ食事は女中任せには出来ないから」といつて手製のオムレツ許りを頬張らせてゐるさうだ。
散銭に色々文字替りがあるやうに、顔立で別けると女にも色々種類はあるが、大抵は皆男に親切なものさ。
雪舟と禿山
5・11(夕)
それは他でもない相模や紀州の海岸で、人里離れた、眺望のいゝ山を買込んで、自分の別荘地としておくのだ。別荘地といつたところで、掘立小屋一つ建てるのでは無く、夏になると、南向きの恰好な足場に天幕を張つて、飯だけは近くにある田舎町の旅籠屋から運ばせる事にして、日がな一日天幕を出たり入つたりして自然を娯むのだ。
「真物の山水のなかへ浸つて、自分も景物の一つになつて暮らす気持は、雪舟の名幅を見てるよりも、ずつと気が利いてるからな。」
と氏は言ひ/\してゐる。
そんなだつたら何も自分で山を買はなくとも、何処でも構はない景色の美い土地へ勝手に天幕を持込んだらよかりさうなものだが、嘉納氏に言はせると、さうは往かない。
「人間には所持慾つて奴があつて自分の有にしないでは落付いて娯まれないのだ。兎一つ棲まないやうな禿山だつて自分の有にするとまた格別だからな。」
成程聴いてみれば無理もない。世の中には髪の毛一本生えてない禿頭を、自分の持物だといふだけで、毎朝磨きをかけてゐる人間もある事だから。
「相模や紀州の突端だけに、往来が不自由で、さう/\は出掛けられないが、然し雪舟の名幅だつて、何時も掛け通しにして置く訳のものでは無い。一年に一度が精々なのを思ふと、夏休みに一度でも禿山を見舞つたら、それで十分ぢやないか。」
と言つてゐる嘉納氏は、
「さういふ雪舟代用の山だつたら、一度見せて貰ひ度いものだ。」
と愛相を言ふ人があると、急に顔の相好を崩して、
「是非見て貰ひ度い、富豪が雪舟を見せ度がる格で、禿山でも自分の者になると、矢張見て貰ひたくてなあ。」
風景画好きの嘉納氏が、雪舟の代りに禿山を掘出したのは面白いが、そんぢよそこらの美人画好きも、春章や歌麿の美人画代りに、活きた女菩薩でも探し出して、腰弁当でちよく/\出掛けたらどんな物だらう。
借金の名人
5・12(夕)
一部の画家仲間に天才人と言はれた青木繁が、また借金の名人で、どんな画家でも出合頭にこの男と打衝つて二語三語話してゐると、慈善会の切符でも押し付けられたやうに、つい懐中から財布が取り出したくなるといふ事だ。尤も画家などいふものは、無駄口と同情は他一倍持合せてゐる癖に、金といつては散銭一つ持つてない輩が多いが、さういふ輩は財布を開ける代りに、青木氏を自分の宅に連れ込んで、一月二月は立養ひをしたものださうだ。
青木氏が東京に居られなくなつて浴衣一枚で九州落をした事がある、その折門司か何処かで自分が子供の時の先生が土地の小学校長をしてゐるのを思ひ出した。青木氏は倒れ込むには恰好の家だとは思つたが、流石に着のみ着の儘の自分の姿が振りかへられた。
所へ魚釣の帰途らしい子供が一人通りかゝつた。手には小鮒を四五尾提げてゐる。青木氏は懐中の写生帖から子供の好きさうな画を一枚引き裂いて、それと小鮒の二尾程と取り替つこをした。
「いゝ物が手に入つた、これさへあれば大手を振つて先生の家へ倒れ込まれる。」
青木氏は独語を言ひ/\、久し振に校長の宅を訪ねた。校長は玄関へ飛び出して来た。(念の為言つておくが、学校教員といふものは自宅では玄関番をしたり、子供の襁褓を洗つたりするものなのだ。)
青木氏は校長の顔を見て、
「先日から門司へ写生に来てゐましたが、今日は一寸釣りに出掛けて、お門を通り掛つたものですから……」
と言つて蠱術のやうに小鮒を校長の鼻先で振つて見せた。校長は、
「さうか、よく訪ねて呉れた。」
といつて、手を執る許りにして、青木氏を座敷へ引張り上げた。
何処を何う言ひ繕つたものか、青木氏はその儘二月程校長の宅に平気でごろ/\してゐたさうだ。――これを天才といふに何の不思議もない筈だ。他人が顔を赧めないでは居られない事を、平気で遣つて退ける事が出来るのだもの。
太陽に惚れた人
5・13(夕)
バリモントは仏蘭西のユゴオのやうに太陽と美との熱愛者で、その名高い詩集にも『太陽のやうに』といふのがある位だ。この詩人が文壇に立つてから、二十五年目の記念会が三四年前ペテルブルグ大学で開かれたことがあつた。その折ブラウン教授の挨拶に、
「バリモントがこの世に生れたのは太陽を見るためだつた。太陽はこの詩人の心を饒かに、その夢を黄金にした。太陽はその詩の何れもに燃えてゐる。」
と言つた程、お天道様に惚れてゐる人なのだ。この人が暗い淋しい露西亜を出て、明るい陽気な「日出づる国」へ旅立するのに不思議はない筈だ。
(その自伝によると)バリモントは五歳の時に、婦人を見るとぽつと顔を赧めるやうになり、九歳の時には真剣に女に惚れるやうになり、十四の時に肉慾を覚えたと言つてゐる。五歳といへばまだミルク・キヤラメルの欲しい年頃だ、日本では『好色一代男』の主人公が腰元の手を取つて、「恋は闇といふ事を知らずや」といつたのは、確か七歳だといふから、バリモントはそれ以上の早熟た子供で、その頃から乳母にお尻を叩かれては、くす/\喜んでゐたに相違ない。
二十二歳の時、友達が自殺をしたのに感化れて、三階の窓から下の敷石を目がけて身投をした事があつた。骨は砕けて、身体は血塗れになつたが、不思議と生命だけは取り留めて、それからはずつと健康でゐる。バリモントは後にその折の事を思ひ出して、
「お蔭で創が癒つてからは、人間も一段と悧巧になり、従来のやうに鬱々しないで、その日その日を娯しむやうになつた。」
と言つてゐる。
女がお産をして強くなり、色男が女に捨てられて賢くなる格で三階から飛下りて吃驚したのでそれ迄皮膜を被つてゐた智慧が急に弾け出したのだ。それを思ふとやくざな知事や大臣は紙屑のやうに一度三階から投り出してやり度くなる。
死人の下駄
5・14(夕)
それも古風な身投などの場合に限らず、電車や汽車で轢死をする場合にも、履物だけはちやんと揃へてゐるから可笑しい。どんな粗忽屋でも下駄を穿いた儘で軌道に飛び込むやうな無作法な事はしない。家鴨が外套を脱いで鴨鍋へ飛び込むやうに、自殺でもしようといふ心掛のある者は、履物を脱ぎ揃へて軌道に横になる位の儀式はちやんと心得てゐる。
電車の車掌なども、轢死者があつた場合は、其奴が男か女か、老人か子供か、馬鹿か悧巧かを吟味する前に、先づ履物を調べる。そして履物がちやんと揃へて脱ぎ捨ててあるのを見ると、
「占めた。やつぱり自殺だつた。」
と、吻と胸先を撫でおろすさうだ。だから間違つて電車に轢き殺される場合には、成るべく履物を後先へ、片々は天国へ、片々は地獄へ届く程跳ね飛ばす事だけは忘れてはならない。さもないと、自殺に定められて、慰藉金も貰へない上に、理窟の立たない厭世観さへ抱かされるやうな事になる。
同じ淵でも身投をする場所は大抵定つてゐるやうに、長い電車線路でも轢死する場所は、大抵見当がついてゐるさうだ。だから、狡い運転手になると、その区間だけは速力の加減をする事を忘れない。
もしか大隈伯が身投でもする場合には、矢張履物を脱いで、義足を露出しに死ぬるだらうかと疑つた者がある。すると、いやあの人の事だ、死ぬ前に義足は割引で売つてしまふだらうと言つたものがある。
性慾
5・15(夕)
「イリヤ、こゝでは誰も聞いては居ないし、私達もお互に顔が見えないから、恥かしい事は無い。お前は今日まで女と関係した事があるかい。」
と訊いた。
息子のイリヤが、
「否、そんな事はありません。」
と答へると、トルストイは急に欷歔をし出した。そして子供のやうにおい/\声を立てて泣き出すので、息子のイリヤも屏風の裏でしく/\泣き入つたといふ事だ。
トルストイは私に相談して泣いた訳でも無かつたから、何故息子の返事を聞いて泣き出したか解る筈もないが、察する所、自分が若い頃の不品行に比べて、息子の純潔なのについ知らず感激させられたものらしい。
新渡戸稲造博士は、自分が近眼の原因をある学生に訊かれた時、次の室の夫人に聞えないやうに声を低めて、
「無論本も読んだには読んだがね、然し本を幾ら読んだからつて、人間は近眼になるものぢやない。僕は学生時代にね……」と『英文武士道』の表紙のやうに一寸顔を紅くして「気恥しい訳だが、性慾の自己満足を余り行り過ぎたもんだでね……」
と言つて、口が酸つぱくなる程性慾の自己満足を戒めたさうだ。
新渡戸博士が自分の近眼と性慾の自己満足を結びつけて、深く後悔して居るのは善い事だが、世の中には近眼者といつても沢山居る事だし、その近眼者が皆が皆まで博士のやうな「良心」を持合せてゐまいから、達て近眼を恥ぢよと言つた所でさう/\恥ぢもすまい。
聖アントニウスはあの通りの道心堅固な生涯を送りながら、猶側の人の目に見える迄性慾の煩悶に陥つてゐた。アントニウスの眼の前には毎夜のやうに裸の美人が映つて、聖者を誘惑しようとして有ゆる戯けた姿をして踊り狂つてゐたといふ事だ。
男の聖者が多く女の聖者を渇仰するに対して、女の聖者は大抵男の聖者に帰依をする。ロヨラは聖母マリヤの信仰家であつたが、婦人の多くはナザレの耶蘇と精神的結婚を遂げてゐるのだ。もし耶蘇があの年齢で髪の毛の縮れた女房でも迎へてゐたなら、大抵の女は教会で欠伸か居睡りかをするだらう。実際女は猫のやうなもので、鼠のゐない時には屹度欠伸か居睡りをする事を知つてゐる。
虱
5・16(夕)
虱は慌てて其辺を這ひ回つたが、職人の掌面は職人の住むでゐる世界よりもずつと広かつた。虱は方角を取り損つて中指にのぼりかけた。生れて唯の一度も運を掴んだ事のない掌面だけに、指も普通よりはずつと短かつたので、虱は直ぐと指先に上りきつた。
職人はわざと皆に見えるやうに中指を鼻先に持つて来て、四辺を見越してにやり笑つた。この無作法な素振を見て誰一人怒り出さうともしなかつた。皆は顔を見合せて苦笑ひするより外に仕方が無かつた。
蚤に小つぽけな馬車を牽かす蚤飼の話は噂に聞いてゐるのみで、実地見た事はないが、虱は唯もうその辺を這ひ回るのみで、芸人としては一向価値が無い。
職人は暫くそんな悪戯をしてゐたが、最後に袂を探つて、マツチを取り出したと思ふと、ぱつと火を磨つて虱の背に当てがつた。この懶惰な芸人は手脚をもじもじさせてゐたが、ぴちと爆ぜたやうな音がしたと思ふと、身体はその儘見えなくなつてしまつた。恰ど耶蘇の死骸が墓のなかで紛失したやうなもので、不思議は四福音書にあるやうに、職人の掌面にもあるものなのだ。
「人は自分の蚤を殺すには、自分の流儀を使ふ外には仕方が無い。」
――仏蘭西人はよくこんな事をいふが、真実だなと思つた。
女の手
5・17(夕)
何がさて、急場の事なり、書物や古履や日本魂などいふ、やくざな荷厄介な物は、皆一纏めに下宿屋の押入に取残した儘逃げて来たので、皆は腑抜のやうな顔をして溜息ばかり吐いてゐた。もしか兵隊さんの大きな面が窓越しに覗きでもしようものなら、皆は護謨毬のやうに一度に腰掛から飛上つたかも知れない。
汽車がレアタアの次ぎの駅に着くと、一人の若い娘が入つて来て空席に腰をおろした。それを見ると其辺の黄いろい萎びた顔が一度に灯が点いたやうに明るくなつた。――それに何の無理があらう、娘の直ぐ隣には、A医学士がゐる。医学士は、女をパラピンのやうに掌面に丸め込む事に馴れてゐる男だ。
皆は言ひ合せたやうに、眼を閉ぢて睡つた風をしてゐた。医学士は娘に向つて、一言二言話してゐるうちに、例も女を蕩す折にするやうに、掌面の講釈を始めた。支那の哲学者が言つたやうに(A医学士は哲学者とか袋鼠とか自分の知らない物は悉皆支那に棲んでゐると思つてゐるのだ)人間一生の「幸運」は掌面の恰好と大きさとに現れてゐるといふ前置で、
「お嬢さんのと僕のと、何方が掌面が大きいのでせう、一つ比べてみませんか。」
と言つて、安々と娘の暖さうな掌面と不恰好な自分のをぴたりと合せたと思ふと、その儘凝と握り締めた。
狸寝入の連中は、もう胸をわくわくさせ出した。娘が別に振切らうともしないのに味をしめた医学士は、円まつちい娘の首根つこを抱いたと思ふと、いきなり唇を鳴らした。
「うまい事を行つたのう。」
直前のK法学士が、溜らなささうに喚いて眼を露くと、皆は一度に眼を開いて笑ひ出した。娘はとう/\居溜らなくなつて次の室に逃げ出したさうだ。
国境へ立退きのどさくさにも、まだ女の唇を忘れないのは流石に医者だけある。医者といふ者は、死人の枕もとに坐つて、薬代の胸算用が出来る程余裕のある人間だ。
メフイストフエレスは若い学生に、女の手を握らうと思へば医者になれと勧めた。実際医学ほど詰らぬ学問も少いが、唯一つ女の手が握れるので埋合せがつく。
漱石氏と黄檗
5・18(夕)
「京都では別にこれといつて気に入つた物もないが、唯黄檗と指頭画とには悉皆感服させられた。」
と言ひ/\してゐる。
指頭画は下らぬ芸で、大雅堂なども一頻りこれに凝つた時代があつたが、友達に戒められて思ひ止まつてしまつた。
「何故黄檗が好いんだらう。」
といふと、
「一体お寺の本山などいふものは、山の腹か頂辺かに建ててある。見ると嶮しく落つこちさうで危い。そこになると、黄檗はあの通り平地に建つてゐるので、廓然と気持がいゝつたらない。」
と言つてゐるが、実の所は胃病持だけに高い所は息切れがして堪らない故らしい。
漱石氏は近頃よく拙い画を描く。臆面もなく拙い画を描く。正岡子規は画をかくのに、枕頭に草花や果物を置いて、よく写生したものだが、漱石氏は一向写生といふ事をしない。他人が手器用にさつさと筆を塗つて往くのを見ると、羨ましさうにちよつと舌打をして、
「画つてものは、そんなに忙しさうに描いちや駄目だよ、緩くり落着いて掛らなくつちや。」
と言ひ/\、子供のやうに長く寝そべつて、だらけた胃袋を畳の上に投げ出しながら、何ぞといふと黄檗のやうなお寺の屋根瓦を一枚一枚描きにかゝる。そしてそれが出来上ると、今度は黄檗で見たやうな松の樹を描いて、克明にも松の葉を一本々々つけてゆく。
「そんな出鱈目な山水なぞ描かないで、何か写生したらよかりさうなものだ。」
といふと、にやりと笑つて、黄檗の禅坊主がするやうに、いかにも意味がありさうに一寸指先きで自分の胸元を指して見せる。そこには黄檗に似てもつかない弱い胃の腑が溜息を吐いてゐる。
狐と狸
5・19(夕)
狸退治の極意を一寸こゝにお話すると、(何うか成るべく口の中で低声で読んで欲しい、さもないと狸が立聞するかも知れないから)狸はよく雨夜に出て悪戯をする。春雨のしと/\降る折、夜道を一人通ると、だしぬけに傘が重くなる事がある。
「狸だな、やい誰だと思つてるんだ。見違ふない。」
独語を言ひ/\、てつきり狸が傘の上に載つかゝつてゐるものと思つて、誰でもが唯もう無中になつて頭の方ばかり気にする。
だが、これは飛んだ間違ひで、実はこの時狸は傘の柄にぶら下つてゐるのだ。だから夜途で雨傘が重くなつたら、いきなり拳を固めて厭といふ程柄の下を擲つてみる。すると狸はその儘気絶をするか、さもなければ這ひ踞つて屹度謝罪をする。
序でに狐退治の極意を披露すると、田舎の一軒屋などでは、夜が更けると狐がとん/\と扉を叩いて悪戯をする事がある。その時狐は後向になつて持前の太い尻尾で扉に触つてゐるのだ。さういふ折には何気ない調子で、
「どなた?」
と訊いておいて、暫くしてから扉を開けると、狐は屹度其辺の小陰に身を潜めてゐる。
態とぶつくさ言ひながら、また扉を閉て切ると、直ぐ後からとん/\と聞える。
「どなた?」
と扉を開けると、狐は既う居ない。三度目が愈々の正念場で、扉を閉めて暫く待つてゐると、興にはづんだ狐の脚音がして、尻尾の扉に触る音が聞えたか聞えぬかに、矢庭に扉を引開けると、後向きに尻尾を振りあげた狐は、機みを喰つて閾越しに庭に転げ込んで来るので、直ぐ手捕にする事が出来る。
以上狐狸退治の秘伝、親類縁者たりとも極内々の事内々の事。
俘虜研究
5・20(夕)
井上氏の言葉によると、露西亜の俘虜は一向研究心が無いから、長い間日本に居ても、日本語はからきし判らなかつたのに、独逸の俘虜は大抵日本語が解る。解るのみならず、上手にそれを操る事が出来る。
物を買ふにも、露西亜の俘虜は行きつけの店へ入つて、お昵懇の積りで笑顔の一つも見せる事を知つてゐるが、独逸の俘虜には一向行きつけの店といふものが無い。韈一つ買ふにも、市中の雑貨商を二三軒歩き廻つた上、一番廉い店で買ふ事にする。
露西亜人は俘虜になつても、自分は大国の国民だ、沢庵を噛つて、紙と木片とで出来上つた家に住んでゐる日本人などと比べ物にはならないといふので、日本人が滅多に手も着けない飛切の上等品を買込むが、独逸人は夢にもそんな贅沢な真似はしない。買ふ物も買ふ物も、みんな日本人が手に取らうともしない下等品で、値段が廉くさへあれば、喜んで買ひ取る。
だから露西亜の俘虜は何時でも借金だらけで「霊魂」が抵当になるものなら、書入れに少しの躊躇もしないが、可憎日本では「霊魂」の相場が安過ぎるので詮事無しに自分達が本国から送つて貰ふ筈の月給を抵当に、行きつけの店から借り出すものが多かつたが、独逸人は借金どころか毎週定つたやうに貯金をする。もしか日本の監督将校が首でも縊りさうな顔をしてゐると、
「何うだ金が要るのか、利子さへきちんと払つたら幾らでも立替へるぞ。」
といふやうな事をいふ。
露西亜人はあゝした暢気な、お人好しの国民だから、俘虜になつても、例のオブロモフ主義で喰つては寝転び、偶に女の顔を見てにや/\する位が落だが、独逸人となると例の研究好きで、暇さへあると何か取調を始める。誰だったか[#「誰だったか」はママ]独逸人を地獄へ堕したら、屹度地獄と伯林との比較研究を始めて、地獄の道にも伯林の大通のやうに菩提樹の並樹を植付けたい。それには自分に受負はせて呉れたら格安に勉強するとでも吐くだらうと言つたが、松山に居る独逸の俘虜で、日本の紋の研究を始めて、材料をどつさり集めてゐるのがあるさうだ。
独逸の俘虜は物を買ふのに、屹度雨降の日を選つて出掛ける。雨降りだと、日本人がうるさく附き纏はないから、韈一つ買ふにも町中歩きまはつて、ゆつくり値段の廉いのを捜す事が出来るからださうだ。
一万円の仏画
5・21(夕)
紀氏は遅緩かしくなつて、友達仲間を説き廻つて、
「誰でもいゝ、この画を一万円に周旋つて呉れたなら、手数料として千円位出しても可い。」
といふので、仲間の美術通や画家などは、血眼になつて得意先を駈けづり廻つてゐる。言ふ迄もなく美術通や画家などいふものは、閑暇がある代りに金銭が無い連中である。
一体仏画といふものはざらにあるが、名高い二十五菩薩来迎や山越の阿弥陀などを除けると、何れも凡作揃ひでお談話にもならぬが、美術の好きな者には盲目が多く、盲目には富豪が多いから、下らぬ仏画に万金を投じても悔いないのだ。
紀君の仏画はまだ見た事もないし、それに売物の事だから彼是言はうとも思はないが、一体何を標準に一万円といふ売値をつけたのだと訊いてみると、亡くなつた岡倉覚三氏がその画を見て、米国へ持込んだら屹度三万円には売れるだらうといつた、その一言を標準に、大負けに負けて一万円といふのださうな。
岡倉覚三氏は邦画の鑑定にかけては、随分鋭い鑑識を持つてゐた人だから、あの人の鑑定つきだったら[#「だったら」はママ]、三万円位投り出す富豪があつたかも知れないが、さうかといつて紀氏も地獄へまで鑑定書を取りにも往けまい。尤も大隈伯にでも頼んだら、二つ返事で地獄の門番に添書だけは書いて呉れるかも知れない。あの人は人に親切を尽すといふ事は、添書をつける事だと弁へてゐるのだから。
その一万円が手に入つたら、紀氏は真面目に支那画を研究したいと言つてゐる。支那画も善いには相違なからう。人間といふものは、金銭が手に入らない間は、いろんな善いことを考へつくものだから。
貴婦人と音曲
5・22(夕)
延寿太夫はその席上で、『角田川』を語つた。清元としては甚く上品なもので、何も判らない聴衆は何れも手を拍つて喜んでゐたが、自分は独り欺かれたやうな気持がしない事もなかつた。
意気で、うまみで持つてゐる清元を、強ひて上品に拗曲げようとするのは寧ろ当流音曲の自殺である。四代目お葉は二代目の不思議な横死が富本の手で行はれたかも知れないといふ疑一つで、富本の紋章に縁のある桜の花は生涯家に植ゑさせなかつた程だ。家の芸が自分で首を縊らうとするのを見たら、どんなに言ふだらう。
先代の延寿は道楽といふ道楽を仕尽して、とどの果には舌切情死までしようとした。さういふ遊蕩的分子をその血にたんと持伝へてゐたから、舌切雀のやうに情死で損じた舌をも、何うにか工夫して独吟となると聴客の魂を吸ひつけるやうな離れ業も出来たのだ。ラムネの瓶にはギヤマンの「魂」が、露西亜人にはだらけた「心」が要るやうに、清元に無くて叶はぬものは、この遊蕩的分子である。
今の家元は所謂上流夫人といふ階級の気に入らうとして、清元を『角田川』のやうなお上品なものにしようとしてゐる。今の上流夫人の好くものは、お手製の西洋菓子と、オペラ袋と、新音曲と――孰れもお上品で軽い物揃ひである。
一木内相の発見
5・23(夕)
「人間の性慾といふものは、却々抑へ切れないものだから、それを遂げさす機関も無くてはならない。」
と言つたさうだ。
卸し立ての手帛のやうに真白で皺の寄らない心を持つた或る真言の尼僧は、半裸体の仏様のお姿を見て、
「まあ、仏様にも臍がある……」
と言つて、悲しさうな声を出して泣いたさうだ。一木内相が人間に性慾があるのを発見したのは、仏様に臍があるのを見つけたと同じやうに、非常な発見で、この場合内相が若い比丘尼のやうに声を立てて泣かなかつたのは、流石に男である。男といふものは女と同じやうに神様の玩具に過ぎないが、女には胸を押へると泣き出す仕掛があるのに、男にはそれが無いだけの相違だ。
一木内相は男である。男だから毎週土曜日の午後には東京を発つて小田原の別荘へ行く事に定めてゐる。別荘には夫人が待つてゐる。夫人は言ふ迄もなく女である。――それを思ふと、何事も二宮宗の勤倹一点張でやり通さうとする内相に、性慾は余り贅沢過ぎるやうだ。
神様は粘土で人間を作るのに、凡て自分に肖せたといふ事だ。ジヨオヂ・ムアに従ふと、英吉利の男も矢張神様のやうに、自分達に肖せて女を拵へるが、それに要る土だけは亜米利加から取寄せてゐるといふ事だ。
一木内相の理想通りに女を拵へさせたら、どんな物が出来上るだらう。堅麺麭のやうな二宮宗に、ちよつぴり性慾を撮み込んだ、恰でサンドヰツチのやうな女が生るに相違ない。
仏の笑顔
5・24(夕)
日光を結構な土地と思つたのが間違で、日光には鋳掛屋の荷物のやうな、ぴか/\した建物があるだけで、那処では芸術は死んでゐる。あれを有難いものと思つてゐるのは、関東人に腹の底からの田舎者が多いのを証拠立ててゐる訳だ。バリモントも態々日光へ出掛けるなぞ無駄な事をしたものだが、それでも感服しなかつただけが取得だ。矢張評判に背かないだけの詩人の感覚といふものを持つてゐると見える。
日本の景色を恰で楽園のやうに云ふ人がある。エデンに嘘吐きの蛇と、騙され易い女とが居るやうに、日本にもこの二つがざらに居るから、この意味で楽園だといふのに異議は無いが、景色はさう/\自慢する程のものではない。バリモントも詩人だといふからには、景色だけを見に態々来なかつた筈だ。
関西へ来たなら、是非見せて置きたいものが二つ三つある。一つは京都の博物館にある婆藪仙人と今一つは法隆寺の宝蔵にゐる何とか言つた仏体だ。(以前訳のあつた女の名前も時々忘れる事があるやうに、名高い仏様のお名前もどうかすると想ひ出せない事があるものだ。)
日本に長く居た工芸家のリイチ氏なども、日本の彫刻は大抵見尽したから、価値はちやんと解つてゐるなどと、甚く喰つたやうな事を言つてゐたが、件の仏像に惚れぬいてゐる富本憲吉氏が、
「頼むから、たつた五分間でもいゝ見て欲しい。」
と、嫌がるのを無理に引張つて往くと、魂でも吸ひつけられたやうにその前に棒立になつて、
「素敵だな。こんなものが日本にあらうとは思ひ掛けなかつた。ビンチのジヨコンダが思ひ出されるやうな作品だ。いや、ジヨコンダ以上だ。」
と賞立てた事のある仏体だ。
ジヨコンダも謎のやうに笑つてゐるが、法隆寺の仏様も笑つてゐる。ジヨコンダの笑ひは人間臭いが、この仏様の笑ひは天人の笑ひである。笑ひといへば京都博物館の婆藪仙人も笑つてゐる。これは地獄を見て来た者の笑ひである。
書物
5・25(夕)
「近頃はどんな本をお読みですかい。」
と訊いてみた。すると鎌田氏は馬のやうに気取つて、そして馬のやうににやりとして、
「近頃は本なぞ些とも読みませんさ。世間は私や門野君を――」と側に居合はせた門野幾之進氏を一寸振り返つて、「まるで本ばかり読んでゐる男のやうに思つてると見えて、よくそんな質問に出会しますがね……」
と言つてゐた。
先日まで京都図書館長をしてゐた湯浅半月氏に、
「君の顔はどこかモウパツサンに肖てゐる。」
と出鱈目の挨拶をした者がある。すると湯浅氏は禿かかつた前額をつるりと撫で下して、
「誰やらもそんな事を言つたつけが……」
と言つて、その翌日これまで図書館に持合はさなかつたモウパツサン全集の英訳を丸善に註文したといふ事だ。
湯浅氏がモウパツサンに少しも肖てゐないやうに、誰も鎌田氏を読書人だと思ふものも無からうが、当人になつてみると、世間がそんなに買被りをしてゐるらしく思はれるものと見える。
だが、かう言つた所で鎌田氏も失望するが物は無い。本を読むといふ事は、ココアを啜るといふ事と同じで、何も大した事では無いのだ。渋沢男爵などは、婿の阪谷男が万国経済会議に出掛ける餞別にポケツト論語を贈つたさうだが、あれなども何ういふ気でした事か一寸考へ及ばれない。
論語は善い本だ。善い本だからと言つて、それで人生が引くり覆るものなら、この世は幾度か既う引くり覆つてゐる筈だ。
新画
5・26(夕)
茶話子は散歩をするのに、四つ辻へ来ると手に持つた洋杖なり蝙蝠傘なりを真直に立ててみてそれが倒れる方へ歩き出す事がよくある。
近頃新画の展覧会があちこちで開かれるが、作家と絵の出来栄について何の好悪も持たない今の成金のなかには、眼を閉ぢて番組を押へるとか、又は従来自分と縁起のよかつた、25とか73とかの番号に当つてゐるのを捜すとかして、それを買取る事にきめるのがある。
そんな時には何うかすると同じやうな買手が顔を出すもので、互に意地を張つた末が、定つたやうにぢやん拳で縁極めをする。よく新画の展覧会へ出掛けると、一つの画幅の前で火喰鳥のやうな鋭い顔をした男が三四人、ぢやん拳をして、きやつ/\乾躁ぎ散らしてゐるのを見掛ける事がある。
なかには地所を買ふより割高になるといつて、展覧会があると、絵なぞ一目とも見ようとはしないで、電話でもつて何号から何号まで総高幾干を取除けて置いて貰ひたいと、恰ど勧業債券でも買込むやうな取引をするのがあるさうだ。
大浦の隠居さんが取引した議員政治家の値段と、栖鳳が書きなぐつた雀一羽とを比べてみると、雀の方がずつと値が高い。流石は結構な美術国である。
禁酒のお水
5・27(夕)
忠朝は生きてゐる間は、鉄の棒を揮りまはす外には何の能も無かつた男に相違ないが、死んでからは面白い内職にありついてゐる。内職といふのは、禁酒の願を聞くといふ事なのだ。一体男に禁酒させるのは、女に有難がられる第一の功徳で、世の中に仕事といふ仕事は沢山あるが、女に有難がられる仕事ほど行り甲斐のあるものは無い。
忠朝の墓前に小さな壺があつていつも蓋がしてあるが、中には銀のやうな水が溢れてゐる。酒を断たうとする者は、その水を戴いて飲むと、何日の間にか酒嫌ひになるといふ事だ。
ある日其処を通りかゝると、頭を島田に結つた十七八の女が、壺から水を掬むで家から持つて来たらしい硝子瓶に入れてゐるのがある。
「何うするんだね。」
と訊くと、
「檀那はんが酒癖が悪うおますよつて、ぶぶうに入れて上げるのだつせ。」
と、女は「救世主」のやうな、おせつかいな顔をして私を見た。実際女といふものは、男の知らぬ間に、その飲物のなかへ色々な物を撮み込むのが好きで溜らぬらしい。それが酒断の水であらうと、塩であらうと、莫児比涅であらうと、悉皆持合せのおせつかいからする事なので、男は目を閉つて謹んでそれを戴かなければならぬ。
ハウプトマンの『沈鐘』を読むと、鐘師のハインリツヒが山の上で怪しい女と酒を飲んで踊つてゐると、村に残した子供二人が、大事さうに小さな瓶を提げて坂を上つて来る。瓶のなかには何があるのだと訊くと悲しさうな顔をして、
「母様の涙です。」
といふ条がある。
母様の涙は少し鹹つぽいが、忠朝の墓の水は冷つこい。どちらも妙に酒飲みの阿父さんには効力があるといふ事だ。
清方と輝方
5・28(夕)
「どうだい閑だつたら久し振に一緒に築地辺でもかうか。」
といふやうな談話が持上つて、二人は嬉しさうに築地へ散歩に出掛けた。
清方といふ人は江戸ツ子によくある酷い郷土自慢で、偶に病気にでも罹つて、箱根辺へ保養に出掛けなければならぬ折には、家族と水盃も仕兼ねない程の旅行嫌ひで、東京市内でも山の手は田舎臭いといつて、滅多に出掛けた事が無いさうだが、その日は築地だつたから、別れに水盃の必要もなかつた。
だが、これには理由のある事、清方氏は輝方氏とは同じやうに築地で育つた人で、子供の時分には互に顔は見知らなかつたものの、清方氏の家には葡萄棚があつて、夏になると美しい房が鈴生に生るので、腕白者の輝方氏は近所の鼻つ垂しと一緒に、いつも盗みに出掛けたものだつた。或る晩などは逃後れた輝方氏が女中に掴まつて、恋女房の蕉園女史にしか触らせた事のない口の端を思ひ切り抓られたものださうだ。
その後二人が同じやうに、水野年方氏の門に入つた時、色々の世間話からその事が判つて、
「君だつたら葡萄位呉れてやつてもよかつたんだ。」
と言つて笑つたさうだ。かういふ縁で二人は時々築地通を散歩するのださうだ。
画家といふものは、何うかすると他所の葡萄を欲しがつたり、相弟子の女画家に惚れたりするものなのだ。
先輩後輩
5・29(夕)
従来興行政策の上から、鴈治郎には随分犠牲になつてゐる。以前の延二郎ならば兎も角も、亡父の名前を相続してみれば、さう/\お人好しに許りはなつては居られない。
「今は既う競争の時期に入つてゐるのや。どつちやが捷つかまあ長い目で見てみなはれ。」
と胡瓜のやうな長い頤に、胡瓜のやうな刺をちら/\させてゐる。
レオナルドとミケエルアンゼロとは所謂文芸復興期の二大天才だが、この二人に就いてこんな話がある。或時レオナルドが例のやうに長い顎鬚を扱きながら、市街を散歩してゐると、五六人の若い市民が、ダンテの詩に就いて、喧しく議論をしてゐるのに衝突つた。
市民はレオナルドを見ると、
「先生貴方の御意見は如何です。」
と訊いてみた。すると丁度またミケエルアンゼロが其処を通り懸つたので、レオナルドは、
「おゝアンゼロが来た。その事ならばあの男がよく知つてゐる筈だ。」
と言つた。アンゼロは平常からレオナルドの長い顎鬚を癪にさへてゐたので、
「君が自分で説明したら可いぢやないか、君は何時だつたか、青銅で馬の模型を作りかけて鋳上げる事もしないで、打捨り放しにしたぢやないか、いい恥晒しだね。」
と吐き出すやうに言つた。レオナルドはそれを聞いて海老のやうに真紅になつて了つたさうだ。
鴈治郎と延若とを、レオナルドとアンゼロとに比べるのは、藁と黄金の塊の目方を引くやうなもので、天秤を神経衰弱にするに過ぎないが、然し先輩後輩の関係だけには一寸似寄つた節がある。
「時」はいつも若い者に味方をする、だが、人間はいつ迄も若くては居られない。
呂昇の咽喉
5・30(夕)
中村氏は一度呂昇の咽喉を見た事がある。凡て女の声帯は細いのに呂昇のは男と同じ程度に大きく、咽喉もよく発達してゐるが、扁桃腺が非常に肥つて、どんなに贔屓目に見ても健全な咽喉とは言ひ兼ねたさうだ。余つ程扁桃腺を切らうかとも思つたが、その拍子に浄瑠璃を傷つけてもと思つて見合せたさうだ。素人の浄瑠璃は鼻の先に巣くつてゐるが、呂昇のやうな黒人のは、何処に隠れてゐるのか医者にも一寸判らないといふ事だ。
雲右衛門の咽喉は、大久保知事の頭のやうに滅茶々々に荒れて、声帯は手の着けやうも無い。一体浪花節語りは、首を縊められた鶩のやうに、一生に一度出せばよい声を、ざらに絞り出すので誰でもが病的になつてしまふ。
先年大隅太夫が声が出なくなつて、約束の席に差支へた時、高峰博士のアドレナリンの声帯注射を試みて、無事に席を済まさせた事があつた。これは声帯の充血を一時的に散らすので、長い効能は無いが、女でも口説かうといふものはその三十分前にこれを注射して見るのも面白からう。
だが、或人の説によると、そんなに手数の要る事をするよりも、その注射代だけ手土産を持つて往つた方が、屹度女の気に入るといふ事だ。
女の鑑定家
5・31(夕)
かういう神様の傑作も、竈の前へ置きつ放しにしておくと、何時となく煤ばんで来る。すると浅果な男心は直ぐ我楽多のやうな、ぞんざいな扱ひ風を見せて、何うかすると神様の傑作に対して敬意を失するやうな事になる。
この頃西洋新聞を見ると、ある男女が結婚して四五年経つと、互に鼻に附き出して、顔を見るのも厭になつた。そこで寧そ別れようといふ事で、日を定めて弁護士の許に落合つて、その手続をする事に談話を運んだ。
その日になつて、女は素晴しく着飾つて来た。身動きする度に、絹摩れの音がして、麝香猫のやうな香がぷん/\する。男は眩ひがしさうになつて来た。
「見違へる程美しいぢやないか、何うしたんだね。」
「いえね、貴方にお別れすれば、独身でも居られないしと思つて、嫁入口を捜しに往つたんですわ。」
「怖しく早手廻しだな。良いのが見つかつたらう。」
男は吐き出すやうにいふ。
「もう御存じなの、貴方にも宜しくつて言つてたわ。」
女は一寸笑つてみせた。
男はいきなり女の手を取つて少し相談があると言つて、弁護士の家を出て往つた。三十分後には、この二人は活動写真館に入つて、夫婦鳩のやうに肩を並べて戯け散らしてゐたさうだ。
謹んで世上の女に告げる。男は皆かうしたものだ。彼は「女」の鑑定家としては最も与みし易いやくざ者である。
女といふもの
6・1(夕)
彼等は他に是認されるやうにと思つて、単に自分達の仕た事に筋道許りを附けようとしてゐる。そして自分達二人の間の特殊の境遇と感情とを忘れようとしてゐる。
女を捉まへたら、力一杯それを引き着けてゐなければならない。女は筋肉の逞い男の腕の上でのみ睡る事が出来る。女は狡猾な鳩のやうなもので、男がうつかり掌面を弛めると、直ぐぱた/\と飛び出す。そしてそれを男の油断からだとは思はないで、自分に羽があるからだと穿違へる。
近頃は別れた女が、以前関係のあつた男を棚卸しをする事が流行る。棚卸しの対象としては、男は恰好の代物である。どの男もどの男も女に対しては悉皆共通の弱味を持つてゐるので、或る一人の棚卸しは、やがて男全体の棚卸しとなる事が出来る。もしか伊藤野枝のやうな女が、
「今だから白状しますが私の先の亭主には尻尾があつてよ。」
と言ひでもすると、世上の男といふ男は、みんな頭を抱へ込んで、
「野枝め、俺に当てつけてるんぢや無からうか、確か俺にも尻尾があつたつけな。」
と恐縮するに極つてゐる。
先年巴里で、人の妻たるものに、有つて欲しい性質を投票させた事があつた。その時の投票に依ると、「慈愛」が一万三千八点。「整理」が一万八千四百四十点。「信任」が一万九百四点といふ結果であつた。この頃のやうに女に油断が出来なくなつたら、いやそれは西洋の事だ、日本はまた別だなどと勝手な事は言はないから、何卒男子保護政策として別れた後に「亭主の棚卸しを仕ない」といふ点に最高票を投じて貰ひたいものだ。
タゴオルの知人
6・2(夕)
「私はタゴオル家へ二晩泊つた。その晩詩人は歌を唱つた。」
「僕はタゴオルの寝言を聞いた。寝言がすつかり韻が踏んであつたには驚いた。」
「私はタゴオルの外套を見た。左のポケツトには『詩』が入つて居り、右のポケツトには『哲学』があつた。財布は――財布は確か洋袴の隠しにあつたやうに思ふ。」
「詩人は僕の前で欠伸をした。あの欠伸が解るのは、日本で野口米次郎氏位のものだらう。」
と言つたやうなもので、どれもこれも御尤の事づくめだ。
さういふ人達がタゴオルの親友であるのは夢更疑ふのでは無い。だが、実をいふと、そんなに詩人と懇意なのだつたら、もつと早くタゴオルの人物と作物とを紹介して貰ひたかつたのだ。
聖母マリヤが昇天して、神様のお側に居ると、色々な男や女が、
「マリヤ様の昔昵懇だよつて極楽に入らさせて呉れさつしやれ。」
と言つて、ドヤ/\入つて来た。マリヤが窃とその人達を見ると、何れも見知らぬ顔で、なかに三四人以前耶蘇を生み落した当時、
「いたづらな阿魔つ子めが……」
と途の出会頭に石を擲げつけた女達が交つてゐたといふ事を何かの本で読んだ事がある。
タゴオルが若しか涅槃の国へでも往つたら、早速訪ねて往つて、お釈迦様か阿弥陀様かに紹介状を認めて貰ひ度いといふのは、かういふ日本人に一番多からう。
相馬御風の将棊
6・3(夕)
「人生つてそんなに意味のあるものぢや無いのだよ。」と言つてね。
京都の西川一草亭氏は、相馬御風氏の論文を見て、こんなに始終人生の事ばかり考へて居ては、嘸肩が凝つて溜るまいと、自分の実弟で予て相馬氏と知合の津田青楓に訊いてみた。
「相馬君つて毎日どんなにして暮してるね。始終独語でも言つてるのかい、蟹のやうに。」
「独語も言つて無いやうだね。」
「ぢや何をしてゐるね。」
一草亭は好奇の目を光らせた。
「さうさなあ――よく将棊をしてるやうだがね。」
と津田氏はいつだつたか、相馬氏が歩と桂馬とを人生の秘密か何ぞのやうに、緊り掌面に握つてゐた事を思ひ出した。
「え、将棊をさしてるつて。」
一草亭氏は覚えず吹き出してしまつた。
「将棊をさすなんて、そんな……そんな閑暇があるのかい。あんな忙しさうな議論を書きながら。」
それからといふもの、一草亭氏は二度ともう相馬氏の論文を読まなくなつたさうだ。
露伴と島
6・5(夕)
タゴオルの一家では、亡くなつた岡倉覚三氏に島を一つ買つて配はうとした事があつた。相手は岡倉氏の事だ。買つて配つたところで、格別礼も言はないで、一寸領いてみせた位で、直ぐ受取つたに相違ない。
島を貰つて何うする? なに心配するが物は無い。住み飽いたら売つてしまふばかりさ。現代仏蘭西の文豪アナトオル・フランスは友達が寄贈して呉れた書物は碌に読みもしないで、セエヌ河の河縁にある古本屋に売り飛ばしてしまふといふ事だ。そして他が訊くと、
「なに、田舎の友人に送つてやつたのさ。」
と何喰はぬ顔で済ましてゐるさうだ。
岩代猪苗代湖のなかに翁島といふ小さな島がある。樹木のこんもり繁つた静かな島だが、これが先年三千円か知らで売りに出た事があつた。幸田露伴氏がそれを欲しがつて、買つても可いと言つてゐたが、買ひ度いと思つた時には三千円の工面がつかず、工面が附きかかつた時には、もつと好い考へが起きて来たので到頭沙汰止みになつた。好い考へといふのは、島を買つて棲むよりか、借金をしない方がずつと安静だといふ事だ。
その折露伴氏は、島が万一自分の者になつたら、どんな訪問客でも活きた鱒の子を手土産に持つて来ないものは、面会を謝絶する事にしたい。そしてお客の持つて来た鱒の子は、悉皆湖水のなかへ放して遣つたら、幾年かの間に湖水は鱒で一杯になるだらうと言ひ/\してゐた。
露伴といふ人は色んな面白い事を思ひつく人だ。そしてもつと面白いのは、大抵それを実行しないで済ます事だ。
贋物
6・6(夕)
「幾ら名器だつて何万円は高過ぎよう。それにそんな物を唯一つ買つたところで、他の持合せと調和が出来なからうぢやないか。」
といふと、吉兵衛は女と金の事しか考へた事のない頭を、勿体ぶつて一寸掉つてみせた。そして一言一句が五十銭づつの値段でもするやうに、出し惜みをするらしく緩りした調子で、
「なに高い事は無いさ、幾万円払つた骨董が宅の土蔵にしまひ込んであるとなると、外に沢山あるがらくた道具までが、そのお蔭で万更な物ぢや無からうといふので、自然値が出て来ようといふものぢやないか。」
と言つて笑つたといふ談話だ。
今の富豪が高い金を惜しまないで骨董品を集めるなかには、かうして狡い考へをするのが少くない。唯骨董品ばかりでは無い。一人娘に華族の次男を聟養子にするなぞもそれだが、多くの場合に骨董に贋物が多いやうに、聟養子にやくざ者が多いのはよくしたものだ。
京都でさる知名の男が、自分の書斎を新築して立派に出来上つたが、さてその書斎の出来栄に調和するだけの額や軸物の持合せが少しも無い。買ひ集めるとなると、大枚の金が要る事だし、寧そ贋物で辛抱したら、格安に出来上るだらうと、懸額から、軸物、屏風、床の置物まで悉皆贋物で取揃へて、書斎の名まで贋物堂と名づけて納まつてゐた。
面白いのは、そこの主人が軸物よりも屏風よりも、もつと甚い贋物である事だ。――京都の画家が贋物を拵へる事が巧いやうに、京都の女は贋物を産む事が上手だ。孰れにしても立派な腕前である。
フロツクコート
6・7(夕)
息子の士行氏が洋行から帰つて来た時、博士はぽんたの娘で士行氏と許嫁の養女国子さんと、件のフロツクコートを取り揃へて士行氏に呉れようとした。博士の心算では息子は二つ返事でそのフロツクコートを被て、国子さんと結婚するものだと思つて居たのだ。それに何の無理があらう、二者とも文字通りに箱入には相違なかつたのだから。
士行氏は二者とも気に入らなかつた。国子さんには什に言つたか知らないが、フロツクコートを見た時には、急に歯痛でも起きたやうに、泣き出しさうな顔をして頼んだ。
「阿爺さん後生ですから元々通り箪笥に蔵ひ込んで置いて下さい。万一私が沙翁物でも演る事があつたら、その折着させて戴きます。何しろ結構な仕立で、何卒樟脳をどつさり入れてね……」
博士はイプセンの流行つた当時守り本尊の沙翁をしまひ込んだと同じ程度の鄭重さで、そのフロツクコートをまた箪笥に蔵ひ込んでしまつた。箪笥といふものは、博士の宅にあつても、俥夫の宅にあつても感心な程腹の太いもので、亭主の秘密も、女房の臍繰も、流行品も流行後れも同じやうに飲み込んで、ちつとも厭な顔を見せない。
近頃そのフロツクコートを、博士の箪笥から引張り出さうと目論んでゐる者がある。それは無名会俳優の東儀鉄笛氏で、「何うするのだ」と訊くと、
「一度申訳だけに舞台で被て、あとは縫ひ返して子供の外套に仕立るんだ、型は古いが地が好いんだからね。」
と虫のいゝ事を言つてゐる。
独身元帥
6・9(夕)
キツチナー将軍が首相のアスキスと婦人選挙権と兵役強制法の事を論じてゐると、其処へ婦人の訪問客が来て、将軍を調弄ふ。将軍が蟷螂のやうに怫とした顔をして、
「八度戦争に出て、生命懸けの働きをした者は自制の道を弁へてゐますぞ。」
といふと、女は鸚鵡返しに、
「八度産褥で生命懸けの目に逢つた女は、ちつとやそつとの悪口は利きませんよ。」
と言つて、
「もしか女が死んで失くなつたら、貴方は寝室へ往つて双児を産みますか。」
と我鳴り散らすので、将軍は苦虫を噛み潰したやうな顔をする。
「そんな事は医者に訊きなさい、私は赤面するばかりだ。」
そこへ女子参政反対運動の婦人が二人訪れて来て、
「男の手で女子参政論者を二哩以外に放逐する事が出来なければ、女の私達が武器を取つて立ちます。」
と一人の婦人が短銃を取り出す。キツチナー将軍が武器を取上げるのは私の職務だといふと、今一人の婦人が十八世紀式の短銃を掴み出して、
「これをもお取り上ですか。」
と将軍の頭に突きつける。将軍は落付き払つて、
「それは武器ではない、好奇心です。私の頭に配ふよりも博物館に持つて往つた方が宜しい。」といふ。
二人の婦人は短銃を揮り廻して、
「婦人に選挙権などは要らない、その代り兵役に就かせて呉れ。男子を奴隷とするには、ビスマークの所謂鉄と血とが必要だ。さういへばビスマークも屹度男装してゐた婦人に相違ない。歴史上の英雄豪傑は悉皆婦人で世間体を胡麻化すために男装をしてゐたまでです。」
トヾ、将軍が以前の婦人へ結婚申込をすると、婦人は娘に相談の電話をかける。それを警察へと思ひ違へをした将軍が、
「巡査にお引渡しは恐れ入る。私は本気なんです。」と逡巡する。「お齢は?」と婦人が訊くと、将軍が「五十二です」と答へる。すると娘の方から、
「でも who's who には六十一歳とありますわ。」
といふので将軍が赤面をする滑稽などもある。
そのキツチナーも六十五歳、独身の儘死んでしまつた。「独身」は女に好かれるものだが、それが主義となると打つて変つて女に嫌はれる。女は狗のやうなもので余り好かれても五月蠅くて迷惑するが、嫌はれても一寸困る。彼等は吠えつく術を知つてゐるから。
親といふもの
6・10(夕)
「東京へお往きやす言うて、誰ぞお伴でもおすのかいな。」
「いゝえ、私一人です。」
「あんた一人で東京までようお往きやすか。」と母親はもう涙を一杯眼に浮べて「繁も可憫さうに、お伴が些とも出来よらんのかいなあ。」とそつと溜息をする。
奥氏はどんな旅行をするにも、母親の前では屹度、
「一週間旅へ往つて来ます」
といふ。するとその翌日から母親はもう、
「繁はまだ帰つて来やはらんかいな。」と訊くので、
「まだ昨日お発ちやしたのやおへんか。」といふと、
「さうかいな、もう一週間も経つたやうに思へるさかい。」
と、其辺を捜しでもするやうにうろ/\する。
親といふものは有難いもので、神様が人間を罪人扱ひにするのに比べて、親はいつ迄もその子を子供扱ひにする。親が神様になつては可けないやうに、神様も親になつては可けないが、親には神様が真似の出来ない長所がある。それは子供の為には「馬鹿」になるといふ事で、神様より人間の偉い点は確にこゝにある。丁度「愚痴」を持つてゐる女が、それを持合はさない男より強いやうなものだ。
宮川氏の雄弁
6・13(夕)
宮川氏の説によると、足立氏は高知生れだけに武士魂を持合せてゐたが、同志社で基督魂を、紐育で亜米利加魂を一つ宛買ひ込んだので、紳士として申分のない男になつたのださうだ。
宮川氏の説によると、かうした結構な魂を三つ迄持合せた紳士は、いつ亡くなつても構はないのださうだが、さも無い男は死ぬ前に、こんな魂を仕込まなければならないので、牛乳でも飲んで健康に注意しなければならない事になる。
雄弁もいゝが、時によると飛んだ失策をする事がある。――チエホフの短篇に『雄弁家』といふのがある。お喋舌の好きな男で、どんな腹の空いた時でも追悼演説を頼まれると、直ぐ出掛けて往つて、宮川氏のやうに悲しさうな詞を料理場の油虫よりも沢山並べ立てて呉れる。
ある時八等書記が死くなつたので、俥代をはずむで貰つて、告別式の演説に出掛けて往つた。例の通り立板に水の弁舌で故人を褒め立ててゐると聴衆は変な顔をし出した。
それは無理もない、亡くなつた男は一生涯細君と戦争を続けて来たのに、弁士は独身者のやうに言つてゐる。また亡者は濃い赤鬚を一生剃らなかつたのに、弁士はいつも顔を綺麗に剃つてゐたやうに言つてゐる。そのうち弁士も気が注いてみると、向ふの墓石の側に、死んだ筈の書記が立つてゐるではないか。
「あ、亡者が生きてゐる。」
と叫んで、そつと司会者に訊くと、弁士が弔演説をしてゐる男は、今は課長に昇進して、亡くなつた男がその後釜に据つてゐたのを雄弁家がつい早飲込みにその男だと穿違へて了つたのだ。帰り途に件の課長は何故俺を死人扱ひにして加之に顔の棚卸しまでしたと言つて、雄弁家に喧嘩を吹き掛けたさうだ。
宮川氏が弔演説をした足立氏は、実際死んでゐたのだから差支なかつたが、生きて居たらそんなに結構な魂なら三つとも買ひ取つて呉れと、宮川氏に押談判をしたかも知れない。
臭い果物
6・14(夕)
だが、喰べ馴れて来ると、そんな臭味でさへ堪らなく懐しくなつて来るさうで、ヅリヤンが市場に出盛る頃には、女郎屋町でさへが不景気になるといふ事だ。美味い果物を鱈腹食つて女買をしたところで、それを喧しくいふ印度の神様でもないが、ヅリヤンが余り美味いのでつい財布の底を叩くやうな始末になるのだ。
独逸軍の毒瓦斯に対して、ヅリヤンを砲弾代りに使つたらと聯合軍に勧めた者がある。命中つたが最期殻の刺毛で人間の五六人は殺せるし、命中らなかつた所で、巧く爆けさへすれば激しい臭味でもつて一大隊位の兵士を窒息させるのは朝飯前だといふのだ。
土人達の習慣によると、ヅリヤンを盗んだ者は重く罰せられるが熟れて自然に落ちたのを拾つた者は、飛んだ幸福者として羨まれるさうで、気の長い土人達は、ヅリヤンの鈴生に生つた木蔭で、朝つぱらから煙管を啣へて一日凝と待ち通しに待つてゐるさうだ。巧く落ちたのを拾ふ事が出来れば、美味い果物にありつけるし、落ちて来なかつた処で少しの損もない。そんな時には定つたやうに昼寝をする事を知つてゐるから。
だが、待つてさへ居れば果物は大抵落ちて来るもので、支那では袁世凱が落ちた。英国ではキツチナーが落ちた。袁世凱はヅリヤンの味を持たないで、その臭味だけを持つてゐた。キツチナーは味も臭味も無いが、刺毛だけは鋭い。
硯と殿様
6・15(夕)
呉れぬ物が猶ほ欲しくなるのは、殿様や子供の持つて生れた性分で、阿波の殿様は、望みとあらば何でも呉れてやらうから、達て「天然研」を譲つて貰ひたいと執念く持ちかけて来た。鶴笑は一寸顔を顰めた。
「ぢや仕方が無い、阿波の国半分だけ戴く事にしませう。」
と切り出した。鶴笑の積りではそれでも大分見切つた上の申出らしかつた。何故といつて阿波の国は半分割いた処で、別段差支もなかつたが、硯だけは半分に割つては何うする事も出来なかつた。あの内閣や政党を毀す事の大好きな木堂ですら「鋒」とやらを見るためには、硝酸銀で硯を焼かなければならぬ、そんな勿体ない事が出来るものぢやないといつてゐる位だから。
だが勘定高い殿様はそれを聞くと、
「仕方がない、この硯と鳴門の瀬戸は俺の力にも及ばぬものと見えるて。」
と、溜息を吐いてあきらめた。殿様がこの場合鳴門の瀬戸を思ひ出したのは賢い方法で、人間の力で自由にならないものは沢山あるのだから、その中からどんな物を引合ひに出さうと自分の勝手である。かうして絶念がつけばそんな廉価な事は無い筈だ。
画の鑑定
6・16(夕)
「中井履軒さんの鑑定書がついてゐるさかい、正真物に相違おまへんて。」
といふ自慢なのだ。竹田がその鑑定書を見ると、
「海北の画驚目候、相違はあるまじく存候。さりながら素人の目と医者と土蔵とは真実あてにならぬ物と聞及び候。」
と書いてあつたさうだ。
富岡鉄斎の画を持合せてゐる男が鉄斎の画には随分贋造が多いと聞いて、鑑定書を添へて置いたら、売物に出す時に便利だらうと思つて、子息の謙蔵さんの許にそれを持ち込んだ事があつた。
謙蔵さんは鼻眼鏡を掛けてゐる。大学の構内に転がつてゐる物は、蜥蜴の交尾んだのでも鄭重に眼鏡を通して見るが、大学以外の物はみんな眼鏡越しに見る事に定めてゐる。その折も眼鏡越しにじろりと画を見てゐたが、ちよつと舌打をしたと思ふと、
「真赤の贋物でさ。」
と吐き出すやうに言つた。
画の持主は吃驚した。
「でも君、いつだつたか君の居る前で鉄斎翁に画いて頂いたんぢや無いか。それをそんな……」
「それをそんな……」とは言つたが絶念のいゝ人だつたからその儘持つて帰つて、押入に突込んでしまつた。
画を逆さまに掛けて置いてそれが逆さまだと判るやうだつたら、既う一廉の鑑定家といつて可い。その上の心得は余り画を愛しないといふ事だ。
「富士山の如く」
6・17(夕)
「さればさ、お目に懸つたら恁様に申上げようと思つて、十八語ばかりで立派な御挨拶を拵へて御殿に上つてみると皇帝は非常に鄭重なお言葉で色々御物語があるぢやないか、お蔭で十八語の用意はすつかり役に立たなくなつて、つい例のお喋舌をして退けた。なにその十八語は何う言ふのだつて? そんな事を今迄記憶えて居て溜るものかい。」
と言つたさうだ。
タゴールも日本へ渡る迄には、日本人に会つたらこんな事も言はうと、腹のなかで十八語ばかりの立派な挨拶を持合はせてゐるらしかつた。日本の土を踏んで、数々の日本人に会つてゐるうちについその取つて置きの挨拶は何処かへ落して了つたらしい。そして日本人の会合へ出ると、何時でも、
「富士の山のやうにあれ。」
と云ふ事に定めてゐるらしい。
富士の山は御覧の通り結構な山だ。結構な山には相違ないが、
「富士の山のやうにあれ。」
と言ふのは「阿父のやうにあれ」とか「阿母のやうにあれ」とか言ふのとは違つて、少しぼんやりし過ぎてゐる。そのぼんやりし過ぎた事を言つたのはタゴールの賢い所以で、彼は日本の阿父や阿母が余り理想的で無い事をよく知つてゐるのだ。
小山県の洒落
6・18(夕)
「噂を聞きますと、この頃椿山荘をお売りになつたさうですね。お幾らでした。」
と訊いてみた。
すると、伊三郎氏は丁度口に頬張つてゐたチヨコレートをぐつと鵜飲みにして、
「そんなに他の懐中勘定を訊くのは、初めて結婚した男に、
『おい、何うだつたい、花嫁さんの……』
と訊くやうなものぢやないか。誰が真面目に返辞するものか。」
と言つて、薬を飲まされる家鴨のやうに、しつかり口を噤んだが、物の三十分も経つたと思ふ頃、急に爆けるやうに笑ひ出した。そして両手で腹を抱へて可笑しさに溜らぬやうに肩を揺ぶつてゐたが、終ひには眼頭に涙を一杯溜めて椅子の上を転げ廻つた。その恰好を一目でも舅の山県公に見せたら、顔を顰めて、椿山荘と一緒に養子の株をも売りに出したかも知れなかつた程だ。
お客は吃驚した。
「何をそんなにお笑ひになりますか、閣下……」
平素は「山県さん」とか、「伊三はん」とか言ふ事に定めてゐるが、「閣下」と言つて相手が健康体に恢復するものなら、これに越した事は無からうと思つたのだ。このお客は一度間違つて、懸りつけの医者に「閣下」と一言いつた丈で、そのお医者から薬代を無代にして貰つた事があるので、それ以来まさかの時には、例も「閣下」を使ふ事に決めてゐる。
伊三はん閣下は、横つ腹を押へた儘、苦しさうな声で、
「何つて君、今の洒落さ。洒落が解らなかつたのかい。」
と言つて、また一頻り可笑しさうに笑ひ崩れた。
お客は安心した。伊三はんは自分で自分が言つた洒落に感心して笑つてゐるのだ。
「手数の懸らない人だな、養子には打つてつけさ。」
と独語を言うて帰つて来た。そのお客は新聞記者だつたから、山県氏は待設けたやうに翌日の新聞をしこたま買込んで連絡船に乗込んだといふ。
古松研
6・19(夕)
頼山陽を硯に比べたら、あの通りの慷慨家だけに、ぷり/\憤り出すかも知れないが、実際の事を言ふと、河合寸翁は山陽よりもまだ硯の方が好きだつたらしい。珍しい硯を百面以上も集めて、百硯箪笥といつて凝つた箪笥に蔵ひ込んで女房や鼠などは滅多に其処へ寄せ付けなかつた。
同じ藩に松平太夫といふ幕府の御附家老があつて、これはまた「古松研」といふ紫石端渓の素晴しい名硯を持合せてゐた。何でもこの硯一つで河合家の百硯に対抗するといふ代物で、山陽の賞めちぎつた箱書さへ添はつてゐるので、硯好きの河合はいゝ機会があつたら、何でも自分の方に捲き上げたいものだと、始終神様に願掛をしてゐたといふ事だ。
ある日河合と松平とは例のやうに碁を打つてゐた。河合は態と一二番負けて置いて、それからそろ/\、
「何うも今日は厭に負が込む。こんな日には賭碁でもしたら気が引立つかも知れない。何うだい、貴公には古松研、拙者には沈南蘋の名画があるが、あれを一つ賭けてみようぢやないか。」
と切り出してみた。
松平は二つ返事で承知をした。
「お気の毒だが、沈南蘋は拙者が頂くかな。」
などと戯談を言ひ言ひ、また打ち始めたが、かね/″\お賽銭を貰つてゐる氏神様のお力で、河合は手もなく松平を負かして、名高い「古松研」は到頭河合の手に渡つて了つた。
維新後河合家の名硯は、それ/″\百硯箪笥から飛び出して知らぬ人に買ひ取られて往つた。当地の八田氏の売立会に出てゐた「金星銀糸硯」なども、その一つだが、例の「古松研」は今は神戸の某実業家の手に入つて、細君以上に可愛がられてゐるといふことだ。
芸妓の心得
6・20(夕)
三箇条といふのは、第一、お客の悪てんがうに腹を立てぬ事。第二、晴衣の汚れを気にしない事。第三、七里けつぱいお客に惚れない事、万一惚れねばならぬ時は、成るべくよぼ/\の老人を見立てる事。
桃太郎はこの三箇条の心得を、ちやんと頭に畳み込んでお座敷に出た。桃太郎はその頃まだ男よりもチヨコレエトの方が好きな年頃だつたので、お座敷で客に惚れる程の冒険はしなかつた。よしんば什冒険好きな女でも、チヨコレエトの代りに男に惚れるやうな心得違はしない筈だ。女といふものは、十人が十人、先づチヨコレエトを喰べて、それから徐々男に惚れるものなのだ。
だが、桃太郎はあとの二箇条には、お座敷へ出る早々、ぶつ突かつた。その時のお客は、若い医者で、どんな医者にも共通な自惚だけはたつぷり持合せてゐた。で、耳を噛んだり、鼻先を押へたり、色々な戯けた振をして桃太郎に調弄つた。
桃太郎はてんで頓着しなかつた。それが癪に触ると言つて、お客は桃太郎の頭から熱爛の酒をぶつ掛けた。酒は肩から膝一面に流れた。紅い長襦袢の色は透綾の表にまで滲み透つて来たが、桃太郎は眉毛一つ動かさうとしなかつた。
姐さんはそれを聞いて、大喜びに喜んで、代りの晴着を拵へて呉れた。お客は酔から醒めて、真青な顔をして謝りに来た。匙加減や見立違ひで人を殺しておいて詫言一つ言つた事のない医者にとつて、謝りに来るのは、魂を嘔吐すよりも苦しかつたに相違ない。
馬車の葬式
6・21(夕)
旧教の坊さんが勿体ぶつて聖書を朗読すると、会葬者は声を合せて「アーメン」と唱へた。悧巧な耶蘇だつて、まさか乗合馬車のお葬ひまでしようとは思はなかつたらうから、それに相応した文句は残さなかつたらうが、巴里の坊さんは別に引導には困らなかつたらしい。何故といつて、聖書で見ると、どんな人間だつて乗合馬車位の「罪」は、各自にみんな背負つてるのだから。
式が済むと、円太郎馬車は送られて火葬場へ往つた。二里余りの道中を絹帽を被つた会葬者はぞろぞろと続いた。路傍の見物人は、恰で名士の葬式にでも出会つたやうに、克明に帽子を脱いでお辞儀をしたといふ事だ。
日本では往時から文塚、筆塚、針塚といつたやうなものもあるが、東京新聞の漫画家が寄集まつて、島田三郎氏の漫画葬式をやつたのは面白い企てであつた。大阪のやうな土地柄では名妓の落籍される場合などには、以前の関係筋が寄つて集つて葬式をするのも面白からう。坊さんには矯風会の林歌子女史など打つて附けの尼さんだらう。あの人はお説教を聞かないでも顔だけ見れば悲しくなりさうだから。
与里氏の香油
6・22(夕)
そのなかに洋画家の斎藤与里氏だけは不思議に酒の味を知らない。先日氏の許へ或人から一瓶の進物を贈つて来た。丁度与里氏はその折頭の事を考へてゐたので(画家だつて、頭の事を考へてはならないといふ法は無い。彼等も世間並に頭を一つ持つてゐるのだから)、てつきりこれは頭髪に塗る香油だと思つてしまつた。
成程頭髪に塗つてみるとすつとして気持が好い。だが香気だけは余り感心しなかつたので、よく調べてみると、上等のウイスキイだつたさうだ。
ある名高い日本画家が巴里に居た折の事、何処へ往く折にも、人目に立たないやうに屹度一壜提げてゐる。何の壜だと訊いてみても、にや/\笑ふばかりで一向それと打明けない。或時珈琲店で落合つた悪戯な友達の一人が、打明けなければかうすると言つて、首を縊めにかゝると、件の日本画家は川向ふの天主教の尼さんに聴えないやうに低声で加之に京都訛で、
「ぢや言ひまひよ。これ淫薬どつせ。」
と白状した。
友達は眼の色を変へて、その瓶を引つ手繰つた。そして一字づつ克明に壜の文字を読んでゐたが暫くすると、
「成程さうだ、まあ大事に蔵つておいて、ちびり/\飲むんだな。」
と言つて、笑ひ笑ひ壜を返した。壜は安物のシヤンペン酒だつた。
寒山の忰
6・23(夕)
その博士や土方に交つて毎朝大学の構内を通る十歳許りの子供がある。子供に似気なくいつも歩きながらも書物を読んでゐるので、よくそれを見掛る男が、
「ちやんとした身装をしてゐて、可憫さうに貧乏人の二宮金次郎の真似でもあるまい。」
と心配した事があつた。
その子供が先日学校で貰つた賞品を抱へて、例のやうに大学の構内を通りかゝつた。すると、擦違つた大学生の一人が、
「やあ褒美を貰つたな。一寸僕にも見せろ。」
とそれを覗きにかゝつた。その大学生は幼稚園この方まだ褒美といふものを貰つた事が無かつたので、甚くそれが珍しかつたのだ。
子供は一寸小脇にそれを隠した。
「無代ぢや見せないや、こゝに書いてある僕の名を読んだら見せる。」
「生意気な小僧だな、どれ/\。」
と言つて大学生は名前を見た。名前には「尋常科二年生内藤戊申」と書いてあつた。
「内藤ボシンぢやないか、さあ/\褒美を見せろ。」
「ボシンぢや無いや。」
「ぢやイヌサルか。」
「馬鹿やなあ、シゲノブと読むんや。」と子供は一散に走り出した。「えゝ齢してよう読みをらん、あほんだらめ。」
大学生は悔しがつて、何家の子供か知らと訊ねてみると、文科大学の内藤湖南博士が秘蔵つ児だつたさうだ。
「道理で、寒山拾得のやうな顔をしてたつけ。それにしても変てこな名をつけたものだなあ」
と、無学な大学生はその後も頻とそれを気にしてゐる。
玄関
6・24(夕)
拗ね者の金龍通人は自分の戸口に洒落た一聯を懸ておいた。聯の文句はかういふのだ。
「貧乏なり、乞食物貰ひ入る可からず」
「文盲なり、詩人墨客来る可からず」
乞食物貰ひも五月蠅くない事もないが、それでも詩人墨客よりはまだ愈な場合が多かつた。何故といつて、乞食は物を呉れて遣れば、素直に帰つて往くが詩人墨客は自分が納得出来るまで「知つたかぶり」を押売しないでは滅多に帰らなかつたから。
小説家の正宗白鳥氏は他の家へ出入をするのに、がらりと入口の扉を開けはするが、その手で滅多に閉めた事は無い。尤もこれには主義のある事で、自分が出入するのに扉は是非開けなければならぬが、それを閉めて置かなければならぬ何等の理由も発見出来ないからださうだ。かういふ来客に取つては、大雅や秋成のやうな暖簾の玄関は手数が要らないで可い。
玄関に狗を繋いでゐる家、九官鳥を飼つてゐる家、汚くるしい書生を飼つてゐる家、猫がぞろ/\這ひ出して来る家――そんな家へは添書をつけて悪魔でも送つてやり度くなる。
景年翁と商人
6・25(夕)
「先生はお忙しうおすさかい、なか/\お出来になりまへんぜ。」
と玄関番は閾に突立つた儘、欠伸をしい/\言つた。玄関番といふものは、主人が奥で欠伸をする時分には、自分も極つてそれをするものだ。
商人は四条派の画家によく金を欲しがる持病があるのを知つてゐるから、
「それでは伺つた印に潤筆料だけ承はつて参りませう。」
と言つた。玄関番は商人の前に片手を拡げてみせた。
「半切一枚五十円どつせ。」
商人は懐中から財布を取り出した。
「それではこゝに五十円差上げて置きますから、お気に向いた時に一枚御揮毫を願つておきます。」
玄関番はそれを見ると、急ににこにこし出した。
「そんなら最一度頼んで来まつさ。なに理由を話したら先生の事やさかい、半切の一枚や二枚ちよつくらちよつと書いて呉りやはりますやろ。」
さういつて奥へ隠れたと思ふと、玄関番はまた表へ飛び出して来た。
「唯今先生がお会ひになりますさかい、まあ何卒お上り……」
今度は商人が承知しなかつた。
「折角ですが、私は絵をお頼みに上りましたんで、先生にお目に懸りに来たのではありませんから。」
と言つて、その儘すた/\と帰つてしまつた。
流石に商人は目が敏捷かつた。絵は売る為めに註文したので、画家に会つた為に売値を崩すやうな事があつても詰らなかつた。実際画家のなかには、その人に会つたが為めに、折角描いて貰つた錦鶏鳥の画までが厭になるやうな人も少くなかつた。
「先生はお忙しうおすさかい……」
先生がお忙しいのは、先生自身に取つても、お客に取つても勿怪の幸福であつた。孰方も損をしないで済む事なのだから。
英雄の髑髏
6・26(夕)
政治家や実業家の仲間には、「良心」を幾つも持つて、それを自慢にしてゐるのがある。その事を思ふと、クロムヱルの髑髏が二つ出たところで格別差支はない。或はもつと捜したら、もつと出るかも知れない。
山科の上醍醐寺の宝蔵に「平中将将門」の髑髏がある。桐の二重箱に入れて、大切に蔵つてある。将門が醍醐の開基理源大師の法力で縛められ、梟し首に遭つたのを残念がつて、首が空を飛んで来たのを拾つたのだといふが、事に依つたら、大師が申請けたのかも知れない。
ある夏醍醐に遊んでゐると、その頃の京都府知事大森鍾一氏が山へ上つて来た。山の坊さん連は知事に何を見せたものだらうかと色々詮議の末が、
「宋版の一切経や山楽の屏風を見せたところで、解りさうにもなし、やつぱり将門の髑髏を見せるに限る。あれならばまさか貰つて帰るとも言ふまいから。」
と言ふので、宝蔵から例の髑髏を出して見せた。
大森氏はためつすがめつ髑髏を見てゐた。恰ど梅雨時分の事で、髑髏からは官吏や会社の重役の古手から出るやうな黴臭い香気がぷんとした。
「成程よくは判らないが、矢張将門の骨らしいな。こゝに叛骨が出てる工合から見ると……」
暫く経つてから、知事は擽つたさうな顔をして言つた。
「へえ……叛骨と申しますと……」
坊さんが安つぽさうな頭を突き出した。
「ここさ。こゝの骨さ、叛骨といふのは……」大森氏は扇の端で一寸髑髏の後部を突ついた。「むかし蜀の曹操が関羽の頭を見て、此奴は叛骨が飛び出しているから叛反をすると言つた……」
「へえ、その方も矢張り叛反をおしやした。争はれんもんどすなあ。」
と坊さんは感心したやうに頸窩へ手をやつた。
見ると、大森氏の頭にも、安つぽい坊さんの頭にも、それらしい骨が一寸飛び出してゐた。なに、飛び出してゐたつて心配するが物はない。叛反にも色々ある。男爵になりたいのも、金持の檀家が欲しいのも、実際叛反には相違ないのだから。
健忘症
6・27(夕)
饗ばれる学生は多勢だし、饗ぶのは唯二人だしするから、珈琲屋位で済ます事に定めたのは、流石に頭脳明晰であるが、さて肝腎の生徒にそれを伝へる段になると、急に頭が変になつて、
「おい、間違つちや可かんぞ、会場はカフエエ・パウリスタだから。いゝかえ。」
と駄目まで押してしまつた。
その日は小久保氏に誘はれて、小川氏は雨の降る間をカフエエ・オリエントに着いた。そして二人は円卓を差向ひに煙草を喫しながら、細君や丸善や蚤の話をしてゐた。「細君」と「丸善」とは学校教員が住むでる世界の二大人格だが、蚤は昨夜二人ともそれに螫されて、とうと寝付かれなかつたからだ。
談話の種は切れたが、お客は唯の一人入つて来ない。
「何うしたのだらう、厭に落付いてる。」
と呟いた瞬間、小川氏の頭に「パウリスタ」の名がぼんやり浮び出して来た。
パウリスタへ集まつた学生達はいつ迄待つても主人役の二人が見えないので、業を煮やしてぶつぶつ呟いてゐる処へ、幽霊のやうに小川氏が入つて来た。
「君達は何だつて、こんな処へ集つてるんだ、蠅のやうに。御馳走が彼方で待惚けてるぢやないか。」
「彼方て何処です。」
「判つてるぢやないか。パウリスタだよ。」
神戸高商にはこんな人達が多いと見えて、或教授は歯医者へ行く途中、咽喉が乾いて仕方がないので(学校教員だとて咽喉の涸かぬといふ法はない)珈琲店へ飛び込んで、立続けに紅茶を二杯飲んだ。
そして代価を払つて立上ると、
「さあ、もう用事は済んだぞ。」
とその儘今下りた許しの電車の停留場へ来ると、忘れられた奥歯が急にづき/\痛み出したので、
「さうだ、俺は歯医者へ往く筈だつたんだ。」
と慌てて歯医者へ駆けつけたさうだ。
珈琲店や歯医者を忘れる分には差支ないが、細君と丸善とだけは何時迄も覚えてゐて貰ひたい。彼等は学校教師にとつての二大人格だから。そして尋でに蚤もまた。蚤を忘れると、夜分寝付かれないから。
口は調法
6・28(夕)
「これは帽子を被りつけてゐるからさ。つまり一種の文明病だな。」
と言ひ/\してゐた。
サミユエル・ジヨンソンは自分の英辞書で「大麦」という語の下に、
「英蘭では馬の餌。蘇格蘭では人間の食物。」
といふ皮肉な解釈を下したが、例の高木兼寛博士の説によると、日本人は英蘭の馬ではないが、麦飯さへ食つて居れば、哲学を考へたり、女房と啀み合つたりするのに少しの不足も無いさうだ。
高木氏は病家を診察して、病人が鯛の刺身や吸物でも食べてゐるのを見ると、
「こんな物を食つちや可かん。麦飯だけで十分さ。」
と言つて、何うかすると自分でその御馳走をぺろりと食べてしまふ。そして、
「俺は構はん、俺は医者だからな。」
と済ましてゐる。
その麦飯主義もまだ十分で無いと見えて、高木氏はその後「裸頭跣足」主義を標榜してゐるが、近頃また関西地方へお説教旁出掛けて来るといつてゐる。「裸頭跣足」は言ふ迄もなく、帽子も被らず、履も穿かない主義で、一口にいふと、日本人を生蕃人にしようとするのだ。生蕃人を日本人にしようとするよりも、この方が寧そ近道かも知れない。
何分氏の事だ。講演会の席上で上等のパナマ帽でも見つかると、例の調子で、
「そんな物を被つちや可かん。おや履まで穿いてるぢやないか。」
いきなり引つ手操つて自分の頭と足とに、それを穿めるかも知れない。「俺は構はん、俺は医者だからな。」と言つて。
金森通倫氏が政府の御用弁士で貯金の勧めをしてゐた頃ある処で、
「散髪なんか一々理髪床でするには及ばない。めいめい剪刀で剪み切る事にしたら、散髪代だけ儲かる。」
と言つた。すると、正直な聴客の一人が、
「貴方の頭はやはり御自分でお刈りになりますか。」
と訊いた。金森氏は酢を嘗めたやうな口元をして、
「私は自分では刈らない。私は貯金の演説をするので、貯金をするのは貴方方ですから。」
と答へた。――口は調法なもの、出来る事なら、その口に帽子を被せて、尋でに上等な履まで穿かせてやりたい。
露伴の机
6・29(夕)
今一つ妙な癖は指物が好きで、閑さへあれば何かこつ/\指物師の真似事をしてゐたが、手際はから下手な癖に講釈だけは他一倍やかましく、鉋、鋸などは名人の使つたのでないと手にしなかつた。なかでも一番文句が多かつたのは指物に使ふ木で、あゝでもない、かうでもないと贅を言つてゐたが、一度なぞは一日土蔵に入つてこつ/\やつてゐて、日の暮れ方に漸と外へ這ひ出して来た。
「かう見ねえ、立派な煙草盆が出来上ったよ[#「出来上ったよ」はママ]。」
見ると歪形の煙草盆を大事さうに掌面に載つけてゐる。もしやと思つて土蔵を覗いてみると、女房が一番大事の唐木箪笥をすつかり引つ剥してしまつてゐたさうだ。
幸田露伴氏もよく指物をした。洒落た机が拵へたい、それには伐つてから百五十年以上経つた材木で無いと、狂ひが出来るからといつて、方々捜し廻つてゐるうち、下谷の古い薬舗で、恰好の看板を見つけて、漸とそれを手に入れた。
脚には何がよからう、名人の吹いた尺八が面白からう。さうだ、それに限るといつて、閑にまかせて方々の道具屋を尋ね歩いた。
「お店には名人の吹いた尺八がありますまいか。四本ばかりでいゝんだが……」
仕合と道具屋は名人を拵へる事にかけては、その道の師匠よりもずつと傑れた腕を持つてゐるので、幸田氏は十日も経たぬうちに名人の吹いた尺八を三本まで手に入れた。
だが机の脚は馬の脚と同じやうに四本無くてはならない。あとの一本を発見るために幸田氏は二週間程無駄足を踏んだ。二週間といへば十四日である。男が女を忘れるには七日あれば十分だ。女が男を忘れるには九日で不足はない筈だ。二週間も経つ間に幸田氏はすつかり机の事を忘れてしまつた。忘れてよかつた。すべて自分に都合の悪い事は忘れるに越した事はないのだから。
大森男の詰襟
6・30
大森氏が京都府知事時代に管内の郡部を巡視中、時々持合せの葉巻が切れる事がある。さういふ折には属官が田舎町の煙草屋を片つ端から尋ね歩く。属官にしても田舎町に葉巻の無い位は弁へてゐるが、凡て、何かの「長」になつてゐる者は、部下が尻切蜻蛉のやうにきり/\舞をするのを見るのが楽みなものだといふ事を知つてゐる。で彼方此方を捜し廻るのが、とゞの果は京都にある夫人の許へ、電報で葉巻を催促をする。
大森氏は同じ主義から、どんな酷暑の候でも、官吏は簡単な服装をしてはならないといふので、洋服の釦一つ外した事がない。この意味から詰襟などは巻煙草や刻煙草と一緒に大嫌ひである。
ある夏内務部長の塚本清治氏が白リンネルの詰襟で来ると、大森氏の顔は妙に歪み出した。
「坂本君、今時詰襟で歩いてゐるものは、郵便配達夫と電車の車掌とそれから……」
一息にここまで驀し立てると、後が続かなくなつたのと、葉巻の煙が咽喉に入つたのとで、大森氏は一寸言葉を切つて、大きな嚏をした。そして苦しさうに涙を目に一杯溜めて、
「巡査と軍人だよ。」
と喚くやうに言つた。
塚本氏はそれ以後滅多に詰襟を着なくなつたが、大森氏が今度宮内官になつて、詰襟を着るやうになつたのを見たら、どんなに言ふだらう。
蘆花氏と本屋
7・1(夕)
「この頃は誰にも面会しない事に定めてるが、風呂の水を掬むで呉れるなら会つても可い。」
という挨拶なので、書肆は不承々々に風呂の水を掬むだ。
書肆はへと/\になつて、漸と縁端に腰を下すなり、原稿の談話を切り出すと、蘆花氏は頭の天辺から絞り出すやうな声で、
「原稿よか、もつと好い物があげてある筈ぢやないか。」
といふので、近眼の書肆は慌てて膝頭から尻の周囲を撫でまはしてみたが、そこには鉄道の無賃乗車券らしいものは無かつた。旅行好きの書肆の頭には、原稿より好い物は、鉄道の無賃乗車券より外には、何も無かつた。
「何だんね、先生、何もおまへんやないか。」
大阪生れの書肆は怪体な眼つきをして、蘆花氏の顔を見た。
「労働の神聖さ。」
蘆花氏は写真版にあるトルストイのやうに、眩しさうな眼つきをして言つた。そしてトルストイが使ひ馴れた草刈鎌でも捜すやうに、腰のあたりへ手をやつたが、そこには縄帯の代りに、メリンスの兵児帯がちよこなんと結んであつた。
「労働の神聖さ」――書肆は口のなかでそれを繰り返してみた。口のなかは先刻の働きで唾がから/\に乾いてゐたので、少し苦しかつた。書肆は持合せの丸薬を二つ三つ取り出して噛んだ。すると気がすうとなつた。この時本物のトルストイが顔でも出したら、書肆は食べ残りの丸薬をいきなり毛むくじやらの口へ押し込んだかも知れない。だが、蘆花氏にはそれも出来なかつた。
「あの人は胡桃でも噛み割りさうな歯を持つてゐやはるさかい。」
書肆はかういつて絶念めた。
苜蓿
7・2(夕)
京都の御所を通つた事のあるものは、御苑の植込に所嫌はず西洋種の苜蓿が一面に生へ繁つて、女子供が皇宮警手の眼に見つからないやうに、そのなかに蹲踞んで珍らしい四つ葉を捜してゐるのを見掛けるだらう。
この苜蓿は丹羽圭介氏が明治の初年欧羅巴へ往つた時、牧草としてはこんな好い草はないといふ事を聞いて、その種子をしこたま買ひ込んで帰つた事があつた。さて日本に着いてみると、牛どころかまだ人間の始末もついてゐない頃なので、欧羅巴で考へたのとは大分見当が違つた。
さうかといつて、苜蓿を京都人に食べさせる訳にも往かなかつたので(京都人は色が白くなるとさへ言つたら、どんな草でも喜んで食べる)丹羽氏は折角の種子を、みんな其辺へぶち撒けてしまつた。
それが次から次へと蔓つて、今では御苑の植込は言ふに及ばず、京都一体にどこの空地にも苜蓿の生へてない土地は見られないやうになつてしまつた。
苜蓿によく似た葉で、淡紅色の可愛らしい花をもつ花酢漿も京都にはよく見かける。この花の原産地は阿弗利加の喜望峰だといふ事だが、あれなぞも何処かの男が禅坊主にでも食べさす積りで持つて来たものかも知れない。禅坊主は家畜の食べるものなら何でも口にする。唯一つ貘の食べる「夢」を知らないばかりさ。「夢」は彼等にとつて余りに上品すぎる。
台湾と考へ事
7・3(夕)
台湾のある製糖会社に大学出の支配人がゐる。年に一度同窓生の会合があると、いつも遙々東京まで出掛けて来る。そして会が始まつて、皆の者が何か議論がましい事でも言ひ出すと、怪訝な顔をしてそれに聴きとれてゐるやうだが、暫くすると椅子に凭れた儘ぐうぐう鼾をかいて寝入つてしまふ。
一頻り喋舌り疲れた連中がどしんと一つ卓子を叩いて、
「△△君、君のお考へは何うだね。」
と訊くと慌てて椅子から飛び上つて、
「さうですね、僕の考へは……」
といつて、極つたやうにポケツトから鉛筆を引張り出し、ちよつと卓子の上に立ててみて、誰でも構はない、それが倒れかゝつた方の味方をする。
心安立の友達が、鉛筆もまんざら悪くはないが、いつもあれでは余り無定見ぢやないかといふと、支配人は砂糖臭い大きな欠伸を一つした。
「でも僕には皆の喋舌つてゐる事が、てんで解らないんだもの。僕も今ぢやすつかり台湾向きだよ。」
この支配人のいふのでは、台湾では考へ事は何うしても出来ない。唯二つの選択があるばかりだ。譬へていつたら朝と晩、総督と生蕃、砂糖と樟脳、成功と失敗といつたやうなもので、それを選ぶにしても鉛筆は人間の頭よりもずつと公平に判断するさうだ。
蜜蜂の失敗
7・4(夕)
「印度つてこんなに花の多い土地とは知らなかつた。こゝで蜂を飼つたら、しこたま蜜が穫れるに相違ない。」
そして、急いで国へ帰るなり、蜜蜂をもつて又印度へ出掛けて往つた。恰ど金持を見つけて賭博打が骰子を持つて又珈琲屋へ出掛けて往くやうに。
骰子ほど意地の悪い物は無い。蜜蜂は箱から取り出されて、美しい香気を嗅ぐと狂気のやうに花の中を転げ廻つたが、何時まで待つても蜜を拵へようとはしなかつた。それもその筈で、印度のやうに何時でも花のある土地では、蜜の臍繰を拵へておく必要も無かつたのだ。蜜蜂飼養家は大事な蜂を失つた代りに、幾らか賢くなつて郷土へ帰つて来た。人間といふものは賢くなるためには、従来持つてゐた何物かを失はなければならない、とすると、女房や馬に遁げられるよりは、蜜蜂を失くした方が、まだ仕合だつた。
岩野泡鳴氏は文士や画家が片手間の生産事業としては養蜂ほど好いものは無いといつて、一頻りせつせと蜜蜂の世話を焼いてゐた。そして蜂に螫されない用意だといつて、細君が着古した面をすぽりと頭から被つてゐたが、蜂には螫されない代りに、とうと細君に螫されてしまつた。
蜜蜂を扱ふのに面が要るやうだつたら、女を扱らふにはそれを二枚重ねなければならぬ。臆病者に限つて剣は長いのを持つてる世の中だから。
女を賢くする法
7・5(夕)
「君も義歯の数が殖えたやうだが、今のうちに恋でも試つておいたら何うだね。」
と言ふと、東儀氏はあの牛のやうな大きな眼をぐりぐりさせて、
「人間も犢鼻褌一つで、子供の枕もとで蚊を焼いて歩くやうになつちや、もうから意気地もない。」
と嘆してゐる。
旧文芸協会当時、東儀氏が例の明けつ放しの気質から、ちよい/\松井須磨子に心安立の戯談でもいふと、側で見てゐる島村抱月氏は気が気でなく、幾らか誤解も手伝つて、
「東儀君、松井を可愛がるのは止して貰ひ度いもんだな。」
と倫理の教師のやうな悲しさうな顔をして、
「君が可愛がると子供が出来るが、僕が可愛がると頭が出来るんだからね……」
流石に島村君は学者だけに巧い事をいふものだ。
「君が可愛がると子供が出来るが、僕が可愛がると頭が出来る。」
ほんとにさうだと東儀氏は感心をして、又と戯談を言はなくなつた。
女に頭を拵へるには、島村君のやうなセルの袴を穿いた温和しい学者に可愛がつて貰ふのもよいが、一番良いのは恋人に棄てて貰ふ事だ。女は男に突き放されると、一度に十年も賢くなる。
腸から歌
7・6(夕)
新納武蔵守は薩摩武士の生粋で例の戯談好きな太閤様の歌にある、ちんちろりんのやうな長い鬚を生やした男だつたが、矢張り薩摩者に有りうちの、ちんちろりんのやうに雌を可愛がるので聞えた男だつた。
ちんちろりんは随分な嫉妬焼きで雌が他の雄と談話でもしてゐようものなら、いきなり相手を後脚で蹴飛ばすさうだが、薩摩者もこの点ではちんちろりんに劣らぬ道徳家である。
新納武蔵に可愛がられてゐた若い小間使があつた。ある日雨の徒然に自分の居間で何だか認めてゐると、丁度そこへ武蔵が入つて来た。(男といふものは猫のやうによく女の内証事を発見るものなのだ。)
はつと思つて、女が袖の下へそれを隠すと、武蔵はちんちろりんのやうな顔で袖の下を覗き込む。すると、女は意地になつて、よく小娘がするやうにその反古を口の中に噛みしめて、ぐつと嚥み下してしまつた。
武蔵は女が隠し男に遣る文とでも誤解へたものか、激しい嫉妬で顔は蟹のやうに真紅になつた。そしていきなり女を手打にして腸のなかからその反古を引張り出した。
反古には優しい筆の蹟で、
「人ならば浮名やたゝん小夜ふけて枕にかよふ軒の梅が香」
と認めてあつた。武蔵も少しは歌を咏んだ男だけに、ちんちろりんのやうな顔に涙を流して不憫がつた。
歌反古だつたから泣かれたやうなものの腸のなかから鼈甲櫛の勘定書でも出たらどんな顔をしたものか、一寸始末に困るだらう。
小説家と薪
7・7(夕)
それを見た恋女は、真剣な自分の恋を馬鹿にしてゐるといつてくれ出した。温和しいフロウベエルは色々に弁解をしたが、嫉妬焼きの女は何うしても承知しないので、小説家もとうと本気になつて怒り出した。そして薪ざつ棒をふり上げて擲り倒さうとした。(小説家だといつて薪ざつ棒を揮りあげないものでもない。ニイチエは女を訪問する時には鞭を忘れるなといつたが、鞭を忘れた時には薪ざつ棒でもふりあげねばなるまい。)
フロウベエルは薪ざつ棒をふりあげた。女は部屋の片隅に顫へながら、まだ家鴨のやうに我鳴り立ててゐる。この時小説家の頭に、若しか擲り倒したら、女は直ぐ告訴するだらうなといふ考へが矢のやうに走つた。フロウベエルは薪ざつ棒を足もとに投げ出した儘、ふいと室を飛び出したが、それきりもう帰つて来なかつた。
女が口喧しいからといつて警察の手に引渡した男はない筈だ。それだのに男の手に薪ざつ棒を見ると、女は直ぐ法律の腕に縋らうとする。武器としての女の口は薪などと比べ物にはならない。薪は間違つて肉体を叩き潰すかも知れないが、女の舌は一度に霊魂を窒息させてしまふ。
老婆梅川
7・8(夕)
むかし島原に美しい遊女がゐて、よく物忘れをするので聞えてゐた。何を忘れても覚えてゐなければならぬお客の顔さへ、その夜を過ぎるとけろりと忘れてゐるので、それが浮れ客の評判になつて、
「あんなに忘れつぽくはあるが、何処かに真実がありさうだから、貴方一人は忘られないといふ客もなくつちやならない。」
といふので、男が持前の自惚から、みんな自分がその忘れられない男にならうと、せつせと通つて来るので、甚く全盛を極めたさうだ。
この頃近江の矢橋で遊女梅川の墓が発見られた。物好きな人の調べによると、梅川は忠兵衛に別れてから、幾十年といふ長い月日をこゝで暮し、八十三でころりと亡くなつたさうだ。
芝雀の演る、福助の演るあの梅川が八十三の皺くちや婆になるまで生き存らへてゐた事を考へるのは、恋をする者にとつて良い教訓である。何しろ長い間の事だ、梅川も終ひには忠兵衛の名なぞは、すつかり、忘れてしまつて、
「忠兵衛つてあの山雀の事で御座んすかい、もんどり上手の……」
と言つて、こくり/\居睡でもしてゐたか判らない。さう言つたからとて、何も腹を立てるには及ばない。人生はそんなものなのだから。
篁村氏と鰯
7・9(夕)
「おい、女房が不在になつたから遊びに来い。」
と態々使を出して催促する。
ある夏の事、御多分に洩れぬ幸堂得知氏が夫人の不在を覗つて無駄話に尻を腐らせてゐると、表を鰯売が通つた。幸堂氏は急に話を止めた。
「おい、饗庭、あの鰯を呼んでくれ、今日は拙者が一つ御馳走をしてくれるから。」
鰯を買つた幸堂氏は葱を買ひに主人を近所の八百屋に走らせた。茶気のある篁村氏は一銭がとこ葱を提げて嬉しさうに帰つて来た。平素女房にいたぶられてゐる亭主は女房の不在に台所の隅で光つてゐる菜切庖丁や、葱の尻尾に触つてみるのが愉快で溜らぬものだ。
「や、いゝ葱だね。序でに気の毒だが、扇子の古いのを一本発見出して呉れないか。」
「扇子? 扇子を何うするんだい。」
篁村氏は片手に葱をぶら提げながら、神聖な夫人の居間を捜して破けた扇子を一本持ち出して来た。
幸堂氏は料理人がするやうに、手拭を襷に効々しく袂を絞つて台所で俎板を洗つてゐた。
「や、御苦労/\。ぢや君は其処で見てゐ給へ。鰯はかうやつて下すものなのさ。」
幸堂氏は無駄口を叩き/\古扇子の骨の間に鰯の骨を挿んで、さつと扱くと魚は器用に三枚に下された。
「な、なある程、巧いもんだな。」
篁村氏は、帝劇で松助の芸を賞めるやうに、禿頭をふり/\感心した。
小一時間も経つ頃、漸と鰯の「ぬた」が出来上つて、食膳の皿に盛られると、味利きだといつて、幸堂氏は一箸口へ頬張つて、もぐもぐさせてゐたが、急に変な顔をして考へ出したと思ふと、はたと膝を叩いて笑ひ出した。
「失敗つた。あんまり急いだもんだから、鰯の鱗をふくのを、すつかり忘れちやつた。」
「さうかい……」と言つて、篁村氏も箸をつけたが、「なに、美味く出来てるぢやないか。」とむしや/\食べ出した。ほんとに鰯の鱗は除つてなかつたが、不断女房の刺のある言葉を食べつけてゐる者にとつては、魚の鱗などは何でもなかつた。
坪内博士の傘
7・11(夕)
古綿は急に蛙のやうな声をして鳴き出した。古綿が蛙に化けるなぞは羅馬の帝政時代にも無かつた事なので、流石にモムゼンも吃驚した。で、側へすり寄つてよく見ると、古綿のやうなのは、その頃生れたばかりの孩児であつた。お蔭で学者は細君に小つ酷く叱り飛ばされてしまつた。無理はない、どんな学者の事業だつて、女の生む「孩児」に比べると、ほんの無益物に過ぎないのだから。
坪内逍遙博士が今の高田文相などと一緒に高野に上つた事があつた。見物も一通り済んで、いよいよ下山といふ事になると、博士はお寺の土間をうろうろして何だか捜し物でもしてゐるらしい。
「何か忘れ物でもあるんですか。」
高田氏は鷹揚に訊いたが、いつも出掛には夫人にさう言はれつけてゐるので、言葉の調子に何処か女らしい点があつた。
「洋傘が見えないんです。先刻ここへ置いたと思ふんだが……」
坪内博士は薄暗い土間の隅つこを、鶏のやうに脚で掻き捜してゐる。
「洋傘だつたら、君が腋に挟んでるぢやありませんか。」
高田氏は笑ひ笑ひ言つた。気がついて見ると、博士は大事の/\繻子張の洋傘は腋に挟んだまゝ、もう一本捜してゐるのだつた。
洋傘は二本あつても、一本を高田氏に呉れてやつたら事は済む。「真理」が二つあつたら、博士は首を縊めなければならなかつたらう。
上田博士の死
7・12(夕)
たつた一人きりの愛嬢瑠璃子さんが、京都の銅駝校を出ると、博士は東京芝の聖心女学院へ入学させるために夫人と一緒に瑠璃子さんを東京へ送り、自分は独身生活を営んで、冷い弁当飯で過してゐたが、その寂しい生活が大分健康に障つたらしい。
オスカア・ワイルドは亜米利加の婦人達は死んで天国へ昇るよりか、巴里へ生れ代るのが願望らしいと言つたが、上田博士は巴里と東京とが大好きで、瑠璃子さんを教育するにも、京都の学校へ入れるのは、大分嫌だつたらしかつた。で、小学校を出ると直ぐ東京へ送つたが、それも普通の女学校よりか仏蘭西式の学校を選んだ。知恩院の境内で亡くならないで東京の町のなかで目を瞑つたのは博士がせめてもの本望だつたかも知れない。
幸田露伴博士が京都大学の講師になつて来た時、家族を同伴しないのを何故だと他に訊かれて、
「でも、子供に京都語だけは覚えさせたくありませんからね。」
と言つた事があつた。それを人伝に聞いた時、上田博士は、
「全くですね。」
と言つて、煙脂焼のした前歯をちつと見せて笑つてゐた。数多い京都大学にこの二人のやうな東京好きはまたと無かつた。
谷本博士と名妓
7・13(夕)
そのお説教の一つに、ダンテの名句に「見て過ぎよ」といふのがあるが、京都は実際見て過ぎればよい土地で、神社もお寺も拝むよりか見て過ぎるやうに出来てゐる。交通機関の電車にしてからが、(その頃京都にはまだ市の電車といふものは無かつた)横目で見て通ればよいので、あれに乗つては時間が潰れて仕方が無いと言つてゐた。実際谷本博士は長年京都にゐながら、一度も電車に乗つた事はなかつた。そして何時も横目で車台を睨み/\てく/\歩いてゐたが滅多に電車にひけは取らなかつた。
独逸哲学と一緒に、伯林の汽車の時間表まで鵜呑にしてゐる桑木博士なども、
「谷本君のは長い経験から出たので、全く真理だよ。」
と甚く感心してゐたが「真理」といふものは、独逸製以外に、京都でもちよい/\安手なのが出来るものと見える。
谷本博士はある日教授の溜室で上田博士の顔を見ると、
「上田君一度君に御馳走をしたいと思つてるんだが、君は文壇の名士だから、名妓を引合はしたいと思つて、彼是銓衡中なんだ。」
と、はつきりした日本語で言つてゐたが(念のため言つておくが、上田博士も谷本博士も数個国の国語には通じてゐたが、談話をする時には一番不完全な日本語でしてゐた)色々都合があつて、その御馳走もお流れになつたらしかつた。よしんば都合が無かつたにしても人間には忘れるといふ事があるから。
ほんとの事をいふと、谷本博士が名妓を引合せたいと思つてゐる頃には、上田博士はもうちやんとそんな者は知り抜いてゐたのだ。
どくだみ
7・14(夕)
面白いのはこの足数も踏むに連れて、沿道の人家や立木やが次から次へと眼の前に幻となつて展開する事で、五雲は仰向になつて、
「やあ、那処にいつもの両替屋の寡婦が見える。」
と、独りで娯しんでゐたさうだ。
亡くなつた上田敏氏は子供の時静岡へ往く道中、てくてく歩きで箱根を越えた。丁度梅雨晴れの頃で、ある百姓家の軒続きに、心臓形の青い葉が一面に蔓つてゐる畑を見て、
「おや/\菜がこんなに植わつてる……」
と独語をいふと、そこに居合はした百姓が笑ひ/\、
「坊ちやま、これあ菜ぢやござりましねえ、坊ちやまの食べさつしやる甘藷でがさ。」
と教へて呉れたさうだ。
その後大学の教室に立つて、欧羅巴の近代文学を論ずるやうになつても、梅雨晴れの日光が硝子窓からちらちらするのを見ると、いつもその菜の葉が幻のやうに想ひ出されると言つてゐた。
京の水
7・15(夕)
水の講釈にかけては人一倍やかましい茶人達の事とて、あつちこつちの名水を瓶に入れて各自に持寄りをする事にきめた。で、集まつた水を一つ宛煮て味はつてみたところが、矢張加茂川の水が一番美味かつたさうだ。
或る通人がそれを聞いて、「尤も至極の事で、他所の水は瓶に貯へて持ち寄りをしたのだから、時間が経つて死水になつてゐる。加茂川のは掬み立だけに水が活きてゐる。美味いに不思議はない筈だ。」と言つた。
久保田米僊は、大阪の鱧も、京都へ持つて来て、一晩加茂川の水へ漬けておくと屹度味がよくなると言つてゐたが、米僊は私に一度も鱧の御馳走をしなかつたから、嘘か真実か保証する限りでない。
京都俳優の随一人坂田藤十郎はよく江戸の劇場へも出たが、その都度江戸の水は不味くて飲めないからといつて、態々飲み馴れた京の水を幾つかの大樽に詰め込んで、江戸まで持ち運んだものださうな。水自慢は縹緻自慢と一緒で、自慢する人自身の拵へ物でないだけに面白い。
雷
7・16(夕)
不思議なのは、雷狩をした年の夏は、屹度雷鳴が少いといふ事だ。この雷狩は山や野原でする許りでなく、また海つ辺でもやる。翡翠のやうに寂しい海岸に穴を掘つて、そこから顔を出して遊んでゐるのを漁師が捉まへる事がある。
政事家が余り喋舌り過ぎて大臣の椅子から滑り落ちるやうに、雷も時偶図に乗り過ぎて海へ落ちる事がある。さういふ折に漁師が水棹を貸してやらなければ、空へ帰る事が出来ないので乱暴者の雷も漁師だけには極素直だといふ事だ。
京都は三方山に囲まれてゐるので、夏になると雷が多い。空がごろごろ鳴り出すと、京都の女はチヨコレエトを食べさして、蚕のやうにぶるぶるつと身体を顫はせる。
「貴方はん、また雷鳴どつせ。どないしまほ、妾あれ聞くと頭痛がしまつさ。」
と言ひ言ひ、嬌えるやうに男の顔を見る。
実のところは雷は嫌ひでも何でも無い。唯かういふと、男の眼に優しく美しく見られるといふ事を女の本能から知つてゐるのだ。男は鈍いもので、この瞬間女を飛切り美しいものに見るばかりでなく、自分をも非常な勇者のやうに思違へをする。鈍間なる男よ、汝はいつも女の前に勇者である。
未亡人の涙
7・17(夕)
英国のある停車場の駅長はグラツドストーンが落して往つた履の踵を拾つて、丁寧に箱入にして蔵つておいたといふから、黄河の濁り水を克明に瓶に入れて持つて帰つたからといつて、別に咎め立もしないが、同じ持つて帰るなら、もつと美しい物を見つけて欲しかつた。
波斯で亭主に死別れた許しの、新しい未亡人さんを訪ねると、屹度棚の上に大事さうに瓶が置いてあるのが目につく。他でもない、波斯では未亡人さんといふ未亡人さんは、亭主に死別れてからは、毎日々々涙を一雫も零さないやうに小瓶に溜めておいて、それが二本溜まると、喪を廃める事になつてゐるからだ。
一雫も零さないやうにするのは、何も追懐の涙が神聖なからでは無い。成るべく早く瓶を詰めて、喪服を着更へてしまひたいからだ。多いなかには亭主の事を追懐しても一向涙なぞ出ないのがある。(それに不思議はない筈だ。涙は亭主の生きてゐる間に、みんな絞り出してしまつたのだから。)そんな輩は涙脆い女を見つけて、一瓶幾らといふ値段で涙を買取つて、一日も早く喪を済まさうとする。
ある皮肉家が、古の詩人は血で書いた、中頃になつては墨汁で書いた、それが極近頃になつては墨汁に水を割つて書くやうだと言つたが、涙にしても水を割つたら、直ぐ瓶に詰まりさうなものだが、さうは仕ないで、縁もゆかりも無い者からでも、矢張正真物の涙を買ふところに、一寸女房の情合が見えて可笑しい。
目薬瓶に涙二杯! 男にとつて申分のない値段である。
贅沢な蟻
7・18(夕)
蟻はすつかり喰べ酔つたが、それでも人間のやうに片手を他の鼻先で拡げて金を貸せとも言はないで、唯もう蹣跚と、其辺を這ひ廻つてゐた。
仲間の蟻が、五六匹そこへ遣つて来た。そして喰べ酔つた友達を見つけると、こんな不心得者を自分の巣から出したのを恥ぢるやうに、何かひそ/\合図でもしてゐるらしかつた。
暫くすると、仲間は各自に酔ひどれを啣へて巣のなかへ引張り込み、丁寧に寝かしてやつた。酔が醒めると、件の蟻はこそ/\這ひ出して直ぐ例の仕事にかゝつたさうだ。
一度他の巣の蟻がこの酔ひどれを見つけた事があつたが、その折は少しの容捨もしないで、いきなり相手を啣へて水溜りのなかに投り込んでしまつた。
人間にも女中や下男の厄介になつて暮すやくざな輩があるやうに、蟻にも奴隷を置いて、その世話になつてゐるのがある。巣を拵へ、食物を集めるのに奴隷の手を藉りるばかりでなく、どんなに食物があつても、奴隷の手でそれを食べさせて貰はなければ何うにも出来ないので、奴隷の機嫌でも損じると、餓死するより仕方がない。
人間が牛や馬を養つてゐるやうに、蟻もまた家畜を飼つてゐる――といふと、何から何まで蟻は人間と同じやうだが、蟻には人間のやうな懶惰者がゐないだけに、女を大事にする事を知つてゐる。何といふ結構な道徳であらう、女は陶器皿と一緒で、同じ事なら大事に取扱つた方がよいのだ。――蜂は閑さへあれば女王の顔を見て娯しんでゐるさうだ。
鉄扇の威嚇
7・19(夕)
先づ応接室に通されて、暫くすると隔ての襖が開いて主人の顔が見える。
「ヤ、入らつしやい。お久しぶりですな。」
松下のやうな男には、誰でもが挨拶だけは成るべく叮嚀にしようとする。挨拶には別に資本が掛らないで済む事だから。
「何うです、この頃の暑さは。随分厳しいぢやありませんか。」
かう言つて、主人はにこ/\顔で椅子に腰を下さうとする。
この時松下は腹一杯の声で、
「御主人……」
と喚くと同時に、手に持つた鉄扇で、思ひ切り強く卓子を叩しつける。(松下はこんな訪問には、いつも「体面」を置いて往く代りに、机の抽斗から鉄扇を持ち出す事に定めてゐる。)
主人は卓子の上の葉巻入と一緒に、吃驚して椅子から飛び上らうとする、松下はじろりとそれを尻目にかけて、
「お気の毒だがお冷水を一つ下さい。」
と静かに言ふ。この場合お冷水だらうが持参金つきの娘だらうが、相手の気に入る事なら、主人はどんな物でも調へようと思つてゐる。かうなると、もう占めたもので、松下は希望通り相手の魂でも引抜く事が出来る。
松下の行り方は、他人を見れば敵と思つた封建時代の遺習で、型としては既う黴が生えてゐる。往時の閑人はこんな輩に驚かないやうに、武士道や禅学で胆を練つたものだが、今の人達は、武士道や禅学の代りに、お蔭で「生活難」で鍛へられてゐる。「貧乏」は鉄扇の音に吃驚しないばかりか、鉄扇を質に入れる事さへ知つてゐる。
明恵と雑炊
7・20(夕)
明恵は何気なく膳に対つたが、好物の雑炊が目につくとにつこり笑つた。そして、
「今日は御馳走だな。」
といつて、弟子の顔を見た。弟子は師僧の気に入つたのが嬉しいと見えて、蒟蒻球のやうな顔を下げてお辞儀をした。
「お上人様が平素からお好きでいらつしやいますから。」
明恵は箸を取つて一口頬張つたと思ふと箸を取つた右の指先で障子の桟を目にも止まらぬ速さで一寸撫でた。弟子は吃驚して見つめてゐると、明恵は何喰はぬ顔でその指先を嘗めて、それからまた雑炊を食べようとした。
「蠱だらうかな。」
と弟子は考へたが、これまで一度だつてそんな真似は見た事も無かつたので、不思議さうに訊いた。
「お上人様、つかぬ事をお訊き申すやうですが、たつた今貴僧様は障子の桟を撫でて、それをお嘗め遊ばした。あれは何のお蠱でございます。もしや、食中毒の……」
明恵は尼さんのやうに口を窄めて笑つた。
「いや、蠱でも何でもない、其方が拵へて呉れた雑炊が余り美味いものだから、つい障子の埃を嘗めたのだ。」
成程障子の桟を見ると、埃が白く溜つてゐた。埃は正直なもので、掃除を怠けると、直ぐ溜るものだなと弟子は思つた。だが、雑炊が美味いからといつて、その埃まで嘗めなければならない理由が判らなかつた。
明恵は言つた。
「余り雑炊が美味いので、つい染着心でも出来ては怖ろしいと思つたものだから、そんな事の無いやうに一寸埃を嘗めたまでさ。」
弟子はそれを聞いて、師僧の雑炊を拵へるのはなかなか難しいものだなと思つた。
大隈侯はどんな物でも鵜呑にする事が上手だが、唯それに砂糖をつけないでは承知しない。砂糖とは他でもない「高遠の理想」の事さ。
栖鳳の天井画
7・21(夕)
むかし天龍寺塔頭のある寺にあつた書院の杉戸は、探幽の筆として聞えてゐたが、戸には李白一人が画いてあつて、滝らしいものが一向に書いてなかつた。これは嵐山の戸無瀬の滝を目の前に控へてゐるので、滝は態と描かなかつたのだ。
池坊の祖先某は、六角堂に立花の会があつた時、自分の花に態と正心松を欠いて活けておいた。何故だらうとそれが一座の人の噂の種となつてゐる頃、池坊は、
「松は今御覧に入れます。」
と言つて、障子を引明けると、庭にある好い枝振の松がうまく立花のなかに取入れられたさうだ。流石に池坊式でこれには拵へ事の態とらしさがある。
竹内栖鳳氏は東本願寺の天井に、天人飛行の絵を画く約束で、もう幾年といふもの考へ込んでゐるが、まだ一向に出来上らない。往時ある処に狩野永徳の描いた空飛ぶ鴈の間といふのがあつた。何でも襖障子一面に葦と雁とを描き、所々に鴈が羽叩して水を飛揚つてゐるのを配つた上、天井には雁の飛ぶのを下から見上げた姿に、鴈の腹と翼の裏を描いて居つたといふので名高かつた。この伝で往くと、栖鳳氏の天人は臍の孔から擽つたい腋の下の皺まで描かねばならなくなる。
なに、そんなに心配するが物はない。相手は肉食妻帯の本願寺だ。いつそ光悦や探幽式に裏方や姫達を天人と見立てて、天井へは何も画かない事にしたら、どんな物だらう。凡ての画家に勧める、自分の手に画きこなせないものは画かないに限る。
道成寺の石段
7・22(夕)
ある時、この男が紀州の道成寺に詣つた事があつた。その折拍子を踏み/\石段を数へてゐたが、ふと立停つて、不思議さうな顔をして道伴に言つた。
「この鐘楼の石段は屹度一つだけ土にでも埋もれてゐるんぢや無からうか。今一つ宛踏んで居るのに、何うしても段拍子に合はない。」
道連は可笑しな事を言ふとは思つたが、相手があの通りの巧者人の事なので、笑つてばかり済ます訳にも往かないので(世の中には笑つて済まされる事は沢山ある、金の事、女の事、それから……)土を掘り下げてみると、案の定下から石段が一つ出た。
京都の桂離宮は小堀遠州が豊太閤に頼まれて、一世一代の積りで拵へた名園だが、ずつと後になつて遠州の孫がその結構を見に庭へ入つた事があつた。木戸口を潜つて、庭石を二つ三つ踏むだと思ふと、ひよいと立停つた儘、
「どうも解らない。」
と、じつと考へ込んでしまつた。
案内の男が、
「何かお解りになりませんか。」
と訊くと、
「いや。この石だが、も少し右に置いてなければならん筈なのだ。」
と独語のやうに答へる。考へてみると、一二年前に庭木を入れる事があつて、その折件の庭石を引つ剥したまゝ、植木屋の手で勝手に据ゑ直してあつたのだ。
このやうに物にはちやんと拍子といふものがある。この拍子を見別けるやうになると、物の巧者だといへる。だが断つておくが、諸君の夫人の顔立が拍子に適はないからといつて、それは茶話記者の知つた事ではない。大きい声では言へないが、一体女は初つ端から拍子に合つたやうに拵へられてはゐないのだから。
醜女と哲学
7・24(夕)
これは静が人並外れた美人だつたので、多くの男にも苦労をさせ、女自身にも悲しい事ばかり見て来たのを思ふと、もう美人は懲り/\だとあつて、
「娘が生れます事なら、いつそ醜女にしてやつて下さい。」
と神様に祈願を籠めたのが、お引受になつたのださうだ。
美人を生ませて下さいと、願を籠めたところで、神様は滅多に承引しては下さらないが、醜女を孕ませて下さいと頼むと、大抵はお引請になる。お引請になるのは、何も神様の手並が拙くて、醜女の方が丁度手頃なからでは更々ない。神様は女に哲学を教へようとなさるからだ。
女は美人に生れると、悲哀が多い、「芸術」が必要な所以だ。醜女に生れると絶念めなければならぬ、「哲学」が無くてはならぬ訳である。哲学は蛇と共に女の一番嫌ひな物である。
富豪の顔に唾
7・25(夕)
その富豪も皮肉哲学者に、自家の邸宅を自慢したいばかりに、飾り立てた客室から、数寄を凝らした剪栽の隅々まで案内してみせた。
「如何でげせう、これでも先生方のお気には召しますまいかな、俺としては相応趣向も凝した積りなんでげすが……」
かういつて、富豪はその大きな顔を、哲学者の方へ捻ぢ向けた。
哲学者はそれには何とも答へないで、いきなり痰唾を富豪の顔に吐きかけた。富豪は西洋茄子のやうに真紅になつて憤つた。
「何をしなさるんだ。他の顔に唾をしかけるなんて、余りぢやごわせんか。」
皮肉な哲学者は落つき払つたもので、
「いやはや余り結構づくめなお邸宅なんで、唾が吐きたくなつても、何処にも恰好な場所が見つからないもんですから、ついお顔を汚しましたやうな訳で……」
と別に謝まらうともしなかつた。
勿論いつの時代でも富豪の顔と霊魂とは、数あるその持物のなかで、一番汚いに極つてゐるが、それに唾を吐きかけたのは流石に皮肉哲学者の見つけ物である。
一番無難なのは、哲学者なぞ御馳走しない事だが、もし達て饗ばなければならないとすると(渋沢男が孔子を先生扱ひにするやうに、一体富豪は凡て哲学者が好きらしい。何故といつて、孔子は色々難しい事を聴かせて呉れる上に滅多に金を貸せなぞ言はないから)何を忘れても痰壺だけは用意しておく事だ。
大きな鼻
7・26(夕)
ある秋の夜の事、お説教が済んで、上人はひどく気持が善ささうな顔をしてゐた。一体お説教とか講演とかいふものは、よく出来た場合は聴衆よりも演者の方がずつと気持のいゝもので、基督のやうな真面目な男でさへ、名高い山の上のお説教を済ました後は、すつかり好い気持になつて、汚い癩病患者なども直ぐ癒してやつた。だから、お説教の済んだあとで、
「どうも素敵でしたね。皆もすつかり感心しちまつて、もつと何か聴きたさうな顔をしてまさ。」
と言つてみるがいい。坊さんは屹度お袈裟の袖をたくしながら、手品の隠し芸でもして見せるに極つてゐる。
通尖上人はすつかり上機嫌で、この分ぢやどんな難問が出ようとも、直ぐ解いて聞かせて呉れる。ほんとに吾ながら偉い博識になつたものだと高慢さうな顔つきで、附近をじろ/\見まはしてゐると、だしぬけに隔ての障子が破れて、なかから大きな鼻が一つ飛出した。おやと思ふうちに、鼻はまたすつと引込んで障子はもとのやうになつた。
流石の通尖も、これには度胆をぬかれてしまつた。変な顔をして暫く眼をぱち/\させてゐたが、すうと席を滑り下りたと思ふと、その儘見えなくなつてしまつた。あとでよく調べてみると、大樹寺といふのに入つて専修念仏の行をおこなひ済ましてゐたさうだ。よく/\自力には懲りたものと見える。
寺内元帥なども、近頃少し高慢な相が見えて来た。今の内に誰か障子の孔から大きな鼻でも覗かせてやらなければならぬ。
玉泉と緑青
7・27(夕)
「素晴しい色彩ぢやないか、一体何店で掘出して来たんだね。」
画家はそれに答へようともしないで、牛のやうに黙りこくつて、せつせと仕事に精出してゐたが、画が描けるに連れて、身体はだん/\衰へて来た。そして仕揚に今一息といふ際どい時になつて、刷毛を手に持つた儘、画の前に突伏して倒れてゐた。仲間が死骸を片付けようとして見ると、画家は耶蘇のやうに胸に孔があいて、孔からは真紅な血が流れてゐた。仲間はそれを見ると、
「色彩だと思つたのは、自分の血だつたのか。」
声を揚げて驚いたといふ話がある。
四条派の名家だつた望月玉泉が、晩年に京都のある高等女学校に、邦画の教師として一週幾時間か酸漿のやうな真紅な顔を覗けてゐた事があつた。普通の絵具は生徒が買合せの安物の水絵具で辛抱してゐたが、緑青と群青とだけは、自分の宅から懐中へ捻ぢ込んで来てそれを生徒に売つてゐた。
「これは緑青と群青やで。どつちやも高い絵具やが、貴女方はお弟子やさかい、廉う負けといて一度分五銭にしときまつさ。」
玉泉はこんなに言つてその緑青と群青とを使つた生徒からは、その場で五銭宛受取つて袂に投げ込んでゐた。
生徒が草花の写生でもすると、玉泉はじつと覗き込んで、
「よう出来よつたな。それに緑青をお塗りやすと、ぐつと引立ちよる。お塗りやすいな、緑青を……」
といつたやうな調子で、つい懐中の緑青を押売する。
もしか自分の血が好い絵具になる事を知つてゐたら、玉泉さんは緑青や群青の代りに萎びた自分の胸を切売したかも知れない。
保証人
7・28
養子に往くのは、戦争に出かけると同じやうに敵をそつくり生捕るか、さもなければ身一つで逃げ出すだけの気転が無くてはならぬが、それでも養子に往けぬとなると、先を折られたやうな気持がするかして、こんな輩は養子に往けない鬱憤を晴らす為に大抵浪人になつた。
この浪人者をどんなにして救済したかといふ問題を提示したのは穂積陳重博士。それをまた例の福本日南が、頭の禿に触られでもしたかのやうに博士に喰つてかゝつて、往時の事を疝気に病むよりは、寧そ博士の育てた高等遊民の救済法でも考へたがよからうと口を尖らせた。
高等遊民も部類分けにすると色々あるが、なかで法学士が一番多い。この七月には又ぞろこんな輩が東西の両大学から一千人近くもぞろ/\這ひ出して来るのだ。
彼等は今から養子口と捌け口とを同時に捜してゐるが、何処へ往くにも紹介人や保証人が無くてはならぬ今日、一度出た門を急に後退りをして厄介ついでに成るべく人の好ささうな教授連に紹介やら保証やらを頼み廻つてゐる。
京大の跡部博士なども、
「保証人になつたからといつて、証書に書いてある通りの責任を負はなければならぬものなら、自分の伜の保証人になる者もあるまいて。保証書にあるやうな責任は負はない積りでこそ保証人にはなれるのだ。」
と言つて、頼まれると二つ返事でべたべたと印を捺してゐる。
それで好いさ、それで好いさ。実際保証書などはそれで好いが、どうか学問だけはよく吟味して教へて欲しいものだ。
油が足りない
7・29(夕)
一体富豪といふものは、十人が十人石のやうに冷たい顔をしてゐるもので、平素人形や阿母さんやの莞爾した顔を見馴れてゐる子供にとつては、まるで別世界の感じがするに違ひない。
「叔父ちやん、何処へ往くの、自動車へ乗つて。」
子供は不思議さうに訊いた。もしか同じ問が紐育の新聞記者からでも訊かれたのだつたら、ロツクフエラアは急に感冒をひいたやうな顔をして、大きな嚏でもしたのだらうが、相手が可愛らしい子供だけに、にこ/\して、
「さあ、何処へ出掛けようね。叔父さんは寧そ天国へでも往きたいんだが。」
と、いつもに似げなく冗談口をきいた。
子供はそれを聞くと、吃驚したやうに眼を円くした。そして気の毒さうに言つた。
「お止しなさいよ、叔父ちやん。天国へ行くには油が足りない事よ。」
「さうか油が足りないか。」
ロツクフエラアは子供の言つた事を繰返し/\、首を縊められた家鴨のやうな顔をして、暫くは其処に衝立つてゐたさうだ。
「天国へ往くには油が足りない。」
子供といふものは巧い事を言ふものさ。富豪はどこの国でも皆油の足りない連中許だ。
男女の幽霊
7・30(夕)
男は幽霊か知らとは思つたが、それにしても二人の年齢が一向合点が往かないので、その儘夜明を待つた。東が白んでから、二人が立つてゐた附近へ往つてみると、小さな合葬の墓があつて無縁になつてゐる。訊いてみると、墓の主人は大分以前二十四五で亡くなり、その女房は久しく生き延びて、洗濯婆となつて暮しを立ててゐたが、二三年前に六十幾つかで死んだのでここに合葬したのださうだ。
それを聞いた寺の住職は、
「無縁だし、加之に月がよいので、二人とも遊びに出たのだつしやろ。」
と言つてゐたが、二人とも丁度亡くなつた年齢相応の姿をしてゐたのには笑はずには居られなかつた。
男にせよ、女にせよ、連添に死別れてから、四十年も生き延びてゐると、色々な面白い利益になる事を覚えるものだ。洗濯婆さんだつて六十迄も存へてゐるうちには大英百科全書にもないやうな智識も獲たに相違ない。さういふ智識から見れば、二十四五で死んだ亭主は全で子供のやうで喰ひ足りなかつたらうと思はれる。
それを思ふと、情死する場合の他は、相手に二世の約束だけはしない方がよい。多くの場合、女は男よりも長生をするものだが、来世で皺くちやな女の顔を見るのは、男にとつて胃の薬を飲むよりも辛いものだ。だが、それよりも辛いのは、色々な事を知つた女が、生で、無垢な昔馴染の男に出会つた時の事で、女はそんな時には、極つたやうに頭の地を掻き/\、その後昵懇になつた男の数を懐中で数みながら、
「もう何時でせうね。」
と時間を訊きたがるものなのだ。よく言つておくが、女が時計の針を気にするのは、大抵逃げ出したい時に限る。
神様と接吻
7・31(夕)
嬢は先頃南米地方へ旅行をした事があつた。その折ある地方で、皮膚の赤茶けた土人が、地面に蹲踞つて玉蜀黍の煙管で脂くさい煙草をすぱすぱやつてゐるのを見かけた。
ボードマン嬢は雌狗のやうに鼻を動かした。そして言つた。
「爺や、お前そんな脂臭い呼吸をして天国へ往けるとお思ひかい。」
「ひひひ……」と土人は歯の抜けた口で笑ひ出した。「脂臭え呼吸だと言はつしやるが、おいら死ぬ時や呼吸引き取りますだよ。」
むかし道命といふ名高い坊さんがあつた。怖ろしく声の美い人で、お経を誦むと、その調子が自然に律呂に合つて、まるで音楽でも聴くやうな気持がするので、道命が法華を誦むとなると、大峰から、熊野から、住吉から、松尾から色々の神様が態々聴きに来たものだ。そんな折には、道命は一寸後を振り向いてみて、
「今日も神様が来てるな……」
と、得意になつて一段と声を張り上げたものださうな。
道命は和泉式部と好い仲だつた。(道命だつて男だから女を愛するのに不思議はないが、僧侶といふ身分に対して稍不都合だと思われる向は、どうか成るべく内聞にして置いて欲しい。道命も名僧だし、和泉式部も聞えた歌人の事だから。)ある夜式部の家で寝て、翌る朝何喰はぬ顔で寺へ帰つて、例のやうに法華を誦みにかゝつた。
ふと後方を振り返つてみると、いつも見馴れた立派な神様達の代りに薄汚い乞食のやうな仏様が一人居る。道命はお経を誦みさして訊いた。
「貴方は誰方ですかい。」
仏様は一寸お辞儀をした。
「私は五条西洞院辺にゐる仏ぢやが、つね/″\評判のお前様の読経を聴きたい/\と思つてゐたが、平素は梵天帝釈などのお入来があるので遠慮してゐた。所が今日はお前様の身体が汚れてゐるから、他様はお出でがない、そこで遣つて来ましたぢや。」
成程気がついてみると、道命は前の夜和泉式部と好い事をした口を、その儘灑がないでお経を誦んでゐたのだつた。
俳優の家庭
8・1(夕)
枕許に坐つて看護をしてゐた妹芸者が、何か言ひ残す事は無いかと訊ねると、
「三毛猫を空腹がらさんやうに頼みまつさ。」
と言つて寂しさうに笑つた。呉々も言つておくが、その芸者が最後まで気にかけてゐたのは、三毛猫の事で、贔屓筋のお医者さんや、市会議員を空腹がらせるなと言つたのでは更々ない。
その事が土地の新聞に載つたのがふとした事で俳優の鴈治郎の目に止つた。鴈治郎はその折玉屋町の自宅で、弟子に按摩を揉ませながら新聞を読んでゐた。で、その芸者の亡くなつた記事が目につくと「呀」と言つたが、直ぐ顔を揚げて忰の長三郎を呼んだ。
「長公、長公は居やへんか。」
長公は隣の室から返事をした。
「何や、阿爺さん。」
鴈治郎は声のする方を覗き込むやうに一寸首を伸ばした。
「そこに居よつたんか。お前あの門司の△△はんと関係があつたんやろ。そやなあ。」
長三郎は他事でも訊かれたやうな軽い調子で答へた。
「ふん、関係しとつた。何うしたんや、それが。」
「△△はん、死によつたぜ。」
「さよか。」
長三郎は起き上らうともしなかつた。彼は腹這になつて、舶来の玩具を弄くつてゐるのだ。
親子が顔をも赧めないで、平気で自分の情事を話し合つてゐるのが俳優の家庭である。舞台で人生を演活すためには、平素からかうした囚はれない情態が必要なのか、それとも舞台の心持が家庭生活にまで伝染つてゆくのだらうか。
孰方とも真実だらう。そしてもつと真実なのは、親子のどちらもに取つてこれが一番都合がよいからであらう。
女の途連れ
8・2(夕)
その男は目敏く自分の両側を見渡した。
「何うだ。みんな野郎ばかりだ。女気といつたらこれつぱかしも居やしない。」
と誰かに話しでもしてるやうな調子で、
「次ぎを待たう、次ぎまで待たなくつちや仕方が無い。」
と言ひ捨ててあたふた下りて往つた。
皆は気が注いたやうに車のなかを見渡した。成程男ばかりだ。揃ひも揃つて、安つぽい顔に安つぽい帽子を被つた男ばかりだ。
「成程野郎ばかりだな。はゝゝ……」
誰かが詰らなささうに笑つたが、それでも誰一人続いて下りようとはしなかつた。
下りた男は何所の誰か判らない。女が好きなのか、男が嫌ひなのか、それも判らない。次ぎの電車で望み通りに若い美しい女と差し向ひに坐る事が出来たらうか、それもまた判らない。
女は教会へ往くにも、地獄へ落ちるにも好い道連たるを失はない。真実の事をいふと、始終一緒に居ても厄介なものだが、さうかと言つて、離れても居られないのが女の取柄である。
男ばかりの電車は、少し逆上気味で獣のやうに風を切つて飛んだが、漸と大物まで来て一人の女を乗せる事が出来た。女といふのは、四十近い、四角い顔をした、愛国婦人会の幹事でもしさうな女だ。
辛抱するさ、婦人会の幹事でも女には相違ないのだから。
北畠男の帽子
8・3(夕)
米国の雑誌はいづれも広告の頁がどつさりあるので、知られてゐる。キプリングの友達は、幾らか郵税を倹約したい考へから、広告の頁だけ引裂いて、残つた内容を一纏めにして送つて寄した。
キプリングは包みを解いてみると、雑誌はみんな広告の頁だけ引き裂かれてゐる。何故だらうとキプリングは小首を傾げたが、それが郵税の節倹からだと聞いて、文豪は蟹のやうにぶつぶつ憤り出した。
キプリングの言ひ条では、米国の雑誌は広告欄が面白いので取柄がある。内容と広告と孰方に新知識が多いと訊かれたら、誰だつて選択に迷はない筈だ。
「そんなに郵税が節倹したかつたら、内容の方だけ引裂いて呉れればよかつたに。」
と、友達まで不平を申込んださうだ。
世の中には米国の雑誌みたいな人も少くない。法隆寺にゐる北畠男爵などはその一人で、暴風のやうなあの人一流の法螺は一寸困り物だが、夏帽だけはパナマの良いのを着けてゐる。もしかキプリングの友達のやうに、郵税を節倹しなければならないとすると、「男爵」は捨ててしまつても、あの帽子だけは撰びたいものだ。
食物と格言
8・4(夕)
信斎は自分の学問の底を叩いて、色々利益になりさうな名句を拾ひ集めては比べてみたりした。そして漸と出来上つたのが、平の蓋に、
「咬得菜根百事可做」
汁の蓋に、
「不素餐兮」
飯の蓋に、
「粒々皆辛苦」
といふ固苦しい文字であつた。言ふまでもなく汪信民や、朱雲や、李紳の往事から拾つて来て戒めたのだ。
役人とか会社の重役とかの弁当箱には是非書いておきたいやうな文句だが、普通の人には一寸咽喉に支へさうで可けない。こんな文句を毎日眼の前におきながら、弁当をぱくついてゐた雪堂といふ百人頭は性来齦の勁い、胃の腑の素敵に丈夫な男だつたらしい。
そこへ持つて往くと、売酒郎々が、所謂七重の絹で七度漉した酒を飲ませたといふ、東山の竹酔館は、表の招牌も、
「この肆の下物、一は漢書、二は双柑、三は黄鳥一声」といふ洒落た文句で、よしんば摘み肴一つ無かつたにしろ、酒はうまく飲ませたに相違ない。
飯を食ふにも、酒を飲ませるにも、それと一緒に想像を喰べさせなければ嘘だ。肉皿に新しい野菜と想像とを一緒に撮む事の出来る細君にして初めてお台所を委せる事が出来る。
毒草の味
8・5(夕)
それは他でもない、仲間が五六人行列を作つて、味噌を盛つた小皿を掌面に載せて野原に出る。そして真先に立つた一人が、其辺の道傍に芽ぐんでゐる草の葉を摘むで、それに味噌をつけて食べると、後に続いた者は順繰にその葉を摘取つて食はなければならぬ。
先達は仲間を懲らさうとして、態と名も知らぬ草の葉に手をつけるが、それがどんな変てこな草だらうが、先達が食つたとあれば、仲間は厭でもそれを口にしなければならぬ。
偶には見る/\先達の唇が腫上るやうな毒草にも出会したが、仲間は滅多に閉口しなかつた。
「なに、文久銭と蟹の甲殻の他だつたら、味噌さへ附ければ、どんな物だつて食べられまさ。」
こんな事を言ひ合ひながら、負けぬ気になつて、味噌をつけてはばり/\毒草の葉を噛んだ。丁度後になつてどんな物事にも理窟をつけては嚥み込み嚥み込みするやうに。
で、物の五丁も歩くと、今度は先達を代へて、また同じやうな事を繰返すのだ。間の悪い日になると夕方家に帰る頃には、皆の両唇が腫み上つて碌に物も言へなくなつたやうな事さへあつた。
「お蔭で食べられる草と、食べられない草との見別はちやんと附くやうになりました。」
と露伴氏は今でも言ひ/\してゐるが、真実に結構な事さ。
人間はひよつとした神様の手違で、後の世に牛か馬かに生れ代る事が無いとも限らないのだから。
殿様の臍
8・6(夕)
数ふる道楽のうちで、殿様は一番変り種の小鳥や獣が好きで、自分の力で手に入れる事が出来る限り、いろんな物を飼つて娯しんでゐた。
英雄僧マホメツトも甚く小猫を可愛がつたもので、ある日なぞ衣物の裾に寝かしておくと、不意に外へ出掛けなければならない用事が持ち上つた。だが可愛い猫は起したくなしといふので、わざ/\大事の衣物の裾を剪刀でつみ切つて起ち上つたといふ事だ。
政治家のリセリウもまた愛猫家として聞えてゐるが、死ぬる時には遺言で、莫大の遺産金まで猫に呉れてやつた。猫がその遺産金を何う費つたかは、自分がその相談に与らなかつたから、よくは知らないが、唯愛国婦人会や赤十字社に寄附しなかつた事だけは事実らしい。
薩摩の殿様は、ある日籠のなかから、栗鼠と梟とを取出させて喧嘩をさせてみた。栗鼠も梟も詮事なしに喧嘩をおつ初めたが栗鼠はふだん殿様が自分を可愛がつて呉れるのは、自分の芸が見たいからだらうと思つて、籠のなかで飜斗返りばかり稽古してゐたので、こんな喧嘩にはすつかり用意が欠けてゐた。で、梟のために散々に啄かれた。
栗鼠は逃足になつて、いきなり殿様の懐中に飛び込んだが、悔しまぎれに厭といふ程主人の臍を噛んだ。
殿様はその故で四五十日ばかり傷療治をしなければならなくなつたが、傷が治つた後でも、別段賢くはなつてゐなかつた。賢くなるには余りに齢を取り過ぎてゐたから。老人といふものは、こんな場合にも、栗鼠が狂者だつたとか、臍がうつかりしてゐたとか、得て言訳をしたがるものなのだ。
醜男
8・8(夕)
東京を立つて初めての夜、一行は山の上の旅宿で泊る事になつた。旅宿には大きな部屋が無かつたので、一行は廊下を隔てた二つの室に分宿しなければならなかつた。
女流文学者は、
「あたし女の事で、草臥てますから、お先へ失礼します。」
と言つて、皆の食事が済むか済まないうちに、一つの蚊帳に入つてしまつた。
男達五六人のなかに、一人の美男子と一人の醜男とが交つてゐた。顔の見つともないのは、頭の悪いのと同じやうに恥づべき事で、葛城の神様などは、顔が醜いのを恥しがつて、夜しか外を出歩かなかつたといふ事だ。それだのに一人の醜男は無遠慮に皆と同じやうに口を開けて食つたり笑つたりしてゐた。
女流文学者はそれを心憎い事に思つた。そして出来る事なら、自分と同じ蚊帳には、片つ方の美男子を寝させたいものだと思つた。
女流文学者はいつの間にかぐつすり寝込んだ。そして夜半過に眼をさまして見ると自分の次ぎの床には、例の醜男が口をあんぐり開けて眠つてゐた。女流文学者は毎月晦日には定つて厭世観を起す例になつてゐるが、然しこの瞬間ほど世の中を厭に思つた事はない。
女流文学者は信州の山から下りて来ると、中つ腹の気味で、
「私が醜男を避けて、美男子と一つ蚊帳に居たいと思つたのは、好色の念からでせう。ですが、恋愛は非難される場合もありませうけど、好色は美に伴ふもので、結構な事だと思ひますよ。」
と言ひ言ひしてゐる。
何も心配する事はない、好色は結構な事さ。油断すると醜男が同じ蚊帳に寝てるやうな、儘ならぬ世の中だ。好色位結構な事にしておくさ。
女博士
8・9(夕)
トオマス嬢はある日の夕方美しく刈込まれた学校の校庭を散歩してゐた。晩食は消化のいゝ物でうまく食べたし、新調の履は繊細な足の裏で軽く鳴つてゐるので、女博士はすつかりいい気持になつた。そして出来る事なら天国へ往く折にも、こんな消化のいい物を食つて、こんな軽い履を穿いてゐたいと思つた。
だしぬけに寄宿舎の一室からけたたましい騒ぎが聞えた。拍手の音さへそれに交つてゐる。
「何事だらう。」
と女博士は静かな眉尻に一寸皺を寄せた。そして天国の黄金の梯子でも下りるやうな足つきをしてかたことと廊下を歩んで、騒ぎの聞える一室の前に立つた。
トオマス嬢はとん/\と扉を叩いた。
「どなた。」
内部から誰かが訊いた。
「It is me. ミス・トオマスですよ。」
と博士は静かに返事をした。
「違つてよ。」となかから突走つた声が聞えた。「トオマス博士だつたら、『It is me』なんて仰有らずに、『It is I』と仰有つてよ。」
女博士は困つたなと思つてその儘そつと逃げ出さうとしてゐると、内部から扉が開いて悪戯盛りの女学生が「ばあ」と言つて顔を出した。
岩野清子のやうに、自分の離婚問題にも、婦人全体のためだと気張つてゐる女は、かういふ折には屹度「We」とでも言ふだらう。ああいふ女は、物を考へる折には「私」といふ事を忘れて、新聞の論説などと同じやうに「We」といつて考へ出すことになつてゐるから。
儒者の独身
8・10(夕)
その成斎の弟子に、度々色街へ出掛けて、女狂ひに憂身を窶してゐる男があつた。いろ/\と両親が異見をしてみても、一向効力が無いので、
「一つ先生様の御力で……」
といふ事になつた。
成斎はその弟子を呼びつけた。そしてたつた今朱文公に会つた帰り途だといふやうな生真面目な顔をして、
「お前はこの頃頻と色町に出浮くさうだが、怪しからん事だ、以後は屹度慎んだがよからう。」
と高飛車に叱りつけた。
弟子は先生の剣幕のひどいので、両手を膝の上に揃へて、鼠のやうに縮み上つてゐると、成斎は変な眼つきをしてその手首を見つめた。若い弟子の手首は妓の握り易いやうに繊細に出来てゐた。
「廓通といふものは、第一金が掛るばかしでなく、身体の養生にならない。俺などはそんな遊びを止めてから、今年でもう廿年にもなるが、その故かしてこんなに達者になつた。」
と言つて、先生は大きな両手を、弟子の鼻先でふり廻してみせた。成程腕つ節は勁さうに出来てゐるが、その二十年といふもの、金なぞたんまり握つた事の無ささうな掌面だなと弟子は思つた。
弟子は怖る/\先生の顔を見た。
「有難うございました。お言葉は夢にも忘れないやうに心掛けませう。」といつて叮嚀にお辞儀をした。
「で、一寸伺ひますが、先生は当年お幾つでいらつしやいます。」
成済は案外叱言の効力が早かつたのと、自分の達者な腕つ節に満足したらしく、声を揚げて笑つた。
「俺かの、俺は当年九十三になる。」
「してみると……」
弟子は先生が道楽を思ひ止つたといふ二十年前の齢を繰つてみた。そして眼を円くして驚いた。言ひ忘れたが、成斎は生涯独身で暮した男である。
クンカン
8・11(夕)
その広岡氏と博士とがある時祇園の大友へ遊びに往つた。大学教授には二種あつて、一種は芸者を女中のやうに「お前」と呼びつけ、一種はお嬢さんのやうに「あなた」と言つてゐる。博士は後者の方で、どの芸者をも「あなた」呼ばはりをするので、芸者の方でも「敏さん/\」と近しくなつてゐた。
その頃から少し加減の悪くなつてゐた博士は一足先きへ帰つた。夜半過ぎ広岡氏が宅へ帰つてみると、博士はまだ起きて東京にゐる瑠璃子さんに手紙を書いてゐた。
博士は階段から顔を覗けた広岡氏を振りかへつた。
「まあ、お上りなさい。私が帰つてから何かはずみましたか。」
広岡氏はのこ/\上つて博士の前に坐つた。
「奮みましたとも。あれから妓達と一緒にクンカンなんか行りましてね。甚く躁ぎましたよ。」
博士は「クンカン?」といつて、一寸小首を傾げたが、その儘起上つて書棚から新版の辞書を引下して来た。そして物の十五分も黙りこくつてあちこちを繰つてゐたが、漸と何か見つかつたらしく、上品な声で「はは……」と笑つた。実際上品な声で、古文書の入つた桐の箱が笑ひでもしたら、あんな声をするだらうと思はれた。
博士は辞書を伏せて、
「クンカンぢやありません。カンカンですよ。あれはタンゴ踊などと一緒に最新の流行ですが、もう日本に来てるとは驚きましたね。この次に往つたら是非見せて戴きませう。」
広岡氏は辞書といふものは色々な事を教へて呉れるものだと感心した。そしてそれからといふものは博士の前では忘れてもクンカンの事はにも出さないやうにしてゐた。祇園の芸妓は辞書と同じ物識だとも思へないのだから。
大発明
8・12(夕)
良人は三高の語学教授で京都に住み、細君は音楽学校のヴイオロニストで東京に居るのでは、恰で七夕様のやうに夏休みを娯む他には、いい機会もあるまい。寧そ幸子女史が音楽の先生なぞ止めてしまつて、京都へ来て世話女房になるか、それとも安藤氏が語学の教師を思ひ止まつて、東京へ帰つて、嬰児の守でもするか、二つに一つ、どちらかに決めて了へば可かりさうなものだのにと飛んだおせつかいを言つてる向も無いではない。
だが、心配するが物はない。必要は色々な事を教へるもので、安藤氏夫妻はこの頃になつて素晴しい発明をした。実際驚くべき発明で、こんな発明が猿のやうな日本人の頭から生れようとは、どんな国贔屓の人達でも思ひ懸けなかつた事だらう。
発明とは他でもない。汽車を利用する事で、安藤夫妻は、毎週土曜日の課業が済むと、一人は京都から、一人は東京から汽車に乗つて、静岡で落合ひ、日曜日一日を思ふ様楽しく過して月曜日の朝までにはそれぞれ学校へ帰り着くといふ寸法だ。「日曜日」と「汽車」とは電話や巡査さんと同じやうに、幾ら利用しようとも利用し過ぎるといふ法はないのだから。
恋をするものにとつて、こんな結構な媒介があらうか、それを思ふと、今日まで兵隊や氷詰の魚ばかし輸送してゐたのは勿体ないやうな気持がする。それから、これは極内々の話だが、汽車には寝台車といふものがあつて、相当の料金さへ出せば、誰にも顔を見られず、一人で帷のなかで思ひ出し笑ひが出来る仕掛になつてゐるさうだ。有難い世の中さ。
紋どころ
8・13(夕)
酒井家の説によると、家康の祖父清康が岡崎にゐた頃戦があつた。酒井家の主人は気の利いた男だと見えて、円盆に勝栗を盛つて主人の前へ差し出した。
清康はそれをじつと見て、
「ほゝう、勝栗ぢやの、これは縁起がいゝ。」
といつて、硬つぱしい掌面にそれを取り上げたと思ふと、ばりばり音をさせて噛んだ。
栗の下には葵の葉が二三枚布いてあつた。その日の戦は無事に徳川家の勝となつたので、清康は記念に葵の葉を紋所に使ふやうになつたといふのだ。
本多家ではまた異つた伝説を持つてゐる。本多家の祖先某はもと加茂の社家であつたが、豊後の本多荘に流されたので、本多を名乗るやうになつた。
加茂の社家だつただけに本多家では二葉葵を紋所に使つてゐると、それを清康が見て、
「いゝ紋ぢや、俺の家で使ふ事にしよう。」
と言つて勝手に取り上げて了つた。もと/\加茂の二葉葵には長い葉茎がくつ附いてゐるのだが、清康はそんな物は無益だといつて摘み切つてしまつた。家康の祖父さんだけにこんな事にも吝つたれだつたと見える。
ラフカヂオ・ヘルン又の名小泉八雲氏は時偶日本服を着る事があつたが、羽織の紋にはヘルンといふ自分の名からもじつて蒼鷺をつけてゐた。鷺はヘルン氏の紋として恰好な動物であつた。
京都にある若い画家があつた。画が拙かつた故か、度々女に捨てられた。だが、何うしても絶念められなかつたと見えて、羽織の紋所には、捨てられた女五人の名前を書き込んで平気でそれを著てゐた。羽織は最初に見捨てた女が拵へてくれたので、地は薄かつたが、女の心よりは長持もしたし、値段も幾らか張つてゐた。
男装婦人
8・14(夕)
「へい、檀那様、今晩は。」
と丁寧にお辞儀をして、別れ際に後をふり回つて、
「あの小柄な檀那衆はいつも今時分此辺をいてるな。」
と朋輩に言ひ言ひしたものださうな。
米国にメエリイ・ヲルカアといふ有名な婦人がある。この婦人は他の事でもつと聞えてもよいのだが、幸か不幸か、いつも男装をしてゐるので、それで一層名高くなつてゐる。
なぜ男装してゐるかに就いて、この婦人の答へは至極はつきりしてゐる。
「私にとつては女着の袴よりも、ヅボンの方がずつと気持がよござんすから。」
尤もな理屈で、かういふ勇気のある婦人は、素足がヅボンよりも気持がいゝ事を知つたら、思ひ切つてそのヅボンをも脱ぎ捨てるかも知れない。
ある時この婦人がマサチウセツツの某市へ旅をした事があつた。途中で道を迷つて甚く当惑してゐるところへ、農夫が一人通りかゝつた。農夫といふものは、どんな時にでも、どんな所へでもよく通りかゝるもので、基督がお説教をしたがつてる時にも、追剥が物を欲しがつてる所にも得て農夫がそこへ通り合はせる。そして霊魂を奪られたり、外套を引つ剥されたりする。農夫といふものは、四福音書へ出るにも、探偵小説へ出るにも、極日当が廉くて、加之に物が解らないから手数が掛らなくていゝ。男装婦人はその農夫に訊いた。
「一寸お訊ねしますが、某市へはこの道を往きますか。」
「あゝ、おつ魂消た。」農夫は眼をこすり/\言つた。「俺はあ、何にも知んねえだよ。お前様のやうな女子みたいな男初めて見ただからの。」
折角柔かい乳房を持ちながら、男のやうな硬い考へ方をする婦人がある。正直な農夫め、そんなのを見たら、どんなに言ふだらう。
博士の逆立
8・15(夕)
慶作は出直さうと思つて、逡巡してゐると、寝鎮まつた筈の家の中から、ぱた/\物を叩く音がして折々何か掛声でもするらしい容子がある。
「怪体やな。一遍訊いてみよか。」
慶作はとんとんと表戸を叩いてみた。
すると、内から「どなた?」といふ声がして、扉は静かに開けられた。確に蕪村の声に相違ないので、慶作は不審しながら、入つて往くと、其辺ぢゆうに箒や塵掃がごた/\取り散らされて、師匠はひとりで窃々笑つてゐる。
理由を訊くと女房と娘とは女中を連れて逗留がけで里へ帰つた。その留守事に一寸芝居の真似をしてゐたのださうな。
「こなひだ、芝耕の芝居を見て、すつかり感じたもんやさかい、ちよつくら真似てみたが、なか/\出来よらんわい。」
蕪村は声を出して笑つた。
京都大学のある法学者は、家族がみんな不在になると、すつくと逆立になつて、書斎からのそり/\這ひ出して来て、玄関から台所まで一廻り廻つて来る癖がある。法学者だけにこの男も色んな事に理窟をつけないでは承知しないが、たつた一つこの逆立だけには理窟をつけてゐない。理窟が無い筈だ、本人の積りでは逆立は芸術ださうだから。
男といふものは、女房の居る前では公然に行りかねる「芸術」をそれ/″\もつてゐるものだ。芝居の真似事だらうが、逆立だらうが、女房が不在になつたら、さつとお浚へをするが可い。――これは女にしても同じ事だが、女はかういふ時には、大抵パン菓子を食べるものらしい。それにしても立派な芸術だ。
お湯嫌ひ
8・19(夕)
浜田氏の言ふのによると、希臘には道路が無い、旅館が無い、山には樹が無い、河には水が無い。やつと旅屋を見つけて、泊り込むと、直ぐと南京虫がちくちく螫しに来るので、迚も寝つかれない。留学費のなかから買込むだ大缶の蚤取粉を、惜気もなくばら撒いてみたところで一向利き目が無い。
それから今一つの難渋は洗湯の高い事で、入浴料が日本の貨で一円二三十銭。浜田氏の白状によると、氏は二ヶ月余りの旅に湯に入つた事は唯の一回だけしか無かつたといふ事だが、それも真実の事か何うだか判らない。もしか原勝郎君のやうな人が、
「なに、希臘では偉い学者はみんな湯に入らぬものなんだ。」
と言ひでもすると浜田氏はその口の下から、
「真実は僕も一度だつてお湯に入つた事はなかつた。」
と白状するかも知れない。
だから、希臘人といふ希臘人は皆垢まみれで、側へ寄つてみると、(考古学者だつて、偶には活きた人間の側に寄らないとも限らない)酸つぱいやうな匂ひがぷんとする。
「ソクラテスやアリストオトルも矢張あんな匂がしたかも知れないと思ふと厭になる。」
と浜田氏は鼻をしかめて厭がつてゐるが、そんなに厭がらなくともよからう。幾ら異教徒嫌ひの神様だつて、まさかソクラテスと浜田氏を同じ檻には打込むまいから。
湯好きな日本人にも随分な湯嫌ひが居ない事はない。俳優の中村鴈治郎などもその一人で、彼はこの頃よく東京の劇場へ出るが、あの通りに白粉をべた塗りする職業でありながら、一興行二十六日間一度だつてお湯に入る事はないさうだ。彼はそれが為めに清潔好きな東京の女に嫌はれるかも知れないが、持つて生れた癖だけに平気で垢塗れで通してゐる。
赤栴檀
8・20(夕)
豊和はそれを嗅ぐたんびに、
「どうも素的な香だ、何でも曰く附の物に相違ない。」
とは思つたが、迂濶に言ひ出して、主人に物惜みされても詰らないと思つて、態と黙つてゐた。言ふ迄もなく、金春家の主人は香道には極の素人で、今時の文学者と一緒に蚊取線香の匂ひを嬉しがる方の男だつた。
ある時、香道の家元蜂谷貞重が江戸に下つて来た。豊和は蜂谷の顔を見ると、懐中から懐紙に包んだものを取出して、蜂谷が生命より大切の鼻を引拗るやうにしてそれへ押しつけた。
「一寸聞いてみて呉れ給へ。実は先日から君が下つて来るのを待ちくたびれて居たのだ。」
包は豊和がこつそり金春家から取つて来た香炉の灰であつた。
蜂谷は自慢の鼻を一寸その灰に当てがつたと思ふと、眼を円くして吃驚した。
「これあ君、赤栴檀ぢやないか、何うも素的なものをいてるね。」
「え、赤栴檀だつて!」
豊和はさう言ふなり、直ぐ表へ駈出して往つて金春家を訪ねた。
豊和は何気ない振で、色々と世間話を持出してゐたがふと思ひ出したやうな口風で、
「時に近頃御無心の次第だが、先日中いつもおきになつてゐたあの御秘蔵の香ですな、あれを少しばかり戴かれますまいかな。」
と切出してみた。
金春の主人は金でも貸せといふのかと思ふと、香の話なので、
「いや、お安い御用で……」
と、その場で件の香を小指の先ほど割つて呉れた。
豊和はそれを左の掌面で戴いたと思ふと、しかと右の掌面で押へつけた。そして嬉しまぎれに大きな声で言つた。
「や、有難う。今だから言ふがこの香こそ名代の赤栴檀だよ。」
「え、赤栴檀だつて。」
金春家の主人はさう聞いて、直ぐ手を延ばして香を取り戻しにかゝつたが、豊和は敏捷く内懐中にしまひ込んでしまつた。
骨董好きの富豪に教へる。いつ迄も秘蔵の骨董を失ふまいとするには、自分達の家族を成るべく物識にしておくが一番手堅い。
虫の声
8・21(夕)
「早く念仏をお唱へなさらなくつちや。さもないと中有でお迷ひになるかも判らないから。」
と甚く心配さうな容子で、最後の念仏を勧めにかゝつた。
看護の者がべそを掻いたやうな顔をして、
「中有と申しますと……」
と訊くと、坊さんは嘘をつく者に附物の小鼻を妙にぴくぴくさせて、
「広い荒野でな、西も東も判りませんぢやて。」
と低声で答へた。
その談話を苦しい間にも病人が洩聞をした。病人は骨張つた顔を坊さんの方へ捻ぢ向けた。
「お上人、そんな荒野にも秋が来ますと、虫が鳴きませうな。」
お上人は急に行詰つたやうな表情をして、てれ隠しに一寸空咳をした。無理もない、中有の野に虫が居るか居ないかといふ事は、どのお経にも書いてなかつた。お上人はもしか間違つてゐたら、お布施を返す積りで独断の返事をした。
「さやうさ、野といひますから、虫もゐるにはゐませうて。」
公家は死顔に寂しさうな笑を洩らした。
「虫さへ居る事なら、中有とやらに迷つてもいゝと思ひます。だからお念仏だけは申しますまい。」
坊さんは苦笑ひをして口の中でぶつ/\言つてゐたが、病人はとうとお念仏の一遍も唱へないで亡くなつてしまつた。その中有の野とやらには虫が居たか居なかつたか、今だにはつきりしない。
上田敏博士の追悼会が先日知恩院の本堂で営まれた時、九十余りの骸骨のやうな山下管長が緋の袈裟を被つて、叮嚀にお念仏を唱へた。そしてその声一つで博士も浄土へ送り込まれたやうな顔をして入つて往つた。
自分はそれを見た時、博士のやうな運命のために騙し打に遭つたものが、念仏の声位で成仏出来るものかと思つた。よしまた成仏出来るにしても博士は成仏すまいと思つた。
生前仏道は信じなかつたものの大学教授だつたから無切符で浄土へ入れると言ふかも知れないが、博士も矢張その公家と一緒に、虫の声に心を惹かされてゐるに相違ない。
中橋氏と狸
8・22(夕)
成程よく見ると、中橋氏の顔はどこか狸に肖たところがある。さういつた所で何もむきになるにも及ぶまい。ソクラテスに「先生のお顔はブル・ドツグに肖てますね。」といつた処で、まさか決闘を申込はしなかつたらう。それどころか、あの哲学者の事だもの、「そんな狗がどこに居るね。」とその足で直ぐ訪ねて往つて、幼昵懇のやうに狗と一緒に転げ廻つたかも知れない。
中橋氏は実業家(氏は今ではもう政治家の積りかも知れない、恰ど水が塩辛蜻蛉になつたやうに)には珍しく書物を読むが、狸にしても文字をよく知つてゐるのがある。むかし植木玉の親類に居た狸などはそのいゝ例である。
この狸は家の者の見ぬ間には、下手な字で障子襖に皆の棚下しをする。「誰こわくない」「誰少しこわい」といつたやうな調子で。ある時来客がその噂を聞いて能勢の黒札を狸が怖がる話をすると、いつの間にか後の障子に、「黒札こわくない」と書いてゐたさうだ。
その家の女房が芝居の八百蔵が大の贔屓だつたが、その頃不入続きで悄気てゐると、狸は「八百蔵大へいこ」と書いて済ましてゐたさうだ。――中橋氏の狸も例の金沢の選挙無効を聞いて「徳ちやん大あたり」と書く位の洒落気はあつてもよからう。
節用集を食ふ
8・24(夕)
そんな間に育ちながら、成斎は野良仕事を助けようとはしないで、日がな一日青表紙に囓りついてゐた。親爺は幾度か叱り飛ばして漸と芋畑に連れ出しはしたが、成斎は鼬のやうにいつの間にか畑から滑り出して、自分の家に帰つてゐた。百姓だけに仇花は拗つて捨てるものと思ひ込んだ親爺は、とうと成斎を家から投り出す事に決めた。
成斎は泣く泣く家を出たが、それでも出がけに節用集一巻を懐中に捻ぢ込む事だけは忘れなかつた。節用集といつただけでは今時の若い人には解らないかも知れない。ある大学生が国史科の教授に「先生、赤穂義士の仇討といふのは一体京都であつた事なんですか、それとも東京なんですか」と訊いた事があつたといふ程だから、節用集といふのは今の小百科全書の事だと言ひ添へて置きたい。
成斎はその節用集を抱へ込んで、狗児のやうに鎮守の社殿の下に潜り込んだ。そして節用集を読み覚えると、その覚えた個所だけは紙を引拗つて食べた。書物を読み覚える頃には、腹もかなり空いてゐるので、節用集はその儘飯の代りにもなつた訳だ。で、十日も経たぬ間に、とうと大部な節用集一冊を食べてしまつたといふ事だ。
灰屋紹益は自分が生命までもと思ひを掛けた吉野太夫が死ぬると、その骨を墓のなかに埋めるのは勿体ないからと言つて、酒に混ぜてすつかり飲み尽してしまつた。
だが、かういふ事は余り真似をしない方がいゝ。今時の書物は鵜呑にすると、頭を痛めるやうに胃の腑を損ねる。それから女の骨を飲むなどは以ての外で、七周忌目に箪笥の抽斗から、亭主をこき下した日記を発見たからといつて、一度嚥み下した後では何うとも仕兼るではないか。
そして、そんな女なぞ居ないと誰が請合ふ事が出来るのだ。達て嚥みたかつたら三周忌を過ぎてからでも遅くはない筈だ。
強制姙娠
8・25(夕)
先日京大の松下禎二博士と大阪大学の木下東作博士とが或所で落合つた時、木下氏がこの話を持ち出して、
「まさかとは思ふが、真実か知ら。」
といふと、松下氏は自分が下相談にでも与つたやうに、
「真実だともさ、実際行つてるんだよ。」
ときつぱり答へた。
「でも。……」と木下氏は兎のやうな長い耳を一寸傾げた。「戦線に立つてる兵士の多くは女房や娘やを持つてるだらうが、自分の家族がそんな目に遭つてるのが黙つて辛抱出来るだらうか知ら。」
「それは出来ようともさ。国家の為めだからね。」とこの齢まで細君をも迎へず、一人で研究室に閉ぢ籠つてゐる松下博士は、モルモツトの話でもしてゐるやうな平気な調子で言つた。「兎に角行つてるのださうだ。」
「だが、まあ考へてみ給へ。」木下氏は大きな掌面で汗ばんだ鼻先を一気に撫で下した。鼻はその邪慳さに腹立でもしたやうに真赤になつた。「もしか自身に奥様やお嬢さんがあるとして、君はその人達がそんな酷い目に遭つてるのを平気で辛抱してゐられるかね。」
「さうさなあ」と松下氏は初めて気がついたやうに木下氏の真赤な鼻先を見つめた。そして「吾輩自身の事にしてみると……」と独語のやうに言つてゐたが、急に笑ひ出した。「成程こいつは迚も辛抱出来ないわい。してみると、独逸もそんな乱暴なことは行つて居らんかな。やつぱり噂だけで、真実は行つてないんだらうて。」
学者に教へる。帽子を買ふ時には自分の頭に被つてみる。履物を買ふ時には自分の脚に穿いてみる。そして男女問題は真先に自分の細君に当てはめて考へてみる事だ。唯こんな場合には醜い細君よりは美しい方がずつと恰好なものだ、丁度帽子を被る頭は禿げたのよりも、髪の毛の長いのが恰好なやうに。
性悪男
8・26(夕)
「何故あなたは私に蹤いていらつしやるの、そんなにして。」
「何故つて……」男は一寸揉手をした。「実をいふと、貴女に惚れつちまつたのでさ。」
婦人はそれを聞いてビスケツトのやうに乾いた唇を一寸へし曲げたが、直ぐ愛嬌笑ひをした。
「まあ、有難いわね。だが、一寸御覧なさい、あそこへ私の妹が来かゝつてるでせう。妹は私に比べると、それは美しいんですよ。同じ手間なら貴方、妹にお惚れなすつたら如何……」
男は直ぐ引返して婦人が教へて呉れた女に近づいてみた。それは美人どころか、鼻の挫げた狗のやうな顔をした女だつた。男はぶつくさと呟きながら、先刻の婦人を追駈けた。
「どうも恐れ入りましたね、他を担ぐなんて。貴女は見掛によらない性悪ですね。」
「性悪……」と婦人は立ち止つて男の顔を見た。凡ての男はこんな時履の踵のやうな痛ましい表情をするものだ。「何方が性悪なんでせう、もしか仰有る通り、貴方が私にお惚れなすつたのだつたら、あの女の方を追駈けはなさらなかつた筈ぢやなくつて。」
これは土耳其の昔譚にある話だが、寺内総督が政権譲渡で大隈侯の撞木杖の周囲をうろ/\したのなぞは、すつかりこれに似てゐる。土耳其人だつて馬鹿には出来ない。
静かな死
8・27(夕)
火を吹きおこしたり、水瓶を洗つたりしてゐるうち広樹は急に気分が悪くなつたといつて横になつた。竹田は今更茶でもないので、枕頭に坐つて看病してゐると、暁方に広樹は重さうな頭をもち上げて竹田を見た。
「いろ/\有難う、だが、今度は迚も助かるまい。もう茶を立てる間も無ささうだから、あの黄金水を飲んでお別れがしたいものだな。」
竹田は水瓶を引張り寄せて一口飲んで広樹にさした。病人は鶴が水を飲むやうな口つきをして美味さうに一口に飲みほした。そして今一度といつて竹田にさした。竹田はまた飲んだ。
広樹は枕に顔をもたせて「今歌が出来たから、一つ書留てくれ給へ」といふので、竹田は筆を執つた。
ちよろづと
こそむすぶべき黄金水
汲みかはすれば
水泡とぞ消ゆ
広樹は懶さうに頭を擡げてその拙い歌を見てゐたが、独語のやうに、「おや、水の字がさし合ひになつてゐる。死ぬ迄の気紛れに一つ考へ直してみよう。」
と言つてゐたが、暫くすると、
「さうだ、『泡と消えゆく』でよかつたんだ。」
と言つたかと思ふと、その儘息が絶えてしまつたさうだ。
静かな死際だ。唯一つ慾をいふと、歌だけが余計だつた。日本人は地味で生一本で別に言分はないが、唯一つ辞世だけは贅沢すぎる。死際にはお喋舌は要らぬ事だ。狼のやうに黙つて死にたい。
哲学者と兎
8・29(夕)
「何だつてまたそんな気になつたのだ。」
と訊くと、独身哲学者はもじや/\した頭の毛に掌面を衝込んで、智慧を駆り出しでもするやうに其辺を掻き廻した。
「でも、近頃は世間が物騒になつて、滅多に人交際も出来ないんだから、かうして兎と遊んでるやうな始末さ。」
多分一頻り噂のあつた岩野清子女史との結婚問題を気にして、それで一寸拗ね出したものらしい。
哲学者が結婚しても差支ないのは哲学者が白兎を飼つても差支ないのと同じ理由だ。唯兎は飼主の掌面から黙つて餌を拾ふばかしだが、女は時々飼主の指先を噛む事がある。
岩野氏夫妻がまだ大阪にゐた頃、良人の泡鳴氏が新聞社に出掛けると、清子女史は時々良人の監督だといつて、自分も新聞社へ出掛けたものだ。そんな時には屹度丸髷に金縁眼鏡をかけて、すぽりと面を被いて、足には履を穿いてゐる。
女房だから丸髷を、近眼だから眼鏡を、風が吹くから面を被つてゐるのに仔細は無いが、何故また履を穿いてゐなければならないのか、その理由が解らない。訊いてみると女史はにこりともしないで、
「履は貰ひ物ですよ。」
と言つて、その貰ひ物の履の踵で馬のやうに床板を蹴つたさうだ。
神様の謎を知つてゐる筈の哲学者だつて、あながち女の急所を知りぬいてゐるとも限らない。兎で辛抱出来るものなら、女房は取らぬに越した事がない。達て取らなければならぬとすれば、履だけは穿かせないに限る。履は険呑な上に蹠を台なしにする。蹠の綺麗な女は叱言一つ言はれずに亭主の顔をさへ踏みつける事が出来る。
質屋の通帳
8・30(夕)
「時にだしぬけに失礼ですが、質屋の通帳をお貸し下さいませんか。」
岡本氏は両手を膝の上に置いて言つた。
「え、質屋の通帳を。」
私は呆れて相手の顔を見た。相手は私の家のどこかに質屋の通帳の二つか三つは懸つてゐさうな眼つきをしてゐた。
「旅に出て来て一寸費ひ過ぎたもんですから、羽織でも入れたいと思ひましてね。なに、決して御迷惑は掛けません。」
岡本氏はかういつてその入れたいといふ羽織の襟を指先で扱いてみせた。細かい銘仙の絣で大分皺くちやになつてゐる。
「そんなにしなくともいいでせう。少しで足りる事なら私が立替ませうから。」
とでも言つたらこの小説家の気に入つたかも知らないが、実際の事をいふと、私はその折他に貸す程の金を持合せてゐなかつたし、それに折角質屋の通帳があると睨むで来た小説家にもそれでは済まなかつた。
私は言つた。
「妙な事があればあるもんですね。昨日丁度君のやうな人が来て、通帳は借りて往きましたよ。」
小説家はそれを聴いて、自分が「こゝには通帳がある」と睨んで来た眼の違はなかつた事を満足して帰つて往つた。通帳の手に入る、入らないは全く運と言つてもいゝのだから。
片腕
8・31(夕)
むかし釣好きの江戸つ児が鱚を釣りに品川沖へ出た。ちやうど鱚釣に打つてつけの日和で、獲物も大分あつたので、船のなかで持つて来た酒など取り出して少し飲んだ。
ほろ酔の顔を擽つたい程の風に吹かせて、その男はまた釣り出した。すると、直ぐ一寸手応がしたので、
「おいでなすつたな。」
と独語を言ひ言ひ、鉤を合はせてぐつと引揚げた。
鉤には誰かが河豚にでも切られたらしい釣鉤と錘具とが引つ懸つてゐるばかしで鱚らしいものは一尾も躍つてゐなかつた。
「へつ、遣られたかな。」
と男は呟きながら何気なくその釣綸を引張り寄せると、ちらと釣竿の端が見え出した。
半分程引寄せてみると、これはまた結構な釣竿で、自分の持合せなどとは迚も比べ物になりさうもない。
「いゝ竿だ、大分金目の掛つた拵へだぞ……」
こんな事を言ひ/\、竿の根元まで引揚げると、しつかり握り詰めた人間の片腕がずつと揚つて来た。
「や、死人が……」
釣好きの男は覚えず声を立てて、手を放さうとしたが、打捨るには余りに結構な釣竿なので、
「気の毒だが余り結構だからこの竿だけは貰ふよ。」
と、言訳をしいしい、その片腕を捉へて堅く握りつめた五本の指を解いた。竿から外された片腕は黙つて沈んで行つた。
「金目の懸つた竿だけに溺死ぬ場合にも心が残つて、あんなに聢り握り緊めてゐたのだらうて。」
と拾つた男は後々まで噂をしながら、その竿で鱚を釣り、蟹を釣り、ある時は剽軽な章魚を釣つて笑つたりした。
だが、そんな金目な竿と一緒に溺れた男は誰だつたらう。左手に竿を握つてゐなかつたのを見れば、寺内伯で無かつた事だけは事実だ。それに考へてみると、時代も江戸の頃だ。まあ安心するさ。
泡鳴と王堂
9・1(夕)
岩野氏が田中に当てつけた厭味を読むと、
「汝は燕の不在に燕の巣に入り、夜の十二時過ぎ迄も話し込み早く帰れよがしに取扱はれても、それを自分に対する尊敬と思ふ程、それ程自信の深い好人物だ。」
「人の見限つた女でも、欲しければ貰つてやつても可い。然しまだ籍が抜けないのに態々離婚訴訟の渦中に飛び込んでその女の旅先までも追ひゆき、女の家へは行き度くないからだと呆け顔。そして実は何うだ、探偵の報告によると、口に婦人のやうな声を出させて、度々ほくろの鼻をのつそりと女の門に入れるのはいつも午後の九時過ぎからである。汝薄のろの哲学者よ……兎角汝は人の亭主の明巣を狙ひたがる。」
といふ激しい文句がある。
岩野氏のやうな、女を捨てる事を草履を穿き換へる位にしか思つてない人でも、その草履を独身者の哲学者が、つい足に突つ掛けるのを見ると、急にまた惜しくなつて、嫉けて妬けて溜らなくなるらしい。
そこが女の附込み所で、世の中の賢い女は、この急所をちやんと知りぬいてゐて、何喰はぬ顔で亭主を操縦する。さういふ女に懸つては、男は馬よりも忠実である。清子夫人がそんな女か何うかはよく知らないが、唯この婦人を中心に泡鳴氏と王堂氏が追つ駆つこをしてゐるのは面白い。手製ではあるが二人とも日本一の文学者ださうだ。こゝでいふ日本一は箕有電鉄の沿線にたんと転がつてゐる日本一と同じ意味である。
聟選み
9・2(夕)
「新聞記者です。」
と答へた。
「え、新聞記者だつて……」女の母親は飛び上るばかり吃驚した。「新聞記者のやうな、そんな忙しい職業を仕てる男に、宅の娘は添はせたくないものですね。」
母親の積りでは、可愛い娘の事だ、出来る事なら教会の牧師のやうな、日曜日にだけお定りの御祈祷をして、あとの六日はぼんやりして過すやうな閑な男に遣りたかつたものらしい。
フランクリンの頃には亜米利加全国を通じて、たつた六種の新聞しか無かつたといふからにはフランクリンの携はつてゐた仕事だつて、忙しいとは言ひ条高の知れたものだつたに相違ない。だが、それすら忙しいからといつて、一度は縁談が破談になりかけたのだ。
ところが今では女の好みも大分移り変つて、聟選みをするには、成るべく男の職業が忙しいのを好くといふ事だ。著作家や牧師のやうな始終家ばかしに燻つてゐるのは一番の困り者で、出来る事なら船乗や海軍軍人のやうな月の半分か、一年の何分一かを海の上で送つて、滅多に家へ帰つて来ないのへ嫁きたがるといふ事だ。
ある日本汽船が独逸の潜航艇に沈められたといふ噂の立つた時、ある男がその船の機関長の不在宅を見舞つた。電報を見せて悔みを言ふと、若い夫人は毀れた玩具人形のやうに胸をぺこ/\させて泣き出した。
「貞女かな。」
とお客はその泣声を聞きながら思つた。お客といふのは、ハム・サラダと貞女とが大の好物なのだ。
一頻り泣き止んだ時、お客は機関長の年齢を訊いた。
「恰ど三十二なんですわ。」
追かけて平素の好物を訊くと、夫人は低声で答へた。
「カツレツと尺八が一番好きでございましてね。」
お客は帰り途に、会社に寄つて、同僚に確めてみると、夫人の言葉は大抵間違で、機関長の年齢は三十七。尺八が好きなのは船長で、無器用な機関長は吹く術さへ知らなかつたさうだ。
夫人が出鱈目を言つたに少しの不思議もない。長の不在に女は男を忘れてゐたに過ぎないのだ。尤もカツレツだけは機関長もよく食べさせられた。女といふものは、亭主の不在には大抵一つ位は新しい料理を覚えてゐるものだ。そしてそれを亭主に頬張らせる事によつて不在中の色々な事は帳消しになると思つてゐる。
謡曲を武器に
9・4(夕)
華族と法律とを拵へる事を情慾のやうに心得てゐる国家が、何故「音曲」に関する法律だけは打捨り放しにしてゐるのか理由が分らない。短銃は弾一つで人一人しか殺さないが、騒々しい音曲は近所隣りの良民をすつかり狂人のやうにしてしまふ。実際自分などは下手な謡曲を聴かされると気が荒くなつて直ぐに決闘でも申込みたくなる。
独逸の宰相ビスマルクが議会で反対党のヰルヒヨオから小つ酷く攻撃された事があつた。ヰルヒヨオは独逸のお医者さんだから、その攻撃に謡曲や蓄音機を持込んだ訳でもなかつたが、ビスマルクは鉄瓶のやうに湯気を立てて怒つた。
で、相手の事務室に飛び込むなり、直ぐ決闘を申込んだ。ヰルヒヨオは急きこんだ大宰相の顔をじろ/\見て、気味が悪い程落付いてゐた。
「いや御申込みは確に承知しました。だが、武器の撰好みは申込まれた方の権利にある。ところで……」
とお医者さんは薬焼のした指で棚にある壜の一つを指し示した。「私はあれを貴方と二人で飲みたいと思ふ。」
ビスマルクは英吉利製のヰスキイでもある事かと振り返つて壜を覗いてみた。壜にはこの政事家の好きな独逸語で「虎列拉菌の培養液」と書いてあつた。
ビスマルクはそれを見ると、急に悄気返つてゐたが、都合よく仲裁者が出て来て、決闘は沙汰止みになつて了つた。
自分は隣家の謡曲家に決闘を申込む位は厭はないが、武器に「謡曲」でも撰ばれはしなからうかと内心びく/\してゐる。あれは何うかすると、決闘者ばかりか、介添人をも一度に頓死させてしまふから。
貯金筒
9・5(夕)
「これではどむならんわい。女買も悪くはないが、こんなに費用が掛つては一寸考物やな。」
と、じつと両手を拱んで思案に暮れてゐたが、ふと忘れ物をしてゐるのに気が注いてにやりとした。
忘れ物とは他でもない女房の事だ。女房といふものがあるのに、態々外へ出て女買ひに耽つたのは勿体なかつた。
「魔がさしたんやな。これからは一心に金を取り返さなならんわい。」
と、その男は気が注いたやうに女房の顔を見た。女房は板のやうに平べつたい顔をして笑つた。
その男はそれからといふもの女房と寝る度に、以前の放蕩を思ひ出して、一両宛貯金筒に投げ込んで置いた。そして半ヶ年の後にその筒を検べてみると、随分な高に上つてゐるので、男も女も声をあげて喜んだ。
それからといふもの、夫婦は一生懸命になつて金を貯めた。そして一年の後になつて勘定してみると、三百八十五両溜つてゐたさうだ。これは言ふ迄もなく往時の訪だが、往時だからといつて、一年は三百六十日しか無かつたのだ。
利休の女夫喧嘩
9・6(夕)
利休の女房は、余程の疳癪持だつたと見えて、亭主と女との逢曳を勘づくと、いきなり刀を引つこ抜いて、数寄屋へ通ふ路地の木を滅茶苦茶に伐りつけ、加之に数寄屋に並べてあつた大切の茶器を手当り次第に叩き破つて了つた。
ソクラテスの女房は、何うかして機嫌の悪い時には、一頻我鳴りたてた揚句の果が、いきなり水甕の水を哲学者の頭に、滝のやうに打ち撒けたものだ。すると、哲学者は魚のやうに水のなかで溜息をついて、
「雷鳴のあとに、夕立の来るのはお定まりさ。」
といつて平気な顔をしてゐたさうだ。
利休は女房の叩き破つた茶器を、一つ一つ拾ひ上げて、克明にそれを漆で継いだものだ。そして女房のちんちんなどは素知らぬ顔で相変らずお茶を啜つてゐた。
ある人がその茶器を不思議がつて由緒を訊くと、利休は何気ない調子で、
「さればさ、茶器など申すものは、その儘では一向面白味が御座らんから、態と割つて漆を引いてみました。路地の木も同じ趣向で、あのやうに枝を一寸伐り透して置きましたが……」
と言つて、態々立つて障子を開けて見せて呉れたさうだ。
高野の英霊塔
9・7(夕)
考へは結構だが、自体学者や芸術家などいふ連中には旋毛の曲つたのが多いから、英霊塔を建てたからといつて、その儘成仏はしなからう。尤も学者や芸術家は生前忙しく暮した故で、まだ高野山を見ないで死んだ輩も多からうから、博士の手で無賃乗車券でも配つたら、その人達の霊魂も一度は屹度登山するに相違ない。
高野山には色々な人のお骨がたんと納まつてゐる。あれは弥勒出世の暁に弘法大師が皆の手を執つてお迎へに出られる誓願があつたからださうだが、大師の考へでは高々三十人位の積りらしかつたが今のやうにたんと納まつては一寸始末に困るだらう。そんな事から弥勒菩薩も今では一寸顔出しが出来なくなつたらしい。
むかし熊坂長範が山で一稼ぎする積りで夜が更けて高野へ登つた事があつた。大きな伽藍は皆門を閉ぢてゐるなかに、唯一つ小さな灯の見える所がある。覗いてみると皺くちやな坊さんが一人立つてゐて、附近には人間の骨がごろ/\転がつてゐる。長範は自分が盗賊に来た事も忘れて理由を訊くと、坊さんは例の弥勒出世の大師の誓願を説いて聞かせた。
長範はそんな事なら、自分も御一緒に願ひ度いと言ひ出した。長範の腕は盗みをするだけに寸も長かつたし、納骨には打つて附の代物であつたが、山でもまだ一稼ぎしなければならぬので、一寸出し惜みをした。で、石でもつて前歯を一つ叩き折つた。
「ぢや前歯を一つ納めて置きませう、何卒お忘れのないやうに。」
と言つて駄目をおしてその歯を坊さんの手に載つけた。前歯はこれまで幾度か嘘を吐いた歯ではあつたが、その歯が一本無くなつたからといつて今後嘘を吐くのに別段差支へる訳でもなかつた。
長範は好い物を納めた。だが、時期が少し早過ぎた。もつと齢をとつて、入歯をする頃にしても遅くは無かつたのだ。弥勒は今だにぐづ/\してゐられるから。
寺か女か
9・8(夕)
この独照がまだ小さな庵室に籠つてゐる頃、ひと秋雨のしよぼ/\降り頻る夕方とん/\と門の扉を叩くものがある。独照は何気なく出てみると、若い女が外に立つてしく/\泣いてゐる。
独照が「何うかなすつたのかい。」と訊くと、娘は艶めかしい京言葉で理由を話した。それに依ると、娘は中京辺の商人の一粒種だが、今日店の者大勢と一緒に山へ茸狩に往つた。初めて山へ来てみた嬉しさに、娘は一人で木立を分けてゐるうちに、つい連れにはぐれた。その内、日は暮れるし、雨は降り出すし、方々捜し歩いた末、漸とここまで下りて来る事が出来た。
「ほんまに御気の毒さんどすが、今夜一夜さだけお泊めやしてお呉れやす。」
女はかういつて丁寧に頭を下げた。
独照は女を庫裏に連れ込み、湿れ徹つたその着物を脱がせて鼠色の自分の着物を被せてやつた。そして囲炉裏に榾をくべて、女はそこに打捨らかした儘、自分ひとり煎餅蒲団に包まつてごろりと横になつた。
「まあ、いゝ気な和尚さんやわ、御自分ひとりお蒲団に包まつて。」
女は蓑虫のやうに坊さんの包まつた蒲団をめくりに掛つた。そしてその端の方に自分も小さく横になつた。
夜が更けて、本尊様が寝言でも仰有らうといふ頃、独照はがばと跳起きた。
「何をする、不届者めが……」
と、解けかゝつた帯を締め直して、その儘女を引きずり起して門の外へ押出してしまつた。女は扉につかまつて、
「あんまりどすえ、和尚さん……」
と泣き入つてゐたが、独照は耳を藉さうともしなかつた。
その噂が村の人に伝はつて心堅い和尚様だといふので、独照は立派な寺を建てて貰つた。
寺がいゝか、女がいゝか。いつ迄経つても味のある問題である。
記者凹む
9・9(夕)
イダ・ハステツド・ハアパア女史といふと、婦人参政権の賛成論者として相応名を売つてゐるが、この女が最近紐育の有名な新聞記者に会見を申込んで来た。それはこの記者を生擒にして、新聞紙の上で熾に賛成論を書き立てさせたら、屹度効力があるだらうと思つたからだつた。
「婦人参政権ですつて? 今時そんな下らない……」と新聞記者は吐き出すやうに、「もしか私達の国が欧洲戦争に引張り出されるとして、誰が武器一つ取る事を知らない輩に投票なんかするもんですか。」
とそつ気なく言つたが、相手の険しい顔色を見ると、一寸調弄つて見たくなつて、
「奥様、貴女だつたら何うなさいます、もしか戦争でも始まりましたら。」
「はい、貴方のしてゐらつしやる通りに遣りますわ。」と夫人は急に雌鳥のやうに鼻息を荒くした。「お国の為めだからつて、他の人達はみんな戦線に立つて血を流すやうに書き立てませうよ。そして自分一人は編輯室の安楽椅子に踏ん反りかへつてね。」
髯の有無
9・10(夕)
高安氏の持論によると、詩人芸術家すべて傑出してゐる人物には、定つたやうに髯が無いといふのだ。氏はその例として、ダンテ、ゲエテ、シルレル、ミルトン、シエリイ、キイツ、芭蕉、馬琴、巣林子……などいふ名家を引張り出して来た。
談話に聴きとれてゐる女学生は、かういふ詩人の肖像を頭のなかで描き出してみた。大抵安雑誌の口絵で見覚えてゐるので、誰も彼も天然痘を患つたやうな顔をしてゐるが、実際髯の無い事だけは確かであつた。
女学生は詩人や芸術家のなかから、髯の無い例を探り出すのが面白くなつて、てんでに自分達の記憶から色々な人達の口元を思ひ浮べて見た。
「紫式部、清少納言、ヂヨオヂ・エリオツト、クリスチナ・ロセツチ……成程ほんとやわ、みんな髯があらへん。」
若い娘達は感心したやうに高安氏の顔を見た。成程この人にも髯といつては一本も生えてゐない。
女学生の眼は言ひ合はしたやうに、高安氏の立つてゐる講壇の後方に注がれた。そこには写真版のロングフエロオの肖像が掛つてゐる。それを見ると、皆は一度に声を揚げて笑ひ出した。
高安氏は何気なく後方を振向いてみると、ロングフエロオが悪性の風邪でも引込んだやうに、顎髯をもじや/\生やした儘、後で苦り切つてゐるのが目についた。
氏は一流の扱き下すやうな調子で、「うん、この男か。この男なざ小詩人だから全で問題にならん。」
この談話を聴いた女学生は今ではそれ/″\巣立をして人の細君になつてゐるが、誰一人詩人や芸術家には嫁いてゐないらしいから、髯の有無は余り問題にはしてゐない。実際髯抔は何うでも可い、問題は尻尾の有無である。女の嫁きたがる男には狐の様によく尻尾を引摺つてゐるのがある。
猶太人と狗
9・11(夕)
成程聴いてみると、尤もな話で、亜米利加には猶太人の好きな金は有り余る程あるし、口喧しい神様は居無いし、加之に男はみんな女に親切だといふから、猶太種の女が理想郷とするに打つて附けの土地柄だ。そして今一ついゝ事には亜米利加人といふ奴は、こんなお世辞をいふと、極つたやうににこ/\して、
「マリイ・アンチンはよく物の解つた女で、加之に素敵な美人だ。」
と直ぐもう美人にして呉れる。
この女が最近土耳其から帰つたばかしの男の友達と何処かで会つた。男は色々な面白い旅行話を聞かせた後、指の節をぽき/\鳴らしながら、
「さうだ、忘れてゐたが、土耳其には面白い二つの習慣があるんですよ。」
と妙に調子をはずませて話し出した。
「それはね猶太人と狗だと見ると、ふん捕へるなり、直ぐ叩き殺してもいゝんですとさ。」
マリイ・アンチンの円い顔は銀貨の様に真青になつた。
「まあ、仕合せだつたわね、貴君や私がそんな国に住んで居なかつたのはね。」
男の友達は眼を円くして吃驚した。自分は猶太種ではない。してみると、相手は自分を狗と間違へてゐるのだと思つて……。
三十一文字
9・12(夕)
博士はフロツクコオトの隠しから皺くちやな手帛を取出して、一寸洟をおし拭うた。そして例の几帳面な調子で、
「一体和歌といふものは、諸君も御存じかも知らんが、三十一文字といつて、ちやんと三十一字から成立つてゐる。こゝに一つ例をあげると……」
と博士は一寸言葉を切つて記憶から手頃な歌を一つ探り出さうとした。
甜瓜の恰好をした博士の頭のなかには、歌といつては『百人一首』が二つ三つ転がつてゐるに過ぎなかつた。博士は顳を拇指で押へた儘じつと考へ込んでゐると、都合よく道真公の歌がひよつくりと滑り出して来た。
「こゝに一つ例をあげると……」と博士は繰返して、「名高い百人一首にある歌だが丁度三十一文字で出来てゐる。」と叮嚀に節高な指を折つて数へ出した。「菅家、このたびは幣もとりあへず手向山……」
歌を下の句まで誦んでしまふと、忠実な博士の指は三十五文字を数へてゐた。それに何の不思議があらう、歌は第二句目で一字延びてゐる上に、博士は「菅家」といふ名前までも数み込んでゐたのだから。
博士は数へた片手を中に浮けたまゝ、世間が厭になつたやうな顔をして棒立になつてゐたが、暫くするとぐつと唾を飲み込んだ。
「あゝこれは字余りでした。和歌にはちよい/\字余りといつて、普通のより文字が延びてゐるのがあります。丁度猿に尻尾の長いのがあるやうなもので……」
高芙蓉がある時弟子を集めて、蒙求の講釈をしてゐた。「車胤集螢」の章になると、高芙蓉は肝腎の車胤の事なぞは忘れたやうに、これまで自分が見て来た方々の螢の話をし出した。そして最後に宇治の螢を引張り出して、「那処の螢は大きいね。さやうさ、雀よりももつと大きかつたかな。何しろ源三位頼政の亡魂だといふんだからな。」と吹いてゐたさうだ。
笑つては可けない。先生といふものは、大抵こんな事を教へるやうに出来てゐるものなのだ。
楽書
9・13(夕)
「万法流転」
といふ語を書きつけたが、それが少し堅過ぎると思はれる場合には、『松の葉』のなかから、気の利いた小唄を拾つて来てそれをさら/\と書きつけた。
博士は詩歌も巧かつたし、警句にも富んでゐたから、自分の頭から出たそんな物を書きつけたらよかりさうなものだのに、何うしたものか、何時でも「万法流転」と『松の葉』の小唄を借用してゐた。
むかし王羲之が山といふところに住んでゐた頃、近所に団扇売の姥さんがゐた。六角の団扇で一寸洒落た恰好をしてゐた。ある時王羲之の家へも売りに来たが、こゝの主人は、唯の一本も買はないで、加之にその団扇へべた/\楽書をした。(どこの国でも文学者や画家などいふ輩は、滅多に物を購はないで、直ぐ楽書をしたがるものなのだ。)
それを見ると、姥さんは火のやうに憤つて、折角の売物を代なしにした、是非引取つて貰はうと懸合つたが、王羲之は黙つて財布を揮つてみせた。財布には散銭一つ鳴つてゐなかつた。
「何そんなに怒るがものは無いさ、俺の楽書だと言つたら、誰でもが手を出すよ。」
王羲之は落着き払つてこんな事を言つた。
姥さんはぶつくさ呟きながらも出て往つたが、町へ持つて出ると、色々な人が集つて来た。
「なに王羲之の楽書だつて。」
と言つて、めい/\ふん奪り合ひをして、高い値段で引取つて往つた。
姥さんはにこ/\もので帰つて来た。そして六角団扇をしこたま抱へ込んで、また王羲之の許へやつて来た。
「さ、遠慮なしに、も一度楽書をして呉れさつしやれ。その代りには気に入つたのを一本お前さんに進ぜるからの。」
と言つたが、今度は王羲之の方が相手にならなかつた。
王羲之がどんな文句を塗つたか、私はその団扇を買はなかつたから、そこ迄は知らない。
墓の中
9・14(夕)
支那の三国時代に鍾といふ名高い書家があつた。この男が書いた草書は「飛鴻海に戯れ、舞鶴天に游ぶが如し」とあるから、こんな人から手紙を貰つたところで仮名が振つてなかつたら少しも読めなかつたかも知れない。
この鍾が先輩の韋誕といふ男に、蔡の筆法を訊きに往つた事があつた。すると韋誕はそれを惜んで何うしても諾と言つて教へて呉れなかつた。
間もなく韋誕が死ぬると、鍾は小躍りして喜んだ。そして人に知られぬやうにこつそりその墓を掘りかへして、棺のなかから蔡の秘書を盗み出した。鍾の書が急に巧くなつたのは、それからだといふ話だ。
ある人が元の張伯雨といふ男の墓を掘つてみた。すると中から青い表紙の珍らしい書物が二冊見え出した。
「これだ/\。自分が見たいと思つてるのは。奴さんやつぱり懐中に捻ぢ込んで御座つたな。」
と無駄口を言ひ/\、泥のついた手で先づその一冊を取り出した。そしてそれを附近の乾いた石の上に置いて、今一冊の方を取り出さうとすると、その本はもう影も形も見えなくなつてゐた。
「奴さん、惜しがつて引込めたな。無理もないさ、あんなに見せともなかつた本だからな。」
と、その男は幾らか気味も悪かつたので、一冊だけですつかり絶念めて、また以前のやうに墓へ土をかけて置いたさうだ。
就職口
9・15(夕)
「うむ、君一人位だつたら何うにかならん事もなからう。今日はまあ悠くり遊んで往くさ。」
と言つて、色々な世間話をし出した。
一頻り世間話が済むと、博士は、
「一寸こつちへ蹤いて来たまへ、君にはまだ自宅の書庫を見せなかつたね。」
と態々立つて自慢の書庫へ案内してくれた。大学でも書物好きの友達を探し出す時の外は、滅多に書庫に入つた事の無かつたその男は、一寸厭な顔をしたが、それでも不承々々に蹤いて往つた。
薄暗い書庫のなかには、色々な書物がさつと一度に猫のやうな金色な眼を光らせて、この昵懇の薄いお客を見つめた。博士は「真理」を掴むために特別に拵へさせたらしい脂つ気の無い手で、隅の方を指さした。
「あすこが哲学、それから文芸、神学――とまあ、東西古今の書物で目星しいものだけは残らず集めてあるがね。困つたのは火事だて。」と博士は火災保険の会社員のやうに一寸眉を顰めて、「実際火事には困る。他の家財はみんな焼いたつて構はないが、この書庫だけは失くし度くないからな。」
と心配さうに言つたが、ふと気がついたやうに後方を振かへつて訊いた。
「君達はまだ書物も格別溜つてゐなからうが、一体書庫はどんな設備にしたものかな。」
「書庫の設備ですか。」と卒業生はつい浮かり口を滑らした。「そんな物は私達には要りません。読んだだけの書物はちやんと此処に蔵めてありますからね。」と調子に乗つて雲脂だらけな頭を指さした。だが真実の事をいふと、その頭のなかには探偵小説の二三冊と、女の手紙と、誤訳だらけのタゴオルの哲学がごつちやになつてゐるに過ぎなかつた。
博士はそれを見て、「ふふむ」と言つて、不機嫌な顔をしたが、座敷に帰るなり相手の頭を見下して、
「就職口と言つたところで、何処にも椅子を空けて君なぞ待つてる処は無いんだから、自分にもせつせと捜さんければ可かん。」
と素つ気なく言つたさうだ。
キ元帥の幽霊
9・16(夕)
先年オスカア・ワイルドが巴里の汚い宿屋で窮死した時も、その後二三ヶ月経つてから彼方此方の町でワイルドを見掛けたといふ人がちよい/\あつた。
伊勢は寂照寺の画僧月僊は乞食月僊と言はれて、幾万といふ潤筆料を蓄め込んだ坊さんだが、その弟子に谷口月窓といふ男がゐて、沈黙家で石のやうに手堅い性れつきであつた。
沈黙家ではあつたが、世間並に母親が一人あつた。この母親がある時芝居へ往くと、隣桟敷に予て知合の某といふ女が来合せてゐた。その女は大の芝居好きで、亭主に死別れてからは、俳優の顔ばかり夢に見るといふ風な女であつた。
その日も二人は夢中になつて、芝居や俳優の噂をした。翌る日になつて、月窓の母親が挨拶かた/″\その女を訪ねてゆくと、鼻の尖つた嫁さんが出て来て不思議さうな顔をした。
「阿母さんですか、阿母さんは貴女、亡くなりましてから、今日で三月余りにもなりますよ。」
「え、お亡くなりですつて。でも、私は昨夜芝居でお目に懸りましたが……」
「まさか。」
といつて嫁さんは相手にしなかつた。そして何うかすると、此方を狂人扱ひにしさうなので、月窓の母親は黙つて帰つたが、道々蹠は地に着かなかつた。
石黒男と女中
9・17(夕)
「檀那さま、一寸お願ひが御座いまして……」
と結ひ立の頭を下げた。
夫人に子種が無いからといつて、頑丈な田舎娘を女中に傭ひ入れて、立派な男の子を拵へた程の男爵ではあるが、近頃は齢を取つてゐるので、別に女中から相談を持込まれる程の悪戯も無かつた筈だ。それだけに男爵も一寸見当に困つた。
男爵は禿げた頭をつるりと撫で下した。
「何ぢや、宿下りなら奥にでも頼んだがよからう。」
「いえ」と女中は言ひ難さうに一寸膝の上を見つめた。「甚だ申し兼ねますが、乃木さんのお手紙を二本ばかし戴かれますれば……」
「うむ、乃木の手紙が欲しいといふか。」
と男爵は今更のやうに気をつけて女中の顔を見た。円々と肥えた顔に細い目が開いてゐるので、いつも膃肭臍のやうだとばかし思つてゐたが、今見ると何とかいつた芝辺の女医者によく肖てゐる。膃肭臍と女医者、大層な違ぢや、矢張り邸にゐるお蔭だと男爵は思つた。
「乃木の手紙を欲しがるとは近頃感心なこつちや。だが、何故また二本要るかの。」
女中はもう貰へる物だとばかし思ひ込んで、丁寧に頭を下げた。
「はい二本御座いますと、帯が一本買へるさうに承はりました。」
石黒男は大きな掌面で鼻先を撫で下されたやうに目をぱちくりさせた。よく見ると女医者に肖てゐた女中の顔は、やつぱり膃肭臍に生写しだ。
「俺はな、乃木がそんなに名高くなるとも思わなかつたので、手紙は残して置かなかつたよ。」
男爵はかう言つたきり、立ち上つて次の室へ入つた。
「まあ勿体ない、お手紙をみんな失くしちまつたんだつて。」と女中は膃肭臍のやうな細い眼で檀那の後姿を見送りながら惜しさうに呟いた。「ほんとに手紙だけは残して置かなくつちや、誰が腹を切るか知れたもんぢやないんだから。」
崋山の手紙
9・18(夕)
崋山の手紙も今ではそんなに値段が高まつて来たが、以前は素麺箱に一杯で、たつた十円の時代もあつた。――断つておくが、素麺の値段は、今とその頃と大した差違はない。
崋山の親友に真木重兵衛といふ男がゐた。その重兵衛に豊といふ遊び好きな孫があつて、ある時廓返りに馬を連れて、古い素麺箱を一つ、豊橋のさる骨董屋に担ぎ込んだ。
骨董屋の主人はその素麺箱を見て、ぶつくさ呟きながら懐中から惜しさうに十円紙幣を出して呉れた。豊はそれを持つて馬と一緒に帰つて往つた。その跡で骨董屋は素麺箱を引繰返して居ると、なかから皺くちやになつた崋山の手紙が、座敷一杯に転がり出した。
その日の夕方、骨董屋の店先へぬつと顔を出したのは、豊の親父であつた。
「崋山の手紙を十円で引取つて呉れたさうで、色々有難う。だがあのなかには藩公に関係した秘密の手紙が交つてるから、あれだけは返して貰はなくつちや。」と言つて、その手紙を五六通捜して持つて帰つた。
今豊橋辺にあつちこつち崋山の手紙が散ばつて、虎の子のやうに大事がられてゐるが、あれはみんなこの素麺箱から転がり出したものなのだ。
石黒男爵の女中に教へてやりたい。乃木さんの手紙が無かつたら、崋山の手紙でも好いのだ。崋山の手紙が無かつたら呉服屋の切手でも好いではないかと言つて。何方にしても女中は新しい帯さへ締める事が出来たらそれで結構なのだ。
小説家の面会
9・19(夕)
ところが、その事件の最中に或る新聞記者は是非ゾラに面会しなければならぬ用事が出来た。だしぬけに名刺を突き付けたところで、時節柄この文豪が直ぐお目に懸らうとも言ふまいし、記者はほとほと当惑した。
記者はそんな折に例もするやうに煙草を喫さうと思つて上衣のポケツトに手を入れた。指先に触つたのは煙草では無くて、矢張その頃の文士の一人フランソア・コツペエの詩集であつた。
記者は先刻友達に出会つた時、コツペエの詩集を読みさしの儘、ポケツトに入れた事に気が注いた。そしてその頃コツペエが風邪か何かで臥つてゐるのを思ひ出すと、覚えず小躍りして叫んだ。
「さうだ、コツペエさんの御厄介にならう。」
記者はその脚で直ぐゾラを訪ねた。そして受附の男を見ると急に悲しさうな顔をして、
「フランソア・コツペエが亡くなりました。御主人がまだ御存知でなければ一寸報せて上げて下さい。」と出鱈目な事を言つた。
間もなく、ゾラは右手にペンを持つた儘、あたふたと飛び出して来た。
「なにコツペエが亡くなつたつて。まあ、此方へ通つて委細しく話して聞かせて下さい。」
応接室へ通されると、年若な記者は突如頭が卓子に打突かる程大きなお辞儀をした。
「まことに申訳が御座いません。コツペエさんはお風邪のやうには聞きましたが、お生命に別条は御座いません。唯さうでも申さなければ、先生がお会ひ下さるまいと思つたものですから……」
かういつて、記者はまた一つお辞儀をした。
ゾラはそれを聴くと、鉄瓶のやうに湯気を立てて怒り出した。何しろあの通りの駄文家の事だから、例の長文句で立続けに口汚く罵つたに相違ないが、一頻嵐が過ぎてしまふと、それでも一々記者の質問に答へて、自分の意見を聞かせて呉れたさうだ。
蘆花の置土産
9・20(夕)
「ゲンコウイタダキタシ」
といふ電報を打つて寄すので同業者間に名を知られてゐる。
徳富蘆花がエルサレム巡礼の途に上つた時、文淵堂の主人は例の通りに幾通か電報を打つたが、相手が相手だけに一向手応へがないので、態々見立てるのだといつて、神戸から門司まで蘆花君と一緒に薄汚い汽船の三等室に滑り込んだ。
船が播州沖を出かゝると、色々の世間話に取り交ぜて、それとなく原稿の事を切り出してみると、蘆花君は円い色眼鏡の奥からじろ/\本屋の顔を見つめた。本屋は魚のやうな冷い顔をしてゐた。
「原稿も原稿だが、それよりももつと善い物をあげませう。」
蘆花君はこんなに言つて、立上つて甲板へ出た。
本屋は一刻も早くその「善い物」が見度さに後から蹤いて甲板に出た。船の前には撮んで投げたやうな島が幾つか転がつてゐる。蘆花君は一寸後を振向いて見て、
「いゝ景色ですな。」
と言つたきり、大きな腕を胸の上で拱んだ儘、大跨に其辺を歩き廻つてゐたが、いつの間にか姿が見えなくなつた。
本屋は慌ててまた船室へ帰つてみた。蘆花君は薄暗い室の隅つこで、膝小節を抱へ込んだ儘、こくりこくりと居睡りをしてゐる。附近には見窄らしい荷物が一つ限で、何処にもその「善い物」は見つからなかつた。
船が門司に着かうとする時、本屋の主人はそれとなくまた原稿の一件を切り出して見た。すると蘆花君は急に思ひ出したやうに、
「さうでしたつけな。いや、原稿も原稿だが、それよりももつと善い物をあげませう。」
と、また同じ事を繰り返した。
「原稿より善い物つて何ですか。」
本屋は直ぐ訊きかへした。
「信仰です。」
蘆花君はトルストイのやうな口元をしてきつぱりと言つた。頤にトルストイのやうな々した髯のないのが口惜しかつた。
「先づ神をお信じなさい、その外の事はみんな詰りません。」
本屋の主人は眼を円くして蘆花君の顔を見た。そして鸚鵡返しに、
「先づ原稿をお呉んなさい。その外の事はいづれ考へてからにしませう。」
と言ひたかつたが、相手を怒らせてもと、その儘別れて小蒸汽船に乗つた。
土を円めて
9・21(夕)
禅師は寺の住職に勧めて、その枯木を根から掘らせた。だん/\掘つて往くうちに、椎の木のなかが深い洞穴になつてゐるのに気が注いた。
樵夫の斧が深く幹に喰ひ込むやうになると、急にばた/\と音がして、洞穴のなかから何か飛び出した物がある。見ると番ひの梟で、厭世哲学者のシヨオペンハウエルのやうな眼をして、じつと其辺をしてゐたが、暫くすると背後の藪のなかへ逃げ込んでしまつた。
「奴さん、巣をくつてたな、洞穴のなかへ。」
こんな事を言ひ/\、樵夫が漸と枯木を伐り倒すと、なかから土で拵へた梟の形をした物が、三つまでころころと転がり出した。よく見ると、その一つには毛が生えて、ちよつぴり撮むだやうな嘴も伸びかゝつてゐたさうだ。
禅師の説によると、梟は土を捏ねて、それを暖めて雛つ児にするものださうで、禅師は古人の歌やら伝説やらを引張り出してそれを証明した。側で聴いてゐた人は禅師の物識に驚いたといふ事だ。
梟が土を円めて雛つ児にするか、何うかは真実疑はしいが、人間にはよくこんな真似をするのがある。官僚派が寄つて集つて寺内伯を第二の山県公に仕立てようとするなぞがそれで、伯の尖つた頭から梟のやうに毛がむくむく生え出して来たらお慰みである。
難船した人
9・22(夕)
参詣したその男は、案内の僧侶に訊いてみた。
「ちよつと伺ひますが、これは何をなすつた方々で御座いますか。」
「さればさ。」と僧侶は高慢さうな咳払ひをした。「この方々はみんな海で難船した人達ぢやが、平素神様御信心の御利益で、不思議にも生命拾いをなすつたぢや、その御礼とあつて、こんなにして額をあげて御座るのぢや。」
その男は、それを聞いて、も一度額の顔を見直した。成程誰も彼もが、神様のお力でも藉りなければ、陸の上でも難船しさうな顔をしてゐる。
「いや、よく解りました。ところで……」とその男は皮肉さうな眼つきをして僧侶の顔を見た。「平素神様を御信心致しながら、それでも難船して死んだ人の額は何処に懸つて居りますな。」
僧侶さんは兎のやうに口をもぐ/\させたが何とも答へなかつた。実際答へやうは無かつたのだ。何故といつて、そんな人達の額を懸けるにはお寺の壁は余りに狭かつたから。
無心状
9・23(夕)
なかには郵便切手を二三枚封じ込むで、郵税だけは此方持ちにするから、書物だけ恵むで欲しいといふのがある。そんなのに出会した場合、大抵の著作家は郵便切手だけは預りつ放しにして、一切取合はない。
かういふ虫の好い事を言つて寄す手紙の宛名は十人が八人まで女名前になつてゐる。女といへば大抵の無理は通るものと思つてゐるらしいが、実際多くの著作家のなかには女名前の手紙には、喜んで返事を書くやうな甘つ垂い輩が居ないとも限らない。
米国にアリス・ヘガン・ライス夫人といふ女流作者がある。この人が著作を公にすると毎度煩さい程いろんな手紙が舞ひ込んで来る。
ある時、テキサスの老軍人から来た手紙は「お前は幼い時別れた私の娘ぢやないか。」と、生みの娘扱ひに、ぞんざいな言葉で書いてあつた。また二人の男から同時に結婚の申込を封じ込むだ手紙を受取つた事があつた。
シカゴの或るお婆さんは、「私は聾で加之に唖です。気の毒だとお思ひなら、貴女の書物を一冊送つて呉れ」と申込んで来た。これには流石の女流作家も弱らされたが「私は聾や唖を好かないから。」と返事を出して、漸と免れた。
可笑しかつたのは何処かの小娘の寄した無心状で、
「先生、あなたの直筆で書いた物を送つて下さい。何卒リチヤアド・デヰスさんや、マリイ・ヰルキンスさんの真似をして下さいますな。あの人達は私の切手を取つちまつてよ。」
と書いて、手紙の端にアラビヤ護謨で滅多に剥れないやうに切手が貼つてあつた。言ふ迄もなくデヰスやヰルキンスは、切手を取りつ放しにした連中である。
懸賞短篇小説
9・24(夕)
応募原稿は総て三万余通、世界の各方面から送つて寄されたもので、なかには仏蘭西の塹壕のなかで書いた物さへあつた。内容には色々な世相を描してゐるが、秀れたものは、矢張り恋愛と戦争を書いたものに多かつた。
唯一の規定は「総語数一千五百以下たるべし」といふ一箇条で、これより長いものは取上げない。原稿料は無論払つたが、その払ひ方が随分奇抜で、書いた物には払はないで、書かなかつた物にだけ払ふといふ約束なのだ。
といふのは、応募原稿が規定の千五百語より少かつた場合には、その少い語数だけ一語十仙の割合で原稿料を払ふのだ。だから、千五百語ぽつきりで書き上げた人は、どんな立派な短篇小説を書いたつて、鐚一文も貰へない。もしかそれを千四百九十語で書き上げてゐたら、一弗だけ貰ふ事が出来るし、たつた十語で済ます事が出来たら、百四十九弗貰ふといふ勘定だ。
数多い応募原稿のうちで、一番長いのが千四百九十五語で、その作者は原稿料大枚五十仙を貰つた。一番短いのは七十六語で、その作家は雑誌社から百四十二弗四十仙を貰つて、にこ/\してゐたさうだ。
もしか、こんな事が日本で出来たなら、多くの不仕合せな女は、自分が持合せてゐる離縁状を書留郵便で送つたがよからう。たつた三行半で、あれだけ意味の長い物語は、どんな小説家だつで書きやうがない。応募者は少くとも百四十二弗四十仙位は手に握れる勘定だ。それだけあつたら第二の男を拵へる支度に不足はない筈だ。
正宗氏の油絵
9・25(夕)
「君にはこの絵がお気に入りませう、僕には何だかさう思へる。」
と言つて笑つてゐる。
文学者はその絵を見た。こんもり繁つた雑木林のなかから、田舎家の白壁が見えて、夕日が明るくそれに射つてゐて、いかにも気持の好い画だ。文学者は平素からこんな画を一枚壁にかけて、その下で馬のやうに欠伸でもしてゐたいと思つてゐたが、今多くの人の前で自分の選好みを他に言ひ当てられてみると、何だか癪に触つて一寸頭を掉つてみたくなつた。
「さうですな、絵はなか/\よく出来てゐるが、好き嫌ひから言ふと余り好きません。それよか――」と文学者は盲滅法に隅にある一枚の絵を指した。「あの方がずつと気に入りました。」
「あれが?」と正宗氏は腑に落ちなささうな顔をしてちらとその絵を見返つたが、「へえあれが気に入つた。ぢや、差し上げますから持つて帰つて下さる?」
その一刹那、文学者は失敗つたと思つた。それによく見ると、自分が指した絵は絵柄から言つても前のとは比較にならぬ見劣りがしてゐるし、幅も思ひ切つて大きく、持つて帰つたところで、自分の家にはそれを懸けるやうな場所すらない。
「いや、僕は他から貰物をするのは、余り好かないから。」
と文学者は泣き出しさうな顔をして手を掉つたが、正宗氏はそんな事には頓着なく、大きな絵を壁から引き下して文学者の前に突きつけた。
成金気質
9・26(夕)
神戸に成金が一人ある。しこたま金が出来てみると、女房の顔と現在の住家とが何だか物足りなくて仕方がない。だが、女房の顔は何うにも手の着けやうが無いので、住家だけを新に拵へる事に定めた。
自分の財産から割り出して、建築費をざつと十二三万円と定めて、ぼつ/\普請に取り蒐つたが、住家が八九分方出来上つた頃には、株の上景気で財産が二三倍方太つてゐるのに気注いた。
「困つたな、ああして拵へはしたものの、今の俺の身分では、あんな安つぽい家には入れんからな。」
かう言つて、成金は女房の方を振向いた。女房は有合せの顔で一寸笑つてみせた。
成金は建ち上つた家を、その儘番頭に呉れてやつて、自分はまた現在の財産から割出して四十万近くの建築費を見込むで、素晴しい邸を拵へにかかつた。が、間が悪い時には悪いもので、邸がまだ半分も出来上らない昨今、身代はまたバアクシヤア種の豚のやうに留め度もなく肥り出して来た。
成金は算盤を弾いて泣き出しさうな顔になつた。
「厭になるよ。こんなに身代が肥つて来ちや、今度の邸が出来上つたからつて、俺の身分として今更あんな土地にも引込めなからうしさ。」
と、ぶつ/\呟きながら、その男は今度の新建をも誰ぞ貰つて呉れ手は無からうかと、人の顔さへ見ると無理強に押しつけてゐるさうだ。
何事も急ぐには及ばない。暫くする間に貰ひ手は屹度出来て来る。その折こそ成金が住み馴れた古家と古女房を初めて身分相応だつたと気の注く時である。
南画と娘
9・27(夕)
藹山は娘と二人で其処に住んでゐたが、その日は娘に留守番でも言ひつかつたと見えて、皺くちやな藹山は、
「今日は誰も居ぬでの……」
と断つて薄茶一服立てようともしなかつた。その代り薄茶よりも水つぽい南画の講釈をくど/\と言つて聞かせた。
南画を習はない先に、南画は迚も習へないものだと知つたその男は、折を見て帰らうとすると、藹山は押へるやうな手つきをして引留めた。
「一寸待ちな。今娘が帰つて来たさかい、お引合せする。」
その男は南画も好きだつたが、それ以上に女が好きであつた。南画にはまだ解らない点もたんとあつたが、女の事だけは何も角も大抵知り抜いた積りでゐた。それだけに娘に引合せると聞いては帰る訳にも往かなかつた、で、居ずまひを直したり、一寸襟に手をやつたりした。
間もなく隔ての襖が開いてお茶が運び出された。
「これが俺の娘や、不束者での……」
といふ藹山の言葉に、初めて気が附いたやうに、その男は鄭寧にお辞儀をした。そして顔を上げて相手を見た時吃驚した。
娘さんは小皺の寄つたお婆さんなのだ。
よくよく考へてみると、不思議でもない。その頃藹山はもう七十の上を越してゐたらしかつたから、五十近い娘があつたところで、別段腹を立てる程の事でも無かつた。
その男はお茶も碌に飲まないで、そこ/\に挨拶して帰つた。そして二度と藹山の門を潜らうともしなかつた。
高田実
9・28(夕)
「君達も今は劇は芸術だからつて、高く止つてゐるが、芝居に足を踏ん込むだ抑々は、まさか芸術家になつてみたいと思つた訳でも無かつたらう。」
といふと、高田は血色の悪い顔を一寸しやくつてみせて、
「さうですとも。僕が俳優になつた動機は、唯女に惚れて貰ひたかつたからです。その外の事は、みんな後から附けた理窟でさ。」
と言つて、乃木大将のやうな口をして「ははは」と声を出して笑つた。
「ところで、君は今自分の演つてゐる芝居を真実に芸術的だと思つてますか。」
と傍にゐた男が訊くと、高田は赤禿の鬘をすつぽりと冠つたばかしの頭を強く揮つた。
「何の/\。中途半端の贋物ばかりでさ。私も何日迄もこんなでは詰らないから、自信のある物をも演つてみたいとは思ひますが、何しろ一時金が入つたに連れて、生活の程度を身分不相応に引揚げてるでせう。その故で自然収入があるやうにと思つて見物に媚びる事になります。」と言つて、白粉刷毛で鼻先をぞんざいに塗りたくつた。「好きな茶器も、つい買ひ度くなりますね。」
何でも噂によると、高田は一つ一万円もする贋の急須を大事に蔵ひ込むでゐたさうだ。――贋の急須が買ひ度さに、贋の女の気に入りたさに、男といふものは、せつせと飛んだり跳ねたりする。強ち高田ばかりではない。キングスレエも言つたぢやないか――「稼がにやならぬ男の身」さ。
黒人の犯罪
9・30(夕)
この女弁護士と同じ建物のなかで、隣り合せに住んでゐる男が、ある時洋服を一着盗まれた。色々詮議の末が、門番の黒人に嫌疑がかゝつて、黒人は自分の部屋で朝食を食つてゐるところを押へられた。(忘れても用心しなければならないのは、凡ての訪問客は大抵朝早く来るといふ事だ。)
黒人は女弁護士に手紙を出して、熱心に自分の弁護を頼んだ。黒人を法廷で弁護するのは、黒人を天国へ引張りあげるよか、ずつと愉快な事に相違ない。何故といつて、天国へ引揚げられた黒人は、多時地獄へ落ちてゆくが、牢屋から出て来る黒人は、また同じ弁護士の事務室に顔出しするに極つてゐるから。
女弁護士はその弁護を引請けて、法廷に立つた。そして色々の方面から熱心に喋舌つた効があつて、黒人は巧く無罪になつた。
黒人はその翌日朝早く女弁護士の事務室に入つて来た。そして、
「先生昨日は色々どうも有り難う御座いやした。」と白い歯を見せて追従笑ひをした。「実際あの服は私がちよろまかしたに相違ありやせんが、先生の弁護を聞いてると、何うやら私が盗んだつてえのも怪しくなつて来やした。事によつたら、私の仕事ぢや無かつたかも知れやせんぜ。」
例の涜職議員の公判記録を読んでみると、ある議員などは、自分で自分の附会た議論に感心して、洋服を盗んだ黒人のやうに、涜職事件を、結局は政事家らしい行動とでも思つてゐるらしく見られる。こんな人達は手で犯した罪よりも、ずつと大きな罪を頭の中で犯してゐる。
渓水の落款
10・1(夕)
ある時、須磨子が湯上りの身体に派手な沿衣を引掛けてとんとんと階段を上つて自分の居間に入ると、ふと承塵に懸つた額が目についた。従来も幾度かこの部屋に泊り合はせてはゐたが、ついぞ目に着かなかつたものだ。さうかと言つて何も須磨子を責めるには及ばない。世の中には結婚後八年目に初めて女房の笑窪を発見たものがある。亭主が有卦に入つて従来隠してゐた真実の年齢を打明けると、女房も、
「まあ、さうなの。ぢや私も言つてしまふわ。私かう見えても真実は三十なのよ。」
と、すつかり白状して初めて笑窪を見せたといふ事だ。つまり亭主は女房の年齢で笑窪を二つ購つた事になつた。
須磨子が見つけた額には、気取つた筆で無意味な文字を二三字擲り書にして、渓水と落款があつた。須磨子は、疳走つた声で「ちよいと先生」と呼んだ。すると隔ての襖が開いてセルの袴を穿いた先生がぬつと入つて来た。先生は言ふ迄もなく島村抱月氏である。
須磨子は抱月氏の顔を見て、
「この額の渓水つて誰なの。」
と一寸嬌えたやうな口を利いた。抱月氏は怠儀さうに額を見た。
「さあ、渓水といふと……金子堅太郎かな。確かあの人が渓水といつたやうに思ふ。」
と言つて胡散さうな顔をした。
丁度そこへ襖を開けて入つて来た座員の一人がそれを見て、
「この額ですか、こりや貴方、高田実ぢやありませんか。」
といふと、抱月氏は須磨子と目を見合せて、
「何だ、高田か。そんな物を吾々の部屋へは懸けて置かれないね。取外したら可いでせう。」
と詰らなささうな顔をしたが、それでも別に手を延ばして取り下さうともしなかつた。なに、気に入らないものは目を上げて見なければ好いのだから。
然し金子堅太郎と高田実と何方が人間らしい仕事をしたかといふ段になると、誰でもが高田の方へ団扇をあげる。
神通力
10・12(夕)
お弟子は随分あるが、世間に聞えてゐる人達には、生田長江、小山内薫、沼波瓊音、栗原古城、山田耕作、岡田三郎助などいふ顔触がある。なかにも沼波瓊音氏は家族を挙げて、その女神様の許に入浸りになつてゐる。
千里眼問題このかた、かうした女の好きな福来友吉博士が、ある時沼波氏を訪ねると、主人は乗地になつて女神様のお蔭話を持ち出した。福来博士も夢中になつて膝を進めてゐると、急に夕立がざつと降り出して来た。
「困つたな。雨が降つて来た。僕は雨傘を用意して来なかつたが……」
と、福来博士は心配さうな顔をして空を見上げた。博士は心理学者だけに人間の事はよく注意してゐるが、お天道様は雨降か雪降かで無ければ余り気には掛けてゐなかつた。
その顔色を見て取つた沼波氏は、
「なに雨ですか。雨だつたらお帰途までには屹度止めて上げませう。」
と平気な調子で言つた。博士は一寸返事に困つた。
「いや、雨傘が拝借出来たら……」
「雨傘は荷厄介ですから」と沼波氏は蠱術のやうに一寸自分の鼻を抓んでみせた。「いつそ雨を止めてしまひませう。」
暫くして福来博士が帰る頃になると、果して夕立はからりと霽れ上つてゐた。博士はそれを見てすつかり沼波氏の神通力に驚いてしまつた。――霽れたのに何の不思議があらう。相手は気短の夕立で、博士はお尻の長い話し好きである。
豆猿
10・13(夕)
日本の画家がかうした目端の利く、忠実な女房をざらに持つてゐるのは実に結構な事だが、支那では女の出来が日本ほど思はしくないので那地の画家は女房の他に今一つ豆猿を飼つてゐる。
豆猿といふのは、ポケツトや掌面のなかにでも円め込んでしまはれさうな小さな猿で、支那でも湖南あたりにしか見受けられない奴さんだ。
この豆猿は大層木炭が好きで、お腹が空くと、直ぐ木炭を強請つて食べる。だが、画家といふものは、時々木炭を購ふ銭にも事を欠くもので、そんな時には猿は定まつたやうに墨汁の使ひ残しを嘗める。
何処の画家でも墨汁の使ひ残しに難渋するもので、幾ら忠実だからと言つて、女房にそれを食べさす訳にも往かないが、豆猿は好物だけに舌鼓を打つてぺろりとそれを嘗め尽してしまふ。
だが、豆猿の好きなのは使ひ残しの墨汁の事で、文展に落選した女画家の涙までも嘗めて呉れるか、何うかは請合はれない。豆猿は余り水つぽい物は好かないさうだから。
結婚と奴隷
10・15(夕)
何故そんなにするのだと訊くと、女史は、「真理」や「婦人問題」を語るには勿体ないやうな美しい唇から、「何事も婦人の独立のためです。」
と、きつぱり返事をする。
フオラ女史のお友達に、婦人運動に憂身を窶してゐる或る貴婦人があつた。この婦人がある時、民主党議員クラウド・キチン氏の夫人を訪ねた事があつた。
女同士は夙くからの知己ではあつたが、亭主のキチン氏と貴婦人とはまだ一度も会つた事が無かつた。
丁度お天気の好い日だつたので、キチン氏は薄汚い園芸服に破けた麦稈帽を被つて、せつせと玄関前の花壇で働いてゐた。
婦人は花壇の前で立停つた。凡ての女は男が草掻をもつて、土塗れになつてゐるのを見るのが、好きで溜らぬものらしい。婦人は一寸鼻眼鏡に手をやつて訊いた。
「爺や、御精が出るね。お前こちらの奥様のお宅に長らく御奉公してるの。」
「さうですね。もう相応になりますな。」
「こちらはお給金は善いのかい。」
「いや、もう漸と食つて往けるだけでさ、てんと詰りません。」
園芸服のキチン氏は、せつせと土を穿くりながら答へた。
婦人は一足前へ乗り出して、身を屈めるやうにして、
「ぢや、宅へ来たら何うだい、食べるだけの、お小遺も上げるよ。」
「有難う。」と麦稈帽は一寸お辞儀をした。「だが、一生涯こちらの奥様とここに御厄介になる約束をしてしまつたもんですからね。」
「え、一生涯! まあ可憫さうに。」と婦人は小皺の寄つた顔をくしや/\させた。「そんな約束が何処にあるもんかね。まるで奴隷だわね。」
「さうかも知れませんね。」とキチン氏は土塗れの手をして立ち上つた。「だが、私共ではそれを結婚と申しますよ。奥さん。」
如来の失敗
10・16(夕)
信濃の善光寺から七八里ばかしの村に近郷切つての富豪がゐる。女房は世間並に一人あるが、醜婦で稼ぎ人で、加之に子供を生む事を知らないので、金は溜る一方であつたが、夫婦とも揃ひも揃つた吝嗇坊で、寄附事といつたら鐚銭一つでも出し惜みをした。
先頃村に火事が起きて、近所は丸焼に焼けてしまつたが、その富豪の邸のみは奇異と無事に助かつた。富豪はこれも全く神仏のお影だ、何か御恩報じしなければなるまいが、それにしては何処の仏さんに定めたものだらうかと一寸思案をした。
幸ひ長野には善光寺がある。自分の村からは汽車でも通へるので、お影を授かるには一番便利だからと、富豪は善光寺へ仁王さんを寄附する事にした。
善光寺の如来さんは、富豪の殊勝な心掛に感心して、何か心許りのお礼をして遣らねばなるまいと思つた。幸富豪には子供が無かつたので、如来さんは子供を一人授ける事に定められた。別に仏さんのお腹を痛める訳でも無いので、お礼にはこんな手頃なものは無かつた。
富豪の女房は程なく一人の子供を生み落した。その子の顔を見ると、富豪は急に仁王さんの寄附が惜しくなつて来た。仁王さんには大抵一万円もかゝる予算だつたから。富豪は取りあへず寄附の申込みを取消して来た。
それを聞くと、善光寺の世話方も吃驚したが、一番魂消たのは矢張如来さんであつた。今更子供の取消も出来ないので、困つた事をしたものだと、可愛らしい顔を顰めてゐたが、仕合と小才の利いた男が、
「今更そんな事を言つては、出来た嬰児にどんな罰が当るかも知れないから。」
と言つて、漸と富豪を説き伏せる事が出来た。
二度ある事は三度あるで、又子供が出来でもすると、どんな事にならうかも知れないからと、米原氏はせつせと仁王さんを彫急いでゐるのだ。
子福者の女
10・17(夕)
今市俄古に住んでゐる、米国の首歌妓シユウマン・ハインク女史は、無論声楽家としても聞えてゐるが、それよりも子供のたんと有る音楽家として名が通つてゐる。
ハインク女史が舞台へ立つて一寸愛嬌笑ひでもしてみせると、屹度大向うから、
「阿母さん、しつかり頼みますぜ。」
といふ掛声がかゝる。成程乳房のだらりと垂れた工合から、下腹のだらしなさ加減が、誰の眼にも子福者とは直ぐ判る。
ある時若い画家が女史を訪れて来て、肖像画を描かせて呉れと頼んだ。「阿母さん」はぷくぷくした自分の下つ腹の辺を眺めて、逡巡してゐると、若い画家はにこ/\しながら一寸愛相をいつた。
「お気遣ひなさいますな、奥様。出来るだけ正直にやりますから。」
「いえ/\」と女史は笑ひ/\首を掉つた。「私何も正直に描いて戴きたいんぢやありませんわ。どうぞ出来るだけ御贔屓振をお見せなすつてね。」
画家はこの一刹那女史の顔中の皺が一緒くたになつてお辞儀をしてゐるやうに思つたといふ事だ。
性慾錯乱
10・18(夕)
ある学者の報告によると、その男の飼つてゐた一羽の孔雀は、どうかすると鶏小舎のなかへ忍び込んで、おめかしやの雄鶏の後をせつせと追ひ廻したさうだ。孔雀はその前の年に雌に死別れた男鰥だつたのに、雌鶏には一向見向きもしないで、鳥冠の紅い雄鶏ばかりをつけ廻してゐた。
また或る鵞鳥は、自分の雌を殺されて(雌が牧師の胃の腑に納まつたか何うかは知らないが、牧師は気持よささうに鵞鳥の殺されるのを見てゐた)このかた、同じ家の狗に惚れだした。狗が外から帰つて来ると、嬉しさうに我鳴り立てるし、狗が日向ぼつこでもすると、自分もその前に蹲踞込んで、太い嘴で相手の鼻つ先を突き廻したりする。
飼主が見かねて、雌を一羽当てがつたが、鵞鳥はそれに振向きもしないで、狗が迷惑さうな顔をするにも頓着なく、相変らずべたべたしてゐたさうだ。
政党にもよく性慾の錯乱がある。政友会はその何よりも好い例である。
お国自慢
10・19(夕)
「奴さん、てつきり独探だな。」
といふ考へが矢のやうに閃いた。
と、見ると、その後から白耳義の自動車が一台、獣のやうに唸りを立てて追駆けて来るのが目についた。
「面白いぞ、どんな芸当をやるだらうな。」
バアンス氏は胸をわく/\させながら、この自動車の駈けつ競に見惚れてゐた。
白耳義の自動車は、全速力を出して漸と追着いたと思ふと、獣が餌を捉へる折のやうに、いきなり運転手台を、相手の尻つ骨に乗り揚げて、車台も前輪も滅茶滅茶に押し潰してしまつた。
「巧いぞ。とうと遣つつけた。」
とバアンス氏は直ぐ現場に駆けつけてみた。
擦り創一つ負はなかつた白耳義の運転手は、にこにこもので其辺の群集を見廻してゐたが、ふとバアンス氏の亜米利加式の顔が目につくと、いきなり帽子を脱いで頭の上で揮りまはした。
「いよう、亜米利加の先生……」と運転手は大きな声で我鳴り立てた。「今の芸当だね、あれを何処で習つたと思はつしやる。一年前紐育の大通で、せつせと辻自動車を扱き使つたお蔭でさ。」
「紐育の大通で習つたからだと言つてたよ。彼奴めが……」
とバアンス氏は、それからといふもの、会ふ人毎にお国自慢をしてにこ/\してゐる。アメリカ人といふ奴は、巾着切でも、人殺しでも良い、これはアメリカから習つたのだとさへ言へば、自分の財布を掏られても、女房の心の臓を引抜かれても平気でゐる。
女中の返事
10・20(夕)
女中がいそいそ持ち出して来た膳部を見ると鯛の塩焼だの、鱸の洗ひだのがごたごた一所に並べてあつた。博士は水つぽい吸物を啜りながら、江戸つ子に附物の、東京以外の土地は巴里だらうが、天国だらうが、みんな田舎だと見下したやうな調子で、
「ほう、京都にも鯛や鱸があるんだね。一体何処から来る?」
と訊いてみた。
女中は博士の好きな希臘彫刻のやうな冷い顔をして、眉毛一つ動かさないで、
「須磨や明石のあたりから。」
と言つて、その儘じつと唇を噤んだ。
博士はその折鯛の塩焼を突ついてゐたが、吃驚して箸を持つた儘女中の顔を見た。女中は笑つたら所得税でも掛るやうに、両手を膝の上に重ねて、ちやんと済ましてゐる。
博士はその折、女中が自分の膝側に朱塗の櫓のやうな物を置いてゐるのを見つけた。それを漬物台と知らうやうのない博士は一寸覗き込むやうにして、
「姐さん、その櫓みたいな物には、何が入つてるんだね。」
と訊いてみた。
女中は矢張眼を伏せたまゝ、『千本桜』の若葉の内侍のやうに上品に口をつぼめて、
「海の物やら山の物やら。」
と答へた。そしてその海の物や山の物を出し惜しみをするやうに、心持後ろへ引張つた。
博士はトラムプの水兵が『百人一首』のなかに紛れ込んだやうな、勝手違ひな変な顔をして、二度ともう口を利かうとしなかつた。そして昼飯を済ますなり、直ぐ表へ飛び出して、逃げるやうに大学の構内へ俥を走らせた。大学は世間体最高学府といふ事にはなつてゐるが、誰一人この女中程上品な口を利かなかつたし、それに揃ひも揃つてお喋舌が過ぎた。
牧師の杖
10・21(夕)
牧師は自分の住つてゐる界隈に、乞食が迂路つかうなどとは夢にも思はなかつた。(何処の国でも宗教家といふものは、富豪のなかに住んで、「貧乏」を説くのが好きなものだ。)で、づか/\とその側に歩み寄つたと思ふと、いつもお寺でするやうに、額へ一寸手を当てがつて、
「神よ、この哀れなる者をお恵み下さい。」
と言つて、その儘立ち去らうとした。
「ちよいと旦那様……」と乞食は牧師を呼びとめた。「御祈祷は有難うがしたが、神様は迚も俺らが許には御座らつしやるまいから、此方から出向きますべい。近頃御無心な次第ぢやが、その杖をお貸し下さるまいかな。」
と乞食は垢塗れの手でその杖に触らうとした。
牧師は慌てて杖を引込めた。杖といふのは、さる富豪の寡婦さんが贈つて来たもので、匂ひの高い木に金金具が贅沢に打ちつけてあつた。牧師は死ぬる時は天国にまで持つて往く積りで、この世では成るべく汚すまいとして、いつも小腋に抱へ込んで歩いてゐたものだ。
牧師は叱るやうに言つた。
「基督も『窄き門より入れよ』と仰有つたぢやないか、お前達がこんな杖なぞ持つてたら窄い門を入るのに邪魔にならあ。」
「へへへ……」と乞食は無気味な笑ひ方をした。「御心配さつしやりますな。その窄い門とやらに入ります前に、俺ら杖を売る事を知つとりますな。」
これは英吉利のある田舎町であつた事で、大阪であつた事ではない。大阪では牧師は乞食などに見向もしない。そして杖や聖書の代りに汽車の時間表をポケツトに入れてゐる。彼は神様よりも可愛い女房子が、郊外の家に待つてゐるのを知つてゐる筈だから。
鵞鳥
10・22(夕)
そこには美しい灌木が二三本風に吹かれて立つてゐた。洋画家はそれを描かうとして、幾度か刷毛を取り直してゐたが、何うしても思ふやうに描けないので、自暴を起したらしく、すつと起ち上つたと思ふと、いきなり駈け寄つて、手当り次第にその灌木をへし折つてしまつた。この洋画家は誰でもない、中村不折である。
その不折が喧しく言ひ立てる王羲之は、大層鵞鳥が好きだつた。その頃近所に姥さんが居て、鵞鳥を一羽飼つてゐた。美しく鳴くので王羲之はすつかりそれに惚れ込んでしまつて、姥さんの顔さへ見ると、
「どうだ、あの鵞鳥を売つて呉れないか、値段は幾らでも出すから。」
と懸合つてみるが、姥さんはなか/\諾と言はなかつた。
ある時仲のいゝ友達が王羲之を訪ねて来て、例のやうに鵞鳥の談話をし出した。王羲之は、
「鵞鳥といへば、近所の姥さんが素晴しく立派なのを飼つてる。後から見に出掛けよう。」
と言つて、態々使を立て、姥さんにその由を申込んで置いた。
暫く経つて出掛けてみると、姥さんは色々の御馳走を出して饗応して呉れた。
「御馳走も結構だが、例の一件だね、那奴を一寸見せて貰つた上で、ゆつくり戴きたいもんだね。」
と王羲之が言ふと、姥さんは気もない顔でこんな事を答へた。
「あの鵞鳥の事を言はつしやりますのか。あれは汝折角のお越ぢやからと思つて、たつた今絞め殺して汁の身に入れときましたぢや。」
女の泣顔
10・23(夕)
ところが、近頃米墨両国の間に、行違ひが頻に起きるので、米国政府は国境に向つてどん/\兵隊を送り出す。それを見たヘンズレエ嬢は、毎日朝つぱらから停車場に詰めて、兵士を載せた汽車がプラツトフオームに着くと、飛蝗のやうに飛んで往つて、汽車の窓に捉まつた儘、誰彼の容捨なく接吻をする。
兵士達はみんな大喜びに喜んで雀のやうに口を鳴らしてゐる。何でも今日まで千名許しの兵士を喜ばせたさうで、意固地な牧師の細君などはおつ魂消てしまつて、
「まあ、飛んでもない。今に神様のお怒りで、鶏卵とキヤベツの値が上るに違ひない。」
と言つてゐるが、ヘンズレエ嬢は済ました顔で、
「お国の為めだと思へば接吻位何でもない。」
と洒蛙々々してゐる。
林歌子や矢島楫子などのお婆さんが棒頭になつて、二百余名の婦人達が飛田遊廓の取消請願をその筋に持出したのは近頃結構な事だ。――実際結構な事には相違ないが、あの人達がもつと若く、もつと美しかつたなら、一段と結構な事に相違なかつたらう。
「真理」や「道徳」は、今日まで長い間気の弱い男や、醜い女と道伴となつたので懲々してゐる。近頃は強い男と、美しい女と一緒でなければ滅多に尻を揚げようとはしない。
婦人運動者にお勧めする。大抵の事は辛抱するが、何うか善い事をする時に、泣き顔だけは見せないやうに願ひたい。
俳優の盗み
10・24(夕)
「いよう久し振だな。」その男は言つた。「馬鹿に艶々した顔をしてるぢやないか、何を食つてるんだね、近頃は。」
その俳優は名代の食道楽で、数ある珍味のなかで、とりわけ牛の脳味噌と女の心の臓とが一番好きだつた。紙包を抱へた男が「何を食つてるね。」と訊いたのは、その実「どんな女が出来たかな」といふ積りであつたらしかつた。
「うむ、雛児ばかり食つてるのさ。」と俳優は可愛らしい口元をして言つた。「君も知つてるだらうが、今度の劇に僕の持役は、そら泥的と来てるだらう。実を言ふと、僕はこの齢になつて、まだ泥棒をした事が無いんだから、巧く往けるやうにと思つて、毎日宅の鶏小舎から雛児を盗んでは、それを料つてるんだあね。」
「へえ、雛児を盗んでるつて毎日……」
と友達は大事さうに紙包を左の腋下に持ち替へながら、可笑しさうに首を振つた。
「うむ、毎日食つてるが、今日でもう卅羽も食つたかな。お蔭で顔もこんなに若くなり泥的もすつかり巧くなつたよ。」
と俳優は自慢さうに、雛児を盗み出す自分の両手でもつて顔を撫でてみせた。
中村鴈治郎が、北陽の芸妓喜代治と、だらしのない恋をしてゐるのは、鴈治郎自身の言ひ前によると、いつ迄も色気を無くさないで、若くありたい為めの事らしい。
成程聞いてみると、結構な訳だが、唯それだけの事なら、いつそ英吉利の俳優と同じやうに、自分許の雛児を盗み出したが、一番手つ取早い。雛児の卅羽も取り出すうちには、顔も艶々しくなる上に、立派な芸さへ覚える事が出来る。
石碑と文展
10・25(夕)
丁度そこへ百姓が一人通りかゝつた。手には引いたばかしの大根を提げてゐる。欧陽詢は「一寸……」と言つて呼びとめて訊いてみた。
「この碑は誰の書だね、お前知つては居なからうな。」
「知らねえと思ふ人間に何故聞かつしやるだ。」と百姓は蟷螂のやうにくれた顔をあげた。「これはあ、索靖といふ偉え方の書だつぺ。」
「ふむ、索靖か」
と、欧陽詢は百姓の方には見向きもしないで、馬を駐めた儘、じつと石碑の文字に見惚れてゐた。馬は幸福と文字の鑑定が出来なかつたので、その間にせつせと道つ端の草を食べてゐた。
暫くすると、欧陽詢は気が注いたやうに馬を促立てた。馬は食べさしの草を啣へた儘ぽか/\と歩き出した。漸と小一丁も来たかと思ふと、欧陽詢はだしぬけに手綱を引張つて馬を後退らさうとする。馬はむら気な主人の仕打を笑ふやうな顔をして、また後退りをした。
欧陽詢は馬から飛び下りて、石碑の前に立つた。そして、
「巧いな。」
と言ひ言ひ、小首を傾げた儘いつ迄も/\じつと文字に見惚れてゐたが、とうと立ち草臥れたかして、馬の背から敷物を取り下してその上にべつたり尻をおろした。
そしてその晩も、翌る晩も、また翌る晩もその石碑の下に野宿をして、じつと石碑の文字に惚々してゐるので、馬はとうと腹を立てて、其処の草つ原にごろり横になつた。横になつたからと言つて、馬は猫や大学教授のやうに哲学なぞは考へない。馬は日本の実業家と同じやうに食ふ事と雌の事ばかり考へてゐる。
欧陽詢が馬を起して、漸と石碑のとこを去つたのは、丁度四日目の朝だつたさうで、彼が索靖の文字にどんなに心を牽かされたかが、これでよく判る。
文展には色々の大家名家が数知れず出品してゐるが、ある批評家は、あのなかを唯四十五分で見歩く事が出来ると自慢してゐる。欧陽詢と好い比べ物である。
名士と好物
10・26(夕)
その癖亜剌比亜馬とは何んな馬をいふのか、一向区別がつかず、骨牌の切札とはどんなものか、それも知りもしなかつた。とりわけ酷いのは料理で、仏蘭西式の本場の庖丁加減よりも、馬鈴薯の天麩羅が好きで、何かといふとそればかりを頬張つた。
名士の好物調べも一寸面白いものだが、こゝに少しばかり挙げると、頼山陽は餅、梁川星巌は羊羹、佐藤一斎は蕎麦、大橋訥庵は鰻の蒲焼、鈴木重胤は五目鮨が大好きであつた。
菊池容斎は寺納豆、藤田東湖は訥庵と同じやうに鰻の蒲焼、森春濤は蚕豆、生方鼎斎はとろゝ汁、椿椿山は猪肉、藤森弘庵は鼠のやうに生米を囓るのが好きで好きで溜らぬらしかつた。
ある西洋の学者の説によると、人間一生の間に食べるものは、七千二百九十一貫六百四十八匁の食物と六千六百四貫六百四十匁の飲料とが要るさうだ。女は男よりも比較的菓子が好きで、女一生の間に食べる菓子類は、ざつと見積つたところで四百十九貫三百二十八匁を下るまいとの事だ。
女の名家がどんな物を好くかといふ事は、余り興味の無い事で、女は男のお世辞とお菓子とを等分に好くと思へば間違はない。だが、何方も人によつて砂糖の加減をしなくてはなるまい。
「汝描けるか」
10・28(夕)
是真はその折塩川文麟をも訪ねた。文麟は、
「折角の珍客やさかい、一献やりまほか。」
と、是真を木屋町の料理屋に案内した。
料理屋の二階からは、紫ばんだ東山の夕景色が絵の様に見えた。灰色の靄の底に鴨川の水が白く流れてゐるのも捨て難い趣であつた。文麟はそれを指ざしながら言つた。
「どうどす。お江戸は将軍家のお膝下やさうどすが、まさかこんな美い景色はたんとおすまい。」
先刻から文麟の土地自慢に虫の居所を悪くしてゐた是真は、それを聞くと、
「ほんまにたんとおへんな。」
と調弄気味に京訛を一寸模てみせて、
「だけどさ、京都にはこの景色が描ける画家はたんと有るまいて。」
と、江戸ツ子一流のい皮肉を投げつけたので、文麟は目を白黒させたといふ事だ。
それは京都の景色の事。今大和の法隆寺村に隠棲してゐる北畠治房男の狂人染みた眼の色から顎髯の長く胸元に垂れかゝつた恰好を、ある洋画家が甚く賞め立てておいて、
「如何です、私に一つ描かせて下さいませんか。」
と頼んでみた。
すると老人はじろりとその画家の顔を見た。
「お前は油絵描きだつたな。」
「さうです、油絵描きです。」と画家は無気味さうに答へた。
「五六年司馬江漢でも研究しろ。」と老人は喚くやうに言つた。「そしたら描かせんとも限らん。」
画家はその声に吃驚して弾機細工のやうにお辞儀をしたが、その瞬間、この老人がそれ迄達者でゐるだらうかと思つて、また一つお辞儀をした。
中沢博士の画
10・30(夕)
「閑な折、ちよい/\浅井黙語君に見て貰つたといふばかしで、てんでお話にもならんさ。」
と言つてはゐるが、真実はいつぱし画家の積りでゐるらしい。
以前菊池大麓氏が文部大臣を勤めてゐた頃、ある宴会で誰かがこの話を持ち出した。すると、大麓氏は、「へえ、中沢君が油絵を描く。」と言つて、不思議さうに卓子の向側にゐた中沢博士の顔を見た。「それは初耳だ、真実ですか。」
中沢博士は「ははは……」と言つて、あんぐり口を開けて笑つたばかしで、別に描くとも描かないとも判然返事をしなかつたが、腹の内では、
「大麓め、まだ俺の絵を見た事も無いと見えるな、迂濶だなあ。」
と位は思つてゐたらしかつた。
大麓氏は大臣らしい物の言ひ方をしようと思つて注ぎさしの平野水を一杯ぐつと飲んだ。
「ぢや、是非一枚描いて貰はう、中沢君の物なら、吾輩喜んで書斎に掲ける。」
大麓はかういつて、両手を胸の上でXといふ字に拱んだ。根が数学者だけに文字の恰好もよかつた。
「有難う。」と言つて中沢氏は禿げた頭を一寸下げた。「折角ですが、お断りしませう。吾々は服務規則で上役に物を贈る事は出来ませんからな。」
「成程な。」と言つて大麓さんも口を開けて大臣のやうに作り声をして笑つた。
その後奥田義人氏が文部大臣になつた時、ある所で中沢博士と顔が合ふと、奥田氏も大麓さんと同じやうに油絵を一枚呉れろと言ひ出した。(大臣などいふものは、誰でも同じ事を仕たり、言つたりするよか仕方がないのだ。)
それを聞くと、中沢博士はまた「有難う。」と言つて頭を下げたが、以前に比べると、余り禿げ過ぎてゐるので、一寸手加減をした。「折角ですが、お断りしませう。吾々は服務規則で上役に物を贈る事は出来ませんからな。」
「成程な。」と言つて、奥田氏はにや/\笑つてゐたが「だが君、それは値段のある物の事だらう。まさか君の描いた絵が値段もあるまいぢやないか。」
「なんぼ悧巧でも、美術の鑑賞はまた別の物さ。」
画家はよくこんな事をいふが、中沢博士もそれからといふもの、奥田氏に対してこんな考へを有つて居るかも知れない。博士も画家の一人だから。
椅子
10・31(夕)
そこへ髪の毛の長い、お洒落な紳士が一人入つて来た。一体どこの芝居でも、どこの音楽会でもお洒落な男や女は大抵人が一杯詰まつた頃に、のつそり入つて来るものなので、彼等はかうして満場の視線を自分の身一つに集める事に、ぞく/\した嬉しさを感ずる。
だが、その紳士は余り念入りに髪の毛に香水を振りかけてゐた故で、入つて来るのが二分方遅過ぎた。何処を見渡しても椅子一つ空いてゐないので、紳士は少しどぎまぎした。
もともと見え張りの男だけに椅子が無いなと気が注くと、いきなりその晩の演奏者サマロフ女史の許へ駈けつけた。
「どこも椅子が無くて閉口してゐる所なんです。貴女のお口添で一つ捜して戴けないでせうか。」
女流音楽家はじろりと相手の顔を見た。
「私の坐る席が一つ明いてます、何ならお使ひになつても苦しくありません。」
「有難う、何処で御座います。」
と紳士はぴよこ/\お辞儀をした。
「ピアノの前なんです。」
女史は気もない風で言つた。紳士は吃驚して馬のやうな顔をした。
出雲の墓
11・1(夕)
それは生玉寺町青蓮寺の墓地で、この寺は明治三年神仏混淆の時にお廃止になつた生玉東門の遍照院の後身である。
出雲の法名は「文明院岑松立顕居士」で、同寺保存の旧過去帳を見ると、宝暦六年十一月四日歿といふ事になつてゐる。従来の記録に十月二十一日とあるのに比べると、十二三日生延びてゐた事になる。歴史や記録やは、時によると医者よりも手荒い療治をする事があるものだ。
この墓地には、出雲の外に、その女房子と、親父の近江、兄弟など六十幾人かの墓が並んでゐる。過去帳にも竹田氏一族五十余名の名前がちやんと書き残してあるのを思ふと、竹田一族が寛文以後七八十年の間豊に生活を送つてゐた事がよく判る。出雲の父近江は竹田のからくり芝居の元祖で、自分が発明した砂からくり、水からくりの人形自動劇を竹田の芝居で打つて素晴しい成金となつたのは、その頃流行つた、
「大阪道頓堀竹田の芝居
銭は安いが面白い。」
といふ俗謡でもよく推察し得られる。銭は安いが面白い。」
出雲は二男か三男からしく、相応な資本を父から頒けられると、それでもつて竹本座の操り芝居を買取つて、座主、興行主、兼作者として奮闘し、正面の床を横に、人形遣ひを三人に改めたり、背景や変り道具を試みるといつた風に、色々と舞台向の改革を施して、その多くは成功した。
かういふ劇界の功労者の墓が、蓬吟氏の手で発見られたのは喜ばしい事だ。今浪花座で『忠臣蔵』を演つてゐる鴈治郎なども、お軽の道行のやうな濡事を実地行る閑があつたら一度青蓮寺に参詣つたがよからう。
肥大婦
11・2(夕)
さうかうする間、女将は多くの居酒屋の亭主にあるやうに、むくむく肥り出した。脂ぎつた顔が河馬のやうにだらしなくなりかけると、客足は現金なもので毎日のやうに寂れ出した。
つい手許が不如意なので、女将は租税を納めるのを怠つた。一体租税とか女房から頼まれた手紙とかいふものはよく忘れ勝なもので、そんな物を忘れたり、怠つたりした所で、一向掛構ひの無ささうなものだが土地の収税吏は怖い顔をして催促に出掛けて来た。
収税吏は痩せた男だつた。痩せてゐるだけに女将の脂ぎつた顔を見ると、つい胸が悪くなつて、悪口の二つ三つを投付けた。すると女将はいきなり大きな掌面でもつて収税吏の横つ腹を押へてぐつと締めつけた。羸弱な役人の腹は薄荷酒の空壜のやうな恰好になつた。
収税吏は女将の手許を潜りぬけて、空壜のやうに表へ転がり出したと思ふと、直ぐ巡査を連れて戻つて来た。暴行犯として女将を拘引しようといふのだ。
巡査は女将の手首を掴へて、表へ引張り出さうとはするが、肥つた女の体躯が入口に一杯になつて何うにも仕方が無い。強ひて拘引しようとすれば、入口を毀さなければならぬ。巡査にそんな力は与へられてゐないので、二人は仕末に困つて、ぶつ/\言ひながら引揚げたさうだ。
鈴木松年
11・3(夕)
「さあ、俺も八十一になつたぞ。」
と、すつかりその積りで、他に齢を問はれると、「確か八十一ぢやつたかな。」と答へたものだ。
他がそれを真実に受けると、直入はいゝ気になつて盆節季や、祇園祭といつたやうに、世間が酒や金勘定に夢中になつて、画家の事なぞ、すつかり忘れてゐる頃に、また一つ宛年齢を殖やしておく。偶にそれに気付いたらしい相手が、
「へい、八十八におなりやす? でも、昨年の春どしたか、八十三やさうに、お聞き申しましたが……」
と胡散さうな顔でもすると、直入は急に風邪でも引いたやうに嚏をして、
「齢をとると、月日が短かうての。」
と言ひ言ひしたものだ。
鈴木松年氏はこの二三年来外へ出掛ける時には、いつも珠数を一つ袂の底へ投げ込んで置く事に定めてゐる。だが偶に清水へ参る時はあつてもそんな折には袂の珠数はすつかり忘れてしまつて、松年氏は観音様の前へ立つなり、持合せの両手を合せて、一寸お辞儀をする。その両手といふのは、従来幾度か観音様を半殺しにした事があるので、仏様はそれが目につくと、急に生娘のやうに真青な顔になつて、平素のたしなみも何も忘れてお了ひになる。
ある人がそんなに使ひもしない珠数を何故袂に入れておくのだと訊くと、松年氏は、
「俺も御覧の通り老が寄つたでの」と死神に立聴きでもされないやうに、急に声を低めて、「何時何処で死ぬかも知れんやらう、そんな折に他が袂を触つてみて、松年さんは偉い、ちやんと死ぬる日を知つてはつて、袂に珠数を入れときやしたと言つて感心するやらう。」と言つたといふ事だ。
序でに松年氏に教へる。片つ方の袂には毎日一銭銅貨を一つ入れておく事だ。頓死でもしたらその儘六道銭にもならうし、死ななかつたら代りに夕刊新聞を買ふ事が出来る。夕刊には画家の知らない、色んな面白い世界が載つてゐる筈だ。
富岡鉄斎
11・5(夕)
鉄斎翁は眼鏡を透して、うそ/\見てゐたが、
「よう出来とるな。この蟇の顔が何とも言へんな。いつ頃の作やつたかなあ。」
とその男の顔を見た。絵は蟇仙人の図で、蟇が人間の顔をしてゐる代りに、人間は蟇のやうな顔をしてゐた。
「確か二十年ばかし前のやうに記憶しとりますが……」
その男はかう言つて頭を一つ下げた。その頭は三月前の事も何一つ記憶してはゐなかつた。
「そや/\。確かさうやつたなあ。」と鉄斎翁は惚々と贋の画に見とれてゐた。「俺もあの頃は達者に画いたもんや、迚も今はこんな真似は出来上らんて。」
かういつた風で、いつも偽物に箱書をしたり、薄茶でも一服饗応はれると、出先で直ぐ席画を描いたりするので、家族連の心配は一通でない。新画の高い今時、そんな勿体ない事があるものかと、鉄斎が外出をする時には、途中が危いからと言つて、屹度附人を一人当てがふ事にしてゐる。
附人の役目は鉄斎翁に何も書かさないで、お喋舌さへさせて置けばよい事になつてゐる。鉄斎のやうな老人だからといつて、時偶「真理」を喋舌らない事もないが、今の世の中では口で言つた「真理」は、紙に描いた雀一羽程の値段もしないので、鉄斎は手を懐中に入れた儘安心していろんな事を喋舌る事が出来る。
家族といふものは、みんな親切なものさ。
小切手
11・6(夕)
「大和屋の若久さ。」
と答へる。
「ぢや、三流どこではどんなのが居るね。」
と訊くと、
「やつばり大和屋の若久かな。」
と云つて、にや/\してゐる。実の所を言ふと、中村氏が知つてゐるのは、数多い大阪の芸妓を通じて、若久一人しか無いのだ。
その中村氏が以前まだ早稲田の学生で居た頃、ある新聞の懸賞小説に当選して、大枚三百円かの賞金を貰ふ事になつた。
その折新聞社の会計係が、三百円の小切手を渡すと、中村氏は大事に懐中に蔵ひ込んであつた右の手を出してそれを受取つた。受取るには受取つたが、三百円といへば一円紙幣で三百枚、五十銭銀貨で六百枚の事だとばかし思つてゐた中村氏は、
「随分嵩張るだらうからな。」
と、下宿を出る時、手織木綿の風呂敷を用意までして来てゐたので、薄つ片な小切手を見ると変な顔をした。
「これは何ですか。」
中村氏は駝鳥のやうな長い首を会計課の窓に覗けて言つた。
「それは三百円の懸賞金です。」
会計係が窃々笑ひながら答へると、中村氏は腑に落ちなささうな顔をして、小切手を裏返してみたり、透してみたりしてゐたが、暫くすると、
「何うも困りますな、こんな物で戴いては。矢張一円紙幣か銀貨かで戴きませう、その方が都合ですから。」
と言つて、小切手を窓口から押し返した。
会計係が解り易い日本語で、小切手の決して心配な物で無い事、銀行へ持つて行けば何時でも好きな銀貨や銅貨に替へて呉れる事を説き聞かすと、中村氏は幾らか納得が往つたやうな素振で、地球でも包まれさうな大風呂敷に、その小切手一枚を畳み込んで大事に持つて帰つたさうだ。
だが、笑つては可けない。習ふよりは馴れろで、今では中村氏も芸術座の為めには手形を振出す事をすら知つてゐる。
お茶一杯
11・7(夕)
ある夏、草鞋作りにも飽いたので、ひよつくり思ひ立つてまた筑波山へ登つた。すると、俄に空が曇つて雷がごろごろ鳴り出したと思ふと、夕立がざあつと降つて来た。伝右衛門は慌てて其辺の掛茶屋に駈け込んで雨上りを待つ事にした。
見ると、茶店の縁端には、誰に注いだともないお茶が一つ置いてあつた。咽喉の渇いてゐた伝右衛門がそれを飲まうとすると、茶店の媼さんは慌てて止めた。
「止しにさつしやれ。お前には此方のを上げますべい。それは雷様に上げてあるのだからの。」
伝右街門が不思議な顔をして、雷様がお茶を食るのかいと訊くと、
「食るともさ。」と媼さんは茶飲友達の噂でもするやうに「雷さまは、えらお茶が好きだあよ。」と言つた。
「へえ、そんなにお茶が好きなのかい。」と伝右衛門は感心したやうに首を掉つた。「そんなだつたら家へ来れば浴びる程お茶を饗応つてやるのに。」
それから五六日経つと、大雷が鳴つて雨がどしや降に降り出した。窒扶斯の熱度表のやうな雷光がぴかりと光つたと思ふと、大隈侯のやうな顔をした雷さまがにこにこもので一人伝右衛門の家へ転げ落ちて来た。
そして台所の附近をうろ/\捜し廻つてゐたが、お茶が入れてないのを見ると、急に難かしい顔をして薬鑵の湯を台所一杯にぶち撒けて引き揚げて往つた。
伝右衛門は吃驚して尻餅をついたが、でもまあ、雷様でよかつた。それが大隈侯だつたら、代りに酒でも菓子でも出せといつてその儘居据わつたかも知れない。
竹内栖鳳
11・17(夕)
この頃竹内栖鳳氏の画がづば抜けて値が高いので、栖鳳氏の許へは取り替へ引き替へ色々の事を言つて、無代の画を描かしに来る者が多いといふ事だ。先日もこんな事があつた。
それは幸野楳嶺の幅を持合せて居る男が、一度手隙にその画を鑑定して貰ひ度いと言つて来たから起きた事なので、箔をつけるといふ事は、滅多に人に会はない事だと思つてゐる栖鳳氏も、外ならぬ師匠の画の事なので、不承不承に会う事にした。
その男は楳嶺の画を抱へて入つて来た。画は尺八か何かの大きさで、随分手の込んだ密画で、出来も決して悪い方では無かつた。
「これや立派なもんや。」と栖鳳氏は言つたが、例の癖で直ぐ有合せのお上手が言つて見たくなつた。「宅にも前方からこんな出来のが一幅欲しい欲しい思つてましたんやが、さて欲しいとなると、却々手に入りよらんでなあ。」
その男は目の前の機会を取逃さなかつた。
「そんなにお気に召しましたか。」と覚えず膝を乗り出した。「そんなら物は御相談でございますが、実はこの幅は手前共の床の間には幅つたくて困つてゐる所なんです。で、一つ何でも結構で御座いますから、先生の小幅と御交換が願へましたら……なに、ほんの一寸した小幅で結構でございますから。」
「成程な。」栖鳳氏はにやにや笑ひ出した。「交換いつた所で、手の込むだ師匠の密画と換へるのやさかい、私が粗末な略画を描いたんぢや師匠に済まんし、いつそ換へるなら私もこの大きさでこの位の密画を描かんならんが……」
「いや誠に有難うございます。」
と言つて、その男は蠅取蜘蛛のやうに畳の上に平べつたくなつた。畳の目は一度に皺くちやになつて笑ひ出した。
「そいぢや、お宅の床の間には、師匠のこの幅は懸らんで、私のは懸る事になりますな、同じ大きさの幅でゐて。」と栖鳳氏は一寸窄口をして笑つた。「ところで、私が描くにしても、この位の密画やと四五年は懸るさかい、この幅はまあ持つて往んで、懸けて置いて下さい。」
拍子木
11・18(夕)
爺さんはいつも仕事場に坐ると、
「俺が一日怠けでもしようもんなら、京の奴ら、悉皆ぐしよ濡れになるやらう。可哀さうなもんや。」
と独語を言ひ/\傘を貼つてゐる。実際爺さんの心算では、傘貼りは一ぱし他助けの仕事らしいが、それに少しの嘘も無い、何故といつて京都人は霊魂よりも着物がずつと値段の張つてゐる事をよく判へてゐる人種だから。
その爺さんの家に秘蔵の拍子木がある。それには池大雅が例の達筆で、
「火の用心」
と書き残してゐるので、それが鉄斎老人の耳に入ると、(老人は名代の金聾だが、耳で聞えぬ事は目で読む事が出来る)例の癖で何とかして自分の手に入れたくなつて来た。
鉄斎老人は久し振に傘屋を訪ねた。そして蛤御門の戦や、桃太郎の鬼が島征伐などの昔話をして、二人とも目頭に涙を浮べて喜んだ。話に油が乗つて来ると、鉄斎老人は例の大雅堂の拍子木の事を持出して、あれを譲つては呉れまいかと切り出した。
傘屋の爺さんは、貼り立の傘に油を塗るやうに、皺くちやな掌面で顔を撫でまはした。そして、
「よろしおす。傘屋におした所で何の役にも立ちよらんが、貴方さん許やと拍子木にも値打が出ますやろからな。」
と二つ返事で承知をして、拍子木を取り出して鉄斎老人の膝の上に置いた。
老人は拍子木を貰つた礼に何を返したものだらうかと色々思案の末が、矢張仏手藷のやうな山水を画いていつもの禿山の代りに精々木立のこんもりした所を見せて送ることに決めた。――何んといふ立派な考へであらう、どんなにどつさり立木を描いた所で、木は有合せ物で、画家の懐中一つ痛めずに済む事なのだから。
鼠の貿易
11・19(夕)
御影の家には米を貯へる倉が無い。御影にだつて倉の附いてゐる家も無い事もないが、そんな家は得て家賃が高い。で、その男は送つて来た米俵を、内庭に高く積み、その上へ大きな金網を蔽せて鼠除をしてゐる。
ところが、この頃の夜長にふと気が注いてみると、金網の中に何かぱり/\音をさせて米を噛つてゐる物がある。カーキ色の軍人が軍器を噛るやうな音だ。その男は蝋燭をつけて俵の下を覗いてみると、大きな鼠がうろ/\してゐる。
その男は金網を調べてみたが、何処に一つ毀れた所も無かつた。で、この鼠は以前子鼠であつた頃網の目を潜つてちよく/\走り込んだものと判つた。
だが、さる物識の説によると、基督が言つたやうに人は麺麭のみで生きるものでないと同じく、鼠も米のみで生きる事は出来ない。人間に宗教が要るやうに、鼠には水気のある菜つ葉が必要だ。
その菜つ葉を鼠が何うして獲たかといふと、それは朋輩の力を借りて、台所の隅から持つて来て貰ふ外には仕方が無かつた。彼等は長い間金網の内と外で米と菜つ葉とを交換してゐたのだ。恰ど神戸の貿易商が絹とお茶とを積み出して、代りに毒薬と護謨細工の人形とを持つて帰るやうに……。
狂人
11・20(夕)
この俳優がある時紐育の舞台へ出るために、夫人と一緒に、その頃住つてゐたフイラデルヒヤから紐育行きの汽車に乗り込んだものだ。
スキンナアは汽車中の二時間ばかしで、今度の持役の台詞を、すつかり記憶え込む積りで、外套の大きな隠しから台詞書きを引張り出した。そして低声でそれを暗誦し出した。時々顔を顰めたり、鼻先で掌面をぱつと開けたりして。
夫人は例の事なので良人の方には見向きもしないで、せつせと韈を編むでゐた。女といふものは韈を編む時には、
「ほんとに私は親切者だわ、一寸の暇も無駄にしないで、こんなにして家の人のを編んでるんだもの。」と思ひ/\、針を運ぶものだが、ついその「親切」を見せびらかす積りで、韈の丈を余り長くするので、良人は永久に足の裏が韈の底に届かぬやうな事になる。
夫人が編さしの韈を膝の上に引伸ばしてじつと良人の足と見比べてゐると、後から右肩をちよい/\突くものがある。振り向いてみると髪の毛の縮れた五十婆さんで、手には十五六の小娘の読みさうな恋愛小説を持つてゐる。
婆さんは夫人に耳打をした。「お気の毒さまですね。私すつかり身につまされちまつた。と言ふのはね……」と小説本を大事さうに畳みながら、「家の人も恰ど御主人と同じやうな病気でね。」
スキンナアは狂人と見違へられたのだ。だが、怒るにも及ぶまい、すべての女は自分の亭主以外の男子は大抵狂人か馬鹿だと思つてゐるのだから。
仏語通
11・22(夕)
紳士が稍反身になつて卓子の前の椅子に腰をおろすと、鵞鳥のやうに白い上つ張を着た給仕人がやつて来て註文を聞いた。紳士は一寸その方へ顎をしやくつて、“Une portion de bifteck aux pomme de terre”(馬鈴薯つきのビフテキ)と一皿命けて、「何うだ、巧からう」といつたやうに四辺を見廻した。
すると、丁度帳場にかゝつた古時計が悲しさうに午後三時を打つた。紳士はそれを自分を褒めて呉れたもののやうに思つて、態々懐中時計を引張り出して、今正規の時間に合はした許りの針をまた古時計の通りに引直した。古時計は年を取つて気短になつてゐたので卅分ばかり進んでゐた。
直ぐ隣りの卓子にまた一人お客が入つて来た。指先で軽く給仕人を呼んで“Garon bifteck pomme”(ちよいと、じやがテキをね。)と言つて、どかりと椅子に腰をおろした。何処から見ても五分の透もない巴里ツ子である。
「隣の奴め馬鈴薯テキと言つたな。」と思ふと、ハイカラ紳士は顔から火が出るやうに恥しくなつた。「Bifteck pomme ――それに比べると、俺の仏蘭西語はまるで鼠のやうに長い尻つ尾を生やしてら。」
紳士は泣き出しさうな眼付きして古時計を見た。古時計はナポレオン三世のやうな気忙しさうな顔をして、露西亜人などには頓着なく息を奮ませてゐる。紳士はいつになく露西亜が恋しくなつて来た。
だが、その露西亜へ帰つて来ると、紳士は何処の料理屋へ往つても、巴里へでも聞えさうな大きな声で、「Bifteck pomme」と誂へる事に定めてしまつたさうだ。
囃子方の六合新三郎は西洋料理屋に入つて、ライスカレーの註文をするのに、
「おい、辛子のおじやを持つて来い。」
と言つたといふ事だ。新三郎が仏蘭西語で註文しなかつたのは無理もないが、「辛子のおじや」は聞いて呆れる。恥ぢよと言つた所で、恥ぢもすまいから困る。
女の秘密
11・23(夕)
「ぢや、一寸お待ちなさい、こゝでお化粧して上げますから。」
と言つて引とめた。
美顔術師は掌面でパラピンのやうに夫人の顔を弄つてゐたが、暫くすると、見違へる程美しくなつた。そこへ入つて来た福来博士は吃驚して艶々した夫人の顔を見てゐたが、漸とそれが自分の最愛の妻だと判ると、実験心理学でごちや/\になつた頭を鄭寧に下げてお辞儀を一つした。
先刻から夫人のお連が玄関で待つてゐる由を聞いた美顔術師は、何も序でだからその人の顔をも一緒に弄つてやらうかと云ひ出した。すると博士夫人は生み立の卵のやうな顔を一寸顰めた。
「止して置いて下さいな。そんなに仕て戴くと、折角の私の顔が晴れなくなつちまふわ。」
と、達て留め立をしたといふ事だ。
美顔術師の所へ通う多くの婦人連は、途中でその美顔術師に遭つても、外つ方を向いて成るべく素知らぬ顔をする。そして後から直ぐ訪れて来て、
「お宅に通ふのが知れると、直ぐ何の角のと言ひ触らされるんですからね。」
とお詫をする。
だから美顔術師となるものの第一の心得は、途中で自分のお得意に出会つても、成るべく素知らぬ顔をする事だ。――一寸内証で言つておくが、これは亭主にとつても同じ事で、女房に好かれようと思つたら、途中で自分の連合に出会つても、成るべく外つ方を向いてゐる事だ。女といふものは、亭主持で居ながら、外へ出ると処女か独身者からしい顔をしたがるものなのだ。
茶匙
11・25(夕)
教師はそれを持つて、何かまた事業を目論んだらしかつたが、それも結果が悪かつたかして、また馬左也氏の応接間へひよつくり出て来た。そして閾際に立つて鄭寧に胡麻白頭を下げてお辞儀をした。
物が欲しくて来たものは、閾際でお辞儀をする。喧嘩がしたくて来たものは、卓子に捉まつてお辞儀をするものだと知つてゐる馬左也氏は、直ぐ老教師の用事を見貫いて苦い顔をした。
「貴方にも困りますな。さう繁々お来になつては。無論私は以前御厄介にもなつた事があるし、今は幾らか金銭の融通もつく身分ですから、出来るだけはお尽ししたいが……」
と言つて氏は机の抽斗から紙入を取出した。そしてその中の幾枚かを紙に包んで、老教師の前に出した。
「今日はこれでお帰りが願ひ度い。そして今後は私の事は一切お忘れになるやうに。」
老教師はその紙包を戴いて何事があつても、馬左也氏の名前丈は忘れまいと胡麻白の頭を幾度か下げて引下つた。
それから一週間程経つて、馬左也氏はある骨董物の売立会で、茶匙を一本二千円で買つた。茶匙がそんな値打のあるものか何うか、馬左也氏はよく知らなかつたが、道具屋がさう言つたから、それに違ひあるまいと思つた。
馬左也氏は二千円を払つて茶匙を受取つた時、覚えずはつと思つた。(馬左也氏はちよい/\参禅をするが、禅に入つた人はよくはつと思ふものなのだ。)
「自分は先日以前の教師が困つてゐるのを見ながら、つい金銭の出惜みをした。それが今二千円も奮んで茶匙一本を買ふなんて、何て矛盾した事だらう。」
と気が注いてみると、何うしてもその茶匙を弄くる気になれなくなつた。
で、その後は「良心」が吃驚すると可けないからと言つて、茶匙は道具箱に納ひ込んで滅多に見ない事に決めてゐる。茶人馬左也氏に教へる。もつと善い「良心」の保護法は、その茶匙をその儘老教師に呉れてやる事だ。すると、恩人に物を恵んだといふ満足の外にその匙が真実は十円の値段がなかつたといふ事を知る事が出来る。
飛行機
11・26(夕)
「もう小一時間も立たせやがる。これだけの閑があつたら地獄へでも用達に往けら。」
「電鉄の杉山め、車輛を処女のやうに労はつてるから可笑しい。」
と、口々に呟いてゐる。
その杉山清次郎氏が、電鉄部長といふ職掌柄から、市電の操車振を見ようとして時々電車で市内を乗り廻す事がある。すると辻々に立つてゐる監督がそれを発見るが早いか監督詰所に駆け込むで、その電車が通つて往く途々の箱番へ直ぐ電話をかける。
「おい、君は本町交叉点かい。今飛行機が君の方へ飛んだから用心するんだぞ。」
電話を受取つた監督詰所では、居睡りを止め、笑ひ話を切り上げて、見合でもしさうな顔をしてきちんと取済ましてゐる。すると、杉山氏は電車の窓から色の黒い顔を覗けてみて、
「俺が口喧しく言ふもんだから、みんなあの通りに一生懸命に行つてら。」
と「小細工」やら「電気の知識」やら混雑に入つた頭を撫でて喜んでゐる。
「何故飛行機なんて綽名がついたんだね。」
と監督の一人に訊いてみると、
「何だつて貴方、しよつちゆう羽を拡げてぶう/\唸り散らしてるんですもの、加之に目方が軽くつてね……」
三人画家
11・27(夕)
一体富豪が他を招待するのは、何か見せつけ度いとか、何か強請り度いとかいふ時に限る事で、もしかお客が一向物に感心しなかつたり、何一つ持合の無い男だつたら、富豪といふものは二度ともうそんな人を招侍しようとはしない。
神戸の富豪もちやんとさういふ型に嵌つてゐたから、宴会半ばになると、そろ/\画絹を引張り出して三人の画家の前に拡げ出した。
「何か一寸したもので結構です、後の記念になる事ですから。」
かういつて、缶詰のなかへ石を入れる事を忘れない頭を鄭寧に下げた。
それを見た大観は急に喰べ酔つたやうな顔をし出した。蹣跚と立ち上つて、
「何か一つ遣つ付けませうかな。」
と、だらしなく画絹の前に坐ると変な手附で馬鈴薯のやうなものをさつと塗くつた。そしてとろんこの眼で凝と見てゐたが「此奴あ可かん。」と言つて、画絹をさつと放り出した。
で、今度はまた新しい画絹の上に、蝌蚪のやうなものを描きかけたが、「駄目だ、駄目だ。」と呟いてまた其辺へおつ投り出した。
すると最前からそれを見て居た富豪連は、いつの間にか各自にそつと画絹を抱へ込んで遁げ出した。そして言ひ合はせたやうに米華の前に集つて来た。
「山岡さんはいつ見てもお若いですな。――どうぞお尋でに一寸……」
米華は山のやうな画絹を前に、汗みづくになつて滝を描き、山を描き、鶴を描き、亀を描き、洋妾のやうな観音様を描き、神戸市長のやうな馬を描きしてゐるうちに、到頭眩がして自分にも判らぬやうな変な物を描き出した。
「巧いぞ……」
だしぬけに後で大きな声で喚く者があるので、皆が吃驚して振りかへると、両手を懐中に大観が欠伸をしい/\衝立つてゐた。
なに、広業が居ないつて。――そんな筈はない。敏捷い広業は画絹が取出されたのを見ると、いつの間にか厠に滑り込んで、その儘そこで居睡をしてゐたのだ。
馬越恭平
11・28(夕)
あれは以前某の売立会で、馬越恭平氏の手に入りかゝつたのを、横つちよから飛び出した藤田伝三郎氏が、一目見るなり欲しくて欲しくて溜らず、
「達ての頼みだ、是非譲つて欲しい。」
と、きつい所望に、馬越氏も止むを得ず譲る事にしたものだ。
馬越氏の腹では、
「藤田があんなに欲しがつた茶入だ。千円も贈つて来るかな。」
と、その千円が手に入つたら、腹癒に一つ思ひ切つて洒落た茶会でも開いてやらうと、心待にしてゐると、其処へ届いたのは藤田氏からの一封で、開けて見ると六千円の小切手が一枚無雑作に包んであつた。
馬越氏が最初の心積りだと、それだけ有つたら洒落た茶会の六七度は出来る筈だつたが、馬越氏は茶会の代りに一度にやつと笑つて、それで済ましてしまつた。そしてこんな場合、笑つて済ます事の出来る自分は、何といふ悧巧者だらうと、つく/″\感心をした。
さういふ履歴附の文琳の茶入が陳列されるといふので、廿一日の茶会には東京から名高い五人組の茶人が下つて来た。五人組といふのは、益田孝、朝吹英二、加藤正義、野崎広太、高橋義雄といふ顔触。
五人はその茶入の前に来ると、一斉に眼を光らせた。成程結構な茶入だ、滅多に獲られない名器だなと思ふと、五人の頭に言ひ合はせたやうに馬越氏の事が浮んで来た。
「馬越は何処に居るだらう。惜しい物を手離したもんだな。」
「確か大連に旅行してる筈だ、電報をやらうか。」
「よからう。皆で一緒に笑つてやれ。」
といふので、その場で直ぐに電報が打たれた。
大連の旅館で馬越氏は五人名前の電報を受取つた。
「タムラブンリンミタ バカヤロウ」
幾度読み返してみても同じ事なので、馬越氏はお婆さんのやうな顔を歪めてにやつと笑つた。そしてこんな場合笑つて済ます事の出来る自分は、何といふ悧巧者だらうと熟々また感心をした。
黄金仏
11・29(夕)
教授某氏は、物心のつく時分から、一度開けてみたくて仕方がなかつたが、その都度信心深い阿母さんに止められて残り惜しさうに思ひ止つてゐた。
すると、近頃阿母さんが亡くなつたので、教授は一七日の回向を済ますと、直ぐ封を解きにかゝつた。大学教授といふものは凡て「真理」を窮めるために生きてゐるものだが、某氏が龕を開けにかゝつたのは、何も研究の為めでは無かつた。実をいふと、それを売つて纏まつた金が握りたかつたのだ。仏様は交りつ気なしの純金だと聞いてゐたから。
教授は怖る/\龕の扉を開けにかゝつた。定めし黄金の眩しい光でも射す事だらうと、心持眼を細くしてゐると、なかから転げ出したのは鼠のやうな真黒な仏さんだつた。
教授は慌ててそれを取り上げた。そして眼を一杯に開けてじろ/\見廻したが、何処に一つ純金らしい光は無かつたし、それに持重りが少しも無かつた。
「訝しいな。こんな筈ぢや無かつたつけが……」
と、教授は腑抜のした顔でそれをもじや繰つてゐるうち、ふと仏様の笑顔が家主の因業爺のやうに見え出した。
「糞ツ、勝手にしろ。」
と教授は膨れつ面をして床の間にそれを投げつけた。仏様は将棋の桂馬のやうな足音をさせて、其辺を飛び廻つた。
その瞬間教授の頭に茸のやうにむくりと持上つたものがある。理髪床の親仁が好く地口といふものだ。
「俺はキンの像が欲しかつたのだ。そして飛び出したのは御覧の通りキ(木)の仏様だ。つまり俺にはン(運)が無いんだな。」
かういつて教授は泣き出しさうな顔をして笑つた。拙い洒落だが、それでも納得出来れば無いよりは愈だ。丁度田舎者の腹痛が買薬で間に合ふやうなものだから。
疳癪玉
11・30(夕)
数多い故人の昵懇のなかで、鴻池H氏のみは、よく侯爵に対する手心を知つてゐて、滅多に疳癪玉を弾けさせなかつた。もし井上侯を猛獣に譬へるなら、H氏は差し詰め手練な猛獣使ひといふ事になる。猛獣使ひが余り名誉な職業で無いと同じやうに、井上侯を手管に取るのも、大して立派な事業では無かつた。
H氏が東上して井上侯を訪問する場合には、いつも鴻池の埃臭い土蔵から一つ二つ目星い骨董物を持参する事を忘れなかつた。
「ええ、御前、これは光悦の赤茶で御座いますが、形が俵形で面白いと存じましたから、一寸お目に懸けます。」
「なに光悦の赤茶ぢやと。」
侯爵は嬉しさうににこ/\して「ほゝう、これは又面白い出来ぢやの、成程俵形で……」と皺くちやな掌面で弄くり廻して悦に入つてゐる。こんな時には、よしんば鼻先を抓まれたつて侯爵は決して腹を立てない。赤茶は脆つこい物で、腹を立てると毀れるといふ事を知つてゐるから。
かういふ理由で、H氏が上京する報知が来ると、井上侯はいつも迎へ車を停車場まで寄す事を忘れなかつた。もしかH氏が乳母車で乗りつけ度いと言ひ出したら、侯爵は態々乳母車を停車場まで廻したかも知れない。
だが、井上侯が亡くなると、H氏は長い目録を侯爵家に持出した。そして、
「これだけの品は予て老侯にお目に懸けて置きましたから、お調べの上お返し下さいますやうに。」
といふ挨拶なのだ。
もしか老侯が地獄で(井上侯が地獄に入つてないと誰が言ふ事が出来る)この事を聞いたなら、持前の疳癪玉を破裂させて、一度婆婆へ帰るとでも言ひ出すかも知れないが、まあ安心するが可い、地獄には乗りつけの乳母車は往つてゐない筈だから。――乳母車が死んだらその儘天国へ往く事が出来る。
抱月氏
12・1(夕)
五六年前島村氏が神経衰弱とやらで暫く京都に遊んでゐた事があつた。ある日ひよつくり思ひ立つて岡崎にゐる上田敏博士を訪ねた。相手が上田敏氏と島村抱月氏の事だから、羅甸語交りで詩人ホラチウスの話でもしたに相違ないと思ふ人があるかも知れないが、実際は二人とも調子の低い日本語で、
「京都は寒いですね、すつかり風邪を引いちやつて……」
「それは可けませんね、私も二三日前から少し風邪気味なんですが……」
と、土地で引いた鼻風邪の話をしたに過ぎなかつた。
だが、二言三言そんな談話をしてゐるうち、島村氏はお定りの大きな欠伸を出した。そしてそれを手始めに、一時間足らずの談話に三十七の欠伸をしたので流石に上田氏も吃驚した。そして島村氏の帰つた後で、夫人と顔を見合せて言つた。
「よく欠伸をするとは聞いてゐたが、それにしても余り甚い。余程身体が何うかしてゐると見える。」
さう言つて島村氏の健康を気遣つた上田氏は、不図した病気から脆くも倒れてしまひ、草臥れて欠伸ばかり続けてゐた抱月氏は、その後ずつと健康を恢復してぴち/\してゐる。そして近頃ではその名代の欠伸も滅多に見られなくなつた。
何でも噂によると、須磨子が欠伸が嫌ひだから自然癖が直つたのだともいふが、事によるとさうかも知れない。一に武士道、二に小猫の尻つ尾、三に竈の油虫……すべて女の嫌ひなものは滅びてゆく世の中である。
旅銭代用
12・3(夕)
「私は房州某寺の住職でござるが、先生の御作を戴いて、永く寺宝として後に伝へたいものだと存じますので。」と所禿のある頭を鄭寧に下げた。「甚だ勝手がましいお願では御座るが、百幅程御寄進が願へますまいか。」
といふ挨拶なのだ。
広沢は自分の書いた物で、仏様に結縁が出来る事なら、こんな結構な事は無からうと思つて、安受合に引請けた。そして僧侶を待たせておいて直ぐその場で書き出した。
三十幅四十幅と書いてゐるうちに、広沢は徐々厭になり出した。仏様のお引立で極楽に往つたところで、そこで好きな書が書けるか何うか疑はしいし、それに仏様が書を奉納したからといつて、贔屓目に見てくれるか何うかも判らなかつた。僧侶の話では、仏様はそんな物よりもお鳥目の方が好きらしかつたから。
広沢は五十幅目を書き畢ると、草臥れたやうに筆を投げ出した。
「これで止にしときませう。もう厭になりましたから。」
僧侶が驚いて、うろ覚えの華厳経の言語など引張り出して色々頼んでみたが、広沢は二度と筆を執り上げようとしなかつた。僧侶はぶつ/\呟きながらも、流石に三つ四つお辞儀をして帰つた。
後になつて聞くと、広沢がその折寄進した書が、房州路のあちこちの宿屋に一枚宛散ばつてゐる。理由を質してみると、あの僧侶が道筋の宿屋々々で、旅籠銭の代りに、その書を置いて往つたといふ事が判つた。
広沢は善い事をした。お慈悲深い仏様さへ手の届かなかつた売僧を一人助けた上に、自分の書が田舎の房州路でさへ旅籠銭の代りになるといふ事を知つたのだから。
手錠の音
12・5(夕)
「これは好い音がする、やつぱり手錠は革に限りますな。」
と、その手錠を娯む色が見える。
革製の手錠を試しに金属製のに取換へてやると、矢張同じやうに手首をかち/\鳴らせてみて、
「うむ、これも好い音がする。なか/\好い手錠だ。」
と、骨董好きが古渡りの茶でも見るやうな、うつとりした眼つきで自分の手首に穿つた手錠に見惚れてゐる。
今度はその手錠を解いて麻縄で縛つてみると、三郎は以前と同じやうに手首を振つてゐたが、急に険しい眼附になつて、
「何にも音がしない、こんな手錠は厭だ。」
と、そこいら一杯に唾を吐き出した。その手錠から、巡査の面附から、署長の小鼻から、まるで汚い物づくめなやうに顔を顰めながら。
手錠といふと、数年前西伯利亜の監獄にゐる或る囚徒が本国の文豪ゴリキイに手錠を一つ送つて寄した。自分が牢屋で拵へた記念品だから、遠慮なく納めて呉れと言つた。
牢屋で拵へる物にも色々ある。そのなかで手錠は少し気味が悪かつたし、加之に銀貨や女の鼻先と同じやうに手触が冷た過ぎた。だが、旋毛曲りのゴリキイは顔を顰めてそれを受取つた。そして新聞紙でそのお礼状を発表した。
お礼状の文句に「露西亜は詰らぬ凡人を西伯利亜へ送るが、西伯利亜からはドストイエフスキイ、コロレンコ、メルシンなどいふ偉い男が帰つて来た。多分将来もそんな事だらう。」といふ一節があつた。
落書無用
12・6(夕)
さういふ狡い輩のなかに、一人頓智のいゝ若者が居た。この若者もそれだけの才覚があつたら、美しい女を手に入れる方法でも考へたが良かつたらうに、世間並に王献之の書を手に入れようと夢中になつた。
で、白い切り立ての紗で特別仕立の上つ張のやうなものを拵へ、それを着込んでにこにこもので王献之の許へ着て往つた。王献之は熟々それを見てゐたが、
「良い紗だな。こんな奴へ一つ腕を揮つて書いてみたら面白からうな。」
と独語のやうに言つた。
若者はきさくに上つ張を脱いで、書家の前に投出した。
「無けなしの銭で拵へたんですが、貴方の事ならよござんす、一つ思ひ切り腕を揮つてみて下さい。」
王献之は大喜びで、いきなり筆を取つて、草書楷書と手当り次第に好きな字を書き散らした。そして、
「や、近頃になく良く出来た。お蔭で思ふ存分腕が揮へたよ。」
と言つて、そつと筆をさし置いた。側にゐた弟子の誰彼は舌打しながら凝と見惚れてゐた。
若者は手を出してその上つ被をさつと掻つ浚つたと思ふと、いきなり駆けだした。だが少し遅かつた。門を出る頃には、もう弟子の誰彼に追ひつかれて、上つ被は滅茶々々に引つ奪られ、若者の手には片袖一つしか残つてゐなかつた。若者がその片袖を売つて酒を飲んだか、何うかといふ事は私の知つた事ではない。
今、仙台の第二高等学校にゐる登張竹風は、酒に酔ふと、筆を執つて其辺へ落書をする。障子であらうと、金屏風であらうと一向厭はないが、とりわけ女の長襦袢へ書くのが好きらしい。昵懇芸者のなかには、偶には竹風の書いた長襦袢を、呉服屋の書出しなどと一緒に叮嚀に蔵ひ込んでるのもあると聞いてゐる。
そんな事になつてはもう仕方が無い。国家は法律によつても、女の長襦袢を拙い書画の酔興から保護しなければならぬ。
高浜虚子
12・7(夕)
高浜虚子氏が以前何かの用事で大阪に遊びに来た事があつた。その頃船場辺の商人の坊子連で、新しい俳句に夢中になつてる連中は、ぞろぞろ一団りになつて高浜氏をその旅宿に訪問した。
博労が馬の話をするやうに、俳人といふものは寝ても覚めても俳句の話で持ち切つてゐるものだ。坊子連は俳句が十七字で出来上つてゐるのは、離縁状が三行半なのと同じやうに定つた型である事、その離縁状が偶に四行になつても構はないやうに、俳句にも字余りがある事、その字余りは成るべく三十字迄にしておき度い、何故といつて三十一文字になると、和歌に差支へるからといふやうな事を話し合つて、鼻を鳴らして喜んだ。
そのうち一人の坊子が懐中から短冊を一束取り出した。そして、
「先生、何でもよろしおますよつて、御近作を一つ……」
といつて、大阪人に附物の茶かすやうな笑ひ方をした。
高浜氏は黙つてその短冊を取り上げて太いぶつきら棒な字で何だか五文字程認めたと思ふと、急に厭な顔をして、
「拙いな、何うしたんだらう……」
と言つて、さつとその短冊を引裂いた。
かうして高浜氏は続け様に五六枚ばかし暴に引裂いた。短冊は本金を使つた相応上等な物だつたので、勘定高い坊子は、その度に五十銭が程づつ顔を歪めてゐたが、やつと高浜氏が最後の一枚に何か認めて投出して呉れた時にはとうと泣出しさうな顔になつてゐた。
そこに居並んでゐた連中はみんな懐中にそれ/″\短冊を忍ばせてゐたが、何も彼も引裂かないでは承知し兼ねまじき高浜氏の顔色を見て、誰一人それを取出さうとはしないで、匆々に座を立つて帰つて来た。
その連中も今ではもう一廉の俳人気取りで、田舎者の前などで、矢鱈に短冊の書損ねを行つてゐる。何事も進化の世の中である。ダアヰンもさう言つてゐた。
米大統領
12・10(夕)
先日独逸の潜航艇問題が起きた時、ウヰルソン氏は色々心配の余り、幾日か夜徹をして仕事に精を出した。で、その問題も先づ無事に片がつくと、大統領は久し振で可愛い夫人の腕に凭りかかつて教会に往つた。
教会にはあいにく神様がお不在だつたので、若い牧師が留守番をしてゐた。(事によつたら、その牧師が居た故で、神様の方が逃出されたのかも知れない。)その牧師はいつも判り切つた事を長つたらしく喋舌り続けるので名高い男だつた。
その日も牧師はフライ鍋の底を掻くやうな声をして、神様の吹聴を長々と述べ出した。何でもその説によると、地面に起きる事も、海の上で持上る事も何一つ神様の摂理で無いものはない。近頃米国の近海で起きた独逸の潜航艇問題の如きも、みんな基督が心あつて行つた事だといふのだ。
「さうか知ら。ぢや、基督はちやんと潜航艇の事まで御存じなんだな。」とウヰルソン氏は睡さうな眼で牧師の顔を見ながら凝と考へてゐたが、そつと夫人の方を振向いて「私にはどうもあの人の言ふ事がさつぱり判らん。」と呟いた。
夫人は気の毒さうに、三毛猫でもあやすやうに大統領の頭を撫でて言つた。
「ぢや、帰つてゆつくりお寝みなさい、すると少しは善くなつてよ。」
この言葉は日本でもその儘真理で、実際牧師のお説教を聴くよりも、一寝入寝ておきた方がずつと利益になる事が多い。だが唯一つ感心なのは、ウヰルソン氏に解り兼ねた牧師のお説教が、何うやら夫人には了解めたらしい事だ。猫の声、あかんぼの声――すべて男に解らないものを読みわけるのが女の能力である。
広岡浅子
12・12(夕)
その日も思つた程顔触が集まらないので、お婆さんは徐々れ出した。
「何うしてこんなに顔触が少いんでせうね。今のお若い方はどうも因循で困る。」
と当て附けがましく言ふので、誰よりも若い積りの大久保夫人は一寸調弄気味になつた。
「広岡さん、貴方が何ぞといつてはお叱りになるもんですから、つい皆さんの足が遠退くんでせうよ。」
お婆さんは大きな膝を夫人の方へ捩ぢ向けた。椅子はその重みに溜らぬやうに、お婆さんの腰の下で蛙のやうに泣き声を立てた。
「何ですつて、夫人。私の叱言が過ぎるから、会員が減るんですつて。ぢや、もうこれからは一切この会へ寄りつきませんからね。」と顔を歪めて喚くやうに我鳴り立てたが、隅つこに小さくなつてゐた何家かの未亡人さんが覚えずくすりと笑つたので、今度はその方へ捩ぢ向いた。「今のお若い婦人方は大抵男子の玩弄物になつて満足してゐるんだから困る。」
「さうかも知れませんが、少くとも私はさうぢやありません。」と大久保夫人は笑ひ/\言つた。「私は母として子供を立派に育て上げるといふ真面目な仕事を持つてますから。」
「子供を?」と広岡のお婆さんは吃驚した顔をした。お婆さんは女が子供を生むといふ事は少しも知らなかつた。少くともすつかり忘れてゐたのだ。「成程貴女はたんと子供さんをお持ちだ。さうして皆男の子供さんだと聞いてゐる。どんなに立派におなりか、今から目をあいて見て居らう。」と言つて婆さんは起ち上つた。
大久保の子供達は皆稚い。それがすつかり大人になるまで婆さんは生き伸びる積りでゐるらしい。大変な事を約束したものだ。
大発見
12・15(夕)
問題はずつと大きい。それは外でもない、あの堂に安置してある等身大の梵天の立像に手を入れる時、台座を外してみると、その箝め合せの所に、男子の局部が二つ描いてあつたといふ事だ。
その横に同じ墨色で二三の文字が落書してある、その文字の字体から見ると、この可笑しな楽書は、徳川時代に幾度か行はれたらしい修繕当時の悪戯では無く、全くこの木像を刻んだ最初の仏師の楽書に相違ないといふ事が判る。
してみると、楽書としては随分古いもので、何によらず古いものでさへあれば珍重がる京都大学などでは、この剽軽な楽書の研究に、一生を棒に振つても悔いないだけの学者が出なければならぬ筈だ。
往時から仏像の創作には、一刀一礼とか、精進潔斎とか喧しく言ひ伝へられてゐるが、まんざらさうばかりでもないのはこの楽書がよく証拠立ててゐる。――と言つたところで、仏様を涜す積りではさら/\ない。仏様は何事も御存じで、知らないのは坊さんと学者ばかりである。
増田義一
12・17(夕)
増田氏は朝早く自宅を出る時には、いつも背広に中折帽といふ身軽な扮装で、すつと自動車のなかに乗込む。そして南紺屋町の社へ駈けつけると、のやうに車を飛び出し、二つ三つ指図をして、やがてまたゆつたりと自動車の人となる。
増田氏は雑誌社を経営してゐる他に、色々な会社へ頭を突込んでゐる。自慢の自動車が獣のやうな声を立てて、関係会社の前へ来て止まると、増田氏は扉のなかから、山高にモーニングといふ扮装ですつと出て来る。
居心地のいゝ会社の椅子に暫くモーニングの背を凭らせて、こくり/\お定りの居睡をすると、増田氏は大きな欠伸をしい/\のつそりと立ち上る。そして一ぱし立派な仕事を遣つてのけた積りで、上機嫌で受附のぼん/\時計にまで会釈をしながら、のつそり自動車に乗り込む。
それから二十分経つて、増田氏の自動車がある宴会の式場へ横づけになると、氏はいつの間にか婦人雑誌の口絵から抜け出して来たやうな絹帽にフロツクコートといふ、りうとした身装で、履音軽く扉のなかから出て来る。
「まるで活動役者のやうな早業ぢやないか。」
とそれを見た或人が不思議がつて訊くと、増田氏はその男を態々自動車へ引張り込んで、衣裳箱から料紙インキ壺の特別装置まで、自慢さうに説明して聞かせたさうだ。
結構な自動車さ。こんな自動車に乗つて、一度天国へでも往つたらどんなものだらうて。
大森博士
12・20(夕)
「どうも学者などいふものはあんな迂遠な事ばかし考へてゐて、よく生きて往かれるもんですな。」
と笑ひ話にする事が好きなのだ。
それを見て取つた大森氏は講壇の上から銀行家の禿頭を見下して、
「諸君は朝から晩まで金を弄くり廻してゐられるが、一体一億円の金塊の大きさは何の位あると思ひます。」
と変な事を言ひ出した。
銀行家は「さあ」と言つたきり顔を見合せて誰一人返事をするものが無かつた。大森氏はにやりと笑つて、
「お答へが無いのに無理もありません。銀行家だからといつて、まさか金塊を懐中に入れてゐる訳でもありますまいから、一億円の金塊は恰度三尺立方の嵩があります。序でに今一つ訊きますが、富士山の高さ程一円紙幣を積むと幾干になるとお思ひですか。」
と全で小学校の生徒にでも訊くやうな事を言ひ出した。
銀行家は今度もまた「さうさ、なあ」と言つたきり誰一人返事をする者が無かつた。大森氏は小学教員のやうな安手な勿体振をつけて、
「三千七百万円になります。」
と言つて聞かせた。
先刻からこんな問答に業を煮やしてゐた森村市左衛門氏は、「大森さん」と言つて衝立ち上りながら、
「一寸伺ひますが、往時一夜のうちに琵琶湖とか富士山とか出来たと言ひますが、富士山を取崩したら、見事琵琶湖が埋まるでせうかな。」
と切り出した。居合せた銀行家は、「森村のお爺さん、巧くやつたな。」とにやにや笑つて大森氏の顔を見た。
大森氏は「さやう」と言つて、森村氏の禿頭を見た。頭はニツケルのやうに光つてゐた。「御殿場を標準にして富士山を横断すると、それだけでもつて琵琶湖が十七程埋め立てられる事になります。」
森村氏は「なる程な。」と言つて、そのニツケルのやうな頭を両手に抱へて笑ひ出した。頭のなかでは「耶蘇教」と「貯金」と「長生術」とが混雑になつて揺ぶれてゐた。
馬の顔
12・21(夕)
学習院の平素の制服といふのは、釦のない詰襟のホツク留だが、加之に帽子の徽章が桜の花になつてゐるので、どうかすると海軍士官に間違はれる。
その学習院に洋画の教師を勤めてゐる岡野栄氏が、ある日の事青山三丁目から電車に乗り込んで吊り皮に垂下つてゐると、直前に腰を掛けてゐる海驢のやうな顔をした海軍大尉が、急に挙手注目して席を譲つて呉れた。
岡野氏も画家の事だから、画家に無くてならない暢気さ加減は十分持合せてゐた。
「大尉め、どこか近くの停留場に下りるんで、婦人の乗客もあるのに態々画家の俺を見立てて譲つて呉れたんだな。若いのに似合ぬ怜悧な軍人だ、さういへばどこか見所がありさうな顔をしてるて。」
岡野氏はこんな事を思ひながら、一寸顎をしやくつて、その儘そこへ腰を下した。
だが、その軍人は次の停留場でも、そのまた次ぎの停留場でも下りなかつた。それを見た岡野氏は、やつと自分の服装に気が付いてはつと思つた。
「成程俺を海軍軍人に見立てたんだな。相手が大尉だから先づ中佐格かな。」
岡野氏はいつもの停留場へ来ると、その中佐のやうな気持で、胸を反らしながら電車を下りて往つた。
それ以後お礼心の積りで、馬でも描く折には岡野氏はいつもその海軍士官の顔をモデルに取る事を忘れないやうにしてゐる。結構な心掛で、詩人ダンテがその傑作のなかで、因業な家主を地獄に堕した事を考へると、岡野氏が馬の顔を士官に似せたのは思ひ切つた優遇である。何故といつて、馬は士官のやうに制服制帽で人を見分けるやうな愚な真似はしないから。
狂人の書
12・22(夕)
「何をそんなに大切がつてるんだね。」
と他人が訊くと、
「これだつか、喜劇の酵母だつせ。」
と言ひ/\、自慢さうに膨らむだ懐中を叩いたものだ。
帛紗包みのなかに入つてゐるのは他でもない、小本の『膝栗毛』の一冊で、この剽軽な喜劇俳優は、借金取に出会すか、救世軍を見るかして、気が真面目に鬱ぎ出すと、早速その紫縮緬の包みを解いて、『膝栗毛』を読み出したものだ。
「すると、何時の間にかおもしろくなつて、つい俄師の気持になられまんがな。廉いもんだつせ、本は古本屋で五十銭だしたよつてな。」
と言ひ/\してゐた。
伊東胡蝶園の祖父伊東玄朴は蘭書の蒐集家として聞えてゐたが、数多いその書物のなかで、唯一つだけ風呂敷包みにして、その上に封印までして、何うしても他人に見せなかつた。
仲よしの高野長英が、それを見つけて、
「どんな本だ、一寸でいゝから見せてくれ。」
と強請むと、慌てて膝の下に押し隠して、
「可けない/\。これを読むと狂人になる。」
と顔色を違へて謝絶るので、
「へえ、狂人になる。気味の悪い本だな。」
と、長英はそんな本を読まない内から狂人になりかけてゐた頭を掉つて不思議がつたといふ事だ。
玄朴が封印をしてゐた本は外でもない和蘭版の「民法」の本で、旧幕時代でこんな本を読まうものなら、さしづめ狂人にでもならなければなるまいと、お医者だけに玄朴は考へたものらしい。尤もの事だ、日本には今だに狂人になる本はどつさりある。