エトランジェ

 夕方だのに汽車は大へん混んでゐた。大部分は輕井澤へ行く人たちらしい。私の前には「天國新聞」といふのを束にしてかかへてゐる牧師さんがひとり。向隣りの席には、洋裝をした十九ぐらゐのお孃さんと、その連れらしいゴルフ服を着た中年の紳士の二人づれ。その紳士はそのお孃さんの叔父さんぐらゐの年輩だが、さうぢやないらしい。ほんの知合と云つたやうな樣子である。……それにしても高崎までの汽車の中の暑苦しいことと言つたら! 私は明日からどうしても書き出さなければならない小説の構想を汽車の中ですつかり組立ててしまふつもりだつたけれど、それどころぢやないのである。私はしやうがないので、自分の前の牧師さんが輕井澤でする講演の材料にでもするのか、「天國新聞」の束を一つづつめくりながら、その一齣を丁寧に折り疊んでは、その折目のところを舌でなめて、指先で切り拔いてゐるのをぼんやり眺めてゐた。が、それにも見倦きると今度はお隣りのゴルフ服の紳士とお孃さんの會話に耳をかたむけた。紳士、「去年の夏は何處でお暮らしになりましたか?」お孃さん、「瑞西スイスのチロルで――」なかなか味をやるぞ。しかしお孃さんは輕井澤は始めてだと見えて、今度は紳士に向つて輕井澤のことをいろいろ質問してゐる。輕井澤のことなら俺に聞いて呉れりやいいのに。
「私の別莊など人力車も這入らないくらゐですよ……(紳士がお孃さんの質問に答へてゐる)……子供たちは自轉車で往復します……私もずゐぶん練習したですが、どうもうまく乘れんですな……もう年が年ですからな……うちの百合子などの方が私よりずつとうまいですよ……あなたは自轉車はどうです?」
「自轉車はまだ乘つたことがありませんの……けれど、オートバイなら少し……」
「ほほう!」
「でも、こちらで乘りましたら皆さんに笑はれましたわ。」
「しかし輕井澤ぢやようござんす。婦人がみんな馬や自轉車に乘りますからな……」
 なかなか愉快なことを言ふお孃さんである。
「あちらで山登りでもなさいましたか?」
 紳士が質問する。
「ええ、ユングフラウへ一度……」
「ユングフラウ? ……妙義山があれによく似てゐると西洋人が言ひますがね……晝間だとこのへんから丁度見えるんですが……」
 あいにくもう日が暮れてゐた。碓氷峠にかかつた。アプト式になる。がたん、がたん、がたんと車體が無氣味に搖れる。
「だいぶ搖れますな」
「ええ、でもこれには慣れてゐますの……シベリア鐡道が丁度こんなでしたから。」
 夜の九時ごろ輕井澤驛に着く。連れの紳士がそのお孃さんの黒いトランクを下してやつてゐる。私はそれに M. T. A. といふ頭文字のついてゐるのをちらりと見る。


 今年は輕井澤ホテルに陣取つてゐる。
 仕事があるので散歩は夕方一囘きりにして、あとはホテルに閉ぢこもつてゐるのである。ホテルには日本人は私ひとりだ。食堂でもサロンでも私の顏をつき合はせるのは西洋人ばかり。かうなると此處ではどつちがエトランジェなのだか解らない。それが私にはいつそ氣輕である。自分の部屋で書きものに退屈すると、私はよく階下のスモオキング・ルウムに下りて行つて其處のデスクを占領して、蓄音機でもかけたつもりで西洋人たちのお喋舌りを聞きながら、原稿の手入れをしたりする。ときどき婦人たちが手紙を書きにくるが、其處に私がゐるのを見ると、何も言はないでそのまま引きかへす。中には私の原稿をのぞいて行くものもあるが、何を書いてゐるんだか解るまいと高をくくつて、私は知らん顏をしてゐる。
 高原の日中はなかなか暑い。私の部屋は二階の一番奧の西向きの部屋で、ヴェランダがあつて午前中はそこが明るくつて涼しいので、そこへテエブルを出して仕事をするが、午後はそこには日が射すし、それに仕事にもすこし倦きてくるので、私は書きかけの原稿と萬年筆を持つて階下のサロンへ降りて行くのである。エトランジェの氣輕さよ!
 夕方、散歩に出たらプレッツ・ファルマシイの前で阿比留あびる君に出合ふ。今年は愛宕山の麓のバンカムさんといふ西洋人の別莊を借りてゐる由、ちよつと立ち話をする。阿比留君のその別莊の裏には大きな樅の林があるが、今日はあんまり暑かつたので、鶯がその木蔭から出られずに一日中啼いてゐたさうである。


 食堂で毎日顏をつき合はせるおかげで、私はもうこのホテルに泊つてゐる西洋人たちとすつかり顏馴染だ。一日か二日ぐらゐでそれつきり顏を見せない人達もあつたが、大抵はこのホテルにずつと長く滯在してゐるらしい。食堂は山百合が幾株となく見事に咲いてゐる中庭に面してゐる。南と西に開かれた窓。その窓ぎはの No. 4 のテエブルが私の定席。 No. 1 は近くに別莊があつて食事だけをしにくる、ドイツ生れの、そしてドイツで一流の畫家として知られてゐて今でも向うの雜誌に插繪を描いてゐるさうなNといふ日本の老紳士とその夫人。――但しその夫人はドイツ人で何がし侯爵夫人とでも言ひたいくらゐに押し出しの立派な老婦人。(ボオイたちもその二人には特別に丁寧にしてゐるのでどんな人かと思つてゐたが、阿比留君がよく知つてゐてさういふ素姓をあとで聞いたのである。)二番目のテエブルはスウエデン公使館の書記とかいふ男、――この男だけは食事の時佛蘭西式にかならず葡萄酒を飮んでゐる。三番目はドイツ人の若い夫婦づれ、――細君は身重だ、亭主がいつもその細君の皿から肉をとつては自分の皿の野菜と代へてやつてゐる。四番目には私が窓の方に背を向けて小ぢんまりと。それから五番目には寫眞で見るバアナアド・ショオによく似た元氣のよいイギリスの老紳士、――彼のテエブルにはいつも芹を山盛りにした皿が出てゐる。この先生はその芹と一しよにして何でも食べてしまふのである。その次は、etc……。それから五つ六つの空いたテエブルを隔てて向うの壁ぎはに、いつも寂しさうに見える無口なロシア人の夫婦づれが一組と、銀色の髮をした可愛らしい顏のアメリカ人のお婆さんが一人と、それからその隣りに、おとなしさうな顏をしたアメリカ娘が一人と、――この最後の二人はよく隣同志で話し合つてゐたが、そのうち親密になつたと見えて何時の間にか一しよのテエブルで食事をとるやうになつた。その可愛らしいお婆さんはもうとつくに七十を越してゐさうだが、こんな山の中にたつた一人で來てゐながら何時も大へん愉快さうにしてゐる。私がそれを見てゐると何故か悲しくなるくらゐ始終にこにこと笑つてゐる。どこかその面差しが私の死んだお祖母さんに似てでもゐるのか知らん。そのお婆さんだけは廊下などですれちがふと、なつかしげに私の方を見てにこにこと笑ひかける。向うでも私が外國に殘してきた自分の孫に似てゐるとでも思つてゐるのかも知れん。


 夕方、櫻の澤へ散歩がてらあきら君の別莊による。當分新夫人と二人ぐらしの由。その美耶みや子夫人がこんなもの召上るかしらと言つてボンボンの皿を持つて出てくる。おや、おや、この人達はまだボンボンなんか食べて居るのかしらと思ひながら、そこは私のことだからそんな顏をしないで、「結構。……僕はいま丁度ボンボンの味のする少年時代の小説を書きかけてゐるんだけれど、なかなかその味が出ないで弱つてゐたところだ。ひとつ頂戴するぜ。」――さう言つて私はそのボンボンを二つ三つ口に入れた。それから三人で一しよに櫻の澤を散歩する。美耶子さんが二三日前、白晝、このへんで英國大使のお孃さんが強盜に襲はれてハンド・バッグを奪られた話をする。それ以來なんだか物騷でこのへんをひとり歩きが出來なくなつたといふ。その時向うから二人づれのお孃さんが元氣よく歩いてくる。そこは徑が大へん狹かつたので私たちは傍にどいてそのお孃さん達を先きに通らせた。私はその一人が四五日前自分と一しよの汽車でこつちへ來たお孃さんであることをとつくに認めてゐたからである。私の心臟は少しばかりだがドキドキした。が、向うではこつちの顏を空氣のやうに見たきり、そのまま私たちの前をすうと通りすぎた。
「まあ可愛らしい方ね!」美耶子さんがそのお孃さんの方をふりかへりながら言ふ。私はどうも異性の年齡はよくわからないのでそのお孃さんと美耶子さんとがどのくらゐ年が違ふのか知らないけれど、その「可愛らしい方ね」にはちよつと面くらつた。美耶子さんにはそのお孃さんがよつぽど子供々々して見えるのかも知れない。そこで私も用心しいしい汽車の中のことを話した。うつかり夢中になつて話すと私まで美耶子さんに子供扱ひにされるかも知れないので。――私は明君にAといふ字の頭文字イニシアルのついた外交官を知つてゐるかと問うた。彼は最近歸朝したベルギイ公使がAと言やしないかと答へた。して見ると、そのA公使のお孃さんかも知れない。(私はもう何處かの外交官のお孃さんと一人ぎめにしてゐるのである。)――その時分から私の齒はかすかに痛みだした。さつきのボンボンのたたりらしい。
 晩飯デイナアのあとで、舌に火傷をするほど熱い出來立てのアツプルパイを頬ばつたら、私の齒の痛みが猛烈になつた。アダリンをいつもより少し餘計に飮んだらいくぶん樂になつたので、そのまま寢臺に横になつた。さうしたら疲れてゐたと見えてぐつすり寢入つた。
 夜中の二時ごろだつたらう。私は急に何かにびつくりしたやうに飛び上つた。齒がとても痛み出してゐるのである。私はタオルを濡らしてそれで局部を冷やした。それでも我慢し切れないので部屋中を歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。氣がついて見ると、私はいつのまにかホテルの廊下に出てゐて其處を行つたり來たりしてゐる。西洋人の體臭みたいなにほひが漂つてゐる。どこかの部屋からへんな音が洩れる。よつぽど私も寢ぼけてゐると見えて、それを一層へんなものに感ずるらしい。鼾にしては……だが西洋人の鼾といふものは、みんなこんなものかも知れない。まるでゴム風船をふくらまさうとして力んででもゐるやうな、オペラ・コミックの一節のやうな。私はそのとき不意に、一月ばかり前に讀んだラジィゲの「ドニイズ」といふコントの結末を思ひ出す。――田舍娘とあひびきの約束をする。その夜、旅籠屋の一室でその娘を待つてゐるが何時までたつても彼女は來ない。夜が明けかかる。ついうとうととする。ふと目をさまして見ると卓の上にいつのまにか娘の置き手紙が載つてゐる。「鼾なんかかく人は大嫌ひ。」……そいつも西洋人だから、その鼾もきつとこんなだつたのかも知れない。これぢや田舍娘にだつて嫌はれようさ。――私はひとりでくすくす笑つてゐる。頬にタオルを兩手であてがつて、しかめ面をしながら、そんな思ひ出し笑ひを笑つてゐる。もし誰かが私を見てゐたら、こいつもまたさぞオペラ・コミツクめいて見えたことだらう!


 ヴェランダから見てゐると、ホテルの中庭に他の山百合の群から離れて一つだけがぽつんと咲いてゐる山百合の奴が、さつきから小止みなく跳つてゐるのが、どうも目に立つのである。私はその花が何をうれしがつてゐるのかを知りたいと思つて、わざわざ其處まで下りて行つたら、そこからは庭の奧の四阿屋の中でもういい年をした一組の男女の戲れ合つてゐるのが丸見えになつた。黒眼鏡をかけた女が腰をかけて本を讀んでゐると、その前に男が膝をついてその女の足を撫でてゐるのである。食堂やサロンなどではいつも無口で寂しさうな樣子をしてゐる、あのロシア人の夫婦であつた。


 午後、いつものやうにスモオキング・ルウムで原稿の手入れをすませて、それからぼんやりホテルの玄關を眺めてゐた。ホテルの玄關くらゐ私の書きものに疲れた目をまぎらしてくれるものはない。そこには二匹の七面鳥が放飼ひにされてゐた。彼等は慌しい客の出這入りを至極のんびりと監視してゐた。取次ボオイのいい標本だ。そいつが今日はどうしたのか門からはひつて來た男を見るが早いか、何處かに姿をかくしてしまつた。その男は刑事だつた。
「このホテルの雇人のうちに誰れかE屋へ夏帽子を買ひに行つたものは居らんか?」刑事が横柄に聞いた。
 あいにく其處には取次ボオイと部屋ボオイが二人きりしか居合はさなかつた。彼等は唯、まごまごしてゐた。
「分らんかね? 一體、このホテルには雇人はいくたり居るね?」
「さあ……(ボオイの一人が指折りながら答へた)……部屋ボオイが三人と、食堂ボオイが四人と、それに取次と、風呂番と、ポオタアと、それからコックが四人に、庭師が二人だから……都合十六人になります……」
「十六人か? ……それぢや、そいつを皆調べて夏帽子を買つた奴がゐたら、あとで署まで知らせてくれんか?」さう云つて刑事は歸つていつた。
 さうすると何處からともなく他の雇人達が集つてきてその二人のボオイを取り卷ながら何かがやがや喋つてゐた。そこへひよつくりホテルのポオタア君が姿を現はした。君はをととひE屋で夏帽子を買つて來たらうとボオイの一人に言はれると、彼はきよとんとした顏をして「うん買つたよ」と答へた。「ぢや刑事がいま呼びにきたぞ! すぐ警察へ行つてこいよ。」ボオイがさういふと、ポオタア君は、なあんだ、その事か、と言はんばかりの顏をした。彼はその事件はすでに知つてゐた。――さつきホテルの五島といふボオイが自轉車に乘つてゐたところを急に捕つて警察へ引つぱられて行つた。その自轉車が二三日前から紛失してゐたE屋の自轉車だつたのだ。――それでこのホテルの雇人で二三日前にE屋に夏帽子を買ひに行つたものがあつたのでその男に嫌疑がかかつたのだ。その男がE屋の自轉車を故意にか、間違へてか乘つて來たのだらうと言ふのである。それに知らずに乘つたボオイこそいい面の皮だ。しかし今しがた支配人が警察へ貰ひに行つたから直ぐ歸されるだらう。――だが俺はE屋で夏帽子は買つたがそんなひとのところの自轉車になぞ乘つてくるもんか! 大方、うちの門の前におつぽり出されてゐたのを誰かうちの奴が氣を利かして門の中に入れて置いてやつたんだ。それに知らずに乘つた五島の奴が間拔けなんだ。……とポオタア君がいきまいてゐる。
 そんないかにも避暑地の出來事らしい間の拔けた話――夏帽子、ボオイ、自轉車とまるで三題噺じみた話を聞きながら、私はひとりで微苦笑してゐた。さうして突然、それまで題をつけなやんでゐた、自分の少年時代の夏休みを主題にした製作中の小説に「夏帽子」といふ題をつける事を思ひつく。いつそのこと「麥藁帽子」といふのにしてやらうかな。……
 ラジィゲは彼の少年時の詩集に「休暇の宿題ドヴオワル・ド・ヴァカンス」と題した。私もいま少年時の思ひ出を、いやいやながら休暇の宿題を片づけて行く生徒のやうに、書き綴つてゐる。


 夕方、なんだかお腹が空いてしまつて仕事に身が入らないので、スモオキング・ルウムに行つて其處で誰か忘れて行つたらしい「BALLYHOO」といふポンチ繪の雜誌を見ながら煙草を吸つてゐると、玄關の前にうづくまつてゐた七面鳥がけたたましく客を取次いだ。そこには、あれつきり私の見かけなかつたA公使のお孃さんと、いつか櫻の澤を一しよに散歩してゐたもう一人のお孃さんとが立つてゐる。いままで何處かで居眠りしてゐたらしいボオイが慌てて出て行つた。
 そのお孃さんが何か早口にそのボオイに言つてゐた。するとボオイはかの女たちを私のゐるスモオキング・ルウムに案内しておいてからすぐ何處かへ出て行つた。私はこの數日といふもの髭もろくすつぽ剃らないから無精髭がだいぶ伸びてゐるので、恐縮して「BALLYHOO」で私の顏を隱してゐた。さつきのボオイが水を入れたコップを二つ橡細工の盆の上に載せて運んできた。そしてそれをお孃さんたちの前に置かうとすると、
「あら、水なんかさう云やしないことよ」
「は? ……でも、さきほど飮み水と……」お孃さんたちは顏を見合はせて笑つた。
「まあ……さつき農民美術展覽會はここでしてゐるのかつて聞いたんだわ」
 寢ぼけてゐたボオイが農民美術といふのを飮み水と聞きまちがへたと見える。
「は、どうもこれは……」ボオイは頭をかきながら、「……その展覽會なら、それはパアク・ホテルの方でございますが……」さう言つて、そのままお盆を手にして恐縮しながら引きさがつて行つた。
 これが普通のお孃さんだつたら、こつちで却つて氣まりを惡がつて顏を赤くしながらそこそこにホテルを引上げて行くだらうに、そこは外交官のお孃さんだけあつて慣れたもので、平氣で其のまま其處の長椅子に二人で坐り込んで、ボオイの粗忽を愉快さうに笑ひながら、しばらくそのスモオキング・ルウムの壁の上におそらく二三十年前からかかつてゐるらしいスコットランド風の古ぼけた額などを眺めまはしてゐた。さうして「BALLYHOO」なんといふ猥褻な雜誌で顏をかくしてゐる男が私であることもとつくに見拔いてゐるらしく、そのため私の方でまごまごしてしまつてゐるくらゐだつた。
 そのうち頃を見はからつて、その二人のお孃さんはすうと立ち上つて、さつきのボオイと七面鳥に輕く一揖しながら、落附き拂つてホテルを出て行つた。


 午前中にやつと脱稿。ろくに讀み返しもしないでそれを大きな封筒に突込んで、大股で郵便局へいそぐ。郵便局から出る途端に私は一人の可愛らしい少女とすれちがふ。私の目はひとりでにその下から金髮のはみ出してゐる麥藁帽子の上に止まる。おや、あの飾りは可愛らしいな。マアガレットだな。ちえツ、私は私の小説の中でさくらんぼの飾りのある帽子をつかつて置いたが、そんな氣の利かないさくらんぼなんかよりもこの大きなマアガレットの方がずつとよかつたのに! そしてこの方がずつとお前にも似合つただらうに! 私の小説の中に出てくる初戀の少女よ、しかしもう何もかも遲い。
 麥藁帽子なんぞ勝手にしやがれ! すつかり仕事をすませてしまつた跡の氣持の何といふすがすがしさ。町の中を屈託なささうに散歩してゐる人々がみんな私の親類のやうに見える。そして誰もかも美しい。私だけが無精髭を生やしてゐる。早くホテルへ戻つて、午睡をして、髭をさつぱり剃り落して、それから皆のやうに何の屈託もなげに散歩をしよう。
 午後、丁度明君が美耶子夫人をつれて散歩に誘ひに來る。プウルへ行つて見ようといふ事になる。すこし空模樣があやしい。みちみち私の名前の知らない花束を手にした二人の村の女の子に行き遇ふ。それは何の花だと問うたら、ガンピと答へる。ぢや、それは紙なのかい? と私が聞くとその女の子はへんな顏をしてゐる。ガンピといふ花もありますのよ、まあ綺麗だこと、何處で採つたの? とそばから美耶子さんが問ふと、女の子たちは自分たちよりも丈高く伸びてゐる芒の中を指さして置いてから、それを實地に教へでもするやうに二人ともいそいでその芒の中に分け入つたかと思ふと、たちまちその姿を見失つた。そこから少し行くと芹が密生してゐるためにすつかり埋まつて水の見えなくなつてゐる大きな池へ出た。雲場の池の一部だ。私は毎日のやうに芹を三皿けろりと食べてしまふショオ先生を思ひ出した。此處にこんなにあるんなら、あの先生がいくら頑張つたつてとても食ひ切れやしないだらう。
 いまにも夕立がしさうだのに、プウルの中ではドイツ人らしい一組の男女が泳ぎもしないでふざけ合つてゐる。寒いと見えて女の脣が紫色になつてゐるのを見ながら、明君曰、「ありや風呂を使つてゐるんだぜ。山の上の別莊にゐる奴等は風呂を沸かすのが面倒くさいんで此處へ這入りにくるんだとさ。」――ニュウ・グランド・ロッヂでアイスクリイムを食べてゐるうちに、とうとう夕立になつた。


 晝飯テイフインのときである。相變らず隣の先生は芹ばかり食べてゐる。雲場の池があらあ。いくらでもお食べなさい。右隣りのドイツ人の夫婦この頃私たちの食事のすんだ時分にやつと食堂に這入つてくる。やはり妻君の奇妙な花籠が氣になると見える。……「××××!」窓の外からだしぬけに食堂の中へ聲をかけた女がゐる。私の分らない外國語だ。するとそれに應じたのは二番目のテエブルで食事をしてゐたスウエデンの書記君だつた。彼の返事も私には何語だか見當がつかなかつたが多分これがスウエデン語なのかも知れぬ。すると今度は、窓のそとの女がぺらぺらと早口に何かを訴へでもするやうに喋舌りだした。私は窓の方に背中を向けてゐるので、さつきからどんな女かと氣になつてゐたが、ひよいと振り向いたら、窓の外には青いしやれた帽子がちらりと見えたきりだ。……書記君は食卓から立ち上つて心持顏を赤らめながら食堂を出て行つた。食べかけのライス・カレエには蠅が一匹とまつた。


 めづらしく霧の深い晩だ。阿比留君と一しよに本通りメエン・ストリートをぶらぶらする。今夜は集會堂オーディトリアムに音樂會があつたのでその歸りの人らしいのが霧の中をちらほら歩いてゐる。西洋人が多い。郵便局の角のところにさつきから二人のエトランジェが立つてゐる。その彫像のやうな女の姿が霧のために私たちからすうつと見えなくなる。すぐ霧の中にすうつと現はれてくる。それがへんに美しい。一人の女は白いベレ帽をかぶつてゐる。もう一人は青い帽子だ。……どうも見覺えのある青い帽子だと思つてゐたら、それは昨日ホテルの食堂からちらりと見た奴だつた。阿比留君は阿比留君で、白いベレ帽の方をこれまで何度も見かけたといふ。それが妙に東京輕井澤間の汽車の中でばかりださうだ。その度ごとに異つた男を連れてゐたが、或る時は有名なハンガリイ人のピアニストと一しよに乘つてゐたさうである。……ひよつとしたら、横濱あたりの女たちかも知れない。が、それにしては少し品がよすぎる。ときどきその小意氣な女たちにドイツ語らしい訛りで聲をかけたり、中にはちよつと立ち話をしてゆく西洋人たちもゐる。いかにも現しげでしかも慇懃な態度でである。が、それはともかくも、こんな霧のふかい夜の郵便局の角などにこの女たちは一體何のために立つてゐるのであらう? もうかれこれ一時間になる。誰を、何を、待つてゐるのであらう?
 私は阿比留君に別れて、そんな謎めいた氣持を抱いたまま、百合のぷんぷん匂つてゐる裏門からホテルに歸つてくると、ホオルの片隅に例のドイツ人がひとりで氣むづかしい顏をしてビイルを飮んでゐた。彼の身重の妻はもう休んでゐるのであらう。私はまだ寢る氣がしないのでスモオキング・ルウムに這入つてまづい煙草をふかしてゐた。すると廊下を隔てた向うの酒場の中から酒氣を帶びてゐるらしい若い男女の低聲で流行歌などをうたつてゐるのが洩れてきた。いつにないことなので私は手を洗ふふりをして其處まで行つて酒場の中をちよいと覗いてみた。すると半分開いてゐるドアから、ビイルのコップなどの散らかつたテエブルを隔てて、男も、女も、二つ椅子をくつつけてその上に行儀惡く寢そべりながら陽氣さうに唄を合はせてゐるのが見られた。意外だつたのは、その女が食堂でいつもあのお婆さんのお相伴をしてやつてゐる大人しさうな顏の娘だつたことである。男の方は一遍もこのホテルで見たことがなかつた。――再びスモオキング・ルウムに歸つて私が二本目のチェリイをすつてゐると、それまで氣むづかしさうにビイルを飮んでゐたドイツ人がやをら立ち上つて、ちらつと酒場の方へ目をやりながら、眠さうなボオイ達に「おやすみなさい」とぎごちない日本語で言つて、自分の部屋へ歸つて行つた。まだ低唱は聞えてくる。私ももう部屋へ歸らうと思つて帳場の時計を見たら、もう十一時を過ぎてゐた。私は午前中書きものをする習慣だつたからこれまで毎夜のやうに早寢をしてしまつたので、こんな時刻まで起きてゐたことがなかつたのにその時始めて氣がついた。私がすやすやと自分の部屋で眠つてゐる間、ホテルの内外は毎晩かうだつたのであらうか? もう私の書きものもすんだことだから明日からはひとつ夜更しをしてやらうと思ひながら、私もそのドイツ人について自分の部屋に引上げた。

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「婦人サロン 第四巻第十号」
   1932(昭和7)年10月号
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2011年3月9日作成
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