春の夜ふけて、花の林の間におぼろげにさしたる月は、窓深くたれこめてよろづ嬌羞を帶びたるをとめ子に喩ふべし。銀河一滴の水をこぼさず、桐の葉いまだ秋を告げざる三伏の夕べ、蚊遣火の煙にむせびながら軒の端ちかくさす月は、憂にやつれながら、しかすがに堅く操をまもれる女に似たり。秋風になびく尾花の末にほのめきては、親しむべけれど、川風さむく千鳥なく冬の空にさえては、凛としてまた狎るべからず。女の徳、一に月になぞらふべきなり。
の聲のこる茅店の月、離人の膓をたち、雁が音わたる關山の月、征夫の心を傷ましむる媒となりて、物のあはれを添ふるは、なべて女の性の感情ふかきにたとへむ。立ち騷ぐ黒雲に日はかくれて、むら雨はげしく降りしきるとも、晝のひかり猶ほおのづから明かなるは、男の心のなべて智に富むにかたどるべし。月はみづから光をはなつものにあらず。日の光をうけてはじめて光あり。女はみづから立つものにあらず。男に依りてはじめて立つ。すべて女は力よわきものなれば、あくまでもかなしみていたはるべきなり。
また、日の晝にかゞやき、月の夜を照すは、男の外を司り、女の内を治むるに似たり。男には、男の分あり。女には、女の分あり。めゝしきは男の分にあらず、をゝしきも女の分にあらぬなり。伊邪那岐命、伊邪那美命と天の御柱をめぐりてみあひませしときに、伊邪那美命まづ、あなにやし愛男をとのりたまひて、くみどに興してうみたまへる御子のふさはしからざりしも、たゞごとにはあらざりけり。呉牛月に喘ぐも、日と同じき熱さなるにあらず。月は、ぬば玉の夜、清風そよぐ時にあらはれてこそ人のあはれみも深かるべきに、夕日沈まなくにまだき主じ顏にも出でたらむには、うせなんものは、其光のみにはあらざらむ。女もまた、つゆさしいづることなく、よろづ夫に從ひてぞ、妻たるものの道はたつべかりける。
(明治三十二年)