人物
農夫 甚兵衛 二十九歳 甚しき跛者
その弟 甚吉 二十五歳
同 甚三 二十二歳
同 甚作 二十歳
甚兵衛の継母 おきん 五十歳前後
隣人 老婆およし 六十歳以上
庄屋 茂兵衛
村人 勘五郎
村人 藤作
一揆の首領 甲
同 乙
刑吏、村人、一揆、その他大勢
時
文政十一年十二月
所
讃岐国香川郡弦打村
農夫 甚兵衛 二十九歳 甚しき跛者
その弟 甚吉 二十五歳
同 甚三 二十二歳
同 甚作 二十歳
甚兵衛の継母 おきん 五十歳前後
隣人 老婆およし 六十歳以上
庄屋 茂兵衛
村人 勘五郎
村人 藤作
一揆の首領 甲
同 乙
刑吏、村人、一揆、その他大勢
時
文政十一年十二月
所
讃岐国香川郡弦打村
第一幕
甚兵衛の家。藁葺きの、大なれども汚き百姓家。左に土間、土間につづいて台所の右は八畳の居間、畳も柱も黒く光っている。入口の柱には、金比羅大神宮の大なる札を貼っている。その札も、黒くくすぶっている。八畳の奥は部屋のあることを示している。家財道具はほとんどなし。
母屋の左に接近して、一棟の建物がある。画られて、牛小屋と納屋とになっている。牛はいない。
幕開く。甚作と甚三とが、家の前庭で、「前掻き」と称する網を繕っている。(方形の形をして柄が付いている。小溝の鮒や泥鰌を掬うに用いるもの)しばらくすると、母のおきんが、母屋と牛小屋との間から、大根を二本さげて出てくる。冬の日の黄昏近し。
母屋の左に接近して、一棟の建物がある。画られて、牛小屋と納屋とになっている。牛はいない。
幕開く。甚作と甚三とが、家の前庭で、「前掻き」と称する網を繕っている。(方形の形をして柄が付いている。小溝の鮒や泥鰌を掬うに用いるもの)しばらくすると、母のおきんが、母屋と牛小屋との間から、大根を二本さげて出てくる。冬の日の黄昏近し。
おきん 畜生! また大根を二、三本盗みやがった! 作、今度見つけたら背骨の折れるほど、どやしつけてやれ! どこのどいつやろう。
甚作 新田の権が、昨日夕方裏の畑のところを、うろうろしていたけに、あいつかも知れんぞ。飢饉で増えたのは畑泥棒ばかりじゃ。
おきん 大根やって、今年は米の飯よりも大事じゃ。百本ばかりある大根が、冬中のおもな食物じゃけになあ。
甚三 お母、木津の藤兵衛の家じゃもう食物が尽きたけに、来年の籾種にまで、手を付けたというぞ。
おきん 藤兵衛が家でけ。ええ気味じゃ。藤兵衛の嬶め、俺がいつか小豆一升貸せいうて頼んだのに、貸せんというてはねつけやがったものな。
(おきん、台所へ入り水を汲んで大根を洗っている。隣家の老婆、およし入ってくる。ぼろぼろの着物を着て、瘠せはてている)
およし 甚作さんたち、何しているんでや。
甚作 これから、魚掬いに行くんじゃ。
およし お前の所じゃ、まだそななことができるから、ええな。わしの所じゃ、老人夫婦で泥鰌一匹捕ることやてできやせん。食べるものは、もう何にもなしになってしもうた。
甚三 およし婆さん。羨むなよ。これでな、二人で一日中小溝を漁ってもな、細い泥鰌の二十匹も取ればええ方じゃぞ。
およし そうかな。
甚三 この近所じゃ、銘々で取り尽して、川には、小鮒一つやて、おりゃせんわ。山には、山の芋どころか、のびるだって、余計は残っておらんぜ。
およし もう一月もしたら、何食うやろうぜ。
甚三 おおかた壁土でも食っているやろう。
甚作 滝の宮の方じゃ、もう松葉食うとるだ。
およし 民百姓がこなに苦しんどるのに、お上じゃまだ御年貢を取るつもりでいるんじゃてのう。
甚作 御年貢米の代りに、人間の乾干しを収めるとええぞ。
およし 明和の飢饉じゃて、これほどではなかったのう。
甚作 あの時には、お救い小屋が立ったというじゃないか。
およし そうじゃ、そうしゃ。わしもな、お救い小屋のお粥をもろうたがなあ。ひどい飢饉じゃったけれどもな、今度ほどは困らなかったぞ。みんな、お上がよかったからじゃ。御家老様が、偉い御家老様だったでな。お蔵米を惜しげもなくお下げになったのじゃ。
甚三 今度は、お蔵米どころか、こちらを、逆さにして鼻血まで、搾り出そうとしている。
およし わしもなあ、長生きしたおかげで、食うや飲まずの辛い目にあうことじゃ。
(ふと、この家に来た用向きに気がついて、いいにくそうに)おきんさん。わしゃ、お頼みがあって来たんじゃがな。
おきん (すぐ警戒するような顔をして)何じゃ!
およし あのな、えらいいいにくい頼みじゃがな。お前とこの大根を、一本貸してもらえんかな。
おきん (黙っている)……。
およし 村中で、みんな羨んどる。おきんさんところじゃ、よう大根作ったいうてな。飢饉で何もできなかったのに大根だけはようできた。おきんさんは、よう気がついたいうてな。
おきん (大根を大切そうに包丁で、切りながら)おぬしには、この朔日にも一本貸してやったな。
およし ああそうそう。わしもよう覚えているでな。御時世がようなったら、十倍にも百倍にもして返そうと思っとるんじゃ。じゃけどな、おきんさん、わしはたびたび無心いいとうはないんじゃけどな、家の爺がな、二、三日前から、病いついてな。……食うものも食わんのじゃけに、病いつくのも当り前じゃがな。それでな、青物が食いたい食いたいいうて口ぐせのようにいうとるのでな。何ぞ、食べられるような草があるかと思うてな、野面を走り回ったけれども、冬の真ん中じゃで何もないんじゃ。わしの亭主、助けると思うてな。大根一本融通してくれんかな。御時世が直ったらな。十本にでも百本にでもして返すけにな……。
おきん (黙って大根を鍋に入れる)……。
およし なあ、おきんさん、わしたち、助けると思ってな。
おきん (冷然として)まあ、堪忍してもらおうけな。
およし (おどろいて)ええ何やと。
おきん 御時世が直って、大根を一車返してもらうより、今の一本の方が大事じゃけにな。
およし (弱々しき反抗で)えろうまあ、無慈悲なことをいうのう。
おきん いわいでかのう。この時節に、食物のことでは、親子兄弟でもな、血眼になっとるんじゃ。
およし 大根一本が、それほど惜しいかのう。
おきん ふふむ。何いっているだ。おぬしの方が、それほど欲しがっているじゃないか。この頃では甚吉の家の大根いうてな、みんな評判してな。一本でも二本でも盗もうとしてるんじゃ。家中、代り番こに、ねず番しとるんじゃ。一朱銀の一つも持ってくるがええ。大根の一本や二本くれてやるけにな。
およし (憤然として)人情を知らんのにもほどがあるのう。
おきん 何いってるぞ。この時節に、人情だの義理だのいっとると、乾干しになって死んでしまうわ。本津の義太郎を見いな。米俵、山のように積んであっても、一合一勺だってこっちに恵んでくれたかのう。一石百五十匁もしたら、売ろうと思っとるんじゃないか。こちとらのような、水呑百姓が大根一本だって、人にくれられるけ。無駄口利かんと、早う帰ったらええわ。
甚作 (見かねて)おっ母。そなな無愛想なことをいわんで、一本ぐらい貸してやれな。まだ一みねはあったんじゃないか。
おきん 何、いらんことをいうのじゃ。みんなお前たちが可愛いけに、大根の一本も惜しむんじゃないか。ぐずぐずいわんと、早う出かけて泥鰌の一匹でもよけい取って来い。
甚三 甚作行こう。およし婆さ。家のおっ母、一刻者じゃけに、いい出したら、後へ引かんけにな、今日は諦めて帰るとええわ。
およし 何が、一刻者じゃ。生死塚のばばあのように、欲の深いやつじゃ。(帰りかけて)今にみろ、あたしたちが飢えて死ぬときには、うんとこさと呪ってやるからな。
おきん ええわ。なんぼなと呪え。おぬしのようなおいぼれに呪われたって、何の悪いことがあるもんけ。
およし 業つくばばめ。
おきん おいぼれめ。おぬしたち早う飢えて死ねよ。それだけ、穀がのびて、他の者が助かるわ。
およし (口惜しがっし)女子のくせに、よう無慈悲なことがいえるな。ええわ、ええわ。今に思い知らせてやるけに。(退場する)
おきん この大根と粟とで、春まで命をつなぐんじゃ。一本だって、他人にやって堪るけ。
(大根を入れた鍋を、竈にかけ火を点ける)
甚三 じゃ、おっ母、行って来るぞ。
おきん ああ行って来い!
(二人の兄弟、「前掻き」と魚籠とを持って出て行く。入れ違いに村人勘五郎、慌しく入ってくる)
勘五郎 おきんさん。甚吉どんはおらんかのう。
おきん おらん。今朝、早うからな、落松葉をな、お城下へ売りに出たよ。
勘五郎 落松葉を、うむ、そななものでも金になるけ。
おきん 百にもならねえだ。それでもな、粟の二合や三合は買えるけにな。
勘五郎 甚三も甚作もおらんかのう。
おきん 二人ともおらん。何ぞ用け。
勘五郎 おっ母、恐ろしいことが起ったぞ。綾郡二十三カ村に、御年貢御免を嘆願の一揆が起ったぞ。
おきん なるほどのう。一揆でも起ろうぞ。ええ気味じゃ。
勘五郎 それでな、だんだんお城下の方へ押し寄せてくるいうのじゃ。
おきん なるほどのう。
勘五郎 それでな、もう端岡までは来とる、いう噂じゃけに、この村でも、加担するか加担せんか、今のうちに定めとこうていうてな、八幡さまで、村の若い衆の集りがあるのじゃ。
おきん 恐ろしいことになったのう。
勘五郎 一揆もええがのう、後が悪いからのう、あんまり、有頂天になってやっとると、後で磔じゃからのう。
おきん 恐ろしい、恐ろしい。飢えて死ぬと磔とどちらがええじゃろ
勘五郎 じゃ、俺は、急ぐけにな、みんな帰ったら、よこしてくれんかのう。村の集りにはずれると後が悪いぞ。
おきん ええわ、わかった。甚三と甚作とを探して、すぐやるけにな。
勘五郎 じゃ、ええか。暮六つまでには、集るんじゃぞ。
(勘五郎去る。おきん、不安らしく考え込みたる後兄弟をたずねるべく、つづいて退場する。――間――牛小屋に物音がする。やがて、この家の長男の甚兵衛が、そこから現れる。つぎはぎした膝までしか来ない着物を着ている。憔悴している。右脚はなはだしく短く、ちんばを引く。ひそかに周囲を見回したる後、台所に忍び寄り、鍋の蓋を開け、まだ半煮えの大根を、がつがつ貪り食う。しばらくすると、背負籠を肩にしたる次男甚吉、表から帰って来る。兄が大根を食っているのを見つける)
甚吉 何するだ! この泥棒猫め!
(兄の襟筋を掴み引きずり出す)
甚兵衛 (やや愚鈍らしく)われこそ何するだ! 何するだ!
甚吉 おのれ、おっ母の目を掠めて盗み食いをしやがる。われに、大根を食わせてたまるけ。
甚兵衛 わしやて、大根食いたいだ。この大根作ったのは俺じゃ。
甚吉 何を世迷言いうだ。作ったのは、われでもな、この家や、畑はおれの物じゃぞ。この畑にできるものはみんな俺の物じゃぞ。
甚兵衛 何いうだ。新田の藤兵衛伯父がいうた。われは長男じゃけにな、みんなわれの物じゃいうて。
甚吉 (激しくこづき回しながら)不具者のくせに何いうだ。爺さんが、生きていたときに、庄屋様に願うて家屋敷とも俺の物になっているのだ。われは牛小屋でくすぶってりゃいいんだ。不具者のくせに、出しゃばるなよ。(激しくこづき回す)
甚兵衛 (激怒し)おっ母と兄弟三人とで共謀しやがって、長男のわしの物をみんな取っているのだぞ。この家の縁の下の塵までわしの物じゃ。
甚吉 何を、阿呆くさいことをいいやがるんじゃ。
(さらに激しく、こづき回す。甚兵衛、こづかれながら手を振り上げて、甚吉の顔を殴つ)
甚吉 おのれ、殴ちゃがったな。
(二人激しく格闘す。甚兵衛も、絶えず圧迫されながら、抵抗をつづける。そこへ母と一緒に兄弟二人帰ってくる)
甚三 吉兄い。どうしたんじゃ。
甚吉 (甚兵衛を押えながら)この不具者めがな、今鍋の大根を、盗んで食うていやがるんじゃ。それでな俺が怒鳴りつけるとな、俺に食ってかかりゃがってな、俺の顔を殴ちゃがったんじゃ。
おきん 本当けい。この阿呆のど不具め。大根やこしお前の口へ入るものじゃねえだぞ。お前なんかに、粟の飯一杯も惜しいけどな、同じ人間の皮被ぶってるけにな、毎日一杯ずつ恵んでやっとるんじゃ。それを有難いとも思わんでようもようも盗み食いしやがった。吉、根性骨にしみるほどどやしつけてやれ。
甚三 おっ母、昨日畑の大根取ったのもこいつかも知れんぞな。
おきん そうじゃ。そうじゃ。それに違いない。みんなして、牛小屋の中へ追い込んでな。
甚兵衛 (まったく抵抗力を失いながら)なんぼ不具じゃとて長男の俺を牛小屋へ住わせて、粟の飯たった一杯ずつあてごうて……。
おきん 何いうぞ。この飢饉の時節に、粟の飯一杯じゃとて、惜しいぞ。吉、その頬げた一つひねってやれ。
(甚吉は、いわれた通りにする)
甚兵衛 ああ痛い! 痛い!
おきん さあ、皆して、放り込んでしまえ! これからは、粟の飯ももったいないや。水だけでたくさんじゃ。
(三人は、母にいわれたごとく甚兵衛を手込めにして、牛小屋へ入れる)
甚兵衛 どうするだ! 何するだ! われたち! この兄をどうするだ!
甚吉 何が、兄だい! われのような不具の阿呆を誰が兄に持つものけ。
甚兵衛 どうするだ! どうするだ!
甚三 (次兄に加勢しながら)ええ、黙って、この中にすっこんでおれ!
甚作 (同じく手を貸して、担ぎ上げながら、二人の兄のよりは、やや優しく)盗み食いやこしするけに、こなな目にあうのじゃ。おとなしゅう、小屋の中へ入っているがええぞ。
(三人、いている甚兵衛を、牛小屋の中へ担ぎ込んでしまう)
甚兵衛 何するだ! どうするだ。(叫びながら、担ぎ込まれる)
おきん 出られないように戸を閉めて、しんばり棒、こうとけ。明日から粟の飯一杯もやらんぞ。(やや声を低めて)今時、死んだとて、誰も不思議がりゃせんわい。
(甚吉、戸を閉め、棒を探してきて、しんばり棒をかう。この前より、周囲がようやく暗くなり始める)
おきん 吉、きいたか。綾郡に一揆が起ったということを。
甚吉 きいたとも。御城下でえらい騒ぎじゃ。香東川の堤で、早馬に二度も行き会うたぞ。
おきん それでのう、御城下に押し寄せる道筋じゃけに、この村へも追っつけ来るでのう、加担するか加担せんか評議するためにのう、八幡様で暮六つから集りがあるから来いいうてな、勘五郎どんが、ふれて来たぞ。
甚吉 一揆の加担人か。こんな時、下手まごつくと首が飛ぶし、それかというて、後込みしとると一揆からひどい目にあうしのう。
おきん とにかく、行って来るがええぞ。それでのう、身をたしなんで、出しゃばらんがええぞ。先ばしりしてわしに心配させるでねえぞ!
甚吉 じゃ、ぼつぼつ行こうか。
おきん 飯食うてからにせい。評定が、長びくかも知れんけに。
甚吉 ああ、ど不具めと、取り組み合うて、えらいことお腹を空かせたぞ。
おきん (台所へ入り、鍋の蓋を開けて見て)あの阿呆め! 三切れも、食いやがった。われらに、一切れずつやろう思っていたら、当らんようになったぞ。
(兄弟三人、台所に腰をかけ、粟飯を茶碗に盛りながら、大根を鍋よりはさみ出しながら食う)
甚三 一揆も、やっているときは、景気がええがのう。後でまた、磔や打首が二、三十人はあるべい。
おきん 触らぬ神に、崇りなしじゃ。なるべくなら、誰も出んで済むとええがのう。
甚作 そうもなるまい。村で加担するとなると、家では若い者が揃っとるけにのう、一人二人は出ねばなるまい。
(この前より、周囲がほの明るく騒がしくなる。遠方が、火事でもあるように明るくなる。雑音がだんだん高くなる。遠い寺の鐘が鳴り始める)
甚作 (駆け出しながら)なんやろう。なんやろう。火事かしら。向うが真っ赤じゃ。
甚吉 ええ、なんじゃと。(出てくる)ほほう。赤いな。どうしたんじゃろう。どこぞで火事を出したのか知らん。
おきん ええ、火事じゃと。(出てくる)
(甚三も出てくる。親子四人とも、遠方を見て、不安に襲われる。寺の鐘激しく鳴る。牛小屋の戸がガタガタ動く)
甚兵衛の声 開けてくれ! 開けてくれ!
甚吉 阿呆め! お前は、そこですっこんでおれば、ええじゃ。
(村中が、ますます明るくなる。人声が嵐のように高まってくる。犬がけたたましく吠える。寺の鐘が殷々と鳴る。甚作駆け出す。やがて帰ってくる)
甚作 (蒼くなって、帰ってくる)えらいこっちゃ! えらいこっちゃ。街道筋は一面の炬火じゃ。
甚吉 え、なんじゃと。
(このとき、「一揆じゃ! 一揆じゃ! 一揆が来たぞ!」という、叫びが遠く近く聞えてくる)
おきん ああとうとう、来たんじゃのう。恐ろしいことになったのう。
甚三 御城下を、夜討ちにするじゃのう。
おきん まさか、こちとらに、仇はしやすまいのう。
甚吉 何、そなな心配があるもんか。一揆はこちとらの味方じゃないか。
おきん われら、みんな隠れとれ! 加担人させられたら、後が難儀じゃけに。
甚吉 まだ、ええ。まだ、ええ。こっちへ来るのには間がある。
(このとき、村人の一人、あわただしく駆けてくる)
甚吉 おおわれや、藤作じゃねえか。
藤作 おお。この村も、加担じゃぞ。ええか。一軒で一人ずつ、人数を出すんじゃぞ。ええか。炬火と竹槍とを用意しとげ。ええか。後から、一揆の統領が回って来るけにな。
甚吉 (蒼白になりながら)合点じゃ。
藤作 加担の村が、二百十二カ村になったぞ。夜更けにお城下へ押し寄せて、御家老たちの家を叩き壊すいうとるぞ。はよう、用意せい。ええか。わかったか。
甚吉 わかった。わかった。
(藤作、駆け去る)
おきん (狼狽しながら)どうしよう。どうしよう。
甚吉 仕方がねえ。わし行くぞ。
おきん 阿呆いうな。後嗣のお前に万一のことがあったらどうするんじゃ。われは行くんじゃねえ。
甚三 兄貴は、家にいるがええ。わしが行くだ。わしが。
おきん われも行くでねえ。加担して、後で打首にでもなったら、どうするだ。
甚三 そなな心配がいるもんけ。何万という人数じゃもの。ただついて行っただけで打首になんか、なって堪るけい。
(急に炬火の火が近づいてくる。一揆らが近づいてきた物音がきこえる。寺の鐘、段々と鳴りつづける)
おきん こちらへ来るだ。こちらへ来るだ。われら、みんな隠れとれ。おっ母が、ええようにするだ。わしに委しとけ。わしが、ええようにするだ。わしが、われら、誰も行かんでええようにするけに。
甚吉 阿呆いうな! おっ母のような年寄、委しとけるけ。
おきん ええ、黙っとれ、お前らは。入っとれいうたら、入っとれ。入っとれ。
(おきん、息子たち三人を押し込むように、奥に入れる。そして、台所へ行く。出刃包丁を持って、母屋と牛小屋の間から奥底へ行くと、炬火の薪と手頃の竹竿を持って出てくる。先端を、出刃でとがらせる。それから、牛小屋の戸のしんばり棒をはずす。このとき、覆面をし手槍を持った一揆の首領二人、炬火を持った多くの一揆に囲まれながら、出てくる。村人勘五郎が、案内している)
勘五郎 (首領に)へえ。この家にも男手が、ございまする。
首領の一人 わしは、綾郡さる村に住む郷士じゃ。今度諸人助けのために、御年貢米御免の嘆願の一揆を起した者じゃ。同心か不同心か、どちらじゃ。同心するにおいては道々、所々在々の大百姓の家を叩き壊して、金銀米穀を分けてやる。
他の一人 同心なら、同心の印に加担人一人を出せ。不同心ならすぐこの家を叩き壊す。その方たちを打ち殺す。どちらじゃ。
おきん (震えながら)へえい、へえい。同心でございますとも。わしたち小百姓には、救いの神様でござります。ありがとうございます。おありがとうございます。加担人を出しますとも。(牛小屋の前へ進み戸を開ける)おお、甚兵衛、お前、そなな所へ隠れていないで出てこいや。何も恐いことありゃせん。わしたちの難渋を救うて下さる神様じゃ。早う出てこい。
(甚兵衛の手を掴んで引きずり出す)
おきん さあ! これを持ってな。このお方たちの後からついて行け!
(竹槍と炬火を渡す)
甚兵衛 わしは恐い。わしは恐い。
おきん 何をいうぞ。お前、ぐずぐずいうたら、竹槍で突き殺されるぞ。(竹槍を強いて押し付けながら)はよう、しっかり持たんけいな。
甚兵衛 わしゃ恐い。恐い。
首領の一人 臆病者め! 恐がることはない。一揆の人数は綾郡宇多郡を合せて、五万三千人じゃ、なんの恐いことがあるものか。
おきん うんと叱ってもらいたいでのう。これは生れつきの臆病者でな。(甚兵衛に)さあ、しゃんとして行って来い。この方々について行くと、白い飯が、なんぼでも食べられるぞ。
(甚兵衛、その言葉に少しく元気づき、三、四歩歩く)
首領の他の一人 その者は、不具者じゃないか。
おきん なんの不具者でもな、山や野良の働きは人一倍でな。他人の二倍もの仕事しまするでな。ちんば引いても走るのは、人一倍じゃぞな。
勘五郎 おきんさん、甚吉は、どうしただ。
おきん さっきもいうたじゃないか。御城下へ松葉売りに行ってな、まだ帰って来んのう。
首領の一人 不具者でもよい。詮議していては手間どる! さあ、次の家へ案内されい。
勘五郎 さあ、こちらへおいでなさい。
首領の他の一人 (甚兵衡に)後からついて来い。ははははは、山本勘介というちんばの軍師が昔あった。お前もうんと働いてくれ、はははは。その代り、白い飯でもなんでも食わしてやるぞ。(歩き出す)
甚兵衛 (やや遅れて恨めしげに)わしを打首にするつもりかの。
おきん 何をいうだ! お前に、たんと、白い飯を食わしてやりたいのじゃ。はようとっととついて行け!
(甚兵衛、愚鈍な顔にも、母親を恨めしげに見返りながら、竹槍を杖について、よたよたと出てゆく。おきん、胸を撫で下しながら、後を見送っている。兄弟三人、奥の問から出て母親の後へ、そっと忍んでくる)
甚吉 おっ母!
おきん おおびっくりした。
甚三 うまくやったなあ、おっ母。
おきん ははははは。
甚吉 ほんまにうまくやったの。あの不具者が、竹槍をついて、ちんば引き引きついて行くのを考えると、吹き出したくなるのう。
おきん あはははは。あの不具者も、二十九になるまで養うてやった甲斐があったのう。思わん役に立ったわ。この一揆で御年貢は御免になるわ。米もやすくなるわ。わちとら親子は高処から一揆を見物しているわ。ああうまいことした。甚作、厄逃れのお祝いに、神棚へお灯明であげいよ。
甚作 一揆の大将がいうとった。昔山本勘介いうて、えらい軍師があったというてのう。けどおっ母の方が、もっと偉い軍師じゃのう。
おきん どうじゃ。年が寄っても、こななものじゃ。ははははは。
兄弟三人 あはははは。
甚吉 あの不具者め。あははははは。
親子四人 あははははははははは。
――幕――
第二幕
第一幕より、十日ばかりを経たるある日の夜、弦打村庄屋茂兵衛の家の広間。村人たち縁側にも庭にも満ちている。座敷には、ところどころに百目蝋燭が燃えている。庭には、篝火が三カ所ばかりに焚かれている。人数の割合に静粛である。みんな不安と恐怖とに囚われているのがわかる。
村年寄甲 (縁側に立って見回しながら)もう皆集ったかのう、本津の吾作は来たか。
村人一 来ただ。ここに来ているぞ。
村年寄甲 新田の新吉は見えんのう。
村人二 まだ来とらんが、さっき来るときに誘うとな、山へ行っとるけに、帰ったらすぐよこせるいうたぞ、嬶が。
村年寄乙 上笠居の甚兵衛が、見えんぞな。
村人三 うん。甚兵衛どんが、来とらん。
村人四 あなな気の毒な人、来いでもええじゃないか。
村人五 また、あなな阿呆来たとて、しようがない。
村人六 阿呆阿呆いうない。少し阿呆じゃけになお可哀そうじゃないか。
村人七 そうじゃ。阿呆じゃけど、ええ人じゃ。義母や兄弟たちに苛められるので、いよいよ阿呆になるんじゃ。
村人六 そうじゃとも、長い間、苛めぬかれたでのう。家や田畑は、弟に取られるしな、食物もろくろく食わせらんし、なんぞ口答えすると、弟三人がよってたかって殴ち打擲するんじゃもの。
村人五 けど、阿呆じゃもの、しようがないわ。
村人六 阿呆でも、長男は長男じゃものな。
村人八 死んだ甚七は、あまりおきん婆に甘かったから、いかんのじゃ。
村人六 そうじゃ。死んだ爺もわるいんじゃ。だがのう今度の一揆にやってあのおきん婆の仕打ちはどうじゃ。足腰のたっしゃな息子が三人もあるのにな。自分の息子は出さんでな。常日頃、苛めぬいとる甚兵衛どんを出すんじゃものな。
村人七、八、四 そうじゃ。そうじゃ。ひどい仕打ちじゃ。
村人六 わしゃ、何も知らん甚兵衛どんが、竹槍杖ついて、ちんば引き引きついて来るのを見ると、涙がこぼれたぞな。
村人七 俺も、可哀相で見ておられなんだぞ。勘五郎どん、お前どうしただ。お前が一揆の大将を、甚兵衛どんの家へ案内したいうじゃないか。なんで、この家には、足腰のたっしゃな若い者が三人もいると、いってやらんのじゃ。
勘五郎 そら、後から気のつくことじゃ。わしも、竹槍を差しつけられて案内しとるんじゃろう。命がけじゃないか。早う、案内役を逃げたい思う一心で、何でも早う済めばよいと、思うとったけにのう。
村人七 ほんとうに、あのおきん婆、一揆の大将に頼んで、突き殺してもらいたかったのう。
村人四、六、八 ほんまじゃ。ほんまじゃ。
村人七 考えても、腹が立つでのう。
勘五郎 だが、庄屋どんや名主どんは遅いのう。
村年寄甲 なんぞ、難儀なことになっとるかも知れんぞう。
村年寄乙 松野八太夫様が、馬から落ちくぜた所が、もう半丁も向うだとよかったんじゃ。あすこの地蔵堂の所が、村境じゃけにな。ほんの半丁ぐらいの違いで、この村に難儀がかかるんじゃ。
村人八 お上も、無理じゃないか。郡奉行様が一揆に殺されたのが弦打村の地境の内だからというて、弦打村から下手人を出せというて、あんまり聞えんじゃないか。
村年寄乙 じゃけど、そうでもせな、下手人が出んのじゃ。下手人が出んと、お上の御威光にかかるけにな。
村人六 えらい、災難じゃのう。
勘五郎 ええことは、二つないわ。一揆のおかげで御年貢御免になったかと思うと、すぐこなな無理な御詮議じゃ。一昨日、御坊川で一揆の発頭人も磔になったというから、下手人が出たら磔は逃れんのう。
(一座、しんとしてしまう。その時甚兵衛が、末弟の甚作と一緒に来る)
村人七 ああ甚兵衛どんが来た。甚兵衛どんが来た。
村人四 相変らず、にこにこしとるわい。あの人は、他人には、いつも愛想がええわ。
(甚兵衛、蒼白な顔に微笑を堪え、皆にぺこぺこ頭を下げて、隅の方へ座る)
村人八 甚兵衛どん。遅かったのう。
甚兵衛 (黙ってうなずく)……。
(甚作、甚兵衛に寄り添うて座ろうとする)
村人七 甚作、わりゃ、何しに来ただ。
甚作 おっ母が、ついて行けいうけに。
村人七 何やって、おっ母がそんなことをいうんじゃ。今日の集りは、一揆について行ったものだけの集りじゃぞ。
甚作 じゃけどもな、おっ母が、兄やは少し足らんけにな、寄合の席へやこし、一人でやるのは、心元ないいうけにな。
村人七 えろう、勝手なこと、いいやがるやつじゃのう。そなな心もとない甚兵衛を、どうしてまた、一揆にやこし一人で出したんじゃ。あんまり、得手勝手なことをしていると天罰が恐ろしいぞと、おっ母にいってやれ。
甚作 (言葉もなく黙してしまう)……。
勘五郎 ほんまじゃ。おっ母にな、少しいってやれよ。あんまりひどいことをするとな、人間がゆるしても、神様が許さんていうてな。
(甚作は、顔を赧らめて、さしうつむいてしまう。甚兵衛はにこにこ笑っている)
村人九 ああ、街道筋に提灯が見えるぞう。庄屋どんたちが、帰ったんじゃ。
村人十 おお見える。迎えに行こう。
(一座緊張して、待っている。やがて、迎えに行った村人が、悄然として帰って来る。それに続いて庄屋と名主とが銘々手錠を入れられ、郡奉行の役人たちに守られて、首をうなだれて帰って来る。一座仰天する)
村人たち (口々に)どうしたんじゃ。どななおとがめでそなな目におうたんじゃ。
村年寄甲 茂兵衛様、一体これはどうしたんじゃ。
茂兵衛 子細はあとでお話しする。まず、おしずまり下さい。
村年寄甲 おおしずまるとも。皆静かにせ。村の一大事じゃけに、みんな静かにしてくれ。
(村年寄たち、庄屋を庇うて、座敷へ上げ、郡奉行の役人たちを案内する。庄屋正面へ出る。村人たち、水を打ったように静かになる)
茂兵衛 (老眼をしばたたき一座を見回しながら)かような姿で、御一統にお目にかかり面目のうござる。
村人一 なんのそなな斟酌がいるもんけ。村のために、そなな身にならしゃったことはわかっているでな!
村人たち ほんまじゃ。ほんまじゃ。そなな会釈はいらんぞっ! それよりも早う、話しとくれ。
村年寄甲 しっ、静かに。
茂兵衛 そういわれては、なおさら面目ない。わしらの申し開き拙いによって、かように村中一統の難儀になったのじゃ。
村人一 庄屋どん、そななことよりも、今日の首尾、その手錠の子細を早う話してくれ! 気にかかってしようがないわ。
茂兵衛 そう、おせきなさるな。話すなというても、話さずにはおられんことじゃ。実はな今日新郡奉行筧左太夫様のお役宅へ出たのじゃ。ところが、御奉行様の仰せらるるには、お上が今度の一揆に対しての御沙汰は恩威並びに行うという御趣意じゃと、こう仰せられるのじゃ。それでな、年貢米は、嘆願によって免除する代りに、一揆の発頭人は、一昨日御坊川で磔にした。また、松野八太夫様に礫を打った下手人は、草を分けても詮議するとこう仰せられるのじゃ。
(一座から激しく嘆息がきこえる)
それでな、御奉行様の仰せらるるには、一揆が香東川の堤にさしかかった時は、弦打村の百姓が、真っ先だろうとおっしゃるのじゃ。
村人たち (口々に)それや、嘘じゃ……なんぼ奉行様の仰せでも、それは間違うとる。大間違いじゃ。……大間違いじゃ。
(村人たち口々に打ち消す)
茂兵衛 まあ! 黙って聞いて下され。一揆の発頭人たちが、そう白状したと御奉行様が仰せられているのじゃ。村人たち (銘々嘆息する)……。
茂兵衛 それにな。何より悪いことは、松野様が落馬あそばした所が、地蔵堂の手前で、まぎれものう弦打村の境内じゃ。御奉行様もいわれるのじゃ。弦打村の者が先手にいたといい、松野どのの果てられたところが、村の境内といい、嫌疑がその方たちに懸るのを不祥と諦めいとこう仰せられるのじゃ。それでな、御奉行様内々の仰せでは、村中で評議して下手人を出すにおいては、褒美として、お救い米の高も、他所よりも心をつけてやるとこう仰せられるのじゃ。が、もし三日のうちに下手人が相知れぬにおいては、庄屋を初め名主、村年寄一統を下手人の代りに磔に上げるかも知れないぞ、とこう仰せられるのじゃ。