あらすじ
伊豆の修禅寺を舞台に、源氏の棟梁・頼家の面を作る名工、夜叉王とその娘たちの物語です。頼家は自分の面を後世に残すため、夜叉王に面作を依頼しますが、夜叉王はなかなか完成させられません。完成を焦る頼家は夜叉王の元へ直接赴き、その様子を見た夜叉王の娘・桂は、父に代わって頼家に面を献上します。頼家は桂の美しさに心を奪われ、彼女を側女にしようとしますが、修禅寺に北条家の刺客が現れ、物語は思わぬ方向へ進んでいきます。
(伊豆の修禅寺しゅぜんじ頼家よりいえおもてというあり。作人も知れず。由来もしれず。木彫の仮面めんにて、年を経たるまま面目分明ならねど、いわゆる古色蒼然そうぜんたるもの、来たって一種の詩趣をおぼゆ。当時を追懐してこの稿成る。)


 登場人物
面作師おもてつくりし   夜叉王やしゃおう
夜叉王の娘 かつら
同     かえで
かえでの婿 春彦
源左金吾げんざきんご頼家
下田五郎景安かげやす
金窪兵衛尉行親かなくぼひょうえのじょうゆきちか
修禅寺の僧
行親の家来など

     第一場

伊豆の国狩野かのの庄、修禅寺村(今の修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家。
藁葺わらぶきの古びたる二重家体。破れたる壁に舞楽の面などをかけ、正面に紺暖簾こんのれんの出入口あり。下手に炉を切りて、素焼の土瓶どびんなどかけたり。庭の入口は竹にて編みたる門、外には柳の大樹。そのうしろは畑を隔てて、塔の峰つづきの山または丘などみゆ。元久元年七月十八日。

(二重の上手につづける一間の家体は細工場さいくばにて、三方に古りたる蒲簾がますだれをおろせり。庭さきには秋草の花咲きたるかきに沿うて荒むしろを敷き、姉娘桂、二十歳。妹娘楓、十八歳。相対して紙砧かみぎぬたっている。)

かつら (やがて砧の手をやめる)※(「日+向」、第3水準1-85-25)いっときあまりも擣ちつづけたので、肩も腕もしびるるような。もうよいほどにしてみょうでないか。
かえで とは言うものの、きのうまでは盆休みであったほどに、きょうからは精出して働こうではござんせぬか。
かつら 働きたくばお前ひとりで働くがよい。父様ととさまにも春彦どのにもめられようぞ。わたしはいやじゃ、いやになった。(投げ出すように砧を捨つ)
かえで 貧の手業てわざ姉妹きょうだいが、年ごろ擣ちなれた紙砧を、とかくに飽きた、いやになったと、むかしに変るお前がこのごろの素振りは、どうしたことでござるかのう。
かつら (あざ笑う)いや、昔とは変らぬ。ちっとも変らぬ。わたしは昔からこのようなことを好きではなかった。父さまが鎌倉かまくらにおいでなされたら、わたしらもこうはあるまいものを、名聞みょうもんを好まれぬ職人気質かたぎとて、この伊豆いずの山家に隠れずみ、親につれて子供までもひなにそだち、しょうことなしに今の身の上じゃ。さりとてこのままに朽ち果てようとは夢にも思わぬ。近いためしは今わたしらが擣っている修禅寺紙、はじめはいやしい人の手につくられても、色好紙いろよしがみとよばれて世に出づれば、高貴のお方の手にも触るる。女子おなごとてもその通りじゃ。たとい賤しゅう育っても、色好紙の色よくば、関白大臣将軍家のおそばへも、召しいだされぬとは限るまいに、しずがなりわいの紙砧、いつまで擣ちおぼえたとて何となろうぞ。いやになったと言うたが無理か。
かえで それはおまえが口癖に言うことじゃが、人には人それぞれの分があるもの。将軍家のお側近う召さるるなどと、夢のようなことをたのみにして、心ばかり高う打ちあがり、末はなんとなろうやら、わたしは案じられてなりませぬ。
かつら お前とわたしとは心が違う。妹のおまえは今年十八で、春彦という男を持った。それに引きかえて姉のわたしは、二十歳はたちという今日の今まで、夫もさだめずに過したは、あたら一生を草のに、住み果つまいと思えばこそじゃ。職人風情ふぜいの妻となって、満足して暮すおまえらに、わたしの心はわかるまいのう。(空嘯そらうそぶく)
(楓の婿春彦、二十余歳、奥より出づ。)
春彦 桂どの。職人風情とさも卑しい者のように言われたが、職人あまたあるなかにも、面作師おもてつくりしといえば、世に恥かしからぬ職であろうぞ。あらためて申すに及ばねど、わが日本開闢かいびゃく以来、はじめて舞楽のおもてを刻まれたは、もったいなくも聖徳太子、つづいて藤原淡海公、弘法大師、倉部くらべ春日かすが、この人々より伝えて今に至る、由緒ゆいしょ正しき職人とは知られぬか。
かつら それは職が尊いのでない。聖徳太子や淡海公という、その人々が尊いのじゃ。かの人々も生業なりわいに、面作りはなされまいが……。
春彦 生業にしては卑しいか。さりとは異なことを聞くものじゃの。この春彦が明日にもあれ、稀代のおもてをつくりいだして、天下一の名を取っても、お身は職人風情とあなどるか。
かつら んでもないこと、天下一でも職人は職人じゃ、殿上人や弓取りとは一つになるまい。
春彦 殿上人や弓取りがそれほどに尊いか。職人がそれほどに卑しいか。
かつら はて、くどい。知れたことじゃに……。
(桂は顔をそむけて取り合わず。春彦、むっとして詰めよるを、楓はあわてて押し隔てる。)
かえで ああ、これ、一旦こうと言い出したら、あくまでも言い募るがあねさまの気質、逆ろうては悪い。いさかいはもう止してくだされ。
春彦 その気質を知ればこそ、日ごろ堪忍していれど、あまりと言えばことばが過ぐる。女房の縁につながりて、姉と立つればつけ上り、ややもすればわれを軽しむる面憎つらにくさ。仕儀によっては姉とは言わさぬ。
かつら おお、姉と言われずとも大事ござらぬ。職人風情を妹婿に持ったとて、姉の見得みえにも手柄にもなるまい。
春彦 まだ言うか。
(春彦はまたつめ寄るを、楓は心配して制す。この時、細工場の簾のうちにて、父の声。)
夜叉王 ええ、騒がしい。しずまらぬか。
(これを聴きて春彦は控える。楓は起って蒲簾をまけば、伊豆の夜叉王、五十余歳、烏帽子えぼし筒袖つつそで、小袴にて、のみつちとを持ち、木彫の仮面めんを打っている。ひざのあたりには木のくずなど取り散らしたり。)
春彦 由なきことを言い募って、細工のおさまたげをも省みぬ不調法、なにとぞ御料簡ごりょうけんくださりませ。
かえで これもわたしが姉様に、意見がましいことなど言うたがもとい。姉様も春彦どのも必ずしかって下さりまするな。
夜叉王 おお、なんで叱ろう、叱りはせぬ。姉妹の喧嘩いさかいはままあることじゃ。珍らしゅうもあるまい。時に今日ももう暮るるぞ。秋のゆう風が身にしみるわ。そちたちは奥へ行って夕飯ゆうままの支度、燈火あかりの用意でもせい。
二人 あい。
(桂と楓は起って奥に入る。)
夜叉王 のう、春彦。妹とは違うて気がさの姉じゃ。同じ屋根の下に起きしすれば、一年三百六十日、面白からぬ日も多かろうが、何事もわしに免じて料簡せい。あれを産んだ母親は、そのむかし、都の公家衆くげしゅうに奉公したもの、縁あってこの夜叉王と女夫めおとになり、あずまへ流れ下ったが、育ちが育ちとて気位高く、職人風情に連れ添うて、一生むなしく朽ち果つるを悔みながらに世を終った。その腹を分けた姉妹、おなじたねとはいいながら、姉は母の血をうけて公家気質、妹は父の血をひいて職人気質、子の心がちがえば親の愛も違うて、母は姉贔屓びいき、父は妹贔屓。思い思いに子どもの贔屓争いから、らちもない女夫喧嘩などしたこともあったよ。はははははは。
春彦 そう承われば桂どのが、日ごろ職人をいやしみ嫌い、世にきこえたる殿上人か弓取りならでは、夫に持たぬと誇らるるも、母御ははごの血筋をつたえしため、血は争われぬものでござりまするな。
夜叉王 じゃによって、あれが何を言おうとも、滅多に腹は立てまいぞ。人を人とも思わず、気位きぐらい高う生まれたは、母の子なれば是非がないのじゃ。
(暮の鐘きこゆ。奥より楓は燈台を持ちて出づ。)
春彦 おお、取り紛れて忘れていた。これから大仁おおひとの町まで行って、このあいだあつらえておいたのみ小刀さすがをうけ取って来ねばなるまいか。
かえで きょうはもう暮れました。いっそ明日あすにしなされては……。
春彦 いや、いや、職人には大事の道具じゃ。一刻も早う取り寄せておこうぞ。
夜叉王 おお、職人はその心がけがのうてはならぬ。けぬ間に、ゆけ、行け。
春彦 夜とは申せど通いなれた路、※(「日+向」、第3水準1-85-25)いっときほどに戻って来まする。
(春彦は出てゆく。楓はかどにたちて見送る。修禅寺の僧一人、燈籠とうろうを持ちて先に立ち、つづいて源の頼家卿、二十三歳。あとより下田五郎景安、十七八歳、頼家の太刀をささげて出づ。)
僧 これ、これ、将軍家のおしのびじゃ。粗相があってはなりませぬぞ。
(楓ははッと平伏ひれふす。頼家主従すすみ入れば、夜叉王も出で迎える。)
夜叉王 思いもよらぬお成りとて、なんの設けもござりませぬが、まずあれへお通りくださりませ。
(頼家は縁に腰をかける。)
夜叉王 して、御用の趣は。
頼家 問わずとも大方は察しておろう。わが面体めんていを後のかたみに残さんと、さきにその方を召し出し、頼家に似せたるおもてを作れと、絵姿までもつかわしておいたるに、日をるも出来しゅったいせず、幾たびか延引を申し立てて、今まで打ち過ぎしは何たることじゃ。
五郎 多寡たかが面一つの細工、いかに丹精を凝らすとも、百日とは費すまい。お細工仰せつけられしは当春の初め、その後すでに半年をも過ぎたるに、いまだ献上いたさぬとはあまりの懈怠けたい、もはや猶予は相成らぬと、上様うえさま御機嫌ごきげんさんざんじゃぞ。
頼家 予は生まれついての性急じゃ。いつまで待てど暮せど埒あかず、あまりに歯痒はがゆう覚ゆるまま、この上は使いなど遣わすこと無用と、予がじきじきに催促にまいった。おのれ何ゆえに細工を怠りおるか。仔細をいえ、仔細を申せ。
夜叉王 御立腹おそれ入りましてござりまする。もったいなくも征夷大将軍、源氏の棟梁とうりょうのお姿を刻めとあるは、職のほまれ、身の面目、いかでか等閑なおざりに存じましょうや。御用うけたまわりてすでに半年、未熟ながらも腕限り根かぎりに、夜昼となく打ちましても、意にかなうほどのもの一つもなく、さらに打ち替え作り替えて、心ならずも延引に延引をかさねましたる次第、なにとぞお察しくださりませ。
頼家 ええ、催促の都度におなじことを……。その申しわけは聞き飽いたぞ。
五郎 この上はただ延引とのみで相済むまい。いつのころまでにはかならず出来するか、あらかじめ期日をさだめておわびを申せ。
夜叉王 その期日は申し上げられませぬ。左に鑿をもち、右に槌を持てば、面はたやすく成るものと思し召すか。家をつくり、塔を組む、番匠ばんしょうなんどとは事変りて、これはしょうなき粗木あらきを削り、男、女、天人、夜叉、羅刹らせつ、ありとあらゆる善悪邪正のたましいを打ち込む面作師。五体にみなぎる精力せいりきが、両のかいなにおのずからあつまる時、わがたましいは流るるごとく彼に通いて、はじめて面も作られまする。ただしその時は半月の後か、一月の後か、あるいは一年二年の後か。われながらしかとはわかりませぬ。
僧 これ、これ、夜叉王どの。上様は御自身も仰せらるるごとく、至って御性急でおわします。三島の社の放しうなぎを見るように、ぬらりくらりと取止めのないことばかり申し上げていたら、御疳癖がいよいよ募ろうほどに、こなたも職人冥利みょうり、いつのころまでと日をって、しかと御返事を申すがよかろうぞ。
夜叉王 じゃと言うて、出来ぬものはのう。
僧 なんの、こなたの腕で出来ぬことがあろう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といえば、京鎌倉までも聞えた者じゃに……。
夜叉王 さあ、それゆえに出来ぬと言うのじゃ。わしも伊豆の夜叉王と言えば、人にも少しは知られたもの。たといおとがめ受きょうとも、おのが心に染まぬ細工を、世に残すのはいかにも無念じゃ。
頼家 なに、無念じゃと……。さらばいかなるたたりを受きょうとも、早急さっきゅうには出来ぬというか。
夜叉王 恐れながら早急には……。
頼家 むむ、おのれ覚悟せい。
(癇癖募りし頼家は、五郎のささげたる太刀を引っ取って、あわや抜かんとす。奥より桂、走り出づ。)
かつら まあ、まあ、お待ちくださりませ。
頼家 ええ、退け、のけ。
かつら まずお鎮まりくださりませ。面はただ今献上いたしまする。のう、父様。
(夜叉王は黙して答えず。)
五郎 なに、面はすでに出来しておるか。
頼家 ええ、おのれ。前後不揃ふぞろいのことを申し立てて、予をあざむこうでな。
かつら いえ、いえ、うそいつわりではござりませぬ。面はたしかに出来しておりまする。これ、父様。もうこの上は是非がござんすまい。
かえで ほんにそうじゃ。ゆうべようやく出来したというあの面を、いっそ献上なされては……。
僧 それがよい、それがよい。こなたも凡夫じゃ。名も惜しかろうが、命も惜しかろう。出来した面があるならば、早う上様にさしあげて、お慈悲をねがうが上分別じゃぞ。
夜叉王 命が惜しいか、名が惜しいか。こなた衆の知ったことではない。黙っておいやれ。
僧 さりとて、これが見ていらりょうか。さあ、娘御。その面を持って来て、ともかくも御覧に入れたがよいぞ。早う、早う。
かえで あい、あい。
(かえでは細工場へ走り入りて、木彫の仮面めんを入れたる箱を持ち出づ。桂はうけ取りて頼家の前にささぐ。頼家は無言にて桂の顔をうちまもり、心少しく解けたる体なり。)
かつら いつわりならぬ証拠、これ御覧くださりませ。
(頼家は仮面を取りて打ちながめ、思わず感嘆の声をあげる。)
頼家 おお、見事じゃ。よう打ったぞ。
五郎 上様おん顔に生写しじゃ。
頼家 むむ。(飽かずまもる)
僧 さればこそ言わぬことか。それほどの物が出来していながら、とこう渋っておられたは、夜叉王どのも気の知れぬ男じゃ。ははははは。
夜叉王 (形をあらためる)何分にもわが心にかなわぬ細工、人には見せじと存じましたが、こう相成っては致し方もござりませぬ。方々にはその面をなんと御覧なされまする。
頼家 さすがは夜叉王、あっぱれの者じゃ。頼家も満足したぞ。
夜叉王 あっぱれとの御賞美ははばかりながらおめがね違い、それは夜叉王が一生の不出来。よう御覧ごろうじませ。面は死んでおりまする。
五郎 面が死んでおるとは……。
夜叉王 年ごろあまた打ったる面は、生けるがごとしと人も言い、われも許しておりましたが、不思議やこのたびの面に限って、幾たび打ち直しても生きたる色なく、たましいもなき死人の相……。それは世にある人の面ではござりませぬ。死人の面でござりまする。
五郎 そちはさように申しても、われらの眼にはやはり生きたる人の面……。死人の相とは相見えぬがのう。
夜叉王 いや、いや、どう見直してもしょうある人ではござりませぬ。しかもまなこに恨みを宿し、何者をかのろうがごとき、怨霊おんりょう怪異あやかしなんどのたぐい……。
僧 あ、これ、これ、そのような不吉のことは申さぬものじゃ。御意ぎょいにかなえばそれで重畳ちょうじょう、ありがたくお礼を申されい。
頼家 むむ。とにもかくにもこの面は頼家の意にかのうた。持ち帰るぞ。
夜叉王 って御所望ごしょもうとござりますれば……。
頼家 おお、所望じゃ。それ。
(頼家はあごにて示せば、かつら心得て仮面を箱に納め、すこしくこびを含みて頼家にささぐ。頼家はさらにその顔をじっと視る。)
頼家 いや、なおかさねて主人あるじに所望がある。この娘を予が手もとに召しつかいとう存ずるが、奉公さする心はないか。
夜叉王 ありがたい御意にござりまするが、これは本人の心まかせ、親の口から御返事は申し上げられませぬ。
(桂は臆せず、すすみ出づ。)
かつら 父様。どうぞわたしに御奉公を……。
頼家 うい奴じゃ。奉公をのぞむと申すか。
かつら はい。
頼家 さらばこれよりその面をささげて、頼家の供してまいれ。
かつら かしこまりました。
(頼家は起つ。五郎も起つ。桂もつづいて起つ。楓は姉のたもとをひかえて、心もとなげにささやく。)
かえで 姉さま。おまえは御奉公に……。
かつら おまえは先ほど、夢のような望みと笑うたが、夢のような望みが今かのうた。
(かつらは誇りがに見かえりて、庭に降り立つ。)
僧 やれ、やれ、これで愚僧もまず安堵あんどいたした。夜叉王どの、あすまたいましょうぞ。
(頼家は行きかかりて物につまずく。桂は走り寄りてその手を取る。)
頼家 おお、いつの間にか暗うなった。
(僧はすすみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は仮面の箱を僧にわたし、われは片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はじっと思案の体なり。)
かえで 父さま、お見送りを……。
(夜叉王は初めて心づきたるごとく、娘とともに門口に送り出づ。)
五郎 そちへの御褒美ごほうびは、あらためて沙汰さたするぞ。
(頼家らは相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく黙然としていたりしが、やがてつかつかと縁にあがり、細工場より槌を持ち来たりて、壁にかけたるいろいろの仮面を取り下し、あわや打ち砕かんとす。楓はおどろきて取りすがる。)
かえで ああ、これ、なんとなさる。おまえは物に狂われたか。
夜叉王 せっぱ詰まりて是非におよばず、つたなき細工を献上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのような面が将軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と宝物帳にもしるされて、百千年の後までも笑いをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮しょせん夜叉王の名はすたった。職人もきょう限り、再び槌は持つまいぞ。
かえで さりとは短気でござりましょう。いかなる名人上手でも細工の出来不出来は時の運。一生のうちに一度でもあっぱれ名作が出来ようならば、それがすなわち名人ではござりませぬか。
夜叉王 むむ。
かえで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思し召さば、これからいよいよ精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥をすすいでくださりませ。
(かえでは縋りて泣く。夜叉王は答えず、思案の眼をじている。日暮れて笛の声遠くきこゆ。)

     第二場

おなじく桂川のほとり、虎渓橋こけいきょうの袂。川辺には柳幾本いくもとたちて、すすきあしとみだれ生いたり。橋を隔てて修禅寺の山門みゆ。同じ日の宵。

(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は仮面めんの箱をかかえて出づ。)

五郎 上様は桂どのと、川辺づたいにそぞろ歩き遊ばされ、お供のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋のたもとにたたずみて、お帰りを暫時相待とうか。
僧 いや、いや、それはよろしゅうござるまい。桂殿という嫋女たおやめをお見出しあって、浮れあるきに余念もおわさぬところへ、われわれのごとき邪魔外道げどうが附きまとうては、かえって御機嫌を損ずるでござろうぞ。
五郎 なにさまのう。
(とは言いながら、五郎はなお不安の体にてたたずむ。)
僧 ことに愚僧はお風呂ふろの役、早うもどって支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とておのずと沸いて出づる湯じゃ。支度を急ぐこともあるまいに……。まずお待ちゃれ。
僧 はて、お身にも似合わぬ不粋をいうぞ。若き男女おとこおうながむつまじゅう語ろうているところに、法師や武士は禁物じゃよ。ははははは。さあ、ござれ、ござれ。
(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるるままに、打ち連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
頼家 おお、月が出た。河原づたいに夜ゆけば、芒にまじる芦の根に、水の声、虫の声、山家やまがの秋はまたひとしおの風情ふぜいじゃのう。
かつら れてはさほどにもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事変りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しゅうござりましょう。
(頼家はありあう石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまま、橋の欄にりて立つ。月明らかにして虫の声きこゆ。)
頼家 鎌倉は天下の覇府はふ、大小名の武家小路、いらかをならべて綺羅きらを競えど、それはうわべの栄えにて、うらはおそろしき罪のちまた、悪魔の巣ぞ。人間の住むべきところでない。鎌倉などへは夢も通わぬ。(月を仰ぎて言う)
かつら 鎌倉山に時めいておわしなば、日本一の将軍家、山家そだちのわれわれは下司げすにもお使いなされまいに、御果報つたないがわたくしの果報よ。忘れもせぬこの三月、窟詣いわやもうでの下向路げこうみち、桂谷の川上で、はじめて御目見得をいたしました。
頼家 おお、その時そちの名を問えば、川の名とおなじ桂と言うたな。
かつら まだそればかりではござりませぬ。この窟のみなかみには、二本ふたもとの桂の立木ありて、その根よりおのずから清水を噴き、末は修禅寺にながれて入れば、川の名を桂とよび、またその樹を女夫めおとの桂と昔よりよび伝えておりますると、お答え申し上げましたれば、おまえ様はなんと仰せられました。
頼家 非情の木にも女夫はある。人にも女夫はありそうな……と、ついたわむれに申したのう。
かつら お戯れかは存じませぬが、そのおことば冥加みょうがにあまりて、このがんかならずかなうようと、百日のあいだ人にも知らさず、窟へ日参いたせしに、女夫の桂のしるしありて、ゆくえも知れぬ川水も、うれしき逢瀬おうせにながれ合い、今月今宵おん側近う、召し出されたる身の冥加……。
頼家 武運つたなき頼家の身近うまいるがそれほどに嬉しいか。そちも大方は存じておろう。予には比企ひき判官はんがん能員よしかずの娘若狭わかさといえる側女そばめありしが、能員ほろびしそのみぎりに、不憫ふびんや若狭も世を去った。今より後はそちが二代の側女、名もそのままに若狭と言え。
かつら あの、わたくしが若狭のつぼねと……。ええ、ありがとうござりまする。
頼家 あたたかき湯のくところ、温かき人の情も湧く。恋をうしないし頼家は、ここに新しき恋を得て、心の痛みもようやく癒えた。今はもろもろの煩悩ぼんのうを断って、安らけくこの地に生涯を送りたいものじゃ。さりながら、月には雲のさわりあり。その望みもはかなく破れて、予に万一のことあらば、そちの父に打たせたるかのおもてを形見と思え。叔父の蒲殿かばどのは罪のうして、この修禅寺の土となられた。わが運命も遅かれ速かれ、おなじ路をたどろうも知れぬぞ。
(月かくれて暗し。籠手こて臑当すねあて、腹巻したる軍兵つわもの二人、上下よりうかがい出でて、芒むらに潜む。虫の声にわかにやむ。)
かつら あたりにすだく虫の声、吹き消すように止みましたは……。
頼家 人やまいりし。心をつけよ。
(金窪兵衛尉行親、三十余歳。烏帽子えぼし直垂ひたたれ、籠手、臑当にて出づ。)
行親 うえ、これに御座遊ばされましたか。
頼家 誰じゃ。
(桂は燈籠をかざす。頼家すかしみる。)
行親 金窪行親でござりまする。
頼家 おお、兵衛か。鎌倉おもてより何としてまいった。
行親 北条殿のおん使いに……。
頼家 なに、北条殿の使い……。さてはこの頼家を討とうがためな。
行親 これは存じも寄らぬこと。御機嫌伺いとして行親参上、ほかに仔細もござりませぬ。
頼家 言うな、兵衛。物の具に身をかためて夜中の参入は、察するところ、北条の密意をうけて予を不意撃ちにする巧みであろうが……。
行親 天下ようやく定まりしとは申せども、平家の残党ほろびつくさず。かつは函根はこねより西の山路に、盗賊ども徘徊はいかいする由きこえましたれば、路次の用心としてかようにいかめしゅう扮装いでたち申した。上に対したてまつりて、不意撃ちの狼藉ろうぜきなんど、いかで、いかで……。
頼家 たといいかように陳ずるとも、憎き北条の使いなんどに対面無用じゃ。使いの口上聞くにおよばぬ。帰れ、かえれ。
(行親は騒がず。しずかに桂をみかえる。)
行親 これにある女性にょしょうは……。
頼家 予が召仕いの女子おなごじゃよ。
行親 おんつつしみの身をもって、素性すじょうも得知れぬいやしの女子どもを、おん側近う召されしは……。
(桂は堪えず、すすみ出づ。)
かつら 兵衛どのとやら、お身は卜者うらやか人相見か。初見参ういげんざんのわらわに対して、素姓賤しき女子などと、迂濶うかつに物を申されな。わらわは都のうまれ、母は殿上人にも仕えし者ぞ。まして今は将軍家のおそばに召されて、若狭の局とも名乗る身に、一応の会釈もせで無礼の雑言ぞうごんは、鎌倉武士というにも似ぬ、さりとは作法をわきまえぬ者のう。
冷笑あざわらわれて、行親は眉をひそめる。)
行親 なに。若狭の局……。して、それは誰に許された。
頼家 おお、予が許した。
行親 北条どのにもはからせたまわず……。
頼家 北条がなんじゃ。おのれらは二口目には北条という。北条がそれほどに尊いか。時政も義時も予の家来じゃぞ。
行親 さりとて、尼御台あまみだいもおわしますに……。
頼家 ええ、くどい奴。おのれらの言うこと、聴くべき耳は持たぬぞ。退すされ、すされ。
行親 さほどにおむずかり遊ばされては、行親申し上ぐべきようもござりませぬ。仰せに任せて今宵はこのまま退散、委細は明朝あらためて見参の上……。
頼家 いや、重ねて来ること相成らぬぞ。若狭、まいれ。
(頼家は起ち上りて桂の手を取り、打ち連れて橋を渡り去る。行親はあとを見送る。芒のあいだに潜みし軍兵つわもの出づ。)
兵一 先刻より忍んで相待ち申したに、なんの合図もござりませねば……。
兵二 手を下すべきおりもなく、空しく時を移し申した。
行親 北条殿の密旨をこうむり、近寄って討ちたてまつらんと今宵ひそかに伺候したるが、さすがは上様、早くもそれとさとられて、われに油断を見せたまわねば、無念ながらも仕損じた。この上は修禅寺の御座所へ寄せかけ、多人数一度にこみ入って本意を遂ぎょうぞ。上様は早業の達人、近習きんじゅうの者どもにも手だれあり。小勢の敵と侮りて不覚を取るな。場所は狭し、夜いくさじゃ。うろたえて同士撃どしうちすな。
兵 はっ。
行親 一人はこれより川下へ走せ向うて、村の出口に控えたる者どもに、即刻かかれと下知げじを伝えい。
兵一 心得申した。
(一人は下手に走り去る。行親は一人を具して上手に入る。木かげより春彦、うかがい出づ。)
春彦 大仁おおひとの町からもど路々みちみちに、物の具したる兵者つわものが、ここに五人かしこに十人たむろして、出入りのものを一々詮議するは、合点がてんがゆかぬと思うたが、さては鎌倉の下知によって、上様を失いたてまつる結構な。さりとは大事じゃ。
遠近おちこちにて寝鳥ねとりのおどろき起つ声。下田五郎は橋を渡りて出づ。)
五郎 常はさびしき山里の、今宵は何とやらん物さわがしく、事ありげにも覚ゆるぞ。念のために川の上下かみしもを一わたり見廻みまわろうか。
春彦 五郎どのではおわさぬか。
五郎 おお、春彦か。
(春彦は近づきてささやく。)
五郎 や、なんと言う。金窪の参入は……。上様を……。しかと左様か。むむ。
(五郎はあわただしく引っ返しゆかんとする時、橋の上より軍兵一人長巻ながまきをたずさえて出で、無言にて撃ってかかる。五郎は抜きあわせて、たちまちって捨つ。軍兵数人、上下より走り出で、五郎を押っ取りまく。)
五郎 やあ、春彦。ここはそれがしが受け取った。そちは御座所へ走せ参じて、この趣を注進せい。
春彦 はっ。
(春彦は橋をわたりて走り去る。五郎は左右に敵を引き受けて奮闘す。)

     第三場

もとの夜叉王の住家。夜叉王はかどにたちて望む。修禅寺にて早鐘を撞く音きこゆ。

(向うより楓は走り出づ。)

かえで 父様。夜討ちじゃ。
夜叉王 おお、むすめ。見て戻ったか。
かえで 敵は誰やらわからぬが、人数はおよそ二三百人、修禅寺の御座所へ夜討ちをかけましたぞ。
夜叉王 にわかにきこゆる人馬の物音は、何事かと思うたに、修禅寺へ夜討ちとは……。平家の残党か、鎌倉の討手か。こりゃ容易ならぬ大変じゃのう。
かえで 生憎あやにくに春彦どのはありあわさず、なんとしたことでござりましょうな。
夜叉王 われわれがうろうろ立ち騒いだとてなんの役にも立つまい。ただそのなりゆきを観ているばかりじゃ。まさかの時には父子おやこが手をひいて立ち退くまでのこと。平家が勝とうが、源氏が勝とうが、北条が勝とうが、われわれにはかかり合いのないことじゃ。
かえで それじゃと言うて不意のいくさに、姉様あねさまはなんとなさりょうか。もし逃げ惑うて過失あやまちでも……。
夜叉王 いや、それも時の運じゃ、是非もない。姉にはまた姉の覚悟があろうよ。
(寺鐘と陣鐘とまじりてきこゆ。楓は起ちつ居つ、幾たびか門に出でて心痛のてい。向うより春彦走り出づ。)
かえで おお、春彦どの。待ちかねました。
春彦 寄せ手は鎌倉の北条方、しかも夜討ちの相談を、測らず木かげで立聴きして、その由を御注進申し上ぎょうと、修禅寺まではけつけたが、前後の門はみな囲まれ、つばさなければ入ることかなわず、残念ながらおめおめ戻った。
かえで では、姉様の安否も知れませぬか。
春彦 姉はさておいて、上様の御安否さえもまだわからぬ。小勢ながらも近習の衆が、火花をちらして追っつ返しつ、今が合戦最中じゃ。
夜叉王 なにを言うにも多勢に無勢、御所方ごしょがたとても鬼神ではあるまいに、勝負は大方知れてある。とても逃れぬ御運の末じゃ。蒲殿といい、上様と言い、いかなる因縁かこの修禅寺には、土の底まで源氏の血がみるのう。
(寺鐘烈しくきこゆ。春彦夫婦は再び表をうかがい見る。)
かえで おお、おびただしい人の足音……。しのぎを削る太刀の音……。
春彦 ここへも次第に近づいてくるわ。
(桂は頼家の仮面を持ちて顔には髪をふりかけ、直垂ひたたれを着て長巻を持ち、手負ておいの体にて走り出で、門口に来たりて倒る。)
春彦 や、誰やら表に……。
(夫婦は走り寄りてたすけ起し、庭さきに伴い入るれば、桂はまた倒れる。)
春彦 これ、傷は浅うござりまするぞ。心を確かに持たせられい。
かつら (息もたゆげに)おお妹……。春彦どの……。父様はどこにじゃ。
夜叉王 や、なんと……。
(夜叉王は怪しみて立ちよる。桂は顔をあげる。みなみな驚く。)
春彦 や、侍衆さむらいしゅうとおもいのほか……。
夜叉王 おお、娘か。
かえで 姉さまか。
春彦 して、このていは……。
かつら 上様お風呂を召さるる折から、鎌倉勢が不意の夜討ち……。味方は小人数、必死にたたかう。女でこそあれこの桂も、御奉公はじめの御奉公納めに、このおもてをつけてお身がわりと、早速さそくの分別……。月の暗きを幸いに打物とって庭におり立ち、左金吾頼家これにありと、呼ばわり呼ばわり走せ出づれば、むらがる敵は夜目遠目に、まことの上様ぞと心得て、うちらさじと追っかくる。
夜叉王 さては上様お身替りと相成って、この面にて敵をあざむき、ここまで斬り抜けてまいったか。(血に染みたる仮面めんを取りてじっと視る)
春彦 われわれすらも侍衆と見あやまったほどなれば、敵のあざむかれたも無理ではあるまい。
かえで とは言うものの、あさましいこのお姿……。姉様死んで下さりまするな。(取り縋りて泣く)
かつら いや、いや。死んでもうらみはない。しず伏屋ふせやでいたずらに、百年千年生きたとて何となろう。たとい※(「日+向」、第3水準1-85-25)はんとき※(「日+向」、第3水準1-85-25)でも、将軍家のおそばに召し出され、若狭の局という名をも給わるからは、これで出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。
(云いかけて弱るを、春彦夫婦は介抱す。夜叉王は仮面をみつめて物言わず。以前の修禅寺の僧、頭より袈裟けさをかぶりて逃げ来たる。)
僧 大変じゃ、大変じゃ。かくもうて下され、隠もうてくだされ。(内に駈け入りて、桂を見てまたおどろく)やあ、ここにも手負いが…。おお、桂殿……。こなたもか。
かつら して、上様は……。
僧 おいたわしや、御最期じゃ。
かつら ええ。(這い起きてきっと視る)
僧 上様ばかりか、御家来衆も大方は斬り死……。わしらも傍杖そばづえの怪我せぬうちと、命からがら逃げて来たのじゃ。
春彦 では、お身がわりの甲斐かいもなく……。
かえで ついにやみやみ御最期か。
(桂は失望してまた倒る。楓は取りつきて叫ぶ。)
かえで これ、姉さま。心を確かに……。のう、父様。姉さまが死にまするぞ。
(今まで一心に仮面をみつめたる夜叉王、はじめて見かえる。)
夜叉王 おお、姉は死ぬるか。姉もさだめて本望であろう。父もまた本望じゃ。
かえで ええ。
夜叉王 幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸しんに入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。(快げに笑う)
かつら (おなじく笑う)わたしもあっぱれお局様じゃ。死んでも思いおくことない。ちっとも早う上様のおあとを慕うて、冥土めいどのおん供……。
夜叉王 やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。苦痛をこらえてしばらく待て。春彦、筆と紙を……。
春彦 はっ。
(春彦は細工場に走り入りて、筆と紙などを持ち来たる。夜叉王は筆を執る。)
夜叉王 娘、顔をみせい。
かつら あい。
(桂は春彦夫婦に扶けられて這いよる。夜叉王は筆を執りて、その顔を模写せんとす。僧は口のうちにて念仏す。)

――幕――

底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社
   1970(昭和45)年7月5日初版発行
初出:「文芸倶楽部」
   1911(明治44)年1月
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年4月30日作成
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