此処に赤坊が生れたと仮定します。其の赤坊が華族の家の何不足無いところに生れたとします。する時は此の赤坊は自然に比較的幸福であります。又食ふや食はずの貧乏の家で、父たる者は何処かへ漂浪してしまつて居るやうな場合の時、たゞ一人の淋しい生活をして居る婦人から生れたと致します。然る時はこの赤坊は自然に比較的不幸福であります。善事をした訳でも悪事をしたわけでも無くて、貴家に生れると窮乏の家に生れるとで其の赤坊の運命は大なる差があります。この大なる差を赤坊のせゐにするのは不道理でして、これは前定的運命を其赤坊が負うて居るのです。また同じ赤坊でも器量良く生れるのも、器量悪く生れるのもあります。誰も美しく生れたいと思つて生れたものも無く、醜く生れたいと思つたものも無い、天然自然に親にあやかり、又は先祖にあやかり、他の者にあやかつて生れるだけの事ですが、美しく生れたものは其の美しく生れたために、醜く生れたものとは自然に異つた運命を有する訳になります。ですから是は運命前定にちがひ有りません。
 鄭伯のやうに生れ方が普通で無かつたために、奇妙な運命に絡まれた人もあります。鄭伯は寤生と云つて、(母の眠つてゐた間に生れた、即ち眠り産であつたといふ説と、逆さ子で難産であつたといふ説と二説ありますが)兎に角に母の気持を悪くした生れ方をした人ですが、其は勿論其の嬰児がわざと然様した訳でも何でも有りません。ところが母は其の気持の悪かつたために、嫡子で有るに関らずこれに対して愛が薄くなるのを免れませんでした。そして其為に後から生れた弟の方を愛して、弟の方へ国を譲りたいやうなこゝろが母に起りました。そこで大変な騒動が起り、干戈を動かすやうな事が出来た事が古い歴史にあります。此等は実に奇妙な運命を其子が生れる時に荷つて生れたもので、運命前定論を支へる一ツの稀なる事件です。稀有な事は議論の力強い材料にはなりませぬが、是の如き稀有なる事を申出さずとも、誰でも彼でも自分が時を撰び、処を撰び、家を撰び、自分の体質相貌等を撰んで生れたので無いといふことに思ひ当つたならば、自然に運命前定が少くとも一半は真理であるといふことを思ふでせう。運命が無いなぞといふことは何程自惚の強い人でも云ひ得ない事でせう。
 けれども運命前定は一半だけ真実の事実でして、全部運命は前定して居るものだなぞと思つては確にそれは間違です。随つて運命前定説から生れる運命測知術、即ちいろ/\の占卜の術などを神聖のもののやうに思つては、人間たるものの本然の希望、即ち向上心といふ高いものを蹂躪する卑屈の思想に墜ちて終ひまして甚だ宜しく無い、即ちそれは現在相違といふ過失に陥ります。人は生きて居る間は向上進歩の望を捨てることは出来ぬものであります。これは即ち端的の現在事実です。此の現在事実に背くことを考へるのは、現在相違といふ下らないことです。
 前に申しました占星術の如きは仮令幾多の事例が有りましたとて、何で今の人がこれを念頭に上せませうか。諸葛孔明が死んだ時に大きな星が墜ちた、それを観て敵の司馬懿が孔明の死を悟つて攻寄せたなどといふ談は、軍談では面白いことですが、それは勿論たゞお話です。そんな事が真実ならば、人は一※(二の字点、1-2-22)天の星の一※(二の字点、1-2-22)に相応して居る訳で、星の数と人の数と同じで無ければならぬことになります。英雄豪傑は赤い星、美人才女は美しい星、兇悪の人は箒星、平凡の人は糠星や見えないやうな星、をかしな人は夜這星なんて、そんな馬鹿気た事が何処にありませう。生れた年月日時によつて人の運命が定められてはたまりません。御亭主が暦を披いて十干十二支を調べながら産婦に対つて、「丁度好い日だぞ上※(二の字点、1-2-22)吉の日だぞ、かの子や、今日の三時に男の子を生め、はやくイキンで生め」なぞと云つたり、「今日は悪日だ、辛抱して明日の朝まで産むな」なぞと云ふことになつたら堪るものではありません。古い人でも流石に道理の分つた人がありまして、漢の王充といふ人が申して居りますが、秦と趙と戦つた時、秦の白起といふ猛将が趙の降参の兵卒四十万人を殺して終つた事がある。其の四十万人が皆同じ年月の生れであつたか、何様だ、そんな事は思へまい、してみれば生れ年月で運命が何様の彼様のといふのは当になるまい、と論じて居ります。ルシタニヤ号の沈没、先年の大地震、一時に大勢死んで居ります。それが一※(二の字点、1-2-22)何で生れ年月の如何に因りませう。二十八宿や七曜や九星や、いづれも当にする人には当になるか知りませぬが、当にならないと思つた日には何で当になりませう。まるで夢見たやうな事ではありますまいか。方位によつて従来行動の吉凶祝福を申しまするのも、二千年も前の慰繚子といふ兵法家が既に嘲笑つて居りまして、方角の好否で戦の勝敗が定まつて堪るものかと申して居ります位です。支那の古い人でさへ其通りです、今の人が何で理を観ること古の人に及ばぬやうな下らぬ考を持つて居られませうや。
 人の相貌骨格も其当人が自分で定めたものでありませぬから、先づ運命前定説が一半だけは是認せられる訳でして、何様も不美人に生れついては男子に愛されぬ勝で、醜夫に生れついては婦人の悦ぶところとならぬ勝ですから、鏡に対して憮然たる人も世に多い訳ですが、幸にして人間は牛や馬ではありません。自分で自分を向上させることの出来るものですから、無理に隆鼻術の施行や美容法研究をせずとも、「此に欠くるところも彼に増すこともあれば又以て自ら善くするに足る」道理で、のみ苦にするには当りません。例を申せば、無塩君は醜婦でありましたが破格の出世を致しました。小町は美人であつたが卒塔婆小町の悲境に落ちました。支那の大哲老子の母は非常に醜婦であつたと伝へられて居ます。希臘の賢人に醜貌の人のあつたは誰も知つてゐる事です。諸葛孔明は実に立派な人ですが、其の妻を娶るに当つては特と醜婦を択びましたので、当時小歌を作つて其事を囃したものがあります。日本でも毛利の麒麟児と云はれた一英雄はわざと孔明の所為を学びました。孔明の妻となり老子の母となつては、醜婦の鼻も亦甚だ高い訳ではありませんか。アルシビアデスは非常の美男子で雄材の人ですが、其終をくしては居りませぬ。澹台子羽は容貌の揚らないので孔子様にさへ軽く視られましたが、徳を修め道に進んだので、後に至つて孔子様も吾が失敗であつたと歎ぜられたとあります。美しい醜いといふことは確に其人に利益不利益を与へますが、それでさへ必ずしも利不利を与へるとは限りません。美人薄命といふ語さへあつて、美しい為に不利を亨けた例は歴史にも伝説にも余るほどあります。人相家の方では、世俗の美しいといふのには却て宜しく無く、世俗が醜いといふのに却て宜しいとするのが甚だ多いのでありますが、美醜の論だけに於てさへ前に申しました通り、必ずしも何様の彼様のといふことは定められぬのであります。それで二千年の遠い古の荀子といふ学者さへ非相論を著はして、相貌によつて運命が定められているといふ思想を粉砕して居るのであります。単に相貌から申しますれば、孔子様は陽虎といふ詰らぬ人によくて居られたので人違をされた位ですが、陽虎の人となりや運命が孔子様とは大変な相違であつたことに誰しも異論はありません。
 人相家の説に反対した人は遠い古から俊秀の人に何程有つたか知れません。よし一歩も二歩も譲つて、相貌骨格を以て人の運命が定まつて居るものとしましたところで、人相といふものは変るもので有りますから、人相が既に変る以上は運命もまた変る訳でして、して見れば心掛や所行や境遇によつて運命もどし/\変ると考へて正当であります。こゝに極※(二の字点、1-2-22)長寿の相の有る人が居ますとしましても、其人が河豚を無暗に食べたり、大酒をしたり荒淫を敢てしたりすると致しますれば、甚だ其の高寿であり得るといふことは危いので有りまして、日※(二の字点、1-2-22)に其の長寿の相は変ずるで有りませう。太い蝋燭でも風吹きの場処に置けば疾く竭きて終ひ、細い蝋燭でも風陰に置けば長く保つ道理で、世間には丈夫な人が早死し、病弱な人が長寿する例は何程もあります。易に、つねに病み、つねに死せず、といふ文句がありますが、実に然様いふ事も世に多い例です。心掛次第で人相が悪く生れて居てもくなりますところが、実に人相に取つて或程度までは人相の信ぜられる理由です。
 これは実に人相の面白いところで、勝れた人相家が適中した判断を為し得るのも、其の変るところを知つて居るからでして、若し人相が生れた儘に全然変化せぬものでしたならば、人相論も現在相違になりますから、成立たぬものになりますが、相貌は変るものですから、そこで人相論は現在相違になりませんで、そして運命前定説を一半だけ是認し、又後一半は運命は其人の心掛次第で善くも悪くもなるといふ運命非前定説を伴ふことが出来るのです。手早く例を申しませうならば、同じ人でも酒に酔へば、其酔はぬ時とは人相は相違致します。酔うても骨格は変らぬが、一時間か二時間の事で気色は変つて終ひます。酔うて宜しい相になる人も有りますが、十の九までは酔うた相は宜しくありません。即ち悪変するのです。心が其舎を守らないで浮動泛濫する相になりますから、其相は過失に近づき易い相になるのであります。此道理で悪企わるだくみを始めれば悪い相になります、善行善意を心掛けると善い相になります。されば仏経には、布施は美のもとであるといふやうに説いてあります。仁心が即ち布施の根本でありますが、仁心を始終抱いて居ますれば、自然に其の香が露はれて来まして美しくなる道理で有ります。斉の賢人の管仲の書に、悪女怨気を盛るといふ語が有りまするが、醜婦が怨みの心を抱いた人相などは有り難くない者の頂上で、愈※(二の字点、1-2-22)悪い相になりませうが、いくら悪女でも仁心を抱いて居れば必ず見づらいものでは有りませぬ。是故このゆゑに相は心を追うて変ずるもので有りまして、心掛次第行為次第で相貌は変じ、従つて運命も変ずるものであります。
 かやうな訳で、運命は全く前定して居るものとすることは虚言うそであります、又全く前定して居ないと申すのも虚言であります。一半は前定して居ると申して宜しい、然し一半は心掛次第行為次第で善くもなり悪くもなると申して宜しい。天然自然に定まつて居るものを先天的運命と申しますならば、当人の心掛や行為より生ずるのを後天的運命と申しませう。自己の修治によつて後天的運命を開拓して、或は先天的運命を善きが上にも善くし、或は先天的運命の悪いのをも善くして行くのが、真の立派な人と申しますので、歴史の上に光輝を残して居る人の如きは、大抵後天的運命を開拓した人なのであります。徒に運命を論ずるが如きは聖賢と雖も御遠慮なさることであります。まして不学凡才の身を以て運命を論じたり、運命を測知しようとするが如きは、蜉蝣といふ虫が大きな樹をうごかさうとするに類したもので、甚だ詰らぬことであります。されば「如何にあるべきか」を考へるより「如何に為すべきか」を考へる方が、吾人に取つて賢くも有り正しくも有ることであるといふ言は、真実に吾人に忠実な教であります。

底本:「日本の名随筆96 運」作品社
   1990(平成2)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 第三〇巻(二刷)」岩波書店
   1979(昭和54)年7月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
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