あらすじ
「若菜集」は、島崎藤村が20代後半に発表した歌集です。自然の風景や人間の心の機微を、繊細で美しい言葉で表現した作品として知られています。そこには、若者ならではの純粋な感情、恋心、そして人生への深い思索が、瑞々しい感性で歌われています。晩年の藤村とはまた違った、若き日の藤村の心情に触れることができるでしょう。
こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ

ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ

そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと

一 秋の思


  秋

秋は
  秋は来ぬ
一葉ひとはは花は露ありて
風の来てく琴の音に
青き葡萄ぶどうは紫の
自然の酒とかはりけり

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草あきぐさ
みな夕霜ゆふじものおきどころ
笑ひの酒を悲みの
さかづきにこそつぐべけれ

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
くさきも紅葉もみぢするものを
たれかは秋に酔はざらめ
智恵ちえあり顔のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはむ

  初恋

まだあげめし前髪まへがみ
林檎りんごのもとに見えしとき
前にさしたる花櫛はなぐし
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅うすくれなゐの秋の
人こひめしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋のさかづき
君がなさけみしかな

林檎畑のの下に
おのづからなる細道ほそみち
が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

  狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の
人なきときによるいでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめるわが

  髪を洗へば

髪を洗へば紫の
小草をぐさのまへに色みえて
足をあぐれば花鳥はなとり
われにしたが風情ふぜいあり

目にながむれば彩雲あやぐも
まきてはひらく絵巻物えまきもの
手にとる酒は美酒うまざけ
若きうれひをたゝふめり

耳をたつれば歌神うたがみ
きたりてたまふえを吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな

  君がこゝろは

君がこゝろは蟋蟀こほろぎ
風にさそはれ鳴くごとく
朝影あさかげきよ花草はなぐさ
しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴たまごと
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなるわがこひに
触れたまはぬぞうらみなる

  かさのうち

二人ふたりしてさす一張ひとはり
傘に姿をつゝむとも
なさけの雨のふりしきり
かわくもなきたもとかな

顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花ばいかの油黒髪くろかみ
乱れてにほふ傘のうち

恋の一雨ひとあめぬれまさり
ぬれてこひしき夢の
染めてぞ燃ゆる紅絹もみうらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばしなさけを捨てよかし
いづこも恋にたはぶれて
それ忠兵衛ちゅうべえの夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙をさぬ
手に手をとりて行きて帰らじ

  秋に隠れて

わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰ゆふぐれ
秋にかくれて窓にさくなり

  知るや君

こゝろもあらぬ秋鳥あきどり
声にもれくる一ふしを
        知るや君

深くもめる朝潮あさじほ
底にかくるゝ真珠しらたま
        知るや君

あやめもしらぬやみの夜に
しづかにうごく星くづを
        知るや君

まだきも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の
        知るや君

  秋風の歌
さびしさはいつともわかぬ山里に
    尾花みだれて秋かぜぞふく

しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲しらくも
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影ゆふかげ高く秋は黄の
きりこずゑの琴の
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風にしかぜ吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべのうづら巣にかく

ふりさけ見れば青山あをやま
色はもみぢに染めかへて
霜葉しもばをかへす秋風の
そら明鏡かがみにあらはれぬ

すずしいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢにきたるとき

道を伝ふる婆羅門ばらもん
西に東に散るごとく
吹き漂蕩ただよはす秋風に
ひるがへり行くかな

朝羽あさばうちふる鷲鷹わしたか
明闇あけくれそらをゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
はねに声あり力あり

見ればかしこし西風の
山のの葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉ももはを落すとき

人は利剣つるぎふるへども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世ときよをのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり

高くもはげし野も山も
息吹いぶきまどはす秋風よ
世をかれ/″\となすまでは
吹きもむべきけはひなし

あゝうらさびし天地あめつち
つぼうちなる秋の日や
落葉と共にひるがへ
風の行衛ゆくへを誰か知る

  雲のゆくへ

庭にたちいでたゞひとり
秋海棠しゅうかいどうの花を分け
空ながむれば行く雲の
さらに秘密をひらくかな

  小詩二首

    一

ゆふぐれしづかに
     ゆめみんとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府よみまでも
     かけりゆかん

    二

しづかにてらせる
     月のひかりの
などか絶間なく
     ものおもはする
さやけきそのかげ
     こゑはなくとも
みるひとの胸に
     忍び入るなり

なさけはくとも
     なさけをしらぬ
うきよのほかにも
     ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
     この月かげと
いづれか声なき
     いづれかなしき

  強敵

一つの花にちょう蜘蛛くも
小蜘蛛は花をまもり顔
小蝶は花に酔ひ顔に
舞へども/\すべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶のまひをいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼つばさも軽き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ

  別離
人妻をしたへる男の山に登り其
女の家を望み見てうたへるうた

たれかとゞめん旅人たびびと
あすは雲間くもまに隠るゝを
誰か聞くらん旅人の
あすは別れと告げましを

きよき恋とやかたがひ
われのみものを思ふより
恋はあふれてにごるとも
君に涙をかけましを

人妻ひとづま恋ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてはわれを罪人つみびと
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬしや身は
くるしきこひの牢獄ひとやより
罪の鞭責しもとをのがれいで
こひて死なんと思ふなり

たれかは花をたづねざる
誰かは色彩いろに迷はざる
誰かは前にさける見て
花をまんと思はざる

恋の花にもたはむるゝ
嫉妬ねたみちょうの身ぞつらき
二つのはねもをれ/\て
つばさの色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいや/\深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
はすさかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
はぎさかばやと思ふかな

待つまも早く秋は
わが踏む道に萩さけど
にごりて待てるわが恋は
清きうらみとなりにけり

  望郷
寺をのがれいでたる僧のうたひ
しそのうた

いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺みてら蔵裏くり白壁しらかべ
眼にもふたたび見ゆるかな

いざさらば
住めば仏のやどりさへ
火炎ほのほいへとなるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしきちりにわれは焼けなむ
[#改段]

二 六人の処女をとめ


  おえふ

処女をとめぬるおほかたの
われは夢路ゆめぢを越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河やまかはをながむれば

みづしづかなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の桜の花影はなかげ
われは処女をとめとなりにけり

都鳥みやこどりく大川に
流れてそゝぐ川添かはぞひ
白菫しろすみれさく若草わかぐさ
夢多かりしわが身かな

雲むらさきの九重ここのへ
大宮内につかへして
清涼殿せいりょうでんの春の
月の光に照らされつ

雲をちりばなみ
かすみをうかべ日をまねく
玉のうてな欄干おばしま
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀かがやくさまを目にも見て
ときめきたまふさま/″\の
ひとりのころものをかげり

きらめきむる暁星あかぼし
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

あまつみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
の夕暮に消えて行く
ひいでし人の末路はても見き

春しづかなる御園生みそのふ
花に隠れて人を
秋のひかりの窓に
夕雲とほき友を恋ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内のかど
けふ江戸川に来て見れば
秋はさみしきながめかな

桜の霜葉しもは黄に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水静かにて
あゆみは遅きわがおもひ

おのれも知らず世をれば
若きいのちに堪へかねて
岸のほとりの草を
微笑ほほゑみて泣く吾身かな

  おきぬ

みそらをかける猛鷲あらわし
人の処女をとめの身に落ちて
花の姿に宿やどかれば
風雨あらしかわき雲に
天翅あまかけるべきすべをのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪くろかみ長き吾身こそ
うまれながらの盲目めしひなれ

芙蓉ふようさきの身とすれば
なみだは秋の花の露
小琴をごとさきの身とすれば
うれひは細き糸の音
いまさきの世は鷲の身の
処女にあまる羽翼つばさかな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき浅茅生あさぢふ
茂れる宿やどと思ひなし
身はすべもなき蟋蟀こほろぎ
よる野草のぐさにはひめぐり
たゞいたづらにをたてて
うたをうたふと思ふかな

いろにわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらもそらの鳥
猛鷲あらわしながら人の身の
あめつちとに迷ひゐる
身の定めこそ悲しけれ

  おさよ

うしほさみしき荒磯あらいそ
巌陰いはかげわれは生れけり

あしたゆふべの白駒しろごま
故郷ふるさと遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この年までの処女をとめとは

うれひは深く手もたゆく
むすぼほれたるわがおもひ

流れてあつきわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

みだれてものに狂ひよる
心を笛のに吹かん

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけりとをの指

にこそかわ口唇くちびる
笛をたづぬる風情ふぜいあり

はげしく深きためいきに
笛の小竹をだけや曇るらん

髪は乱れて落つるとも
まづ吹き入るゝ気息いき

力をこめし一ふしに
黄楊つげのさしぐし落ちてけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛のふし
長きおもひのなからずや

七つのこころ声を得て
をこそきかめ歌神うたがみ

われよろこびを吹くときは
鳥もこずゑをとゞめ

いかりをわれの吹くときは
を行く魚もふちにあり

われかなしみを吹くときは
獅子ししも涙をそゝぐらむ

われたのしみを吹くときは
虫も鳴くをやめつらむ

愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

にくみをわれの吹くときは
散り行く花もとどまりて

よくおもひを吹くときは
心のやみひびきあり

うたへ浮世うきよの一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

くるしむなかれわが友よ
しばしは笛のに帰れ

落つる涙をぬぐひきて
静かにきゝね吾笛を

  おくめ

こひしきまゝに家を
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと来て見れば
千鳥鳴くなり夕まぐれ

こひには親も捨てはてて
やむよしもなき胸の火や
びんの毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波かはなみ暗く瀬を早み
流れていはくだくるも
君を思へば絶間なき
恋の火炎ほのほかわくべし

きのふの雨の小休をやみなく
水嵩みかさや高くまさるとも
よひ/\になくわがこひの
涙の滝におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥はなとりの絵にあらじかし
空鏡かがみ印象かたち砂の文字
梢の風の音にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々ををしき君の手に触れて
嗚呼ああ口紅くちべにをその口に
君にうつさでやむべきや

恋は吾身のやしろにて
君は社の神なれば
君の祭壇つくゑの上ならで
なににいのちをささげまし

くだかば砕け河波かはなみ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなん

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎ほのほなり
思ひ乱れて嗚呼恋の
千筋ちすぢの髪の波に流るゝ

  おつた

ほの見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命わがいのち
朧々おぼろおぼろ父母ちちはは
二つの影と消えうせて
世に孤児みなしごの吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若きひじりに救はれて
人なつかしき前髪まへがみ
処女をとめとこそはなりにけれ

若きひじりののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇くちびるにふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命のしからば
嗚呼ああかの酒を飲むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖はたまも酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道のまよひとなるなかれ
かくいひたまふうれしさに
なさけも道の一つなり
かゝるおもひを見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隠して今もはなたじ

  おきく

くろかみながく
    やはらかき
をんなごころを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごころの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    びんの毛を
黄楊つげ小櫛をぐし
    かきあげよ

あゝつきぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なんと
    よみいでし
あつきなさけは
    がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衛はいづれ
    恋か名か
忠兵衛も名の
    ために

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごころは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
へびとなれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫さよひめ
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき
[#改段]

三 生のあけぼの


  草枕

夕波くらくく千鳥
われは千鳥にあらねども
心のはねをうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋ひとすぢ
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉あしはを洗ふ白波の
流れていはを出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめをたづ
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらん

われもそれかやうれひかや
野末のずゑに山に谷蔭たにかげ
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

おもひも薄く身も暗く
残れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲あさぐもにたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨ゆふあめにたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉と身をなして
風に吹かれてひるがへ
朝の黄雲きぐもにともなはれ
よる白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ乱れてみちのくの
宮城野みやぎのにまで迷ひきぬ

心の宿やどの宮城野よ
乱れて熱きわが身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風をこと
悲み深き吾目には
色彩いろなき石も花と見き

あゝ孤独ひとりみ悲痛かなしさ
味ひ知れる人ならで
たれにかたらん冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空冬雲におほはれて
身にふりかゝる玉霰たまあられ
そでの氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風つよ
小川の水の薄氷
氷のしたに音するは
流れて海に行く水か

いて羽風はかぜもたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空さむぞら
なれも荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてて
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔ふて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び
声もあはれのその歌は

うれしや物のきて
野末をかよふ人の子よ
声調しらべひく手も凍りはて
なにかどづけの身のはて

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺うみべの石の
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものはなみばかり

暮はさみしき荒磯あらいそ
うしほを染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩にくだけて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
うしほとともに帰るとき

たれか波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世ををしまざる

こよみもあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり

遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの
まだうらわかき野路の鳥

嗚呼ああめづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑のはねもまだ弱き
それも初音はつねうぐひす

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜のえて色青き
こゝちこそすれ砂の

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅がぞする海の

磯辺に高き大巌おほいは
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲しののめ
しほ遠き朝ぼらけ

  春


   一 たれかおもはむ

たれかおもはむうぐひす
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の
あゝよしさらば美酒うまざけ
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらばこと
うたひあかさん春の夜を

   二 あけぼの

くれなゐ細くたなびけたる
雲とならばやあけぼのの
       雲とならばや

やみをでては光ある
空とならばやあけぼのの
       空とならばや

春の光をいろどれる
水とならばやあけぼのの
       水とならばや

はとまれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
       草とならばや

   三 春は来ぬ

春はきぬ
  春はきぬ
初音はつねやさしきうぐひすよ
こぞに別離わかれを告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳こぞの冬

春はきぬ
  春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし

春はきぬ
  春はきぬ
浅みどりなる新草にひぐさ
とほき野面のもせゑがけかし
さきてはあか春花はるばな
樹々きぎこずゑを染めよかし

春はきぬ
  春はきぬ
かすみよ雲よゆるぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花のおくる春風よ
眠れる山を吹きさませ

春はきぬ
  春はきぬ
春をよせくる朝汐あさじほ
あし枯葉かれはを洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴ひなづる
若きあしたの空に飛べ

春はきぬ
  春はきぬ
うれひのせりの根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜とえよかし

   四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情ふぜいなれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみのそでをみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにのわらびの
したもえいそぐがあしを
かたくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ

   五 うてや鼓

うてやつづみの春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり

ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ糸は
けさもえいでしあをやなぎ

霞のまくをひきあけて
春をうかゞふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春のうてなといふべけれ

小蝶こちょうよ花にたはぶれて
優しき夢をみては舞ひ
ふて羽袖はそでもひら/\と
はるの姿をまひねかし

緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめしづかなるはるの日の
しらべを高く歌へかし

  小詩

くめどつきせぬ
わかみづを
きみとくまゝし
かのいづみ

かわきもしらぬ
わかみづを
きみとのまゝし
かのいづみ

かのわかみづと
みをなして
はるのこゝろに
わきいでん

かのわかみづと
みをなして
きみとながれん
花のかげ

  明星

浮べる雲と身をなして
あしたのそらに出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを

朝のうしほと身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
みてかなしききらめきを

なにかこひしき暁星あかぼし
むなしきあまの戸を出でて
深くも遠きほとりより
人の世近くきたるとは

うしほの朝のあさみどり
水底みなそこ深き白石を
星の光にかし見て
朝のよはひを数ふべし

野の鳥ぞ山河やまかは
ゆふべの夢をさめいでて
細く棚引たなびくしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ

小夜さよには小夜のしらべあり
朝には朝のもあれど
星の光の糸の
あしたのことしづかなり

まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いと/\若き光をば
なづけましかば明星と

  潮音

わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね

  酔歌

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
酔ふてたもと歌草うたぐさ
めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ
楽しき春は老いやすし
が身にもてるたからぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁うれひあり
かたく結べるその口に
それ声も無きなげきあり

名もなき道をくなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐かひなきことをなげくより
きたりてうまき酒に泣け

光もあらぬ春の日の
独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火ともしび
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
かなしからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衛ゆくへはいづこぞや
琴花酒ことはなさけのあるものを
とゞまりたまへ旅人よ

  二つの声

   朝

たれか聞くらん朝の声
ねむりと夢を破りいで
あやなす雲にうちのりて
よろづの鳥に歌はれつ
天のかなたにあらはれて
東の空に光あり
そこにときありはじめあり
そこに道あり力あり
そこに色ありことばあり
そこに声あり命あり
そこに名ありとうたひつゝ
みそらにあがり地にかけり
のこんの星ともろともに
光のうちに朝ぞ隠るゝ

   暮

たれか聞くらん暮の声
霞のつばさ雲の帯
煙のころも露のそで
つかれてなやむあらそひを
闇のかなたに投げ入れて
夜の使つかひ蝙蝠かはほり
飛ぶ間も声のをやみなく
こゝに影ありまよひあり
こゝに夢ありねむりあり
こゝに闇あり休息やすみあり
こゝにながきあり遠きあり
こゝに死ありとうたひつゝ
草木にいこひ野にあゆみ
かなたに落つる日とともに
色なき闇に暮ぞ隠るゝ

  哀歌

    中野逍遙をいたむ
『秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴台旧譜※(「土へん+盧」、第3水準1-15-68)前柳、風流銷尽二千年』、これ中野逍遙が秋怨十絶しゅうえんじゅうぜつの一なり。逍遙字は威卿、小字重太郎、予州宇和島の人なりといふ。文科大学の異材なりしが年わづかに二十七にしてうせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな紅心の余唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの清怨を写せしもの、『寄語残月休長嘆、我輩亦是艶生涯』、合せかゝげてこの秀才を追慕するのこゝろをとゞむ。

    思君九首     中野逍遙

思君我心傷    思君我容瘁
中夜坐松蔭    露華多似涙

思君我心悄    思君我腸裂
昨夜涕涙流    今朝尽成血

示君錦字詩    寄君鴻文冊
忽覚筆端香    ※(「窗/心」、第3水準1-89-54)外梅花白

為君調綺羅    為君築金屋
中有鴛鴦図    長春夢百禄

贈君名香篋    応記韓寿恩
休将秋扇掩    明月照眉痕

贈君双臂環    宝玉価千金
一鐫不乖約    一題勿変心

訪君過台下    清宵琴響揺
佇門不敢入    恐乱月前調

千里囀金鶯    春風吹緑野
忽発頭屋桃    似君三両朶

嬌影三分月    芳花一朶梅
渾把花月秀    作君玉膚堆

かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今はた残る歌反古うたほご
ながきうれひをいかにせむ

かなしいかなやするすみ
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなやさきの世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友のちぎりも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしきまなこつゆを帯び
葡萄ぶどうのたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりにねたき姿かな

同じ時世ときよに生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれなゐの花は散り
われ命あり八重葎やへむぐら

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらんさける

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いと/\清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しきざえなれば
やまひちりかなしみ
死にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれざを
磯にくだくる高潮たかじほ
うれひの花とちりにけり

かなしいかなや人の世の
きづなも捨てていななけば
つきせぬ草に秋は来て
声も悲しき天の馬

かなしいかなやを遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
ひるがへり行く一葉舟ひとはぶね
[#改段]

四 深林の逍遙しょうよう、其他


  深林の逍遙

力をきざ木匠こだくみ
うちふる斧のあとを絶え
春の草花くさばな彫刻ほりもの
のみにほひもとゞめじな
いろさま/″\の春の葉に
青一筆あをひとふであともなく
千枝ちえにわかるゝ赤樟あかくす
おのづからなるすがたのみ
ひのきは荒し杉直し
五葉は黒ししひの木の
枝をまじゆる白樫しらかし
あふちは茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓わかかへで

  山精やまびこ

ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる

ひとにしられぬ
はるのひの
かすみのおくを
たれかしる

  木精こだま

はなのむらさき
はのみどり
うらわかぐさの
のべのいと

たくみをつくす
大機おほはた
をさのはやしに
きたれかし

  山精

かのもえいづる
くさをふみ
かのわきいづる
みづをのみ

かのあたらしき
はなにゑひ
はるのおもひの
なからずや

  木精

ふるきころもを
ぬぎすてて
はるのかすみを
まとへかし

なくうぐひすの
ねにいでて
ふかきはやしに
うたへかし

あゆめばらんの花を踏み
ゆけば楊梅やまもも袖に散り
たもとにまとふ山葛やまくづ
葛のうら葉をかへしては
女蘿ひかげの蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々くまぐま
いとなだらかに行きびて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられずつるめり
せまりて暗きはざまより
やゝひらけたる深山木みやまぎ
春は小枝こえだのたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青きいはほに流れ落ち
若きましらのためにだに
おとをとゞむる時ぞなき

  山精

ゆふぐれかよふ
たびびとの
むねのおもひを
たれかしる

友にもあらぬ
やまかはの
はるのこゝろを
たれかしる

  木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しづくなれ

  山精

鹿はたふるゝ
たびごとに
妻こふこひに
かへるなり

のやまは枯るゝ
たびごとに
ちとせのはるに
かへるなり

  木精

ふるきおちばを
やはらかき
青葉のかげに
葬れよ

ふゆのゆめぢを
さめいでて
はるのはやしに
きたれかし

今しもわたる深山みやまかぜ
春はしづかに吹きかよふ
林のしょうをきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙しろたへ
雲の羽袖はそでの深山木の
千枝ちえだにかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々きぎをわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛ゆくへにいざなはれ
千々にめぐれる巌影いはかげ
花にも迷ひ石に
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
けづりてなせる青巌あをいは
砕けて落つる飛潭たきみづ
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光烱ひかり照りそふ水けぶり
独りこけむす岩を
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭たきみづ
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん

  山精

なにをいざよふ
むらさきの
ふかきはやしの
はるがすみ

なにかこひしき
いはかげを
ながれていづる
いづみがは

  木精

かくれてうたふ
野の山の
こゑなきこゑを
きくやきみ

つゝむにあまる
はなかげの
水のしらべを
しるやきみ

  山精

あゝながれつゝ
こがれつゝ
うつりゆきつゝ
うごきつゝ

あゝめぐりつゝ
かへりつゝ
うちわらひつゝ
むせびつゝ

  木精

いまひのひかり
はるがすみ
いまはなぐもり
はるのあめ

あゝあゝはなの
つゆに酔ひ
ふかきはやしに
うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩いろあや
いつしか淡く茶を帯びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと静かなる湖の
岸辺にさける花躑躅はなつつじ
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それくれなゐの色染めて
むらさきとなりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫ふかむらさきくれなゐ
あやにうつろふ夕まぐれ

  母を葬るのうた
うき雲はありともわかぬ大空の
    月のかげよりふるしぐれかな

きみがはかばに
    きゞくあり
きみがはかばに
    さかきあり

くさはにつゆは
    しげくして
おもからずやは
    そのしるし

いつかねむりを
    さめいでて
いつかへりこん
    わがはゝよ

紅羅あからひく子も
    ますらをも
みなちりひぢと
    なるものを

あゝさめたまふ
    ことなかれ
あゝかへりくる
    ことなかれ

はるははなさき
    はなちりて
きみがはかばに
    かゝるとも

なつはみだるゝ
    ほたるびの
きみがはかばに
    とべるとも

あきはさみしき
    あきさめの
きみがはかばに
    そゝぐとも

ふゆはましろに
    ゆきじもの
きみがはかばに
    こほるとも

とほきねむりの
    ゆめまくら
おそるゝなかれ
    わがはゝよ

  合唱

   一 暗香あんこう
はるのよはひかりはかりとおもひしを
    しろきやうめのさかりなるらむ

   姉

わかきいのちの
    をしければ
やみにも春の
    に酔はん

せめてこよひは
    さほひめよ
はなさくかげに
    うたへかし

   妹

そらもゑへりや
    はるのよは
ほしもかくれて
    みえわかず

よめにもそれと
    ほのしろく
みだれてにほふ
    うめのはな

   姉

はるのひかりの
    こひしさに
かたちをかくす
    うぐひすよ

はなさへしるき
    はるのよの
やみをおそるゝ
    ことなかれ

   妹

うめをめぐりて
    ゆくみづの
やみをながるゝ
    せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
    なりせば
いづれかよるに
    にほはまし

   姉

こぞのこよひは
    わがともの
うすこうばいの
    そめごろも

ほかげにうつる
    さかづきを
こひのみゑへる
    よなりけり

   妹

こぞのこよひは
    わがともの
なみだをうつす
    よのなごり

かげもかなしや
    木下川きねがは
うれひしづみし
    よなりけり

   姉

こぞのこよひは
    わがともの
おもひははるの
    よのゆめや

よをうきものに
    いでたまふ
ひとめをつゝむ
    よなりけり

   妹

こぞのこよひは
    わがともの
そでのかすみの
    はなむしろ

ひくやことのね
    たかじほを
うつしあはせし
    よなりけり

   姉

わがみぎのてに
    くらぶれば
やさしきなれが
    たなごころ

ふるればいとゞ
    やはらかに
もゆるかあつく
    おもほゆる

   妹

もゆるやいかに
    こよひはと
とひたまふこそ
    うれしけれ

しりたまはずや
    うめがかに
わがうまれてし
    はるのよを

   二 蓮花舟れんげぶね
しは/\もこほるゝつゆははちすはの
    うきはにのみもたまりけるかな

   姉

あゝはすのはな
    はすのはな
かげはみえけり
    いけみづに

ひとつのふねに
    さをさして
うきはをわけて
    こぎいでん

   妹

かぜもすゞしや
    はがくれに
そこにもしろし
    はすのはな

こゝにもあかき
    はすばなの
みづしづかなる
    いけのおも

   姉

はすをやさしみ
    はなをとり
そでなひたしそ
    いけみづに

ひとめもはぢよ
    はなかげに
なれが乳房ちぶさ
    あらはるゝ

   妹

ふかくもすめる
    いけみづの
葉にすれてゆく
    みなれざを

なつぐもゆけば
    かげみえて
はなよりはなを
    わたるらし

   姉

荷葉はすはにうたひ
    ふねにのり
はなつみのする
    なつのゆめ

はすのはなふね
    さをとめて
なにをながむる
    そのすがた

   妹

なみしづかなる
    はなかげに
きみのかたちの
    うつるかな

きみのかたちと
    なつばなと
いづれうるはし
    いづれやさしき

   三 葡萄ぶどうのかげ
はるあきにおもひみたれてわきかねつ
    ときにつけつゝうつるこゝろは

   妹

たのしからずや
    はなやかに
あきはいりひの
    てらすとき

たのしからずや
    ぶだうばの
はごしにくもの
    かよふとき

   姉

やさしからずや
    むらさきの
ぶだうのふさの
    かゝるとき

やさしからずや
    にひぼしの
ぶだうのたまに
    うつるとき

   妹

かぜはしづかに
    そらすみて
あきはたのしき
    ゆふまぐれ

いつまでわかき
    をとめごの
たのしきゆめの
    われらぞや

   姉

あきのぶだうの
    きのかげの
いかにやさしく
    ふかくとも

てにてをとりて
    かげをふむ
なれとわかれて
    なにかせむ

   妹

げにやかひなき
    くりごとも
ぶだうにしかじ
    ひとふさの

われにあたへよ
    ひとふさを
そこにかゝれる
    むらさきの

   姉

われをしれかし
    えだたかみ
とゞかじものを
    かのふさは

はかげのたまに
    てはふれて
わがさしぐしの
    おちにけるかな

   四 高楼たかどの
わかれゆくひとををしむとこよひより
    とほきゆめちにわれやまとはん

   妹

とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ

   姉

わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな

   妹

したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや

   姉

あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも

   妹

きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみん
    このわかれ

   姉

なれがやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかん
    このわかれ

   妹

きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらん
    はなもがな

   姉

そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはん

  をさ

梭の音を聞くべき人は今いづこ
心を糸によりめて
涙ににじむ木綿もめん
やぶれし※(「窗/心」、第3水準1-89-54)まどに身をなげて
暮れ行く空をながむれば
ねぐらに急ぐ村鴉むらがらす
つれにはなれて飛ぶ一羽
あとを慕ふてかあ/\と

  かもめ

波に生れて波に死ぬ
なさけの海のかもめどり
恋の激浪おほなみたちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

くらうしほの驚きて
流れて帰るわだつみの
鳥の行衛ゆくへも見えわかぬ
波にうきねのかもめどり

  流星

かどにたちでたゞひとり
人待ち顔のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてて
何かこひしき人の世に
流れて落つる星一つ

  君と遊ばん

君と遊ばん夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
昼のうれひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
たのしみのかずは尽きじ

夢かうつゝかあまがは
星に仮寝の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
をさ遠音とほねを聞かめやも

  昼の夢

花橘はなたちばなそで
みめうるはしきをとめごは
真昼まひるに夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日まひるの夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世にでて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名残ぞと
問はゞ答へん目さめては
熱き涙のかわく間もなし

  東西南北

男ごころをたとふれば
つよくもくさをふくかぜか
もとよりかぜのみにしあれば
きのふは東けふは西

女ごころをたとふれば
かぜにふかるゝくさなれや
もとよりくさのみにしあれば
きのふは南けふは北

  懐古

あま河原かはらにやほよろづ
ちよろづ神のかんつどひ
つどひいませしあめつちの
はじめのときをたれか知る

それ大神おほがみ天雲あまぐも
八重かきわけて行くごとく
野の鳥ぞ東路あづまぢ
碓氷うすひの山にのぼりゆき

日は照らせども影ぞなき
吾妻あがつまはやとこひなきて
熱き涙をそゝぎてし
みことの夢は跡も無し

大和やまとの国の高市たかいち
雷山いかづちやま御幸みゆきして
天雲あまぐものへにいほりせる
御輦くるまのひゞき今いづこ

目をめぐらせばさゞ波や
志賀の都は荒れにしと
むかしを思ふ歌人うたひと
澄めるうらみをなにかせん

春はかすめる高台たかどの
のぼりて見ればけぶり立つ
民のかまどのながめさへ
消えてあとなき雲に入る

冬はしぐるゝ九重ここのへ
大宮内のともしびや
さむさは雪に凍る夜の
たつのころもはいろもなし

むかしは遠き船いくさ
人の血潮ちしほの流るとも
今はむなしきわだつみの
まん/\としてきはみなし

むかしはひろき関が原
つるぎに夢を争へど
今はさびしき草のみぞ
ばう/\としてはてもなき

われいま秋の野にいでて
奥山おくやま高くのぼり行き
都のかたを眺むれば
あゝあゝ熱きなみだかな

  白壁しらかべ

たれかしるらん花ちかき
高楼たかどのわれはのぼりゆき
みだれて熱きくるしみを
うつしいでけり白壁に

つばにしるせし文字なれば
ひとしれずこそ乾きけれ
あゝあゝ白き白壁に
わがうれひありなみだあり

  四つのそで

をとこの気息いきのやはらかき
お夏の髪にかゝるとき
をとこの早きためいきの
あられのごとくはしるとき

をとこの熱き手のひら
お夏の手にも触るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映るとき
をとこのあか口唇くちびる
お夏の口にもゆるとき

人こそしらね嗚呼ああ恋の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎

  天馬

   序

おいわかきしかたに
ふみに照らせどまれらなる
しきためしは箱根山
弥生やよひの末のゆふまぐれ
南のあまをいでて
よな/\北の宿に行く
血の深紅くれなゐの星の影
かたくななりし男さへ
星の光を眼に見ては
身にふりかゝる凶禍まがごと
天のしるしとうたがへり
総鳴そうなきに鳴くうぐひす
にほひいでたる声をあげ
さへづり狂ふをきけば
げにめづらしき春の歌
春を得知らぬ処女をとめさへ
かのうぐひすのひとこゑに
枕の紙のしめりきて
人なつかしきおもひあり
まだ時ならぬ白百合の
まがきの陰にさける見て
九十九つくもおきなうつし世の
こゝろの慾の夢を恋ひ
をだにきかぬ雛鶴ひなづる
のき榎樹えのきに来て鳴けば
寝覚ねざめ老嫗おうな後の世の
花のうてなに泣きまどふ
空にかゝれる星のいろ
春さきかへる夏花なつはな
これわざはひにあらずして
よしやしるしといへるあり
なにを酔ひ鳴く春鳥はるどり
なにを告げくる鶴の声
それ鳥のうらなひて
よろこびありと祝ふあり
高きひじりのこの村に
声をあげさせたまふらん
世を傾けむ麗人よきひと
茂れるしづ春草はるぐさ
いでたまふかとのゝしれど
誰かしるらん新星にひぼし
まことの北をさししめし
さみしきあしみづうみ
沈める水につるとき
名もなき賤の片びさし
春の夜風の音を絶え
村の南のかたほとり
その夜生れしの馬は
流るゝ水の藍染あゐぞめ
青毛あをげやさしき姿なり
北に生れしの馬の
栗毛にまじる紫は
色あけぼのの春霞
光をまとふ風情ふぜいあり
星のひかりもをさまりて
うはさに残る鶴の音や
啼く鶯に花ちれば
嗚呼この村に生れてし
馬のありとや問ふ人もなし

   雄馬をうま

あな天雲あまぐもにともなはれ
緑の髪をうちふるひ
雄馬は人にしたがひて
箱根のみねくだりけり
胸はをどりて八百潮やほじほ
かの蒼溟わだつみに湧くごとく
のどはよせくる春濤はるなみ
飲めどもかわく風情あり
目はひさかたの朝の星
睫毛まつげは草の浅緑あさみどり
うるほひ光る眼瞳ひとみには
千里ちさとほかもほがらにて
東に照らし西に入る
天つみそらを渡る日の
朝日夕日の行衛ゆくへさへ
雲の絶間に極むらん
二つの耳をたとふれば
いとかすかなる朝風に
そよげる草の葉のごとく
ひづめの音をたとふれば
紫金しこんの色のやきがねを
高くもたたく響あり
狂へば長きたてがみ
うちふりうちふる乱れ髪
燃えてはめぐる血のしほ
流れてをどる春の海
くれなゐの光には
火炎ほのほ気息いきもあらだちて
深くも遠き嘶声いななき
大神おほがみの住むうつばり
ちりを動かす力あり
あゝ朝鳥あさとりの音をきゝて
富士の高根の雪に鳴き
夕つげわたる鳥の音に
木曽の御嶽みたけいはを越え
かの青雲あをぐもいななきて
そらよりそら電影いなづま
光の末に隠るべき
雄馬の身にてありながら
なさけもあつくなつかしき
主人あるじのあとをとめくれば
箱根も遠し三井寺や
日もあたたかに花深く
さゝなみ青き湖の
岸の此彼こちごち草を行く
天の雄馬のすがたをば
誰かは思ひ誰か知る
しらずや人の天雲あまぐも
歩むためしはあるものを
天馬のりて大土おほつち
歩むためしのなからめや
見よ藤の葉の影深く
岸の若草にいでて
春花に酔ふちょうの夢
そのかげをむ雄馬には
一つのあか春花はるはな
見えざる神の宿やどりあり
一つうつろふ野の色に
つきせぬ天のうれひあり
嗚呼鷲鷹わしたかの飛ぶ道に
高くかかれる大空の
無限むげんつるに触れて鳴り
男神をがみ女神めがみたはむれて
照る日の影の雲に鳴き
空に流るゝ満潮みちしほ
飲みつくすともかわくべき
天馬よなれが身を持ちて
鳥のきてにほの海
花橘はなたちばなの蔭を
その姿こそ雄々しけれ

   牝馬めうま

青波あをなみ深きみづうみの
岸のほとりに生れてし
天の牝馬はあづまなる
かの陸奥みちのくの野に住めり
霞にうるほひ風に
おともわびしき枯くさの
すゝき尾花にまねかれて
荒野あれのに嘆く牝馬かな
誰かつばめの声を聞き
たのしきうたを耳にして
日も暖かに花深き
西も空をば慕はざる
誰か秋鳴くかりがねの
かなしき歌に耳たてて
ふるさとさむき遠天とほぞら
雲の行衛ゆくへを慕はざる
白き羚羊ひつじに見まほしく
きては深く柔軟やはらか
まなこの色のうるほひは
古里ふるさとを忍べばか
ひづめも薄く肩せて
四つのあしさへ細りゆき
そのたてがみつやなきは
荒野あれのの空に嘆けばか
春は名取なとりの若草や
病める力に石を引き
夏は国分こくぶみねを越え
牝馬にあまる塩を負ふ
秋は広瀬の川添かはぞひ
紅葉もみぢの蔭にむちうたれ
冬は野末に日も暮れて
みぞれの道の泥に
鶴よみそらの雲に飽き
朝の霞の香に酔ひて
春の光の空を飛ぶ
羽翼つばさの色のねたきかな
獅子ししよさみしき野に隠れ
道なき森に驚きて
あけぼの露にふみ迷ふ
鋭き爪のこひしやな
鹿よ秋山あきやま妻恋つまごひ
黄葉もみぢのかげを踏みわけて
谷間の水にあへぎよる
眼睛ひとみの色のやさしやな
人をつめたくあぢきなく
思ひとりしは幾歳いくとせ
命を薄くあさましく
思ひめしは身を責むる
強きくびきに嘆き
花に涙をそゝぐより
悲しいかなや春の野に
ける泉を飲み干すも
天の牝馬のかぎりなき
渇ける口をなにかせむ
悲しいかなや行く水の
岸の柳の樹の蔭の
かの新草にひぐさの多くとも
饑ゑたるのどをいかにせむ
身は塵埃ちりひぢ八重葎やへむぐら
しげれる宿にうまるれど
かなしやつちの青草は
その慰藉なぐさめにあらじかし
あゝ天雲あまぐもや天雲や
ちり是世このよにこれやこの
くつわも折れよ世も捨てよ
狂ひもいでよくびきさへ
噛み砕けとぞ祈るなる
牝馬のこゝろあはれなり
尽きせぬ草のありといふ
天つみそらの慕はしや
渇かぬ水の湧くといふ
天の泉のなつかしや
せまきうまやを捨てはてて
空を行くべき馬の身の
心ばかりははやれども
病みてはつるなみだのみ
草に生れて草に泣く
姿やさしき天の馬
うき世のものにことならで
消ゆる命のもろきかな
散りてはかなき柳葉やなぎは
そのすがたにも似たりけり
波に消え行く淡雪あはゆき
そのすがたにも似たりけり
げに世の常の馬ならば
かくばかりなる悲嘆かなしみ
身の苦悶わづらひうらみ侘び
声ふりあげていななかん
乱れて長き鬣の
この世かの世の別れにも
心ばかりは静和しづかなる
深く悲しき声きけば
あゝ幽遠かすかなる気息ためいき
天のうれひを紫の
野末の花に吹き残す
世の名残こそはかなけれ

  にはとり

花によりそふ鶏の
つま妻鳥めどり燕子花かきつばた
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情ふぜいあり

姿やさしき牝鶏めんどり
かたちを恥づるこゝろして
花に隠るゝありさまに
品かはりたる夫鳥つまどり

雄々しくたけき雄鶏をんどり
とさかの色もえんにして
黄なる口觜くちばし脚蹴爪あしけづめ
尾はしだり尾のなが/\し

問ふても見ましがために
よそほひありく夫鳥つまどり
つまるためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

画にこそかけれ花鳥はなどり
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寝わびねの朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へんと鶏の
よる使つかひにぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめをたれか知る
燃ゆるがごときくれなゐ
雲のゆくへをたれか知る

闇もこれより隣なる
声ふりあげて鳴くときは
ひとの長眠ねむりのみなめざめ
夜は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜はすでに
いざ妻鳥つまどりと巣をでて
をあさらんと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬとりも高に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて来るはなぞ
妻恋ふらしや妻鳥つまどり

ねたしや露にはねぬれて
朝日にうつる影見れば
雄鶏をどりしき白妙しろたへ
雲をあざむくばかりなり

力あるらし声たけき
かたきのさまをおそれてか
声色いろあるさまにぢてかや
妻鳥めどりは花に隠れけり

かくと見るより堪へかねて
背をや高めし夫鳥つまどり
がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛ふでげのさきも逆立さかだちて
血潮ちしほにまじる眼のひかり
二つのとりのすがたこそ
これおそろしき風情ふぜいなれ

妻鳥めどりは花をけ出でて
争闘あらそひ分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪けづめには
火焔ほのほもちるとうたがはる

蹴るや左眼さがんまとそれて
はねに血しほの夫鳥つまどり
敵の右眼うがんをめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血潮の花も地に染みて
二つのとりの目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに声あり涙あり
争ひ狂ふ四つのはね
血潮のりに滑りし夫鳥つまどり
あなたふれけん声高し

一声長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥の
はねに血潮のあけ
あたりにさける花あか

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一声鳴けかしと
かばねに嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖おそれと変りきて
思ひ乱れてをのみぞ
鳴くや妻鳥めどりの心なく

我を恋ふらしにたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵とならんとは

花にもつるゝちょうあるを
鳥にえにしのなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其のなさけ

あけみたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる恋見れば
てきのこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも変りけり

かなしこひしの夫鳥つまどり
冷えまさりゆくその姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥めどりの身の末ぞ

恐怖おそれを抱く母と子が
よりそふごとくかの敵に
なにとはなしに身をよする
妻鳥のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの楽しき花ちりて
空色暗く一彩毛ひとはけ
雲にかなしき野のけしき

生きてかへらぬ鳥はいざ
つま妻鳥めどり燕子花かきつばた
いづれあやめを踏み分けて
野末を帰る二羽のとり

  松島瑞巌寺ずいがんじに遊び葡萄ぶどう
  栗鼠きねずみの木彫を観て

舟路ふなぢも遠し瑞巌寺
冬逍遙ふゆじょうようのこゝろなく
古き扉に身をよせて
飛騨ひだ名匠たくみ浮彫うきぼり
葡萄のかげにきて見れば
菩提ぼだいの寺の冬の日に
かたなかなしみのみうれ
ほられて薄き葡萄葉の
影にかくるゝ栗鼠よ
姿ばかりは隠すとも
かくすよしなしのみ
うしほにひゞく磯寺いそでら
かねにこの日の暮るゝとも
夕闇ゆふやみかけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎

底本:「藤村詩集」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年2月10日発行
   1997(平成9)年10月15日55刷
※ルビの一部を新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:佐野女子高等学校2-1(H11)
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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